こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

【ネタバレあり】刀ミュ 葵咲本紀 凱旋公演の感想その1(またしても鶴丸について)

わたしにとっては約2ヶ月ぶりの葵咲本紀。凱旋初日から2公演、まずはこの土日で見てきました!2ヶ月もあけて同じ演目を見る経験は流石に初めてでした。なんつうロングランだ…。
長い公演期間だと本当にいろんなことがある、と図らずも痛感したこの秋でしたが、残すところ気づけばあと10公演なんですよね。


刀ミュに関してはいつだってそうですが、言いたいことがありすぎてまとまる気がしないので、書けることを小出しにするスタイルでいきます!
と、とりあえず…鶴丸の話からしてもいいかな!?(いいよ!)
ネタバレ前提ですので、それでも構わない方はどうぞ!




◆「鶴丸かっこいい国永さん…」

東京公演以降のわたし、すっかり鶴丸に頭がやられてしまい、毎日まじでこればっかり言っている。


「なんで同じツイート何回も貼るの?」って思うじゃないですか。なんとこれ全部、別な日なんですね…。(過去ツイートを検索して「こいつバカじゃないか?」と自分に対して思いました。)
いや、ほんと、訳がわからんくらい、刀ミュの鶴丸…かっこいい…。しんどい…。って絞り出す、絵に描いたようなおたくの者です。
ただでさえものすごくかっこよかったのに、凱旋で見たら、予想をはるかに超えて進化なさっていた。。びびり倒しました。
上記のとおり、東京後半の時点で覚悟(※予想と言え)はしていたけれど、にしても。。ここまでとは。恐れ入るしかない。

わたしが地方公演見られていないので、2ヶ月開けばそりゃあ、という感じではあるんですが、にしたって!21歳ってこれだから!若いってこれだから!と怯えたくなるほど、上達なさっていた。こええよ。いやまじで、どんなポテンシャルやねん!なる。すごい。。感動する。

◆一番伸びていたのは体の使い方

でした!ほんと感動する!登場シーンにある舞でとくに顕著。
東京の初日近辺で見たときは、正直なところ、まだ覚えた動きを丁寧になぞるので精一杯かもなぁ、という感じがしてたんですよね。「舞」と呼べる形になるには、あと少しだ!がんばれ!って思って見ていたんですけど、もうね、その頃とは、完成度が段違いだよ…。
あの鶴丸の真っ白いフードのついた上着を、それはまぁ優雅にひらめかせていらっしゃる。。。
もともと、足の運びはすごく丁寧だったと思うんですけど、足の先から頭のてっぺんまで意識が行き渡ったというか、自由に操れるようになったのかな、と思いました。とにかく全身のすべての動きがなめらかにつながった感があります。

「鶴」そのものを思わせる、時折羽ばたくような動きを交えた、あの美しい振り付け。同じ平安刀としてわたしが思い浮かべるのはどうしたって三日月宗近なんですが*1、三日月ともまたジャンルの違う美しさでして…。三日月のようなどっしりとした重たさはなくて、ぐっと軽やかで。それこそ、身にまとう色合いの対比が、そのまま二振りの動きの違いとしても現れていそうな感じがする。

なんというか、演じている来夢くんの年齢と、本人のどちらかというと柔らかい雰囲気がもたらす、美少年と表現したくなるような、古刀なのに若々しさもあるような表現が、本ッ当に素晴らしくて。今だから見られるもの、というか、言ってしまえば今しか見られないものを見ている実感が痛いほどにある。(だってまだどこか、美しさのなかにあどけなさが残っているから…)
そこにいるのは刀剣男士=キャラクターであるわけなんだけど、演じている役者さん本人の持ち味があるから、その唯一無二の表現が生まれるわけですよね。どうしてもわたしはそこに意識が向かうというか、そんな素晴らしいものを成立させてしまえる役者という個の存在に感動してしまう。その点でも観劇が、好きなんだろうなぁ…。
そんなこんなで、友達とも話してたけど、来夢くんの鶴丸はまじで「見せ方」がわかってきた感あっておっそろしいです。
だって東京公演のとき、あんなにきれいに袖、宙になびいてなかったもん。。
結果として、凱旋初日の観劇を終えて出てきた感想のひとつが鶴丸国永の袖になりたい」でした。おたくってほんとそういうとこある。(自分の頭のおかしさをおたくの共同責任にするんじゃないよ)

◆その声の出どころを教えてほしい

あとはもう、声ね!声~!!!声がやばいんだってば~!!!涙
あまりにもアメイジング…なにをどう表現したらこの気持ちに追いつくのかわからぬ。
ほんと、どうしたらあんな声があの比較的華奢な体格から出てくるんだ!?

よく言われることだと思うのですが、声の特徴ってわりと体格と紐づきますよね!?
正確な来夢くんの身長は存じあげないけど…って書きながら調べました174センチだって!つまりそう、170センチ台前半の、どちらかというと華奢な体つきの俳優さんで、あのタイプの太く響く声を持っている人、わたし今まで見たことがないんですよ。。なのであっけに取られてしまう。
身長に対する声量のギャップでいうと、三浦宏規くんも少し近い?って友達と話していたんだけど、声質のタイプはまた兄者とも全然違うんだよなぁ。(ひろきくんは力強いビブラートが持ち味のひとつですよね。)
来夢くんの鶴丸、つややかな透明感がありながら、同時にとてもまあるい太い響きの発声ができて、低い音も細くならずにしっかりとこちらまで届く。
だって一部の「刀剣乱舞」で、あの歌うま村正派に混じって、ガンガンに声が客席に聞こえてくるんですよ~。。それに気づいて昨日「ヒエ~~~ッ」って椅子に背中はりつかせてのけぞってしまった。。ユニゾンパートで声が抜けて聞こえるってそうとうやで…と思っている。


声でいうと、セリフの発声というか表情もまた、全然東京とは違っていて。いや、方向性は同じなんだけど、あからさまに「伸びた」としか言えない。
わたし、刀ミュでは定番となっている、刀剣男士が声のみの主とひとりで対峙しているシーンが大好きなんですが(その始祖は清光なわけですが)、あそこの鶴丸、もう出だしから200点満点、いや1000点満点ではないですかね!?どう思います!?いや1000点でも足りねぇな!?!?だってもういきなり登場シーンから完璧じゃん!!??
ある意味では、あの食えない刀ミュ本丸の主と渡り合ってしまえるような、一筋縄ではいかない本丸における実力派…という鶴丸の描かれ方、表現するの、簡単じゃないと思うの。。相手は声のみなわけだし。
…そう思うんだけど!!!なしてそれが、できてしまうの?
来夢くん、鶴丸の天才なの?ってなってる…まじですごいね…???

「まぁ実際のところ、ちょっと長かったけどな!」ってカラッと笑う表情とか、
「おいおい、いつか見たような顔をしてるな。君がその顔をする時は、俺になにか面倒くさいことを頼もうとしている時だ」の、半ば呆れたような、全てをわかってる風の笑顔とか…
「で、何をやらせようってんだ?」っていう不遜な問いかけから、主に「鶴丸、奥へ」って言われたあとにすっと真顔に移り変わる一瞬とか。
す、全てが最高すぎて…息ができねえ…ってなります。すごい…(※お気づきのとおり、セリフを丹念に書き起こしただけになってしまった…)
あとさァ~~~!!!村正にさぁ、「鶴丸さん、このままでは…」って言われたあとの、「ははっ、全滅だなぁ!」がかっこよすぎて死んでしまう!!!!!!なにあれ!!??
好きなシーンたくさんあるけど、あそこ本当にダメ…あまりにもかっこいい…笑いながら「全滅」っていう単語を吐けるその胆力…好きすぎるやろ…

◆好戦的、という表現では足りないあの表情

わたし、凱旋初日を見た段階ではこう思ってたんですよね。ちなみに2バルのサイドで見てました。


…なんだけどさぁ!その翌日、凱旋二日目の20日ソワレで見たらさぁ!なんか全然そんなんじゃ説明つかない顔しててさー!!!アーーーッ!!!(いのちがおわる音)
鶴丸、なんかまじでものすごい顔で戦ってた…。びっくりしてしぬかと思った…。


