こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

(自分にとっての)観劇の「適正回数」がわからない話ーおたくはなぜ舞台に通ってしまうのか

こんにちは。久しぶりに予定のない3連休に歓喜している実は本来インドア派、あなぐまです。
らぶフェス2018の総括振り返りはやる気満々なのですが、感想を思い返していると「どうしてそんなにかっこいいの???」しか出てこなくなってしまい困っており…なのでらぶフェスの話は年内に改めてまたちゃんと書くね!



観劇における「適正回数」という言葉について、わたくしもう考え始めて何年経つかわからないくらい、ず~~~~っと悩んでおります!
悩む、という程悩んでないが、まぁ答えが出せていないまま、はや幾星霜ってかんじです!!!
そもそも何をもって「適正」と評するのかという問題もあるんですが…
自分の中の「その作品、何回観たい?」っていう願望を考えたとき、軸というか思考回路のパターンが複数あるかな~と思っていて、

  1. 全体の○割くらい観たいな!
  2. 最低○回は観たいな!
  3. 無理、行けるだけ全部行きたい……

というバリエーションが私個人の中にはある気がしています。
これ、全部が難しいな…。
そして「ちょっと待て、複数回の観劇が前提なのか?」というツッコミも(もし読んでくださっている方がいたら)ジャンル外からは飛んでくると思うんですが、前提です。
「え、つまり何回も同じものを観るってこと?」そうです。
なのでそういう世界に生きてる人間のうわごとなんだな!と思って頂ければ…。

あとそもそも回数について語ろうとするといわゆる「多ステ」の話にもなってくるんだけど、どこからが多ステ?ってなるし、感覚が本当に人によって違うのでそこには踏み込まずいきます。私は別に自分のことを特段多ステしている人間と思ってない、とはもう流石に言えないよな、と思っています。(※無駄に持って回った言い方すな)


ではまず最初に、
全体の○割くらい観たい!
と思った場合についてなんですが、その時って「その演目自体が全何公演なのか」というところがそもそも大きな要素ですよね。
たとえば、全10回公演のうち半分観たい!なら5回でおさまるわけで、まぁうん、理解できるかな、という回数。
でもじゃあ全60公演だったら?半分って30公演だけど!?「…いやいやいや!!!!!」なりますよね…。
この「全体の○割くらい」という願望を抱いてしまう理由としては、私個人の感覚ですが、
「自分の観ることのできない景色が、いったい全体の何割くらいを占めることになるのか」という発想がある=見ることができない公演数が多くなると、そこにどうしても焦燥感のようなものが生まれるため、ではないかと思っています。
舞台って、本当に生物だからね~~~。。同じ作品であっても、いつだってそこにあるのは、一回きりの景色なんだよね。。日替わりとかがふんだんにある公演だと余計にその焦燥感は募るわけです。日替わりの当番が推しにあたった日に限って自分は劇場にいないという、つらいアレです。
お気づきの方もいるかもしれませんが、例に出したこの「全60公演」という数字は幕末天狼傳の国内公演数から引っ張ってきております。当時の私は国内で15回観劇したので、ちょうど4分の1は観たことになるんだけど、15回観ても「4分の3は知らない景色になってしまう…!!!」ってなり、これでも当時つれえ~~!!!ってなってしまっていた。。。端的にいうと、あまりにも業が深い。


そして2番めの、
最低○回は観たい!
なんですが、この「最低」ラインをわたしはおおよそ適正回数として捉えているのかなって思うんですけど、あのね~これね~本当に答えが出ない(早々にあきらめんな)

いやまじでわからん。いつも本気で考えているけど、まじで本当にわからない…
たとえば次回の刀ミュ、みほとせ再演に関しての話なのですが、公演回数としては、堂々の全58公演あります。つはもので突然回数減ったのは会場とらぶフェス挟む事情だったのかなー!?むすはじも公演数多かったもんな~!
で、みほとせ再演、何回観たいかな!?って考えたとき、

