こたえなんていらないさ

主に刀ミュ(ミュージカル『刀剣乱舞』)を愛しながら、舞台まわりをぐるぐるしている人

推しに対して「なにかできると思わなくていいし、実際なにもできないけど、でも”なにもできない”ってことはない」という話

…なんだこの唐突なうえにまわりくどいタイトルは!

これは「応援している対象に対して、いちファンの立場から、わたし個人がしょっちゅう感じてしまうこと」について言語化したものです。誰かを応援する上での一種のスタンスとも呼べるかもしれないです。
同じ内容をツイッターでも繰り返してつぶやいてるんですけど、なんでそういう結論に達してるのか、すこしまとまった文章にしてみようと思い立ったのでなんとなく書いています!



応援している相手、説明しやすいので端的に「推し」と呼びますが、推しの人を見ていると本当に「すごいな!!!」と思うことが日々とても多いです。

わたしにとってはそれはまりおくん(俳優の黒羽麻璃央くん*1)なわけなので、以下でまずまりおくんを「すごい」と感じる理由を述べたいと思います!つまり、いきなり推しをめっちゃ褒めます!笑(※こいつ、それがやりたいだけなのでは説)

◆推しは「すごい」

まずまりおくんは、そもそも毎日ほんとうに大量のお仕事をこなしている。めちゃくちゃ働く。いやまじで、びっくりするくらい働くなぁと思う。前に比べたら働き詰めの印象が薄れたような気がするのは絶対に気のせいで、見えてないお仕事が増えてるだけだと思っています!ヒー!!!(勝手に忙しさを妄想して勝手に怯えるおたくの図)

どう働いてるかって言うと、舞台に出演し、雑誌やWeb媒体やいろんなメディアの取材をうけ、さらにテレビその他映像のお仕事のロケにいったり収録にいったりしている。他にもイベントにゲスト出演したり、もちろん目に見えないところで次のお仕事の準備をしていたりも沢山していることと思われます。
仕事量が多い上にそれが多様なジャンルに渡っているという点、意識の切り替えも必要だろうし求められるスキルだって当然違うわけで、物理的にもメンタル面でも、まじで忙しいだろうなぁと思いながら見ています。
だけど、それをこちらに見える範囲では「やりきっている」ところが本当にすごい。しんどいこともあるに決まってるだろうけど、そういうきつかったことについてを本人が口に出して言うのは、だいぶ時間が経ってからのことが多い気がする。基本的に自分のコントロール内において、折れずに努力を続けようとしている様子がうかがい知れるなぁ、と感じます。そこがまず、あまりにもえらくてすごい…!ってなる。


それだけじゃなく、お仕事に対する姿勢がめちゃくちゃかっこよくてすごい。
わかりやすい例としてWeb上で読めるインタビューをもってきました。
mdpr.jp
タイトルにあるとおりなんだけど、「いばらの道」と捉えた上でそこに向かっていくのがびっくりするくらいかっこいい。舞台も映像もどっちも妥協せずにやることについては、まりおくんは繰り返し色んな場所で明言してるのですが、それが決して楽じゃないことをわかったうえで「でも絶対にやる!」って言い切って、ある意味では退路を絶って臨んでる感じがする。その姿勢というか覚悟の様子があまりにもかっこいいし、若いのに本当にえらいなぁと思う。…すごい!!!ってなります。


そしてそもそも、彼をはたから眺めていると「その身に携えている才能~!!!!魅力~!!!なんかもはや、その全部がすげ~~!!!」…みたいな気持ちにもなります。持って生まれたものの揃い方がやばい。
どこからどう見ても「美しい」としか言えないたいへん整ったお顔立ちに、180センチのすらっと細いスタイル、抜群の運動神経、さらには歌唱力も、メキメキと音がしそうな勢いで伸びていらっしゃる昨今。まじでビビるほど歌の力が、伸びている。
そして大前提として、とてもとても素敵なお芝居をなさる…!あれだけかっこいいと「イケメンだな」って思われて終わってしまう懸念があるというか、むしろ損することもあるのでは!?って思うくらいだなんけど、そこで自身の印象を終わらせないしっかりとした表現を、見る側に届けられる確かな力を持っているし、それもまたぐんぐんと進化している最中で。…はぁ~すごい!!!涙

さらにそこに「気立ての良さ~!素直さ~!人柄~!!!」っていう最大の訴求ポイントもあって、推しのすごさがもう大変!です。「恵まれたものをもっているのみならず、それを持って活躍していけるのは君の気立てが素晴らしいからだよ~!涙」ってなる。(※最大といいつつ、ここについてしゃべるとキリがないので、お人柄については詳細を割愛しました)

◆そのすごさを見ていて感じること、それは

こんな調子で、推しを日々応援していると、ひとりでに「すごい!!!」がどんどんと連なっていってしまうんですね。
そうすると最終的には、なぜだか「何かできることがあればいいのに!!?」みたいな気持ちが、わたしの場合はどうしても湧いてくるんです。推しがすごすぎて。…説明になってねぇな。

ええと、
「こんなに努力を重ねていて頑張っている推しから、楽しい時間その他を、こちらはいろいろともらうばっかりで!?そんなのなんか申し訳なくて、本当にこれでいいのか!?お返しに何かできることがあればいいのに!?」
っていう感じの心情になる、という意味です。


