こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

刀ミュ 阿津賀志山異聞2018巴里 日替わり部分の記録まとめ(石切丸似顔絵など)その1:8/4(土)-8/11(土)

あっという間にもう9月になってしまい、本当にびっくりしています…!
阿津賀志、楽の後は予想どおりに見事に燃え尽きまして、いや悔いはいっさいないのですが…なんか「おわっちゃったんだなぁ…」ってぽかんとしてしまっていて。。
全然振り返りもなにもできてないまま、このままだと記憶が薄れるどころか単騎が始まってしまう!?と焦ってるのですが!
とりあえず記録メモっぽいやつだけでもあげておこうかな?と。将来の自分のために!エーーン!!!涙
もはや、なんか正直思い出すのもつらくなってきて。あまりにも毎公演が楽しくて、もう全部、夢だったかな?なってて…いやしっかりしてわたし。

えぇと気を取り直して、主に一部で日替わりだったところ、つまりは石切丸の似顔絵シーンだけなんですけど笑、そこだけは何となくツイッターでメモを残すようにしていたので、字数の都合でツイッター上ではカットしたところなども再構成してまとめました。
そのほかで日替わり要素といえばもちろん二部の禊なんだけど、全然レポ残してなくて。なんでよ私。
なので禊は手元に記録がある日だけ書きました!(つまり、禊はほぼ推しの日しか記録がねぇ!笑)
というわけで見に行った公演ぶん、時系列で以下だーっと行きます!

8/4(土)マチネ
  • 石切丸の似顔絵日替わり

石「おや、こうしてみると、加州清光さんは口元に素敵なほくろがあるんだねぇ」
清「あっそうそう。」
石「せっかくだから、ほくろを大きく描いておこう^^」
清「なんで!?笑」
(清光が似顔絵見せられたあとの台詞は失念!)

→その後、三日月に見せるくだり
石「ほら、どうかな?」
三「おぉ、時間遡行軍かな?(※言いながらめっちゃ笑ってる)」
(客席大爆笑w)
石「加州清光さんだよ!?」

公演進むにつれてわかるのですが、三日月の返し「時間遡行軍かな?」は、その後客席爆笑の鉄板になりました。笑

この日はメモ残ってたらから禊も!

  • 禊 指名:三日月

清「それで、どんなふうに鍛錬を怠ったのさ?」
三「…月が、美しかったのでなぁ^^」
客席\フゥ~~~~~!!!!/
清「ふーん。で、どんな風にサボってたの?」
三「…月が、美しかったのでなぁ^^」
客席\フゥ~~~~~!!!!/
清「(イラッ)…おじいちゃん。どんなふうに、さぼっ…もういいや。笑」

~禊~

三「主よ。…俺のことをどう思っているのだ?」
(客席、意図がわからず「???」となって、つまりは無言)
三「…あれ?笑 …もう一回やろう!(キリッ)」
岩融あたりが「よし、もう一回やろう!笑」って加勢してくれてた笑)
三「もう一回いくぞ!?笑 …主よ!俺のことをどう思っているのだ?」
客席\だいすき~~~!!!!!!/←若干笑い声交じりw
三「そうかそうか。はっはっは、可愛い奴め。…近う寄れ❤」
客席\キャ~~~~~~!!!!!/

…てきな感じだったはず!
三日月の問いかけ、ほんとになんて返すべきだったのかわからなくて、
「どう思っているのだ?」っていやアナタそれはオープンクエスチョンがすぎるやろ!笑 って感じだったんですけど、
めげずにすぐに自ら「もう一回!」って笑顔で言う天下五剣、カッコイイ俺への全面の信頼感が溢れてて「コレだよコレ!よっ、刀ミュの三日月宗近!」って思いました。笑
いや~~だってほんと、かっこいいよね!見てて笑いが出るくらい徹頭徹尾カッコイイよね。まりちか様。
こういうところ、かっこいい+可愛いが絶妙なまりちか様らしくて好き~って思いました笑
あと「おじいちゃん。」って三回目呼びかけるも諦めて、「もういいや」って投げちゃう清光も可愛かった~~~!
三日月の禊に関しては「月が美しかったのでな^^」の返しが毎回固定だったと思うんだけど、「もういいや。」って投げた清光はこの日しか見れなかった~!

8/4(土)ソワレ
  • 石切丸の似顔絵日替わり

石「そのまま、動かないでいてもらえるかな?」
清「え、なんで?」
石「似顔絵を描こうと思ってね。…まずは、右腕から描こうかな」
清「…なんで右腕から?笑」
石「おや、加州清光さんは、口元に素敵なほくろがあるんだねぇ」
清「あ、そうそう(ニコ)」
石「せっかくだから、右腕にもほくろを足しておこうか^^」
清「…なんで!?笑」
石「ほら、出来たよ」
清「どれどれっ、…これ右腕しかないじゃん…(※めっちゃ小声で本気で笑ってる感じの言い方)」

→その後、三日月にみせるくだり
石「ほら、加州清光さんだよ」
三「…右腕が特徴的だなぁ!笑」

笑いをこらえる清光が可愛かった!
このあたりで「もしや本当にその場でアドリブで絵を描いている?」と怪しみ始めました。

8/5(日)マチネ
  • 石切丸の似顔絵日替わり

石「まずは、鼻と口と、輪郭から…おや、こうして加州清光さんを見てみると、とてもしゅっとしていて、素敵だねぇ^^」
清「…ありがとう笑」
石「目もあるねぇ^^」
清「…当たり前だね?笑」
石「よし、できた」
清「どれどれ…。ぶっw(※絵を見て堪えきれずに吹き出す)」

→その後、三日月にみせるくだり
三「おぉ、芋けんぴかな?」
(客席大爆笑w)
石「いや、加州清光さんだよ!茶菓子ではないんだけどなぁ…」

…ここで、本格的に日替わりだということを察知しました!
どうやったら芋けんぴみたいな似顔絵になるんや!?笑
素にギリギリならないように必死で笑いこらえてる感じの清光が、ほんっと~~~に可愛くてさぁ~~!!!涙

8/5(日)ソワレ
  • 石切丸の似顔絵日替わり

石「まずは、目と鼻と…おや、こうしてみると、加州清光さんは綺麗な顔立ちをしているねぇ^^」
清「(嬉しそうに)ありがと笑」
石「何か努力していることはあるのかな?」
清「んー、今ぱっと思い浮かばないかも。」
石「では、何か意識していることはあるのかな?」
清「(え?って笑いながら)…あ、でも、日焼け止めとか」
石「(遮る)できた!」
清「(呆れながら)あのさ!?笑 どれどれ…。美、って書いてある。笑」

→その後、三日月にみせるくだり
石「どうかな?」
三「…おや、俺かな?(嬉しそうに)」
石「加州清光さんだよ!」
三「(?って顔で、笑顔)美 と書いてあるぞ?」

美、つまり当然、俺!な天下五剣が最高すぎて吹いたやつです。笑
もうほんと、そういうとこだよ!!!(ほめてる)

8/9(木)マチネ
  • 石切丸の似顔絵日替わり

石「まずは輪郭と、鼻と…おや、こうして見ると、加州清光さんは意外に目がしゅっとしているんだねぇ」
清「え、そう?(不思議そうに)」
石「素敵だよ^^」
清「ありがとー」
石「よし、できた!」
清「どれどれ…え、これ誰?」
石「小狐丸さんだよ^^」
清「俺関係ないじゃん!?」

たしかに清光おめめぱっちりだもんね!シュッとしてないもんね!!!
この回は2階で見てたこともあって、石切丸と三日月のその後のやりとり聞き取れなかったです~涙
客席がわ~って湧くと舞台上の声わりと聞き取れなくなりがち!

8/9(木)ソワレ
  • 石切丸の似顔絵日替わり

石「まずは、輪郭と、鼻と…」
清「なぁに?あ、似顔絵か」
石「絵というものは奥が深いんだよ…(なぜか描きながら清光の背後に回り込む)」
清「え?なにこのままでいいの?(なんで俺描いてんのに後ろにいるの?と不思議そう)」
石「うん、素敵だよ~」
清「ありがと?笑」
石「よし、できた!」
清「どれどれ…何これ。」
石「湯のみだよ^^」
清「…なんで!?笑」

→三日月に見せるくだり
石「うまく描けたつもりだったんだけどなぁ…ほら、どうかな」
三「おぉ、これはなかなかよい湯のみだな!」
石「そうだよねぇ^^」

このあたりから石切丸さんのボケが加速し始めた。笑
後ろに回り込んだから三日月描いてるのかな!?と思ったら、題材がまさかの湯呑で爆笑しました。

8/11(土)マチネ
  • 石切丸似顔絵日替わり

石「まずは、輪郭から…」
清「え?なに、あ、似顔絵ね」
石「おや、こうしてみると加州清光さんは綺麗な顔立ちをしているねぇ」
清「ありがと(ニコ」
石「何か秘訣はあるのかな?」
清「んー、でもぱっと出てこないかも。」
石「では、何か意識していることはあるのかな?」
清「あー、でも日焼けしないようにきをつけt」
石「(途中で遮る)ふぅ~ん…」
清「ねぇ聞いてる!?」
石「他にはなにかあるのかな?」
清「えーっと」
石「(遮って)よし、できた^^!」
清「やっぱり聞いてないじゃん!?笑…どれどれ…え、これなに。笑 なんか生えてない?」
石「加州清光さんだよ」
清「なんか、山芋みたい…笑」
石「そうかなぁ?うまくかけたと思うんだけどなぁ」

→三日月に見せるくだり
石「ほら、どうかな?」
三「おぉ…山芋かな?」
石「加州清光さんなんだけどなぁ?」
三「おぉ?…おいしそうだな?笑」

なにを描いたら山芋みたいになるんだ!?って思いました。笑
加州清光さんなんだけどなぁ、のあとに「おいしそうだな」でまとめちゃうおじいちゃん、さては「山芋みたい」のインパクトから逃れられなかったものとみえる。
ていうかあそこ、三日月うつらうつらしながら、石切丸と清光のやり取り聞いて、直後になんて返すか考えてるんだろうな…って思ったら可愛すぎてつらくなった。笑

この回は禊が三日月~!

三「あぁ、俺か〜^^(※圧倒的に嬉しそうな困り顔)」
清「さっきの時間なんだったの!?笑…もう、サボってたんじゃん!」
三「…うっかり。(ニコッ)」
→禊のお題
清「都の熱を和らげる、鴨川のせせらぎのように涼しげでカッコいい一言で。」
だったのに、
前振りする今剣「都の熱を和らげる、鴨川のせせらぎのように涼しげでカッコいい"小芝居"!」に突然勝手に改変
三日月「ん・ω・;?」
岩「三日月殿。…汗がすごいぞ」
三「…小芝居。?笑」
今「はい!みかづきさまなら、いけるかとおもいまして!」(あくまでも天真爛漫)
三「…あぁ!そうだな!やろう!」(的なやけくそかな?みたいな開き直りだった笑)
~禊~
「畑というのは、難しいものだなぁ。…おぬしの好きな油揚げをたくさん作れるほどの、大豆からたくさん作っておくぞ!だから、早く戻ってこい。」

てきなかんじだったけど、セリフの一つ一つはうろ覚えです、すいません!
いきなり「かっこいい小芝居!」って言い放ったいまつるちゃんが面白すぎました。小芝居て!笑

8/11(土)ソワレ
  • 石切丸の似顔絵日替わり

石「あっ、今日は加州清光さんに描いてもらおうかなぁ」
(客席、ちょっとわぁ~!ってどよめく)
清「え、俺が描くの?似顔絵描けばいいの?」
石「あぁそうだよ」
清「(おとなしく受け取って)…よし、できた」※めっちゃ早い
石「おや、もうできたのかい?どれどれ…おや、これは…」
清「(石切丸のリアクション見らずに三日月へw)はいお茶片付けるよー!」
石「これは…(客席に帳面を見せながら)石切丸、と書いてあるね?似顔絵を頼んだつもりだったんだが…」
三「どれどれ。…これは、字だな。笑」
岩「字だな。」

ななめに見開きで「石切丸」ってのびのび書いてありました!笑
私が見た限りでは清光に描いてもらう流れはこの一回きり、他の回でも友人から聞いてないしコレ限りだったのかな!?

そしてこの日は清光が禊だった~!
この時期、禊がずっと小狐丸シリーズでしたね。うん…。涙

  • 禊 指名:清光

三「ところで…どのように鍛錬を怠っていたんだ?(やたら生き生きと詰め寄る)」
清「それはー、なんか…色々、忙しくって。」
三「そうだなぁ、それは知っているぞ!…だが、許さんぞ!❤️」

~禊~
清「…まとめ役が俺一人ってのも、無理があるんだよなぁ〜、だからさぁ、早く帰ってこいよぉ、小狐丸ーーー!!!」
→客席が湧いた後、右手で作ったキツネで自分の左手のひらをつつき続ける清光
(他の男士たちから)「それは何をしているんだ?」
清「餌あげてるの。」

ねぇ、その「だが、許さんぞ!」って何目線、ってなったんですけど、これも多分毎回やってたぽいかな…。笑
とつぜん餌あげだすの、かわいすぎたよ清光…というか、珍しくここはうっすら流司くんすぎました。笑
たしかに、あのメンツにこぎちゃんいないと、ツッコミ不足だよねぇ~~~;;
とくに、青い人と緑の人の自由度がひどいよね!
っていうのもなんか中の人みあって、ちょっと萌えてしまうところあるな…!(今気づいた)
…ウゥーーーあつかしーーーー!!!!!team三条with加州清光~~~!!!!!涙


さて更新するか、と書いたものを読み返してたら、やっぱり記憶が蘇ってきて;;ウエーーン!!!あつかし見たいよぉ~!!!ってなっています。涙
終わった直後は燃え尽きてて、いやもういいかな、ってたとえ思っても、やっぱりしつこく記録を残すことって大事なんだよなぁ…。

ここまででそこそこ長くなったので、後半は分割して別記事であげまーす!

刀ミュ 阿津賀志山異聞2018巴里 8/4-8/5初回観劇後の感想(ネタバレあり)

ミュージカル「刀剣乱舞」~阿津賀志山異聞2018 巴里~ ついに東京公演の幕が開きました。

初回観劇の感想は初回にしか…っていつも書くたびに言っているんですが、今回は先週末に固めてすでに複数回観てしまったので、純然たる初回っていうわけではないのですが、やっぱり一度感想を書いておこうと思います。

うーん、でも今回は、いつもに増してなんて書いたらいいのかわからなくて…そりゃそうなんだけども…

ともするとちょっと扱いが難しくなりそうな気さえするんですが、でも私は心底刀ミュを愛してるので、その前提に立って書けば大丈夫かなって。いや、何が大丈夫なのかはわからないけど!?


とても特殊な状況下にある今、きっと何をどんなふうに書いても、私の文章で傷ついたり不快になったりする方はいるような気も正直します。

なのでそこはもう、一個人の感想なんだなってことで、他人同士相容れない部分があって当然だよな~~ってことでひとつよろしくお願いします~!

そして言うまでもないですが、もちろんネタバレしかありませんので未見の方はご注意ください!

今回の阿津賀志山だけでなく、刀ミュ過去作にもガンガン触れることになりますのでよろしくです!

