こたえなんていらないさ

主に刀ミュ(ミュージカル「刀剣乱舞」)を愛しながら、舞台まわりをぐるぐるしている人

葵咲本紀でついに刀ミュにやってきた鶴丸国永さんの魅力が危険な話(ネタバレなし)

ハーッ今日は葵咲本紀東京楽ですね!私の銀劇は昨日のソワレで終了しました!
タイトルの件について、久しぶりに勢いだけでゴリ押すあほみたいな文章を書きます!!!
※葵咲本紀の一部のストーリーにふれるつもりはないので、その点でのネタバレはないと思います!二部も具体的な曲の構成等については話しません!
※「平安刀としての鶴丸国永」としての在り方がもう、十二分にやばいのですが、そこについてはネタバレしないとなんにも言えないので、ここでは触れないです。なのでそのあたりの話が読みたい人には物足りないやつになると思います!(別なエントリーで話の展開としっかりと絡めてまとめたいと思います!)



葵咲本紀は8月3日の初日ふくめて、東京で4回観たんですよ。
その結果、わかったことがある。
刀ミュの鶴丸国永はやばいぞ(※いい意味で)
新しい沼、来ました。そしてその沼が特定層にぶっ刺さる、手遅れになるほどのクリティカルヒットかますことも確信したので、興奮気味にこのエントリーを書いております。

◆「第一印象」からのギャップがやばい

鶴丸を演じる、岡宮来夢くんの、素の雰囲気からなんとな~くこちらが勝手にイメージする姿と、舞台上の姿に、まずとんでもねえギャップがあります。(※ご本人について詳しいわけでは全然ないので、あくまでも「メイクなしの素の写真」から受ける印象、という意味で聞いてくださいね!)

いや待って。こんなにギャップを感じさせるキャスト、刀ミュに今までいましたっけ…!?いたかもしれないけど、いや~これは~ちょっと~!!?…と混乱が生じるレベルにギャップがやばい。ギャップありすぎて具合悪くなるくらい。それほどにびっくりさせられる。


元々、キャストとキャラクタービジュアルが同時に発表になったタイミングで、私がまっさきに思ったのは「なんかえらく可愛らしい鶴丸が来たな!?」ってことでした。
鶴丸国永」は、言わずもがなゲームサービス開始直後からめちゃくちゃに人気のある刀剣男士。ある意味ではわかりやすく「かっこいい」特性を全面に持つキャラクターでもあると思います。
なのでちょっと意外だったのです。なんか随分と柔らかい印象の、言ってみれば守られる側に回りそうな鶴丸が出てきた…?って気がして。
「へ~刀ミュの中では鶴丸ってこういうイメージなんだ…?」みたいな、ぶっちゃけるといまいち飲み込めない感じの受け止め方だったんですよ。
でもそんなの、とんでもない誤解でしたね。。


まずはこちらの写真をご覧くだせえ…東京公演、後半の休演日を過ごしたキャストズの様子。


この写真の一番右側が来夢くん。どうしても「かわいい!」と思ってしまう。いやかわいい。
だって21歳だよ。そらかわいいよな。かわいいよ!!!(確信)
「オフで仲田くん(明石国行)と待ち合わせて二人で温泉に行ったらぐうぜん涼星くん(御手杵)もいたよ!」っていう、エピソードがそもそも可愛すぎて爆ぜるやつなんですけどね。
あとまって。夏の日の1993ってきみ、
生まれてないだろ!!!
(くるむくんは98年生まれ)(ここでまず若さに突っ伏す)


しかしそれが、鶴丸だとこうなる。

…ハーーーーン!!!!?!(驚きのあまり椅子から落ちる様子)

ギャップの存在を端的に示しやすいのでツイッター引用で写真を比較したんですけどもね!!?
これが舞台上で動くと、もっともっと大変なことになるんだよ…静止画の比じゃないから…

