こたえなんていらないさ

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刀ミュ 三百年の子守唄2019 みほとせ再演の感想 その2(石切丸と「力」について)

みほとせ再演感想、その2です!

前回の記事でも触れたのですが、2017年の初演時に、感想をまとめながらも結論を出さずに放り出してしまったことがありました。
それは「石切丸が、自身が握った刀の力に翻弄されるような表現があること」について、でした。
今年書いたその1の記事にも全く同じリンク貼ったんですが、前フリだけ書いてその後本論は書かないまま放置した2年前の前段はこちらです。
anagmaram.hatenablog.com


初演のとき、どうしても石切丸と力にまつわる描写について、明確な答えを自分の中で出せず、いろいろ考えていたらあっという間に時は流れ…って感じで、そのままになってしまっていました。
そこに今年の再演で改めて向き合ってみた結果を、どうにかこうにかまとめてみました。なので感想というよりは、珍しく考察に近い内容かもしれないです。
あくまでもわたしが観劇した結果としての、一個人の考えに基づく文章なので、その点どうぞご了承(?)くださいねー!



まずは前提の整理として、みほとせにおいて石切丸がおかれていた状況、そしてそこから察することができる彼の心情についてまとめてみます。

◆みほとせにおける石切丸の特徴
  • ①果てしなく強い責任感

まず、みほとせの世界では、石切丸は部隊の隊長として、他の5振りを率いる立場を担っています。
「殺されてしまった徳川の家臣に成り代わって家康を助け、江戸幕府の成立に貢献する」という、ある意味途方もない作戦を発案したのも、石切丸本人。
6振りそれぞれに抱えている思いや立場の違いはありますが、その全体をまとめ、ひとつの方向に導いているのは、名実ともに彼であると言えると思います。


そんな彼が担っている「作戦を成功に導く」という責務が、そもそもとても重たい。
なぜなら、みほとせにおける作戦の成功とは、史実どおりに徳川家康の人生が進んでいくことを手助けし、彼が人生を全う出来るように、傍で支え続けることだから。
本当に長期も長期、人ひとりの人生に寄り添い続けるという、無謀ともいえるような内容です。
史実から外れないように、丁寧に着実に、ひとつひとつの要素を積み上げていくことが求められるわけで、その重責たるや相当なものです。
その上で、石切丸はそもそもの始まりの時点から、将来的に信康を斬る役割を担うことになる服部半蔵役に名乗りをあげている、という側面もあります。最初から、自分が隊長として果たさねばならない役割を、ある種苛烈なほど冷静に見つめているところがあるといえるのではないでしょうか。
それは途中青江に「ちょっと、一人で背負いすぎなんじゃないかな」と言われるほどに、孤独さを帯びたものでもありました。


  • ②「人」へのあたたかな眼差し

そんな責任感に満ちた石切丸が任務の中で最初に取り組むのは、まだ幼子である家康、竹千代君を育てること。
そう、今回石切丸が担っている役割には、「人を育てる」という、命を育む要素までもが含まれているのです。
生まれたばかりの赤子である家康の子育てに始まり、そしてその対象はやがて家康の息子、信康へと移り変わります。風は季節を巡らせる…腕の中には新たな生命…。涙

おそらくみほとせの作戦期間は、刀剣男士全員にとって、顕現して以来、最も「人」と近くで触れ合った時間になったに違いありません。というか、どう考えてもそうだと思う。。
普段刀剣男士たちが接する人間って、ほぼ本丸の主だけだと思われるんですよね。
出陣先の各時代において、必要以上に史実上の人物たちと接触することは、おそらく避けられているのではないか?と、これまでの刀ミュの作品を見ていても思います。


そんな彼らが、自らも「人」となり、生きている人々の生活の真ん中に入り、隣で一緒に日々を送る。
その時間が石切丸という刀にもたらしたものは、一体なんだっただろうか。


石切丸は、みほとせの任務を回想する冒頭で「思えば、かつての私は、いつも民と共にあったのだ」「懐かしい感覚だった」と語ります。
その言葉が表すように、かつての彼は刀として神社に在り、病気治癒などを願う人々の祈りを聞き届ける務めを持っていました。

そんな過去を持つ石切丸は、この「人と共にある」という、ある種特殊な任務内の生活において、自らの存在の<本質>を改めて見出したのではないか、というように思えたんですよね。
人の幸せを、健やかな日々を祈ること。争い事のない、穏やかな時間を願うこと。
それが彼にとってのアイデンティティの根幹といえるのではと思いますし、特に「懐かしい感覚だった」という言葉に、彼自身がそのことを改めて自覚している様子が表れている、そんなふうに感じました。

