こたえなんていらないさ

主に刀ミュ(ミュージカル『刀剣乱舞』)を愛しながら、舞台まわりをぐるぐるしている人

刀ミュ 葵咲本紀 全体を通しての感想その2~刀も人も、夢を見る~

早くしないと歌合初日に追いつかれてしまう!という必死さに駆り立てられるようにして書いています。そんな今日の日付は11月23日…しかももはや夜!歌合前日やないかい!笑
去年もらぶフェス福井の前に阿津賀志巴里の記事を慌てて更新したりしてたな(成長してない)。
ちゃんと書けるか自信がないのですが、葵咲本紀で今回メインテーマのひとつとして描かれている、と感じた言葉について、頑張って文章にしてみました。(※いつものことですが長いです!)




◆長らく「役割」を描いてきた刀ミュ。今回新たに描かれたのは「夢」だった

葵咲本紀に対する、私の中での大きな印象のひとつに、この内容があるんです。
折りに触れて「夢」という言葉がとても明確にセリフや歌詞の中で登場する今回の物語。様々な角度から「夢」を描くことが、葵咲本紀のひとつのテーマだったように思えています。


これまで刀ミュの世界では、ご存知の方も多い通り、長らく「役割」についてがメインテーマとして描かれてきました。
それはたとえば、下記のような場面に顕著です。

  • 「ぼくのやくわりはなんだろう?」と、無垢な笑顔で元の主である義経公の元から走り去る今剣。(阿津賀志山異聞)
  • 沖田総司の早逝の運命に苦しむ安定を、側で追い詰めずに見守りながらも、安定が一線を越えそうになった時は自分がかたを付けると決めている清光。(幕末天狼傳)
  • 歴史を守る刀剣男士として、それがどんなに意に沿わないことであっても果たそうとして、慈しんで育てた信康に手をかけようとする石切丸。(三百年の子守唄)
  • 自分たちの実在性に疑問を抱き、その事実が与えるであろう衝撃からなんとかして今剣を守ってやりたいと願う岩融。(つはものどもがゆめのあと)
  • 時間遡行軍の企みにより史実よりも命を長らえる可能性の出てしまった元の主・土方歳三を、命日には必ず殺さねばならないと、覚悟を決めようとする和泉守兼定。(結びの響、始まりの音)

…こうして挙げていくとそれこそきりがないほどに、刀ミュの物語を通底して流れている重要な要素、それが「役割」です。上記以外にも、たくさんの男士たちが、己の役割と対峙し、悩みながら成長していく場面が数多く描かれてきました。
さらに刀剣男士だけでなく、歴史上に生きたかつての主たちも、その時その場で己が果たさねばならないことが何であるのかという内容に対して、痛いほど真摯に向き合い続けています。


葵咲本紀でも、これまでと同様に、その「役割」を感じさせる描写は当然のこととしてあるのですが、それに加えて今回わたしがひとつ特徴的だなと思ったのが、「夢」という言葉の使われ方でした。

そこでより理解を深めるべく、広辞苑にお尋ね。「夢」という言葉の説明は下記のとおりです。(*用例は略しました)

ゆめ【夢】
①睡眠中に持つ幻覚。ふつう目覚めた後に意識される。多く視覚的な性質を帯びるが、聴覚・味覚・運動感覚に関係するものもある。精神分析では、抑圧されていた願望を充足させる働きを持つとする。
②はかない、頼みがたいもののたとえ。夢幻。
③空想的な願望。心のまよい。迷夢。
④将来実現したい願い。理想。

ここに挙げたような「夢」の様々な側面が、葵咲本紀では入れ代わり立ち代わり、といったふうに、様々に色合いを変えて登場していきます。
以降、具体的にどんな場面に夢が描かれていたか、説明してみます。

◆秀康と「夢」

葵咲本紀の冒頭は、暗がりの中にぽつんとひとり立ち、「ここは…?」とあたりをぼんやりと見渡す秀康の姿から始まります。
彼が目にしているのは、これからまさに切腹せんとする兄・信康と、その様子にただ黙って視線を落とす父・家康。
「おやめくだされ兄上!…父上!なぜ止めてくださらないのですか!なぜ兄上が死なねばならぬのですか!」
その悲痛な秀康の声は届かず、信康は覚悟を決めた表情で腹をかっさばき、介錯されて命果てます。
「兄上ェ…!」
そう叫んだ秀康でしたが、そこで「夢か…」と、はっとした表情で我に返ります。そしてどこか嘲笑するような表情でこう言うのです。
「…ふん。くだらぬ夢よ!」

