こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

【ネタバレあり】刀ミュ 葵咲本紀 凱旋公演の感想その2(三日月宗近という機能について)

今これを書いているのは10月26日土曜の昼です。葵咲本紀…74公演が、もうあと4公演で終わってしまう。。
明日の夜には長かった公演に幕が下りるのかと思うと、もうすでに気持ちがクライマックスです。
前回のエントリーにも書きましたが、葵咲本紀の物語は本当に多面的で、どこに注目するかで受け取るものが大きく変わると思っています。
今回はわたしが葵咲本紀で一番叫びたいことを書きます。それが何なのか、タイトルにも入れられないんだ…!諸般の事情で情緒がいつも以上にめちゃくちゃな記事、テンションがジェットコースターです。あと連番にしたかったので「凱旋公演の感想」って書いたけどこれとくに凱旋関係ねーや!笑
本当は物語のメインテーマみたいなことを先に書こうとしてたんですが、着手したところ数日かかると判断したので、それは来月に改めて。以下当然ネタバレしているのでお気をつけを。
(※だいぶ後日に追記。公演当時、そのものズバリのタイトル避けていましたがもう1年半経つのでよかろうかと思い、タイトルかえました。※)





…わたしが一番したい話。
そりゃあもう、三日月宗近鶴丸国永の話に決まっている。お覚悟!(※ノーブレーキ宣言)

◆「それで?あいつはおとなしくしてるのか?」

ダメなんだって…今回ほんとダメなんだって…!!!

この鶴丸のセリフの中の、
「それで?あいつはおとなしくしてるのか?」のあいつ=三日月宗近だし、
その後のシーンで夜空に浮かぶ三日月を見上げながら笑って言う時の、
「やっぱり俺を一番退屈させないのは…君だ」の君=三日月宗近、なんですよね…。
お前何回見たんや、って話なんですが…この事実に向き合うと、見れば見るほどダメージが増幅されてしまって無理です!!!

本当に何度でも言う。わたしはつはものの三日月に心臓打ち抜かれたおたくなんだ。あの物語が好きすぎるし、あの中で描かれた三日月に魂持ってかれて帰ってこられなくなったんだ。あそこでまた一回人生が変わったんだ(=まりおくん推しになった発端はつはもの)。
そんなわたしが丸腰で葵咲本紀を見に行って食らったこの爆弾の威力、ちょっと想像してみてほしい。こっちの気持ちにもなってくれよ…!


刀ミュ本丸で、三日月宗近が行っていること。その全貌とも言えそうな内容が、今回葵咲本紀で明らかにされました。
「つはものどもがゆめのあと」で描かれた、衝撃的すぎたあの一連の行為…ひとりで歴史をさかのぼり、その時代に生きている歴史上の人物たちにその先に起こる出来事を教え、どう行動すべきかを伝えることによって、歴史を守ろうとしている試み。
その行為を知っているのは、つはものではおそらく髭切、小狐丸だけなのでは?という描かれ方だったんですが…今回の葵咲本紀で、思いっきりめちゃくちゃに知ってる人が、本丸にもう一振りいたことが判明してしまいました。その刀こそが、鶴丸国永…!


なんというかこの点、わたしにはほんとうに、納得感しかなかったんですよ。
というのも、始祖を同じくする三条の面々じゃたぶん、三日月にとっては親しすぎる存在なんですよね。
三日月本人も近すぎて心を語ることはできないし、三日月が何をしているのかを知った小狐丸は最初激昂してしまうし、でも最終的に「貴方がやっていることを、正しいとは思わない。でも、間違っているとも思わないことにしました」という距離のとり方に落ち着く。それ以上踏み込むことは、多分お互いにできないと思うのです。

しかし一方で。三条に縁を持つ五条の太刀であり、同じく平安時代から存する鶴丸には、三日月にどこかしら似た部分もおそらくは持ちながらも、流れを全く同一としているわけではないという、絶妙な距離感があります。
そんな彼だからこそ、本丸でただ一人、ある種対等に渡り合うような形で、三日月に相対することができるんじゃないか?…という描かれ方の、その説得力!


三日月宗近鶴丸国永。刀剣男士としての在り方、矜持みたいなものが全く異なっていそうでありつつ、どこかしらに通ずるなにかも兼ね備えていそうなこの二振り。刀ミュというひとつの作品シリーズ内において、美しいほどの対比構造が今回新たに打ち出されたな、と唸りました。
刀ミュの鶴丸、存在が事件すぎる。まさかこんな形で三日月とがっつり絡められるなんて全く思ってなかったので、本当に未だに受け止められない。どうしたらいいかわからない。かっこいいし。
主が今回の出陣の前に鶴丸に対して「貴方にしか頼めないのです」っていうのも、そりゃあそうよね、と思うもの。。
あの本丸においてのパワーバランスが見えたというか。三日月のことを止めるわけではないけれど、かといってそのままにしておくつもりもないし、それができる刀剣男士もいる、それが鶴丸国永だっていう明かされ方をしたことが、本当にもう、致命傷になりました!