  • いうまでもなく、初演から既に大好きな作品である。
  • っていうか、刀ミュである。刀ミュは私にとっての推し。
  • しかし一方で、推し(キャスト)は出演していない公演である。
  • 既に1~5月までに出費の見込まれる他の観劇予定が決まっている。

という状況を鑑みて、わたしが導き出した回数は「5回」でした。
結果、一般が終わった段階で、今4公演分のチケットを手にしているので、今回はおおよそその目論見どおりに?いけるのでは?って思ってるんだけど…どうだろう…
ほぼ同じような条件と言えた今年の刀ミュむすはじは、超出費がかさなる時期だったので「3回まで!!!」って言ってたのに、なんやかや結局7回観に行っている前科があるため、未来の私の冷静な行動が待たれます。当引であと1公演、凱旋増やせたらいいな~!

最低回数…うーーーーん、以降すべて私の感覚だけど、すごく好きな演目で通いたい!と心から思うものならば、最低回数は「5回」かな、とは思うんですよね。もうなんか自分の中での一般論としてレベルだけど。それを実践できてるわけじゃないんだけど。
まず1回目には初見時にしかない感動があり、2回目には一度観た世界に再び触れることにより、物語への理解が深まる点があるかなと思っています。そしてさらに、自分の中でその作品についての観劇体験が一般化され、自分の言葉で語れるようになるな、というふうに思えるのが、私はおおよそ3回目からなんですよね。なので、作品についてしっかりと理解したいなと思うと、まずは3回は必要だなぁと思ってしまう。
4~5回目は、3回目までに得た自分の感想と実際の作品を再度照らし合わせて、理解がどう変化していくのかを楽しんだりするようなイメージです。あと作品そのものの完成度が上がっていく様子を味わったり、キャストの成長を体感したりもできるので、4~5回目はなるべく公演の後半で観たいなと思う。
これはまぁ、ひとつの理想形って感じです!さっきも書いたけど、決して実践できているわけではないのです!笑
あと勿論、まじで作品の種類によるし、私がすごく脚本に寄った見方をしているせいだとも思う。1回じゃ理解できないのかと言われるとそんなことは全くなくて、私だって1回しか観ない作品は沢山あるんだけど、好きで通いたいと思ったものに対しての贅沢な欲求、って感じの説明です。
あと目的が「舞台にいる推しをとにかくひたすら観ていたい」ならば、また話は全然変わってくると思う。


そして最後のやつですね。

  • 行けるだけ全部行きたい

うん、いっぺん落ち着こうか
これな~~~~!!!!!!!そんなん言ったら全部そうなるからな。ほんといっぺん落ち着こ!!?って思うんだけど、嗚呼、それを今年は2回もやってしまった。阿津賀志巴里とらぶフェスです。笑
だってーーー!!!!!!!!行けるだけ全部行きたかったんだもん!!!!!!!!!
なんかもうここはしょうがない。しょうがなかったんだよ。三日月が出る本公演はほぼ確実に最後かなと思うし、らぶフェスだって今年が最後かもしれないんだもん!!!!!
…まぁそんなんゆーたら舞台に関しては「約束された未来などないものと思え」っていうのが基本スタンスでもあるから、キリがない、よねぇ…うん…あれ、どうしたらいいのかな…??????
「しょうがない」で片付けてる時点でお前ちゃんと考えてないだろ、って我ながら思いました。そしてそもそも、おたくは納得するための理由を見つけてくるのが得意。


しかし「行けるだけ全部行きたい」というのは単なる根源的な欲求でしかなく、実現可能性を考えたものではないといえます。つまりある意味では思考停止に等しいので、そこからじゃあ、満足できる最低回数は何回だ!?という問いへと戻るわけです。
これなんですが、さっきもちらっと書いたけど、

