東京心覚、その1からのネタバレ感想つづきです。1の内容を前提として書いているので、よろしければそちらからどうぞ!
そのまえに!
サムネや1スクロール目にネタバレ要素が入らないように、アイスブレイク的に数行適当なことを書いてごまかす配慮コーナーです!(※なんだそれは?)(つまりスペース稼ぎなのでネタバレていい人は飛ばしてね!)
わたくし今回も例のごとく「歴史全然わからない!けど楽しい!」をやっております。もはやコレ、お家芸になってきました。
もう言わんでいいのでは?ってくらい毎回同じことを言っている気がするけど、刀ミュがすごいのは、そういう歴史を知らない人間に「もっと詳しく知りたい」という気持ちを起こさせるところだと思っています。
今回は3点ほどちゃんと知りたいなと感じたポイントがあったので、きのうは観劇後に図書館によって本を探すなどしました。
最低限、歴史上の人物名とかで把握してないと無理があるな、というところは検索してまずwikiを読むんだけれど、それだけじゃやっぱり味気ないというか勿体ないというか…
これだけ強度の高い物語をせっかく受け取っているのに、「へ~そうなんだ」でちょろっと検索して済ますのはなんか違うー!という感覚が個人的にはあるため、歌合のときもやりましたがまた図書館にお世話になろうと思います!
…よし、こんだけ書けば大丈夫かな。笑
以下ネタバレ感想続きいきますね!
◆刀ミュ=三日月宗近の物語になりつつある件
今回ももうさ…正面からどかんと出てきなさった…。
時間遡行軍を蹴散らす平将門を目撃した水心子正秀と源清麿。「あれは一体…?」とつぶやいた二人のもとに、
「まさかど。…たいらのまさかど。」という、聞き慣れた声が響き渡ります。
初回観劇時、将門がなにものなのか水心子同様にわからない状態だったので、オペラグラスで確認しよ!と思ったところにその声が降ってきて、持ち上げたばかりのオペラを比喩でなく「ゴトッ」と膝に落としました…。
なぜならその声の主が、三日月宗近だったから…。
「ちょっとまってー!!!!!」って心の中でひとり大絶叫していたんですけれど、
葵咲本紀以降、刀ミュという作品シリーズを追うことが、イコール「三日月宗近の物語を追う」側面も明確に生まれつつあることを、改めて痛感いたしました。
こ、怖い。。幕末天狼傳の再演にすらその要素があったのだから、新作で油断などしていいはずがなかったのだよな…
このあとの展開、もうなんか予想を遥かに超えたものに襲われ続けて、助けてくれになった。お願いだよ、助けてくれよぉ…(三日月推しの心からの悲鳴)
自分の居場所、時間を捉える感覚について水心子が抱く混乱は、三日月宗近へ対する疑問へとつながっていきます。
どうやら水心子は、三日月が独自にとっている行動について、ある程度詳しく知っているようなのです。真正面から問いかけた様子のシーンが出てくる。三日月の行動を把握している刀剣男士、実は本丸に今やけっこういるのかもしれないですね…。
しかし、水心子はわからなくなっている。
1記事目に書いた通り、もし放棄された世界が、この先に訪れる未来なのだとしたら。自分たちが歴史を守ろうと腐心し続ける先に、あの荒廃した世界が待ち受けているのだとしたら。
では自分たちは、いったいなんのために、何を守ろうとしているのか…?
「歴史とは、大きな川の流れのようなものだとあなたは言った、では、その流れ着く先は…?」
ひとり苦悩する彼は、しかし物語が進むにつれて、徐々に三日月の意図するところをつかみ取り、最終的には三日月本人にそれをぶつける形で、物語はクライマックスを迎えるのでした。
…えっとですね。今回この後、もう身も蓋もない書き方しかできませんでした!
要素は理解できているつもりでも、ひとつの流れのある文章としては、全然まとめられなくて、、
そのため叙情性ゼロって感じで正直情けないんですが、以下作品から感じ取ったことを箇条書きにしています!これは完璧に己の力不足〜くやし〜歯がたたね〜!
*
「三日月宗近という機能」について考える①
- 源清麿がおなじ天下五剣である大典太光世に三日月について尋ねるシーン。
- 奴について俺から語れることはない、という光世がひとつだけ答えたのは
- 「機能。…三日月宗近という機能。そう呼ぶ者もいる。俺の言葉に置き換えるならば、それは『呪い』だな」
- いやあなた、呪いて。呪いて…(クリティカルダメージ)いまなんて…?
