こたえなんていらないさ

ぼくらは自由だ。刀ミュは奇跡だ。佐藤清光推してます。

閑話休題:降りつもる「好き」で息ができない

みほとせの感想まとめ後半に未着手なのに全然関係ない文章を書いてしまいました。

 

突然ですが、皆さん「好き」という感情についてどう思いますか?
…いきなりどうした。大風呂敷広げすぎですね。
でも本気で最近考えるんだよ、もはや「好き」ってなんなんだよ!って。
いわゆる恋愛感情としての「好き」についての話では勿論ありません。
趣味の世界において、おたくが心を捧げてしまう対象への無尽蔵な「好き」についての、お話です。


ほら、今刀ミュの公演が落ち着いてる時期じゃないですか。(海外公演の真っ最中ではあるけど)
海外公演が終わったあとは、円盤・CD・写真集のリリース以外に明確な予定が11月までしばらくないんです。…ないんですよ!!!!(動揺)
きっとなにか隠し持ってるんだろうとは思ってるけど!そしてリリースされる商品ラインナップが多いのには笑うけど!
去年の春からずーーーっとノンストップでこちらに「好き」の対象を過剰供給し続けてきた刀ミュが本当にひさしぶりに落ち着いた今、あれ、なんだかいろんなことができるな…?ってなっており笑、お前刀ミュがある期間どんだけ思い詰めてたんだよ。と思いまして。
そして何かにガーッと熱をあげているあいだじゅう、それはむしろ苦行なのか?というくらいの勢いで「好き」の炎を燃やし続けている自分の様子が、冷静になるとあまりにも頭がおかしいんじゃないかなと思ったので(とても今更)、
落ち着くためにもいったん文章にしようと思いました。
なので今日はとくにオチのないひとりごとです!

 

さしあたって、何かを「好き」になったときの自分はどういう状況になるのか?というのを、できるだけ客観的に書き出してみたらこうなりました。

 

  1. とりあえず、四六時中、その好きになった何か(誰か)のことを考え続けている。仕事中だろうがお風呂に入ってようが寝る前だろうがテレビをみている時だろうが。たぶん顔がにやけている瞬間も多々。
  2. その対象についての言いたい言葉が常に頭の中にあふれ続けてしまう。なのでひたすらツイッターに支離滅裂なつぶやきを投げつけることになる。最終的にまともに言語化もできなくなってくると、ただ「つらい」「むねがくるしい」等、ダイイングメッセージのような断片的な言葉のみを繰り返し発し続けるようになる。もしくは鳴き声を発しだす。
  3. さらに、その「好き」な何かが終わりを迎えてしまったり、なにかしら会えない形へと変化していくと、もう言いようのないさみしさに襲われる。いや、もうさみしいとかじゃなく、はっきり言ってただただ絶望する。この取り返しのつかなさは、もはや暴力的だとすら思い、生きる希望はどこにあるのだ、この世は地獄だ。と本気で思う。
  4. 終わってしまい会えなくなってしまったその対象を思っては、日々しょっちゅう涙する。落ち着いたかと思われたころに、突発的なロスに見舞われてはぐずぐずと泣く。

 

…控え目にいっても、最終的にはちょっと危ない人ですね。遠巻きに見ていたほうがよさそうな感じしますよね。
でもね、大袈裟じゃなくてほんとに上述のとおりになってしまうんです。まじで困ったもんだと思います。なんでなんだろうか。誰か教えてくれないか。


特に私の場合は、上述の2の言葉がぽんぽん浮かんでくるところがなんだか異常だなと思います。
とにかくひたすらに、その好きな何かについての言葉を発していたくなるんですよね。あれは本当になんなのか、自分でもよくわからない。
どこがどう好きなのか、個別具体的に詳細に説明したい気持ちが止まらなくて、ほんとにずーーーっと喋っていたくなります。
だから私は毎日のようにツイッターであほほどうるさいのですけれど、ああやって外にこまめに感情をぶん投げておかないと、まじで窒息してしんでしまう気がして無理なんです。

自分の「好き」にころされそうになります。だからツイッターがあってよかった。
どうして「好き」→言語化したい欲になるんだろう?ってところはよくわからないんだけど、他に対抗するすべがないからでしょうか…
例えば絵が描ける人は観劇後にすばらしいレポ絵を繰り出してらっしゃるから、

みんな自分にできる何らかの手段で感情を外に放出しないとおたくはやっぱりしぬのかな、と勝手に思っています。

 

ダメ押しで、清光にやられた後の自分をちょっと詳しく振り返りますね。

 

