こうして文章にすることにいったい何の意味があるのかなと思うけれど、この日付をなかったことにしたくない一心で書いている。
今日、2020年4月11日は、わたしが大好きで応援している黒羽麻璃央くんが、ミュージカル「エリザベート」で帝劇デビューを果たすはずの日だった。
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◆「全公演中止」が告げられて
今年のエリザベートは、東宝での公演20周年となる節目の公演であり、東京・大阪・名古屋・福岡を巡る全国ツアーが予定されていた。
全体の初日は4月9日、博多座での大千秋楽は8月3日。4ヶ月にわたるロングラン公演になるはずだった。
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昨今の状況を鑑みて、帝劇での上演はまず難しいだろうことは、とうにわかっていた。それどころか、5月の梅芸も諦めないといけないかもしれない、もしかしたら6月の御園座も危うい。
だけど、夏の博多座ならまだ希望はあると、思っていた。
ついに4月7日に緊急事態宣言が出たときには、4-5月の上演がすべて白紙になることへの覚悟は固まっていた。
だけどその予想に反して「全公演中止」のお知らせがあったのは、4月8日の夕方だった。
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東宝演劇部のお知らせ用アカウントからリンクに飛んで、
『エリザベート』帝国劇場公演から全国ツアーまで全公演中止
の文字を見た時、どう受け取ったらいいのか、全くわからなかった。
全然、覚悟が甘かったんだなぁ、と思った。
5月までの中止なら受け止められる気でいたけれど、現実はもっともっと、厳しいものだった。
なお、数か月先に予定されておりました公演も中止の対象に含まれておりますが、現下の情勢においては各公演について十分な準備期間を確保することができず、
また、全国ツアー公演では、各カンパニーによる各都市間の移動が伴うことなどを踏まえて判断させていただきました。
東宝のお知らせにはこう書いてあるのだけれど、
エリザの場合おそらく、キャスト+スタッフ+オーケストラの総数で、200名を軽く超えるカンパニーになるのではないだろうか。
そもそも、今わたしたちは”集まる”ことができない。人が集まれなければ、稽古だって準備だってできっこない。
さらにこの状況下で、それだけの人数になる集団が移動するリスクがあまりにも高いことは、容易に理解できる。しかもツアーに伴って、観客だって移動するのだ。
だから現時点で、全てを断念せざるを得なかったんだろうと思う。
関わったすべての人が、今どれほどの無念を、抱えているんだろう。東宝の演目では、同様の規模で全国ツアーが決まっていたミス・サイゴンも同時に中止になっている。スタッフの方は、いったいどれだけハードな後処理に追われているのだろう…。
去年の11月12日に、2020年版キャストが発表になったとき、こんなに嬉しいことはないと思った。
心の底からツボだなと感じられて、2015年に初めて見てからずっと大好きだった、最高峰のミュージカル作品。
そこに、応援している大好きな俳優さんが、とてつもない大役での出演を掴んだ。
ついに決まった帝劇デビュー。しかもそれがエリザで、ルキーニでだなんて。
何回噛み締めても意味がわからなくて、現実の出来事とは思えなくて、頭がおかしくなるほどに嬉しかった。
間違いなく、観劇趣味を持ってから、わたしにとって一番嬉しい出来事だった。
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その楽しみな気持ちを試されでもするかのように、チケットを取るのは予想以上に過酷で、舞台を好きになってからの7年ちょっとの間でも、一番しんどいチケット取りだった。
とくにまりおくん初日のチケットは、2ヶ月間ありとあらゆる先行に挑戦しつづけてもどうしても取れなくて、ひどく落ち込んだ。周りの人に心配をかけるくらい、病みかけていた。
でも最終的に、背水の陣として臨んだ東宝での先着販売で、奇跡的に買うことができたのだった。
決済完了の画面が見れた時は嬉しすぎて、ばかみたいに泣いた。
2月9日の出来事だった。
でもその頃から徐々に、わたしたちをとりまく世界の様相は変わっていき始める。
「自粛」という言葉がこの世で一番嫌いな日本語になった3月上旬までの数週間。
同時に、感染の状況はどんどんと深刻さを増していく。
楽しみにすればするほど、もしかしたら見られないかもしれないという感情が湧くことが苦しくて、現実とどう向き合えばよいのかわからなかった。
その中でも全国ツアーのチケット発売は続く。「今申し込んでいるこのチケットは本当に生きるんだろうか?」と思うと、目の前の景色が一段階暗くなるようだった。