- なにゆえ「呪い」なのか?
- 後半の三池曲で、光世は「持て余した強さ それはもはや呪い」みたいな歌詞を歌ってもいる。
- 特別な存在として賞賛を集め、畏れ崇められるうちに、同時に勝手なものを気づけば背負わされていく。そして自分は結果として長く仕舞い込まれることになった。光世はまずその様子について「呪い」と称した?
- それを三日月に当てはめて考えると、三日月は後世に圧倒的に「遺る」立場の存在であり、さらにどの刀よりも「人の思い」を集めてきた存在といえる
- 天下五剣として、この世の刀で最も美しいと称され、生きてきたたくさんの人の思いを受け続けてきた刀。誰がどう見ても特別な存在であるがゆえの孤独を、光世は「呪い」と表現した…?
「事実が残っていなければすべてはなかったことになるのか?」という水心子の疑問
- いつの時間軸なのかは不明だが、おそらく回想として登場する豊前江と水心子の会話。
- 「曖昧なのはお前だけじゃねぇぜ!」と声をかける豊前江。彼は「誰かが覚えてりゃ、俺がここにいたその事実まではなくなんねぇだろ?」と言う。
- ここに葵咲本紀の貞愛のセリフを思いだした。「だったらお前が覚えてろ!俺もお前のこと、覚えててやっから」
- そうなんだよ…刀ミュの世界においては、事実よりも「思い」がそこにあったかどうかが、常に実在性を担保する鍵になっていると思う
- 「ぼくは、そんざいしない?」と自らの非実在性に向き合ったつはものの今剣に、義経公が「良い名じゃな。あの世にいっても、覚えておこう」という言葉をかけたことも思い出す…
- 「では誰からも覚えてもらえなかったら、忘れ去られてしまったら、存在しなかったことになってしまうのか?」という水心子正秀の問いかけ。その声は切羽詰まっている
- しかし豊前江は「その答えを持ってんのは、たぶん俺じゃねえな!」と返す
- 出自のあやふやな自分に答えられること、答えられないことが明確すぎるりいだあ、かっこいいですね…
- ここで水心子の中に「覚えていること」についての問いが新たに生まれ、たぶん彼はそこから理解を深めていっていったのでは?と感じた
「三日月がやろうとしていること」への水心子の疑問
- 放棄された世界を「この先の未来」であると感じている水心子は、三日月の行為に疑問を投げかける。あなたは一体何をしようとしている?と、正面切って問い詰める。
- 歴史を守るのならば起きる事実は曲げられず、つまり「悲しい役割を背負わされた人」を本質的に救うことはできないし、しかも守った先に待つ滅亡が避けられないのなら、余計にその行為は単なる徒労でしかないのでは…と感じているのかなと思う。それなのに、あなたは一体何を?という、悲痛な叫び
- ここの三日月は映像なんですけど、二人が本当に相対したのか、それとも内面で問いかけているのか。どちらとも取れる演出だなぁと思います
- 三日月にそう呼びかける水心子の脳内には、かつての主たちの姿が映し出される。
- 歴史に名を残した者と、そうでない者=「悲しい役割を背負わされた者」が、水心子の背後に等しく登場する。(家康公、義経、新選組、秀康、秀忠…)
- 「これは…蓮の花…?いや、違う」と、はっとしたように言葉を零す水心子。
- 「色とりどりの花。花びら。咲いて、散る…りんどう、葵、都忘れ、トリカブト、山吹、桔梗…」
- 「この花は…あなたなのか?」
- つまり水心子は、三日月宗近について、花になぞらえた理解をしている。
- ここ、初見時わからなくて「どういうことー!!!」って脳内で叫んだ
- 花とは…巡るもの、流れるもの、移ろいゆくもの…であると思う
- とすると、三日月宗近は先述のとおり「遺る」ものなので、花とは対極にある存在のような気がしたのである
- でも、光世が評した「呪い」の側面から捉えると、理解できるような気が2回目からしてきた
- つまり逆説的だけれど、「後に遺る」ものにしか、「遺らなかった」もののことは考えられない、ということが言われているのでは…?
- 敗者に寄り添うことができるのは歴史から見た勝者の側にいる三日月の役割、ということになってしまうんじゃないか
- 身を挺して、散るもの=花に寄り添う姿。水心子が三日月についてたどり着いた答えは、そういうものだったんじゃなかろうか?
