こたえなんていらないさ

ぼくらは自由だ。刀ミュは奇跡だ。佐藤清光推してます。

刀ミュ つはものどもがゆめのあと 凱旋公演の三日月についての感想(一部ソロ曲歌詞の掘り下げなど)

どうもこんばんは、つはもの三日月モンペのあなぐまです!

つはもの…ついに、終わっちゃう…ね!!!涙

大阪公演はいけなかったので私の観劇は凱旋が見納めでございました。。明日の大楽は仕事のあとにライビュへダッシュです。いつも忘れるディレイ配信も今回こそ予約済み…!

凱旋はまじでこれ以上がんばれないくらい頑張ってチケットを確保して、1/7マチソワ、1/8マチソワ、1/13ソワレ、1/14マチネ(東京楽)と6回観劇してきたのですが、やっぱり、凱旋ってめっちゃいろんなことが変わっている…!となりました。

あ、いろんなことって言ったけど、冒頭に申し上げたとおりつはものは三日月モンペなので、モンペっていうかなんかもう、自分がよくわかんないんですけど!とりあえず隙あらばオペラグラスで三日月だけを見ていた。…つまりは他の男士に関する変化はほぼわからない可能性が高い!!!(いばるな)

なので凱旋で感じた三日月の変化と、あとは主に一部で三日月が歌う2曲の歌詞の話をしたいと思います…!

あと話の流れなどはあまり丁寧な説明はしてないかと思うので、見たことある人向け?の書き方になってるかと!

 

 

まず東京公演との比較なのですけども。

わたし東京は3回しか観ていなくって、席は2バル→1バル→3バルってまんべんなく座ってはいるけど、いかんせんステージとの距離があるし…どこまで正確にとらえられていたか、自信がない部分はあるのですが。

それでも、明らかに「凱旋の三日月の表現が変わってる」と感じた部分が色々とありました。

一言で言ってしまうと、「より自分の感情を表に出すようになった」って話になるんですけど、そんなに単純でもないんだけど…できるかぎり説明してみる。

 

東京公演の頃の三日月、こちらが話を咀嚼するのに時間がかかったせいももちろんあるのですが、でも一貫して「得体の知れない者」というトーンを漂わせていたような気がするんですね。

どこか周囲に心を開いていないというか。や、ストーリー展開上、もちろんそうならざるを得ないんですけども、でも別に自身の気持ちを隠す必要のないような、なんということのないシーンであっても、なんだかその場にいる他の男士たちに対して、距離を置いているように私には見えたんですよね。

表情がほぼ変わらない、というか。あのお人形のように美しいお顔ですっとただそこにいる、っていう印象が強くて…

なので観ていて、あれ、刀ミュの三日月ってこんな感じだったっけ?って違和感を覚えるシーンもけっこうありまして。といいつつ、やー、この話のつくりでは当然か!とも思ってたんですよね。

だけど凱旋に来て、なんだか「あれ、いつもの三日月が戻ってきてるな」って感じる瞬間が増えて。

細かすぎて伝わらない話をしますけれど、例えば…

主から6振りに出陣の命が下るシーンで、「髭切殿、膝丸殿はまだ本丸に来たばかり、この任務は危険なのではないでしょうか?」と小狐丸が主に直訴するシーン。その様子を見ていた三日月が、隣の今剣に対して「おやおや、小狐丸殿の心配性が出たのかな」といった雰囲気で、ちょっとおどけた目配せをしてみせたりとか。

終盤の時間遡行軍との戦いの途中、小狐丸に「…踊りますか!」って言われた後の表情が、より明確に一瞬ぱっと目を見開く、嬉しそうな笑顔になっていたりとか。

そういう細かい部分、主に他の男士とのかかわりの中での自分の感情を、より自然に表に出すようになっているように感じました。

ラスト近辺の「賄賂はきかんかー!」のあとの笑顔は、東京から常に全開だったかなって思うんだけど、逆に言うと明確に感情が出てるのってあそこくらいだった気がするんだよね…?さすがにそれは言いすぎか…

わからないんだけど、やー、でもねぇ、やっぱりこの脚本だとねぇ!?(※なんかい同じことを言うんだよ)