2016年の夏、プレミアム会員限定ライブの会場で加州清光に完全降伏すると決めたその時から、もう熱に浮かされたように本当に毎日清光のことしか考えられなくなりました。
ライブから数日後、辛抱たまらずiPhoneのロック画面に設定したプレミアム会員配信コンテンツの壁紙清光を見るたびに、分かっているのにあまりのかわいさに「ヒッ」と息をのみ、
毎日の通勤中にアルバムの歌声を聞いては「ほんとなんなんだよ」とそのハスキーボイスの魅力に怒りすら覚え、
好きになる予定がなかったために、手配については完璧に出遅れていた幕末天狼傳のチケットがなかなか手に入らないことがつらすぎて、最終的に若干体調を崩しました。
でもそのあとに見切れ席の販売でチケットが買えた上に思わぬ良席が飛び込んできたときは、喜びのあまり本当にコンビニのレジで手が震えました。夏空のもと、ふらつきながら家まで帰った。
公演が始まる直前は、「自分の思い入れが強すぎて清光の描かれ方が受け入れがたい感じの脚本だったらどうしよう」といった形のない不安にさいなまれた。
でもいざ幕が上がってみると、一から十までが文句なく最高の作品に仕上がっていて、そんな奇跡のような素晴らしい作品を生み出してくれた制作陣とキャストのみんなに心からの感謝が止まらなくなり、

観に行ける日は「そうだ!私は今生きている!!!」と心からの喜びに打ちふるえてアイアの座席に座ってました。
反対に自分が行けない日は、周りで観劇している人がいると気が狂いそうにうらやましくて、胃の中が羨望でひりつくように痛かったです。
東京公演がおわった後、福岡→大阪と続いた地方公演、大阪公演の楽前日に久しぶりに生で幕末組のみんなを見ることができた時は、うわ~~まだやってるよ~~!って幸せのあまりもうしぬんじゃないかなと思い、
だけどだんだんと公演自体が終わりに近づいてることにはまったくもって向き合えなくて、
そして結局終わりに向き合えないままに来てしまった国内千秋楽が終わった後、絶望のどん底に突き落とされて、家で声をあげて泣きました。
そのあと配信された公演映像はなかなか見る勇気も出なかった。
らぶフェスも挟んですこしクールダウンできた頭で臨めた上海公演は、海外遠征テンションもあって、ただただ、楽しかったし幸せでした。
上海でちゃんと見納めができてよかった、って清々しくお別れできた気でいたけど、結局そのあとしばらくたって「ユメひとつ」のPVが解禁されたとき、もう二度と同じ形で彼らに会えないことがやりきれないほどつらくて、またしても「うええーーー」って家で声を上げて泣きました…。

 

…大丈夫か大丈夫じゃないか、と言われると「全然大丈夫じゃないな」と思います。
楽しそうだよ、楽しそうなんだけど、同時にちょっと苦しみすぎでは?笑
「好き」になるとしてもだよ。こんなに心を乱されなくてもいいと思うんだ。
だけどね、どうしても、こうやって全力で身をゆだねきって翻弄される以外のやり方が、私には本気でわからないんですよ…。
「好き」って感情は、それくらいコントロールができない。好きになるタイミングも対象もその思いの深さも、自分で決められるものなんて一個もなくて、このありさま、drive me crazyにもほどがあるなと思っています。

 

しかもその「好き」が増える一方ときたもんだよ。これにはほんとうに困った。

 

清光いないから大丈夫、うんうん、明確な推しもいないし、今回はちょっと引いた視点からゆったり楽しめるかな~。って思っていたのにね。
そもそもまだ幕末天狼傳ロスが生傷もいいところで、これから新しい演目が始まってしまうことが受け入れがたかったはずなのに。
三百年の子守唄では、にっかり青江に、完膚なきまでにやられましたね。おおよそ一瞬の出来事でしたね。
あの期間は本気で青江のことしか考えられなかった。ちょっとどうかと思うくらい荒木さんが演じる青江のことが好きになった。仕事中に思い出してはにやけそうになるのを必死でこらえたりしていた。

好きな気持ちが募りすぎて、もちろんツイッターでも毎日大騒ぎしていたけど、

もはやそれをぶつける手段として深夜3時まで新作うちわを作ったりしていた。
…っていうかね、もうね、わたしは刀ミュそのものを好きになりすぎたんだな、ってしみじみと思いました。
だって!!!話が面白いんだもん!歌が素敵なんだもん!みんな可愛いしかっこいいんだもん…!!!涙
昨日からみほとせ配信も始まったので、ほんとはすごく見たい、見たいけど、

今見たらまた気があっさりとくるってしまって、「かわいい!かっこいい!面白い!もう見れない!かなしい!つらい!!!」…っていう感情のふり幅に自分でも疲れてしまうので笑、

まだちょっとしばらく寝かせておこうかなって思っているところです。。

 

この調子でずっと身を焦がしてたらまじで体が持たない気はしております。
いや実際、嬉しさもつらさも累乗なの?って勢いで増えていくし。
しかもさ、「好き」ってなかなか減らないんだよね!?

