こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

刀ミュ ミュージカル『刀剣乱舞』~坂龍飛騰~ 感想。”リョウマ”を鍵とした作品の解釈・考察まとめ


5月11日に幕を下ろした刀ミュの本公演最新作・坂龍飛騰。日常的にX(Twitter)で話題にすることはありませんでしたが、静かにそれなりの回数を観劇していました。

公演が始まって以降ずっと、この作品の伝えたい内容を一体どのように受け取ったら良いのかが、諸般の事情で私には本当~~~に!難しかった。*1(この難しさの源泉については別途記事にするつもりで、多分それが”諸般の事情で”有料になる可能性が高いです。)

「なぜあのキャラクターはこういうセリフを言うのだろう?」「こういう理解で見ようとすると、今度はこっちの理解がうまくすっと流れない…」といった部分にかなり苦しみ、自分の中で「もしかしてこういう受け取り方をしたら良いのではないか?」と理解の端緒を掴めたのは、ようやく5月10日土曜日のマチネを観てからだった。つまるところ、大楽の前日なわけです。いかに苦労したかわかってもらえると思う。。


この記事は、そんなとある(かつての激アツ)刀ミュオタクが見た坂龍飛騰という作品の「物語」について、物部=リョウマの存在に徹底的に注目することにより整理した総括・自分なりの解釈のまとめです。
そのため、都合上どうしても刀剣男士の話がほぼ出てきません!あくまでも今作の物語の解釈に興味がある人向けの読み物になっています。
また話の展開に関して大楽後に沸き起こっていたいわゆる”賛否”のようなもの…に関してはいったんこの記事からは徹底的に抜き去っており、
作品から読み取れる事象の紐解きにのみ、徹した読み物に仕上げたつもりです。(なので、結果的に「私の感情がほぼ述べられていない」という大変不思議な味わいの記事になっています。)
良いも悪いも好きも嫌いも書かれていない、ただシンプルな理解だけが述べられているという、あなぐま的に世にも珍しいアウトプット…という前提でご興味がありましたらお読みください。

  • 当然ネタバレしかしておりませんのでご注意ください。
  • 配信買っていないのでセリフなどはすべて現地観劇の記憶に基づきます。言い回しなどの記憶が怪しい自覚は十二分にございますので、そこはどうぞ温かい目でご覧ください。
  • そしてこの記事、12000字あります…(ええ…?)

目次

まえがき:なぜ物部に集中して解釈したのか

そんな中、唯一ここで私の感情を出すとすると。
なぜ今回そこまで徹底的に、物部に集中して今作の解釈を試みたのか。
それはシンプルに、リョウマが死んでしまう事実がどうしても受け入れ難いものだったから!という1点に尽きる。彼が死を選ぶのが本当に本当に、どうしたって嫌すぎた。
なぜ彼が死ぬ選択をするに至るのか、その背景をどうにか理解したくてたどり着いた解釈…についてまとめた記事となっている。

上山竜治さん演じる”物部”の彼は、作中で名前を明かされることがなかったが、公演後に更新された公演情報ページでは「リョウマ・坂本龍馬 役」というカタカナ表記の役名が併記されていた。よって以降、この記事の中でもリョウマと呼ぶ。

リョウマの心情を理解するための背景整理~回想部分の紐解き~

リョウマに起きた今作より以前の時間軸の出来事(=三日月の登場する、映像による回想部分)を時系列で簡単にまとめると、下記のようになる。

回想1:

  • リョウマの生まれ育ちは平泉(※土地の名前は後半別なシーンで判明する)。幼い時分に近くの神社で起きた火事に巻き込まれ、本来は命を落とすはずだったところを三日月宗近に救われる。
  • しかしそうして救い出されたあと、彼は三日月に「人の子よ、静かに生きよ」「お前の命運はもう尽きた。人知れず生きるしかない」と告げられる。それに対しリョウマは「待ってけろ!」「静かに生きろって、一人ぼっちで生きろってことかよ!一人ぼっちはやんだ!」とあらがう。
  • そんな彼に三日月は「では、歴史がお前を忘れた頃…」「坂本龍馬の影として、生きよ」と伝える。