- ここで蘇るのは「この花のように清く咲く その下には濁る泥水」ですよね…
- 忘れないでいる、なかったことにしないために記憶を繋ぐ、散るものと共にあろうとする。それはまるで賽の河原のような何かではないのか…。
「三日月宗近という機能」について考える②
- 自分の中で一定の答えをだした水心子は、なすべきことをするために、まずは主に対して問いかける
- 「あの時、三日月宗近の目は悲しみの色を宿していた。できることならば彼を救いたい。でもおそらくそれはできない。なぜなら、世界はそういうふうにはできていないから。そうだね、我が主よ」
- …ねえ、今なんて…?(あまりにもたすからない)
- 推しが助からん宣言されてわたしも助からんよ!?になった。マジでここ、つらすぎて記憶が飛ぶ。何してくれとんの?どういう意味?泣いた
- つらすぎるんだけど、でもこの数センテンス、日本語としてあまりにも美しいと思う。心に刺さりまくった…
- 救えないっていうのがどういうことなのかは、一旦最後に考えなおすとして、水心子の言う「彼の背負っているものを少しでも軽くしたい」に意識をフォーカスする
- 三日月は「未来は決して変えられないことを理解していてもなお、負けた側の人に寄り添おうとし続けている」のかもしれない。
- それしかできることはないから。でもそれが無駄だとも、三日月は思っていないのじゃないかな…
- 水心子は、三日月が向き合い、救おうとしているのが「人の思い」そのものであることを理解したのじゃないか
- 未来がどうなっていくかはわからないけれど、「小さな川のせせらぎが心を癒すこともある、そうだろう?」水心子は、その小さな光の存在に向き合ってみようとしているのではないか。そこから見えることがあるかも知れないと、同じ視点に立って深淵を覗き込もうとしているのではないか
- 「ほんのちっぽけな光でも、ないよりはましだとは思わんか」って、三日月はつはもので言っていましたよね…
- 水心子は自分にできることとして、まずは今・そして未来へとつながっている「過去」の人々の思いを、いま一度根っこの部分から理解し直そう、そこから見えるものを探そうと考えて、改めて清麿を伴ってかつての江戸に飛び立っていくのではないか。
ここで繰り返し出てくる「線」について考える
- 線とは、あくまで人の「意識」が生み出すもの。そして意識も、すなわち「思い」である
- そして線とは、勝者と敗者を隔てるもの
- かつての主が悪人と捉えられがちな村雲江は、結界を結ぶ=線を引く行為に難色を示すし、宝剣として徳川幕府を守る立場だったソハヤノツルキは「庇うわけじゃねぇけど、それが必要な時もあるんじゃねえか?守るためには」と答える。
- 線を引くのはいつも勝者側であり、一度引かれた線を敗者は乗り越えることはできない。村雲江とソハヤの対話は、勝者と敗者、両者から見える景色は常に異なることの対比だと感じた。
- 天海僧正は結界=線をもって江戸を守った
- そしてその結界の外にいる将門は、ある種、敗者の象徴といえるのではないか。
平将門とは何だったのか
- 圧倒的な強さを持ちながらも朝敵として討たれ、その後天海の時代には怨霊となって江戸に現れた存在であり、線を引かれ、結界の外に追いやられた敗者の象徴。
- そんな将門を、例のごとく三日月は「友」と呼んだ過去があることが明かされる
- そして将門は、三日月について「あやつは優しすぎる」と評してみせる
- 「勝った者が歴史になる。当たり前のことよ。」
- 「あやつに言ってやれ。負けた人間に寄り添いすぎると、そのうちお前も負けに引きずりこまれるぞと。…まあ、わかっているようではあったがな」
- …ハァーーーー???ちょっとまって~~~~~~?(死)
- 三日月について「優しすぎる」なんて、そんなダイレクトワード使ってしまっていいんですか!!??聞いてるおたく死にましたが!!??そうだよな優しすぎるんだよ本当にな…!!?知ってた!