◆「戦う刀」としての鶴丸国永

あとですね!個人的にめちゃくちゃな「いやちょっとまって」ポイントがあるんですが!
そもそもだけど鶴丸、主との対話シーンでいきなり「無垢な舞に飢えてるんだろ?」って言ってますけど、
じゃあ「無垢じゃない舞」を披露するのは誰…ってなったんですよね…なりません!?わたしはなる。
いや、そりゃ確かに、あの三日月宗近に無垢なんて言葉当てられないけど…ていうか待って!?鶴丸さん、あなたつまり、自認が<無垢>なんですか!!?(※「こいつは驚いた!」と言いながら椅子からすっ転ぶ様子)


いやでも、なんていうか…この「無垢」っていう言葉に詰まっているもの、わたしはすごく大きいなと思ってて。
なんだろうな、刀剣男士としてのあり方のシンプルさというか…いや、鶴丸にも内包しているものはもちろんあるんだけれど、深淵の覗き込み方が三日月とは全く違うスタンスなんだろうな、というようなことを感じるのです。

葵咲本紀での鶴丸は、清々しいまでに「いくさ場において強い、実力のある刀剣男士」として描かれています。
それが顕著だなと感じるのが、明石と鶴丸が本丸で初めて会うシーン。
あの短いやり取りの中で、明石が「あれはバケモンやな。…おー、怖。」って言うほどに、鶴丸が只者ではないことがガンガンに伝わってきてしまう(かっこいい)。
刀ミュの世界の中で、男士間にある実力の幅がここまで明確に描かれたのって、実は初めてだと思うんですよ。
今回いろんな演出で表現されている鶴丸の(おそらくは本丸においても圧倒的な)強さは、もちろん顕現してから日が長いというのもあるんだろうけど、それだけでは説明のつかない、やはり「平安刀」としての自覚っていうか…そういうものが為せるなにかを感じてしまいます。これもまた三日月とは違うタイプで、単純に見せかけてそうとも限らないっていうか、別な形での底の知れなさ。
出陣ソングひとつとってみても本当に強い刀であることがビシバシと伝わってくるんですよね。なんて勇ましく、かつ楽しそうに歌うのかと。戦場が自分の居場所なんだって、血が騒いで仕方ないって顔をしている。。
「ちょこまか逃げ回って翻弄するだけだ!」なんてとんでもねえ嘘を言って、本当に一人で検非違使との一騎討ちに臨むあたりも、どうしたってシンプルに強すぎる。かっこいい。そして自分にそれができると思っていることも含めて、あまりにもかっこいい。。
三日月だって当然相当に強いはずなんだけど、あの御仁ったら戦闘シーンでそういうところ全然出さないからな!?ってなりまして、ここでもこの二振りの対比がしんどくて死んでしまいます(…途中から徐々にただの「鶴丸かっこいい国永さんについてトーク」になっている)。


うまくいえないんだけれど、話を戻すと、鶴丸の言う「無垢さ」っていうのは、その瞬間、いまこのときに対して、ただひたすら新鮮な気持ちで向き合い続ける、みたいな意味なのかなって感じるんです。
そうあることで、自らに驚きを与えよう=退屈と抗おうとしているというか…
刹那的というのもちょっと違うんだけど、今ここで生きている自分と、同じように目の前に存在している相手との間の真剣勝負だからこそ、戦いが楽しくて、そこに生の実感を感じているのかな、というような。鶴丸の強さの背景に、そんなものを勝手に感じたりもしています。

◆三日月にとって「歴史を守ること」とは何なのか

まさか改めて、この話を真正面から考える日が来るとは…。
刀ミュの世界において三日月が歴史に対してしようとしていること、今回改めて考えてみたんですけど、まとめると、
三日月は「本流としての『歴史』を守り」ながら、「悲しい役割を背負わされている人」のことを、ひとりでも多く救おうとしている、というふうに表現できるのかな、と思いました。
2017年につはものを見ながらしにそうになって書いたエントリーはこちら。原型のようなことが書いてあります。(構成が今より下手で読みづらくて申し訳ない。)
anagmaram.hatenablog.com


類まれなる奇跡が重なって、美しい姿のままに長く存在し続けてしまった三日月は、その間ずっと人の心を映し続けてきた。そうして内側に積もり積もった時の流れへのある種の諦観と、人へのあたたかい眼差しが、彼の中には同居しているように思えます。
そうして長く在り続けて刀剣男士になった三日月だからこそ、歴史の重さを、誰よりも痛感しているような気がするのです。
今存在している世界は、後世に思いを繋ぎ続けた人たちがいるからこそ成り立っているもの。その人たちの「思い」こそ、失わずに守らねばならない。
しかし同時に、その過程でひっそりと消えていった無念の人々も存在していた、彼らもまた、確かに生きていた。その事実にも、できる限りは寄り添いたい。
その双方が揃った内容が、三日月にとっての「歴史を守る」ということなのかな…っていう気がしています。

