こたえなんていらないさ

ぼくらは自由だ。刀ミュは奇跡だ。佐藤清光推してます。

マイナーなものを好きになるとわかること ―誰が何を好きでもいいじゃない、という話

ここのところ、自分の趣味について、ジャンル外の人に説明することが続いたのですが、その時にすごく感じたのが「自分にとっては当たり前のことが、人から見るとびっくりするような内容だったりするんだな」ということでした。
趣味にまつわるあれこれの詳細を話していると、新鮮なリアクションをもらうことがすごく多いため、「あ~やっぱりおよそ一般的ではない行動を多々とっているのだな私は。」といった具合に自分を客観視する機会にもなり、色々と面白いです。
…確かに、数年前とは状況が全然変わってきているとはいえ、舞台、しかも主に2.5次元作品を観に行くことが好き、もっと言うと出演しているキャスト本人についてもファンになって応援している、というのは、やはりまったくもってメジャーな趣味ではないよなぁ、と思います。日常的に趣味を同じくする人と話す機会が多いので、このあたりの感覚がだんだんわからなくなってきてたとこある(マジで)。
いやほんと、ちょっと前と比べるだけでも全然状況は違うんだけどね。何らかのジャンルのおたく女子であれば、話が通じる確率はそれこそ比較にならないくらい、昔より上がってはいるんだけど。
でも当然、世の中にはおたくじゃない人も沢山います(当たり前のことを言うな)。
非オタの人から見ると、例えばそうだな…スポーツ観戦が趣味です!とか、それこそスポーツそのものをすることが趣味です、っていうのに比べれば、まぁ世間的には「どマイナーな趣味を持つ人」の範疇に入ると思っているんですよね。
私の場合、趣味に関して「どうやらこの人は何かを追いかけているらしい」というところまでが伝わると、だいたい真っ先に「ジャニーズですか?」と聞かれることになります。ジャニーズ。ジャニオタの友人は数名いるけど、今まで関わったことがなさすぎて、私にとっては未だに謎に満ちた巨大帝国です。私の趣味のいわゆるホームグラウンドである2.5次元若手俳優界隈からすると、ちょっと想像することすら難しいほどの広大な世界…と思って見ています。支えてるファンの母数が多いってだけで、まじですごいことだよなって、何かにつけてよく思う。
一方、ひるがえって我らの主戦場。趣味について質問をされると、必然的に「2.5次元とはなにか」の説明から始めることになるのはもちろんのこと、それに出演している「若手俳優」と呼ばれる役者陣についての概念的な説明までが、ざっくりと必要となるんですが、前提知識として共有され得る要素がほとんどないことに、自分でも説明していてかなり驚きます。それこそ、例えばジャニーズだったら、仕組みはわからないまでも、主だったグループ名やメンバーの名前が伝わることはきっと多い気がします。しかし私にはそれがないので、まじで全部説明する感じになります。若手俳優の名前をあげたあとに「へ~、その人何に出てるの?」(=テレビを念頭に置いている)と無邪気に繰り出される質問に対して、どう返したらよいのかわからなくなる、あの瞬間の切なさを帯びた戸惑いよ…!笑


とにかく、そんな感じで今の私には、
「自分はどマイナーなものにハマっており、なおかつその趣味に対してそこそこの金を注ぎ込んでいるマイノリティである」という自覚が一応あるのですが、その点においてひとつよかったな、とここ数年で思っていることがあります。
それは「誰が何を好きでもいいんだよな」って、本当に心の底から実感をもって思えるようになったことです。