回想2:

  • おそらくは上記の出来事から少し時間が経ってから。三日月と並んで、眼前の蓮の花を眺める回想描写。
  • かつて朽ちて散り果てた花の上に一面に咲き誇る蓮の花を見て「美しい、実に美しい」とつぶやく三日月に対し、リョウマは「…守る!」と言う。
  • 「あんたが美しいって言ってくれたこの土地は、おらが守ってけっから!」
  • その言葉を受けた三日月は「ほう…頼もしいな」と笑い、「人は、誰しも次に繋ぐ種となる」「その種は、いつか必ず芽吹く」とリョウマに伝える(このときに、リョウマが後日ずっとお守りのように手にしていた蓮の種が手渡されている、と見受けられる)。


→それ以降、「物部」となった彼にとって、生きるよすが・自分が存在する意味=生きる上で果たしたい目的は、下記の2点に集約されていたと思われる。

目的①:「坂本龍馬の影として生きる」こと。
目的②:「三日月宗近が美しいと言ってくれた故郷の土地を守る」こと。


目的①の背景 … 命を救われたはよいものの、恐らくはそれまでの生活に戻ることは叶わないのだろう。本当の「一人ぼっち」で生きる事態を避けるには、坂本龍馬の影として生きる運命を、物部の彼は受け入れざるを得ない。
目的②の背景 … その上で、後日なにかしらの交流を続けていたのか、再び出会った三日月に自分の生まれ故郷の美しさを称賛され、恐らくは純粋な嬉しさからこの場所を守る、と誓う。
自分にとってその光景が美しいかどうかより、命を救ってくれた神様その人が美しいと褒めてくれたことが重要かつ嬉しかったのではないだろうか。
その際に手渡された蓮の実=種は、「いつか(己も)必ず芽吹く」ことを証明する存在として、リョウマを支えるお守りになる。

彼にとっては上記のとおり、このふたつの目的こそが、自分がこの世に存在できる意味・意義の全てになっていると思われる。
その後のリョウマの心情を紐解くにあたり、この2点の理解は非常に重要となる。

実際に「坂本龍馬として生きる」ことになって以降、序盤の出来事

今作での坂本龍馬は、時間遡行軍の手により刀剣男士たちの出陣後早々に毒殺されてしまう。
想定外の出来事にまさかの作戦失敗かと思われる中、さてどうするか?と事態の収拾について言葉を交わす刀剣男士たち。
そこで南海太郎朝尊は「陸奥守くんが、坂本龍馬を演じる。」という案を出すのだが、ここでリョウマが登場する。
陸奥守吉行は、過去の出陣で何度もリョウマのことを見かけ、彼の存在を知ることとなっていた。
陸奥守により「おーい!出番じゃぞー!」と呼び出されたリョウマは、実際に坂本龍馬としての役割を帯びて、歴史の表舞台に出ていくことになる。

以降、リョウマは刀剣男士の助けにより、史実の坂本龍馬をなぞるように行動をしていくが、実のところこの時点の彼自身はまだ「坂本龍馬」と言える状態ではない。
だからこそ役名もカタカナ表記のリョウマなのだろう。
なぜなら、彼が坂本龍馬として歴史上で出会う他の人物に対して発する言葉・取る行動は、すべてリョウマ自身の内面に根拠があって発せられているものだからである。
どういうことか、以下でさらに解説を進める。

久坂玄瑞勝麟太郎とのやりとりに見るリョウマの内面

坂本龍馬としての最初の役目は長州の久坂玄瑞武市半平太の手紙を届けに行くこと。
この際、久坂による「我々は今こそ天子様のもとに一つになるべきだ!」の一辺倒の主張に反発して言い合いになるリョウマだったが、途中「異国から国を守る」というフレーズを聞いた瞬間、初めて目の前の事象を言うなれば「自分ごと化」する。

