葵咲本紀、全74公演、本当にお疲れさまでした…!(追記:予定されていた公演数になります。中止になった5公演を除くと69公演です)
今回、簡単にはまとめられない、色んな人の色んな思いが詰まった公演になったなぁ…と噛み締めています。
個人的にもものすごく、やばい思い入れがだだ漏れてしまう公演になったので、おそらく歌合が始まる限界までブログを書き続けるのですが、来月に入るとなんと半ばまでインターネットを失うので(引っ越しで…)今のうちに書けることを好きなだけ書いておきます!
今回は、ミュージカル『刀剣乱舞』の世界に「葵咲本紀」がもたらしたものについて、個人的に考えたことを書いてみたいと思います。(楽もおわったのであれですが、中身に触れるので当然ネタバレです。)
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◆演出における新しい挑戦。より「ミュージカル」に近づいた本作
まずはこの話から!
初日に見たときに本当にしびれたポイントがここでした。
舞台上での見せ方が、より「ミュージカル」に近づいた、いってみればグランドミュージカルの文脈を意識したものになっていましたよね。迫力の出し方というか、ステージングの手法が大きく変わったことを感じました。
その場面を、いくつか具体的に箇条書きにしてみます。
- ①篭手切江のソロ
- 夢のすていじを思い浮かべて、想像の中で歌う篭手切江の後ろに、多数のバックダンサーが登場。それこそ、あたかも何か別のミュージカルが始まったかと思わせるような明るいナンバーが披露される。少しメタっぽさも感じる演出。
- ②「刀剣乱舞」(メインテーマ)
- 刀剣男士と時間遡行軍が集団で対になる演出。出だしサビ後、Aメロ前の間奏では、下手と上手とで音楽に合わせ刀剣男士と時間遡行軍がそれぞれ異なる振り付けを踊り、対決している様子が打ち出される。
- 大サビ前の間奏のラスト、ギターのフレーズに合わせて刀剣男士が高く刀を差し上げる+そこに刃がぶつかり合う音響効果がぴったりと重ねられる。
- ③結城秀康が家康への怨みを歌う曲
- 秀康の背後に、彼が所持している刀から呼び起こされたと思われる黒い陰のような存在が登場する。陰は、秀康に姿が見えているようないないような曖昧な距離感で、秀康に纏わりつくように踊る。
- その後、舞台中央に吊り下がっていたボードが引き上げられると、そこには時間遡行軍が現れる。彼らもまた音楽に合わせて振り付けを蠢くように踊る。
- ④鶴丸の作戦曲
- 歌の中に時折セリフをはさみ、状況を説明していく。鶴丸の作戦を聞いている男士たち+歴史上の人物たちも、その場にいる全員が情景に合わせてコミカルに動き回る。
- ⑤篭手切江が「先輩」の目を覚まさせようとする曲
- 懸命に「先輩」の刀を握りしめ、僕のことを思い出してくださいと語りかける篭手切江。彼をメインとして、別な歌詞で掛け合うように男士たちの声が重なる。途中、結城秀康と「先輩」による掛け合いも挟まれる。
…私の中で勝手に「うわぁ、ミュージカルだ~!?」って感じたポイントは主にこのあたりでした。
まず、初日に見てとくに驚いたのは③でしたね。
蠢くように低い姿勢で舞台後方から躍り出てきた黒い陰のような姿を見た時、とっさに「死か!?」って思ったんですよ。
わたしが思い浮かべた「死」とは、ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」で、とても技量の高いダンサーの方によって演じられる、概念としての「死」を表す役のことです。
ロミジュリの劇中で、「死」は登場人物たちの目には見えない存在として描かれます。なにか不穏な空気が漂っていることだけを感じさせる存在として、歌うロミオの周囲に絡みつくように踊るその姿は本当にゾクリとさせられ、また大変美しくもあります。
今回、結城秀康に対する「先輩」の在り方が、まさにこれを意識したものだったな…と思いました。
秀康は「先輩」と呼応し合うように動くけれど、姿が見えているとも言い切れず、しかし存在は確かに感じている。
「ものに宿る思い」に感応してしまった秀康が、自らの意志を気づかぬうちに乗っ取られ、操られていることを示す表現として、とても効果的なものだったと思います。
