こたえなんていらないさ

ミュージカル『刀剣乱舞』を実家とする舞台オタクのブログです。推しとご贔屓がいます。

刀ミュ 江水散花雪 感想 / 『隊長』という役割と、その成長~山姥切国広と大包平を巡って~

寝かせすぎてしまった!毎度のことながら!
らぶフェス2022が始まる前に、まじの駆け込みで感想をまとめます!
今回は、まとめられたところから細切れにアップする珍しい試み。どこまで書けるかわからないけど!
あのですね刀ミュの感想あるあるなんですけど、群像劇としてあまりにも見事であるゆえに「何から書いたらいいかわからない!」問題があるんですよ……!笑

まずは今回、山姥切国広と大包平を巡る『隊長』としての成長について書きました。
文章の人格が謎にグラグラなんですが、なんとなく以下本文はである・だ調となっております。
そして以下に展開しているのは、今作を見た筆者の主観たっぷりの「わたしはこの二振りをこう捉えた」という、あくまでも個人の感想のかたまりです!
ゆえに解釈違いも多々あると思われますので、そこに関してはどうぞご容赦くださいね~!




迷う大包平。導こうとする山姥切。先輩・後輩の描かれ方

山姥切国広と大包平、この二振りは本作で非常に対照的な存在として描かれている。
彼らが対話するシーンは非常に多く、そのやり取りの中で両者の特徴の違いははっきりと対比される。
他の刀からも”古参”であると称されるほどに経験豊富である一方、言葉では多くを語らない山姥切と、
まだ本丸に来て日が浅く、刀剣の横綱たる自負心は多分に持っていながらも、その実まだ刀剣男士としては迷うことの多い大包平


大包平は、プライドが高い。
しかし同時に、正面切って己の至らない部分を認め、今の自分はどうすべきなのかを、先輩である山姥切に対して教えを請うことができる素直さをも併せ持つ。
彼には刀として傑作であるその確固たる誇りがあり、素晴らしいもの・美しいものを確かに見定められる審美眼も持ち合わせている。
ゆえに、己自身になにか足りない部分があったとき、それをそのままにしておくことを良しとしない。それが大包平という男なのだと思う。
大包平は、ひたすらにひたむきに、良き隊長であろうと奮闘している。
それは刀剣男士として研鑽を積み重ねようとする、眩しいほどに真っ直ぐな成長の在り方だ。


対する山姥切は、とにかく自分にも目の前の相手にも、ある種の厳しさを持って相対する。
戦えば誰よりも強く、戦闘において傷を負うことも稀だ。出来事の先を読んだようなその振る舞いはときにひどく仲間を翻弄する。そんな彼はいつもすべて自分の中だけで、何か答えを出しているふうに見える。

山姥切がそれほどまでに強く厳しいのは、過去の自分の行動に悔いがあるから。
本作後半で明かされるが、山姥切には出陣の際に仲間を失ったという、痛ましい過去がある。
その仲間の死の責は、当時隊長を務めていた自分にあると考える山姥切は、おそらくは己への失望を深く抱き続けている。
おそらく主からは、仲間の死について強く責められたりは絶対にしていないのだと思う。むしろあの主からは「あなたのせいではありません」というような声がかかっているはず。
それでも山姥切国広は、自分のことがどうしても許せないままでいる。
しかし、彼はそうして過去の失態を悔いたからこそ、古参の刀として本丸で一目置かれるほどに刀剣男士として強くもなり、主から困難な任務も任せられるような存在になった。


そんな山姥切は「お前は俺のようにはなるな」という強い戒めを込めて、距離を以て隊長としての大包平の様子を見守る。
足りない部分に真摯に向き合い、足掻き、さらなる高みを目指そうという大包平の在り方は、おそらくは刀剣男士としてとても好ましく、頼もしいものとして、山姥切の目に映っていたのではないだろうか。
ある意味、期待をかけているとも言える。
だからこそ山姥切は「上から見ているつもりはない。対等な上で、俺のほうが上だ」「俺のことなどさっさと超えていってしまえ」などとぶっきらぼうなことを言ってしまう。
山姥切のそんな(言葉足らずな)叱咤激励は、大包平の資質を見込んでのもの。
これだけ真摯な男なら、判断が困難な局面に置かれたときも仲間をきっと無事に守りおおせるだろうと、おそらく山姥切は考えている。