 

 

 

 


まず、そもそも公演を見るにあたって、私が個人的に持っていた心構え(?)みたいな部分からなんですが。

さんざん過去にエントリあげていたとおり、私はつはものが心に刺さりまくってしまったオタクなので、正直「つはものをやった後にわざわざどうして阿津賀志山に戻るんだろう?整合性が取れなくないか…?」って思っていたんですよね。

やっぱり、作品における義経の在り方がそもそも全く異なりますし。

つはもののラスト、あのなんともいえない、切なくもありながら晴れやかな表情で、刀剣男士たちに背中を見送られ、弁慶とともに旅立っていった義経公の姿が本当に好きで…。

2016年に公演された阿津賀志山異聞での義経は、それとはまったく対照的と言っていいような、「歴史修正主義者の手によって生き返らせられ、意思を操られる」という描かれ方をしています。

そもそもなんだけど、やっぱり「操られている」元の主を見るのって、胸が苦しくなるもんだよね。幕末天狼傳の沖田くんしかり。。

主にその点、自分で見ていて折り合いつけられるかなってちょっと不安だったんですけど、なんかもう、全然そんなレベルのお話じゃなかった…。

 

 

冒頭、劇場には荒涼とした風の音が吹きわたります。投影されている背景には、強い風に押し流されていく分厚い雲。その陰間が明るいのはやはり月の光のせいなのか…と思ったその時、

階段状になったセット頂点の中央がぼうっと明るくなり、そこに一人の人影があらわれます。

その光の中に立っていたのは、他でもない、三日月宗近。彼の右手には、一輪の蓮の花が握られていて…。
息をのむ間もないうちに、三日月はとある歌を歌いだす。

 

「しくしく くれくれ…」


いや、ちょっと待ってくれ。

初回観劇したときに、本当に心臓が止まるかと思ったよ。。


まさか、そんな始め方をするなんて。「華のうてな」から始めるなんて…!?

つはものの劇中、泰衡と蓮の花を共に愛で、彼との「今生の別れ」を経た三日月が「約束は守る。…年寄りだからな」と人知れずふっと微笑んで、歌い始めるあの曲が。

つはものを象徴するともいえるあの曲が。冒頭に据えられているんですよ。

「纏う黒き衣 うたかたの役目…」と歌いながら、静かに舞台上へと階段を降りてくる三日月。

その両腕はゆったりと左右に広げられ、表情は読めないほどに、ただひたすらに穏やかで…。

その後の「半座分かつ 華のうてな」にさしかかると、やっぱり歌声のボリュームが大きく上がって…!それがまるでつはものの再現のようで、なんだか時間が巻き戻ったような感覚に襲われて、鳥肌が立ちました…。って、刀ミュを観に行くと最近こういう経験ばかりすることになってるな!?むすはじ然り…

(そしてここ、見ながらあまりに呆然としているので、三日月がどのタイミングで蓮の花を舞台上に横たえるのかわからなくなってしまった。。満ちてはかけてゆく玉桂、のところであっていたかしら。。?)

 

ちょうど「半座分かつ…」あたりのタイミングで、三日月の背後にあたる階段セットの頂上には、義経の姿が現れます。
その時の三日月は、これから義経を待ち受けている「死」という運命に少しだけ思いを馳せるような、いうなれば少しだけ切なげな表情をするんですが、さらにそこへ泰衡が登場した時に、明らかに顔が変わるんですよ。。

少しはっとしたような、あぁ、ついに来てしまったのか、というようなお顔をする…。ある意味では泰衡の存在を直視しないようにしているともとれる雰囲気で、ふっと視線を下に逸らし、そのまま静かに立ち去ってしまいます。

その表情の一連の移り変わりを見ていたら、あぁ、やっぱり三日月にとって泰衡は「友」なんだなって、胸のつまるような思いがしました。

 

三日月が立ち去った後に残された、舞台中央にぼうっとライトに照らされて浮かび上がる蓮の花、そしてそれを挟んで対峙する、その後の義経と泰衡の立ち回り…

もうね、諸々観ていて、泣くに決まっていて…(まぁそもそも、華のうてなで私は泣いてたんだけども)

 さらには彼ら二人の周りを荒々しく駆け回る武者たちの足が、なんども舞台上の蓮を踏んづけていくんですけど、それがまた、何と言ったらいいんでしょう…蓮の花に託された人の思い、命、約束の「儚さ」みたいなものを表している気がして、とてもとてもしんどい。。

そして蓮に関してはさらに演出でびっくりするポイントがあるのですが、義経と泰衡、二人の刀の切っ先が低い位置で交差して、勢いよく上へと跳ね上げられる瞬間、舞台上の蓮がさっとそれに掬い上げられて、高々と宙に舞い、なんとそのまま客席に落ちていくんです…!

最初見たときは想定してないトラブルなのか!?とも思った、でもその蓮が描く放物線があまりにも綺麗で、息をのんで見とれてしまったくらい。

週末土日マチソワしたので計4回見たんですけど、4回中3回は客席に飛んでいて、残り1回は反対方向である舞台後方に飛んでいっていたので、蓮を「客席に飛ばす」が意図された演出なのだろうと思います…!

いやさ、すごいよね。なにがすごいって、小道具を要は客席に放り投げてるわけなので…そこまで客席を信頼してくれる脚本と演出に、わたしは感動してます!!

(一部と二部の間の休憩でスタッフのお姉さんが回収している姿を見たので、蓮をキャッチした人はちゃんとお返し差し上げてくださいねー!!!)

 

その後義経に追い詰められ、喉元に刀を突き付けられた泰衡は、観念して刀を手放し、微笑みながら義経にとどめをさされるのを待とうとします。

しかしそこで、義経は泰衡を斬ろうとはせず、自らの刀を下ろしてしまいます。その様子を見た泰衡は、なぜ…という思いが言葉にならない様子で慟哭し、深々と礼をして、義経の元を立ち去ります。

その後一人残された義経は、静かに「泰衡殿…さらばじゃ」とつぶやくのでした。

この、二人のやりとり…きょうだいのように時を過ごした彼らが、意に反して命を奪い合う者同士になってしまったという悲劇性は、つはものを経た今だからこそ、阿津賀志山の物語の中で明確に描けることだし、観ている側にも沁みてくるわけなんだよな、って思って。。

 

そして何より。あの阿津賀志山への六振りでの出陣の前にも、三日月は「繰り返し、繰り返し」のうちの一回として、一人文治五年に時間遡行していたんだな、って…。何よりもそこがあかんですよね…

触れないとも思ってなかったけど、こういう表現をしてきますか…その蓮の使い方たるや~!!?っていう。。。

単なる再演では全くないですよ、今だからできることっていうのを練って詰め込んでいるんですよ、という事実を、この冒頭の数分でいやというほど思い知らされました。

は~~~まったく本当になんて脚本を考えるんだろう!?毎度のことながらわたしは御笠ノさんがおそろしいです!!!


その後、義経は自刃し、がっくりと首をうなだれて絶命します。

そこで再び吹きわたる強い風の音、流れ始めるピアノのメロディ。

上手下手の両サイドから静かに舞台上に現れた6枚のパネルに、地面に力強く突き刺さる六振りの刀剣が映し出され、そしてついに、

刀剣乱舞」のイントロと共に、六振りの刀剣男士の姿が現れるのでした…!

この導入が本当にしぬほどかっこいい(いきなり語彙が死んだ)。

すべてはここから始まった感がものすごくある…なんかもうそれだけで胸がいっぱいになって、どう言葉にしていいのかわからない感情に襲われて、やっぱり初回はひたすら泣いてしまいました。

だってまるで夢見てるみたいな気持ちになったよ。こうしてまた、team三条with加州清光の出陣に立ち会えるなんて…って。 まだなんか信じられないような気さえする。とか言ってたら、あっという間に終わっちゃうんだよな…!?涙

 

そして冒頭だけで既にこんなに字数使ってこの先どうするつもりなんだろう!?笑

と思ったので、ちょっとこの先コンパクトめに箇条書き使ってかいつまみます。

あ~ほんと、なんでこんなに言いたいことばっかなんだろうな!??おかしいよな!?これほどまでに観ていて色んな方向に感情がかきたてられる演目、私個人に限っての話ですが、もうそうそう出会えないと確信しています…。しんど…。

 

  • 清光が可愛すぎる

ちょっと~~~箇条書きの粒度~!いきなり雑~!!!笑

いや違うんですよ(なにが)

だってさ、清光の演技、変わりすぎじゃね!!??ハッいい意味で!!!

いや!!?前も今も世界一かわいいことには変わりないのでいい意味も何もないんですけど、何がいいたいかというと、

まじで清光の演技全然違う!!!!!

加州清光、入りまーす」からの、主との一連のやり取り。

これはやっぱりあれなのかな、流司くんの中で役が深まって余裕が生まれたからこそなのかな!って思うんだけど、よりシンプルな表現になっているのにも関わらず、清光の愛らしさが前にもまして爆発しそうな勢いでこちらに伝わってくる、大変やばみあふれるシーンになっております…。

前はもっと主に対するリアクションがわかりやすく大きかったところあるよね!?

見ていて「ハァ~~~~~!!???!?」ってなるくらい、変わっていました。もうでもあの、とにかくかわいいので、最高なので…なにもいうことはありません…

俺が隊長!?のあとは「やったあ、特別扱い~」だったのがなくなって、代わりにぱっとガッツポーズをしかけるけど慌ててその手を口元にやってごまかしてみたりとか。。

編成を聞かされるところの、「今剣」「ふむふむ?」「石切丸」「ふむふ…んんっ?」「小狐丸と三日月宗近」「ん、んん~~~!!??」って、畳みかける様子とかね!?

え、なになに?あるじなにいってんのかわかんないよ!?って、ふんわり上を見上げて頭に手を添えてる姿、なにあの可愛さ…意味わからんのですが、やばくないですか…

「三日月なんか、俺の言うことなんて聞いてくれないと思うんだよね!?」って訴えかけるも主に笑われて「ん、うぅ~~~」ってハの字眉で困ってしまったり…

なんかもう、徹頭徹尾?一事が万事?(おちつけ)、深紅の薔薇がキュートすぎて、客席でしんでしまうかと思った。まじでびっくりした…いやだって、まだ可愛くなれる余地があったっていうのかよ…!!?

清光の可愛さについて言語化しようとしても、たいていうまくいかないんですよね。どうしてでしょうか。いやもうすこし努力をしろよ。

でも清光が世界一可愛いのはもう宇宙の真理なので、わたしなんぞが言葉を尽くさずとも何ら揺らがない事実でしかないのでいいかなって…とにかく、腹の底から絞り出すように言いますが、清光は可愛い。

それだけが言いたかった。完

あっあとものすごくやばいのが(完じゃないんかよ)

あのあれです、一番最後に「これからも俺のこと、ちゃーんと見ててよね。」って主に言うところで、ウィンク…きよみちゅ…ウィンクしとった…しぬ…

もーーーーーーー本当に可愛い…可愛い以外の単語を出力する機能を奪われてしまってつらい…

あとは「俺もいつかは向き合わなくちゃいけないのかな」って、前の主のことを明確に持ち出すシーンが追加されたことに関してはもう、言葉がありませんよね

ええ、そしてそのあとに君は幕末天狼傳で、沖田くんに…会ったんだよね…

沖田くんへの感情をほとばしらせる安定の隣で、自分の気持ちはそっと内側に押し込めて、何を思っていたんだろうね…てなって、一瞬で幕末天狼傳ロスおばけが暴れだすなどして本当にもう大変です。

御笠ノさんさぁ!?ほんとさぁ…!!?ありがとうございます!!????

 

  • 「みんな、聞いて~!」までの一連のシーン

主に隊長を命じられた清光が、広間と思しき場所で三条の面々を待つも、出陣前とは思えない彼らの自由さに振り回されて…というシーン。

ここが、はんぱなく進化しまくっていました!!!

全員が全員、腕を上げてきたな!!?ってことがありありとわかるんですよ!!もうね、めちゃくちゃ面白いことになっている!

おじいちゃんはお茶菓子を食べたあとの包み紙をせっせと紙飛行機に折って、清光に向って飛ばしてみせてしまうし、かと思えば座ったまま居眠り始めちゃうし、

石切丸の「祓い給え、清め給え」は、そこで終わるかと思いきや、続けて本格的な祝詞がマイクをぎりぎり通してるくらいの絶妙な音量で聞こえてくるようになっちゃったし…

そういう散りばめられた小ネタの合間に、2016年当時には絶対にできなかったであろう「間」の取り方が、全員それぞれできるようになってて、やっぱお芝居って間が大事なんだなー!?って改めて感じたりもしました!

間がうまい具合に絶妙に取られてると、見ていて自然と笑いが引き出されてしまうものですよねー!

三日月が紙飛行機を飛ばすタイミングなんてほんと完璧すぎて。一人でみんなをまとめようといっしょうけんめいになってる清光の頭上に、間の抜けた様子でふわーんと舞う紙飛行機、っていう絵面がまじで面白くて、あれは笑わざるを得ない!

あと石切丸は突然清光の似顔絵を描き始めるんですが、ここがどうやら完全アドリブっぽい?印象を受けています。

下手のほんとに一番はじっこのサイドシートだったとき、オペラグラスで石切丸の手元の帳面を確認してみたんですけど、やばみあふれる(決してうまくはない)絵が、まじでちゃんと描いてあって、ひとりであやふくふき出すところだった…w

その場で描き足してるかどうかまではわからないんですけど、「ほら、できた!」って言われて清光が絵を覗き込んだ後のリアクション、あれは多分その時の素なんだろうなって思います。笑 清光が立ち去った後に同じように絵を見せられる三日月の反応もまた然り!

は~もうこのシーン毎度毎度とても楽しみ!!!

そしてさらに、石切丸が似顔絵を描き始めるっていうのは、もちろんみほとせを踏まえているわけで;;

そういう過去作をふんわり踏襲した表現も散りばめながらも、でも別に今回初めて刀ミュを見る人にも楽しめるというその作りが、本当に最高だな~と思ったりもしました!

(さっきから結論のあたりに脚本への感謝が炸裂しております。でもほんとうにそう思う。まじで感謝している。いい加減御笠ノさんに感謝のお手紙を本気で書こうと思う…)

 

  • 数十時間稽古していた畑当番が

なんと…小鍛冶になっていた…。

これも本当にびびった。まさかすぎた。。。

トライアル公演のころ、まりおくんと涼くん二人で何十時間も稽古をやったという、二人でどうしたらいいのかわからなかったというあの、畑当番のシーンが。

二人とも、畑を耕すという動きを通じて何を表現したらいいのか正解がわからなかったっていう苦しさが詰まっていたあのシーンが、

あぁ、本当はこういうことをやりたかったんだよね、っていう、三条太刀にしか出来ない、神々しさをまとった表現にダイナミックに生まれ変わっていて…。本当に、感動した。

あと友達と揃って訳のわからないテンションの上がり方をしてしまったんですが「はてはて いかがしたものか」って、古語(というほどの古語ではないんだけど)で歌う三日月宗近がいるというその事実に、萌え倒してしまい、これまた大変。

ワッこの人、はてはて、って言った…!って。え、最高じゃないですか?似合いすぎてしんどくないですか?はてはて、っていう三日月宗近…??????(この一方的な感慨が通じると思っている顔)(いやそれ、通じないから)

 

そして、うーん、話題がここまでたどり着いたのでそろそろ触れないとだよな。

 

今回、小狐丸が代役として上演されているこの状況、受け止め方、感じ方は本当に人それぞれだと思います。その人の立場によって、大きく変わらざるを得ない部分。

巴里公演の直前に、状況をお知らせで知り、そこからずっと、私自身なんと言葉にすればよいかわからない気持ちを抱き続けたまま、東京公演を迎えました。

幕が開いてみないと、どんな感情になるのか、自分でも本当にわからないなって思って。整理がつかないまま、初回観に行きました。

「残念、心配、早く元気になってほしい」って言うのは簡単なんだけれど、そんな一言ではとうてい片づけられない思いがみんなの胸の内にはあるはずで。

阿津賀志山本公演から2年経った今だからできること。あの6人だからできること。そしてきっと、みんなで揃ってこの演目を演じる機会は、二度と巡っては来ないという事実。

それを踏まえての、一度きりの夏だったわけなんですよね。

誰が悪いわけでは全くなくて、関わる人全員にとって、ただひたすらに酷な事実が突き付けられている、っていう風に感じていました。それこそいろんな立場の人がいることを考えると、もはや、私個人が軽々しくつらいとすら、言えないようにさえ思えて。

 

でも、でもね。幕が開いたその舞台の上には、ちゃんと小狐丸がいたんですよ。

「大丈夫、居るから。じゃないとあんなふうにならないもん。」って、ゲネのあとに御笠ノさんがつぶやいていたツイートを見て泣いてしまってたんですが、

実際に見てみて、ほんとにそうだったな、って思った。

それを実現するまでに、カンパニーの全員がいったいどれだけ心を砕いて準備を積み重ねてくださったんだろう、と。

岩崎さんは、いったいどれだけの努力をしてくださったんだろう、と。

違う人が演じるのだから、まったく同じになることは勿論ない。涼くんにしかできない表現を見ることは私たちはできない。

だけど、この状況下で、このクオリティで作品を上演できているっていうその事実に、私は刀ミュが心底すきな一人のファンとして、本当に感謝をしたいと思いました。

うまくいえない上に完璧に超個人的な感覚なんですが、岩崎さんが演じてくださっているのは、単に小狐丸なのではなくて「涼くんが演じる小狐丸」なんじゃないのかなって、そんな風に感じるのですよね。

舞台上にちゃんと存在している、だけど役者個人としての表現としては「影」の存在に徹しているようにも受け取れるというか…だめだなうまく言えないや。

いつだってShow must go onであり、興行は絶対に成立させなければならない、という動かせない事実を前にして、こんな風に表現者として身を捧げてくださる人がいて。だからこうして私たちは、公演を観に行けているんだなって。

本当に、ありがとうございます。

 

そしてそれと同時に、涼くんの小狐丸に会いたくて泣けてくる気持ちもあって、当然なんだなって思うんです。

進化したあどうつ聲を、はったはったちょうちょうを、あの二人の声で聴くことができていたなら、って。思わないでいられるわけ、ないじゃないですか…。

だけどそれをこれ以上大きな声で言うことはできないなって。言っても仕方ないなって思うのです。

岩融が、「此れあれば彼れあり」って教えてくれたので。故にすべてを受け入れよって教えてくれたので…

なのでこの二つの気持ちはなんら矛盾しあうものではないと思うし、私自身の気持ちとしてちゃんと受け止めたうえで、楽しみたいなと思っています。し、現に既にめちゃくちゃ楽しんでいる。

だって他にできることなんてなにもない。ひとりの観客として、こうして届けてもらえる演目を全力で楽しむだけ。ただそれだけなんだなって、今は静かに思っている次第です。

とてもとてもセンシティブな内容だし、色んな考えの人がいて当然だから、どう書いても誰かを傷つけるだろうなとは思ったんですけど…とりあえず私の気持ちとしては。今そういう結論です!