「先輩」のメイク、血の気が一切なくて、目の周りの黒さや土気色の唇が本当に不気味な見た目で。手を差し伸べるたびに、手首からレースが生気なくだらりと垂れ下がって…視覚効果としてのインパクトにはすごいものがありました。
あとは階段に落ちる「先輩」の長い影もまた、ロミジュリにおける「死」の演出を想起させるものでした。
この件については、たぶんあえての「わかりやすさ」を残しているのかな?って思ったんです。
あの演出を見た瞬間、超有名ミュージカルであるロミジュリを、ぱっと意識する人はそこそこな人数にのぼるはず。「そうですよ、今回はそういう文脈で描いているんですよ、そういう手法をとっていきますよ!」という、明確な受け手側に向けたメッセージが込められていたようにも感じました。
新しいことやっていくから、ついてきてね!というような。
他に大きな変化だったなぁと思ったのは、メインテーマの「刀剣乱舞」でした。
これまではセンターの大階段に、刀剣男士たちが六角形を描くような形で陣形をとり、揃って同じ振り付けをしながら歌い始めるのがお決まりでした。
その時点では舞台上には時間遡行軍は不在、あくまでも刀剣男士のみ。出だしのサビが終わって間奏になってから一気にうわっと遡行軍が現れて、戦い始めてAメロへ転換…という形式だったと思います。
ですが今回は、歌い出しの時点からそこかしこに遡行軍がいる状態。
最初のサビは、全員がセット上ではなく舞台の床の上=つまり同じ高さに立ち、各々が目の前の遡行軍を斬り付けているところからが始まります。ゆってみればユニゾンではなく、バラバラな動きから始まるんですよ。
その後、Aメロ前の間奏では下手に刀剣男士、上手寄りセンターに時間遡行軍がそれぞれかたまり、集団として対峙する形になります。そしてその状態で、それぞれの集団が同じ振り付けを、客席を向かずにお互いを睨み合った形で踊るんです。
作品シリーズを連綿と貫くメイン曲で、ここまでの5作品(※阿津賀志巴里を含めれば6作品)で続けてきた形とは全く違うタイプの表現をぶつけてきたところに、刀ミュが新しい扉を開こうとしている明確な意志を感じました。
みほとせの再演を挟んで、約1年半ぶりとなった待望の完全新作。
意気込みとしては「第二章」に近しいものがあるのではないか、と思えて、その心意気にめちゃくちゃ痺れました。
最初はいつものようなわかりやすいカタルシスがないような気がして、8月の東京公演の時点では正直個人的にはちょっと物足りなかったんですが、公演最終盤の凱旋公演で見たときには迫力が段違いに増していたのも感慨深かったです…!め、めちゃくちゃかっこよくなってる…!こういうことだったんだ!って腑に落ちるような思いになりました。
カンパニーとしての総合力がぐんと引き上がった時に、より見応えを増す演出だったんだなぁと唸らされて、高みを目指していることがビシバシと伝わってきました。
思えば、2016年の阿津賀志山異聞で「おぼえている」を聞いたとき、あ~本当はミュージカルがやりたいんだろうな、って思ったんですよね。
「おぼえている」は、時間遡行軍側に乗っ取られ、死んだあとのはずの時間を生き続ける義経公を、今剣がかばおうとしてしまうシーンで歌われるクライマックスの曲です。
2年後の阿津賀志巴里では説得力にあふれる見ごたえのあるシーンに生まれ変わっていましたが、2016年の時点では、正直まだ少しちぐはぐだな、やりたいことに追いついていないのかな、という感じが、見ている側からは若干していました。
また、次の幕末天狼傳に関して言うと、歌としての難易度、正直一番高いのでは?と思わざるを得ない、やたら難しめの虎徹兄弟の曲があったりもして。当時はまだ、方向性を模索している最中だったんだろうなと。
それ以降の公演では、わかりやすい「ミュージカル」をやろうとする曲は、ぐっと減ったように思っていました。歌によってストーリーを進める側面は弱まり、あくまでも刀剣男士の内面を表す機能としての歌が残ったというか。
でも今回、そこに再度、テコ入れが入ったように思えたのです。