一回「好き」って思った対象のことをわりとずっと「好き」な癖もあるみたいでね、そうなったらどう考えてもキャパオーバーじゃない?どこかで荷物減らすべきなんじゃないのかな?大丈夫?
これがおたくというものなのか、どうなのか…ねぇ、みんなこんなに心を乱されながら一体どうやって生きてるの!?(と、誰かの肩をゆさぶりたい気持ち)
さっきも書きましたけれど、幕末天狼傳のあとは、そのお別れがあまりにも苦しかったので、こんな風になるくらいならもう「好き」を増やしたくないって本気で思ったんですよ。
舞台おたく数年やってきて、演目がいつかは終わることなんて百も承知しているつもりだったのに、んなこたわかってらぁ!理屈じゃねえ!俺は悲しいんだ!!!!!って暴れる感情を抑えることができませんでした。

 

だけどね、結論としてずっこけるくらいめちゃくちゃ当たり前なことを言いますが、

「好き」があるほうがやっぱり毎日が断然楽しいです。
何かを心底「好き」でいる時期は、本当に生活に張り合いが生まれる。心にダイレクトに栄養をどくどく注入してる感じする!!!
この楽しさ、充足感は他では手に入れられないものがあるなって…


とはいえ、もうちょっと自分の感情に翻弄されない落ち着きは身に着けたほうがいいんだろうな、という点が、最近のまじめな懸案事項になっております。笑
だから「好き」ってそもそも何なんや!!!って考えがとまらなくなってこんな文章を書きました。
こうね~~、自分をなんとかうまい位置に落とし込みたいんだよね。

まずは観たいと思った舞台に通えるだけ通いつめなくてもしなないからだになりたい。

そして数年来見送り続けているけれど「適正回数」という日本語をそろそろ辞書に採用したい。
今はまだ煩悩のかたまりで、その境地に達することができていないので、
「とりあえずちゃんと毎日会社に行ってて、最低限スレスレ(というかマイナス)レベルだけど主婦業もやってて、人間らしい生活をちゃんと営んでいる私、めっちゃえらい!」ってほめることにしています。
身を持ち崩すことはないから!めっちゃえらい!!!(※いい年をした大人として当然だ)

そうこうするうち、もうちょっと普通のOLに近づいていくことはできないだろうかと…いう狙いだけど…なんか全然だめっぽささしかないよね。。笑

 

そしてこの夏、刀ミュと双璧である最大の「好き」が私を待っており、今はそのチケット確保のことを考えると胃がもげそうです。
そう、學蘭歌劇「帝一の國」大海帝祭LIVEがついに!やってきてしまう…
最終章が始まる前からずっとずっと願ってたライブが叶うことは、信じられないくらい嬉しいんだけど、これが終わるとさ、本当にこの演目とはお別れなのか…というおそろしさが…
だからやっぱり、僕にできることは、命を燃やすことだけ…

 

…と刹那的になるのはほどほどにしたいと思いますが、
やっぱり「好き」はやめられねぇ!
それがどれだけ独りよがりでもなんでも、自分にしか持てない心の動きではあるわけで。
そこに真正面から責任をとって(?)生きていくのはどう考えても楽しいよね。
同じようにくるしんだり萌え転がったりのたまうちまわったりしながらも、好きなものに全力でまっすぐ向き合い、命をきらめかせている人たちを見ていると、勝手に「同志よ…」という思いになります。
ね、楽しいよね。大変だけどね。笑

どんどん降りつもる好きに埋もれてあーー今日も息ができない!と思う反面、

生きてるだけでいろんなことがある、生活、というものを乗り切るためのたくさんのエネルギーを、わたしは「好き」からもらっています。

 

虹橋芸術中心から一歩出て「楽しかったね~~!!!」って友達とキャッキャ言い合いながら横断歩道の信号待ちをしてるとき、もはやそこは渋谷となにも変わらなかった。
冬のつんとした空気の中、ソワレのあとに閉店5分前のパン屋さんに駆け込んでエッグタルトとアメリカンコーヒーを買った。言葉が通じなくてもパン屋さんのおばちゃんがすごく親切にしてくれたのが嬉しかった。
中国製のお水のペットボトルの蓋の締まりが甘くて、観劇してる間にかばんの中でもちものが水浸しになってたのに笑いながら、ホテルの部屋で友達とコーヒーを飲んで「楽しかったねぇ」ってニコニコ笑いながらかじったエッグタルト、ほっとする甘さが心にしみるようだった。


「好き」が連れてってくれたそんな思わぬ場所での思い出を、できるだけたくさん握りしめて年を重ねていきたい!
だけどいい加減ちゃんとした大人にもなりたいので、「秋の刀ミュは5回まで!」という、どこかで聞いたことのあるおそらく嘘になる誓いをして、このとりとめのない話を終わります。
5回…いや、8か…いい加減にしろ!!!

オチのない話を読んでくださりありがとうございました!