こたえなんていらないさ

ミュージカル『刀剣乱舞』を実家とする舞台オタクのブログです。推しとご贔屓がいます。

「舞台オタクとしての感性」が死ぬのが怖い

無理して前向きになる必要はないと思っているので、普段ここに書く文章に比べると明るさが少なめになってしまったけど、いま感じていることです。

 

 

 

あっという間に6月になった。なんと梅雨入りだ。

日々の中に光り輝くエネルギー補給ポイントであった現場がカレンダーから全て消え、生活から徹底的にメリハリが失われているので、時間はただサラサラと前へ向かって流れ去るのみになっている。

こうして生きているだけで、世界は不可逆性に満ちている。

 

 

劇場に行けなくなった生活も、4ヶ月目に入った。

観劇はわたしにとって、物語の力、生きている人が紡ぐ表現の力を、かたまりとしてまるごと客席で受け取る行為だ。

そして、今模索されている演劇の新しい形が、過去のそれと全く同等の体験を与えてくれるものだとは、あまり思っていない。

これはなにも悲観的になっているのではなく、当たり前のことだと考えている。

なぜならいま色んなところで懸命に形にしようとされている新しい上演の試みは、わたしたちのよく知る舞台本来の姿の「代替」を目指したものではないからだ。

代わりになるものではなく、新しいもの。だからこちら側にも、新しいものに対する観客としての態度変容が、たぶんこれからものすごく必要になる。

 

そして、決してあるべき姿の「代替」にはなり得ない事実が、作り手にも観客にも明確にわかっているのに、なぜ新しい形を探り続ける動きがあるのか。それはおそらく、

「止まってしまえば、舞台作品という表現そのものが、いつか恒久的に失われ得る」おそれがあるからではないか、と思う。

その危機感が根底にあるから、たとえ違う形になろうとも、舞台の上で表現することを、諦めるわけにはいかない。その必死な思いを、観客側から勝手に感じている。

 

 

この先、新しい取り組み全てがうまくいくものではないだろうし、見えないことはあまりにも多すぎる。

中には新しい取り組みをするようでいて、実際は本質的ではない小手先の何かで、お茶を濁すようなケースもおそらくあるだろう。淘汰されるのだろうけれど。

 

けれどそんな混沌の中に、必死に手繰り寄せようとされている、舞台表現の息づかいが存在するのだとしたら、

それを観客として、受け取ることのできる自分でいたい。

できるかどうかわからない。正直あまり自信はないんだけれど、可能ならばそうでありたい。

 

これはわたしの願望であり、舞台オタクとしての死をひしひしと感じている焦燥感の表明だ。

わたしは舞台を劇場でどうやって楽しんでいたんだっけ。どんなふうにワクワクして感想を湧き上がらせていたんだっけ。

観劇とは五感をフルに使った体験である。見ている間の時間以外に、チケットを手にするまでの時間、劇場に行ける日を心待ちにする時間、見終わった後に作品を咀嚼しじっくり味わう時間、友人と感想を語り合う時間、そういうものを全部ひっくるめて、ひとつの体験が構成されている。

だから、かつて劇場で見た作品の映像を繰り返し見るだけでは、その感覚は少しずつ色褪せていってしまう。頭の中にもやがかかったようになり、鮮やかだった手触りはどんどんとぼやけていく。

 

そもそも舞台が上演されない限り観客にはなれないので、実際のところ舞台オタクとしてのアイデンティティは既に消失しているのに等しいのだが、

根っこの部分にある「舞台を楽しむために必要な感性」が、自分の内側でゆっくりと息の根を止められているような感覚があり、それがものすごく怖いのだ。

 

この先のわたしは、もしかしたら画面越しの演劇に、いまいち乗り切れない自分に失望するのかもしれないし、

座席が間引かれ、値上げされたチケットで見た作品に、かつてと同じような体験を得られず悲しくなるのかもしれない。

数ヶ月前まで当たり前だった上演告知に対して抱いていた期待と比べると、配信で届けられる新しい作品群のお知らせに対して「楽しみだ」「見てみたいな」と感じる気持ちは、あまりにも弱い。そのことがなんとも言えず辛い。

「配信」での上演の重みが、かつて知っていた通常の舞台公演のそれとは、どうしてもわたしのなかではイコールにならないのだ。

 

でも同じじゃないものを、同じように楽しみにして、同じように感動することは、たぶん出来なくて当たり前なのだ。

 

だからこそ全部、経験してみないとわからない。

やってみたその先に、感性のなかに新しく動く部分を見つけられるかもしれない。

その新しいなにかを見つけることができたら、わたしは舞台オタクとしてまだ、生き延びることができるんじゃないか。

 

 

配信での演劇への距離感を掴みかねている苦しさ、オタクとしての自我が死にゆく恐怖感、そんなものが今とてもしんどいんだけれど、

結局一番奥にあるのは「大好きな舞台が見れない、劇場に行けない」ことへの苦しさだ。

本当にわたしは舞台が好きなんだなと、逆説的に浮かび上がるその必死さに、もはや複雑な気持ちになる。

 

義務ではなくて自分の楽しさのため。取り組むのは、やりたいこととできることだけ。そこのバランス感覚を研ぎ澄ませながら、生き延びるしかなさそうだ。

だから今はとにかく「見てみたい」と感じたものがあったら、気負わずに楽しく見ていこうと思う。

わたしはやっぱり舞台オタクでいたい。