 

さて続き!

 

  • 今剣の進化がはんぱない

これ本当に。本当に感動している。まじですごい。しゅんやくんすごい。

こんなに2年で成長するんだ!!??って衝撃をうけまくっています。

いや、つはものの時点で十分それは伝わっていたんだけど、やっぱり演目が同じとなるとね!??成長がありありと浮き彫りになって、観ていてもう目が真ん丸になってしまう…!

そもそも「きらきら」がまじであかんです。号泣ポイント。

あんなに感情が自然と溢れるように歌うようになるなんて…そして歌がうまくなりすぎている…びびってしまう…

こうしてブログばっか書いてるやつが何をいうんじゃって思うんですが、言葉にせずとも伝わってくる感情って本当に尊いなと思います。

歌に乗ってこちらに痛いほどに届く、きらめくような今剣の喜びの感情。

それを表現するダンスの振りつけも、めっちゃバージョンアップしていて、もうほんと可愛いったらないんだよ~…!え!??あそこで泣かずにいられますか!?いやいられないね!!?私は無理ですね!!???

そのあと、義経と相対した時、自分が今剣であることを伏せながらなんとか義経に言いたいことを伝えよう!と腐心するところとか、見事としか言えない…

セリフや演出が細かく変わっているのは勿論なんですが、それを可能にさせたのはしゅんやくんの成長に他ならないよねぇ…すごいや…。

終盤の「おぼえている」も、がっつり目にミュージカル的な表現が盛り込まれたナンバーで、2年前のみんなの力量だと正直歌いこなせるぎりぎりラインだったのかな、って感じを受けていたんですけど、全然そんなことなかったですよね…

真ん中で悲痛に叫ぶように歌う今剣の姿、とにかく胸に刺さる。

はぁ~~~もう、こんな姿を見せてもらえるなんて…すごいの一言だよ…!

 

  • 戦闘シーンの見ごたえが素晴らしい!

これ本当に!!!!素晴らしいの一言…!

おそらくミュージカル上演の一作目だったこともあり、いろんな面が手探りだったのだと思うのですが、2016年の阿津賀志山異聞では、戦闘シーンにエフェクトが入ってたんですよね。

刀をふるった残像が光になって相手に飛んでいくっていう、ゆってしまえばとてもゲーム的表現。(本編のゲームにそういう描写はまあないんですけども)

今回はそのあたりが綺麗にすべてカットされて、純粋な殺陣に置き換わっていました。

殺陣のシーンの曲も追加になってるよね!?

系統としてはこのあいだのむすはじの、あほほどかっこいい戦闘曲にもちょっと近いものがある気がします!序盤の清光から始まる戦闘シーンのところの曲、めっちゃくちゃにかっこよくて大好き!!!

あと途中ちょっとロックテイストな曲もさしはさまれたりしてバリエーションがある!どれもかっこよくて最高なんです~;;(この数行で3回かっこいいって言っているのでやっぱり語彙が死んでいる)

あと、実は元々正直けっこう観ていて「?」って感じてた、完全に自我を失った後の義経の最終形態の見た目も調整されてた。あの妙な刀じゃない謎の武器ではなく、単なる刀を振るうようにもなっていたので安心した。

そしてなにより真剣必殺ですよっ…!

ボロボロになりながら、義経を乗っ取った存在に立ち向かい続ける今剣。

同じく傷を負った岩融と二人で何度も敵を斬りつけるも、まるで効かずに返り討ちにあうばかり。

ついには重傷セリフをぽつりと漏らし、糸が切れたようにふっと倒れ伏した今剣なのですが、「もうおこった!ほんきでやっちゃいます!」って雄々しく叫んで再び立ち上がり、見る間に敵を追い詰めていく姿、ほんとにかっこよくて…

前は一度姿を一瞬パネルで隠されて、そこに映像が投影される形での真剣必殺だったけど、ごくシンプルにスポットライトが当たるだけに変わりましたね。

やっぱり舞台を観に来ているので、生身の表現での勝負がより胸にぐっと来るところありますよね。もーーー断然今回の演出が最高!!!

ここも観る前にはどうなるのかな~って気になってたシーンだったので、 見ごたえ増しまくってて本当に感動しました!

そして衣装さんの仕事レベルが高すぎてやばい。舞台上で演じている本人の動きだけで真剣必殺まで持っていけてしまうのって普通に考えてあり得ないよね!?いったいどんな構造に!?すごすぎでは!?

 

…ここまでで字数を確認したらすでに10000万字目前だった。なんてこった。どうしていつもこうなるのか。そろそろまとめに入ります。

 

うーん全然書ききれてないんですが(日替わり要素にすら触れてないのになんでだよほんとうに)、とりあえず無理やりまとめるとすると、

本公演から2年経った今、さらには同じ時代を扱ったつはものを経てなお、阿津賀志山異聞を改めて上演する意味が「あまりにもあった」って感じです。

単なる再演になんてなるわけないって勿論思ってはいたんだけど、大幅な改訂を行わずして、ここまで見ごたえをアップさせられるものなんだ!という感動がとても大きい。

振り返ればこの2年、本当に刀ミュに身を捧げて爆走してきた実感があるんですけど、そうして時間を過ごしてきたことに一片の悔いもないな!?と思わせてくれる作品でした。

心の底から信頼できる演目に巡りあえたこの喜びは、まじで舞台おたく冥利に尽きるという感じです。

は~~~、やっぱり刀ミュ楽しい!最高!!!!大好き!!!!

次は二部の話もしたいな…いったいいつになることやら…一部だけでも言いたいことならまだまだいくらでも湧いてくるんだぜ…!?

なんかすごくすごく中途半端だけど、とりあえず今日はここでおしまい!

うっかりこのあほみたいな長文を読んでくださった方、いつもながらありがとうございました!

【過去記事の再掲+α】刀ミュ(主に佐藤清光さん)が突然人生を狂わせようとしてくる話

もうすぐ、二度とない夏がやってくる…

何かにとりつかれたように、最近ひたすらそればっかり考えています。

二度とない夏、一度きりの夏。そう、それは、

「ミュージカル刀剣乱舞~阿津賀志山異聞 2018 巴里~」が上演される夏です。

 

つはもの大千秋楽、1/30にサプライズで公演が告知されたあの瞬間から、私はずっとこの夏に照準を合わせてきました!

今(7/28現在)もまだ、いろんなことがきっと慌ただしく動いていて、どういう風に幕が上がるか現時点ではわからないのだけど、行き場のない苦しさがどうしても募ってしまうんだけど、、

とにかく私はめちゃくちゃ刀ミュが好きなんだなって、毎日実感して生きてます。

それでね、せっかくならちょっと初心を振り返ろうかなって思って、昔書いた文章を引っ張り出してきました。

思い出そうあの日、刀ミュに出会いたてだったあの日…。 

 

以下、若干修正していますが、ちょうど2年前、2016年の7月に書いた文章です。

(なので友人各位は読んだことがある、あのあほな文章です。笑)

2016年7月16日~18日の三日間、計9公演が上演された、刀ミュのプレミアム会員限定ライブ@赤坂ACTシアターに行った直後に、人生が変わってしまったことを悟って書いたものです。

書いている文章の需要は「未来の自分」だといつも思ってるんですが、まさに今読み返したら、色んな意味で面白いかなぁって思って…。

というわけで、以下に書いてある内容については、今からマイナス2年してお読みください。さらに末尾にて、2018年7月現在の思いをちょろっと書こうと思います。

お時間ある方は、ぜひ一緒にレッツタイムリープ★(注:いつものごとく、無意味にと~っても長いです!)

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やっぱりテニミュが好き!と思った話 ~ドリライ2018を見てからの思い出話もろもろ~

ミュージカル「テニスの王子様」、通称テニミュ2.5次元というジャンルを切り拓いたパイオニアであり、今年でなんと初演から15周年を迎えた、大変な長寿演目でもあります。
テニミュという単語なら、きっと舞台に縁のない人でも聞いたことがあるでしょう。
最近だと、あぁ、城田優とか斎藤工が昔出てたんでしょ?っていう認識がもはや強いのかもしれない。
世間的な知名度はもはや決して低くない、それがテニミュ

 

わたくし、先日Dream Live 2018に行ってきたのです。しかもうっかり千秋楽に。
その時に感じたいろんなこと、文章に残しておきたいなと思ったので書きます。


私が舞台にはまったのは2013年の出来事、あれは本当に突然の沼落ちでした。
そのきっかけは、ほかでもないテニミュ
身近に、テニミュが好きな友人がいたんですね。仮にHちゃんとします。
それまで猛烈な勢いで公演に通っていたHちゃんが、ある時から急に魂が出ていった抜け殻のような有様になってしまったことにびっくりして、「なんで?どしたの?」と軽い気持ちで聞いてみたところ、「青学が卒業した…6代目から7代目に代替わりした…」との返事。
代替わり、とは…卒業とは…6代目とは???全然わかんねえ!?と思いつつ、「それほどまでに人を夢中にさせるコンテンツって普通に興味ある」と思い、Hちゃんにたのんで映像を見せてもらったんです。
忘れもしない。あれはセカンドシーズンの青学VS六角でした。
最初はとにかくその世界観にびっくりしすぎて、大胆不敵神出鬼没な歌詞には爆笑してしまうし(ほんとにそういう歌詞があるんだよ)、「えっ待って、なにこれ、どういうことなのwww」っていうテンションだった、んですが、最終的には
…やだ、楽しい…とね。なってしまったんですよね。
なんだろう、歌って踊られることによる暴力的なまでの説得力っていうんですか???
だって演じてるみんながすげぇ楽しそうなんだもん。。やたらと耳につくメロディーばっかりなんだもん。
そしてみんな、圧倒的に顔が良い。青学6代目、本当に顔が良い。と今でも思ってる。
あとはもう友情・努力・勝利の図式ですよね(そりゃ、ジャンプだからね)。
仲間がいて、対戦相手がいて、勝ち負けがあって。いつも目の前には乗り越えたい相手がいて、チームでつかみたい勝利がある。
何より、その熱いストーリーの中に、演じてるキャスト達の姿がそのままオーバーラップしていくような、ゆーたらもうそれ青春でしかないやんっていう、あの感じ。
なにがそれほど当時自分の中にヒットしたのか、ちゃんと言語化するのはすごく難しいんですけど、「あ~~私、これ好きだ」ってはっきり思ったんです。

 

そこから、Hちゃんに借りた2ndシーズンの公演CDをあほみたいに聞きまくる日々が始まりました。あっという間にほとんどの曲を歌えるようになった。だって2か月以上通勤しながら毎日聞き続けてたんだもん…今思うと怖いんだけど。
そして同じくHちゃんから借りた円盤を見まくり、たしか自分でもこの時期にアニメイトでDVD買ったりもしたな…?6代目のことが本格的にめちゃくちゃ好きになりました。…えぇ、卒業直後、つまりは二度と見れない代だったんですけどね。涙
時期的には、ちょうど比嘉公演が終わったころだったんだと思う。
突然確変を起こしたわたしに恐れをなしたHちゃんに「次、ドリライあるけど…一緒行ってみる?」と誘ってもらい、もちろん「行く!!!」と即答。
…あとから聞いたところによると、本当に私が行くとは思ってなかったらしい。笑

 

そうして私が初めて行ったテニミュの現場が、Dream Live 2013でした。
会場は横浜アリーナ
横アリって座席の呼び方、謎の独自ルールだよね。ドリライ2013は、アリーナ…という名の要は1階スタンド席だったんですけど、ラッキーなことに出島が目の前の位置でね…!
「ち、近い!どうしよう!近い!」って開演前からワーキャー騒ぎまくってたんですけど、始まってからは本当にもう目の前の世界に夢中になりました。。
だって、円盤でしか見たことのないキャスト達が、目の前にいる…!CDでしか聞いたことのない、大好きなあの曲を歌ってる…っていうその事実だけで、もう心底大感動した。
だけど、嬉しいながらもそこにいた青学は、私が好きになった6代目じゃなくて…というさみしさも、早々に味わうことになりました。あぁ、これが代替わりということか、と。
セイヤーのお披露目もここだったよね…?(←訂正、その前の比嘉公演が正解だった!ドリライのタイミングでセイヤーのCDが出て握手会があったのでごっちゃになっていた!)テニス大好きなみんなで一緒に、ヤー!って言ってね~!っていうリョーマに、全力でヤー!!!って返して、私のテニミュデビューは無事に終わりました。

 

…そこからの私は、テニミュ2ndシーズンに出演していたとある俳優さんにどはまりして、むしろ彼を追いかける若手俳優おたくとしての人生をメインで歩むことになるんですが、、まぁそれはそれとして、2ndシーズンの公演は全て見に行きました。観劇回数こそ少なかったけど。
そして正直見に行くたびに、生で見ることの叶わなかった6代目の面影をどうしても!どうしても、ステージ上に追いもとめてしまうところはあったんだけど…。
おごたんが、リョーマだけが、青学の中でキャストが変わらず続投だったために、余計に「周りにいるのが違うメンバーだ」っていうのが際立ったところもあるんですよね。
あ、でも7代目が好きじゃないって意味ではもちろんないの!そういうことじゃない、っていうのはテニミュが好きな人は絶対わかってくれると思う。
思い入れのある代って、人それぞれ違うんですよね…!
それでもやっぱり、テニミュ観に行ったら絶対に面白いし感動するし元気が出るし、あ~観に行ってよかったなぁ!って毎回思ってTDCから元気に帰ってきてた気がします。

 

そしてやってきた2ndシーズン最後の公演。2014年11月、Dream Live 2014。
もちろん最終公演に入ってるわけではないですが、Hちゃんと一緒に、たまアリで2ndシーズンのラストをしっかり見届けました。
あの巨大なたまアリがお客さんで埋まってて。
ちっとも淋しそうなそぶりを見せないおごリョは、やっぱり不敵で、いつもどおりかっこよくて。
おごたんが10代後半を捧げたリョーマを、ほんのちょっとでも自分の目で見られて、本当によかったなって思ったことを覚えています。