来夢くんさん、お顔が可愛らしいとかそんなのが吹っ飛ぶくらいに、全身でかっこよさをゴリゴリに体現してきます。まじですごいよ。
身のこなし、うつくしく響く声。ふっと笑うときの不敵な表情、好戦的なありかたが全身から溢れ出るような戦場での立ち居振る舞い。あまりに頼れるレア太刀、さすがは3時間20分!*1ってなると同時に、驚くほどの優雅さまでも、常に備えている。
…舞台経験2作品目でこのクオリティ、まじでどういうこと???
ってなっています。怖いよ。。

一部の内容に触れないように気をつけてるから具体的な話ができなくてもどかしいんですが、まじでウルトラかっこいい鶴丸国永です。そのかっこよさに脳内スタオベ。いつだって見たいものを見せてくれるミュージカル刀剣乱舞へのカンスト気味の信頼度がまた爆上がりするし、キャスティング能力の慧眼っぷりが恐ろしくなる。

「だって刀ミュの鶴丸、なんか可愛い子なんでしょ~?」って余裕をぶちかましてたそこの貴方、見に行ったら助かりません。帰ってこれません。かっこよすぎてどうしたら…ってなるかっこいい鶴丸がいるので、マジで気をつけてください。

◆進化の急角度っぷりがやばい

今回の東京公演は、初日~8月17日という期間で、序盤・中盤・終盤にバランスよく入ることが出来たので、その変化のありさまをつぶさに見ることができたんですが、あのねぇ…この短期間だけで、爆伸びしたのが目に見えてわかるの。末恐ろしい。。伸びしろしかない。

一部パートで発するセリフのあれこれや立ち居振る舞いに、説得力が鬼のように増している。表情の作り方から、声の出し方から…。

御笠ノさんの脚本って、説明を可能な限り排除してる部分があると思っていて、そのぶんセリフを発する役者のその一言に託されているものが、すごく大きいと感じるんですね。
なので、言い方一つで、観客にその瞬間の刀剣男士の感情や、場面背景が伝わらなくなる可能性もあると思っていて。
(だからこそきっと茅野さんは本当に厳しく稽古場で指導されるんだろうなと思うんだけど…)
その点で、鶴丸に今回託されているセリフ、けっこう難しい部分が多いなと観ていて感じたんです。
その一言でスパーン!と空気や流れを変えるような、力量が必要とされるセリフが多くて。
そんな中、昨日17日のソワレをみていたら、一言ひとことに込められた表現が、既に色合いを深めていることがはっきりと伝わってきて、もうものすごく感動しました。

くるむくん、もともと、とても恵まれた声質をしてらっしゃるんですよ。
ぽーんと発した声が、自然とまろやかに深く響くというか。すごく太めで雄々しい、かつ聞き取りやすい声で、本当にびっくりさせられるほど。太めの木管楽器みたいな声質…な気がする。
なので声質によるアドバンテージというものは元々あったと思うんだけど、それだけに頼るのではなくって、身の内から自然に発せられる説得力を含んだセリフに進化してる部分が、既に見受けられて…。
たったの3週間ちょっとよ!?ここまでそんな成長する!?ってなったんです。
そもそも声の話でいくと歌がうますぎてやばいんだけど、それはもう一部の内容に突っ込まないと書けないので、別エントリーでまた気の済むまで喋ります!
身のこなしってあえてぼかして書いてるけど、<身のこなし>が本当に、たまらないんだよ~!これもネタバレになるから別エントリーに譲る~!