おそらくそこまでは「理由はいまいちよくわからないが、とにかくこの預かった手紙を届けにいくのだ」くらいにしかおそらく事態を捉えていなかったリョウマは、この”国を守る”という言葉に触れたときに「久坂!俺はその話が聞きたい!」と熱く叫ぶ。
このときのリョウマの内面には前述の目的②、故郷を守りたいという思いが、反射的に湧き上がったのだと思われる。

その後、勝麟太郎の海軍操練所の門をくぐる際も「国を守る」ことがリョウマにとっての最終的なモチベーションの根源となる…のかどうかも最早読み取れない程の上山さんのアドリブの暴れだったが笑、それはまぁ置いておくとして、
あのときの彼もまた、別に坂本龍馬として国(日本)を守りたいという気持ちを携えているわけではなく、故郷=平泉を守りたいというリョウマ自身の気持ちが源泉になっているのだと思われる。


まとめると、このあたりまでの彼は「坂本龍馬として生きる」ということがつまるところ何を指すのかを深く理解しているわけではない状態で、
とにかく目の前で言い渡される役割として、前述の目的①に邁進している。
その中で、元々の自分が持つ目的②を支える願い=花咲き誇る故郷を守ることに重なるような出来事が起きた時、初めて自主性をもって、坂本龍馬の役割により強くコミットしているような状態なのだと思われる。

歴史における薩摩の役割がリョウマにもたらす危機:目的①と②の矛盾

そうして歴史上の坂本龍馬の役割をうまい具合にこなせているかに見えたリョウマだが、ある時点で彼に思いもよらぬ危機が訪れる。
歴史における坂本龍馬は最終的には薩長同盟を結ばせるに至った存在だが、坂本龍馬自身はその過程で、薩摩と深い関係を築くことになる。
しかしその薩摩こそが少し先の未来において、リョウマの故郷である東北の地に攻め入ってくるという事実=戊辰戦争の存在を、リョウマは知ってしまうのである。

このときに、彼の中ではいわゆるアイデンティティ・クライシスが起きたような形になっている。
どういうことかというと、

目的①=「坂本龍馬の影として生きる」ことを全うしようとすると、
目的②=「三日月が美しいといった故郷の土地を守ること」が果たせなくなってしまうのだ。

①で言う坂本龍馬の役割を果たすことはそのまま歴史においては薩摩の動きや結末を大きく変える重要性を帯びるが、
しかしそれは最終的には②で守りたいはずの故郷を破滅に導いてしまうことになる。
つまりリョウマの中では、叶えたいふたつの目的同士が、完全に矛盾し合う状態となる。

結果的にどうしたらよいのかがわからなくなってしまった彼は、刀剣男士たちのもとから逃げ出すという選択をとる。
逃げ出した先で時間遡行軍に襲われたリョウマを、部隊から離れていた肥前忠広がすかさず助け、更にそこに陸奥守吉行と後家兼光が追いつく。
3名の刀剣男士達に囲まれながら「どうしても薩摩にいかなきゃ駄目か?」「薩摩の世話になるのなんか死んでもごめんだ!」と叫ぶリョウマに、陸奥守は「じゃあ死ぬかぁ!」と銃を向ける。
「…らぁて。…びびらせてしまって、すまんかった」「のう、薩摩に行ってくれんかのう。わしは、おんしに坂本龍馬でおってほしい」と頼む陸奥守。
リョウマは腰を抜かすような体勢でそのまま逃げるように駆け出し、その彼を「僕が行ってくる」と後家兼光が追う。