表現の幅を広げるなら今だ、今ならきっとできる。そう判断されての、完全新作での大胆な演出の転換だったのではないかな、そんなことを感じました。
◆刀ミュにおける新人4人の中に、太田基裕さんとspiさんが配置された意義
葵咲本紀における刀剣男士キャスト6人のうち、4人が刀ミュ初登場。俳優としてのキャリアもまだかなりな若手といって差し支えない子が、とても多い今作でした。
その中に、刀ミュ本公演としては堂々の3公演目となる太田基裕さんとspiさん。お二人は年齢としても、俳優としてのキャリアも、他の4名に比べるとやはりぐんと先輩格に当たります。
そもそもが、みほとせの物語をそのまま地続きのものとして描くものでもある今作、物語の推進力としてお二人が担った役割は、本当に計り知れないものがあると思います。
家康が天下統一を成し遂げる史実通りの生涯を全うできるようにサポートする役割を任務として負っていた、みほとせの6振り。彼らが成り代わっている徳川家の家臣の生涯を忠実に再現するため、今ではうちの2振りだけが家康の元に残っている…という設定で、今回の物語は幕を開けます。
そこでは、みほとせの中では描かれなかった、任務の陰で村正と蜻蛉切が抱えていた様々な思いが明らかにされます。
家康の長男・信康の死への思いを迸らせる村正であったり、縁のある刀同士、己の役割を果たしあえばよいと村正に言われてはっとなる蜻蛉切であったり…。
つまり、村正と蜻蛉切の二振りには、今回の物語を成り立たせる上での説得力を明確に打ち出すという重要な役割が、かかっていたわけです。
しかしそこに関してはもう、お二人はこちらからは言葉も出ないくらいに、圧倒的な表現力を見せつけてくれました。
特に、検非違使に立ち向かって傷ついた村正が息を吹き返し、蜻蛉切と二人で会話する中盤のシーンは、公演によって舞台上で繰り広げられる表現が驚くほどに異なっていました。
役どころへの理解がとことんまで深まっているからこそだと思うんですが、そこまで表現の方向性に幅をもたせてもなお成立させてしまえるの!?って驚嘆させられていました。
あぁ、二人は本当に役を生きているんだな、今その場で感情が動くとおりに演じても、力量があるとわかっているからお互いに受け止めあえて、完璧なキャッチボールができるんだろうな…と思わされることしきりでした。こちらへ届くセリフの色合いが、日によって本当に違っていたので…!
しかし、お二人が担っていた役割は、それだけではなかったと思うんです。
刀ミュとしても新しい試みをふんだんに盛り込んだものとなっていた本作。にも関わらず、キャストの半分以上を新人が占めるという状況、それってかなり挑戦的すぎるのでは…!?と思うのですが、それを叶えることができた背景に、やっぱりお二人の存在があると思うんですよね。
東京公演は、明確にそれが感じられました。歌の面でもお芝居の面でも、とてつもなく大きな包容力のある土台として、お二人がしっかりと影から全体を支えている雰囲気がありました。
これは勝手な想像なんだけれど、制作陣としては、おそらくは次世代の育成というか…刀ミュという世界が続いていく上で必要なエッセンス、その場に生きた人にしかわからないものを、「役者の生き様としてまるごと新しいメンバーたちに伝えてほしい」っていうような期待が、あったのではないかな。
生身の役者が、公演ごとにその時間を懸命に生き、お客さんに表現を届ける、それが舞台。
演じる側の人達の中で、一緒に作品をやらなければ伝わらない本質的なことって、きっとこちらからは想像もつかないくらい、たくさんあるんだと思うんです。
「それを伝えてやってくれ」っていう、これからの刀ミュに、刀ミュイズムというか、ある種のバトンを繋いでほしい…というような制作サイドの意志を、今回勝手にですがものすごく感じました。
そしてそれを実際のところ、まるでスポンジのようにぐんぐんと吸収していく新人キャストの皆さん…!
凱旋公演では、ここまで総合力が伸びるものなのか?と驚くほど、本当に全員が、作品そのものがよくなっていました。
劇場のサイズが大きくなったことも関係あると思うのだけど、伝わってくる情報量の多さ・深さに、本当に驚きましたし、感動しました。まじのまじで、全員がよくなっていたんだよ…!