◆二部が危険

はい、このエントリーのサビはここです!(そうなの?)
きのう4回目を観て、自分の中で確信したことがありまして。

いや、あのね、ほんとこれなの
まじで気をつけて。気づいたときにはもう手遅れだと思うけど。(ちなみに私は友人から「手遅れですね」と言われましたが何か?)
エントリー冒頭で「特定層にぶっ刺さる」と言ったのは、加州清光担についてです。


私が刀ミュに落ちたきっかけは、言わずもがなで加州清光です。
それは2016年夏の、プレミアム会員限定ライブの出来事でした。トライアル、阿津賀志山本公演と観てはいたけど、スコーン!と沼の底に叩き落とされる勢いで、いきなり運命を変えられたのはプレライでした。そのへんの出来事はここにまとまっています。
anagmaram.hatenablog.com

その後、つはもので自分的には世紀の番狂わせにあい、三日月に落ち直して今に至ります。
anagmaram.hatenablog.com

比較的さいきんツイッターをフォローしてくださった方は、「え、この人三日月推しじゃなかったんだ?」みたいな感覚を抱かれることもあると思うんですが、もちろん三日月推しだよ!
でもね、三日月推しなんだけど、私の刀ミュの原点 is 加州清光なの。ツイッターのヘッダーに刻んでいる通りなの。
ここはもう、選ぶとか比べるとかいうアレじゃないの!どっちも私にとって特別で大好きで心から大事な存在なんです!!!(力説)


以降はそんな私の超個人的な体感にもとづくうわごとです。

今回、私はとくにステージに近い席で観劇してたわけじゃないんです。全然遠い。なんなら1階ですらない。
なんだけど、鶴丸を客席から観ているときに体感として得るものが、ものすごくいつかのあの日の<追体験>っぽくて…
言うなれば、それは
「客席から舞台上の対象を見つめていると、こちらに相手からの視線が返ってくる感覚がある」
ということです。
自分が見つめているだけで、勝手にその視線が相手に届いている気がしてしまえるという現象。
…こいつなにいってんだ?って思う人もいると思うんだけど、あるの。間違いなく、この現象はあるの!
刀ミュを追い続けて3年経った私の体感として、純然たる事実としてありえることなの!(ふたたびの力説)


そしてこれ、「アイドル的に舞台上でキラキラしている相手」であれば、誰に対しても発動しうるものだと思いません?
違うんだな。ぜんっぜん、そんなことないんだなこれが。

なんでそこまで自信を持って言えるかっていうと、三日月がそのタイプではないからです。disじゃないよ!
三日月はパフォーマンス中に客席を個別ではマジで見ない方。うちわやペンライトに気づくけれど、敢えてそこを「見に行こう」とはしないんです。見てる瞬間があったら「めずらし~」と思うくらい。
いやもちろん、ゼロではないんだけど、降りのとき以外は、個別ファンサをするよりも、あくまでも客席全体に対してパフォーマンスを届けることに集中していることが見ていてよくわかる。
(おそらく阿津賀志山の本公演の頃ともまた変わっています。きっとまりおくんのなかで心境の変化があったんだと思っている。)
一方で清光のスタンスは、本当に「見つめてくれるなら」なんですよ。
俺を見てくれる主のこと、俺もちゃーんと見てるよ。っていう、個別の視線のファンサービスを、力を込めてやり続けるタイプです。
なのでこっちが見つめ続けてると、本当にびびるくらい目が合う。そんな客席見る!?くらい見まくるんですあの子。その話を過去に書いた記事があるのでついでにそれも貼っておく!
anagmaram.hatenablog.com

…そんなこんなで、真っ赤な加州清光の女として過ごしたあとに、三日月の女として生きているので、めちゃくちゃにそのタイプ・特徴の違いがあることが、体感としてわかるんです。ひとりで厳密な対照実験をした気分なので、ここに関する説得力はあると思ってる。


で、その上で、今回刀ミュの鶴丸に感じること。
舞台からの距離を考えれば、目があってるわけなんてきっとないのに、なんだかこちらの視線が届いたような気がして、幸せな気持ちになってしまえるような…
あれ、いまこっちのこと見てくれた?視界に入れてくれたのかな?って一人でハッピー上等な勘違いをしてしまえるような…
つまり、
「俺を好きなやつ、全員ついてこいよ!幸せにしてやるぜ!」
な感じの、あのステージ上での在りよう…