リョウマが「傷だらけの石ころ」の説得に応じた理由

追ってきた後家から、平泉は「大打撃は受けるが滅びることはない」という未来を教わるリョウマ。
なんで戦争が起きるんだ?と食い下がるリョウマに、後家は残念だが君にできることは何もない、と諭す。
坂本龍馬も誰も彼も、生きる人間は皆等しく石ころだ、と伝える後家は、「だから、君でいいんだと思う」とリョウマに告げる。
「あんたも俺も誰も彼も 歴史という礎築く 傷だらけの石ころ」
この後家による説得(というほど強い語調や表現ではなく、”語りかける”に近いが)を受けて、リョウマはこう言う。
「薩摩には行ってやる。行かなきゃ殺される。…陸奥守は本気だった」「死ぬのはごめんだ」
→おそらく、このときのリョウマは、ここで死んでしまっては元も子もないと考えているのだろう。
①の役割のせいで故郷が傷つく事実は到底受け入れられないものだが、②の故郷を守りたいという思いのために、まずは死なないで生き延びることを選んだ。
ひとまず薩摩には行くことにするが、その先でもしかしたら故郷の運命を変えられる何かを掴めるかもしれない、と考えていたのではないか。
だからこそ「薩摩には行ってやる」という結論だったのではないかと思われる。後のことはまた改めて考えることができるのだから、と。


その後、実際に薩摩に赴いて坂本龍馬として西郷隆盛を説得し、長州と手を組む可能性について「坂本さんにお任せしもんしょう」と言わしめたリョウマ。
このときのリョウマの内面は、おそらくは前述の①:役割を担うことに全振り。
②の願いが害されてしまう可能性には一旦は目を瞑ったまま、望まれる役割を果たすことに専念している。
結果的にその姿は堂々たるもので「お見事だったよ!」「なんだか正史より壮大な同盟になりそうじゃない?」と刀剣男士たちは口々に称賛するが、リョウマは険しい顔で「疲れた。このあとのことはまた今度聞く。しばらく一人にしてくれ」と告げる。

ゆっくり休んでや、と彼を一人にする刀剣男士たちだが、ここで後家の言う「思い詰めて西郷隆盛の屋敷に火をつけないだけマシさ。…機会を伺ってるだけかもしれないけど」は、おそらくは的を射る真実だったのだろう。
このときのリョウマにすぐさま火を付けるようなつもりはないにせよ、故郷の未来を変えるためのなにかしらを掴もうとしていることは、確かなのだと思われる。

なんとかして故郷を戊辰戦争から救いたい…その願いはついに絶たれる

その後、土佐にいる龍馬の兄から坂本家の宝刀である陸奥守吉行を西郷隆盛の手によって届けてもらう場面。
同席していた中岡慎太郎は、幕府は風前の灯火なのだから戦をしかけるべきだとけしかけるような論調で坂本龍馬を引き込もうとするが、それに対しリョウマははっきり「戦はせん」と告げる。
彼は続けてこう言う。
「この国を、日本を、花咲き誇る美しい国にしたいがじゃ」「焼け野原にはさせん!」

このときの言葉も、坂本龍馬としてのものではなく、リョウマの内面から自然と発せられた内容がたまたま歴史上の坂本龍馬の役割に噛み合っている状態なのだと思われる。
この場面の直前、坂本龍馬を”演じる”必要がない局面でも流暢な土佐弁で喋るリョウマを見て、笹貫が「随分とまぁ、坂本龍馬が板についてきたもんだ」と独りごちる。

西郷隆盛と相対しているときのリョウマは、花咲き誇る故郷のことを守りたい、焼け野原にはさせない、というとてもシンプルな平泉生まれの自分の思いを叫んでいるわけだが、
先の笹貫との場面での描写に垣間見えるとおり、恐らくは坂本龍馬の内面化が深く進行しており、その発言がリョウマ自身のものなのか、坂本龍馬としてものなのか、本人にもどこか判然としないものになっていたのかもしれない。
ただとにかく、リョウマの胸の内には、三日月宗近と眺めた美しい花景色が常にあり、それこそが守りたい存在の象徴となっていることは確かである。
だから自然と口をついて出てくる言葉が「花咲き誇る美しい国」となる。


そしてその戦をしないという思いは当然、武力倒幕を掲げる薩摩とは平行線。
西郷隆盛は「日を改めもそう」と場を離れるが、その流れで土佐で預かったという手紙をリョウマに渡す。
しかしこれは時間遡行軍に仕組まれたもので、その手紙の中には慶應三年 十一月十五日 お前は殺される」という龍馬の最期が記されていた。