 

そこからさらに月日は流れて!
今も変わらず元気に舞台おたくをやっている私ですが、2016年を境に主戦場が刀ミュに変わっており、さらに2013年当時から3年半ほど推していた俳優さんからは、今はすっかり降りたりしていて、いろんなことが自分の中では様変わりしています。
3rdシーズンになってからは、正直テニミュ観劇が手薄になってました。
建て替え直前の日本青年館に、8代目のデビュー演目である青学VS不動峰は観に行ったし、そのあとの聖ルドルフまでは観た。んだけど、以降の公演にはさっぱりいけないまま、気づけば青学があっという間に8代目から9代目へ…。
代替わり早いな!?と思ってるうちに、なんと9代目もドリライで卒業してしまうという!
正直慌てました。
わたし、テニミュにはまるきっかけだった六角公演、本当はちゃんと観劇しに行きたかったんです!
だけどその当時…あまりにも抜け殻になっており…だって12月はらぶフェス2016だったし。。2017年の1月は上海行ってたし…そのあとはもう、しばらく幕末天狼傳ロスおばけでしかなかったので…。
六角、たしか公演日程もめっちゃ短かったんですよね。。い、行きたい~って思ってるだけでは、もちろん観劇なんてできやしない。
2月の凱旋になんとか予定をねじこむべきだったなって、今でもまだ悔やんでます。

 

なので、ドリライくらいはやっぱり行きたいなって思ってたんです。
その時にちょうど、追加ゲストが発表されて。
なんと最終公演には、しょごたん、阪本奨悟くんが来るという…!
Hちゃんは1stシーズンからテニミュを観ているおたくで、4代目には思い入れがあるって話を私は前から聞いていました。
まぁ、そんな我々は二人そろって直前まで、刀ミュむすびねで堀川くんなしょごたんをさんざん見ていたんだけど笑、
しょごたんが堀川くんを演じるという発表がらぶフェス2017であった時も、キャスト変更に打ちのめされている私の隣で、Hちゃんは「しょごたんが出るなら私は通う、2.5に戻ってきてくれるんだからこんなに嬉しいことはない」って力強く言っていたくらい。
あ~これはHちゃん行きたいやつやな、って思ってたら当然のごとく「行く」という。
だよね!私も行きたいと思ってた、じゃあ行こう!って、我々はまた連れ立って、ドリライに出かけていったのでした。

 

それがこのあいだの5月20日、Dream Live 2018。会場は、5年前のドリライ2013と同じ、横浜アリーナ
…5年。え、あれから5年も経ってるの!??って、Hちゃんと二人で動揺しまくりました。
そうなんだよ…好きなものを好きなように追っかけていたら、5年なんて本当にあっという間に経つんですね!?普通に怖すぎますね!!??
相変わらず見やすい横アリの会場に感動し、トリオの前説に懐かしい…となり、そしていよいよ開演したとき。

会場に流れてきたのは「THIS IS THE PRINCE OF TENNIS」でした。
しかもね、客席に歌うように促してくれるの。
「歌って!」って。スクリーンに出るの。
そのメッセージに一生懸命あわせて、思いっきり、サビを叫んだ。でぃすいずざ、ぷりんすおぶてーにーーす!って。
そしたら、なんかもうね、涙出てきました。(って現役でテニミュにバリバリ通ってる友達に後で言ったら、それで泣くのは最速!はやすぎ!って言われた。笑)
1stシーズンから変わらずにある曲であり、2ndシーズンではもちろん不動峰で歌われ、そして全国立海のラストでも歌われた曲ですね。
2ndの全国立海、THIS IS THE…が流れてきたとき、動揺して3バルで号泣したこととかを、いっぺんにぶわーって思い出した。

やっぱ、テニミュってすごい。だって、ずっとそこにある。時間は経つし、いろんなことが変わるけど、テニミュテニミュであることは変わらないんだ、そう思った。
そしてその感覚は、公演が進んでいくにつれどんどん強くなりました。

 

だって、本当に本当に、あまりにも楽しかったんだ…。
1回しか観られてないから曲順もセトリもうろ覚え中のうろ覚えなんだけど、半分くらいは3rdの曲だから知らない曲なんだけど、やっぱりそれでも楽しいし、知ってる曲がかかるとアァ~~~!!!って嬉しくなるし、トータル結論、最高なんです!!!!
あとほんと!みんな!!!顔が良いね!??!びっくりする!!!!
にちかくん…いや前から思ってたけど、きみはお顔が…美しすぎる…びっくりした…(ほかにいえることないのかよ)
あとSAMURAIはもうふっつ~に泣いたからね!!!
友達がはまり倒している3rd立海に関してはほんと心底おそろしかった。なんであんなとんでもない素材があつまってしまったんでしょうか?どうなってるんですかね?
幸村部長神々しすぎてもうあんなんひれ伏すしかないし、真田副部長おちゃめさもありつつ超超かっこいいし、蓮二さんはひたすらうつくしいですね…
仁王くんはあのウィッグでその顔の小ささなんなん?パースおかしくない?って二度見した。いや小顔とは聞いてたけど。どういうことなの?
あとさ~~噂に聞いてた柳生おもしろすぎ問題…めっちゃ顔が良いのに様子がおかしい!!!ってなったり。。
私はまったく立海の女ではないのですが、体に黄色い血が流れている友達がそりゃ血眼になって通うわけだわ…というのを、ぐうの音も出ないくらい納得させられましたね、ええ…
比嘉曲はちょうど公演直後でタイミングがかぶるからだよね、ドリライ2013で聞いたな!?ってなるやつで楽しかった!
楽しかったな…だってさぁ、\汚いやり方日本一~!/\俺らの部長は卑怯者~!/ってコール、いくらなんでも楽しすぎませんか??(楽しいしか言えてないじゃんよ)
あと「テニスとは」!!!ふじぜんばいいいいい!!!!!!!ってなりました。説明をしろよ俺。いやできねえ。
俺達アスリートにとって一番大切なもの…結局なんなんや!!!ってツッコミをいれながらもとりあえず不二先輩が美しすぎてもう最高ですとなるやつ。この曲すきすぎる。そしてキラキラ舞う紙吹雪の中にたたずむ不二先輩最高。
あっあとルビーアイズ(であってるか不安)は本来黄色いペンラを振るのがメインかと思われるところ、かたくなに青を振り続けて不二先輩を応援していた女は私です!
そんでさ~~もうさ~~~ゴールデンペア~~~~!!!涙
舞台上にコンテナ出てきてしぬかと思ったし、英二ちゃんの、きっと最後だ!って、そのセリフ、アァーーー!!??ウゥゥーーー(;;)!!?ってなるし…!(これ、2ndシーズンでは全国氷帝に出てくるセリフだった、しかし9代目が全国氷帝に出演することはなく…)
友達が9代目の英二ちゃんをとってもとってもほめていた理由も、直にみてよぉぉくわかった。かわいすぎた…そしてその笑顔での涙はアカンよ!!!!!涙
おーまえとおーれとは!ゴールデンペーアー!!!!!涙

 

あぁ、本当に。全然通っていないのに。初見なのに。それでもやっぱり、こう脈々と受け継がれてきたテニミュの息吹を感じまして、あ~~今こんなにステージ上でキラキラしている子たちが今日で卒業なんだ!と思ったり、自分自身の過去の思い出がよみがえってきたりして、結論としては、もうね、ずっと泣きながら観てた。まじでお前はなんなんだ状態。

 

そしてザ・レギュラーの「新青学!」に続く悲鳴は凄まじかったですね…。
私はもちろんリアルタイムで知らないんだけど、だってさ、これもはやフェアウェルじゃん、6代目のラスト公演に7代目がサプライズ登場したときとおんなしやん…ってなって、まじで鳥肌立ったよ…なにより、自分がうっかりそんな場に居合わせてしまうことになるとは思っていなくて。
そして絶対に心底動揺しているだろうに、でも力強く青いペンライトを励ますように振り続ける客席の愛がまじで好きだとも思いました…。
9代目のみんなの卒業のあいさつに関しては、今日初めて見たお前が泣いてんじゃねえ!!!って怒られるぐらいの勢いでギャン泣きしてしまったんですけど、だってもう仕方ないよ~~~!!!テニミュなんだもん!!!
Hちゃんと二人そろって「通ってない立場ではおこがましくて\ありがと~!/なんて言えない、だから代わりに死ぬほど拍手をする」っていう感覚が同じだったのは面白かったです。笑
そして何より、ひとりリョーマとして残るにちかくん…。だから~~!やっぱりダブるから!!!6→7へのリレーと、9→10へのリレーはあまりにも類似性がありすぎますよね…歴史は繰り返されてしまうというのか!!となり、7代目だったあの子たちにこのドリライ見てほしかったなぁって(またしてもお前何目線?な)感慨を抱いたりしました。

 

アンコールソングでは、シャカリキファイトブンブンが出来なさすぎる自分に笑いました。
あれ初見だと無理やな!そりゃ練習動画あるやな!と思いながら、センター(という名のアリーナ席)で、キャストがどこにいるのか俊敏にキョロキョロしながらも完璧に踊りきる人々をみて「さすがです」となったりしてました。これはあれですね!刀ミュのおたくがもはや手癖でえおえおあ踊りながら降り中の推しを探せるようなものですね!!!(らぶフェス2017参照)
あと、アンコールソングは最後がセイヤーだったね…天井から降ってくるハートを眺めながら、セーイヤー!って言うの、すごくすごく幸せな気持ちになりました。そしてまた、ちょっと泣いた。

 

テニミュに関しては、これまでろくに公演に通ったこともなく(何度もいってすまん、でもほんと心からそう思うんです…死ぬほど通っている人が身近にいることもあり)、3rdシーズンに至ってはほぼ本公演を観られてないわたしみたいな中途半端な人間でも、足を運べばこうやっていつでも楽しめる。なんだかそのことに心底感動してしまいました。
なんていうか、テニミュって間口が広い。とんでもなく懐が深い。
「おっ、観にきたいと思ってくれたの?嬉しいな、うんうん、楽しんでってよね~!」って、ニコニコ手招きしてくれる感じ、快くその場にいさせてもらえる感じ。

 

わたしはきっとしばらくは、舞台おたくとしては刀ミュに身を捧げる宿命のようだし、時間もお金も有限ではあるんだけど、でも。
私はやっぱり、テニミュが好きだなぁ、また観たいなぁと思いましたし、何より長いこと離れていたのにこんなに楽しませてもらえたことが、ものすごく幸せでした。
演目としてこれだけ長く続いていることには、やっぱり理由があるんだよね。
松田さんの情熱大陸を思い出すけれど、松田さんと許斐先生がタッグを組んで「攻め」の姿勢でこの熱い演目を世に送り出してくれていなければ、今の2.5次元演目の隆盛は存在してないんです。
そのことを思うと、テニミュがもたらしたものの大きさにはまじで震えますし、これぞ感謝しかないというやつなんです…。
そして、新規だろうが古参だろうが久しぶりだろうが何だろうが、目くじら立てずに楽しませてもらえるようなそんなホーム感、今や他にはなかなかないよなって思いました。
だってさぁ、15年だよ!?もはや伝統と格式だよ…!そんだけ続いてりゃもう、古参がどーだとかまじで昔すぎてあーだこーだ言ってられんよね!笑

 

かつてはテニミュを経由せずに若手俳優を推し始めたり舞台にはまることのほうが難しかった気がするんですが、この数年でそのあたりもすっかり様変わりしていて、
私の周りにも、舞台にはよく行くけどテニミュは観たことないって人は本当にたくさんいます。
だけどやっぱり、テニミュ、楽しいよ!!!機会があったら是非みてほしいな!!!って思ったので、お得意の行き場のない感謝を投げつけるべく、ブログ書いてみました。
迷ってた全国氷帝もね、行きたいと思ってます。しかしチケットまだもってない。…あ~、明日のプレリク当たってねぇかな!?(←チケット手配の出遅れがひどい)


他にはまじでとくにオチとか何もないんですが、あと途中からテニミュ知ってる人むけの書き方になり果ててましたが、読んでくださってありがとうございました!テニミュって楽しいじゃん!!!

刀ミュ ~結びの響、始まりの音~ (むすはじ/むすびね/結び音) 巴形薙刀と時間遡行軍に関する考察

刀ミュ「~結びの響、始まりの音~」も、ついに明日が大千秋楽。今回は50公演あって長いと思ってたのに…早いね!

終わるときって、あっけないんだね…(やめろ)

そして略称がけっきょくどれがメジャーなのかわからないまま来てしまいましたけど、やっぱ「むすはじ」なんですかね?

私も最初はそうかなって思ってたんだけど、「音」を「おと」じゃなく「ね」って読むって知ってから「じゃあ”むすびね”でよくね!?」となっておりますが、…皆さんはどれを採用していますか?笑

前回の初回観劇後の記事 では、とにかく幕末天狼傳ロスが大爆発したそのさまを叩きつけることしかできなかったので(下記リンク参照)、

anagmaram.hatenablog.com

今回は話の本筋に近いかなと思われる部分についての感想?考察?のようなものを、書いてみたいなと思います。

 

 

今回、私が結び音のストーリーのキーだと思っているのは、巴形薙刀という存在です。

単体では逸話を持たない、巴形という形の薙刀の集合体として顕現した刀剣男士。

刀ミュの展開はゲームの展開と足並みをそろえることを意識しているように思っているんですが、七十振りを超えた刀剣男士の中で、あえて今巴形がラインナップされたことには、きっと意味があるんだろうなと感じていました。

 

今回、劇中で巴はいくつか決定的な言葉を発しますが、その一つが

「時間遡行軍。あれは、物語を持たない刀たちの成れの果てなのではないか。だとしたら…」

というもの。

初日に観たときは本当にびっくりして「!?」となりました(が、幕末天狼傳ロスで、その後それどころではなくなっていた)。

恐らくみんながなんとなく感じていた内容を、そんなふうに明確に言葉にしちゃうのが意外すぎて。ずいぶんと思いきったことをするなー!?って思ったんですよね。

 

この巴の投げかけは、わからないけど、ゲームの根幹設定にもかかわってくる、とても明確な示唆だと思うんですよね。

そこで、仮に、巴の言う通り、時間遡行軍が「物語を持たない刀たちの成れの果て」だとすると、何が言えるのか…ということを自分なりに考えてみました。

 

1.何が刀剣男士の条件なのか

巴形薙刀は、自らを「補充戦力」と称します。

隊長に任命されると「主、それほどまでに追い詰められているのか」と言ったりもします。

この「補充戦力」という表現がどうにも引っかかっていたのですけれど、つまり巴は自分のことを「仲間である他の刀剣男士とは違う存在」だということを言いたいのかな、と思ったんですよね。

他の男士とは違っているからこそ、彼が「補充戦力」になり得るのではないか、という発想です。

 

では、巴が他の刀剣男士と異なっていることとは…それはもう自明ですが「逸話を持たないこと」。それ以外にないでしょう。

 

つまり、本来刀剣男士を刀剣男士たらしめている条件とは「強固な逸話を持っていること」になるのではないか、と思ったんです。

逸話がある、ということは、その刀には、元の主たちと辿ってきた道筋があるということ。

それはすなわち、そのまま「歴史」ということにならないでしょうか。

つまり、逸話を持っている男士たちは、自分たちの内面に、元の主との思い出、記憶=歴史を守ろうという、モチベーションを持っているといえるのではないかと思ったんです。

逸話がなければ、その歴史を守るという強い動機付けも、生まれえないのではないかと。

 

そしてその「逸話」が、事実であるかそうないかという点は、恐らく重要ではないようです。

現に、前作の「つはものどもがゆめのあと」では、岩融と今剣が、この世に実在したことのない刀である、ということがはっきりと明言されました。

しかし、彼らの刀剣男士としての存在が揺らぐことは一切なく、

実際に岩融は、自らの非実在を認めたあとでもなお「この俺の記憶だけは、誰にも奪えない!」と堂々と言っています。

つまり、それが事実であるかどうかに関係なく、歴史の中で語り継がれてきた「強固な逸話」があることにより、刀剣男士は顕現しうるし、その存在を持続しうる、ということになります。

 

ゲーム説明では、歴史上の「名刀」が刀剣男士になって歴史修正主義者と戦う、という設定だけれど、

名刀ということはつまり、「逸話」を多数持つ刀たちの集まりに他ならないともいえるのではないでしょうか。

そういった背景を持たずに顕現してきた巴は、劇中で何度も「物語」という言葉を使い、自らと周囲の刀剣男士との違いを確認するように振舞っていました。

そして彼のその違いこそが、最初に述べたとおり、彼が「補充戦力」たる所以なのだろうと思ったんです。

 

2.補充戦力の役目、とは

では、実際のところ、逸話を持たない巴が補充戦力となる理由とはいったいなんなのでしょうか。

ここでもう一度、時間遡行軍が「逸話を持たない刀たちの成れの果て」だという前提に立ち返ります。

逸話を持たない刀、の特徴をとらえているのではないかと感じたのが、今回の劇中の巴のソロでした。

あらゆる時 あらゆるところに 逸話を持たぬ刀 薙刀

っていう歌詞があるんです。

そのあとが5回見てなおうろ覚えなんですけど「行くべき場所もなく(このあと忘れた)彷徨い ただよい 溶け合うだけ」だったと思う…。明日確認してこよう…笑(←しました)

 

この巴のソロからヒントを得ると、名もなき刀・逸話なき刀、については

  • おそらく日本の過去の歴史の中には、何百万をくだらない数、本当に大量の名もなき刀が存在したはず。
  • 日本刀は武器として形が完成された奈良末期・平安初期~江戸時代の終わりまで、約1000年の長きにわたり存在し続けた。
  • (日本の中だけで見ると)おそらく全国、どの土地にもあまねく存在していた。

という風にとらえることができそうです。

 

そう、日本刀が存在した時代に限って言えば、ほんとうにいつ、どこにいっても、おびただしい数の刀が存在したはず。

そこでふと思ったのですが、つまり、刀という存在に先に着目したのは、歴史修正主義者だったんじゃないでしょうか…?