  • ③戦を忌避する思い

最後に石切丸の特徴として挙げられるのは、やはりここ。
青江から「この世から戦を無くそうとしている」と評されるその在り方は、彼自身を孤独に追い詰めていく部分があるように思えました。
石切丸自身も、自分が刀、つまりは武器であり、人の命を奪う存在であることは、じゅうぶんに自覚しているはず。それは阿津賀志山異聞で歌われる「矛盾という名の蕾」からも明らかです。

しかし、いくらそれをわかっていても、石切丸はどうしても戦場において、心を揺らすことを止められない。
目の前で人が傷つき、死んでいくその様子に、都度心を痛め苦しんでいる様子が、いろんな場面からひしひしと伝わってきます。


丸根砦での戦いでは、自らが戦いの最中にいることを思わず忘れ、眼前に繰り広げられる戦場の有り様に呆然と立ち尽くす石切丸の姿が見られます。
青江から「石切丸さん!」と名前を叫ばれるその直前、石切丸はじっと自分の手に握った刀を見つめているのです。
おそらくその瞬間、彼は「人の幸せを願っているはずの自分が武器である」ことへの矛盾を、改めて突きつけられたような思いになっていたのではないでしょうか。

その戦いの直後、戦のあっけなさを感じたものだったのか、思わず「こんなものか」と漏らした大倶利伽羅のことを、石切丸は厳しく聞き咎めます。「こんなもの…?こんなものといったね」と。
石切丸にとっては、戦が「こんなもの」で片付けられるはずなどなかったのです。だってそこではどうあがいても、沢山の人が命を落として死んでいくのだから。



ではそんな石切丸に、「力」を巡っていったい何が起きたのか。それを具体的にみていきます。
まず、力に翻弄された姿に関しての一連の描写を、時間軸に沿ってなるべく簡潔にまとめました。

◆石切丸に起きたこと
  • ①力の獲得

・石切丸が信康を斬ることを諦めた瞬間、閃光と共にその場に検非違使が現れる。検非違使とは「歴史の異物を排除するもの」。歴史の流れに反して信康が生き残っている事実により、その場に呼び起こされたものであった。
・その姿を表すが早いが、検非違使は信康を斬りつけ、それを庇った石切丸のことも容赦なく斬ったかと思うと、周囲に現れた時間遡行軍のことも圧倒的な強さで蹴散らす。倒そうと向かっていく刀剣男士たちも全員検非違使の強さに刃が立たず、傷ついてその場に次々と倒れ伏していく。
・その中で石切丸は「ここで折れても、貴様を倒す!」と荒々しい声で叫び、一人で検非違使に斬りかかっていく。その姿は、直前までとは打って変わった強さを突然に得たかのようで、石切丸は凄まじい力で検非違使に確実にダメージを与えていく。

  • ②異変

・しかしその力の源泉は石切丸本人のものというより、その手に握る刀によって生じたもののようであった。その石切丸の様子から、刀剣男士たちははっきりと異変を感じ取る。
・「すごい…」「しかし、この力、危険だ!」というその彼らの言葉どおり、石切丸は徐々に力の制御を失っていく。刀を両手で抑え込もうとするが、ひとりでに動き出そうとでもするかのように、彼の手の中で刀は激しく暴れ、石切丸は体を持っていかれそうな形になる。と同時に、あたりには地を這うような、不気味な咆哮が響く。
・石切丸は苦しげな表情で頭を押さえ、呻き、最終的には気を失うように、その場に力なくへたりこんでしまう。

  • ③意識の再獲得

・くずおれた石切丸の背後に斬りかかろうと近づいてくる時間遡行軍。しかしその刃から、信康が自らの身体を投げ出して石切丸を庇う。
・「はん…ぞ…」と自分の名を呼ぶ声で我に返った石切丸は、はっと目を見開いて振り向き、倒れ込む信康を抱きとめる。
・動揺した声で「信康様、信康様…!」と叫ぶ石切丸に、苦しげな表情ながらも微笑んだ信康は「あまり無理をするな、半蔵」とだけ告げ、そのまま静かに息を引き取る。
・信康の体を抱きしめ、深くうなだれる石切丸。その背後で、何度も立ち上がっては、検非違使に返り討ちにあい、ボロボロに傷ついて倒れることを繰り返す刀剣男士たち。
検非違使が再びその狙いを石切丸に定めた瞬間、取り落としていた刀を掴んだ石切丸は、力強くその刃を受け止め返し「死んでいった者の痛みは、こんなものじゃない!」と叫ぶ。
・そこから立ち上がった石切丸は、他の5振りと共に力を振り絞り、最終的に検非違使に打ち勝つ。(※明確に検非違使を倒す表現は見られないが、劇中の展開を見るに、そう解釈して差し支えないものと思われる)