今回の三日月の描かれ方に託されたもの、あまりにも大きすぎると思うんですよ。

三日月の在り方そのものが今回の話の進む先を左右しているわけで。つまりは絶対に世界観を壊してはいけないというか…おそらく演じる側にはそういうプレッシャーもあったと思うんですよね。

そうなると今までとは全然違うアプローチでたぶん役作りをしなければならなかったはずで。てか実際インタビューにそう書いてあったしな…。

まりおくんのとあるインタビューに「茅野さんに『その場の芝居の感じで、任せるわ。感じたままやれ」って言われることも多くなって」って書いてあって、本当にのけぞったんですけども…(だってトライアルの頃は怒られてばっかりだったといいますから…)

これは私の勝手な感想だけど、これまでの三日月宗近の表現に対して“変える部分”と“変えない部分”、その配分をまりおくんが確立させたのが、凱旋公演だったのかなぁ?って思ったんですよね。

それも悩んでつかみ取ったとかっていうよりは、自然に心が動くように演じていった結果たどり着いた形、って感じなのかなと。いや、わからんけどなんかそういう風に思ったよ。

 

そしてその最たる変化があったと(これも個人的に勝手に)感じてるのが、「しくしくくれくれ」の歌のシーンで…。

これ、今日タイトルがようやくわかりましたね。「華のうてな」なんだな…。花じゃないんだな。そうだよね…仏様に関連するときの「はな」って「華」を使うか…

舞台下手側に移動してからの歌の後半「半座わかつ 華のうてな 誰がためにそこにある」って歌詞に差し掛かるところで、三日月がぎゅっと眉根を寄せて目をつむり、心から切なげというか、うっすらと微笑みを浮かべた、慈愛のこもったような表情で歌うようになってたんですよね。

1/7にこのシーンを見た時に、本当にびっくりして…東京でぜったいそんな顔、してなかったよね?!ってなって。もうちょっときびしめのお顔じゃなかったっけ!?ってなって。

 

でね、なんでそういう表情になるんだろう!?っていうのがすごく気になり、歌に込められた意味について、ちゃんと腰を据えて考えたいな。と思ったんです。

刀ミュではつはものに限らず、日常的にあまり触れることがないような言葉遣い、言い回しがわりと頻繁に使用されていますよね。

例えば、ひとひらの風の「天霧(あまぎ)るとも晴れやかな」とか。みほとせだと「君の名は竹帛(ちくはく)に垂(た)る」とか。

そもそも使われている単語をこちらが知らないため、音はつかめても歌詞として変換できない、という現象がよく発生します。↑のふたつはまさにそうでした。笑

もちろん、全体的なトーンであったり言葉のおぼろげな印象で、ほぼ作り手の狙いからはブレなく歌のシーンを理解できているのだろう…とは思うんですけど、ちゃんと読み込んでみたらどうかしら。と思い、古語辞典を引いていろいろ確認してみました。

あ、ちなみに高校時代に買った何年物か言えないくらい(※年がバレる)古い電子辞書を使ってるので、旺文社の古語辞典のはずだけど、何版とかまではわかりません!悪しからず。

古語辞典で見つからない部分はコトバンクにお尋ねしました(リンクを張った分がそうです。)

 

順番前後しますけど、前述の「華のうてな」からいきます。

歌詞は私が聞き取った限りでは下記のとおりです。

 

しくしくくれくれ

しくしくくれくれ

かりそめの宴 うたかたの花火

生まれては消えゆく春の夢

誰(た)がための 華のうてな

 

しくしくくれくれ

しくしくくれくれ

纏う黒き絹

うたかたの役目

満ちては欠けてゆく玉鬘(たまかずら)

 

半座わかつ 華のうてな

誰がためにそこにある

宿世わかつための 華のうてな

 

まず冒頭の「しくしく」と「くれくれ」について、古語辞典にお尋ねしました。

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  • しくしく…うち続いて。しきりに。
  • くれぐれ(-と)…(上代は「くれくれ」)悲しみに沈むさま。心がめいるさま。

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ねえ、のっけからこれ、どう思います…?