戦闘中の鶴丸、基本的に笑っている。笑いながら、でも周りの状況も把握した上で、目の前の敵に恐ろしいほど集中している。それは知ってた。
相手を見据えてニヤッとした笑みを広げたかと思えば、そのまま迷いなく鮮やかに敵を斬り裂く。そして翻る真っ白い袖…。
20日はアリーナ席で「ウワァ強いよぉ、かっこいいよ~!」ってまるで小学生のような感想を抱きながらその一連の動きを見てたんですけど、でも、そうして笑っていた鶴丸が、次の瞬間。。自分の斜め前方、少し低い位置にうずくまる時間遡行軍のことを、凄まじい眼光の鋭さで上からねめつけていて…。
そのときにたまたま、座っていた席が鶴丸の視線の延長線上にあたっていたらしく、いわゆるオペラ越しに目があうやつをそのお顔の鶴丸とやってしまい、危うく声が出そうになりました。(遡行軍を見てたんだと思うんだけど、なぜか目が合う感覚になる視線の高さで、本当にびっくりした…)
瞳孔が開いた感じの目と言えばいいのか。戦場で出会って敵として目が合ったら「あ、これは助からない」って思わざるを得ないような顔。そしてなんとなくなんだけど、鶴丸はあの表情を、本丸の他の男士にはあまり積極的には見せないのでは…?って勝手に思えてしまう。そういう凄みに満ちたお顔でした。
好戦的、という表現ではちょっと足りない。「戦闘狂」に片足突っ込んでいそうな感じの、うっかり触れた者は無事では済まない鋭さ。
でも普段はそれを、どこか飄々とした空気で包み込んで自分の中に同居させているんだなぁと思うと…なんかもう、さぁ…!
そんな奥行きを感じさせる表現、この短期間で、よくぞ可能になさいましたよね…。来夢くん、まじすごいよ…。


その顔が脳裏に焼き付いて忘れられず、おもわずその日帰宅してから、刀剣乱舞の公式設定画集1を開きましたよね。鶴丸国永は、ページでいうと157ページです。

平安時代の刀工、五条国永の在銘太刀。
鶴を思わせる白い衣を身に纏い、赤は戦ううちにつくだろうからなどと軽く言ってのける。
そのさが、軽妙で酔狂であっても戦うことを忘れたことはない。

…ああ~~~!!!!!(うるせえ)
もうこれじゃん…あまりにもこれじゃん…。やっぱり鶴丸国永の天才なんじゃん…ええ…???(最終的に混乱した)



ここまでで、もう6000字を超えてしまいました。えっ…二部の話まだ何もしてないけど!?
物語の本質について向き合った感想は、書く時間がものすごくかかるので、たぶん11月になってから、かな…!
葵咲本紀、ほんとうに多面的。わたしのなかでは受け取る印象が、つはものに近いんですよね。
フォーカスする刀剣男士によって見えてくる物語がガラリと変わるし、思い入れポイントがあるとよその理解が浅くなっていけない。。
なのでしっかり書こうとするとみほとせの石切丸の話ばりに時間がかかる予感してます。うぅ~でもまとめたい~!(とか言ってるうちに歌合始まるんだよ…わたししってる…)


楽には間に合わなさそうだけど、今月中にあと一回くらいは頑張ってまだなにかしら叫びを叩きつけたいです。
ああー、大好きな公演がやっている期間って、めちゃくちゃ忙しいけど本当にしあわせだ!




▼「葵咲本紀」についてのその他感想記事はこちらにあります
anagmaram.hatenablog.com

*1:今回の物語の構成上、この二振りを対比せざるを得ないので、観劇中にわたしがくらっているダメージは相当なものだと自負しています…。許すまじ…。笑

「推しと初めて接触があるんだけど、どうしたらいい?」と聞かれたので、ポイントまとめました

標題のとおりの内容、近々初めて推しと接触の機会がある身内から尋ねられたので、これまでの経験則をもとに、まとめてみました。
これを書いている人は、沼落ちから7年目になる舞台・若手俳優おたくです。…ともなればそれなりに色んな現場は経験してきたので、それなりに役には立つのかもしれない。と思って書いています。(いまいち弱気)


馴染みのない人もいるかもしれないので念のために解説すると、ここでいう接触とは、握手やハイタッチなどをしながら、応援している相手本人と話せる機会のことを指します。
なお、わたし個人は推しと接触の機会があると「わーい!」と喜ぶタイプののーてんきなおたくなため、「どうしても推しの前に出たくないのですが、どうしたらいいですか!?」的なお悩みへのアンサーはこの記事ではすることができません。悪しからず…!
ですので以降は、覚悟を決めて推しに会いに行く方向けの記事です。



★目次

1.なにはともあれ、まず準備。〜接触の形式は何?想定される長さを予想しよう〜

若手俳優界隈でのベーシックな接触のパターンを、以下にひととおり挙げてみました。(※アイドルとかだと、また全然違うと思います!)
予定されている接触はどのタイプ?

1-1.所要時間短め:お見送り

イベント会場から退出するお客さんを、出口付近の廊下などに立った状態で見送ってくれるスタイル。
便宜上接触と呼ぶが、実際のところ数メートル離れた位置で立っている相手から手を振ってもらう、というイメージなので、触れ合いが生じるわけではない。
基本的にこちらが歩きながら見送られるので、話せる時間はほぼないと思った方がよい。
ひとこと挨拶のみでおしまいのつもりで、あくまでも「推しを間近に見られるチャンス!」と割り切ることがオススメ。
とにかく視覚に意識を集中しよう!

1-2.所要時間短め:ハイタッチ

お見送りと近しいことが多い。しかし、たまにハイタッチと言いながら「いや、もはやそれは高い位置での握手なのでは!?」みたいなこともあるので、気は抜けない。ハイタッチ状態で手を握られることもままある。
上記のとおり一番ブレが生じる形式なので、当日の様子を見極めることが肝要。

1-3.所要時間長め:握手

とてもベーシックな接触。平均すると、会話はざっくり2往復くらいできることが多そう。
剥がしのスタイルによって、けっこう大幅に所要時間は左右される印象。
話すことと顔を見ることに必死で、意外に手の感触は記憶に残らないことがある。(逆に手の感覚しか覚えてない、という人もいる模様)

1-4.所要時間長め:お渡し会

写真集、カレンダーなどを渡してくれるパターン。推しからそれらを受け取るタイミングでの会話になる。場合にもよるけど、握手と同じくらいの長さで話せることがわりかし多いような気がする。
触れ合いが生じない、という点では握手より気が楽。

1-5.所要時間長め:サイン会

推しはサインをするので自分の手元に視線が行きがち。そのぶん目が合う時間は短いけど、逆にあまり緊張しないで話せるかもしれない!という利点がある。話せる時間もそこそこあるはず。
あと普段目にする機会のないつむじとかが見られると思います(そこなの?)。

1-6.番外編:チェキ

撮影前は挨拶ができる程度。撮影後にチェキの出来上がりを待つ間に1〜2往復くらい会話はできそう。
しかし、推しと並んで撮影されることへの緊張がそもそもやばすぎて、なんかもう色々どうにもならないことが多い。正直「それどころじゃない」ってなる。始まる前の緊張が、それ以外の接触の比ではない。どうしたって段違い。

…ベーシックなものだとおおよそこんな感じかと思います!この他だと、

  • 撮影会(自分のスマホをスタッフさんに渡して、推しとのツーショットを撮ってもらう)

などもあります。わたしは経験ありませんが、変わり種になるともっといろいろあると思います。

2.なぜ時間を予測することが大事なのか ~形式に合わせたコンテンツを用意しよう~

なぜ最初に時間を予測しなければならないのでしょうか。理由は簡単。
与えられる時間に用意したコンテンツが見合っていないと、確実に事故るからです!
時間が短いとわかっている時に長めの言葉を用意したところで、実際には全てを言い切ることはできません。また、言う内容が長すぎると、相手に聞き取ってもらえない危険性もあります。
そうなると、推しが「えっ?」ってこちらに聞き返してくれたところで、はい時間終了〜!になってしまうことに。もったいないしすごく悲しい。そんなのは嫌だ!
反対に、思ったよりも与えられた時間が長くて持て余してしまい、どうしたらいいか分からなくなった…というパターンも起こり得ます。
そのようなことのないように、まずは接触形式から、予想される長さを導き出し、話したいことを組み立てることが重要になってくるのです!

2-1.使うワードは慎重に吟味

おおよその時間が把握できたら、次は言葉選びに移ります。
相手を傷つけるようなことは言わない…みたいなそんな当たり前の話ではなく、意外と大事なのが、「相手にとって聞き取りやすい言葉を選べているか?」ということなんです。
というのも、接触って、コミニュケーションとしてはかなり高度なやつをやらねばならないからです。

  • お互い初対面のようなもの(関係性があるわけじゃない)
  • 補助となる「文字情報」はない

…という、前提を共有できない状態から突然始まる、ごく短時間の会話、それが接触
つまりそもそも、きちんと会話を成立させるだけでもハードルが高いといえます。
話のマクラ・導入部みたいなものがなく、いきなり本題に切り込むようなものなんですよね。

日常生活における会話って、目の前の相手がどんなことを投げかけてくるか、なんとなく予測しあって、キャッチボールをしながら進んでいく部分があると思うんですが、接触ではその事前情報に当たるものが一切ありません。
なので、相手が受け止められないような豪速球を投げたり、届かないようなへろへろしたボールを投げてはいけないのです。
シュッとスマートに相手に届く、確実なボールを投げましょう。

2-2.「伝わりやすい言葉」とは?

