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ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」ロミジュリ2019 全体の感想その2

ロミジュリの感想記事としては3つ目なんですが、今回は本当に「全体を俯瞰しての感想」を書きました!
書きたいことがありすぎて困ってます!感想を言語化していくこの作業に終わりが見えん!笑

◆ベテランと若手。絶妙なバランスで織りなされる世界

ベテラン中のベテランと、若手の中で着実に経験を積んできたエースと、これから本格ミュージカルに打って出る新人と。ロミジュリ2019のキャストは、三者それぞれの存在感と輝きが、とてもよいバランスで組み合わさって、作品を成熟させていたように思います。(と、グランドミュージカル慣れしていない身ですが勝手にそう思います!)

大野くんがカーテンコールの挨拶で「大人の皆さんがしっかりと作品を支えてくださるからこそ、僕たち若手が自由にのびのびとやらせてもらえて…」といった意味のことを何度か言っていたんですが、本当にそのとおりだな、と見ていて感じました。
石井さん、岸さん、春野さん、シルビアさん他、カンパニーの中でも”大人の皆さん”と呼ばれていたベテラン組のキャストの方々は、舞台上に本当にどっしりとした土台と、なによりも「奥行き」を作ってらっしゃいました。
歌にせよ演技にせよ、経験に裏打ちされたその重厚感のある表現が、ちょっとやそっとのことでは揺らがない、その世界観の中における説得力みたいなものを生んでいたと思う。
そもそも、ロミジュリの物語には「古くからの家同士の因縁に囚われた大人たちと、それを破って新しい世界へ進もうとする若者たち」という対比もあります。そのために、ベテラン組の方々が圧倒的な実力を持って重々しく存在してくださること自体が、ロミオたちの葛藤を裏付けるものとして作用する点も、とても大きかったなと感じます。


そしてその土台の上で、のびのびと表現の翼をひろげていた若手キャストの中にも、すでに多数のグランドミュージカルの舞台を踏んで明確な地位を築いた、もしくは築きつつある人から、今回のロミジュリがグランドミュージカルのデビューである人までの経験のグラデーションがあったことが、また特徴的でした。
そうして経験値には濃淡が存在しつつも、歳や俳優としてのキャリアにはきっと近い部分もあって。今回共演する中で、若手同士としてもお互いに刺激を受けあう面が、とても大きかったのではないかな、と思います。
そもそも、これだけの規模のミュージカルで、若手キャストにここまであらゆる面で比重が寄る演目も、そうそう多くないと思うんです。ダブル・トリプルで組むキャストにはみなソロがあり、明確な見せ場を多数担っている。だからこそ、小池先生がパンフレットで言うように、ここ数年はロミジュリが本格ミュージカルにおける「若手の登竜門」と呼ばれたりもするのかなと思うんですが、この作品への出演は、実際にとても大きな意味を持つだろうということが、見ていてひしひしと伝わってきました。

だって本当に、そこには全てがある。歌もダンスも物語も、ミュージカルという世界の中で表現されなければならない要素が満遍なく揃っている中に、目標となるような偉大な先輩と、ライバルになる同世代とがいて。そして演出面で作品を導くのは小池先生。…こんなに恵まれた環境って、きっとなかなかないのでは?という気がしました。
今回、そんな理想的といえるような形で、応援してるまりおくんがグランドミュージカルデビューをしてくれたことが、私は本当に言葉に尽くしがたいくらいに、嬉しかったんです…。初日見たあとに散々書いたけど!心底嬉しかった!まだおめでとうって言いたい。


そして、総勢24名もいらっしゃるR&Jダンサーの皆さん!彼らが驚異的な身体能力によって繰り出す美しい動きの数々によって、舞台上には常に見応えと迫力とが生みだされていました。
冒頭の一幕第1場「ヴェローナ」なんかは、センターブロックの前方席で見ていると、ステージ奥からこちらに向かってくるダンサーさんが発する圧に、飲み込まれてしまいそうな感覚がしました。あの動きを言語化できないんだけど、低い体勢で体を横に回転させながらにじり寄る感じで前進してくる男性ダンサーさんたちが、本当にかっこよすぎた!
どの舞台を見ていても思うことだけど、アンサンブルと呼ばれるダンサーの皆さんの能力の高さには、毎度驚嘆させられます。踊るだけじゃなくて、アクロバットであったり、そもそも歌もしっかりと担当しなければいけなくて、ものすごくハードなことは見て取れるのに、そんなそぶりは全く見せない皆さん。舞台上のどこを見ても楽しめてしまう豪華さがあったのは、ダンサーさんの表現力があってこそだなぁと感じました。
群舞の中でも好きなところがたくさんあるんだけど、選ぶならやっぱり「ヴェローナ」と「今日こそその日」かなぁ。特に「今日こそその日」は、ペアになった男女のダンサーさんがそれぞれ全然違う動きをしてるんだけど、不思議なくらいひとつの世界感にまとまっていて。そうして周囲を取り巻かれることにより、その中でひとり憎しみに満ちた決意をするティボルトの悲しさが際立っていたのが、とても印象に残っています。