つまり、しくしくくれくれ=しきりに悲しみに沈んでいる様子、ということになりますね…

上代は「くれくれ」”っていう、ここの説明を見ただけでなんか私はダメだった…上代…三日月が生まれた時代…涙

つまり三日月、君は自らのかなしみを込めて、この歌を歌っているんだね…ってなりまして。。

いや、自分のことに限らず、歴史に従い命を終えるさだめになっている義経と、友を死においやる覚悟をした泰衡のことも含めて、そんな「確かなもの」と「はかないもの」が交差してそれぞれに散ってゆく様子や彼らの心情やそれを見守る役目を背負った自分、そういった諸々、すべてに対する諦観めいたかなしみ、なのだろうなって。。

ウアァーーー!!!!!もののあはれかよ…!!!!涙

 

かりそめの宴 うたかたの花火

生まれては消えゆく春の夢

 

ここは、やはり栄枯盛衰っていうか…平家がついに滅び、源氏の世が訪れようとしているけれども、そこにはまた新たに命のやり取りが生まれ、歴史の中で消えていく者もいる…っていう情景すべてを指しているのかなと思いました。あぁ…諸行無常の響きあり…

「誰がための華のうてな」に関しては、後半で触れます。

 

纏う黒き絹

うたかたの役目

満ちては欠けてゆく玉鬘(たまかずら)

 

まず「纏う黒き絹」と「うたかたの役目」なんですけども。

この歌の前のシーンで、三日月は藤原泰衡に、正しい歴史のあるべき流れを説明したうえで「源義経は今ここで死なねばならん」と告げて、泰衡も「私は、私の役割を果たしましょう」といっています。

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  • うたかた…みずに浮かぶあわ。はかなく消えやすいものをたとえることが多い。

(うたかたはさすがにわかるよ!でも辞書引いたよ!)

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黒とは、喪に服すときの色。つまりは死者を見送るための色、と理解することができると思います。

「纏う黒き絹」というのは、義経に直接の“死”を与える泰衡と、そうするように泰衡を導いた三日月、ふたりの姿を指しているのかな、と思いました。

「うたかたの役目」のところは、単純に“うたかた”を役目にかかる単語として読んで「役割がはかない」と捉えるよりも、

誰よりも長い時を経て残り続けてきた三日月からすると、今義経や泰衡が生きている時間はとても儚いもの、でもそんな短いひとときの中にも、それぞれ背負わなければならない役目がある…といった意味なのかな、と。うたかたの(世の)役目、ってことなのかな、と。

「満ちては欠けてゆく玉鬘」がちょっと消化しきれていないんですけど、玉鬘って髪飾りの意、転じて枕詞じゃなかったっけと思って辞書引いたんですけど、下記のとおり同じ音で三つほどでてきました。(っていうか何回聞いても「たまかずら」に聞こえたんだけど全然違う単語だったらどうしよう!!?)

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  • ①たまかづら(玉葛、玉蔓)…<枕詞>葛(かずら)のつるはのび広がる意から、「長し」「延(は)ふ」「筋(すぢ)」「いや遠長く」「絶ゆ」に、また葛の花・実の意で「花」「実」にかかる。
  • ②たまかずら(玉鬘)…上代、多くの玉に緒(お)を通し、髪にかけ垂らして飾りとしたもの。
  • ③たまかずら(玉鬘)…<枕詞>玉鬘は髪飾りとして頭にかけるので「かく」「かげ」にかかる。

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歌詞の流れからすると①は落とせるかなと思い、②も違うかな、やはり③かな?と思ったんですが、

上記の辞書の③の説明では「かく」「かげ」にかかる、とあるところ、「かく」はどうやら「欠く」じゃなくて「掛く」の方に使われるようだったので、じゃあここでかかっている対象があるとしたら「かげ」かなと。

満ちては欠けてゆく、っていうのはほぼ間違いなく月の光のことを指していると思うんですよね。

いうまでもなく古語だと、影=光なので、ここはそのまま、三日月のことを言い表したパートなのかなと思いました。

念のため影も引き直したのでおいておく。

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  • かげ(影・景)…(日・月・灯火などの)空間にうかぶ姿・形。/(日や月などの)光。

※ほかにも単純に「姿、形、面影」といった用法もありますが沢山ありすぎるので割愛。

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問題は次でして。

なんとなく「うてな」が“蓮の花の台”っていうことまではぼんやり知っていて、宿世が前世だということももちろんわかってはいたのですけども…

 

半座わかつ 華のうてな

誰がためにそこにある

宿世わかつための 華のうてな

 