では「伝わりやすい言葉」とは、具体的にはどのようなものを指すのでしょうか?

わたしがとても大事だなと考えているのが、「脈絡なくいきなりぽんっと投げかけても、相手に意味がすっと通る言葉かどうか?」という点です。
音声→言葉→意味への脳内変換が、なるべくシームレスに行われる言葉が理想。
というのも、文字で見たときと、音声だけで受け取ったときでは、たとえ同じ言葉でも、その伝わりやすさは全く変わってきます。日本語には同音異義語もたくさんあるし。
普段あまり意識しないことではありますが、この点、是非検討してみることをオススメします。

その他にも、

  • 前提に詳しい説明がない限り、本意が伝わらない内容じゃないか?
    • 良くない例:「この間の~の舞台で◯◯が~なところが△△だったんですけど、それがとっても~でした!」…前提が長い!一番伝えたいことが何だったのか、相手にわからない危険性が高い!
  • 相手にとって、聞き慣れてない言葉ではないか?
    • 自分と相手の生活圏や生活様式は全然違うことも考えられます。自分にとって当たり前の単語でも、推しにとって果たしてどうか?という観点も大事。(過去に「転職活動」っていう言葉が俳優をしている推しにちゃんと伝わるか吟味した経験があります*1。)
  • 同じ意味でももっと音数が少なくて、かつ聞き取りやすい単語はないか?

などなど、考えてみるべきポイントはたくさんあります。


プレゼン資料に取り立てた意味もなく横文字の言葉を使って周囲を困惑させる営業マンのようなことはせず、
推しに対して使う言葉は変にひねらずに、ごくごくシンプルなものに落とし込みましょう!

2-3.長さは調節できるようにしておく

先述の通り、接触の所要時間は思ったよりも長い/短い、どちらのパターンも考えられます。1往復と思ってた会話が2往復できちゃうとか。反対に本当に一言声をかけておしまいだとか。
なので、理想はコレ!という内容ができたら、そこからプラスマイナス、どちらにも対応できるように、プランBを考えておくとなお良しです。
「できればこの2点を話したいけど、時間的に難しそうだったら優先度の高いこっちだけにしよう」とか、予め考えておくだけでも、だいぶ違います。


上記を踏まえて、よし、事前準備はバッチリだ!としましょう。いよいよ本番ですが、準備は自分の番の直前まで続きます。

3.いざ当日! ~直前まで、現場の様子を見極めよう~

入念に心の準備をしたとして、結局最後は当日の状況に合わせるしかありません。
「じゃあ準備なんて意味ないじゃーん!」みたいな気もしますが、そういうことではないのです。先ほどのプランBまで含めたロープレを脳内で済ませておくと、思わぬ事態にも後悔を残さずに接触を終えられる可能性が高まります!

そのために、当日接触イベントが始まったら、確認しておきたいポイントは下記のとおりです。

3-1.推しのコンディションはどうか?

とにかく最初に確認したいな、と個人的に思っているのはココ。
そもそも体調があまりよくなさそうな日や、複数開催イベントのラスト回で、そろそろ疲れが見える…などなど、いろんなケースが考えられます。
その時は、言おうと思っていたことが、相手のコンディションに見合った負荷の内容かいったん考えてみましょう。リアクションを無理に求めるような内容を投げかけるのも、なんだか申し訳ない気持ちになりますよね。(わたしはなる。)
なので、なんか今日の推し、疲れてるな、しんどそうだな!って感じる時は、より推しに負担をかけないだろう内容にシフトするように心がけています。
自分だけ満足しても、しょうがないですから。あくまでもコミュニケーションなので、相手を思いやる気持ちは絶対に忘れたくないですね!

3-2.時間が押したりしていないか?

イベント運営上の思わぬアクシデントが起こり、予定されていたタイムテーブルが変更になるようなことは十分に考えられます。
その場合、接触にかかる所要時間を縮めるために、予想よりもスタッフさんのはがしがキツめになったり、本来思っていたよりも流されるスピードが速い!みたいなことが起こり得るのです。
また同じ回でも、序盤〜中盤〜終盤で流しの速度が変わっていくことも多々。
接触タイムが始まってみて、なんだか予想と違うな!という状況だった場合は、さっと準備していたプランBにスイッチしましょう。

3-3.その他、当日だからこそ言えたら嬉しい内容があったら回収してみる

これは余裕があったら…という感じですが、
「伝えたい内容に関するワードが、ちょうど直前のイベントで出た!」みたいなラッキーなパターンもあります。
あの話題がさっき出たから、推しの念頭にもあるはず=こちらから投げかけた時にも、言葉としてすっと認識されやすそう、という発想です。
トークショーなど何かしらのイベント後に接触、という時は、このように「AとBの話題で迷っていたけど、イベントでBの話が出たからBにしておこう!」みたいなより戦略的な組み立ても可能です。


以上で、会場の様子も見極められた。推しがまもなく目の前に。いよいよです。

4.ついに本番!しかし、ここで問題が起こる。 ~バグるおたく~

その問題とは、主に緊張です。それに尽きる。いやそりゃそうやろ。だって目の前に推しですよ???
果てしない緊張にやられながら推しの目の前に立ったとき、おたくは下記のようなバグり方をすることがあります。

  • 頭が真っ白になる
    • だって目の前にいるんだもの
  • そもそも、まともに顔が見られない
    • ふだんそんな間近に見る機会なんてないんだもの
  • 終わった後、一切の記憶がない
    • やばい目の前にいる、と思ったことだけは覚えてる
  • そんなつもりはないのに苦しそうだったり悲しそうな顔をしてしまう
    • しまいにはなんだか逃げるようにその場を去ってしまう


そして気づいたら、自分の番は終わっているのである。…お疲れ様でした!!!涙

5.接触を終えたあとの現実との向き合い方

めちゃくちゃ楽しみにして、緊張して迎えた当日。でも推しと話せる機会はほんの一瞬だけ。
「いや自分、あんなに事前に考えてたやん!?もっと他に言えることあったやろ!あともうちょっとまともに笑顔作れたやろ!バカーッ!!!」…みたいな気持ちになることもある。あるよ!
こんなに短い時間に対してここまで一喜一憂するなんて…みたいな賢者モードになることも正直あるでしょう!
でもまぁそんなこと言わず、せっかくの思い出なので、とことん大切に味わいましょう。

5-1.とにかく、メモる

実際、記憶はすぐに飛ぶ!でも手繰り寄せれば思い出せることもあります!
かけらでもごくごく一部でも、とにかく頭の片隅に残っていることはメモに残そう。手に握ったそのスマホに書き付けよう!

「やばい、近い、かっこよかった、目があった。しぬ」

でもいいんです。ないよりは。

「いきてた」

とかでもいいんです。そうだよ、推しは目の前で生きてたんや。それが事実なんや!

今日着てた服のここの飾りが可愛かった(※顔がちゃんと見られなくて服に視線が逃げていたときの例)とか、やたら目元の笑いじわばかりが印象に残ってるとか、初めて間近でホクロをみたなぁ…とか、断片でもなんでも良い。
自分だけが見た推しの記憶、それだけで価値があるのです。とりあえず記録にしましょう、そっと自分のためだけに書き残しましょう。
わたしはたいていスマホのメモにばばっと書き起こします。言い回しまで細かく覚えていたい!とある種執念のようなものを発揮して書く。このタイミングで手を振ってくれてたな!とか、細部まで覚えていたらなるべく全部書いておきます。(※あくまでも自分が読めればいいので、SNSにあげることはしません。)
そうしておくと何が良いかって、疲れたときや落ち込んだとき、読み返して元気を出すことができる!これはマジ。
せっかくの貴重な機会なのですから、誰のためでもなく将来の自分のために、かけらでもいい。記録に残しておきましょう!