ここで坂本龍馬の寿命を知ってしまったリョウマは「今やらんと…」と取り憑かれたような状態になり、西郷隆盛を殺すことを決意する。
この「今やらんと」は、今のうちに西郷隆盛を殺しておかなければ、自分にはもう故郷を守るチャンスがない、ということを指す。
一度は目を瞑って薩摩との関わりを役割として受け入れたが、思った以上に時間がない。戦争が起こる前に自分が死んでしまうなら、もうできることは今この時に西郷隆盛を殺すこと、それしかない、と決意してしまう。

そして実際に西郷隆盛に斬りかかり、結果的に検非違使が発動→駆けつけた刀剣男士たちの手により倒されるが、ここで西郷隆盛もまた、三日月によりその先の未来を知らされていた存在であることがわかる。
「この先に戦が起こるとわかってるのにただ見てるだけ!?命をなんだと思ってんだよ!」と悲痛に叫ぶリョウマだが、刀剣男士たちにそれが取り合われることはない。
そこに続く、西郷隆盛の衝動的な行動。彼は大勢の人の命を奪うことになる歴史上での己の役割に耐えかねて坂本龍馬に謝罪をしようとするが、笹貫は薩摩の言葉でそれを正面から叱責する。
そんな二人のやり取りを見たリョウマは、全てが自分の蚊帳の外で進んでいることを痛感したに違いない。
自嘲するように「俺がなにをやったって、波風ひとつ立ちゃしねえ!」とやけっぱちに叫び、その場に刀の陸奥守吉行を投げ捨て、再び刀剣男士たちの元を離れようとする。

ここで肥前は激昂して「おい!大事に扱え!刀は魂だろ!」と叫んでいるが、その言葉はリョウマには全く響いていないし、重みも一切伝わらない。
しかしそれも当然である。だって彼は、侍ではないのだ。刀が己の魂であるのは、勝麟太郎と大慶直胤の会話にも現れるとおり、武士のみが抱く感情であろう。
農民として生まれた彼のそのままの本質でその場にいるのだから、刀とともにある武士の生き様など、リョウマには知る由もない。

そして結局、「おんしの好きにしたらええ、」と陸奥守に言われるまま、リョウマはその場から立ち去っていく。

まとめると、このときのリョウマは、②の故郷を守る思いがどうにもならないことを思い知り、①の坂本龍馬の影として生きることもあわせて、それまで信じてきた己の全てを手放して放棄してしまった形となる。
つまり歴史の中においては、どこにも居場所のなくなった状態で彷徨い出ていくことになる。

「散るべき時に散れなかった花」が示すもの

そうして部隊を離れたリョウマのことを、肥前忠広はひとり静かに追いかける。リョウマに投げ捨てられた刀の陸奥守吉行を携えて。

次の場面で、肥前とリョウマは揃ってぐうぐうと空いた腹を鳴らしているのだが、ここで思い出したようにリョウマは昔語りを始める。
「生きてるから、腹が減るんだよなぁ」と。

リョウマが肥前に語ったのは、貧しい農村の生まれ育ちでいつもひもじく、お侍を滅ぼしてくれと毎日近くの神社で一心に願っていた過去の日々。
「でもその神社がある日、火事になって…俺は無我夢中で、それで…」
その先は語られないが、これまでの映像描写により、観客にはその神社の火事から三日月宗近がリョウマを救ったということがわかる。
そしてこの場面でリョウマは「神も仏も信じなかったんだけど」とも言っているのだが、それはつまり「それまでは食うに困る苦しい生活の中、神も仏も信じることなどできなかったが、あの日自分の命を救ってくれた三日月宗近のことだけは”神様”として信じた」という受け取りをすることが、できるように思う。