上記でざっとまとめてみたとおり、石切丸は

  • 圧倒的な力を得て検非違使を追い込むが、その力そのものに翻弄され、屈しそうになる
  • しかし再び自我を取り戻し、目の前の敵に打ち勝つ

という変化をたどります。


この石切丸の一連の変化は、一体それぞれ何を原因とするものなのでしょうか。
わたしはその原因が、「心という存在そのもの」にあるのではないか、と考えました。


具体的にはどういうことか、<心>を捉える上で鍵となると考えた3つの劇中の言葉をもとに、考えたことを以下でさらに説明してみます。

◆心を読み解く鍵その1:「底知れぬ強さ」

戦いのさなか、時間遡行軍に襲われて命を落としてしまった吾兵。その墓へと歩み寄りながら石切丸が歌う歌は、「力があれば…」というタイトルです。
その途中には「力があれば…底知れぬ強さが」という歌詞があるのですが、この「底知れぬ強さ」という単語が、その後の石切丸を襲う変化を読み解くひとつめの鍵になっているように思いました。

というのも、底知れぬ、という表現、どう考えても穏やかではないからです。

この時の石切丸は、「任務を成功に導きたい」と思うと同時に、「もう誰の命も奪われる瞬間を見たくない」という思いの間で、板挟みになり苦しんでいるように思えました。
そしてそこから脱却するため、そのどちらをも叶えようと願うあまりに、ある種の巨大な力を希求するようになったのではないか、と。


なぜなら、石切丸の目の前にある命は「いくら祈ってもこぼれ落ちてゆく」のです。救えそうに思えて手を伸ばしても、その「指の隙間から」。
そうさせないために、解決の手段として、石切丸は強い力を望んだ。


しかし石切丸は、本来であれば戦や争いを嫌い、生きとし生けるもの全てへの深い愛を持つ、そんな心やさしい刀です。
そんな彼が、他を圧倒するような力を願うということ自体が、石切丸自身の本質からは大きく逸脱するものではないかと思います。

そしてその「力を望んだ」という事実そのものが、石切丸がそれほどまでに内面で深く追い詰められていたことの証左と考えられます。

その追い詰められ方の説明となると考えたのが、次に述べる2点目の鍵です。

◆心を読み解く鍵その2:「あまり無理をすると、壊れてしまうんだって」

検非違使との戦いの直前、信康を斬りに行くと告げた石切丸に、物吉くんが激しい調子で食ってかかるシーンがあります。
家康の愛刀であった物吉くん自身も、信康が死ぬ運命であることを、当然知ってはいるし、歴史上それが避けられない事実だということは十分理解をしています。しかしどうしてもそのことを受け入れることができず、「おかしいなぁ…」と涙を流す彼に、青江が次のような言葉を投げかけます。

「おかしくはないと思うよ。…心のこと。手に入れてしまったものは、なくすことはできないから」
「あまり無理をすると、壊れてしまうんだって」

信康の命日をむかえたその時、石切丸の心は、まさにこの「あまり無理をすると壊れてしまう」状態にあったのではないか、と思うのです。


歴史を守ろう、任務を成し遂げようとするあまり、石切丸は自身の本心を、ある意味では切り捨てて突き進んできたところがあるように思えます。
石切丸の本質を考えれば、彼が信康の命を奪うことなど、本来出来るはずがない。それなのに「それが徳川家康の歴史じゃないか」と、石切丸はその任務の遂行に邁進しようとする。その様子は、物吉くんが言葉を失うほどに冷徹ですらあります。

信康を斬ろうと彼の元へ歩み寄っていたあの瞬間、石切丸の心は、もしかしたら「壊れてしまう」寸前にまで追い詰められていたのではないでしょうか。



その1とその2の鍵についてここまで書いたことを結論としてまとめると、

  • 石切丸は任務への重責と自分の本心との間で板挟みになり、苦しんでいた
  • その苦しみは、彼の心にあまりに過大な負荷をかけるものだった
  • その状況が、彼の本質には本来そぐわない、強大な力を望ませた
  • 最終的にそうして石切丸は敵を圧倒する力を得たが、その在り方が彼の心の有り様とは大きくかけ離れていたため、力そのものが石切丸の自我を離れ、暴走しかけた