◆篭手切江と「夢」

次に夢という単語が出てくるのは、篭手切江によるM2。
歌って踊れる付喪神を目指している彼は、心の中に描く”夢のすていじ”を思い浮かべ、本丸でひとり歌い踊ります。
篭手切江の心の中の情景が幻となって現れていることを示すような、ダンサーさんたちと一緒になったにぎやかなダンス&歌唱シーン。
しかし盛り上がった歌がラストを迎えるところで、ダンサー陣はさっと掻き消えるように姿を消していきます。はっと気づいた篭手切江の周りにはもう既に誰もおらず、そこにいるのは彼ひとりだけ。
さっきまでの光景は…?と一瞬虚を突かれたような表情になる篭手切江ですが、すぐにまた笑顔になり”今はまだ夢を 見ているだけ”と、自身の状況を語るように歌うのです。

その次の御手杵との”れっすん”のシーンでも、夢ははっきりとセリフの中で語られます。
御手杵に「なぁ、なんでれっすんを続けてるんだ?」と尋ねられた篭手切江は、こう答えます。「それは…夢があるから」と。

御手杵と「夢」

上記の篭手切江とのやりとりの直後、篭手切江が発した「夢」という言葉に反応した御手杵は、怪訝そうな顔から徐々に苦しそうな表情へと、顔つきを変えていきます。
そんな彼の背後を覆い尽くすようにばさりと降りてくる、大きな面積の真紅の布地。
暗闇の中にはたはたと揺らめくその様子に想起されるのは、当然のことながら、「炎」そのものです。
なにか幻覚を見ているような表情の御手杵は、隣で話している篭手切江の声も耳に入らないまま、顔をしかめて苦しげに、絞り出すように叫びます。
「これは…夢だ!」

◆信康、秀忠と「夢」

そこに更に重ねられるのが、弟である秀忠に対して、信康が語る「夢」です。
武勇に優れた兄・秀康がいるのに、兄ではなく自分が後を継ぐように指名されたことに納得が行かず苦しむ秀忠。
史実上で既に亡くなっているはずの信康は、弟である秀忠に兄としての声をかけることは叶いません。秀康は自身の正体を伏せたまま、秀忠に「わしと夢を語ってくださらんか」と声をかけます。
怪訝そうな表情をしながらも、秀忠は請われるがままに、こう答えます。
「夢…夢ですか。夢というほどのものではないですが、私は、父上が目指す泰平の世を築くことができたら、それでよいと思っております」
その言葉を聞いた信康は、さも嬉しそうにこう呼びかけるのです。
「私の夢も、全く同じにございます!」と。
百姓に身分を変えたのち、かつて武士として生きていたころに一度諦めた「泰平の世を目指す」という夢に、また再び巡り合うことができたと語る信康。
「夢は、身分や立場が叶えてくれるものではございません。願い続けた者だけが、叶えられるもの。…私はそう思います」
そう力強く諭すように語りかける信康。その勢いに押されるように、秀忠は家康から自分が跡継ぎに指名された件について、再び向き合ってみる決心を固めるのです。
「納得の行くまで、父上に、尋ねてみようと思います」と。



こうして見てくると、まさに最初に引用した辞書どおりですが、「夢」とは本当に色々な意味を持つ言葉であることがわかります。
冒頭の秀康や御手杵は、自身の内側にあるトラウマや苦しみを、①、もしくは③として目の前に映し出してしまう。
篭手切江は、④のいつか果たしたい望みとして、眩しい舞台の光景を思い浮かべている。
秀康や秀忠が心に決めているのもまた、大志とも言うべき④の在り方です。


そして夢を語る上で最後に触れなければならないのは、やはり篭手切江の「先輩」について。

結城秀康の所持している刀

今回、結城秀康が時間遡行軍側に取り込まれてしまうきっかけとなったのは、自身が所持している刀と感応してしまったことでした。
劇中で秀康は、敬愛する兄・信康との幼き日の思い出の回想から、その兄を死に至らしめた父・家康への怨みの感情を爆発させます。
舞台上にはその秀康の感情に呼び覚まされたかのように、黒い「陰」のような存在が滑り出てきます。そしてその「陰」は秀康の苦しみに呼応するように、秀康自身が受けた仕打ちを、次々と言葉にして耳元で囁きかけるのです。
「己の子と認めなかった」「まるでモノのように」「たらい回しに」と。
その声によって己の内面にくすぶる様々な思いを増幅された秀康は、ついに腰に帯刀していた刀を抜き去ります。そこで舞台上・秀康の背後に現れるのは、不気味に蠢く時間遡行軍たち。
不遇の出来事に見舞われた歴史上の人物たちの悲しみや怨みにつけいるようにして、時間遡行軍側が彼らの意識を乗っ取るという描写は、刀ミュではある種定番のようにもなってきましたが、今回の結城秀康は、阿津賀志山異聞での義経、幕末天狼傳の沖田総司に続く、3人目のパターンとなりました。