5-2.可能なら身内に叫びを聞いてもらおう

LINEなどで聞いてくれる家族友人がいたら、どんどん聞いてもらいましょう。先程の出来事は現実だったのだ、ということを、あらゆる手段でしみじみと噛みしめよう!
わたしはいつも親しい友人にLINEで報告して、帰宅してから夫に無理やり聞いてもらっています。(そこ話すんかいとよく驚かれるんですが、聞いてくれるので遠慮なく話します)

また、SNSに上がる接触レポに関しては、おたくは往々にして他人と比べてしまい、心に悲しいダメージを負う傾向があるので要注意です。
自分にはその気があるなと自覚している人は、むやみに他の人のレポを検索したりしないようにしましょうね。
自分にとって大切な時間が過ごせたのだから、人のことはどうでもいいじゃないか。そこは割り切って、いっそのこと見ないようにするのもオススメです。他でもない、自分にとっての思い出をなによりも大切に。

6.接触全般のtips

以上が全体の流れです!以下はtips、マイルールのようなものをご参考まで。

6-1.相手視点を忘れない

一番はやっぱりこれですね。相手の立場に立って状況を俯瞰する余裕を持ちたい。
なので、言いたいことを一方的に投げつけて終わりにならないようにしたいな、と常々思っています。時間が短いからこそ…。
だってこちらにとっては一瞬ですが、推しは一度に数百人と会話してるわけで。それで疲れない人ってたぶんあんまりいないはず、と思うんですよね。なので負担をかけたくないなぁという気持ちが一番強いです。
あとは当たり前のことですが、相手が言われて嬉しいだろうこと、プラスに受け取ってもらえるだろうことを選ぶようにしています。
自分が伝えたいことが、相手が言われて嬉しいことかどうか…についてもちろん確証はないし、まぁその正解がわかったら苦労しないんだけど、なるべくなら言われて嬉しいことを言いたい!と思う。
なので雑誌やWebのインタビューなどで、そういう「言われて嬉しい情報」のヒントがないかは、丹念にチェックするようにもしています。

6-2.相手のタイプに合わせてみる

あとはお話しする相手=推しのタイプによっても、左右される部分は大きいです。

  • サービス精神のかたまりで向こうからガンガン話題を提供してくるタイプ
  • じっくりこちらの話を聞いてくれようとするタイプ
  • とにかく楽しい時間を過ごそうぜ!的に、その時の空気に合わせて自由に振る舞うタイプ

…などなど、特徴はいろいろです。
もし自分の推しの傾向がわかるようだったら、そちらに合わせてみるのも良いと思います!

まとめ

接触が嫌い・苦手な人もけっこういると思うんですが、冒頭でも触れたとおり、わたしは「推しと話せるなんてさいこー!超ハッピー!」と思うタイプのごくのんきなおたくです。
接触は、普段決して交わることのない世界線が繋がるというか、推しと自分との特異なアクセスポイントだと思っているので、その機会にしかできない経験は、ありがたくしておきたい。
あとはファンに対してニコニコやさしくしている推しの姿をひたすら見てるのも好きでして…その光景だけでもしあわせになる…。なんて優しいんだ!いい子なんだ!となって好きがあふれる。まじで見てるだけで幸せ(おめでたいな~)。
なんにせよ、ファンと近い距離でお仕事をするからこその苦労や負担も絶対にあるはずなんですよね。
「それを選んでなお、更にこういう会える機会をつくってくれてほんとにありがとう!」という気持ちを忘れないようにしたいな、と思いながら、接触イベントに出かけています。


あなたと推しとの接触が、幸せで心楽しいものでありますように!

*1:このときは握手会だったんですけど、ちゃんと聞き取ってもらえました。そりゃそうか。だって俳優って、転職活動はまずしないよな、って思って…笑

「好き」なんてきっとどうしようもない

おたくにおける「好き」という感情は、往々にして独りよがりなものに分類される気がするし、実際のところ、まぁ真実としてそうなんだろうと思う。

「好き」という感情が悪者にされて語られている場面も、実際のところ少なくない。

ともすると「気持ち悪い、怖い」といった修辞を添えられていることも、割によく見るように思う。

 

でもわたしは、どうしてもそのタイプの言説について「そうなのかなぁ」と納得できない気持ちがする。

好きってそんなに悪感情なんだろうか。そんなことはないんじゃなかろうか。

たぶん、本質はそこではない。

 

 

わたしが個人的に考える範囲ではだけど、「好き」という感情が「怖い」と言われてしまう何かになるかどうかは、その感情の行き先を、相手に押し付けてしまってるかどうかじゃないか、と思う。

わたしはこれが/この人が好きだ、の先に、「だから〜してほしい」「だから〜になってほしい」という条件がついたり、なにかが返ってきて当然というスタンスでの期待値がついて回り始めたとき、初めてその感情は「怖い」と呼ばれる可能性が出てくるのではないだろうか。

自分が発した「好き」の先を、誰かの責任範囲に含めようとしたときが、運命の分かれ目のように思えるのだ。

それはおそらく、いわゆる「見返り」をもとめる態度として表現できる気がしている。

 

 

その対象を選んだのも、好きになったのも、すべて自分の選択によるものだ。

果たしてそこに、見返りがあるのかどうか。

それは正直わからない。あるかもしれないし、ないかもしれない。

それに、見返りという言葉で片付けるには惜しい感情の交換が成立する場面だって、多々ある。例えば愛の詰まった優れた舞台のカーテンコールで、観客として確かにステージ側と愛と感謝の交歓ができた、と感じる瞬間は実体験として何度も存在する。

なので、好きの先に「戻ってくる何か」そのものを否定する訳でも勿論ないのだけど。

 

思い入れはある程度の執着を生む。だから「こんなに好きなんだから」というその先が続くのも、人間として当然のことだと思う。

だけど同時に、そういうあれこれを乗っけないままで、単なる「好き」を「好き」のままでとっておくことだって、やろうと思えばできるのも事実だ。

目の前の眩しい対象を、まるで魅入られたように一心に見つめ、そうして受け取ったきらきらと輝く宝石のような何かを、ぎゅっとひとりで握りしめる。

そうしたときにただそこに残る「好き」という感情って、それだけで誰かに/何かに害をなすものには、あまりなり得ないように思う。

 

 

自分が受け取って得たその「好き」を、「好き」のままにとっておく、もしくは深めて育てていく。そのことだけに集中していられるのが、たぶんわたしにとっての理想。

だからなのか、単に「好きって感情は全然尊くもないしグロテスクだ」という言説をみると、そういうことじゃないのでは?とどうしても反論したくなる。

本質はそこじゃないのでは。それは単に、他者に対する期待値コントロールがうまくいかずに暴走してるだけなのでは、と思うのだった。

 

 

「好き」に向き合うとき、わたしのなかで心象風景はいつだって一人ぼっちだ。

真夜中に、崖の先端でつよい風に髪の毛をなぶられながら、仁王立ちになってよく晴れた一面の星空をひたすら見つめている、そんな感覚。

自分にとってのそれくらいの切実さがあれば、その様子が他人にとってどれだけくだらなくて滑稽に見えても構わない。どう思われようが、そんなことどうだっていい。

 

砕かれたダイヤのような輝きは、夜のひんやりとした空気の中に凛と澄みわたる。

届きようもないその距離に打ちひしがれても、胸を焦がすことを決してやめない。

その覚悟と祈りのような気持ちが、わたしの中で「好き」をかたちづくっている源泉なんだと思う。

 

「好き」なんてきっとどうしようもないけど、わたしは自分にとっての「好き」を守り育てる戦いを、これからも気が済むまで続けたい。

 

 

風邪で具合が悪くて早く寝ようと思いながら、初めてスマホから書いてみた。なんできゅうにこんな文章を書いたのか、自分でもよくわからない。熱はないので熱にはうかされていないです。

わたしはいったいなにと戦ってるんだろう…(答え:己)みたいなテンションで今日も推しが好きだ!と思いました。

推しが売れるとき、何が起こるか ―きっと訪れるファンの「構成変化」について

ここのところ、「推しが売れる」ことについて、定期的に考えている。ほぼ毎日のように考えている、と言ってもいいかもしれない。

というのも、この一年、わたしは自分が応援している人の活躍の場がどんどん広がっているのを、目の当たりにしているのだ。

一番大きい変化はやはり、映像のお仕事がぐんと増えたことだと思う。
結果として、推しがテレビに出ているのを見ても、全然驚かなくなった。出演情報を「すごいなぁ」と思いながらも、ごく当たり前のように受け入れるようになった。
変化って急に起こるときもあれば、少しずつ外堀を埋められるように環境が動いていくこともあるんだろうな、そして今はきっと後者なんだろう…と思いながら、ぼんやりと時の流れを見守っている。
今から一年後は、いったい何がどうなっているのだろう。


推しが売れるとき、応援しているこちら側から見た<推しを取り巻く環境>は間違いなく大きく変わると思うんだけれど、
最近ふと気になったのが、売れたときの「本人からみたこちら側=ファン」の変化についてだった。

以降はわたしの超勝手な、オチなどないひとりごとである。




◆ファンという集団が、推しから信頼をもらえることのありがたさ

のっけからおたくのうわ言で申し訳ないが、わたしが推しているところの黒羽麻璃央くんは、とてもファンを信頼してくれる人である。少なくとも、わたしはそう思っている。
年に数回開催されるファンイベントで、その様子はとても顕著に現れる。