たとえ他人から理解され得なくても、私にとっては、趣味に対するその「好き」はかけがえのないもの、生活を支えるエネルギーそのもの。仕事でも家庭でも学生時代の繋がりでもない、まったく新しい人間関係を、大人になってからあたらしく形作ることができた礎でもあります。
そして何より、その趣味に触れている瞬間に「楽しい、幸せ、サイコー!!!」と掛け値なく思えているということ。趣味に触れることで心がひとりでにキラキラしていくという事実そのものが、とても尊いんじゃないかな、とも思っています。
…だって、よく考えるとそれってすごいことなのでは!?その「好き」にアクセスすることによって、少し先の未来の自分を元気づけられるという結果が、ある意味保証されているんですよ!?
そんなの、生きていく上でめちゃくちゃ力強い武器でしかないではないか、と思う。この間推しについて考えた時にも思ったけど、「これが好きだ!」って叫べるものがあるのって、めっちゃハッピーなことじゃないかな、と。
その一方で「そんなものが好きなんて」っていうふうに感じる人は、きっと世の中には勿論しぬほど沢山いるのです。
だけど他の誰かにとっては「そんなもの」であっても、私にとっては本当に大切なものなんだ、ということに、ちゃんと自信を持っていたいな、と思うんですよね。
嫌なことはわりとすぐに忘れるタイプなので、もう具体的なアレコレは思い出せないんですが、過去にはやっぱり無意識に近いレベルでの「へー、(そんなものが)好きなんだ!」という反応を何度も受けたことがあって、そこそこのダメージとして刺さったこともありました。
それとか、もっとタチが悪いと「あぁわかる、つまりこういうことなんでしょ」って、その人の世界の見方の中に一方的に組み込まれ、「そういうんじゃね~よ!」ってこちらからしたら憤りたくなるような、勝手なラベリングをされたこともある。
…そういう目に遭ってしまうと、やっぱりどうしても疲弊してしまうものです。なので、おおよそそういうリアクションをしてきそうだな、と予想される相手には、これまで頑ななくらいに趣味の開示をしないで自分を守ってきました。笑


多分、自分の趣味について「理解されたい」というのとは、またちょっと違う。
むしろ理解はしてくれなくて全然いい、わかってもらう必要があるとは一切思っていないです。
ただ「あなたにとっては理解できないかもしれないけど、私にとってはそれがとっても大切な存在なんだ」っていうその事実は、尊重してくれたら嬉しい。…ということなのかなと思ってます。


なので、それこそ反面教師として、誰かに対してその人の「好き」を踏みにじる行為をやってしまうことをしない自分でいたいな、と思うようになりました。
世の中には、本当に驚くようなことに命をかけている人が沢山いる。
周りから見ればそれがどんなにバカらしくて信じられないと思うようなことでも、その人にとってはすごく切実で、奪えないものなのかもしれない、ということ。そこにちゃんと、想像力を働かせることのできる人でいたいなぁと思います。
幸い、そういう経験をすることはなくて済みそうだけど、本人がいない間に家にある趣味のものを勝手に処分されるみたいなやつ、なので本当に無理です…。なんで他者に自分の「好き」についてをジャッジされるのみならず、財産の処分までされなければならないんだ。あまりにも受け入れがたすぎる。
仮に私が2017年の夏に死ぬ気でコンプした大海帝祭の缶バッジ全22種が知らぬ間に売り飛ばされたりしたらどうしたらいいんだ。千秋楽の直前まで手に入らなかった久我くんを執念でゲットしたあの時の私の感動はどうなるんだ。嬉しすぎて友達と久我くん(の缶バッジ)を手のひらに並べてツーショットまでとったあのプライスレスの夏の喜びの価値、踏みにじられたらそんなの耐えきれずに憤死してしまう……!!!(注:家族はそういうタイプでは全くないので、ここに書いていることは全くの杞憂です!)
やっぱり、理解はできなくても、尊重はできる、そこが何より大事なことなんじゃないかな、と思うのです。


何かを好きになるという感情は、それだけでとてもかけがえのないものだと思うし、自分を励ます武器にもなる。好きにかかるコストはエネルギー面でも資金面でも正直かなり高いけど、だからこそ今の毎日を、自分なりに楽しく生きられているような気がします。
そして他ジャンルの人でも、やっぱり自分の趣味に命をかけている人はこちらの趣味のことも自然と尊重してくれる傾向が強いな、とも思います。過去に色々削られた経験からすると、それが本当に身にしみてありがたいし、嬉しいことだよな、と思うんですよね。
自分の好きを大事にするなら、他人の好きも大事にできるようにしたいよね!と思ったので、なんちゃない文章として書いてみたのでした。