…ということが言えるのではないか、と思いました。


刀剣男士は心を持つからこそ、その内面をないがしろにしてしまうと、それこそ人間と同じように、そこに亀裂が生じ得る。石切丸の一連の変化は、そのことを表していた描写ではないかと思うのです。

自分の本来の気持ちを押し殺すあまりに、石切丸は自身の本質を手放しかけると同時に、本来不要なはずの力を望んだ。
そのひずみが、意図しない禍々しさをも感じさせるような、制御不能な力の発露にいたったのではないでしょうか。
そして、刀剣男士が手にした力が「刀」に宿る形で強大化し、暴走するという描写は、刀剣男士は武器=戦うための力である「刀」から顕現した存在であるという背景を考えると、十分に頷けるものでもあるかと思います。



そして、最後に石切丸に訪れた変化。それは意識の再獲得、いわば「自我の復活」でした。
石切丸はどうしてその後、力に飲み込まれることなく、自分を取り戻すことができたのか。
そうさせたのは、3つ目にあげる、信康の言葉に他ならないと感じました。

◆心を読み解く鍵その3:「あまり無理をするな、半蔵」

亡くなる直前に、石切丸に手を差し伸べながら信康が告げるその言葉。
それはまさしく、青江が言っていたとおりの言葉の裏返しなんですよね。


無理をすると、壊れてしまうから。だから、あまり無理をするな、と。


信康には、幼い頃から自分を大切に育ててきてくれた石切丸(半蔵)が深く苦しんでいることが、明確に伝わっていたのではないでしょうか。その背景にあるものや、理由が何なのかまではわからないまでも、なにかに心を痛め苦しんでいるという事実は、きっと手に取るようにわかってしまっていたのではないか、そんな気がします。
なぜなら、石切丸が仲間とともに懸命に育てた信康こそが、花を愛するやさしい心の持ち主だったから。


そんな信康から、最期にそっと投げ出された「あまり無理をするな、半蔵」というそのいたわりの言葉には、瞬時に石切丸をもとのあるべき姿へと引き戻す力があったのではないか、と思うのです。
いつも誰か他人のことを慮っている石切丸。周囲へと広い視点で目配りをする中で、おそらくどこか、自分を後回しにする瞬間も多々あったことでしょう。
でもそんな彼が、大切にしてきた信康本人から最期に手渡されたのは、自分への思いやりを端的に告げる言葉でした。
そしてその言葉だけを残して、信康は命の灯火を消してしまいます。


歴史の流れの中で消えていかなければならなかったその命。
信康が思いを傾けてくれた自分は、いったい何者なのか。
自分が今、なさねばならないことは何なのか。


愛し、守り育ててきた信康の存在は、苦しみの中で本来の道筋を外れかけた石切丸のことを、最期の瞬間に光となって照らした。
彼の残した言葉は、石切丸の心の本質を刺し貫いて、混迷の淵から強く救ったんじゃないかなと、そんなふうに思うのです。

そしてそれが可能だったのも、石切丸が、刀剣男士として「心ある」存在だから、ではないでしょうか。



以上が、わたしがみほとせの石切丸の描写を見て考えたことのすべてです。
かなりがんばってはみたものの、、まとめるのがあまりにも難しく。何を言いたいのかちゃんと伝わる日本語になっているのかについては不安しかない…!順番入れ替えたり削ったりしまくったんですけど、伝わりましたかね~!?涙
読んだけどこいつなにいってんのかわかんねぇ!だとしたら完璧にわたしの筆力不足じゃ~!


そしてこれは蛇足なんですが、初演を見た時、当時のわたしが石切丸と力の描写にどうしても答えを出しきれなかったのは、刀ミュのみほとせ前の2作(阿津賀志山異聞・幕末天狼傳)で、似たような描写が元の主たちに対してなされていたから、ということにも今回気が付きました。
本当はそこについての説明も書いてたんだけど、あまりにも長くなりすぎたし本筋ではなかったので、いったんぜんぶ割愛しています。もしかするとこの記事の補記、みたいな感じで後日別途アップするかもしれません~!


とりあえず、2年前に放り出した宿題をようやく回収できたかな…!?という気持ちです。
読んでくださってありがとうございました!