- 「この戦。儂は…負けるな?」と自分の行く末について水心子に問いかけた将門は、「だとして、儂がここにいたことまで無くなるわけじゃない、そうであろう?」と重ねて問いかける
- 「…ああ!」と力強く答えた水心子のその声には、喜びが滲んでいるようだった…
- 「ならば良し!」と、からりと笑う将門。負け戦だとしても、己のやりたいと願ったことを全うして散ってやろうかという覚悟の決まった姿。思いがあればそれで良し、結末には拘らないとでも言うかのような。
- 誇り、気高さ、自負心…びしんくんの将門、本当にめちゃくちゃにかっこいいんですよ…
- そして水心子は食い下がるように「なぜ新王を名乗ったのか?」と最初の問いの答えを改めて将門に求める
- 怨霊としての伝説が残るほどに、後世この土地に現れ続けた彼の「思い」の根幹が何だったのかを、水心子は理解したかったのではないか
- それに対する将門の驚きの答え。
- 「厄介な友を持ったものじゃのう!…いつかそう問いかける者が現れる。その時は、照れず臆せず答えてやってほしい、そう抜かしおった」
- み、三日月…!?思わず顔を見合わせる水心子と清麿。そりゃ~そうよ…三日月、あなた一体どこまで先を読んでるのよ…
- 「惚れた女がいたからよ!」
- ここ、どう捉えるか人それぞれだと思うんだけど、わたしはすごく好きだったのです!
- なぜなら、朝敵・怨霊として恐れられ、結界まで張られて忌まれる存在だった彼も、また間違いなく「人間」であったことを、端的に現していると思ったから。
- この答えを聞いて、水心子もまた、確かに将門も生きたひとりの人間だったのだと、すんなりと理解できたのではないだろうか…
三日月が託したもの
- 江戸を起点に複数の時代に飛び、やっとわかった、残らなかったとしても、思いはずっとそこにあったんだと、答えを掴んだ水心子は、清麻呂・江の四振りと共に、三日月の元にたどり着く。(…としか表現できない演出だった。正面から会話しているので)
- 「あなたは…」と声を震わせて涙を流す水心子。それに対して「皆まで言うな」「それだけで十分だ」と声をかける三日月。いやほんと何がなんなん…?
- なんでこんなに大量の推しの新規ボイス聞いてるんやになって本当に混乱したし心臓が痛いしでつらいよたすけてほしい
- 「だが、俺にもできないことがある。それを、お前たちに託したい」
- 「新々刀の者たちよ。お前たちは、これからとこれまでをつなぐ、架け橋となれ」
- 「江の者たちよ。お前たちは、人と、人ならざるものをつなぐ、架け橋となれ」
- 江さんちについては別角度に新しく不穏なものが投げ込まれてきたので、今回は「わからん!」としていったん理解を置いてます。
- 葵咲本紀の明石と同じようなものかなと。今後少しずつ明かされるだろうから、余計な邪推は今はせんどこと思った。不穏なことだけはいったん受け取ったぜ!という気持ち
- 江さんたちは置いといて、三日月、新々刀には未来を見ろって言っているよね。それはどういう…?(これは最後に改めて考えることにした)
水心子が受け取ったもの
- ラスト近辺、再び現れた流れ落ちる砂の滝に対して水心子が語りかける言葉は、三日月から託された己の役割への答え、なのだと思った
- 負けた者、存在が遺らなかった者たちへ手向ける、レクイエムのようなものなんだろうなと。
- 「線は、人の心の中にしかないから」
- 心のなかに線を引かない限り、内なる魂はどこへだって行ける、だからどうか悲しまないで
- 僕たちは線の向こう側にいるのかもしれないけれど、できることを考え続けるから
- 歴史は勝者の歴史でしかないけれど、そこに遺らなかったとしてと、決してなかったことにはならないから
- そして線を引くこと自体も否定はできない。なぜならそうしないと歴史は続いていかないから…
- 天海が結界を作らなければ、ソハヤが宝刀として墓所に納められなければ、江戸は護られなかったかもしれない
- みたいな概念を、個人的には受け取った気がしました
- たくさんのIFの繰り返し、選択の積み重ねの先に、今の歴史=世界が存在している。その背後には、無数の思いがあり続けている
- 歴史の本質として、根底に「人の思い」がある事実を理解して向き合っていくこと、それが心ある刀剣男士に課せられた、役割の根幹なのかもしれない
- わたしが東京心覚のテーマを「人の思い」だと結論づけたのはこういう背景でした
面をつけた童女のような存在について
- 真っ先に思ったこと。怖い!「ささささささ…」何!?ふつうに怖いよ?!!!(怯)
- 何度も水心子の前に姿を現した彼女だが、水心子の呼びかけに答えることはなかった。
- ラスト近辺、彼女は放棄された世界の一面の山吹畑に現れる
- モチーフとしてわかりやすく捉えるなら、平将門が愛した女の化身…だったのかもしれないし、それだけではなくて「線を引かれて内側に入ることができなかった敗者」の概念なのかもしれないと思った。思念体、というか。
- その存在に寄り添い続けているのが三日月だから、彼女の背後には繰り返し「月光」が流れてたのかな…とも思った…(でもまぁ途中からは悲愴も流れるので一概には言えないのですけどね!)