でもね、思うわけです。なにかできることなんて、当たり前のようにあるわけがないんですよ。
だってこちらはただのファンなので。ファンはファンでしかない。ザッツオールです。

というのも、応援する側とされる側は永遠の平行線だし、それでいいんじゃないかな~って思ってるんですよね。なぜなら、お互いが立っている世界線が違うからです。

うーんそうだなぁ、わかりやすく言うと、こちらと向こうとで、人生が交わることは絶対にないじゃないですか。イベントとかでわりと頻繁にお会いできる機会、会話ができる機会こそあれ、それは異なる世界線が出会う特殊なアクセスポイントみたいなものかなと。アクセスポイントが終われば、再びお互いの平行世界にもどっていく。
そういう意味で、応援してる相手に対してファンができることって別に「なにもないよな」と思うわけです。だって違う世界の相手だもん。
なんだけど、あまりに推しがすごいので「なにか後押しさせてくれ!」の気持ちはどうしたって湧いてしまうんですよね。しかし、だからといってこちらからなにかできるって思うのもある意味では過分なふるまいだよね、みたいな気持ちになります。


…だがしかし!
本当にファンはなにもできないのか?っていうと、そんなことはない、とも思います。話がややこしい。

いやできるのかできないのかどっちなんだよ、具体的にはじゃあ何ができるんだよ!?ってことなんですが、まず、「その活躍を見に行きたい」という自分の意思に基づいて買ったチケットで、ひとつ座席が埋まりますよね。一番わかりやすい点でいうと、できることとしてはこれがそもそもあるなと思う。ある意味ファンはそこで役目を終えてるとも言える気がするくらい、その行為には価値があるものだと思います。もらうものに対しての、対価をきちんと払っているという点において。


そして、私は応援される側の立場の経験がないから実際のところはわからないけど、
「自分のことを応援してて、好きで、見たいと思ってくれてる人がいる」
という事実そのものが、応援される側の力にならないわけがない、と思うのでした。

ある意味で「概念」に近いかたちですが、ファンというひとたち(集合体と思ってもらってよいです)に存在意義がないかっていわれると、んなこた~ないだろうな、と素直に思える気がします。というか、そこで「意義などない」って言い張るほうが、よっぽど不自然かなと思うの。笑
だって、彼らは人前に立つ仕事を選んでいるんだもん。
その前提に立った上で、自分を見てくれる人がいることが、嬉しくないはずがないよなぁと。そら、好きになって見てくれる人がおらんより、おったほうがいいに決まっとるやろ!って思うんですよね。
だから、そういう意味ではなにもできないなりに、心の中で握りこぶしをつくっていっしょうけんめい応援することはできるな、そこに意味はあるよな!というふうに思うわけです。


なので、
「推しに対してなにかできると思わなくていいし、実際なにもできないけど、でも”なにもできない”ってことはない」
っていう、タイトルに書いた結論に達するのでした。めちゃくちゃまどろっこしいけど!


確かに、ファンは具体的に助けてあげられるようなことはなにもできない。それが真実なんだろうなと思う。できないけど、でもそこについて過剰に悲観的になるのも違うと思うし、それはある種の不遜な勘違いにもつながりかねない気がする。だけど、応援することならめっちゃできるよね!と思います。

◆大事なのは「自分で選ぶ」ことと、それを「楽しく感じる」ままでいること

ではその<応援>とはなにを指すのか…?って考え出すと、わたしのなかではもはや禅問答みたいな様相を呈し始めてしまい、いったいお前は何がしたいんだ?となってくるので…掘り下げると出口がなくなっていくので、これ以上は紐解きません。笑

たとえば、どこからの何が<応援>に該当するのか?って明確に定義することはできないし、それこそ人によって考え方が違う部分かと思うんですよね。だから自分なりの応援の気持ちでいいんじゃないかなと思うんです。人と比べてどうこう判断するたぐいの内容ではないよね、と。

むしろ大事なのは、

  • その応援のベースには「推しの姿を見たい」という自分の自由意志に基づく選択があり、
  • その選択の結果を「楽しい!」って感じるシンプルな感情があること、

上記2点のような気がします。

応援したいからしてるというより、自分にとっての楽しさが応援につながっている、ということ。見に行かなきゃ、ではなくて、見たいから見に行く、そのことが楽しさを生む、ということ。そこがすごく大事なのかなぁという気持ちでいます。
いやもちろん、見てるうちに応援したさが募る点もめちゃくちゃあるんだけどね!魅力的なものに触れると後押ししたくなるもので。

上に挙げた「自分で選んだこと」が「楽しい」、というポイントがブレないでいられたら、one of themである、ファンという概念のなかのひとりとして、できることもたぶんあるんだろうなぁ、というふうに思っています。少なくとも、わたしにとっては、ですが!
応援すること、すきでいることは義務ではないし、誰かと競うものでもない。ただそこに楽しさだけがあり続けていたらいいなぁ、と思う。



以上、定期的に発作のように訪れる「なにかできることがあればいいのにね!なにもないよね!でも、応援してるよね~!」…という感情について、勢いだけでわーっと書いてみました。

なんでこんな文章をわざわざ書いた?っていう理由はとくにないんですが、、だって~ほんとに応援してて楽しいんだもん!推しがすごくて好きなんだもん!…っていうテンションを叩きつけたかっただけでした!あっ、あと推しの人、まじでかっこいいです!!!(わかったよ)

おしまい