まりおくんの個人イベントのキャパは最大で700人ちょっと。小さいと300人台。
その数百人規模のかたまりの我々「ファン」に対して、まりおくんはいつも、とてもあたたかい感情、言うなれば「信頼」を寄せてくれているな、と感じさせる態度で接してくれる。
特定の、個別のファンを特別扱いする、ということは一切ない。そうではなくて、1対nの関係としての、対集団としての「信頼」なのだ。そこがミソ。ファンという<集団>に対する確固たる信頼があることが、言葉の端々や立ち居振る舞いのあらゆる部分から、なんともいえず、ものすごく感じられるのである。(具体的なエピソードはたくさんあるんだけれど長くなりすぎるので割愛する。*1
個人イベントでまとっているその空気感は、まりおくんがどこかよその現場にゲストの1人として登壇している時と、明らかに違う。


そんな個人イベントのときにまりおくん本人から溢れてくるのは、言うなれば「だって、今日ここに来てくれている皆さんは、俺のことを好きなんでしょう?だから来てくれたんでしょう?」といった、全力のありがとうムードである。
そこに疑いをさしはさむ余地なし、といった風なのだ。
その様子は、心のバリアゼロって感じである。ある意味、無防備とも言えるくらい。
あたかも、ごろん!と目の前に寝っ転がって撫でられるのを待っているねこ、みたいな具合なんである。推しをねこに例えるんか?という気もするけど、心象風景としてはこれがぴったりくる。


どうしてそんなことが可能なんだろう…と複数回イベントに参加する中で考え続け、わたしがたどり着いた結論は、まりおくん自身が「自分はファンから好かれている、もっといえば愛されている」ことを、当たり前の事実として信じてくれているからではないか、というものだった。
…誰かを応援していて、こんなにありがたいことが他にあろうか。ないよ。絶対にないよ!

「そう!よくわかってるね!ここにいる全員、君のことが大好きなんだぜ!」と大声でレスポンスしたくなるほど、ファンに寄せられるその信頼の純度は高くて、その様子だけでなんかもう、泣きそうになる。

だって、繰り返しになるけど、こんなにありがたいことってないと思う。人前に立つ仕事を選んだ人が、自分がファンに好かれているとごく自然に思えるって、ものすごく健全なことじゃないだろうか。わたしは応援している人には、できる限りそうあってほしい。
推しが推し自身を好きでいてくれるかどうかって、ファンの精神衛生を大きく左右する事項だとも思う。
たとえこちら側が「ファンはみんな君のことが好きだよ!好かれて当然の存在だよ!自信持って!」っていくら願ったとして、結局は全部本人の心が決めることで、こちらからどうこうできることじゃない。
だからそんなふうにファンに対して「ここにいるみんな、俺のことをすきなひとたち!」って言ってくれてるようなまりおくんの様子を見てると、わたしはなんともいえない、満たされたような気持ちになるのだ。


そんな具合だから、まりおくんのイベントはいつだってものすごく嬉しいし、楽しい。幸福感がはんぱない。間違いなくみんなに好かれている推しが、自分が好かれていることを体感して嬉しそうにしてくれているのだから、楽しくないはずがないのだ。
こっちが勝手に好きでいることを喜んでもらえることのありがたさというか…応援しててよいんだな、喜んでくれてありがとう、と思えるようなかけがえのない時間。
いつ出かけてもこの雰囲気は変わらない。だから「は~ほんとに応援しててよかったな!」という弾けんばかりのウルトラハッピーオタクになって、わたしはいつもイベントからの帰途につく。

◆「ファン」の構成要素が変わる時

…でも今後、仮に。
まりおくんがものすごく売れる日が来るとして、それがじわじわとでも、いきなりでも、どんな形なのかはわからないけどとにかく今の比じゃないくらいに売れて世間に知られて、こういう上記のような規模の個人イベント開催が難しくなる時が来るとしたら。
ツイッターやインスタのフォロワー数が、今とは比べ物にならないくらい増えて、いいねもコメント数も爆発的に伸びて、本人ですら把握しようもないような数になったとしたら。


その時は、まりおくんにとっての「ファン」の様子も、きっと大きく変わるんじゃないかな、と思ったのだ。
変わって見えるのはこちら側から見た本人だけじゃないはず。
向こう側から見たファンだって、きっと同じように変化することになるのだ。
少なくとも、お互いに顔の見えるような距離で、向こう側からファンを把握することは、きっとすごく難しくなることだろう。


その時、ごく当たり前のように「俺のことをすきなひとたち」と思ってもらえていたわたしたちファンの構成要素は、内訳がきっと大きく変わる。
今までなんとなく前提として共有してきた歴史のようなもの、文脈みたいなものを持たないけれど、まりおくんのことを新しく知って好きだと述べる人は、きっとたくさんたくさん、増えていることだろう。
ファンの母数が増えていけば、それはきっと当然の帰結だ。


そして、そうやっていつしか内訳の変わった「ファン」に相対したとき。
思わぬ瞬間に「あ、そうか、もう前とは違うんだ」って、心がひやりとしたり、もしかしたら少し傷つくような瞬間が、推し本人に訪れてしまうのではないだろうか。
最近になってふと、そんなことを考えるようになった。

IfにIfを重ねた話であって、正直なんの意味もないんだけど、仮にそういう事態が起きたら…と考えると、どうしたってわたしは勝手につらい気持ちになってしまう。
ファンというかたまりに圧倒的な信頼を寄せてくれるまりおくんだからこそ、本質的に傷ついたり、ショックを受けたりすることになってしまうんじゃないか…そんな風に思えるから。


売れるって多分、そういうある種非情な仕打ちをする側面もあると思う。
規模が拡大するならば、それは絶対に避けて通れない未来。


いつかそんな日が来た時に、こちら側からできることなんてやっぱりなにもないんだけれど、
だけどせめて「かつて同じ場にいて、信頼感が通じあってた時間を間違いなく過ごしたよね!」っていう記憶を持ち合わせる「ファン」のひとりとして、ただその場に居続けられたらいいなぁ、と思った。
たとえどんなに売れたとしても、推しが芸能界の荒波のど真ん中の波の先端(どこだよ)に放り出されたような時でも、ファンとしてただ、応援する者として、そこにいられたらな、と思ったのだった。
極めつけにわけのわからないことを言うと、多分それは「ひとりにしないよ!」という感覚に近い。
いろんなことが変わったかもしれないけど、前から変わらずに大好きで君のことを見てるよ!って、その時に言うことができたら、それが一番いいなと思った。
そんなことを思ったって、本人に伝える手段は、たぶんどこにもないかもしれないけど。



売れて人気が出るにつれて起こる環境変化は避けられないし、かつ当たり前のこと。そこに抗うことは本質じゃない。
だから、推しにとってのファン=「俺のことをすきなひとたち」の定義だって、いつかきっと、どうしたって変わっていくんだろう。


でもだからこそ、応援しているかぎり、この人のことが好きだなと思う限り、ファンとして「今ここにいる」ってことを、わたしは何度だって選び続けていたいな、と思う。

【メモ】2019年10月:推しのお仕事情報(の一部)