  • 作品世界を深く理解したい、味わいたい
  • とにかく推しをなるべく長い時間見ていたい

っていう、種別の異なる欲求が(私の中では)混ざり合っているので、本当に難しいんですよねーーー。
例えばだけど阿津賀志巴里だって、前者に立って言えばたぶん5回でよかったのかもしれないけど、もう「そういう問題じゃねえ!!!!!」なってたからなー。完璧に後者起因で動いてるからなー。
仕方ないよね…だってめっちゃ好きってわかってる作品にめっちゃ好きな推しがいるんだよ、そんなの、もう我慢する理由がないじゃないですか…?我慢した未来に後悔が待ち受けてる想像がいとも容易いじゃないですか…?
ここまで考えると、私は「作品への期待値+推し=行けるだけ行きたい」になるんだなぁと実感しました。
ということはつまり、作品自体にそこまでめちゃくちゃな思い入れがないのであれば、推しが出ていても5回を目標値に定めることはできるような気が…いや!?どうだ!!??それはなんだか、論理がねじれてきたな!!?


そして。そもそも「適正」という単語をなぜ使うかというと、複数回観るのにはもちろんお金がたくさんかかるからだよ。
その事実から目を逸らしてはいけないのだ。という自戒をこめたエントリーでした。自戒のかたまりです(息をするように嘘をつくな)。

最初にあげた「全体の○割は」という考え方なんですが、お気づきでしょうか、これだけ相対評価になっているんですよね。なので一番危険(?)な発想かな~と今は感じるようになっており、その軸はまぁやめとこうかな、と思っています。
なぜなら、何かと比べて自分の満足度を測るのって、なかなか幸せになりづらい行為だと思っていて。あくまでも自分の中での絶対評価で判断していった方がいいと思う。
幕末天狼傳のときの私は、周りにやべ~くらい通い倒している人が複数いたので、比べて辛くなっちゃってたんだなと今は思うんだよねー。いや当然、行けるだけ全部観たい!の気持ちだったんだけど、その「行けるだけ」が周りに比べて少なかったので辛かったという話…ってなるとさ、やっぱり満足に上限なんてないな!?って思って怖くもなってくるから、やっぱりどこかで自分で線引きしないとだめですね。いかんいかん。ちゃんと自戒っぽくなってきた。いやだって、15回見て満足できないってふつうに考えて正気の沙汰ではないだろうよ。まぁ趣味における正気など、失ってもう久しいという問題はありますがね…!


なんで今このエントリーを書こうかと思ったかと言うと、来年のくろステの日程がついにきのう発表になったからです。

ああああああ(引用したツイート画像を見て動揺している様子)

ラストなんです、ラストなんですよね!!!!!!!
とは言え!勿論私がまりおくんファンになる全くの前夜に始まっているシリーズなので、馴染みがあって通っている!という作品では一切ございません!!!思い入れとファン歴の詐称はしねえ!
なんだけど、前々作のOVER-DRIVEと前作のIGNITE-ZONEは1回ずつは見ていて、どっちもほんっっっとうに、良かったの!!!!!涙
うわ~~~これ普通に作品として超好きなやつだ~~~!!!!!ってなりまして…流石の中屋敷さんだよ…ってなって…
若手だけでなくベテラン勢がふんだんにメインキャストに配置されてるのがいいよねえええ!!!!!まっきーやりゅうさん!!!今回かじもんさんいないのさみしすぎるけど…
けんしょー先生の黒子くん、やはり声に滲み出るものが段違いっていうか…説得力が凄まじい。
たぶんストーリーを駆け足でまとめてしまっているところはどうしてもあるとは思ってるんですけど、それでもとても丁寧に構成されている作品だなと私は感じるし(原作知らなくても楽しめたので)、あと何より中屋敷さんによる演出が、プロジェクションマッピングや特殊効果当たり前の昨今において、とても「役者の身体能力を信頼している」形のものだったのが、ものすごくツボでした。

で、いうまでもなくなんですが、黄瀬くん…びっくりするくらいかっこいいんですよね…「に、似合!?似合!!???涙」ってなります。原作が大好きだというまりおくん、出演のお話が来た時のことについて「黄瀬は自分にやれると思ってたから、キャスティングした人、わかってる~と思いました」的なことを言い放っている。イヤーブック2018参照です。ハァ、推しほんとそういうところ好き(告白挟むな)