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  • うてな(台)…極楽往生した人が座るという蓮の花の形をした台。蓮台(れんだい)。
  •  半座を分(わ)く…〔多宝仏が座の半分を釈迦に譲って、その教説の正しさを認めた「法華経見宝塔品」の故事から〕他人に席を譲ること。また、浄土で一つの蓮はすの台うてなに一緒に座ること。
  •  宿世…(1)前世。先の世。(2)前世からの因縁。宿命。

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うてな、極楽往生した人のための…といことはつまり、死んだ人のために用意される居場所。

今、三日月は泰衡に対して働きかけることで、義経が命を終える方向に導きました。

「宿世わかつ」ための、「華のうてな」ということは…

三日月は義経、泰衡たちの生きる同じ時代を「幾度も幾度も」「繰り返し」訪れている。

三日月が引き起こしたものでは当然ないにせよ、その繰り返しの中のある種の“前世の因縁”として、義経が生き残っている歴史=宿世を、

わかつための華のうてな=義経に死を与える

っていうことになるのかなぁ、って、思って。。。

…まぁでも今回の歴史の中だと義経は命を長らえるのであれなんですけどね!

どちらかというと、己の役目を守るために、愛する友を殺すことを決意した泰衡の言葉に尽くしがたい思い、に寄せた三日月の心情がメインになるのかな…!?

にしても。いずれにしても!!!なんか、全部言ってる歌詞だったわ…!ってなって。

 

1/13に観劇する前に、なんとなくここまでは頭を整理して行ったんだけど、やっぱりちゃんと言葉の意味が頭にしみこんでから見ると「だから…こういう表情で歌ってるのか!!!」ってなって、余計心に刺さりまくってしんどかったですね。。

もちろんこれが正解だって言いたいわけじゃなくって、全然読みが足りない可能性も存分にあるしとんちんかんなことを言ってるかもしれない!

だけどなんとなく雰囲気で聞いてるだけじゃ消化不良だったので、まじめに検討したらすっきりしたよ!っていうお話です。

このブログで何度も言うけど、私はほんとに日本史が分からないので。。わかってたら絶対にまた違う楽しみ方ができるんだよねぇ。惜しいなぁ。と思いつつ、歴史にうとくてもここまで楽しめるのってほんと素晴らしい!となる(無駄にポジティブ)。

だからせめて言葉の使われ方くらいはできる限り理解したいなって…フォローになってるのだろうかコレ?笑

 

あと歌い方だけでなく、この一連のシーンの三日月は東京→凱旋で変化が大きかった気がします。

この歌に繋がる前の、泰衡との蓮を眺めてからの今生の別れのシーンは、1/8のソワレにみた時に、三日月あわや泣くんじゃないか!?ってくらいまでの表情になってたんですよね。。

明らかに瞳の表面に水分の膜が出現してて、光を受けてものっすごくキラキラしてた…

オペラグラスで公演入るたびにお顔ガン見し続けていたので、あれはさすがに見間違いじゃないと思う。。

この回、泰衡の「我がむくろに出会うことがあれば、蓮の花を手向けてくださらんか」のあとの

「約束しよう」がけっこうな涙声になりかけで、

「約束は守る。年寄りだからな」もちょっとかすれ声だった…!ウウッ

私大阪行ってないんであれなんですけど、1/28に現地に観に行った友達に聞いたところによると、やっぱり似たような状態になっていたらしく…(伝聞なので詳細は書きませんが)

なんかこの、三日月が一人だけの時に垣間見える心の揺らぎみたいな部分、めっちゃ胸が痛い…。

三日月の気持ちを「理解できる」とはどう転んでも言えないんですよ。こちらからははかりしれないものが多すぎて。でも勝手にいろいろ思いを巡らせることはできると思ってて…。答えは出ないしまぁ出す気もないんですけど私、

とりあえず、一つ言えるのは…つれえ…しあわせになってほしい…ってことですかね…

 

ところで演じてる本人たちは、どこまで歌の意味について解説を受けるんだろう!?脚本の意図するところの説明って、御笠ノさんからあったりするのかな、それともそこの伝え方は茅野さんに任されてるのかな、すごく気になる…!でもさらに茅野さんにまりおくんが「任せる」って言われてるからな!?