ここで肥前は、やや唐突とも言える言葉をリョウマに投げかける。

「散るべき時に散れなかった花は、何も残さず、腐るだけだ」
「腐っちまえば、元の美しさには、もう戻れねえよ」

この肥前の言葉は、リョウマが一度は請け負った役割から逃げ出した=坂本龍馬として死ねないことを指して「散るべき時に散れない」と言っているのではない、と思う。
肥前が言っているのは、リョウマ本人の、本来死ぬべきタイミング=平泉の神社の火事で命を落としていないこと、つまり今生きながらえているこの状況こそがすでに「腐った花」になってしまっているのではないか、ということ。
それを聞いたリョウマは言われたことを飲み込み難いような動揺した表情を浮かべる(その後の詳しい表情は、セットが転換するために見えなくなる)。

リョウマはここで、②の願い、故郷を守る時に伝えられた三日月宗近の言葉を思い出したのだと思う。

「人はみな、誰しも次に繋ぐ種となる」「その種はいつか必ず芽吹く」

花として散れずに腐るなら、そこにもう種は残らない。自分は二度と芽吹くことができない。
つまり、投げ出した目的①だけでなく、目的②のことも果たすことは叶わないのだ。


自身が既に行き所を失っている存在であると感じたリョウマは、一度は離れた刀剣男士たちの元に自ら再び戻って来る。それはなぜか。
リョウマは、坂本龍馬として死ぬことを引き受けることにより、もう一度自身を「花」に戻そうとしたのだと考えられる。


歴史の中で、坂本龍馬としての「散るべき時」に正しく死ぬことにより、一度は歴史の流れの中からはぐれた自分の命を、本来あるべき流れに合流させる。
その選択で確実に命は終わってしまうのだとしても、「種になる・いつか必ず芽吹く」ことができるなら。
そのことこそが、三日月宗近と約束した、リョウマにとって絶対に失いたくないと願う、己の在り方なのだ。
だからあの場面でリョウマが口にする「俺は、坂本龍馬として立派に散り果てたい」という言葉は、リョウマ自身の思いによるものなのだと思う。


この時に肥前が彼にかける「自惚れんな。お前はどこまでいってもお前だ。歴史の中で、文字の上で坂本龍馬として死ぬだけだ」という一見冷たく聞こえるあの言葉も、
つまりは優しさなのだとして私は受け止めた。
坂本龍馬として死ぬことが、お前を否定することには繋がらない。お前はお前のままだ、というのが、
ある意味では強い反発をもってリョウマを「個」として捉え続けていた肥前忠広にしかかけられない言葉だったのではないだろうか。

刀の陸奥守吉行を受け取ることで、リョウマに起きた変化とは

ここで肥前は、ずっと預かるような形で抱えていた刀の陸奥守吉行を、刀剣男士の陸奥守に無言で差し出す。
「さっさと坂本龍馬になりやがれ」「刀を。握れって言ってんだよ」と言う肥前
陸奥守吉行を、握ってくれ」と頭を垂れる陸奥守。
リョウマは陸奥守に丁寧に礼を返し、刀の陸奥守吉行を受け取る。その柄をしっかりと握りしめ、鞘から刀身を抜き、凛々しく掲げ持つ。

この瞬間に、リョウマはこの物語の中で初めて本当に「坂本龍馬」になったのだと思う。

リョウマは、本心での「きちんと花を咲かせて種を残すために、今自分は”坂本龍馬”でありたい」という願いをもって、幕末という刀の最後の時代を生きた、坂本龍馬の愛刀を帯びた。
武士が常に刀を携えるのは、命のやり取りをする存在である証。
いつ何時果てるかわからない命への覚悟、その象徴を死への覚悟を決めたリョウマが手にすることで、リョウマは武士としての坂本龍馬になったのではないだろうか、そんなふうに思えた。
少し離れた位置からこの場面を見守っている時の肥前の顔が、どこか驚いたようなハッとしたものになるのは、このリョウマがある意味”武士になった”内面の変化を、感じ取ったからではないかと思っている。


ここで歌われる『蟠龍飛騰』。
リョウマは坂本龍馬とは違う。
”名もなき花”で、”踏みつけられた石”かもしれない。
それでも、最後に自分にしかできないことをしたい、リョウマ自身がそう願った思いが、この曲には詰まっているのだと思う。