◆(言うまでもないけれど)楽曲が素晴らしい

とにかく名曲揃いですよね…。ロミジュリの曲の魅力、あらゆる人によりさんざん言われている自明すぎることだと思うので、何を今さら?っていう感じなんですが、もう本当に曲が素晴らしい。こんなの全部好きに決まってる…!ってなります。
今回はDVDが出るので逆にCDは出ないことが残念に思えたりもしちゃうんですが(贅沢ですね)、好きすぎて毎日聞きたくなってしまう。過去の上演時のCDを探して買ってしまいそう。


その中でも、どれが一番好き?と聞かれると「え、選べない…」ってなるんですが、そうはいってもやっぱりぶっちぎりで思い入れてしまうのは「世界の王」なんですよねぇ。
あの曲はずるいよ~、かっこよすぎるよ。…ずるい!笑
「この地上のヒーローは ここにいる俺たちだ!」が好きすぎる。。あの時、ロミオもベンヴォーリオもマーキューシオも、全員が心から楽しそうな笑顔なんですよね。周りの仲間たちと肩を並べて、「何者にも負けやしない、自分たちの人生、世界を統べるのは他の誰でもなく、自分たち自身なんだ」ってことを、胸をはって高らかに宣言している。
そこには、たぶん若さゆえの無謀さや傲慢さもあって。だからこそ、その感覚に永続性がないことも、見ている側からは逆説的にはわかってしまうというか。この瞬間の強烈な生の輝きがあるからこそ、急転直下の二幕の悲劇性が際立つんだろうなぁとも…。
だけどその瞬間の充実こそは誰にも奪えないんだよなぁ。そんなことを考えながら見ていると、どうしたって胸がぎゅっと締め付けられるようで、その景色の眩しさに泣きたくなるような気持ちで聞いていた曲でした。
フォーラムCで2月24日に見た光景も、梅芸メインホールで4月13日にみた光景も、ぜったいずっと忘れません。この曲を歌うまりおくんが見られて、本当に心の底から幸せでした!


ロミオとジュリエット二人の恋に関してだと、「バルコニー」も「エメ」も、どちらも甲乙つけがたく好きでした!
「バルコニー」は、二人がお互いの思いを初めて正面から認め合う、恋愛の成就の瞬間の歌ですよね。自分が好きになった人が、自分のことを好きになってくれた!っていう、信じられないような幸せの中に身を浸している、喜びの爆発に泣かされてしまう。
「エメ」は恋が愛へとひとつ成長を遂げていく段階の曲だなと思っていました。困難に立ち向かう覚悟を胸に、共に歩むことを決意した二人が、しっかりと正面からお互いを見つめ合い、君だけを/あなただけを愛している、とはっきりと歌う。
その背景に重なる、神父と乳母のコーラスがまた素晴らしくて。。序盤で乳母が涙をぬぐう仕草をするのにつられて泣いてたな…。シルビアさんも実際に泣いてらしたし。
この宇宙が終わろうと、二人の魂だけは引き裂けない。…本当にそのとおりの結末を迎えることになってしまうとはまだ露程も知らない二人が、無垢なままに手を取り合う。でもその背後にふと落ちる影にはっとなって見上げると、そこには”死”が現れていて、二人に向かって手を伸ばしている…というあの演出!初めて気づいた時「うわーーっ」って鳥肌が立ちました。
セットの上部から、実際に物理的な「影」を落とす死の存在により、二人にとっての幸せの象徴である結婚こそが、この先の悲劇の幕開けになってしまう事実が、とても端的に表されていて。好きだなぁ…。