そのあたりもなんとなく見えてくるのかなと思ってて、刀ミュの戯曲発売をすごく心待ちにしてるんですよね。だけどつまり世界観ネタバレ?含むからまだ売れないよん!とかだったりして?って思ったり。笑

 

あと一曲目の方のソロ「この花のように」についてもちょっとだけ書いておきます。こちらは単語が別に難しくはないんだけど、にしても~~!おい~~!ってなったので…

そしてこっちは「花」表記なんだな!?

 

あの鳥のように飛べたなら

今すぐにでも

 

濁りに染まる蓮

清らかに 咲き誇る

ひとたび巡れば 蓮に心寄せ

託されるは生涯の約束

 

ぽん ぽん 聞こえるか

花の咲く音 開く音

 

この花のように清く咲く

その下には 濁る泥水

この花のように清くある

その裏には

 

これもさぁ、ほんとさ…もう、全部言ってるじゃん!!!!涙ってなりました。

一回目を見て話を理解した後の二回目観劇!あの時の衝撃ったらなかったよ…ほんとに全部言ってるじゃん…!!!

 

ひとたび巡れば 蓮に心寄せ

託されるは生涯の約束

 

…ここほんと、ダメじゃないですか????涙

前回泰衡と会った時の約束を果たすための、蓮なんでしょ…?

ひとたび巡れば、って、もう一回同じ時代を繰り返せば、ってことでしょ…!?

泰衡の「蓮の花を供えてくださらんか」っていうのが、託された生涯の約束なんでしょ!?!??だから冒頭で「お前にやろう」っていうんでしょーー!!!?号泣

三日月が泰衡に出会うときに「友よ」って呼びかけるのは、単なる言葉の綾だけじゃないんだな、って思うんですよね。。

やっぱりどこか深く心を傾けている部分があるというか、三日月から見て、泰衡には通い合うものがあるんだなって思う…。

 

で、この歌で他に「むりしんどい」ってなるところが…

三日月は歌の始まりは、蓮の花を掲げて歌ってるんですが、

託されるは生涯の約束、のところで花をそっと地面に置いて(痴れ者が!と言ってここで泰衡は去る)、いったん手ぶらになるんですけど、

 

この花のように清く咲く

その下には 濁る泥水

 

ここでね!!?

三日月「その下には 濁る泥水」に差しかかって初めて、刀を抜いて舞うんですよ…

ねえ、、、、。それって、この部分の歌詞が、自分のことを言い表してるからでしょ!?

だからここで自らを表すものとして、刀を抜くんでしょ?ってなって…。

ほんと勘弁してくれ!!!!濁る泥水って!…わーーーん!!!!涙

「この花のように清く咲く」っていうのは、色んな意味にとれるけど、

あるべき姿におさまっている歴史の正しい形であったり、三日月の行動を知らないほかの男士たちのことを言ってるのかな…。って。

その下には…その裏には…ヤメテ…!!?涙

歌い終わって腰かけた三日月は、どこか厳しいというか何か思いを秘めたような表情をしているのに、膝丸と今剣が現れたとたん、ひょうひょうと「花を摘んでいた」って笑顔で答えるだけの、食えない天下五剣になるんですよねーーー…アーー。。。

 

あぁだめだ!今回全然書きたいことまとめきれないな!

好きなシーンとか好きなセリフとか、ほんとうに多すぎて。。全部が好きすぎて抜き出せない…ってなるので、軸としてとりあえず歌詞の話をしたいと思っての更新でありました。

あとは他に凱旋でしっくりきたりぐっと来たシーンについて、ちょっとだけ補足して終わります!

 

ひとつめは、また三日月と泰衡の蓮のシーンに戻るんですけど、

泰衡が「わたしは、わたしの役割を果たしましょう!」っていうところかな。

東京で観てるときは、生涯の友である義経の命を奪うっていうすごく重い決断を、泰衡がなんだかあっさりと決めたように見えてしまってたんだけど。

結論が出るのにやや唐突さがあったように思えると言いますか。

でも凱旋で見てたら、あ!と思う部分があり、そんなことはなかった…。

 

この答えを出すにあたり、泰衡は三日月に「のちの世で、この平泉はどうなります?」って問いかけています。

それに対する三日月の返答は「一度は滅ぶ。…だが、人々が平泉を忘れることはない。つはものどもが駆け巡ったこの黄金の都!…平泉を忘れることは、のちの世も、またのちの世もな。」でした。