……ここまでの流れであれば、山姥切は先輩として大包平を(言葉足らずではあれど)真っ当に導いた存在である。
時に伝わりづらい部分はありながらも、本丸の良き先輩として振る舞っていただけ、そのはずだった。
しかし、山姥切が内に抱える思わぬ脆弱性が、物語の最終盤で露見する。

守られるべき「本丸の仲間」。そこにいるのは誰か

過去を悔いながらひたすらに強くなることは、山姥切を決して楽にすることはなかった。
むしろ強くなればなるほど、己の中に他者と分かち合えない領域が増えていったのではないだろうかと感じさせられるものがある。*1
もともとの性質上、口数も多い方ではないだろうし、自己開示が得意だとは当然思えないから、他の古参の刀たちや主もそういう彼の特性を尊重して、「安心して放っておいた」ところがあるのではないかと想像している。ある意味では手のかからない存在、というか。
しかしそうして程よく放っておかれる中で、山姥切が己に向ける苛烈な眼差しは、おそらくは主の預かり知らぬレベルで研ぎ澄まされすぎたのではないだろうか。*2


その結果として山姥切は、放棄された世界に自ら取り残されるという選択をとる。閉じかけた時の流れの入り口から大包平が脱出しそびれないよう彼を力強く外へと押し出し、「いい隊長になれよ!」と叫んで。

彼は、自分の存在を守るべき「本丸」の埒外にあるものとして置いてしまったのだ。しかも、それをいとも当然の行為として、何ら疑問を挟まずに。
それは単なる自己憐憫や自己犠牲ともまた違った行動原理だと思う。
”必ず本丸に無事に帰されるべき、大切な仲間たち”という定義の中に、おそらく山姥切の意識下では当たり前のように自分だけが存在していないのだ。悲しいことに。
これは単に「自己肯定感が低いから」「自暴自棄になってしまったから」といった話でもないと思う。
彼に尋ねれば、きっとごく淡々とした調子で「本丸の仲間に何か危機的状況が訪れたときに、自分は特に優先されるべき存在ではないと思った。それだけだ。」みたいな答えが返ってくるのじゃなかろうか。……なんてことを言うのだ!?(勝手に想像して悲しみながら憤ってしまわざるを得ない。。)
それはまるで、自分でも思わぬほど深く穿たれていた悔恨の念の奥底まで、ふと魅入られて取り込まれてしまった、といったような。


しかしそれをひっくり返したのが、任務中に経験不足からくる不甲斐なさを募らせていたはずの、大包平だった。
彼は渾身の大声でもって「許さん!許さんぞ山姥切国広!」と叫び、閉じてしまったはずの時の流れの入り口を、意志のこもった怪力でえいやとこじ開けてみせる。

大包平は、任務の中で今の己に足りないものを深く自覚していた。
刀剣男士としての戦闘能力、困難な状況の中で皆を導く指針の示し方や、視野の広さ。そういった要素の数々が、自分にはまだ不足していることを痛感していた。
しかしそうして惑い続ける中で、大包平は「お前はそれでいい」と繰り返し先輩の男士たち(山姥切国広と和泉守兼定)に言われ続ける。
伝えられはすれこそ、意味を説明されることのないその言葉に「どういう意味だ?」と苛立ちながらも、素直に”その気持ち”を大事にし続けた結果、大包平は一番大切なことを決して見失わなかった。

それは、「仲間を守る」ということ。
彼らの任務は、言うまでもなく歴史を守ることだ。しかしその上で、命を容易く散らしてしまってはいけない。
モノであり、ヒトである今の彼らは、「命あっての物種」なのだ。それを無くしてしまっては元も子もない。
武人にとっての名誉の死、という言葉が頭の中によぎることも、刀であった彼らにはきっとあるだろう。仲間のための犠牲、それもあり得ることだとも理解はしているはず。
しかしそれでも大包平は、お前の取ろうとしているその行動は間違っていると、山姥切に怒りながら訴えに戻ってくる。
それは、自分に刀剣男士としての大切な学びを多く与えてくれた山姥切国広のことを、間違いなく、当たり前に守るべき「仲間のひとり」だと思っていたから。
自分にその学びをくれた本人が、本丸の仲間という枠組みの埒外にあることを、言葉通りに「許さない」と強く思ったから。
導かれ、育てられるはずだった立場の大包平は、その瞬間に山姥切を大きく救ったのだ。