このエントリーは
  • 現場以外の情報を取りこぼしてしまう自分のための推しのお仕事備忘エントリーです!なので現場は割愛しているよ。(自分が行く行かないによらず)
  • なにかに出会ったら随時更新スタイル。10月もひろっていくぞー。
    • 自分のためのメモなので正しさは保証しないよ!
▼映像など
日テレ系「ヒルナンデス!」
  • 9/30(月)の出演なんだけどたぶん来週?VTRパートの続き放送されるっぽいので10月にいれました
  • なんと東京ディズニーリゾートにロケに行ってたよ~!アラジンの仮装しててめっかわでした
  • 修学旅行以来、15年ぶりのディズニーだそうで「意外とそういう人けっこういるんだな!」って思った
    • わたしは人生で一度しかディズニーに行ったことがなく…(しかも5歳のころ)
    • まりおくんUSJは行ってたけどディズニーは行ってなかったのね。若手俳優なのに!(なのに?)
    • テニミュの頃にもなかったん!?って思ってめっちゃびっくりしました。若手俳優といえば休演日にディズニーだろう!(※そんなことはないです。)
  • 一緒にロケに行ってたにこるんが月曜レギュラーなので、続きもまた月曜で10/7放送なのかな?と思っております。…違ったりして?笑
  • まりおくんが「塔の上のラプンツェル」が大好きだということを知りました、と思ったけど前にどこかで聞いた記憶あるような…!?ランタン飛ばしたい!って言ってたことあったよね。台湾のお茶イベントの時だったっけ…!?
    • どうりでラプンツェルのポップコーンケースのクイズに正解するわけだ!(「このケースにはラプンツェルにちなんだ特殊なしかけがあります!なんでしょう?」って聞かれて「…光る!」ってほぼ即答して正解してた)
「寝ないの?小山内三兄弟」 火曜深夜24:59スタート
  • www.ntv.co.jp
  • まさかの地上波進出~!(関東ローカルだそうです)
  • いや普通にびっくりした~。おめでとう~!
  • 初回は10/15(火)だそうです!あの新しいパジャマはそういうことだったのか…ってなった。水玉もお似合いです。おかわいらしいです。
ドラマWトップリーグ
  • www.wowow.co.jp
  • 上京以来、なぜか住む家住む家、つねにBSが映らない生活…(わざわざつけない限りアンテナがない集合住宅にしか住んだことがない。why…?)
  • 「でも来月引っ越すもんね!BS映るようになるもんね!そしたらwowow契約するもんね!」って思ってたら、放送全6回って書いてあるので間に合いませんでしたね
  • パラボラアンテナを持たない俺は弱い
  • なので見るまで時差がね…あるけど絶対に見るからァ~~~~お写真かっこよかったです…めっちゃおもしろそう、期待しているのである!
  • お仕事としてものすごくよい経験になっていそうな予感がします
ラジオNIKKEI第1「ラジオiNEWS」
  • radiko.jp
  • 放送日:10/1(火)
  • 「ハッそういえばラジオ出るって言ってた!」って今日まりおくんのツイート見て思い出しました
  • radikoで帰宅後聞いたけどめっちゃ楽しかった…ジングルとかいちいちかわいい…
  • ラジオっていいですよね、声が好きなので…至福です
  • 初めて聞く話たくさんあったのでまりおくんファンの人ぜったい聞いたほうがいいです~!
  • タイムフリーは確か放送から1週間以内のはず
  • ただそれとは別にyoutubeチャンネルがあるのでそちらでなんとでもなりそうです。
  • 「打ち合わせも含めた動画があがるので是非チャンネル登録してください!」ってことだったので、後で今回の放送分もあがるのかなと思われました(さっき確認したらまだないみたいだったのでおいおいかな?と思った)
  • www.youtube.com
  • というか前回ゲストの大貫さんの回あとで見ようと思いました
    • ルパンの娘見ときゃよかったな、多分好きなタイプのドラマだった
    • 「ロミジュリの時、じつはいちばん一緒にご飯に行ったの大貫さんかも!」って言ってたので「へええー!」だった、冒頭の大貫さんのメッセージも嬉しかったな~!まりお~!って呼ばれてた
    • わ~~大貫さーん!って思ったんだけど、声が新鮮で…(なんせ、「死」にはセリフありませんからね…笑)
  • ちなみに次回ゲストとして紹介されたのがわごちゃん(和合真一くん)だったのでめっちゃ笑いました、どんな奇跡のリレーやねん!
    • わごちゃんへのまりおくんからのメッセージも聞きたいから来週覚えてたらチェックしよ!
▼雑誌・書籍など
★サクセス荘 公式ファンBOOK ←予約した


雑誌、なにかありますかね?今月把握してるやつがまだないので、ぼちぼち検索はじめようと思いました。

▼その他、ちょっと話が逸れるけど
  • 推しの事務所、会社名変わっとるーー!!?
  • trustar.co.jp
  • まりおくんのツイッターID、きのうまでvithmic_marioだったのがいきなりm_kurobaになったので「とつぜん何事じゃい!!?」と思ったら会社名が変わっていて、おたくはひっくり返った
    • というかIDにまりお要素入れんでよかったん?ってそこにもびっくりした。marioだとそれこそ海外でも相当使われてるから紛らわしいやめよう、ってなったとか…?(それか単に取りづらかったか。そう考えると黒羽ってすごい姓だなぁ。)
  • 日付変わったタイミングまではまだvithmicのサイト見れてたんですけど、今検索してアクセスするともうリダイレクトかかってるぽい…?
    • というか、会社概要に社名変更載せないのなんでなん…?とかついいろいろ考えてしまう社会人 えっだって社名変更って相当でかい話では?(そもそも「沿革」欄がないっぽかった)
  • でも会社全体の話なのでまだよかった(?)。よくわかんないけど…。笑
  • とりあえずびっくりしたよ!っていうお話でした。



こうしてまとめるとまりおくん、無料でアクセスできるコンテンツ増えてるな~という印象があります。
なんというかやっぱり芸能活動のフェーズが変わってきてるんだなぁ~…。
次にどんな舞台に出てくれるのか、まじでめちゃくちゃたのしみにしてる!

(今月はいくつか現場あるんだけれど、わたしは全部おやすみするので、まりおくん関連はノー現場月!その代わりといってはなんだが、行き先はわかるな…そう、TDCだ…)

体の具合の不調について、安易に「原因」を求めるべきではない理由(刀ミュ・葵咲本紀の公演中止に関連して)

現在公演中の、ミュージカル『刀剣乱舞』葵咲本紀の神戸公演が、9月21日~9月23日の3日間、計5公演にわたり中止となることが、昨日9月21日に発表された。
musical-toukenranbu.jp
この件について、わざわざ書くべきかどうかはわからないけど、どうしても気にかかって無視できないことがあったので書いておく。




◆神戸遠征の予定が、突然無くなった

私が公演中止を知ったのは公式での発表直後。昨日は朝から病院に出かけていて、薬局で調剤を待っているところだった。
「ねえ…」で始まる深刻極まりないトーンのメッセージが友人SちゃんからLINEに入り、なんだ?と思って開くと、そこには予想だにしない衝撃的な発表が待っていた。


私とSちゃんは、お互いを「マブ」と呼び習わす長年の友人である。刀ミュについて同時に足を踏み外して沼落ちした得難い存在で、そんな私たちは二人そろって、9月22日~9月23日の計3公演、神戸に遠征の予定だったのだ。

推しが出演していないゆえに、葵咲本紀には「呼び出されていない」立場のつもりだったわたしは、反対に推しが出ていて通うしか無い立場の彼女をそっと見守り、時に介護するくらいの感覚で作品に向き合うつもりだった。それなのに、東京公演にて鶴丸国永さんに足元をすくわれ、あっという間に「刀ミュ見たいおばけ」に成り果ててしまった。
東京公演期間からすでに刀ミュが見たすぎて苦しんでいた私を見かねて、もともと神戸に遠征予定のあるSちゃんが、たまたま重複していたチケットを譲ってくれることになった。その後、自力で当日引換券を買い足して、二人そろって3公演が見られる運びにまでどうにか整えたのが、約2週間まえの出来事。
ホテルもシングルではなくてツインを取り直し、新幹線は「せーの!」のタイミングで往路復路にEX予約を並び席で入れて、楽しみだねぇ、と二人で毎日言い続けていた。
東京のあと、すでに大阪、神戸を観劇しているSちゃんから、みんな進化してるよ!と聞かされていたから、とにかく期待値が高くてわくわくして、この連休を待っていた。


だから、公演中止には本当にびっくりした。
でも、その中止の理由が、演者さんの急病であると知った瞬間、すうっと体中の血の気が引くような思いになった。
だって、私たちが忘れたはずがない。去年の夏のあの出来事を。
anagmaram.hatenablog.com
関わる全員がどんなに気を配っていても、心を砕いても、どうしようもない事態はいつだって起こりうる。
生身の人間が演じるからこそ受け取れる舞台芸術のキラキラは、ふとした瞬間にあっけなくその場から消え去る。舞台とは本来、それくらいに儚いもの。当たり前に見られると思っていいものではなくって、いろんな努力と奇跡が注意深く積み重ねられた結果、私たち観客はその作品に、客席で出会うことができている。
そのことを、私たちは去年の夏、痛いほどに身を持って体験した。


だから、自分が見れなくなることのショックは驚くほどに湧いてこなかった。仕方ない、とすっぱり割り切る人格が自分の中に一瞬で立ち現れてきて、そこからさくさくと新幹線とホテルのキャンセルをした。

たぶん去年の夏に、あまりにも訓練されすぎたのだとは思う。
本来出会えるはずだった形では、阿津賀志巴里を見ることがついに最後まで叶わなかったあの夏。
でも板の上に集ってくださった全員が、その場には立てないけれど思いを注いでくださった人が、どれほどの覚悟をもって、あの時間を必死に届け続けてくれたか。


あの奇跡を目の当たりにしすぎたから、今回の件に触れても自分自身のことはすぐにどうでもよくなってしまった、というのは、別に一般化されうることじゃなく、あくまでも個人的な事情によるもの。公演中止自体は、仮にチケットを持っている人ならば、残念で諦めきれない気持ちになって当然のことだと思う。
でも今回の件についても、界隈は全般的に、驚くほど冷静だった。やはり阿津賀志巴里のことが念頭にある人が相当に多かったのだろう。その落ち着いた空気に、正直救われたような気持ちになった。