それを聞いた泰衡は、何かをこらえるように微笑んで「わたしは、わたしの役割を果たしましょう!」って返すんですよね。

 

この時泰衡は、平泉が「かたちあるもの」として、後世に残り続ける事実を知った。

逆に言えば、平泉がそうしてずっと残り続けるためには、あるべき正しい歴史の流れは守られなければならない、ということ。

のちの世に在り続ける平泉と同じように、”かたちあるもの”として亡骸を残すさだめである自分もまた、己の役割を果たさなければならないんだ、って、泰衡はそんな風に思ったんじゃないでしょうかね…。

いやこんなの当たり前だったらゴメン、、私の中でしっくりきたっていうだけの話なので!!!

三日月、別に泰衡を説得はしてないんですよね。「三日月殿、なぜ私にすべてを打ち明けてくれたのです!?」という泰衡の問いに対しては、真正面からの返事はしないくらいですし。

聞かれたことに、ある意味では淡々と答えるだけっていうか…

だけどこの平泉がのちの世に残り続けることを告げる場面では、朗々とした声の響きで、力強く、言葉をかみしめるように伝えるんだよね。。

その様子だけで、泰衡にはきっと伝わるものがあったんだなって、思ったり…涙

 

もうひとつは、唐突に触れますが、髭切の変化ですかね…!

いやでもわたし、まじで三日月以外の男士にはちゃんと注目できてないので、細かい変化はつかみ切れてなさすぎてだめだめなんですけど!

それでもなんだか、凱旋からはすごく「やさしさ」が表れる兄者になったな!?って思ってて。

自分と今剣が歴史に存在していないのではないだろうか、と悩んでいる岩融が、髭切と膝丸に「あやつを傷つけないでいただきたいのだ」って直談判しにいくところ。

そんな岩融に兄者がかける「なにが真実なのかなんてわからないし、まぁ、実はそんなに興味もないんだけど、…でも、ひとりで抱えているのは、つらいよね、きっと。」っていうセリフ。

ここ、凱旋で、本当にやさしさがにじみ出てくるような言い方になったな!?って思ってすごくびっくりしたんですよ!

より感情がこもっている言い方になったっていうか…!?

東京の時の兄者はもうちょっと、何を考えているかわからない、つかみどころのないフワフワしたキャラクターっていう面がだいぶ強かった気がするんですけど。

すみません、私の圧倒的観察不足でこれ以上具体的な表現ができなくて申し訳ないんですけど、凱旋の兄者、とにかく優しさが増していた…!と思います!(まじのまじで三日月しか見てなくて…ごめん…)

同じような場面にはなるんですけど、三日月が一人で歴史介入をしている理由を、髭切が代わりに小狐丸に対して答えてみせるところ。僕が彼を、演じるから!のところですね。

ひととおり解説をしてみせた髭切が、三日月に「もうやめにしよう」って言われて「君がそう望むなら。」って返したあとのね、

「…心配しているよ、主。」の言い方がね!

ほんとにさ!ここ、やっさしくて!泣ける!!!

なんていうのかな、余計なものを付け加えない、事実として、心配しているよ、ってただ真っすぐに伝えてくれるその感じ!!!

はっきりと言葉にして、主が自分を心配してるよ、って言われた三日月の気持ちはいったいどんなものだったろうと思うと…!

それを言葉にして本人に言うと言わないとじゃね、大違いなんだよ;;!

伝えてくれてありがとう髭切!無理やりすべてを白日のもとに晒してくれてありがとう…!ってなります…!涙

あれ私、やっぱりモンペなのかな!?もうなんか自分の感情のいきどころがよくわからねえ!

 結論が「あなぐまは三日月モンペになり果てた」でいいのか!?どうなんだ!!

 

えぇとまじでまとまりませんでしたが、とりあえず…大千秋楽を(映像だけど)見てしまう前に、一度自分の感情やらなにやらを吐き出しておきたかったので殴り書き状態ですがまとめてみました!終わり方がいつもにまして雑!

はぁーー…つらい。なんで舞台って終わっちゃうんでしょうか。。。

この強制的な別れのサイクル!ほんとうに!!!きつい!!!笑 だけど好き!!!

明日はライビュ楽しんできます!!しぬほど泣いてくるぜ!!!