◆圧倒的な「死」の存在感

そうなんです、ロミジュリを語るにおいて「死」に触れないわけにはいかない!ここまで全然「死のダンサー」について書けてなかったことに今更ながら気づき!
宮尾さんが大阪公演だけのご出演だったので、わたしは限られた回数しか見られませんでしたが、大貫さんも宮尾さんも、本当に本当に素晴らしかったです。身体能力が、すごすぎる…。
作品の本当に一番の冒頭、ヴェローナが始まる前の「序曲」で、死が体を回転させ、腕を大きく動かして舞うことによって、それにつられるようにモンタギューとキャピュレット双方の若者たちが立ち上がっていく演出、めっちゃくちゃ好きでした!死の影がぴったりと彼らに寄り添っている世界なことが、それだけで明確に打ち出されますよね。

あと死のダンサー、基本的に、客席に見える形では全然、まばたきしないですよね…!?最初私の気のせい?とも思ったんですけど、いや気のせいじゃないよね!?
公演序盤、死が醸し出す、この言葉にし難い独特の不気味さはなんだろう…って考えながら見ていて、「あっ、まばたきしないからだ」って気づいて。気づいた瞬間、これにも鳥肌が立った。
この世ならざるものであることが、この違和感によって強く裏打ちされているなぁって思いました。だって、見ていてじわじわと怖かったもの…!

他にも、死による対象の見つめ方がすごく好きで!
死が組んで踊るのはロミオだけなので、視線の行き先という意味では対ロミオがわかりやすいので例に出すんですが、死はロミオの背後や隣からひたひたと視線を注ぎ続けるんだけれど、二人の視線が合わさることはないんですよね。なぜなら、ロミオと死はまだ同じ位相にはいないから。だからロミオは死の予感に怯えこそすれ、他でもない自分自身が死に見つめられていることにはまだ気がつかない。

だけどそれが…二幕第10場の「ロミオの嘆き」で初めて、正面からバシッと二人の視線が合うことになります…。なぜならそれは、ロミオが死を希求した瞬間だったから。
ジュリエットが死んでしまったことを聞かされ、生きる意味を見失ったロミオが、死ぬための毒薬を薬売り(であるところの死)に売ってくれと頼む。その時ついに、ロミオは生から死へと掛かる橋に、自らの足を乗せてしまうのです。その事実が、初めて合わさった二人の視線という形で表現されていて、なんてことだ…と思いながら見ていました。ふたつの世界がつながってしまい、取り返しのつかない段階に進んでしまったということが、見る側に明確に伝わってくる瞬間でした。
そうして薬の瓶をロミオに渡し、彼から手を離したあとの死の動きがもう、見ていて「あぁ、喜んでる…」っていいたくなるような表現だったのも忘れられない。ロミオをついに死のもとに手繰り寄せたことへの快哉を叫ぶような、体の動きであったり表情であるように、わたしには見えてました。うーん、思い返していても本当に好きなシーンだ!


この「死」という存在が舞台上に常に在ることが、端的に「愛か、死か」という主題を表しているなと思います。まさにメメントモリですよね。
愛、すなわち生。生きることと死ぬことは常に表裏一体であり、ロミオとジュリエットはこの世での生を儚く散らしたけれど、二人の愛は永遠に続く。そんな彼らの生きた姿が、残された者たちに、生きる意味、愛することとは何なのかを問い直させる。
でも「生きた」という意味では、もちろんティボルトとマーキューシオのことも忘れないであげてほしい…!だって彼らの中にもそれぞれの形で「愛」があったのだから。
余談ですが、キリスト教でしかもカトリックの世界となると、死んでしまったロミオたちの中で明確に天国にいける可能性があるのって実はマーキューシオだけなのでは…って思ってしまったりもしました。
人を殺してしまったティボルトとロミオ、自死を選んだジュリエット…ロミオに至っては最後に自殺もあってもう二重にアウトやん!ってなるんですけど、せめて死んだあとの彼らが、穏やかに同じ場所で笑っていてくれたらいいのになぁ、みたいなことをぼんやり考えたりもしたのでした。そうして平和になったはずのヴェローナを、肩を並べて見下ろしてくれていたらいいのにな。



ロミジュリについてこれで書き尽くせたか?と言われるとなんか全然そんなこともなくて、も~このさきどうしようって感じです!笑
いつまで引っ張るんだ!と思いつつ、たぶんまだ続く気がします!気が向いたらおつきあいください!笑