直近の悩みについて。
- とある作品の全公演(初日や千秋楽だけでなく、上演される全ての公演)が、リアルタイムで配信される環境において、
- 自分が実際に持っている観劇チケットより早い「初日」の配信を見るかどうか
ということに、今ものすごく悩んでいる。
具体的に言うと、刀ミュ幕末天狼傳についてだ。今月の後半に銀河劇場で公演が始まるが、その全公演が、平日土日の区別なく、リアルタイムで配信されることが既に発表されている。
ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳~の公演全日程LIVE配信が決定! | ミュージカル『刀剣乱舞』公式ホームページ
まず前提として、60公演が予定されている演目においての全公演配信、どう考えても簡単にできることじゃないと思う。それにも関わらず、先月末から始まった源氏双騎出陣ともども、全公演配信を実現してくれていることが、そもそもありがたすぎる…ということは、まず最初に述べておきたい。
いま、あらゆる舞台演目は、感染症対策で座席数を減らざるを得ない状況にある。
満席時に対しては約半数に抑えられた客席。そこから得られるチケット収益は、当然元の半分程度になるだろう。公演の収益の柱になっているグッズも、混雑を避けるために現地では販売がされない。
どう考えても興行的には厳しいに決まっていて、その中での全公演配信にかかるコストと、配信から得られる収益のバランスが、どうかとれるものになりますように、この配信の試みが、明確に公演側に収益面でメリットのあるものでありますようにと、本気で願わずにはいられない。
…その上で。自分自身の体験に、この状況がもたらすものを考えたとき。
「その作品を受け取る最初の体験を、劇場での観劇ではなく、果たして「配信」に置き換えることはできるのか?」という点、ずっと考えているけれど、結論が出ない。
すごく見たいけれど、やっぱり見たくない…というような葛藤がどうしてもあるのだ。
実のところ、初日配信を見たいと感じる自分の動機を紐解いてみたときに一番の理由として上がってくるのは、「ネタバレに遭う前に確実にこの目で見ておきたい」というものだった。
なぜネタバレを避けたいのか。それは自分にとっての「最初の」瞬間の感慨を、少しでも目減りさせたくないという気持ちによる。ネタバレへの許容度合いは個人差が大きくなってくる部分だが、わたしはその中でもかなり極端にネタバレを嫌がるほうだと思う。
たとえ"再演"の演目だとてそれは同じで、初演時とは演出がどう変わったのかとか、音楽が新しくなっているだとか、キャストの演技が成長しているだとか…とにかくその全てについて、わたしは自分の目で見るまで、前情報をとにかく一切入れたくない。
なのでこれまで(=コロナ以前)は、可能な限り初日に近い公演チケットを手に入れるように尽力していた。そして自分にとっての「マイ初日」観劇を終えるまでは、SNSでは単語やアカウント単位のミュートなどを駆使して、ネタバレに被弾しないよう自衛を徹底してきた。初日からの数公演に入る人の人数は当然限られたものだから、その自衛で乗り切ることは特に問題なくできていたように思う。
しかし、これからは違う。見ようと思えば誰でも手元で初日を味わえるのだ。当然、わたしにとってネタバレと感じられる感想はどこにでも溢れるだろう。その中で自分が劇場に足を運ぶ日まで、果たして情報を入れずに乗り切ることは可能だろうか?SNSを一切見ないで過ごせばなんとかなるかもしれないが、環境は以前とは大きく異なることに、どうしても留意は必要になってくる。
と同時に、「せっかく確実に体験できる「初日」を、みすみす見逃してしまって良いのか」という気持ちも、自然と頭をもたげてくる。
この全てが簡単ではない環境下での幕開けを、そこに詰まっているだろう挑戦や努力が、表現として結実し、初めて世に出るたった一度きりの瞬間を、画面越しとはいえ見届けるチャンスが平等に目の前に用意されているのに、それを行使しないなんて、あまりにももったいないのではないか…?と。
つまるところ、わたしは自分にとっての「配信」と「生の観劇」の体験価値の違いを、まだ明確に捉え切れていない。そこが悩みの根幹である。
その作品に初めて触れる機会は、自分にとってはたった一度きりのものだ。それを生の観劇から配信に置き換える決断は、やはり簡単には進めることができない。
配信と生の観劇、その両者が同じものではない以上、観客としての捉え方がイコールにはならないのは当然だろう。これまで数年間ずっと、実際に足を運ぶことにいちばんの重きをおいておたくをやってきているから、「現場」が失われ続ける現実に、未だに慣れることができていない。
それでもここまで迷うのは、自分の中において、配信と生の観劇との捉え方の間に、なにか必要以上の断絶を生んでしまっているのではないか…?とも正直なところ感じるからだ。
「前と同じ」を望めない以上、これまでと全く同じ観劇体験の価値を追い求めてばかりでは、なにか"行き止まり"のようなものを迎えてしまうのではないか。
ある程度の価値観の転換をもって、「劇場で見ているわけではないけれど、配信で見る初日もれっきとした初日だ」と、まずは捉えてみる努力が必要なのではないか。そんな風にも思うのである。
…でもこれは、「生の観劇」にしかない魅力や醍醐味を徐々に諦めることに繋がっていく考え方のような気もしていて、そこがどうしても怖いのだ。
どこか詭弁のように聞こえるかもしれないけれど、それでも「劇場で、直接作品を見たい」という欲求、そこからくる自分の中でのこだわりは、そう簡単に手放してはいけないものなのではないか。
「大好きな舞台を、どうしても劇場で見なければ嫌だ!」というしつこいほどのこの気持ちは、舞台というエンターテインメントがこの先も続いていく上で必要な何かなんじゃないのか。大袈裟に言うと、そんな風にも感じるのである。
一方、公演を打つ運営側は、確実に変化している。それは変化を"余儀なくされた"というのが正しいのだと思うけれども、そうして圧倒的に不自由な環境に置かれた中でも必死にできることを探し、こちら側に懸命にエンタメを届けようとしてくれている。
だとしたら、それを受け取る自分の側の変容もまた、自然と必要になっていくんじゃないか。そんな感覚があるからこそ、わたしは初日の配信を見るか見ないか、滑稽なほどに悩んでいるのだと思う。
この感じでいくと、わたしはたぶん初日直前のギリギリまで、しつこく迷い続けるような気がする。
しかしそれも、すべては無事に幕が開いてこその話だ。
ほんの1〜2ヶ月前に比べても、舞台作品が予定通りに上演できる勝算はなんとなくだが高くはなってきているような気もするけれど、それでも安心なんて出来るはずがない。
ほんの数日で、世界が大きく変わってしまうことを、わたしたちはもう何度も経験してきた。
あり得たはずの演目が無くなる瞬間には、もう嫌というほど立ち会っている。悔しいけれど、だから絶対なんてどこにもない。
まずは、幕末天狼傳の初日の幕が、どうか無事に上がりますように。
これももう、飽きるほど繰り返されてきた言葉になってきたけれど、でも本気で、それだけを祈っている。