ねぇまって、それって
刀ミュの加州清光とおなじやつじゃん


この共通点に気づいたとき、ほんとに「やべーーーーー」ってなりましたね…
まさか、今そのタイプが新たに現れるとは…

私の体感ですが、鶴丸、すごく目線を高い位置にまで配るタイプです。
一階の奥の方も、二階も三階も、ほんとうにまんべんなく見ている。
なので、視線の範囲に入ってれば席が遠くてもなんか勝手に幸せになれるんですよね!?(※それはお前の燃費がいいだけでは?)
かと思えば、一階のすぐ近くの席の自担を、さらっと狙い撃ちにしている様子も見受けられてね…!?
これは間違いなく、自分に対して注がれている視線に、ものっすごく敏感なタイプ。
パールホワイトのペンライトも、鶴丸うちわも絶対に探してる。探しながら、パフォーマンス中にそこを狙い撃っていくことが出来てしまうタイプ、だと思う。
あまりにもうちわやペンライトを見つけるのがうまいので「くるむくん、目がいいんかな…?」ってなってた。(※たぶんそういうもんだいじゃない)


そしてたまたまなんですが、なんの因果かわたし、入った4公演全てで客席降りで鶴丸が近くに来る席を引きまして。4回全部ってさすがにうける。ここまで偏ること、経験上なかなかないんだけどなぁ!?
なので降りの様子も初日からの変化を体感したんですが、序盤はさすがに客席降りでのファンサは控えめというか、ゆったりお手振り、ニコッと微笑んでうなずく、うちわを指差し、くらいな感じだったんですね。
これは鶴丸としてそういうスタンスなのか、それとも初めての経験だからどうしたらいいか手探りなのか…どっちもあるのかな!?ってわくわく見守ってたんですが、昨日、降りの時間にわたしは見てしまった。
鶴丸が、うさ耳とハートを作っているのを。

…あ~~~!!!でした。そっちだったか~~~!!!(何かが終わった音)
伸びしろここにもあったか~~こわいなこわいな~~!!!…ってなって、昨日は帰ってきました。


そんでもって更に、
いわゆる「ダンスが技能としてうまい」タイプではないけど、体を動かすのが得意
なタイプであらせられるご様子で…ここでも、個人的手遅れポイント加算されましたね。
技能としてのダンスのうまさって本当にまた別もの、別ものなんだけど…体を動かすのが得意な人の動きがあまりにも私は好き。つまり、刀ミュの鶴丸の動きが好き。
だってさぁ~たっのしそ~~に踊るんだよこれがもう!!!かと思えば、決めるところは憎らしいほどにめっちゃバシバシに決めてくるんですよねーーー!!!!ハーーー!!??って気持ちになる(どんな気持ち?)。
ネタバレしないんですけど、二部の某曲の振り付けに本山先生節が炸裂していて、それを踊っているときの鶴丸のあまりの可愛さに堪えられず一人で転がりまわっています。あ~~ってなる。あ~~~!!!!!(もうだめになっている人の様子)



東京公演を見終えた今のわたしの鶴丸についての感想は、こんな感じです!
ここにきてこれか~!そうか~!って、もう天を仰ぐしかできなくなったよね。
ネタバレなしで言いたいことはとりあえず全部書きました!笑
もちろん、一部の魅力もちゃんと具体的に話したいの!話したいんだけど、ネタバレしないと無理だからここにはとりあえず書かなかったの!


こうやって新しくて危険な魅力をポーン!と世にいとも軽々と送り出してくる、それがミュージカル刀剣乱舞だよね…!って、ひとりで深く感動して、感動しつつもまぁ、軽く打ちのめされてます。笑
油断なんて出来たもんじゃない。いつだってわたしたちは、刀ミュくんの手のひらの上で踊らされているだけなんだ…!


「いやだって、推しいないし、我慢するよ!さすがに地方は行かないよ!」っていってたんだけど、なんだかどうやら多分いくような雰囲気になり始めたので、以降に乞うご期待!