その大包平の姿に、虚を突かれたような表情を浮かべる山姥切。
あの時の大包平は時の流れの入り口だけでなく、山姥切の心も一緒にぐいっとこじ開けたのだと思う。
意図してかせざるでか、いつの間にかかたく凝っていた山姥切の内面に、
本質的に”仲間である”というのはどういうことなのか、本来は彼自身もわかっていたはずのその事実が、勢いよくあたたかに流れ込んできたのだと思う。
そして山姥切は、大包平の日向を歩くようなその堂々とした在り方をきちんと理解し、心の内で深く尊重していたからこそ、その流れ込んできた真っ直ぐな思いを受け止めることができたんだろう。

隊長の役割は、本丸へ仲間を無事に帰すこと、と山姥切はかつて大包平に言った。
その「仲間」には、隊長である自分も含まれなければならないのだ。
そうでなければ、もしも本丸から山姥切が失われてしまえば、
今の山姥切が仲間を失った自分を許せないのと同じように、仲間たちも己を許すことが出来なくなってしまうのだという事実を、山姥切は素直に認められたのだと思う。

簡単には馴れ合わない。でもきちんと尊重し合う、それが刀ミュの刀剣男士

物語の最終盤。桜田門外の変の後、雪のさなかに山姥切が見せる「……どいつもこいつも」のあの笑顔。
どこか呆れたような、しかし鬱陶しさは感じさせない、気心の知れた相手へ向けられたそんな柔らかさを声に滲ませて、彼はふっと笑み零す。
その様子からは、かつて仲間を失ったその苦しみがひとつ解け、改めて仲間と共に在ることに向き合えるようになった、そんな心境の変化が感じられるようだった。
山姥切の中に流れる時間は、再びゆるやかに動き出したのだ。


己の中にある美学を突き詰めきって目の前の壁を正面突破した大包平の成長と、
十分に広いはずだった視野の中に、実は自分だけがいなかったことに突如気づいた、山姥切の成長。
二振りは「隊長」という役割を通じて、自己と互いへの理解を深め合い、新たな一歩を踏み出した。

お互いのすべてを理解できるとは言えない、でも信頼しあうことはできる。
単純に馴れ合うのでもなく、寄りかかるのでもなく、肩を並べてただそこに在る姿。
経験値の歴然たる差がある者同士、明確な先輩と後輩であっても、そこにあるのは上下関係ではなく、あくまでもれっきとしたひとつの個としての交流なのだ。

まずお互いに対する尊重があり、ぎこちなくても真正面から互いに関係性を築いていく。その様子こそが、ものすごく「これぞ、ミュージカル『刀剣乱舞』だ……!」と感じられて、本当に大好きだった。
これだよこれ、私が好きな刀ミュは~!と胸の内で叫びたくなるような、胸のすく美しい清々しさがそこにあったなと思う。



思いっきり二振りに絞った掘り下げを書いてみました!どうしてもこの話の本文がである・だ調になったのはまんばちゃんのせいだと思う(?)
まんばちゃんと兼さんの関係性も大好きだったのですが、それをうまくこのテーマには盛り込めず!
そしてそもそも、まんばちゃんの歌がうますぎる件についても何も書けてない!笑 あと「いい隊長になれよ!」の表現の変化とか……。
あれもこれも書こうとするととっ散らかって永遠にまとまらないので今回はテーマを超絞りました!
江水の記事これで最後にならないように、頑張りたいな……がんば……れるか!?

その後:2記事目を書きました。
anagmaram.hatenablog.com

*1:さらなる個人的な解釈を付け加えると、まんばちゃんの場合はだいぶ後天的に身に着けた「強さ」だと思うので、刀ミュ三日月の抱えている孤独とは、まただいぶ質が異なる何かだと感じている。

*2:冒頭での審神者との会話における「俺が勝手にやったことにする」という部分。これは何も山姥切が我が身を捨てて放棄された世界に残ることを言っているのではなく、そうなる危険性を放置しながら「放棄された世界」を招き寄せ、経験の浅い刀たちにその恐ろしさを体験させる一連の流れのことを言っているのだと思う。山姥切があんな行動に出るとは主にも予想が出来なかったんじゃないだろうか。