何より、日々突きつけられるエンタメを取り巻く環境の厳しさ。苦境を強いられる大好きな舞台に対してできることがあまりにもなく、舞台を好きでいることを責められているような心境になる日すらあって、今わたしはいったい何と戦っているのだろうと思いながら、必死で首をもたげ続けた。
でも結果として、ほんとうに、全部が無くなってしまった。
気をもんで、ハラハラして、考えすぎないようにして、ありとあらゆる手段で必死に保ち続けた気持ちは、強制終了を余儀なくされた。もうこれ以上、心配することもできない。
「もう中止の発表に身構えなくていい」という肩の荷が下りたような開放感と、そのことへ募る罪悪感。同時に突き上げる「どれだけしんどくても公演がある未来をまだ待っていたかった」という無念さ。
次々に湧いてくる感情の行き場はどこにも見当たらなくて、今はただ、じっとそれらを抱いていることしかできない。
◆見たかった姿
ふだんのまりおくんとは、言ってしまえば正反対の印象でもあるルキーニ。でも意外というよりは納得感がありすぎて、絶対に似合うという確信があった。
オフの時、たまに髭を生やすことのあるまりおくんだけど、今年に入ってからはわりと髭のあるスタイルの時期が多く、さっそく役を意識しているのかな?と感じながら見ていた。
今年の2~3月に金曜シーズンレギュラーをつとめた「ヒルナンデス!」でも、放送を追っていると途中から髭を生やし始めた様子が見て取れて、「つまりルキーニの髭、メイクじゃなくて自前でやるつもりなんだな!?」ってことがわかって、徐々に仕上がっていく様子を見られるのが嬉しかった。
シーズンレギュラーの卒業回となった3月27日、まりおくんは番組の企画で、ラストにドッグショーを披露したのだけど、彼はその冒頭で「Ladies and Gentleman!」って高らかに声を張り上げた。
その口上を聞いた瞬間、反射的に、うわぁルキーニだ、と思った。さらにその後に彼が続けた「今、日本こんな状況ですけど、少しでも明るくしましょうよ!」という言葉には、”人前に立つ仕事”を選んだ人の気概が、これ以上ないほどに詰まっていた。
ルキーニという役が体に染み込んでいること、彼が今自分にできる役割をスポットライトの中で実現しようとしているのだということ、その双方がどうしようもなく伝わってきて、録画を見ながら、気の済むまで泣いた。
まりおくんのあの高くてちょっと独特にゆらぐ大好きな歌声で、ルキーニの曲をどう歌うのか、本当にきいてみたかったな。
有名なナンバーである「キッチュ」や「ミルク」を、他でもないまりおくんが歌う姿が見られるのかと思うと、嬉しすぎてどうにかなりそうだった。
ルキーニは本当に歌う場面が多いから、まりおくんの声で想像できるものとイメージがつきにくいものとがあって、そのどちらも楽しみだった。あの曲のあそこはどんな風に表現するのかな?って、2015年版エリザの公演CDを聞きながら思い浮かべては、とにかくわくわくしていた。
「どうせ2.5次元の俳優さんでしょ、今流行りのイケメンでしょ」って思ってる人たちに、”かっこいい”だけを売りになんかしてないことを、存分に見せつけてほしかった。
ロミジュリで小池先生に出会い、そこで買ってもらえた若い才能を、まりおくんらしく思い切り伸ばして大作にぶつける姿が、心底楽しみだった。
気骨があって努力家で、舞台に立つことが大好きなまりおくんだから見せられる、史上最年少のルキーニで、劇場に来た人をあっと言わせるところを見たかった。
長い間楽しみにしていた事実を、夢が叶うはずだった今日の日付を、どうしてもなかったことにしたくなくて。
「見たかった」という気持ちをマイナスなものとしてではなく、作品や演じてくれる人たちへ傾ける大切な愛情として、残しておきたくて。
自己満にしかならないけど、どうしても文章にしたかったのだ。
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舞台で活躍される俳優さんたちのスケジュールは、3年先まで埋まっているのが当たり前と聞く。
このメンバーがまた揃うことができるとしたら、どんなに早くてもきっと4年後くらいになるのだろうと思っているし、そしてそれが叶うのかもわからないけれど、
絶対にいつの日か、改めて20周年キャスト版の「エリザベート」に、会える日が来ることを信じたい。今は信じさせてほしい。
キャスト発表があった後に、エリザ2019年版グッズのルキーニのチャームを、友達が思いがけずプレゼントしてくれた。
「お守りだよ」って贈ってもらったそれを、印刷した4劇場分のキャストスケジュールと一緒に、今日までずっとケースにしまっていた。
まりおくんのルキーニを劇場に見に行ける時がくるまで、これからもこのままお守りとして、大切に持っていようと思う。
いつの日か必ず、エリザベートの世界でお会いしましょう。
今年、会えたわけではないけれど、でも、
See you again someday.