「いつ/どこにでも存在しうる」「名もなき刀」を、そのまま戦力として取り込むことができたなら、それは数の上ではものすごく有利なんじゃないかなって。雨後の筍のごとくいくらでも湧き出しうる、無限に補充できる戦力なのではないかなと…。

そこに着目して、歴史修正主義者は名もなき刀たちを時間遡行軍に変えていったのではないでしょうか。

そしてそれに対抗するために、審神者の霊力で「強固な逸話を持つ」刀が、刀剣男士として顕現させられたのではないでしょうか?

 

さらに、逸話を持たない刀たちは、おそらく「今の歴史に名を残さなかった」から、ある意味逆説的にですが「今の歴史に執着しない」という特徴があるといえるのでは、とも考えました。

彼らはそうした「操りやすい」という意味でも、歴史修正主義者から見たときに、歴史改変の戦力になりうる存在なのではないでしょうか。

そして時間遡行軍は自身の意思を持たないからこそ、外から束ねられやすくもあり、また一個体としての力は決して強いものとは言えないのではないか、という風にも考えました。つまり、使い捨てられる、数の理論でもって戦力とされている存在かな、と。

 

一方で、刀剣男士には、それぞれの元の主たちとの思い出=逸話=守るべき歴史があります。

今の主である審神者の命はさることながら、自らの意志でもって、元の主たちの道筋をあるべき姿にとどめよう、守ろうとする、そのモチベーションが彼らにはある。

それがそのまま、戦力としてみたときの、彼らの強さの源泉にもなっているのかと思ったんです。

 

…文章でうまく説明ができなくなってきたのでパワポにまとめた。突然。

今までがこんな感じだったのかなって。

 

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しかし、そこに新たな勢力(と言っていいほどの数がいるかは不明ですが)が台頭します。

今回の「名もなき刀たちの成れの果て」発言と同じように劇中でかなり衝撃的だった展開、

そう、土方歳三の元へ、人間になりすまして潜入してきた時間遡行軍、三振りの存在です。

彼らは入隊志願者として会津までやってきた後、実際に入隊を許され、以降、土方さんの傍で忠実に仕えます。

かっぽれのシーンではお酒を勧められるがままに飲み、結果お代わりを所望したり、ほかの隊士たちと一緒になって踊ったり、函館戦争では土方さんを守って自らの身を投げ出して銃に撃たれるなど、およそこれまでの時間遡行軍とは趣の違った存在である様子がうかがえます。

 

なぜ時間遡行軍たちが、わざわざ人間のふりなどして土方歳三に近づくのか、という疑問に端を発し、

今回の歴史修正主義者の目的が「土方歳三を殺すことではなく、生かすことだ」と気づいた刀剣男士たちは、みな一様に動揺します。

とくに安定は、幕末天狼傳の際に自身が新選組に人間のふりをして潜入したことが、今回の事態の引き金になったのではないかと危惧したりもします。

しかし、時間遡行軍と同じく物語を持たぬ者である巴は、単なる作戦上の都合で、彼ら三振りが土方さんのもとへやってきたわけではないことに、最終的に気づくのでした。

この特殊な三振りのこと、説明しづらいので劇中にならって以下「犬・猫・蝸牛」と呼びますね。

 

土方歳三の命日であるその日、函館の地で犬・猫・蝸牛に相対した巴は、彼らに引導を渡す役割を担います。

「ずっと、考えていた。なぜお前たちが、土方歳三を選んだのか。…だが、ようやくわかった。俺も、物語なき者だからな」

「刀の時代の終わりを背負った彼の傍で共に生き、共に死にたい、そう願ったからではなかったか」

巴は彼らにそう告げながら、ある種残酷なまでに、正確無比に彼らを倒してゆきます。

そして最後にどこか優しいともいえる仕草で、命を終えた三振りをひとところに寄り添わせ、「良かったな。…物語に出会えて」と言い、その場を立ち去るのです。

犬・猫・蝸牛は、「命の使い道」を探していた土方さんと共に、自分たちも同じように散るという願いを果たし、物語を手に入れることが出来たのでした…。

 

ここで、背景に流れている音楽がですね。あろうことか!幕末天狼傳のサントラをお持ちの方はわかるとおり「Theme of Shinsen-gumi」なんですよ…!

土方さん本人のラストのシーンではなく、土方さんと共に生きたいと願った時間遡行軍の最期にこの曲を合わせてくるっていうのが、なんかもう…

これ、はなむけの意味もあったのかなって思ったんですよ。。

あまりにも歴史上に強固な物語を残した「新選組」という存在、それを刀ミュの世界の中で象徴している曲でもって、この時間遡行軍の終わりを描くっていうのが、ある意味ものすごく粋なはからいといいますか…。このシーン、何度見ていても曲のせいでめちゃくちゃに泣かされてしまいます…

だって巴が立ち去る直前のところなんてさ、さらにピアノバージョンのTheme of Shinsen-gumiになってまして…咳き込む沖田くんを見てうつむく安定に手を差し伸べようとして清光がやめるときのあのメロディーなんですよ、そんなの無理~~!

…ってまた話がロスおばけの暴走にとびそうなので、この話はいったんここで終えて。

 

話を戻しまして、巴が補充戦力たるゆえんは、こういうことかなって。

 

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逸話を持たない薙刀の集合体として、巴が顕現できたのは、それはひとえに審神者の霊力によるものなのかと思われます。

逸話を持たない刀にも、力を与えることができるのが審神者で、それができないのが歴史修正主義者なのかな、という理解です。

今回の戦いに限っていえば、犬・猫・蝸牛を倒すことは、戦力的には巴抜きでも可能だったことでしょう。この三振りが、飛びぬけて強い様子は、戦闘シーンを見ていてもとくにうかがえませんでしたし。

しかし、巴が自身で述べるように、物語を持たない巴でなければ気づけない部分が、おそらく今後の戦いの中で出てくる、という示唆だったのではないかと思います。

なので巴のことはどちらかというと、今後の刀剣男士たちの戦いの、精神面の在り方を支える存在なのかな?という風にとらえています。

 

また、物語を持ちたいと願う時間遡行軍はおそらく変異種のようなもので、多数ではないとも想像しています。

土方歳三を生かすことで歴史改変を行おうというのは、今回の歴史修正主義者側の作戦としてはおそらく元々あったもので、その内容に触発されて、犬・猫・蝸牛は土方さんの元へ行きたいと願うようになったのかなと。

彼らのような変化が、時間の経過によるものなのか、理由は具体的にはわかりませんが、

時間遡行軍にも命や心がある、おそらく刀剣男士とは根を同一にした存在であるということ、その事実に刀剣男士たちが気づけなければ、この先の戦いがより厳しいものになってしまう、という意味での「補充戦力」が巴なのではないかな、と今は結論づけています。

うまく言えないんだけど、相手も一枚岩ではないかもしれない、こちらが予想し得ない行動原理で動いている敵が現れるかもしれない、というときに、

それを察知して対抗できる存在、という意味での補充戦力。

そしてさっきは時間遡行軍について「意思を持たない」って敢えて書いたけど、実はそうじゃないかもよってことも、今回のストーリーで明らかにされたのかな、と思いました。

そうなるとね、刀剣男士と時間遡行軍の相似性、ってところに今後の話が向かっていかざるを得ないような気がするんだけど、ほんとどうなんでしょう…!

検非違使のこともあるしなぁ…。

 

でも、時間遡行軍にも「命がある」っていうのは今回むっちゃんのセリフだったことを考えると、

スタンスによっては、そのあたりになんとなく気づいている男士もいるってことなのかな…と思ったりしつつ…いやむっちゃんはあくまでも命の有無に着目しただけなのかな~!?

むっちゃんのキャラクターへの理解が足りなさ過ぎて、わたしは彼が時間遡行軍にとどめをささない理由がうまく自分の言葉でまだ語れないんだよね…。

そのあたりはむっちゃん推しの方の理解を聞いてみたいところです。

 

成り立ちに着目すると、ともすれば危うい存在にもなりえる巴ですが、そこに対する心配は解消されて物語は終わりを迎えます。

 巴は、今回のキーになっている「時間遡行軍。あれは、物語を持たない刀たちの成れの果てなのではないか。だとしたら…」のセリフの最後、自らの腕をさすっているんですよね。

なので彼は自らの在り方に、最初は多少なりとも不安を抱えていたのかなとも思うのですが、

出陣を終えたあとは穏やかな様子で、自身の刀剣男士としての成長を実感しているように見えました。

巴は「自分には物語が欠けていると思っていた。その思いは今もどこかに残っている。だが、欠けているのは俺だけではない、皆どこかが欠けている。…大切なのは、欠けていることをわかったうえで、その先へ一歩を踏み出そうとすることだ。…それを彼らから学んだ」と言い、

「物語なきも、また物語なり。主、これからもよろしく頼む」と、自信にあふれた落ち着いた物腰で告げて、主の元を辞していきます。

物語なきもまた、物語。って巴が言い切ることができたのは、今回の出陣の中で、いろんな形でぶつかったり迷ったりを繰り返しながらも、前に進む仲間たちとともに時間を過ごすことが出来たから。

物であった刀剣男士たちが、人の身と同時に得た「心」という存在を、丁寧に育んであげられるかどうかが、おそらく本丸の運営上は非常に重要な鍵になっているんだろうなと…

ミュ審神者はときに荒療治がすぎるけど(みほとせ参照)、このあたりがものすごく得意なんだろうな、と思ったりしました。

なんていうのかな、仲間同士の信頼をとても大事にしている気がする。

仲良しこよししなくったって敵とは戦えらぁ!なんだけど、彼らはちゃんと、お互いを信頼し合うことはできるんだよね。

だから見ていてミュのストーリーにはいつも引き込まれるんだと個人的には思っています。

  

 

こうして書いてみると、別になんちゃないというか、まぁそりゃそうだよねというか。。目新しい考察ではとくにないんだろうなとは思うのですが、

ミュの展開としてここまで踏み込んで来たからには、こちらの理解もそこまで追い付かせないとな!と思い、自分の今の考えをまとめてみた次第です。

あとは、今後の展開という意味でいくと「ミュにおける極実装」問題もあるよね…!

らぶフェスは置いておいて、修行に旅立った刀剣男士が今後仮に公演本編に出てくることがあるとしたら、それはもう極の姿を覚悟してね、ってことですよね…。

まさか一気に四振り行っちゃうとは思わなかったしなぁ。。

そして清光とはっちが冒頭で本丸を不在にしている理由が、単なる長期遠征なのか…それとも初期刀だけど、実は先に修行に行ってるんだとしたら…等のいろんな疑問が沸き上がってしまいます。

なんとなく、集大成のような位置づけで今作が描かれたような気もしていて。。

刀ミュ、扱ってきた時代としては、5作品でまだ3つしかないんですよね。源平合戦の時代を2回、幕末を2回。

1年に2つの新作を上演するというペースが今年も変わらないとすると、

もしや次は、みほとせにつながるお話のターンなのかな!?って思うんですけど…どうなんだろう!?

それも明日の楽サプライズで明らかになりますかね…。毎度恒例心臓に悪いアレですが。。何を予想してもこちらの想像なんて超えてくるのが刀ミュくんなので、もう諦めて受け入れるしかないんだと思いつつ。笑

 

最後に余計なぼやきも書いちゃいましたが、ひとまずこの記事はここでおしまいにします。あと今更ですけどセリフそのほかの間違いは大目にみてください!(なんせ観ながらずっと泣いているので…笑)

読んでくださってありがとうございました!

明日はラスト観劇楽しんできます~!

刀ミュ ~結びの響、始まりの音~ 3/24初日観劇後の感想(ネタバレです!!!)

ミュージカル刀剣乱舞「~結びの響、始まりの音~」初日あきましたね!

初日を見てきて一夜明けまして…初回観劇の感想を、今回も残そうと思います。

そしてこれは人によるのかもしれないけど、私にとってはこれまでの刀ミュ作品の中で一番ネタバレセンシティブ!って感じだったので、なんにも知りたくない人は絶対に読まないでくださいね!すでに見た方orむしろ何がおこってるのか知ってから見たいタイプの方だけ読んでくださいね~!?頼むぞ!

あと長文になるくせに、どうしても項目にわけて評論チックに書くことができないんですよね(できないというか構成する気力がなくてサボってる)。

なので毎度のことながら読みづらいと思いますが、それでもかまわない方はどうぞ~!

 

 

 

 

わたしは自分のことを「幕末天狼傳ロスおばけ」って呼びならわしているんですが、それくらい幕末天狼傳が特別な存在になり果ててしまっている自分にとって、今回の作品は、始まる前から「近づくのが怖い」存在でした。

なぜなら、作品内で描かれる時間軸が、幕末の最期の時期であるということ、つまりそのまま「幕末天狼傳のすぐ「あと」の話」であることが、容易に予想され得たから。

刀剣男士のラインナップやタイトル、そして近藤さん、沖田くんを失った、土方さんしかいない新選組というところからも、それは本当にわかりきってることだなと思ってました。

でもそうはいうものの、いつものことながら刀ミュの新作ストーリーに関して事前にわかることなんて何ひとつないので、イマイチ覚悟がしきれないまま、もうふわ~っと初日の劇場に行ってしまったんだけど…。

これもまた、心底愛してしまったつはものもまだ終わって二か月とかだし、青年館に足を踏み入れても、あれ?これから自分はつはものを見るんじゃないのか?って混乱したくらいで。

 

でもね、あのね…

今回のストーリー、幕末天狼傳のあとの時代の話、なんて、生易しいもんじゃなかった。単なる続きでしか、なかった。

幕末天狼傳に愛を傾けていた人は、劇場で大変な目にあいます。これはマジで。ガチで。

客席の動揺、見ていてもはんぱじゃなかったよ…

なので今回の感想記事は「幕末天狼傳ロスおばけが見たらこうなった」っていうのがメインです。もっと全体を作品として俯瞰してみたときに言うべきこともあるし、自分でも言いたいことはもちろんちゃんとあるんだけど、でもとりあえず幕末天狼傳に端を発するこの動揺と涙の記録を吐き出さないと、先に進めないんです。。

たぶんね、この作品、幕末天狼傳を通っているか通ってないかで、受ける印象があまりにも違ってしまう可能性もあって…。

とりあえずそこの部分だけにしぼってまず書きたいです!なので話の構成の考察とか全くしてません、そんな余裕があってたまるか状態なんですよまじで。笑

終始泣きすぎてボロボロで、記憶がふっとんだりめちゃくちゃになってるんですけど、感情のあらぶりだけでも残しておければなと思います。。いつも言うけど初回の感想は、初回にしか書けないからね!(時間軸やセリフの間違いは初回なんで許してください~!)

