予告どおり12月!アドベントカレンダー記事の更新をはじめます!
記念すべき1回目となる本日のお題は、「観劇前に下調べをするかどうか?」です。
この話は、
- なにか史実や実際の時代背景を元にしたオリジナル作品なのか
- 小説や漫画、アニメなどなにかしらの具体的な原作がある作品なのか
という点でも大きく変わってきそうですよね。
結論として私の場合は、上記いずれであっても「下調べは特になにもしない」ことのほうが圧倒的に多いです。以下それぞれについて書いていきます!
1.なにかしらの時代背景などがあるオリジナル作品について
まず前者について。記憶にあるかぎりちゃんと予習らしい予習をして臨んだのは、おそらく唯一宝塚花組の「アウグストゥス」くらいで、それ以外でなにか本を読んだり……ということは特にしてない気がします。
上演前におおよそのあらすじや設定の一部が明かされることが大半かと思いますが、だいたい私の場合はその事前に明かされている情報だけで勝負を挑んでます。
知識としてその人の名前や単語を聞いたことがある!レベルなら、それこそ高校までの読書+勉強の知識がかなり役に立っていることも多いのかも。
大人になってから読んだ本ってびっくりするくらい記憶が定着しなくって私は全てを綺麗さっぱり忘れてしまうんですが、反対に子供の頃に読んだものって記憶が鮮明に残りがち。
なので、十代の頃までに得た記憶や知識に観劇の理解を助けられていることが、私の場合は実は往々にしてよくあります。それこそ世界史の知識だったりとか。(つまり、選択していない日本史はさっぱりわからんという事態がよく起きます。日本史、まじでわかりません……)
先述の「アウグストゥス」のときは、タイムラインに事前の予習におすすめ!みたいな感じでいくつか本の情報が流れてきてたんですが、
高校の世界史でギリシャ・ローマあたりの時代すごく好きだった思い出があったので、純粋に読んでみたい気持ちになって読んだ、という経緯なのでちょっとレアかも。
ただこのときに読んだ本のおかげで、「七つの丘の神々よ」という歌詞についてだったり、そもそものあの「神々」という役の意味だったりが自分なりに解釈しやすくなったので、
結果的にかなり意義深い・作品理解に役に立つ読書だったことは確かです。
舞台に通ってると「名前や単語は聞いたことがあるが詳しくは知らない」ものに出会うことがかなり多いように思うんですが、なにか観劇で初知り!という知識に出会ったとき、
私は「詳しくは知らなかったものに新しく出会い直すよいチャンス!」として捉えている気がします。
なので、事前の下調べよりもむしろ「作品に関連する情報を後から掘りに行く」ほうが、性に合っていて好きなのかもしれません。
その作品が出会わせてくれた新しい世界や知識、それをとっかかりにしてどう広げる・深めるか?みたいなところにも、観劇という行為がもつ自由さが表れているように思います。
2.小説、漫画、アニメなど明確な原作がある作品について
次に明確な原作がある舞台についてですが、こちらは明確に「見ない」と決めてることが多いです。
なぜかというと、あくまでも完成されたひとつの”舞台作品”からどんな情報が伝わってくるのか、自分が何を感じるのかを知りたいから。
特別な事前インプットがない状態で、いったいなにを・どこまで受け取ることができるのだろう?という点にむしろ興味があったりします。
私自身は2.5次元作品を観る機会がものすごく多いため、むしろ原作のないものに出会うほうが難しい……みたいなところもあるんですが、もはや意地のように毎回ほぼ予習をしてません。笑
例えば今年に入っての私は突然ヒプステに通い倒したりしてるんですが、「ヒプステだけでヒプノシスマイクの世界の何をどこまで理解できるか!?」みたいなところをむしろ楽しんでいる節すらあります。
2.5はやはり原作がすべての「正典」とも呼ぶべき存在となっているゆえの独特の難しさもあると思うのですが、
私は2.5であってもなんであっても、あくまでも独立した「舞台作品」として成立していて欲しいです。だって舞台なんだもの!