今回大楽がまさかのマイ地元である福岡!!!なので、超嬉しくて勝利者の雄叫びなんですけど、それは置いといて、
「公演数が少なめ」かつ、なんと!「休憩ありの3時間30分」という恐ろし目の公演時間が早々に発表になっていて…!
それ見た時まっさきに「テニミュなの!?」なった。2回休憩はさむことのある2.5演目ってテニミュ以外に私は知らないんだけど…立海戦かな?っていう。2nd関東立海はリアルタイムで見てないのであれですが、全国立海も2回休憩あった…よね?あれ?ちがう?そして3rdの関東立海はどうだったんだろう!?
とにかく3.5時間ときくと流石に若干尻込みしてしまう部分もあり、マチソワどうするのか問題に直面しています。だってマチソワしたら7時間。労働時間やんけ!?(※この間フォロワーさんが新感線のメタマクについて「マチソワしたら労働時間」って言ってたのがツボにはまって使わせていただきました)
くろステ、めちゃくちゃ泣かされるんですよね…。泣くと疲労がたまりますやん。それでマチソワ、ちゃんと頭が働いている状態で観られるのか?という自分への不安があり!
でも公演数が少ないとね!?マチソワしないと回数が見られないの!??どうしたら!!???
そしてここまで「チケットが取れるかどうか」という点を一切脇において話していますが、もちろんその問題もありますね!!!!!ウッヒョー!!!!!(どうしたらいいかわからなくなっている顔)


…改めて考えてみると、本当に「何回観るか」という問題、奥が深すぎました。
あとそもそも「行けるだけ全部」というのは、当たり前なんだけどチケットを手に入れづらい演目に対して思うことが多いなと実感した…見られる可能性、チャンスには全てくらいついていたい、っていう。はぁ~~~大変。

そしてですね、私の趣味におけるモットーは「思いを残すな」*1であり、目標は「持続可能性を追求すること」なんですよ…。めちゃくちゃな矛盾をはらんでいる。いつだって二律背反!
つまり、思いを残さないように突っ走った結果、自分自身の趣味の持続可能性を断つことのないようにいたいな~って思うわけです…!要は、今しかないから!って大枚をはたいた結果、余裕がなくなって未来の観劇を我慢することにならないか?もっというと趣味自体を諦めなければならない事態になってしまわないか?ということです。幸いなことに今までまだそういう経験をしたことはないのだけど。あぁ~~本当に難しいな。サステナビリティ~!
この「持続可能性」という点については、もうちょっと掘り下げて別なエントリーを書きたいとずっと前から思ってるんだけど、まだまとめきれてないので年明けどこかで書きたいなぁと思っています!


ここまでの話をまとめると、

  • 作品世界を深く理解したい、味わいたい
  • とにかく推しをなるべく長い時間見ていたい

という種別の異なるそれぞれに強い欲求を抱えつつ、

  • 思いを残さないように、
  • 持続可能性を追求して、

通う。
…という、超人的な采配が求められていることが、改めて自分の中で理解できました。うわ~むずすぎてウケる~!!!


いきなり当たり前のことを言いますが、適正回数は勿論人によって違うし、状況によっても、作品によっても変化するものだと思います。まずもって人と比較するものではないと思ってて、自分の中で見極めていくしかないやつだと感じる。
そして私は多分「○回まで!」って明確な上限を決めることはできないタイプな気がする…ので、その時々で、未来を見据えつつも、思いを残さないでいられるように、自分への真剣勝負を挑んでいこうと…思う!
え、これって結論なの!?あ、つまりはわからない話っていうタイトル通りか!?

適正回数はわからない、決められないけど、でもがんばっていこう!という、ある意味なんも解決していないというオチでした!笑

おしまい

*1:刀ミュ「つはものどもがゆめのあと」で、三日月が義経公の最期のタイミングが近いことを踏まえて、元の主の元へ行くべきか迷っている今剣に対してかけるセリフ。