 

 

今回の作品は、近江屋事件から始まりました。

同志と鍋をつついていたところを急襲され、刃に倒れた坂本龍馬。しかしそこへ時間遡行軍は現れず、出陣していた巴形薙刀和泉守兼定、そして陸奥守吉行の3人は戦うことなく帰還する、というシーンなのですが、元の主の死を目の前にしたのにとても淡々としているむっちゃんと、それに対して納得のいかない兼さん、という対照的なふたりの描かれ方を導入として、物語がスタートします。

そしてすぐに場面は本丸へと変わり、初めての出陣を終えた感想を主に問われた巴形が、傍づかえの方が向いていると思うのだが…等の答えをしてみせるのですが、そのあとに。

 

「お手合わせ、おねがいしまぁす!」

「あぁ、殺してやるよ、子猫ちゃん!」

「よーし…はじめッ!」

 

そねさんの仕切りで手合わせをする堀川くんと安定、というシーンになりまして…まずここでもう、ガン泣きした。いや、いくらなんでも早い。

なんていうか、頭がくらくらしました…。

久しぶりに、目の前で動いている安定を見たら勝手に涙が出てきたし(だってなんと上海公演ぶり)、そして堀川くんが堀川くんだけど新しい堀川くんで、あれ?でもやっぱり堀川くんで、あれ???って混乱しきってしまい、どうしたらいいのかわからなくなった。

そしてそねさんは「相棒がいないと二人ともさみしいんじゃないのか?」とか、とんでもないことを言い始めて、そこからの3人の会話がまたいろんな爆弾をどんどん放り込んでくる感じで…

この調子で泣いてたらわたしおかしくなるんじゃないか?と思った。

しかし、最初の客席での本格的な死は、その後開始10分~15分後?くらいで訪れました。

 

江戸から逃れ、戦いを続けて北上する土方さんが、会津で星空を見上げるシーンが、それくらいのタイミングでやってくるんです。

もちろん土方さんの姿を見ただけで「ウゥッ…」ってすでに泣けてるんですけど、

星空を見上げながら、「あの星は…見えねぇか」みたいなことをだな、土方さんが、言うんですよッ…!

あの星…それは、てんろーせーーーー!!!!涙 ってなりますでしょ当然!幕末天狼傳のおたくは!!

でもねそれに飽き足らずね…

あろうことか…Siriusを、使いやがったんですよ…(※言い方)

 

そう、あの曲。天狼星を、近藤さん土方さんや、刀剣男士たちが見上げるときに背景で流れていた、あのピアノのメロディを。そのまま!!!!今回!!!!使ってきてて!!!!!

メロディが流れ始めた瞬間、壊れたようにすごい勢いで泣き始めたお客さんがたくさんいた。もちろん私もその一人だった。

もう聞こえてきたとき、時間がぎゅうっと巻き戻されたような、今自分がいるのが2016年の秋のアイアなんじゃないかと思えてくるような、本気で錯覚するような感覚に陥るとともに、説明のつかない奔流のような涙があふれでました。

(そしてここまで書いたんだけどSiriusが初めて流れるのがこのシーンだったのか自信がなくなってきた、すみません。なんせ泣きすぎてて…、でもSiriusは劇中3回くらい、いやもっとか?使われてたはずです。)

 

からのさぁ、ここのシーンさぁ…。

ここは、宇都宮城の戦いの後、土方さんの足のケガを心配する島田さんと、土方さんが二人で会話するシーンだったのですが、そこに京都に密かに潜入していた中島登が意気消沈した様子で帰ってきます。

中島くんは、捕縛された局長を救い出すことは叶わず、申し訳ございません、と震える声で告げます。

さらにその後板橋で近藤さんが処刑され、その首が三条河原で晒されたこと、そしてそのすぐ後に沖田くんも亡くなったことを、土方さんに伝えるんだけど。

近藤さんの死を知った土方さんの、胸を突かれたような表情、そして「総司も、逝っちまったか」っていう、穏やかなつぶやき…。もう客席では当然、これだけでもすでにぐしゃぐしゃに泣いてるんですが、そこから中島くんが、とんでもないことを…。

「腹を斬ろうとも思いました、が、どうしても…もう一度、土方さんに会わせたくて…」

って…。肩から降ろした包みの中から…

まさか?とは思ったんだけど。

なんと、近藤さんの、首を。取り出してみせたんです。

 

もうこの時の自分の感情を言い表せる語彙がないけど、めっちゃくちゃに泣いた。そして同時に、ものすごい鳥肌が立った。

だって、思い出してほしい、らぶフェス2017を。

三日月宗近が語った話は、三条大橋にまつわる新選組の逸話、でした。

「三条河原に晒された近藤勇の首は、いつの間にかなくなっていたという。誰が持ち去ったのかは、今でも定かではない。一体誰が、持ち去ったんだろうなぁ。」って。穏やかに微笑みながら、あの人言っていましたよね。

…それを、ここで、つなげてきたのかよーーー!?って、してやられたっていうか、もう「やっぱ刀ミュ、怖い」って思いました。

やー、らぶフェスで三日月がなんでよりによって新選組の話を語るのかなって、なんとなく違和感あったんですよ。いやもちろん、幕末組の曲につなげる必要はあるにせよさ。

そこでわざわざ近藤勇の首の話をするのがちょっと引っかかりがあって。まぁたしかに、さらし首がいつの間にか消えてしまった話は怪談になるか、とは思っていたものの…

まさか、次の作品への橋渡しの一つだったなんてね。。思わないよね…。

刀ミュ、というか、御笠ノさんが、本気で怖い!!!

近藤さんの首をそっとだきしめ「カッちゃん…こんなにちいさくなっちまってよォー!!!」って泣き叫ぶ土方さん…いや、そんなの見せられるのとか、無理に決まってませんか…?もう書いててもまた涙出てきた。まじでくるしい。

なんかここで「これは本当にダメだ、幕末天狼傳とガチでつながっている話だ、これはわたし、助からない」って思いました。そしてその予感は正しかったです。

 

だってね。音楽の話をしますと、Siriusのほかにもね…どっちかちゃんと判別できてないけど、Theme of Shinsen-gumiか、See you againのどっちか(もしくは両方)も、使われていまして…。(この2曲、要はアレンジ違いな部分あるよね。)駆けてゆく土方さんの背景に流されたりするの…。

音楽って、においと一緒で記憶にダイレクトに結びつきますよね。耳に届いた瞬間に、体が勝手に反応してしまうっていうか。ほら、学生時代の特定の時期と結びついてる曲を聴くと、一気に思い出がよみがえったり、当時の気持ちを思い出したりするじゃないですか。。

その現象が、劇中でなんども起こるんです。もうね~~~。うれしいんだけど、いやもちろん、嬉しいんだけど!ほんとーーーに、心底しんどかった…!

2016年の秋、真剣捨て身の心で、胸躍らせて乱世を駆けてたあの頃の気持ちが、ぎゅう~~!って呼び覚まされてしまって…どうしたらいいかわからなかった。

自分の中で、まだロスがここまでなまものだったとは…って思い知らされて。

なんで私、こんなに幕末天狼傳が好きなんだろう…

 

ロスポイントの話を引き続きします。

今作でも、主に呼ばれて部隊が編成されるおなじみのシーンがあるんですけども、その最初の4人が、幕末組なわけですよ。。

「俺の働きを見せよう!」とか「出番だね、了解!」とか…それぞれの編成セリフとともに舞台上に現れるだけで、どうしても涙。とまらない涙。

そして4人目までが呼ばれたところで、安定が「この編成ってことは…」みたいなことを言うんですね。ちょっとわくわくしたような、期待をしてるような表情をしてるんですけど、でも今回その後呼び出されるのは、巴形とむっちゃんの二人。

それを受けた安定、どことなくしゅん、とした雰囲気になってて…。そうだね!?清光と一緒かなって、思ったよねーーー!!!えーーーーん!!!!涙

もう、この感情をどう処理したらいいんだろうねぇ!??

 

ここからはおなじみの「刀剣乱舞」に行くんですが、ちょっとあまりにも泣いていたので、いつもは覚えている振付の特徴とかが、まったく頭に残っていません。重症…

作品ごとに違う刀剣乱舞の振付みるの、すごくすごく好きなのに、それすら意識にとどめられないくらいの状態になってた。

安定が「ただ君を守るために」って歌いながら時間遡行軍の喉元にとどめを刺してたのは覚えてる…あと堀川くんの「この胸に秘めしもの 燃え立つ血潮」パートの立ち位置が幕末とおんなじで上手よりだったことも覚えている…

兼さんの「俺は走り抜ける 叶わぬ思いがあるものか」がそのまま残ってて、心の中ではもう「うぉぉぉぉぉん」って泣き叫んでた。もう、われながら危ない人だな。

今回に限らず、それぞれの作品の初回観劇で「刀剣乱舞」を聞くと、わたし絶対泣いてしまうんだけど、ちょっと今回はひどかったです。。周りの迷惑にならないようにとりあえず目元や口元にひたすらハンカチを押し当てていました。

 

ここまで書いてたら疲弊してきた。たいへん。でももうひとつ重いやついきます。

客席の様子で、幕末ロスorそうでないかでのリアクションの対比がまじで鮮明だな、と思ったところがありまして。

時間遡行軍が人間のふりをして、土方さんのもとへ入り込んでいるらしい、どうやら今回のやつらの狙いは土方さんを殺すことではなく、生かして歴史を変えることなのでは!?となった、一連のシーンなんですが。

(注:ここの設定というか描写については、改めてちゃんと書きたいと思ってます!これだけで頭を整理して書くべき、おそらく今回の肝となる内容なので!1回だけじゃここの設定の理解、まだ整理しきれないというのもあって、繰り越します~!)

 

今回歴史を守るためには、自分たちの手で土方さんを殺さなければならないという可能性に気づき、ショックを受ける兼さん。その姿を見た堀川くんは、兼さん、僕がやってみせるよ…!とばかりに、時間遡行軍の企みを阻止せんと一人で潜入するのですが、敢えなく捕まってしまいます。

そんな彼を助け出そうと、ほかの男士5人が全員で、真正面から土方さんのもとへ投降しにいくシーン。

ずらりと姿勢よく座して居並んだ男士たちを、ひとりずつじっくりとにらみつけていく土方さんが、安定のところに来た時に「お前、きょうだいいるか?」っていうんです。

安定はハッとしたような表情でうつむいて「いえ。」とだけ短く答え、土方さんも「そうか。…死んだ仲間に似てたもんでな」と言って、それ以上は追及しないんだけど…。

ここの、土方さんの「お前、きょうだいいるか?」で、私は息をのんだんだけど、客席ではわりと笑いが起こっていたような気がして!?

いやいやーーー!わらえんーーー!!!泣くところじゃろーー!!??ってなってました。

 

だってさ、あのやり取りで、この土方さんは、幕末天狼傳でみんなが会ったことのある土方さんだって確定したわけじゃん…?

土方さんの「死んだ仲間に…」で、本格的にウワァー!!?ってなって泣いたんだけど、つまり土方さんは、安定のことを、奥沢くんに似てるなって思ったわけでしょう…?似てるもなにも、本人なんだけどさ。つまり世界線がまるっきり同じってことじゃないか。。

今作が「繰り返し」をし続けているつはものの次の作品だったから、時間的なつながりについては、男士たちの経験上はともかく、元の主側が同じ相手かどうかは、正直わからない部分もあるよなって思ってたんですけど、そこに関してはきれいに否定されたわけですよ。。

「お前、きょうだいいるか?」へのあの笑いは、安定ピ~ンチ!ってことだったのかな。

…いやたしかに、神妙なかおつきで、明らかにあやしい風体の5人が正面きって乗り込んできてる絵面には、面白いところはあった。って、後から頭を整理して思ったんですけど、いや~~でも、やっぱ、泣くから!!!

 

そしてここでのしんどいポイントはまだまだ続く!

そねさんの「命を懸けて仲間(堀川くん)を取り戻しにきた」という態度に触れて、土方さんは堀川くんを解放することに決めます。そしてあろうことか、「お前ら…気に入った!」って、晴れ晴れした顔で突然ガッとながそねさんの肩を抱き、「よし、いっちょやるかぁ!」「な、なにを?」みたいなやり取りを始めるんだけど…。

ここはもう、予感だけで泣いていた、だってその先にあるのは

「決まってるだろ~!?…宴会だー!」

だよね~~~それしかないよね~~~!!!!!!!ム~~リ~~~~~!!!!!!涙

 

客席は、わぁーーー!!!って拍手とともに大きく歓声があがって。舞台上ではかっぽれかっぽれ~!って始まって…!めちゃくちゃ沸いてました。

いやもちろんうれしいし、笑顔になるんだけど、あまりにもむりでした。号泣でした。

だって、新選組の刀たちは本丸で「ねえ、久しぶりに、あれやろうよ!」「いいねえあれだね!」って、元の主たちが好きだったやつを、おんなじようにかっぽれかっぽれ~!って、してたんだよ。

それをだよ…本人と一緒にやるんだよ…?泣くしかなくない…?

客席で起こる手拍子と、それに包まれて歌い踊るみんなの姿、完璧に過去の記憶とダブリまくって、ほんとうに舞台が見れなくなった。ので映像記憶があんまり残っていません…

ここもね、キャー!わー!って笑顔で喜んでるお客さんと、ビャー!!って泣き始めるお客さんにくっきり分かれてて面白かった…そして、泣きながら笑ってる人たくさんいたと思う…。し、しんどい…。泣き笑いしすぎたマジで。

そしてさらに、いい具合に酔っ払った安定が「ねえねえながそねしゃん!」って言いながら、上手から、お酒がなみなみと入ったお鉢を、持ってくるんですよぉ~~!!!涙

そこでながそねさんが見せる、鮮やかな一気飲み!!!

虎徹きょうだいで~そこをリレーするんかぁ~~~;;!!?