歴史の本流を変えてしまうことは、そこに注がれた人の必死の思いや生き様を、無に帰してしまうことになる。その点で、三日月にとっては歴史を守る意志が生じていると思います。
だけれどそれだけでは、彼は己をよしとすることができない。
思いを遂げられなかった人、無名に終わった人。反対に後世に名を残したけれど深く傷ついた人。そんな様々な人々の悲しみを、彼はきっとたくさん、見てきてしまった。
「かたちあるもの」として後世に残り続けることの、ある種の残酷さがもたらした諦観が、思い切りひとへの優しさに振り切れているところが、わたしは刀ミュの三日月の在り方だと思っています。
だって、つはものの「華のうてな」の歌い出しが「しくしく くれくれ」な彼だから。人の悲しみに寄り添える心を持っているのが、刀ミュの三日月だから…。

◆「三日月宗近という機能」について

今回、三日月が歴史を明かしにいった相手は、切腹を命じられた日(みほとせでは、検非違使に殺されたことになっていた)のあとも、命をひっそりと長らえていた松平信康と、結城秀康の双子の弟である永見貞愛。
信康の人生の最期の哀しさは、みほとせで描かれたとおり、ここで改めて語るまでもありません。
もうひとりの貞愛も、のちの天下人の子としてこの世に生を受けたにも関わらず、まさに「歴史から消された」=表舞台からは、なかったことにされてしまった存在。
そんな二人に三日月が心を寄せていくのは、つはものを踏まえると、とてもわかる…と感じます。


でも今回、そんな三日月のふるまいが可能になったのは、そもそもまず、松平信康が生きていたからこそです。彼が死んでしまっているままの時間軸なら、叶わなかったこと。
さらにその始まりはそもそも、家臣ともども全滅させられた松平家を再興し、ひとり生き残った幼な子である竹千代を天下人である徳川家康に育て上げ、その人生を全うできるように見守る、というあまりに困難な任務を背負った「三百年の子守唄」の6振りへと繋がります。

その一連の流れに思いをはせていたら、
本丸の仲間が心を砕いて、繋ぎ織り上げた「徳川家」という名の織物の端から少しずつほつれていった糸の端を、三日月がひとり掴んで、そっと元の布に織り込んでやった。
わたしはそんなふうに表現したくなりました。


三日月がやっていることは、孤独で自分勝手なだけの行動というわけではなくて、やっぱりどこかで本丸の仲間たちと深く繋がっている側面もある、そんなふうに思えるのです。
だって三日月はそもそも、村正と蜻蛉切のことを助けてやれって、信康に言っているんだもの…。
さらに鶴丸は「必要な素材はあいつが揃えてくれたみたいだから、任せてみようと思う」って言っているんだもの。。

あの時の鶴丸は、三日月が何を思って行動して、信康と貞愛に刀剣男士の目的や正体を明かしたのか、まだ掴みきれていない段階だと思うのです。
だけれど、同じ本丸の仲間だから、三日月がやってみたことを信じたんだと思う。何か意味があるに違いない、そこに乗っかればきっとうまくいくだろう、って考えたんだと思う。


三日月が果たしている役割は、前項に書いたこととも重複しますが、

  • 1.世に伝わっている歴史の本流を守る
  • 2.その中で悲しい役割を背負った人の心を救う
    • 時折、上記2点目は刀剣男士たちが正攻法では対処しきれない部分への補助として現れることがある

上記のようにまとめられるのかなと感じました。

それが、今回最後に鶴丸が語る「この世界には、三日月宗近という機能がある。…そういうことだな」に集約されているのかなと。


刀剣男士が懸命の戦いで時間遡行軍を阻止したとしても、どうしても拾いきれないもの。
それは、歴史は歴史として変わらないのだとしたら、その中で悲しい役割を担った人の運命もまた、ずっと変わらないままであるという事実。
そこにほんの少しだけでも抗うことはできないか。
表に出ることのなかった人の思いもまた、同じように尊く存在していたのだということを、せめて確かめて繋ぐことはできないか。
今回、みほとせで出陣した6振りが抱いていた信康への「思い」を繋いだように、「歴史の改変を阻止する」だけでは救えないなにかを、ぎりぎりのところで可能な限り掬い取ろうとし続ける。
それが、三日月宗近が担っている役割=機能なのかなぁ…というふうに思いました。
もっと言うと、刀剣男士の協力者=物部を生み出すことが、三日月宗近という機能、なのかもしれないな。。



とにかく書き残すことを優先しており推敲が粗いので読みにくそう、申し訳ない!書きながら被ダメ値が跳ね上がりました。つらい。
これを書きながら思い出しを兼ねてつはものの一部のCD聞いてたんだけど、なんかもう説明しようがない涙があふれてしまって、ばかみたいに泣きました。もうあかん。

ミュージカル刀剣乱舞、本当にどこまでいっても怖い。これでもまだ書ききれてないことばっかりなのが怖い!とりあえずソワレいってきます!




▼「葵咲本紀」についてのその他感想記事はこちらにあります
anagmaram.hatenablog.com

  • 上記の中でもとくに「鶴丸かっこいい国永さん」についてのシリーズ(シリーズ?)

anagmaram.hatenablog.com
anagmaram.hatenablog.com