おしまい(自分を面白がって終わる)

*1:刀剣乱舞-ONLINE-内で鶴丸国永を鍛刀するときに必要な時間。出現まで3時間20分がかかる「レア4」と呼ばれる鶴丸国永・一期一振・鶯丸・江雪左文字の4振りは、レア刀剣の数が少なかったサービス開始直後は、特に頼りがいのあるキャラクターでした

【メモ】2019年8月:推しのお仕事情報(の一部)

◆はじめに:このエントリーは

かんぺきに自分用のメモです。必要があれば8月のあいだ随時更新するつもり

◆目的:推しのお仕事を忘れないようにメモするため

以下、あなぐまの個人的課題。

  • チケット手配や入金は忘れたことがないのに「映像」の仕事および「雑誌の発売日」をまぁかなり積極的に取りこぼす。この先も永遠に取りこぼし続ける自信がある。
  • まりおくんお仕事めっちゃ多いので、<現場>最優先オタクは現場以外のお仕事を追うのがどうしても後回しになっていきがち。

…これらをなんとかしようという試みとして、一ヶ月にひとつ「推しのお仕事備忘メモ」を書くことにしました。*1

まぁそれをまとめるのはいいとして、なんでわざわざ「ブログ」という公開の場に書くの?というと「自分に対するなにがしかの強制力を働かせたいから」です。
昔っからそうなんですが、自分だけが困ることだと途端にサボりだすんですよねわたし!
生きる上での各種手続きとか本っ当に苦手!仕事はちゃんとやるのに(理由:やらないと自分以外の人が困るから)。
なんかこう、人の目に触れるところに置いておけば、意識の中での場所が変わるかなって思って…笑

とはいえ、当然ブログにはリマインダー機能*2もついてないし、そうやってテキストでまとめる時間あるんやったらもっと他に効率いいやり方あるやろが~い!とは思うんですけど、なんかブログがしっくりきそうだから一旦これでやってみる。

…自分のためだけにまとめてるので、情報の正確性はあてにしないでね!!!笑

◆Web配信系
イケてるヤツならアソバナイト
  • abema.tv
  • 放送:8/5 22:00~
    • ゲスト、いっけーさんだけじゃなくてなやくんもいてびっくり!絶対に神回の予感がする
    • ていうか、さっき知ったんだけど、過去放送ぜんぶ、とくになんにもしなくてもURLにアクセスしさえすればいつでも見られる仕組みだった…あべまさん親切…見るね…
    • ちゃんと放送日に見ようと思ってたんだけどちょっと今日は体調的にしんどいや!
    • でも再生数とか気になるよね、数字に貢献してえ~!!!ってなる。
寝ないの?小山内三兄弟
  • www.youtube.com
  • 放送:本編…毎週土曜19時~ / スピンオフ…火曜19時~
    • 気づいたらめちゃくちゃ本数たまっててびっくりしてる!チャンネル登録はしています!笑
あさステ!
  • 有澤くん放送の月曜日にゲスト出演。チャンネル有料会員のみ、アーカイブ配信視聴可能。通常1週間限定のところいまだけ2週間みられるらしい(やったー)
  • www.nicovideo.jp
    • ↑これ(7/29放送分)がたぶん8/11まで視聴可能かな?
  • www.nicovideo.jp
    • ↑こっち(8/5放送分)がたぶん8/18までっぽい
    • たぶんを連発しているのは「本日より2週間」のカウントに自信がないからでした(おい)
    • アーカイブさっそく見てたんですけど、よ、よすぎる~ってなった、有澤くんとまりおくんの組み合わせ、空気が澄み渡るし精神が浄化されるから定期的に摂取できる方法ないかな…ってなった…良すぎる!
    • 放送終わってますけどこのアーカイブはまだ上記のとおりの期間で見られるから、有料会員になる価値あるよ~!め~~っちゃよかった…ほぼ野球の話しかしない二人さいこうです。
Paravi人狼ゲーム ☓ 2.5次元俳優 ~負けたら抱き合ってパーン!~』
◆雑誌・書籍
  • どうしたら取りこぼさずにいられるのだろう!?7月後半に発売したやつなにかあったよね…(諦めた)
TVガイド Stage Stars Vol.7 ←この記事書きながら予約した
テニプリパーティー ←購入済!
「W!」 ←とっくに(先月)発売済みのやつだよ…
月刊TVガイド2019年10月号
with
  • 発売日:8/28
  • withか~!(買うか迷っている顔)
  • …って思ってたらなんか違った~!増刊限定ってなに!!?
  • books.rakuten.co.jp
  • 「増刊限定 INTERVIEW 崎山つばさ×黒羽麻璃央…ええ~~~!!!?
  • 表紙の違う増刊限定っていう商法が今はあるんですか!?初めて知ったんだけど、これって普通に店頭に並ぶの?わからん!…ってなったので楽天ブックスで即ポチりました。送料かからなかったわーい。
日本映画navi
  • 発売日:8/30
  • …ってツイッターで見たけど公式サイトにまだ商品がない。笑
  • こないだどこで買ったっけ?本屋さんにあったような…
舞台黒子のバスケ メモリアルパンフレット ←忘れてた…注文した!
  • 受注生産予約期間:8/31まで
  • shop.fannect.jp
  • さっき注文した。えらい。忘れるところだった…予約期間が長いやつはマジで油断するよね
Pick-up Voice Vol.139 ←買った
  • 発売日:8/26
  • 声優雑誌じゃなかったけ…?why???となりつつ
  • store.emtg.jp
  • 公式サイトだと写真がついてくるよ!だったのでそっちで注文してみた