もちろん楽しいから笑うけどでもやっぱり泣くっていう無限ループに陥ってた。

安定がなんて言ってそねさんにお酒飲ませてたのかも、泣きすぎて忘れちゃったよ。。笑

 

…とまぁ、終始こんな調子でして。

いま思えば、つはものの時は話のつくりに衝撃うけまくってたけど、冷静な頭で観劇できてたんだな!?ってなりました。今回のわたしひどいわ。

もっと作品としての魅力をちゃんと話したいのに!全然できない…

他にもね、安定がソロで「選べないんだ ぼくたちは」って言ったりするんだよ。。選ばれぬ者を踏襲してこないでほしいし、ほかにも「近づきたかった」的なことを言っていた…よね。。ウゥ

 

すでに気力が足りなくなってきたので、最後に兼さんの話をしますね。。

今回の話の軸は、当然のことながら、兼さん、あなたでしたね…

 

今作の中で、歴史を守るために、元の主を殺さなければならないとしたら、っていう重たすぎる問い、刀ミュの世界の中でいうと「役割」と向き合い続けて苦しむことになる兼さん。

その問いに対する答えをどう出したらいいかもがく兼さんは、なんと土方さん本人に「もし自分の役割として、元の主を殺さなければならないとしたら、あなたならどうしますか」と真正面から投げかけるのですが、

「お前のやりたいようにすりゃあいい」と返されてしまいます。

主を殺すのが自分のやりてえことだ、役割だ!って胸張れるんなら殺しゃいい、殺したくねえ!って思うんなら、やめりゃいい。って。

指針は与えてもらえるけれど、答えは結局、兼さんが自分の中に見出すしかないという事態に変わりはなく、なんて酷な状況なのだろう…って思いながら客席から見守り続けることになるんですが。

 

最終的に函館戦争の地で、土方さんの命日である日に一対一で土方さんと相対したとき、兼さんは土方さんを殺そうとします。

鬼気迫る勢いで刃を交わし合い、本気で土方さんを斬りつけはする。でも、もちろん、兼さんにとどめが刺せるはずもなくて…。

斬られてボロボロになり、命を取られるつもりで、膝を落として座っていた土方さん。その背後で、一度は「うおぉぉぉぉ!!!」と咆哮して、本気で斬りかかろうとする兼さんだけど、

「…できません…俺には、できません」って、泣きながら自分も土方さんの前に膝を落とす。

 

そうしたら、土方さんがね。

「馬鹿野郎、泣くんじゃねぇよ」って。

後ろから、兼さんの頭を、笑顔でぎゅっと抱いてあげるんだよ。

ここの、構図と、その行為が。そのときの、二人の表情が。

 

それを見た自分の中に今あるものを、なんとか言語化したいのに、まったくもってそれができません。あの情景を、感情を、言葉をつかってどういう風に描写したらいいのか、どうしてもひねり出せない…。むしろ言葉になんか、してはいけないような気にさえなる。

 

心から敬愛してやまない元の主の命が、いま自分の手元でいかようにもできるという状況にまで、追い詰められた兼さん。でも元の主を愛するからこそ、自らの役割に忠実でいたいって、きっと兼さんは思っていたんだと思うんです。

近藤さんのために誠心誠意尽くし続けて、近藤さんを失った今も、自分の中にその役割を新たにとらえなおし、真っすぐに生き抜こうとする土方さん。

彼の命を史実通りに終えさせなければならないのなら、刀剣男士として兼さんがなすべきことは、土方さんを、命日をあやまたずに殺すこと。

それでもやはり、その非情すぎる役割を果たしきれないという、迷いや挫折や苦しみを、そうしてまさに自分が命を奪おうとしていた土方さん自身に、全部抱き留められてしまう兼さん…。

ちょっと、これは…どうしたらいいのか。わからないです…。

今こうして書いてても涙がとまらなくなってきた。

 

土方さんは、斬りつけられたボロボロの、もう長くはないだろう体を引きずって、上手階段を下りて客席通路奥まで進んでいきます。

膝を落としたままの姿勢で、呆然と土方さんの背中を見送る兼さん、そしてその隣に寄り添う堀川くんとそねさん。

少し離れたところから見守る安定、巴形、そして、舞台上の一番高いところで静かに一人立っている陸奥守。

 

むっちゃんがすっと手を差し上げたとき、あぁ、と思いました。そうか、と…

そして響き渡るのは、一発の銃声。

その残響の中、まるで子供のような、感情を覚えたてのような、あまりにも幼すぎる泣き顔になっていく兼さんと、その頭を抱いてあげるそねさんの姿が、暗闇の中に消えていくんですけど…

あぁ、なんて物語を作ったんだろう、って、また打ちのめされたような思いになった。

みほとせの、「よく、生きられましたね」の物吉くんの声が、頭の中によみがえりもした…。

 

刀ミュは、安っぽくない「救済」を描くのが、本当に本当にうまいと思うんです。

こんだけ泣く泣く言ってると説得力ない気もするけど、これは泣かせようとしての、いわゆるお涙頂戴な作りによるものでは決してないんですよ。あくまでも、物語そのものが持つ力に、どうしたって泣かされてしまう。

今回のラストには、そねさんに対して、近藤さんの斬首を「みなくたっていいんだ」と言って役割を代わってあげたはっちのことを当然ながら思い出すし、

そうしてはっちに救われたそねさんが、今度は仲間として、兼さんの隣に寄り添ってあげるのだし、

それまで兼さんにぶつかられても飄々と受け流すばかりだったむっちゃんが、元の主の命を奪うという役割を、何も言わずに果たしてあげるんだよね…。

過去を大切に抱く気持ちを決して否定することはなく、仲間の支えによって前に進んでいく刀剣男士たちの描かれ方、いつものことながら本当に大好きです。

そしてここまで書くと、今度はつはものの三日月の異質さにまた気づかされてぞくりとするなど…。

刀ミュってやっぱ、作品の奥行きがすごい。見る側が心ゆくまで自分の中で世界を広げられるその豊かさは、ある種の余白によって可能になっていると思います。

作品づくりへの信頼感がまた強まった今回の作品でした…ありがとう!!!(行き場のない感謝)

 

 

ハッ!最後といいつつ追加で!!それは…堀川くんのこと!

 

キャスト変更発表にはどん底に突き落とされたような気持ちになったんですけど(らぶフェスのあのタイミングで発表したことはやっぱりまだ許してない)、でもそのショックは乗り越え済みで観劇しまして。

結果、次の堀川くんがしょうごくんで本当に良かったな、って思って帰ってきました!

堀川くんのキャストが違う点についてのしんどさは、見ていて思ったよりも全然なかったんです。ある意味拍子抜けするくらいに。

いやでも、それは誰でもいいって意味じゃもちろんないんですよ!?

わたしはテニミュ(2nd)育ちのおたくなので、なんかもう、そこの二人のバトンの受け渡しには信頼感しかなかったっていうか…。もちろんキャスト変わらないでくれるにこしたことはないし、ずっと同じ子に会っていたいけど、それが叶わないならこの形で本当によかった、納得感ある!ってなりました、観劇の結果!

幕末天狼傳と地続きの世界なのに堀川くんが違うことに果たして耐えられるのか?っていうのが、らぶフェスの発表時にまっさきに思ったことだったんですけど、そこはまったくもって杞憂でした。

言葉に尽くせぬ気持ちや事情もいろいろあるだろうというところ、まぶしい堀川くんを演じてくれて、本当に本当にありがとうございます…という気持ちになって帰ってきたよ。

さすがアーティスト活動のたまもので、お歌は素晴らしすぎましたし…!何よりお顔めっちゃ可愛いし、とにかくすてきな堀川くんだった…涙!

自分もそうだけど、思い入れてるオタクって怖いじゃないですか…だからほんとうに、演じてくれてありがとう。っていう気持ち!堀川くんうちわ持つね!!!

 

 

これ以上まともには書けなさそうなので、いったん今日はここまで。。

巴さんのこともちゃんと書きたいんだけど、それは時間遡行軍とセットにしないとダメなやつなので!もちろんむっちゃんの話も~!!

触れてないのはひとえに私の余裕のなさによるものであり、二人とも本当に最高だったんです…;;刀ミュに出てくる男士のこと全員好きになる現象は、今回もちゃんと発動しました!

巴さんに関しては、ミュのヘアメイクおよび衣装班、すごすぎやしないか!?あの複雑な羽飾りの美しさはいったいどうやって!?何で作ってるの!?ってなりました。

もちろん二部の話もできてないけど二部は二部でも~~~、別ベクトルで大変だったよ~~ということで、一週間後かもっと先になるかもですが、きっとまたかきます!お付き合いありがとうございました!

 

あっあと早いとこ今作の略称をください!話しづらくてかなわねぇ!むすはじでいいですか!?ダメ!?笑

刀ミュ つはものどもがゆめのあと 凱旋公演の三日月についての感想(一部ソロ曲歌詞の掘り下げなど)

どうもこんばんは、つはもの三日月モンペのあなぐまです!

つはもの…ついに、終わっちゃう…ね!!!涙

大阪公演はいけなかったので私の観劇は凱旋が見納めでございました。。明日の大楽は仕事のあとにライビュへダッシュです。いつも忘れるディレイ配信も今回こそ予約済み…!

凱旋はまじでこれ以上がんばれないくらい頑張ってチケットを確保して、1/7マチソワ、1/8マチソワ、1/13ソワレ、1/14マチネ(東京楽)と6回観劇してきたのですが、やっぱり、凱旋ってめっちゃいろんなことが変わっている…!となりました。

あ、いろんなことって言ったけど、冒頭に申し上げたとおりつはものは三日月モンペなので、モンペっていうかなんかもう、自分がよくわかんないんですけど!とりあえず隙あらばオペラグラスで三日月だけを見ていた。…つまりは他の男士に関する変化はほぼわからない可能性が高い!!!(いばるな)

なので凱旋で感じた三日月の変化と、あとは主に一部で三日月が歌う2曲の歌詞の話をしたいと思います…!

あと話の流れなどはあまり丁寧な説明はしてないかと思うので、見たことある人向け?の書き方になってるかと!

 

 

まず東京公演との比較なのですけども。

わたし東京は3回しか観ていなくって、席は2バル→1バル→3バルってまんべんなく座ってはいるけど、いかんせんステージとの距離があるし…どこまで正確にとらえられていたか、自信がない部分はあるのですが。

それでも、明らかに「凱旋の三日月の表現が変わってる」と感じた部分が色々とありました。

一言で言ってしまうと、「より自分の感情を表に出すようになった」って話になるんですけど、そんなに単純でもないんだけど…できるかぎり説明してみる。

 

東京公演の頃の三日月、こちらが話を咀嚼するのに時間がかかったせいももちろんあるのですが、でも一貫して「得体の知れない者」というトーンを漂わせていたような気がするんですね。

どこか周囲に心を開いていないというか。や、ストーリー展開上、もちろんそうならざるを得ないんですけども、でも別に自身の気持ちを隠す必要のないような、なんということのないシーンであっても、なんだかその場にいる他の男士たちに対して、距離を置いているように私には見えたんですよね。

表情がほぼ変わらない、というか。あのお人形のように美しいお顔ですっとただそこにいる、っていう印象が強くて…

なので観ていて、あれ、刀ミュの三日月ってこんな感じだったっけ?って違和感を覚えるシーンもけっこうありまして。といいつつ、やー、この話のつくりでは当然か!とも思ってたんですよね。

だけど凱旋に来て、なんだか「あれ、いつもの三日月が戻ってきてるな」って感じる瞬間が増えて。

細かすぎて伝わらない話をしますけれど、例えば…

主から6振りに出陣の命が下るシーンで、「髭切殿、膝丸殿はまだ本丸に来たばかり、この任務は危険なのではないでしょうか?」と小狐丸が主に直訴するシーン。その様子を見ていた三日月が、隣の今剣に対して「おやおや、小狐丸殿の心配性が出たのかな」といった雰囲気で、ちょっとおどけた目配せをしてみせたりとか。

終盤の時間遡行軍との戦いの途中、小狐丸に「…踊りますか!」って言われた後の表情が、より明確に一瞬ぱっと目を見開く、嬉しそうな笑顔になっていたりとか。

そういう細かい部分、主に他の男士とのかかわりの中での自分の感情を、より自然に表に出すようになっているように感じました。

ラスト近辺の「賄賂はきかんかー!」のあとの笑顔は、東京から常に全開だったかなって思うんだけど、逆に言うと明確に感情が出てるのってあそこくらいだった気がするんだよね…?さすがにそれは言いすぎか…

わからないんだけど、やー、でもねぇ、やっぱりこの脚本だとねぇ!?(※なんかい同じことを言うんだよ)

今回の三日月の描かれ方に託されたもの、あまりにも大きすぎると思うんですよ。

三日月の在り方そのものが今回の話の進む先を左右しているわけで。つまりは絶対に世界観を壊してはいけないというか…おそらく演じる側にはそういうプレッシャーもあったと思うんですよね。

そうなると今までとは全然違うアプローチでたぶん役作りをしなければならなかったはずで。てか実際インタビューにそう書いてあったしな…。

まりおくんのとあるインタビューに「茅野さんに『その場の芝居の感じで、任せるわ。感じたままやれ」って言われることも多くなって」って書いてあって、本当にのけぞったんですけども…(だってトライアルの頃は怒られてばっかりだったといいますから…)

これは私の勝手な感想だけど、これまでの三日月宗近の表現に対して“変える部分”と“変えない部分”、その配分をまりおくんが確立させたのが、凱旋公演だったのかなぁ?って思ったんですよね。

それも悩んでつかみ取ったとかっていうよりは、自然に心が動くように演じていった結果たどり着いた形、って感じなのかなと。いや、わからんけどなんかそういう風に思ったよ。

 

そしてその最たる変化があったと(これも個人的に勝手に)感じてるのが、「しくしくくれくれ」の歌のシーンで…。

これ、今日タイトルがようやくわかりましたね。「華のうてな」なんだな…。花じゃないんだな。そうだよね…仏様に関連するときの「はな」って「華」を使うか…

舞台下手側に移動してからの歌の後半「半座わかつ 華のうてな 誰がためにそこにある」って歌詞に差し掛かるところで、三日月がぎゅっと眉根を寄せて目をつむり、心から切なげというか、うっすらと微笑みを浮かべた、慈愛のこもったような表情で歌うようになってたんですよね。

1/7にこのシーンを見た時に、本当にびっくりして…東京でぜったいそんな顔、してなかったよね?!ってなって。もうちょっときびしめのお顔じゃなかったっけ!?ってなって。

 

でね、なんでそういう表情になるんだろう!?っていうのがすごく気になり、歌に込められた意味について、ちゃんと腰を据えて考えたいな。と思ったんです。

刀ミュではつはものに限らず、日常的にあまり触れることがないような言葉遣い、言い回しがわりと頻繁に使用されていますよね。

例えば、ひとひらの風の「天霧(あまぎ)るとも晴れやかな」とか。みほとせだと「君の名は竹帛(ちくはく)に垂(た)る」とか。

そもそも使われている単語をこちらが知らないため、音はつかめても歌詞として変換できない、という現象がよく発生します。↑のふたつはまさにそうでした。笑

もちろん、全体的なトーンであったり言葉のおぼろげな印象で、ほぼ作り手の狙いからはブレなく歌のシーンを理解できているのだろう…とは思うんですけど、ちゃんと読み込んでみたらどうかしら。と思い、古語辞典を引いていろいろ確認してみました。

あ、ちなみに高校時代に買った何年物か言えないくらい(※年がバレる)古い電子辞書を使ってるので、旺文社の古語辞典のはずだけど、何版とかまではわかりません!悪しからず。

古語辞典で見つからない部分はコトバンクにお尋ねしました(リンクを張った分がそうです。)

 

順番前後しますけど、前述の「華のうてな」からいきます。

歌詞は私が聞き取った限りでは下記のとおりです。

 

しくしくくれくれ

しくしくくれくれ

かりそめの宴 うたかたの花火

生まれては消えゆく春の夢

誰(た)がための 華のうてな

 

しくしくくれくれ

しくしくくれくれ

纏う黒き絹

うたかたの役目

満ちては欠けてゆく玉鬘(たまかずら)

 

半座わかつ 華のうてな

誰がためにそこにある

宿世わかつための 華のうてな

 

まず冒頭の「しくしく」と「くれくれ」について、古語辞典にお尋ねしました。

 ---------------------

  • しくしく…うち続いて。しきりに。
  • くれぐれ(-と)…(上代は「くれくれ」)悲しみに沈むさま。心がめいるさま。

---------------------

ねえ、のっけからこれ、どう思います…?

つまり、しくしくくれくれ=しきりに悲しみに沈んでいる様子、ということになりますね…

上代は「くれくれ」”っていう、ここの説明を見ただけでなんか私はダメだった…上代…三日月が生まれた時代…涙

つまり三日月、君は自らのかなしみを込めて、この歌を歌っているんだね…ってなりまして。。

いや、自分のことに限らず、歴史に従い命を終えるさだめになっている義経と、友を死においやる覚悟をした泰衡のことも含めて、そんな「確かなもの」と「はかないもの」が交差してそれぞれに散ってゆく様子や彼らの心情やそれを見守る役目を背負った自分、そういった諸々、すべてに対する諦観めいたかなしみ、なのだろうなって。。

ウアァーーー!!!!!もののあはれかよ…!!!!涙

 

かりそめの宴 うたかたの花火

生まれては消えゆく春の夢

 

ここは、やはり栄枯盛衰っていうか…平家がついに滅び、源氏の世が訪れようとしているけれども、そこにはまた新たに命のやり取りが生まれ、歴史の中で消えていく者もいる…っていう情景すべてを指しているのかなと思いました。あぁ…諸行無常の響きあり…

「誰がための華のうてな」に関しては、後半で触れます。

 

纏う黒き絹

うたかたの役目

満ちては欠けてゆく玉鬘(たまかずら)

 

まず「纏う黒き絹」と「うたかたの役目」なんですけども。

この歌の前のシーンで、三日月は藤原泰衡に、正しい歴史のあるべき流れを説明したうえで「源義経は今ここで死なねばならん」と告げて、泰衡も「私は、私の役割を果たしましょう」といっています。

 ---------------------

  • うたかた…みずに浮かぶあわ。はかなく消えやすいものをたとえることが多い。

(うたかたはさすがにわかるよ!でも辞書引いたよ!)