…なんだけど、どうしても、どうしても。私には、気にかかることがひとつだけあって。

◆病気には、明確な「理由」や「原因」があるわけではない

今回の公演中止は、役者の体調事由によるものだ。ソワレを終えたあとの深夜に、緊急手術が要されるような急病である。
公式からの詳しい病名発表はなかったけれど、たまたま、肉親で芸能活動をされている方が(今回のキャストのご兄弟ではなくまた別の方)、お母様から直接聞いた話として病状をツイートされていたから、おおよその状況を知った人も、けっこうな数にのぼったのだと思う。私もTLで偶然目にしてしまった。(その後該当ツイートは、消しておきますねとお断りの上で削除されていた。)

おそらくはその病状から想起されてしまったのだと思うのだけど、ツイッターを見ていると最初は「残念だけど仕方ないし、心配、とにかく良くなってくださいね、代役の方も頑張って」というトーンのつぶやきが大半だったのが、途中から「公演体制に問題があるのではないか」という雰囲気の内容が徐々に増えていく様子が見受けられた。
ごく当たり前の事のように、刀ミュの体制には改善すべき部分がある、これからいい方向に変わっていったらいいよね、みたいな論調が、なぜだかツイッター上にはどんどんと増えていった。


わたしにはこのことが、ものすごく気にかかった。


なんでかというと、人が病気になる原因って、そんなに単純な因果関係が結べるものであるはずがないからだ。
どうして病気になったのか、その理由がどこかに明確に求められると思っている人が、明らかに多すぎないか?というところ、見ていて正直ちょっとくらくらした。


人間の体って、そんなにシンプルにできていない。
寝不足だったら眠くなるし、お腹が空きすぎたら頭痛がしたりする。そういうわかりやすい因果関係がある部分は当然あるけど、「これこれこういう理由で病気になった」って、説明なんてできないケースが、どう考えても大半に決まっている。

あなたは公演ですごく無理をしたから、負担がかかったから、病気になったんですね。かわいそう。
だからそういうことがもう起きないように、公演側の体制を「改善」してもらうべきですよね。

っていう論調が、あまりにも目についた。
「改善」とは何ですか?と思った。何を持って、運営側に「改善すべき点がある」と堂々と言い切れるのか、わたしには全然わからなかった。


ふだんどれほど健康な人だって、それこそ事故にあうように突然、何かの病気を発病することなんていくらでもあるんだよ。
その罹患の理由が仮に明確にわかったとしても、体の事情はそもそも、ものすごくデリケートで、個人的なものでしかない。
それを勝手に理由づけて「公演の環境に問題があったにちがいない」と当たり前のように語るのは、そもそもだけど、体調を崩されたご本人に対して、ものすごく失礼なことだ。
あなたが病気になったのは~だからです、って、詳しい事情をなにも知らない人にいきなり外から決めつけられたい人なんて、いると思う?いるはずがなくないか?


そして、考えてみてほしい。
公演されるはずだった演目が中止にならざるを得ない。自身がその原因となってしまったということだけで、今どれほどの心労がご本人にふりかかっているのか。
舞台界隈で誰もが知る超人気演目に、3連休にまるごとぽっかりと穴が開いてしまったのだ。気にするなという方が無理に決まっているだろう。その心情、私などには到底計り知れない。
それなのに。その上さらに、自分のせいで「この作品の運営体制には問題がある、改善されないといけないものだ」っていう空気が仮に出来上がってしまったとしたら、それがどれだけ負担になりえるか。
すこし考えてみたら、わかるような気がしないだろうか。

◆刀ミュの現場は「改善」されるべきものなのか?

確かに刀ミュの現場は、2.5次元の中でも類を見ないほどにハードだと言われている。
それは出演したキャストが口々に、こんなに大変な現場は他にない、これを経験したらまだまだいけるって気持ちになる、といったようなことを語ってきていることからも、おそらく事実なのだろうと思う。
実際に上演される演目を見ていても、いったいどれだけの稽古を積めば、己に負荷をかければ、これほどの表現ができてしまうのかと恐れおののくようなクオリティの高さだ。
その前提があるから、「役者にとってものすごくハードだった→ストレスがかかった→無理をさせたに違いない→改善すべきだ」っていう論調になっているのだと思うんだけど、そうやって無邪気に”善意”からの発言をふりまく前に、本当に一度、よく考えて立ち止まってみてほしいと思った。


正直なところ、あけすけな物言いをすれば、公演がたとえ中止になっても役者のことを責めない自分は偉い、と無意識に思っている人も多いだろう。
役者に対する罵詈雑言は少なくとも私は観測範囲内では目にしていない。(見ないようにしているというのもあるから、ものすごく狭い範囲だけれど)

でもそうして役者を責めない代わりに、他に原因があるとはなから決めつけて、それを全て公演の体制側にあると結論づけるのはおかしいし、あまりに短絡的な思考だと思う。

体調に関しては、そんなに単純な因果関係を見いだせるものでは本来ないこと、体の具合が悪いという事実はそれだけで、本人にとってものすごくしんどい状況なんだということを、もう少し理解して、慮ってくれる人が増えたらいいなと思った。

大きく体調を崩したことがない人にはピンとこない話かもしれないが、思っている以上に、日々の健康とは脆いものだ。
まさか自分が、と思うような状況は誰にだって起こり得る。

仮に自分が、なにか大きな急病になったそのときに「かわいそうに。仕事がんばりすぎたから、病気になっちゃったんだよ」って、果たしてよく知らない人から、周りから、好き勝手に言われたいだろうか。


私は刀ミュの制作布陣を信頼している。
盲信してると思う人もいるだろうし別にそう思われても構わないんだけど、今の刀ミュが一朝一夕でこの姿にたどり着いたわけじゃないこと、トライアル公演から見ているからどうしたって伝わってきてしまうのだ。事実として。
どんなに困難な状況でも、まずは真っ先に役者を大切に思い、そこからお客さんを満足させるためにどうしたらいいか、それを必死で紡ぎ出そうとしたカンパニーの姿を、去年わたしたちは見せてもらったはずじゃなかったか。
まだ見たことがない人は、興味があったらシブヤノオトの密着ドキュメンタリーを見てほしい。円盤になってるから。
それを見てもなお、役者の体調不良の責任を制作側に求めることができる?体制に問題がある、改善してくださいって、言うことができる?
anagmaram.hatenablog.com


公演中止は、もちろん無いほうが良い。みんなが揃って健康に公演を走り抜けられることが一番に決まっている。
でも、起きてしまったことは変えられない。
ここから、「全体」にとっての最善の手をどう打つか、こちらからは伺いしれないほどに真摯に追求し続けてくれるのが、刀ミュだと私は思っている。



要さんのファンの方、今ものすごく心配だと思います。想像するととてもつらい。推しがいる立場として、心の中で勝手に寄り添います。

二葉要さんの一日も早いご回復と、無理のない復帰、
そして代役の方を迎えてのこれからの葵咲本紀公演の成功を、心から、お祈り申し上げます。


私は、ミュージカル『刀剣乱舞』が好きです。

いつか変わりゆく世界と自己と― 映画「いなくなれ、群青」感想

「この物語はどうしようもなく、彼女に出会った時から始まる。」
inakunare-gunjo.com

今をときめく(ってまさに使うべき人すぎる)横浜流星くん・飯豊まりえさん主演の映画、「いなくなれ、群青」を見てきました。なぜなら応援している黒羽麻璃央くんが、流星くん演じる主人公・七草の友人役として出演されているからです~!(嬉)

原作がベストセラー/青春ファンタジー小説…とのことなのですが未読、なので基本的には予告編の情報だけで見に行ってきたのですが、予想以上に受け取るものが大きかった映画でした。
ストーリーの根幹に触れるネタバレはなしで、感想を書いてみようと思います。




◆圧倒的な映像美

これは9月7日のトーク付き上映*1でまりおくんが言ってた言葉そのままなんですけど、本当に、驚くほどに映像が美しくて。
小手先だけで撮ろうとしても絶対に無理で、自然の光を生かして、時間をかけて作らないと、あんな風な映像には絶対にならない、って思う。
冒頭に貼った作品Webサイトからも再生できますが、その美しさが味わえる予告編はこちら。
youtu.be


全編、単純にキラキラしているのとは違う、独特に青みがかった、なんともいえない透明感に満ちていて。
生い茂る草の濃いみどり、荒々しさを持って打ち寄せる灰色の波。
雲間から透けるように差し込む光。水たまりに打ち付けられて弾ける雨粒。
自然そのものが持つ色合いが、贅沢なほどに画面を彩っていて、なによりその中に佇む高校生たちの瑞々しさが、ぐっと引き立つようでした。