葵咲本紀で出陣を命じられた鶴丸たち4振りには、今回の敵の狙いは「結城秀康である」と主からはっきりと伝えられていますが、それを全うする形で、秀康の刀から生じたこの「陰」と、篭手切江とが真正面から対峙するシーンで、物語はクライマックスを迎えます。

この「陰」のような存在は、篭手切江にとっては”先輩”=縁のある刀であることが(詳細な背景は明確には語られませんが)、途中で明らかになります。
篭手切江は、今回の事態への対処について、異なる見解を持つ明石との衝突を経ながらも、”先輩”をなんとかして救いたいという思いを抱き続け、クライマックスのシーンではそれを実現させようと試みます。
秀康の目を覚まさせよう、操られている状態から解放しようとする上で、その原因となっている存在=先輩の刀を折るのではなく、あくまでも語りかけて阻止しようとする、という手段を選ぶのです。

決意を固めた篭手切江がその刀を握ると、刀は途端に暴れるように動き出し、篭手切江の全身を振り回しはじめます。同時に舞台上には陰のような存在がまろびでて来ますが、その場にいる誰にも、その姿は映っていないように見えます。
緊張感のみなぎる表情で見守る刀剣男士たちに、必死で「大丈夫です」と叫ぶ篭手切江。「これは僕が向き合わなくちゃいけないことなんです!」と覚悟を決めている彼は、「思い出してください、先輩!」と懸命に呼びかけます。
その篭手切江の声に、「お前は…誰だ」と応じる様子を見せる陰。
「僕です、篭手切江です!」
「篭手切江…?」
その声に、何かを呼び覚まされたのか、”先輩”は再び激しく蠢くように動き始めます。
それに再び操られた状態になり、体を引きずられるようにして動く秀康。
二人はここで、とある歌を歌います。

◆「先輩」と夢

この場面で、”先輩”と秀康の二人によって歌われる歌は、「鬼哭啾啾」というタイトルであることが後日明かされました。
「しゅう しゅう」という音は、作品の冒頭に歌われる秀康の歌の中でも何度も繰り返されるのですが、「きこくしゅうしゅう」という単語自体、私は観劇の間では聞き取れなかったし、そもそもこの言葉の意味も知りませんでした。
でもただ、この音を聞いて、「ああ、哀しくて泣いているんだな」っていうことは、見ていて自然と伝わってきていました。
声と音の響きに、あまりにも哀切が満ちていたから。

  • 鬼哭啾啾(きこく-しゅうしゅう)

浮かばれない霊魂の泣き声がもの哀しく凄い感じであるさまを表す語。

つまりおそらく、”先輩”、そして”先輩”に感応した秀康にとっての夢とは、②の意味の存在だったのでしょう。

②はかない、頼みがたいもののたとえ。夢幻。


決して手の届かないものとしての「夢」。
それを望む切なる思いが、叶えられないことへの悔しさが、秀康と”先輩”を結びつけてしまう端緒となってしまった。

描かれていない話なのでこれは完璧に想像でしかありませんし、史実も一切無視したものとして聞いてほしいのですが、
"先輩"は、まるでたらい回しのように3つの家を行き来させられた自分の主=秀康の不運と呼ぶべき状況に、なにか憤りのような悔しさを「モノ」なりに感じていたのかもしれません。
もしくは、”先輩”には過去にそのような不遇の目に遭った別な持ち主がおり、その記憶を保持した状態で秀康に出会ったため、秀康の状況にその悔しさを増幅させていくに至った…など、いろんな可能性が考えられるな、と思いました。*1

秀康は、その力を誰よりも強く示さねばならない/示すことのできたはずの天下人の子として生まれたにも関わらず、いつも天下とは縁遠い場所に追いやられてきました。
そんな彼がその手に<刀>を握るとき、いったい何を思っていたのか。
誇れるはずの生まれ、華々しさを伴うはずの血筋。
でもそれ故に、父は幼い自分を無下に遠ざけ、さらには敬愛してやまない兄の命まで奪った。
武士にとって、常に傍らにあるもの。それが刀。武人の誉である刀を手にしながら、秀康の胸中に渦巻くのは、怒りや悲しみ。
思うようにならないことばかりが起きる時間の中で、秀康にとって「夢」とは叶えるためのものとしてではなく、儚く消えるものとして、徐々に位置付けられていったのかもしれません。
そしてその感情が「モノ=先輩」に宿る思いと、感応してしまったのでしょう。