ロングランだし、どう考えたって楽な時間ではなかったと思う。体力的にもメンタル的にも厳しい局面は多々あったはずで。途中、体調事由による役者さんの降板という、とても辛いアクシデントもありましたし、通常の舞台公演に比しても、葵咲本紀は困難な場面がものすごく多い作品だったと言わざるを得ないと思うんです。
だけれど、わたしが毎回客席から見せてもらえたのは、ただただ見応えに溢れた、心揺さぶられる素晴らしいステージでした。
要さんの降板、そしてたった4日後の、臨王さんの急遽のご出演。
きっと公演に関わる人も、我々お客さん側も、皆の心が動揺していたあの時間に、もっくんが穏やかに、あくまでも端的にツイートしてくれた冷静な言葉の数々は、本当にかっこよかった。
普段の印象としては、どちらかというと必要なことは背中で語るタイプだったもっくんが、あの期間に座長として、言うべきと決めた言葉を明確に外に向かって発信していらっしゃる様子に、ただ胸を打たれました。そんな安っぽい言葉で語るのが申し訳ないくらいに、かっこよかった。
今回の事で、作品、俳優、制作陣、お客様にとってポジティブなものになることを願います これからのミュージカル刀剣乱舞にとって。
公演再開の日にもっくんがツイートしていたこの言葉どおり、葵咲本紀の幕の降ろし方は、本当に心の底からうつくしかったです。
改めて、関わったすべての方に、ありがとうと感謝の気持ちをお伝えしたくなりました。
◆「それは奇跡という名のすていじ」「あなたはその目撃者」
これは個人的に、エモみにやられてしまった思い入れポイントのひとつ。
篭手切くんが歌う夢の歌、本当に大好きだったんですよね…。
なんだか、舞台作品である刀ミュそのものを映しているナンバーのようにも思えて。
幕が上がれば、舞台を見上げれば、きっとそこでは何かが始まる。
胸が踊るような歌詞そのものの魅力ももちろんなんですけど、ものすごく嬉しかったのは、この曲で客席から手拍子が起きるようになったことでした。
友人に聞いたところによると、北九州公演からだったそうです。凱旋は初日は控えめでしたが、それでも劇場じゅうに手拍子がじわじわとひろがっていくのは、とても心震える体験でした。
何より、手拍子を聞いた瞬間の篭手切くんの、顔中に広がる笑顔、ぱっと輝くようなあの表情が忘れられなくて。
あの時間は、篭手切くんが夢見ている、まだまぼろしのすていじ。
でもその夢を、あたかも本物であるかのように、ほんのひととき観客として「一緒に」作り出すことができる。その喜びを痛いほどに感じました。
舞台っていいな、今目の前で繰り広げられるこの輝きを、ずっとずっと覚えていたい。この時間を浴びたことを忘れずにいたい。
「いっくよー!」って笑顔で歌う篭手切くんを見ながらほぼ毎回泣けてしまっていたのは、そんな気持ちが勝手にこみ上げてきてしまうから。
葵咲本紀の<目撃者>にさせてもらえたこと、本当に幸せでした!
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ここまで勢いで叩きつけたけど、果たしてまとまった、と言えるのだろうか…?
新人だらけのカンパニーに対して、過去の文脈を複雑に織り込んだ脚本×色々とチャレンジングな演出をぶつけてくるの、本当によう思い切ったな…って初日は正直びびってたんですが、ちゃんとその試みが大きく実を結んだことを、千秋楽まで見届けて今回深く実感しました。
7月の双騎出陣に引き続き、刀ミュはいつだって「現状維持」では満足しないんだってことを見せつけられたような気持ちです。
間違いなく、これからの刀ミュにとっての新しい扉が、葵咲本紀によってまたひとつ開かれたと思います。
この流れで来月の歌合…いったい何がどうなっちゃうんでしょうね…!?(毎年恒例になってきた年末への怯え)
現時点で書きたくて書けてないのは、今作でテーマとして描かれていたとある言葉について、です!
こっちは11月になるかな~!
▼「葵咲本紀」についてのその他感想記事はこちらにあります
anagmaram.hatenablog.com