なので「むしろ原作を知らない私にも、存分にその魅力を届けてくれよ!」みたいな感覚で出かけていくことが多いかも。
とはいえ、往々にして原作ものって本来長大な話数があったりして。そのストーリーをどんなに長くてもだいたい上演3時間以内の舞台の中で描こうとすると、いくらシリーズ化したとしても、途中の展開を大きく端折るケースもどうしても出て来ざるを得なかったりしますよね。
なので原作を知っている人・知らない人で全く同じ解像度になるか?というと、明確にそれは全くそんなことにはならないので、難しいところなんですけどね……。
過去、原作未見で舞台前に予習した2.5次元作品は、実は「帝一の國」と「マッシュル -MASHLE-」くらいかも。
帝一は舞台化までタイトルを知らなかったんですが、予習で事前に読み始めたらめっちゃ面白くて以降は原作ファンになり、舞台と並行してコミックスをずっと追っていました。
しかもこの作品はかなり特殊で、原作の連載と舞台上演が平行して進んでいく中、最終的に「舞台最終章の上演が、漫画連載の最終回を追い越す」という前代未聞の展開になったため、結果として原作を読んでいてよかった形になりました。*1
マッシュルは”某魔法学校のパロディもの”と知り、果たして自分がついていけるノリなのかが若干不安だったので事前にアニメの1~4話だけ見てみた……という背景。
結果的に、このアニメ視聴のおかげで舞台冒頭の映像演出がアニメオマージュなことに気がつけたり、カテコ後のボーナスタイム的な感じで披露された「アニメのエンディングテーマの振り付けをキャストが教えてくれて、皆んなで一緒に踊るコーナー」がより楽しめたりしたので、見ておいてよかったパターンでした。といいつつ、マシュステの場合は舞台作品として本当によく出来てるので予習無くても全く困らないやつでしたが!笑
上記いずれも「触れておいたのでより楽しめた」ことは間違いなくあるので、予習も全然ありだなぁとは思う一方、反対に予習の結果で「おや…これは好みじゃないな!?」と先に思ってしまう可能性もあるような気もするのがまた、悩ましい。
(※キャスト起因で観劇に行く舞台オタクの場合は「推しが出演している」というただその一点のみを以て、全く知らない原作であっても足を運ぶ決断をするものですよね。笑)
なのでどのみち”観る”という結論が変わらないのなら、もうシンプルに「舞台」として受け取りにいっちゃおう!というのが私の結論です。
正直なところ2.5の場合、原作の熱烈なファン、原作を全く知らないキャストのファンなどが客席には多種多様に入り混じるわけで、立場の全く違う観客皆んなにとってちゃんと面白いものを届けるってものすごく難易度の高いことをやっていると思います。。
とはいえ、もしも仮に「原作を知らないからよくわからなくて楽しめない」のだとしたら、それは観客じゃなくて制作側に問題があると言い切れるのではないか……?(と、私は思う)。だって何度も言ってしまうけど、こちらが観に行っているのは「舞台」なんだもの。観客には、敢えてその作品を舞台化する意味を見せて・届けてほしいよなって思います。
まとめとしての、個人的な気づき
ここまで書いてみて思ったのは、予習や下調べの有無については「わからない」ことへのストレス耐性がひとつのキーなのではないか?ということ。
おそらく私自身は「わからない」状態へのストレス耐性が割に(妙に?)高いです。なので、観ていて仮にその場でわからないな~と思うことが仮にあっても、それはあとから整理して解釈すりゃええか~と思って流しているし、
前提として仮に脚本が破綻してたりしたら、それはもう下調べ云々ではなくてストーリーテリングに難があるだろ!という結論になっていったりするので……
「目の前のわからなさをある程度・とりあえず許容する」という特徴は、もしかすると強めにあるのかもしれないな、と今回初めて気づきました。
なので今回の記事内容を一般化するならば、なにか話を追っていて「わからないぞ!?」という瞬間に出会ったときに、例えばその一瞬で没入感がめちゃめちゃ削がれるとか、そっちの話題が気になって眼の前の舞台上の展開についていけなくなる……みたいな場合は、下調べ的なものがあるほうが、より観劇を楽しめる可能性があるのかもしれませんね。
以上、あなぐまアドベントカレンダー2024の1記事目「観劇前に下調べをするかどうか?」についてでした。
肩慣らし的に最初に書いたんですが明らかに長くなりすぎており、先行き不安!笑
明日更新予定のお題は「遠征の準備」です。お楽しみに!
▼おたよりフォーム(感想をいただけると喜びます)
*1:帝一の話はアドベントカレンダー企画の中でも別途登場する予定!