- また別な場面では、歴史通りの流れにするため、豊前江によって命を落とした道灌のもとに、彼女は山吹を手向けにやってきてもいる
- 「七重八重…」の歌の逸話を考えると、やはり彼女は「歴史の中の、名もなき存在」の象徴なのだろうと思う。
三日月宗近という機能について考える③
- 最後に、水心子が三日月を「救えない」と断定している理由が引っかかった
- その「救えない」は、単にその役割を変わってあげることは誰にもできない、という意味だけでいいのだろうか?そうであってほしいんだけど…
- さらに引っかかっているのは「俺にもできないことがある」という三日月のセリフ。
- 三日月にとってできないことってなんだろう…と思ったときに、あれだけ一人で過去に飛びまくっている様子なことを考えると、できないこと=未来に干渉することかなぁ、と思わず考えてしまった…
- 歴史とは、大きな川の流れのようなものだという。その流れ着く先=未来なんだけれど、三日月はもしかして、自分はその未来を見ることはできないって言ってる?とふと思えて、めちゃくちゃつらくなった
- 自分にはできないから、新々刀の二振りに、これまでとこれからをつなぐ架け橋となれ、って言ったの、、?
- は!!?嫌なんですけど!?未来にもいてよ!!?こないだ、笑顔でまた会おうっていってたじゃん!!!!(ひとしきり暴れる)
- ここでやりすぎか?と思う解釈をひとつあげるなら、三日月宗近という機能は、「歴史の大局を変えることなく、敗者側に寄り添う中で、世界が破滅に向かう未来を救う手立てを探ること」だったりするのかなと考えたりもしました
- そして三日月はその過程において犠牲になってしまうことが運命づけられているのかな、とか。ひとりだけ明確に違う使命を帯びて顕現したりしているのかなとか…
- でもそれは、ちょっと考えすぎのような気もしている。ありえるかなと考えた範囲ではあるけど…。ただ、なんとなく未来にいないっぽいよって言われている直感だけは何故かあるので、今それがほんとうに辛い。外れてくれ頼む。
- 結論:三日月のこと好きすぎる身には、ちょっと今回のあれこれ、まじ勘弁してもらってもいいですか!?あまりにもしんどいです!!!予告なしで受けるには規格外の大ダメージだった!!!
*
…書き方これでよかったんか!?ダメでは!?笑
言いたいことを言っただけというかんじで、記事としての作りがいつもと違いすぎて反省。読みものになってねえ!
いやほんと、筋道だててちゃんと説明して感想書くの無理、手に余りまして諦めてしまった。こんなの初めて。。これでも2記事で10時間ちかくかけてるんだよ…笑
最後に、過去にこのブログで刀ミュの三日月について書いてきたことを確認してみました。今回書いていた内容は、だいたいこのあたりが重なってきます。
・つはものどもがゆめのあと
anagmaram.hatenablog.com
・葵咲本紀
anagmaram.hatenablog.com
過去の受け取り方の大筋がずれてないことが改めてわかったので、それは嬉しかった…ですが、物語が進んでいくにつれ、しんどさが増す一方でとにかくつらい!本当に、どうしてこんなことに…?
好きか嫌いか?で言うともちろん大好きなんですけれど、なんかもう最終的に唸り声しか出てこなくなる、それがわたしにとっての東京心覚でした。
心覚が物語の外郭を明らかにしてくる作りだったのでそっちに力点置いてしまったんですが、出てこない人の話ばっかりしてごめんね…。いや…出てきてはいるのか…?(混乱)
でもまぁそういう偏ったオタクが中にはひとりくらいいてもいいかなって思ったのでー!
わたしが三日月のおたくゆえの大暴走を晒してるだけで、今回8振りとも本当に素晴らしいです~~~!!!
8振りの素晴らしさについて、なんかもうちょっと心穏やかに書けるタイプの感想も、別途あげられたらよいな~!と思いました。脳みそから煙が出てきたので今日はここまで!