◆刀も人も、夢を見る。それは、そこに「心」があるから

ここまで見てきたとおり、葵咲本紀の物語においては、本当に様々な角度から「夢」というものが描かれ、語られていました。

「夢を叶える」という行為自体は、輝かしく喜ばれるべきものとして認識されることが、一般的には多いように思います。
しかし同時に、その背景には、たくさんの「叶えられなかった夢」も存在しているのが事実です。

誰かの眩しい夢の陰で、ひっそり泡と消えた己の夢を、じっと抱いたままの人もいる。
かつて描いた夢について「あれはまさに”夢”だったんだ、現実はそんな甘いものじゃない」と、諦めたような思いで日々を過ごす人もいる。
また更に、たとえ夢を叶えることができても、その過程で様々に苦しい思いを経験している人だっている。
もしかしたら、夢を達成したいという強い願いは、いつのまにか呪いのように働いてしまうことだってありえます。


そんなふうに様々な思いや変化を人にもたらす「夢」。
人が夢を得て、自身の中に思い描いたり、それに向かって努力をしたりできるのは、人に「心」があるから。
そして、その心は、人の身を得た刀剣男士にも等しく存在するのです。


刀も人も、夢を見る。
わたしが今回葵咲本紀を見ていて最終的に感じたのは、そんなことでした。


篭手切江が微笑みながら<とくん、とくん>と歌う時、彼は自分の胸元にそっと手を当てています。
今は血の通った体を持つ篭手切江。
だからこそ、彼は「歌って踊れる付喪神になる」という夢を抱き、それに向かって努力をすることができる。
夢を、叶える対象として、自分の力で追い求めることができる。

そして、「その篭手、もらいます!」と叫ぶ声があり、握ることのできる手があるから、
誰かを思い、手を差し伸べたいと願う心があるから、
篭手切江は、任務の中で”先輩”を救うことができた。


かつてはモノとして人々の傍らにあり、彼らの喜びや悲しみ、迷いや希望を受け止め続けてきた刀剣男士たち。
人の身を得た彼らは、今はかつての主たちと同じように、夢を語り、夢に惑う。時に苦しく翻弄される。でも「ともに」夢を叶えようとすることもできる。
そのことが持つ力というか、刀剣男士たちが「生きている」という事実そのものを、わたしは「夢」というモチーフによって、葵咲本紀に語りかけられたような気持ちになりました。


「天下は…夢か」
そう篭手切江に問いかけた瞬間、”先輩”の姿は、他の刀剣男士たちの目にも映る存在として初めて姿を表します。
刀剣男士として顕現しているわけではない、まだ混沌とした意識のみの、未分化の存在の先輩にも、宿る思いが確かに息づいている。

刀剣男士と<そうでないもの>との違いはいったい何なのか。何によって彼らは区別され得るのか。
明石が今回の出陣の途中で篭手切江に真正面から突きつけたように、その境目は、おそらくとても曖昧でもあります。
それでも、自らの意志を持ち、他の誰かに寄り添える彼らだからこそ、<刀剣男士>として本丸の仲間たちと、歩むことができるのでしょう。
ときに、かつての主が抱いた夢を、痛みとして心に映しながら。



絶対に書きたかったこの「夢」の話なんですが、長期間寝かせた割に、ぜんぜんうまく書けませんでした!難しいよ~…!
葵咲本紀、書けば書くほど言葉にしたいことが増えるというか、触れたい場面が増えていく。それに追いつけることがいつまで経ってもない気がする。
いったん葵咲本紀についての記事はこれでおしまいかな?見ながら沢山書いておいて本当によかった。
読みにくかったと思いますが読んでくださった方ありがとうございました!

*1:なお、秀康を惑わせ、操る原動力となるこの存在が具体的にはいったいどの刀であるのか、葵咲本紀の中では明らかにされません。 作品展開のバランスを考えても、わたしは「この刀の正体が具体的には何なのか」については、あまり重要なポイントではないのかな…?という気がしています。 説明が難しいのですが、ええと、誰でもいい・どうでもいい、ということを言いたいのではなくって…どちらかというと、史実がどうかということより、そこに託された物語性のほうがより大事なのかな?という気がするんです。 結城秀康の元に、もしかしたら何らかの形で篭手切江と縁の深い刀があったこともあるかもしれない、くらいのニュアンスで受け取っておければ十分なのかな…?と。(歴史に詳しい人であれば簡単にわかる内容なのかもしれませんが!)