出会ったら地味に更新していこう…。というわけで更新してるんだけど、今月めっちゃ雑誌出るやん!?笑
あとそもそも「どうやったら映像をマメに追えるか問題」と向き合う必要もあるのでした!

*1:管理・手配する系は「仕事」モードを適用すると、回り始めるところがある…笑

*2:ちなみに期限が本当にあってリマインダーが必要なやつにはGoogleカレンダーをつかっています(たとえば、遠征のときの新幹線の事前受付予約の開始日を登録したりしています)。

【こっちはめちゃくちゃネタバレです!】刀ミュ 葵咲本紀 初日観劇後の感想

行ってきました…葵咲本紀初日…!今年も刀ミュのある夏がまた巡ってきました。

もうね、なにをどう予想しても無駄だということがわかっていたのと、7月はあほみたいに忙しかったのでノー準備もいいところで、ただの丸腰で臨んだ結果、どえらい目に遭いましたね。ええ。本当に。

…というわけで、以下ネタバレします!ネタバレしかしませんよ!!!
「新作どんな話だったんだろ~?雰囲気だけでも知りたいな!」…みたいなノリでは頼むからこのエントリーを読まないでくださいね!全くおすすめしないぞ!(大声)

いつも言うけど、ただのいちおたくにすぎない私の文章で、刀ミュから受け取れるあなたにとっての初回観劇の衝撃を、目減りさせたくなどないのです!よろしくね!!!
なんならネタバレなしの記事もこっちに用意したので!笑
雰囲気が知りたい方はそちらへどうぞ!
anagmaram.hatenablog.com



いろんな面での動揺が本当にひどいので、いつも以上に支離滅裂な記事になってしまいそうです…
なんも咀嚼なんかできちゃいねえー!って感じなんですが、その勢いだけで叩きつけられるのも初日後だけだなぁと思うので、もうその面白さだけで書きます。
読みにくいと思うし、一般的に考えて読みたいものが書いてあるとは思えないので、そこんとこごめんなさい!
あと出てくるセリフはうろ覚えなので、細かい言い回しは間違ってる前提でお願いします!