 ---------------------

黒とは、喪に服すときの色。つまりは死者を見送るための色、と理解することができると思います。

「纏う黒き絹」というのは、義経に直接の“死”を与える泰衡と、そうするように泰衡を導いた三日月、ふたりの姿を指しているのかな、と思いました。

「うたかたの役目」のところは、単純に“うたかた”を役目にかかる単語として読んで「役割がはかない」と捉えるよりも、

誰よりも長い時を経て残り続けてきた三日月からすると、今義経や泰衡が生きている時間はとても儚いもの、でもそんな短いひとときの中にも、それぞれ背負わなければならない役目がある…といった意味なのかな、と。うたかたの(世の)役目、ってことなのかな、と。

「満ちては欠けてゆく玉鬘」がちょっと消化しきれていないんですけど、玉鬘って髪飾りの意、転じて枕詞じゃなかったっけと思って辞書引いたんですけど、下記のとおり同じ音で三つほどでてきました。(っていうか何回聞いても「たまかずら」に聞こえたんだけど全然違う単語だったらどうしよう!!?)

 ---------------------

  • ①たまかづら(玉葛、玉蔓)…<枕詞>葛(かずら)のつるはのび広がる意から、「長し」「延(は)ふ」「筋(すぢ)」「いや遠長く」「絶ゆ」に、また葛の花・実の意で「花」「実」にかかる。
  • ②たまかずら(玉鬘)…上代、多くの玉に緒(お)を通し、髪にかけ垂らして飾りとしたもの。
  • ③たまかずら(玉鬘)…<枕詞>玉鬘は髪飾りとして頭にかけるので「かく」「かげ」にかかる。

 ---------------------

歌詞の流れからすると①は落とせるかなと思い、②も違うかな、やはり③かな?と思ったんですが、

上記の辞書の③の説明では「かく」「かげ」にかかる、とあるところ、「かく」はどうやら「欠く」じゃなくて「掛く」の方に使われるようだったので、じゃあここでかかっている対象があるとしたら「かげ」かなと。

満ちては欠けてゆく、っていうのはほぼ間違いなく月の光のことを指していると思うんですよね。

いうまでもなく古語だと、影=光なので、ここはそのまま、三日月のことを言い表したパートなのかなと思いました。

念のため影も引き直したのでおいておく。

 ---------------------

  • かげ(影・景)…(日・月・灯火などの)空間にうかぶ姿・形。/(日や月などの)光。

※ほかにも単純に「姿、形、面影」といった用法もありますが沢山ありすぎるので割愛。

--------------------- 

 

問題は次でして。

なんとなく「うてな」が“蓮の花の台”っていうことまではぼんやり知っていて、宿世が前世だということももちろんわかってはいたのですけども…

 

半座わかつ 華のうてな

誰がためにそこにある

宿世わかつための 華のうてな

 

--------------------- 

  • うてな(台)…極楽往生した人が座るという蓮の花の形をした台。蓮台(れんだい)。
  •  半座を分(わ)く…〔多宝仏が座の半分を釈迦に譲って、その教説の正しさを認めた「法華経見宝塔品」の故事から〕他人に席を譲ること。また、浄土で一つの蓮はすの台うてなに一緒に座ること。
  •  宿世…(1)前世。先の世。(2)前世からの因縁。宿命。

 ---------------------

うてな、極楽往生した人のための…といことはつまり、死んだ人のために用意される居場所。

今、三日月は泰衡に対して働きかけることで、義経が命を終える方向に導きました。

「宿世わかつ」ための、「華のうてな」ということは…

三日月は義経、泰衡たちの生きる同じ時代を「幾度も幾度も」「繰り返し」訪れている。

三日月が引き起こしたものでは当然ないにせよ、その繰り返しの中のある種の“前世の因縁”として、義経が生き残っている歴史=宿世を、

わかつための華のうてな=義経に死を与える

っていうことになるのかなぁ、って、思って。。。

…まぁでも今回の歴史の中だと義経は命を長らえるのであれなんですけどね!

どちらかというと、己の役目を守るために、愛する友を殺すことを決意した泰衡の言葉に尽くしがたい思い、に寄せた三日月の心情がメインになるのかな…!?

にしても。いずれにしても!!!なんか、全部言ってる歌詞だったわ…!ってなって。

 

1/13に観劇する前に、なんとなくここまでは頭を整理して行ったんだけど、やっぱりちゃんと言葉の意味が頭にしみこんでから見ると「だから…こういう表情で歌ってるのか!!!」ってなって、余計心に刺さりまくってしんどかったですね。。

もちろんこれが正解だって言いたいわけじゃなくって、全然読みが足りない可能性も存分にあるしとんちんかんなことを言ってるかもしれない!

だけどなんとなく雰囲気で聞いてるだけじゃ消化不良だったので、まじめに検討したらすっきりしたよ!っていうお話です。

このブログで何度も言うけど、私はほんとに日本史が分からないので。。わかってたら絶対にまた違う楽しみ方ができるんだよねぇ。惜しいなぁ。と思いつつ、歴史にうとくてもここまで楽しめるのってほんと素晴らしい!となる(無駄にポジティブ)。

だからせめて言葉の使われ方くらいはできる限り理解したいなって…フォローになってるのだろうかコレ?笑

 

あと歌い方だけでなく、この一連のシーンの三日月は東京→凱旋で変化が大きかった気がします。

この歌に繋がる前の、泰衡との蓮を眺めてからの今生の別れのシーンは、1/8のソワレにみた時に、三日月あわや泣くんじゃないか!?ってくらいまでの表情になってたんですよね。。

明らかに瞳の表面に水分の膜が出現してて、光を受けてものっすごくキラキラしてた…

オペラグラスで公演入るたびにお顔ガン見し続けていたので、あれはさすがに見間違いじゃないと思う。。

この回、泰衡の「我がむくろに出会うことがあれば、蓮の花を手向けてくださらんか」のあとの

「約束しよう」がけっこうな涙声になりかけで、

「約束は守る。年寄りだからな」もちょっとかすれ声だった…!ウウッ

私大阪行ってないんであれなんですけど、1/28に現地に観に行った友達に聞いたところによると、やっぱり似たような状態になっていたらしく…(伝聞なので詳細は書きませんが)

なんかこの、三日月が一人だけの時に垣間見える心の揺らぎみたいな部分、めっちゃ胸が痛い…。

三日月の気持ちを「理解できる」とはどう転んでも言えないんですよ。こちらからははかりしれないものが多すぎて。でも勝手にいろいろ思いを巡らせることはできると思ってて…。答えは出ないしまぁ出す気もないんですけど私、

とりあえず、一つ言えるのは…つれえ…しあわせになってほしい…ってことですかね…

 

ところで演じてる本人たちは、どこまで歌の意味について解説を受けるんだろう!?脚本の意図するところの説明って、御笠ノさんからあったりするのかな、それともそこの伝え方は茅野さんに任されてるのかな、すごく気になる…!でもさらに茅野さんにまりおくんが「任せる」って言われてるからな!?

そのあたりもなんとなく見えてくるのかなと思ってて、刀ミュの戯曲発売をすごく心待ちにしてるんですよね。だけどつまり世界観ネタバレ?含むからまだ売れないよん!とかだったりして?って思ったり。笑

 

あと一曲目の方のソロ「この花のように」についてもちょっとだけ書いておきます。こちらは単語が別に難しくはないんだけど、にしても~~!おい~~!ってなったので…

そしてこっちは「花」表記なんだな!?

 

あの鳥のように飛べたなら

今すぐにでも

 

濁りに染まる蓮

清らかに 咲き誇る

ひとたび巡れば 蓮に心寄せ

託されるは生涯の約束

 

ぽん ぽん 聞こえるか

花の咲く音 開く音

 

この花のように清く咲く

その下には 濁る泥水

この花のように清くある

その裏には

 

これもさぁ、ほんとさ…もう、全部言ってるじゃん!!!!涙ってなりました。

一回目を見て話を理解した後の二回目観劇!あの時の衝撃ったらなかったよ…ほんとに全部言ってるじゃん…!!!

 

ひとたび巡れば 蓮に心寄せ

託されるは生涯の約束

 

…ここほんと、ダメじゃないですか????涙

前回泰衡と会った時の約束を果たすための、蓮なんでしょ…?

ひとたび巡れば、って、もう一回同じ時代を繰り返せば、ってことでしょ…!?

泰衡の「蓮の花を供えてくださらんか」っていうのが、託された生涯の約束なんでしょ!?!??だから冒頭で「お前にやろう」っていうんでしょーー!!!?号泣

三日月が泰衡に出会うときに「友よ」って呼びかけるのは、単なる言葉の綾だけじゃないんだな、って思うんですよね。。

やっぱりどこか深く心を傾けている部分があるというか、三日月から見て、泰衡には通い合うものがあるんだなって思う…。

 

で、この歌で他に「むりしんどい」ってなるところが…

三日月は歌の始まりは、蓮の花を掲げて歌ってるんですが、

託されるは生涯の約束、のところで花をそっと地面に置いて(痴れ者が!と言ってここで泰衡は去る)、いったん手ぶらになるんですけど、

 

この花のように清く咲く

その下には 濁る泥水

 

ここでね!!?

三日月「その下には 濁る泥水」に差しかかって初めて、刀を抜いて舞うんですよ…

ねえ、、、、。それって、この部分の歌詞が、自分のことを言い表してるからでしょ!?

だからここで自らを表すものとして、刀を抜くんでしょ?ってなって…。

ほんと勘弁してくれ!!!!濁る泥水って!…わーーーん!!!!涙

「この花のように清く咲く」っていうのは、色んな意味にとれるけど、

あるべき姿におさまっている歴史の正しい形であったり、三日月の行動を知らないほかの男士たちのことを言ってるのかな…。って。

その下には…その裏には…ヤメテ…!!?涙

歌い終わって腰かけた三日月は、どこか厳しいというか何か思いを秘めたような表情をしているのに、膝丸と今剣が現れたとたん、ひょうひょうと「花を摘んでいた」って笑顔で答えるだけの、食えない天下五剣になるんですよねーーー…アーー。。。

 

あぁだめだ!今回全然書きたいことまとめきれないな!

好きなシーンとか好きなセリフとか、ほんとうに多すぎて。。全部が好きすぎて抜き出せない…ってなるので、軸としてとりあえず歌詞の話をしたいと思っての更新でありました。

あとは他に凱旋でしっくりきたりぐっと来たシーンについて、ちょっとだけ補足して終わります!

 

ひとつめは、また三日月と泰衡の蓮のシーンに戻るんですけど、

泰衡が「わたしは、わたしの役割を果たしましょう!」っていうところかな。

東京で観てるときは、生涯の友である義経の命を奪うっていうすごく重い決断を、泰衡がなんだかあっさりと決めたように見えてしまってたんだけど。

結論が出るのにやや唐突さがあったように思えると言いますか。

でも凱旋で見てたら、あ!と思う部分があり、そんなことはなかった…。

 

この答えを出すにあたり、泰衡は三日月に「のちの世で、この平泉はどうなります?」って問いかけています。

それに対する三日月の返答は「一度は滅ぶ。…だが、人々が平泉を忘れることはない。つはものどもが駆け巡ったこの黄金の都!…平泉を忘れることは、のちの世も、またのちの世もな。」でした。

それを聞いた泰衡は、何かをこらえるように微笑んで「わたしは、わたしの役割を果たしましょう!」って返すんですよね。

 

この時泰衡は、平泉が「かたちあるもの」として、後世に残り続ける事実を知った。

逆に言えば、平泉がそうしてずっと残り続けるためには、あるべき正しい歴史の流れは守られなければならない、ということ。

のちの世に在り続ける平泉と同じように、”かたちあるもの”として亡骸を残すさだめである自分もまた、己の役割を果たさなければならないんだ、って、泰衡はそんな風に思ったんじゃないでしょうかね…。

いやこんなの当たり前だったらゴメン、、私の中でしっくりきたっていうだけの話なので!!!

三日月、別に泰衡を説得はしてないんですよね。「三日月殿、なぜ私にすべてを打ち明けてくれたのです!?」という泰衡の問いに対しては、真正面からの返事はしないくらいですし。

聞かれたことに、ある意味では淡々と答えるだけっていうか…

だけどこの平泉がのちの世に残り続けることを告げる場面では、朗々とした声の響きで、力強く、言葉をかみしめるように伝えるんだよね。。

その様子だけで、泰衡にはきっと伝わるものがあったんだなって、思ったり…涙

 

もうひとつは、唐突に触れますが、髭切の変化ですかね…!

いやでもわたし、まじで三日月以外の男士にはちゃんと注目できてないので、細かい変化はつかみ切れてなさすぎてだめだめなんですけど!

それでもなんだか、凱旋からはすごく「やさしさ」が表れる兄者になったな!?って思ってて。

自分と今剣が歴史に存在していないのではないだろうか、と悩んでいる岩融が、髭切と膝丸に「あやつを傷つけないでいただきたいのだ」って直談判しにいくところ。

そんな岩融に兄者がかける「なにが真実なのかなんてわからないし、まぁ、実はそんなに興味もないんだけど、…でも、ひとりで抱えているのは、つらいよね、きっと。」っていうセリフ。

ここ、凱旋で、本当にやさしさがにじみ出てくるような言い方になったな!?って思ってすごくびっくりしたんですよ!

より感情がこもっている言い方になったっていうか…!?

東京の時の兄者はもうちょっと、何を考えているかわからない、つかみどころのないフワフワしたキャラクターっていう面がだいぶ強かった気がするんですけど。

すみません、私の圧倒的観察不足でこれ以上具体的な表現ができなくて申し訳ないんですけど、凱旋の兄者、とにかく優しさが増していた…!と思います!(まじのまじで三日月しか見てなくて…ごめん…)

同じような場面にはなるんですけど、三日月が一人で歴史介入をしている理由を、髭切が代わりに小狐丸に対して答えてみせるところ。僕が彼を、演じるから!のところですね。

ひととおり解説をしてみせた髭切が、三日月に「もうやめにしよう」って言われて「君がそう望むなら。」って返したあとのね、

「…心配しているよ、主。」の言い方がね!

ほんとにさ!ここ、やっさしくて!泣ける!!!

なんていうのかな、余計なものを付け加えない、事実として、心配しているよ、ってただ真っすぐに伝えてくれるその感じ!!!

はっきりと言葉にして、主が自分を心配してるよ、って言われた三日月の気持ちはいったいどんなものだったろうと思うと…!

それを言葉にして本人に言うと言わないとじゃね、大違いなんだよ;;!

伝えてくれてありがとう髭切!無理やりすべてを白日のもとに晒してくれてありがとう…!ってなります…!涙

あれ私、やっぱりモンペなのかな!?もうなんか自分の感情のいきどころがよくわからねえ!

 結論が「あなぐまは三日月モンペになり果てた」でいいのか!?どうなんだ!!

 

えぇとまじでまとまりませんでしたが、とりあえず…大千秋楽を(映像だけど)見てしまう前に、一度自分の感情やらなにやらを吐き出しておきたかったので殴り書き状態ですがまとめてみました!終わり方がいつもにまして雑!

はぁーー…つらい。なんで舞台って終わっちゃうんでしょうか。。。

この強制的な別れのサイクル!ほんとうに!!!きつい!!!笑 だけど好き!!!

明日はライビュ楽しんできます!!しぬほど泣いてくるぜ!!!