「君の神様が舞い降りた」その先にあったもの

最後の曲、『愛で咲く花』の歌いだしは、「君の神様が舞い降りた」で始まる。

リョウマにとって、彼のもとに神=三日月宗近が舞い降りたことは果たして幸運だったのか。それとも禍いだったのか。

生まれ落ちたその土地で、日々を生きていくのがやっとだった、そしてそのまま火事の中で死んでしまうはずだった彼が、
物部としての命の別ルートに連れて行かれたことによって結果的に成せたことはなんだったのか。
それは、かつて三日月が美しいと評した自分の故郷に、新たな種を蒔くことだった。

リョウマ自身の手では結局叶えることができなかったその思いは、坂本龍馬としての彼の最期を隣で受け取った陸奥守吉行によって、心を込めて果たされる。
たとえ見る影も無い焼け野原になっても、そこには必ず種が残っている。
そしてそれは「いつか必ず、芽吹く」のだと、その願いを最後に一緒に掬い上げて未来へ蒔いた陸奥守、隣でそれを見守る肥前
決してベタついたものではない静かな目線を交わす二人の顔に現れている、とても言葉では表現しつくせぬ様々な思い。


最終的に、私はこの作品を、三日月宗近という刀の”神様”に魅入られた男の物語、として捉えた。

魅入られた、と表現しているが、それは狂信的、盲目的という意味ではなくて、
リョウマがこの物語のスタート地点に置かれたその状況が収れんしていく先は、もうそれしかあり得なかったのだろうな、というふうに思うためである。

神に救われた彼は、結局は神の手によってしか生きながらえることが叶わなかった。一度救われた命でも、歴史の流れに抗うことはできない。
でもその中で、故郷を守りたい、花を咲かせたい、種を残したい…と感じたリョウマの思いは本物で、彼自身にしか抱けないものだった。
そしてそれが歴史上の坂本龍馬像と呼応することで、時には蛇行や回り道をしながらも、最終的に正史の中の終着点に向かっていったのだと思う。



冒頭で「私の感情が入っていない珍しい記事」と書きましたが、いかがでしたでしょうか。
ここまで淡々と書くことも本当に珍しい!こんなの過去にやったことない!

普段、あまり考察を書かないのです私。なぜなら自分の感情の動きにこそ本来は興味があるため…
そして考察って、どこかに多少強引さがあったりするじゃないですか。こういう風に捉えたいという願望のようなものが滲み出していき、それこそ”事実を歪める”ことがあるように思う。
実は今回もその自覚があってね。

だとしても、どうしてもこのようにまとめたかったのは、
リョウマが死を選んだ理由を、せめて彼自身の中に見出したかったから、です。それに尽きる。


冒頭に書いたとおり、ここまでの解釈をまとめるのに本当に過去類を見ない苦しみがありましたが、
それでも目を背けずに最後には自分なりの解釈をこうして紡ぐことができたので、そういう意味ではとても達成感があります。

そしてそのきっかけをくれたのは、リョウマに刀を渡す前のやりとり、あの場面の肥前くんの表情に他ならなくて、
推しの素晴らしい芝居を見つめ続けた甲斐があったなぁと思いました。諦めなくてよかった。ありがとう、りょうがくん。


今回省かれた「感情」部分を詰め込んだ何かは別途、たぶん差し障りがある部分は有料化して書くかなぁと思っています。
あとは肥前くんについては有料に閉じずに普通に書きたいな。

おたよりフォーム
こちらはとくにお返事は行わない前提のシンプルな感想フォームですが、よかったら是非感想をお待ちしています!(なぜなら、本当に書くの大変だったので…笑)。
docs.google.com
マロもひっそりTwitterのほうに置いてます。お返事がほしい方はそちらにどうぞ。

*1:わたしはかつて「つはものどもがゆめのあと」で刀ミュの三日月宗近に心を奪われた人間です。今作には肥前忠広を演じる役者のファンとして通っていました。