綺麗・美しいと評される映像って、いろいろあると思うのです。
その中において、群青の映像の美しさ、なんだか個人的にはいわゆる”既視感”があまりなかったように思えて。どこに置いたらいいのか、判別のつかない美しさ、だった。
はいはいこういう感じね、なるほど…って、なりそうでならない。

退廃的なわけでもなく、過剰に美化しているわけでもなく。
だけどものすごいこだわりが詰まっていることが、画面からひしひしと伝わってくるんですよね。
「この世界を絶対にこう撮りたい」っていう、どこか鬼気迫るほどの情熱があることを感じました。
常に共通した色使いに貫かれていて、どの場面を切り取って取り出しても、世界観が崩れることがない。
どこか頑固なまでに、映像美としてひとつの世界観が維持されているそのことが、リアリティのラインが難しい、ファンタジー要素の強い物語を成り立たたせるなによりの力になっていると思いました。
あの色合いの中にもう一度、身を浸しに行きたくなる。

◆「青春の残酷さ」

物語の舞台は「階段島」という、そこへたどり着くまでの記憶を無くした人たちが集まる不思議な島。
階段島は、”魔女”に管理されている。でも、その魔女の正体を知る人はいない。
外界へ連絡を取る手段はなく、島の人々が元の世界に帰るためには、それぞれが「無くしたもの」を見つけなければならない。
そんな謎に包まれた島に暮らす高校生たちが、この物語の主人公。
彼らは寮に住まい、ごく普通に学校に通いながら、平穏な日々を過ごしている。


さっきも使った言葉ですが、設定として「リアリティのラインはとても難しい」と感じます。外の世界に連絡が取れない・元の世界の記憶がないことって、そんなに簡単に受け入れて生活できるものなの?っていう疑問は、正直なところ、どうしても拭えないまま残りはする。
だけどそこへの引っかかりで一切世界を受け入れられない、というわけでもなくて。(もちろん、脚本の整合性にゴリゴリに意識を砕くなら、頷けないポイントはあることは否定しないけれど。)
その難しさの上で、この映画がちゃんと作品として成り立っているのは、その中に生きる高校生たちの心情を真ん中に据えて、心の動きをとにかく丁寧に追っているからだと感じました。


群青の映画で描かれているのは、10代独特の、世界と自己への「認識」についての、ひりつくような痛みと苦しみだったように思います。こう書くと、なんだかただ痛々しいだけの話みたいに聞こえてしまうんだけど、そういうことじゃないんだよな…表現が難しいな。。

大人ではないけれど、子供でもない。万能感があるようで、同時に無力感もある。
「自分たちは管理されているのだ」と言われたら、先に「そういうものか」と諦めが生じるような。
自分の力でどこまで抗えるのか、どこまでなら・何なら突破できるのか、わかりそうでわからない。
その絶妙なラインに立つ、10代の高校生が主役の物語だから、階段島の不思議な設定がギリギリのところで生きたものとして存在できたのかな、という気がします。

七草と真辺、それぞれの選択の背景にあるものが「青春の残酷さ」だったわけだけど(具体的にどう、という話をするとネタバレになるので言えない)、
あそこまで純粋に、刃物のようでさえある真っ直ぐさで、目の前の相手に向き合おうとする姿勢は、10代の限られた数年間だけが持てる、ある種の特権とも呼べるものだと思う。

わたしはもうそこをとうの昔に通り過ぎた人間だから、そんな風に遠くを目を細めて振り返るような感想になるんですが、劇中の七草や真辺と同じ年齢でこの作品を見たら、どんな感情になるんだろう、と思いました。もうわたしには、二度とわからない感覚。

◆役者の瑞々しさ

主役の2人と、彼らを取り巻く高校の生徒としてメインで登場する5名、計7名の高校生役キャストがいるのですが、全員本当に、良い。。素晴らしかったです。

流星くんの七草は、演じる上で「感情を押し込めて、常に内圧をかけて演じてほしいというオーダーをした」ということが監督の発言としてパンフレットに書いてあったのですが、納得。内面を大きく吐露することをしないから、本心では何を考えているかわからない七草。その表情の繊細さが見事でした。
ともすればつまらない絵になってしまいそうなのに、とことん目つきおよび全身の佇まいで語れる役者だなと。
なんというか、とくに目元に「憂い」がものすごくあると思うんですよね。透明感があるのに、同時に陰の部分も感じさせるお顔をしてる。
あとモノローグが素晴らしいです!抑えているのに、どこかにしっかりと感情が滲む声の出し方。
というか、流星くん、いつの間にかめちゃくちゃに売れっ子に…すごい…。世の中の流れをいまいち把握していないので、今の状況に正直びっくりしている。*2
インスタフォロワー数が180万人と知ってひっくり返りました。すごい…(それしか言えなくなってる)


飯豊まりえちゃん演じる真辺がまとう「正しさ」や「真っ直ぐさ」、そのありのままの姿がときに誰かを傷つけることもある、というのが、目を背けたくなるほどに痛かった。
凛として、目の前のことに妥協せずにぶつかっていく彼女は、波紋を広げ、周りの人を強く揺さぶる。
ある意味では不協和音を生じさせる役割を担うわけだけど、描き方は難しいキャラクターでもあると思うんですよね。行き過ぎると多分、単なる嫌な奴になってしまうけど、そうならずに踏みとどまっていて、バランスがすごく良かった。
まりえちゃんの真辺、すごく「生」や「動」を感じさせる姿で、命そのものみたいな輝きを放っていた。
あとセーラー服が似合いすぎる。すらりと伸びた脚のまっすぐさが羨ましい!高校生のころああいう脚になりたくて仕方なかったことを思い出しました。


松岡広大くんの佐々岡もすごく良かったんだよ~!そうなんだよ、広大くん、お芝居うまいんだよ…ってなりながら見てた。
パンフレットには、広大くんは佐々岡をオーディションで勝ち取ったと書いてありました。いや、本当にぴったりの役だと思う!
やっぱり舞台で鍛えているから発声がものすごく聞き取りやすいんだよね。
がむしゃらで、ヒーローめいた行動に憧れて突っ走っていく佐々岡の憎めなさ、すごく魅力的に演じられていました。


そしてまりおくんのナド。
出てくるのは基本的に屋上のシーンだけ、彼が声を交わすのは七草とのみ。
まりおくん自身が「ナドは本当に実在してるのかもわからないと思いながら演じてた」「つかめない人物なので、演じる上で無理につかもうとするのはやめた」と言ってたんですけど、その言葉の意味がすごくよくわかるな、と見ていて感じました。
本当にそこまで自然に在れるのか…と思ってしまうくらい、すっとその場に溶け込むように、景色の一部みたいに存在していて、見事だった。す、好き…!(とつぜん抑えられなくなる推しへの感情)(抑えて)

窓枠から飛び出すあのシーンに「ウワァ」と心臓を撃ち抜かれていたんですが、もともとあれは台本にはなく、窓枠にもたれて待機するまりおくんの美しさに驚いた監督が「そのままそこから出てきてもらえますか?」で実現した、と昨日のトークで聞くことができてめっちゃ興奮しました。待機してるだけで絵になってしまうまりおくんの美しさ~!ってなってしまう…。笑
あと、エンドロールでいわゆる「止め」の位置にお名前が出てくること、すごく嬉しかったです。



ネタバレにつながることは言わないようにしたので、なんだかふわっとした感想に終始してしまったし、原作を好きな人から見ると的はずれなことも言ってるかもしれないですが!

「いわゆるラノベ原作なんでしょ、じゃあ自分にはあんまり関係ないかな」で片付けてしまうこともできるのかもしれないけど、この映画を見て、あ~そういうことじゃないな、と思った。そうやって関わる前に判断して切り捨てていくことで失われる体験って、きっと本当に大きい。


自分らしく在りながら、一方で相手を尊重し続けることの難しさは、大人になっても永遠に続く。
あの閉じ込められた階段島の世界の中で、その難しさに向き合い続ける7人は、どうしたって美しかった。

七草と真辺の間にあるのは恋愛感情じゃなくて、まだ名前のついてない、ものすごく純度の高い、相手を大事に思う気持ちだったなぁと思います。


世界も自分も隣の誰かも、いつかきっと変わっていく。
だから今、向き合うことを選びたい。
そんな祈りのようななにかを、受け取った気がする映画でした。

*1:これに行ってました。 https://inakunare-gunjo.tumblr.com/post/187551965866/%E5%85%AC%E9%96%8B%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%B8%8B%E8%B0%B7humax%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%EF%BC%93days%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%88

*2:流星くんのことは2014年のトッキュウジャーを見ていたのでそれをきっかけに知ったはず。翌年に舞台「もののふ白き虎」で安西慎太郎くんとのW主演をされてて、見に行ったなぁ。当時から美しかったです。