◆描かれる時間軸

今回の新作…徳川家康と息子である信康が出てくること、また出陣する刀剣男士に蜻蛉切千子村正がいることから、当たり前のように、見る側には先日再演されたみほとせ(三百年の子守唄)のことがよぎりますよね。
でも、果たして時間軸は、そのままみほとせと繋がっているのかどうか…?
そればっかりは見てみないとわからないなぁ、と思っていました。
実際、歴史上の人物たちのビジュアルが発表になったとき、我々はみんな信康を見て「あれ…?」となったわけです。なんだか、私達が知っているみほとせの信康さまと、雰囲気だいぶ違くない?って。
なのであのビジュアル発表時、もしかしたら今回は、また違う時間遡行先なのかもしれない、と考えた人も少なくない、はず。なんだけど、

んなわけなかったわ
ゴリゴリにつながってましたわ…ちょっとほんと…いやあの…(動揺)
幕末天狼傳→むすはじのリレーと同様に、みほとせ→葵咲本紀へのリレーが明確に、なされていました。
いや、今年になってわざわざみほとせは再演をしたわけだし、普通に考えてそりゃあそうでしょ、って話なんだけど、予想の斜め上を行くような繋がり方だったので…!


なんと、蜻蛉切と村正は、本多忠勝井伊直政として、徳川家康の家臣に成り代わっている状態で、登場するんです。
つまり、本当に、ただのみほとせと地続きの世界なんです。。
ではなぜ他の4振りがいないのかというと…それは、彼らが成り代わっていた徳川家の家臣たちは、すでに史実上で死んでしまった後だから、なんですね。。
まるで今現在、みほとせの出陣が続いているかのように描かれるなんて思ってもいなかったので、
「そそそそ、そんな明確に、めちゃくちゃにつながった世界を!?」って、本当に息が止まりそうになりました…。

一方、場面変わって本丸では、熱心にまだ見ぬ未来のすてーじのれっすんに励む篭手切江と、なぜかそれに付き合わされる御手杵の姿が。
そこへ通りかかる顕現したての明石国行に、どこかから長期任務を終えて本丸へと帰ってきた鶴丸国永。
その中で主は、任務を終えたばかりの鶴丸を再び呼び出し、
「貴方にしか頼めないのです」「奥へ」と、何やら内密な任務を与える様子を見せます。
「ったく、人遣いの荒い主だなぁ」と、まるで全てを承知したような表情で笑い、主の言葉どおり奥の間へと進んでいく鶴丸

…このシーンを見て、刀ミュのとある過去作が、頭をよぎりました。
おや、この描写は…?と。
主から、何かを内密に知らされる刀剣男士。おなじ部隊の中に、明らかな情報格差が生じるこの状況って…あの話に、とっても似てはいないだろうか。
そしてこの印象はまったく間違ってなどいなかったことがわかるのですが…その話は最後に改めて。。。


今回、まず序盤あたりで、みほとせと時間が繋がっている以上に、見ていて心臓がぎゅうぎゅうに痛くなったのが次の理由でした。

◆村正と「心」

村正が…圧倒的に、「心」というものを身のうちに宿した姿になっているんです。
その変化に、本当に、度肝を抜かれたんですよね…
そりゃあ、稽古期間のもっくんが、あれだけ追い詰められた様子のツイートをしまくっていたわけだよ…ってなりました…


冒頭で、村正は紫色の花を手に、「かざぐるま」を歌うのです。
風は季節を巡らせる…と。
物憂げな表情で、どこか遠くを見つめるように。
新作でいきなりかざぐるまを聞かされるとは思っていなかったので、マジで動揺して本当にどうしたらよいかわからなくなったんですが(当然めちゃくちゃに泣いている)、その後に村正と蜻蛉切とで交わされる会話がもう大変。

「あの頃は、楽しかったデスね」と、他の4振りとともに過ごしていた時間のことを懐かしむ村正。
「せめて大倶利伽羅でもいれば、脱いだり脱がされたりできるのデスが」と言ってみたり…
そして極めつけに、村正はこう言うのです。
「ワタシは、あの男が嫌いデス」と。
あの男とは、当然、徳川家康のことを指しています。
妖刀村正である自分にとっては、相容れない存在であることに、やはりまだ強くわだかまりがあるのか…?と思いきや、
「信康さんが死んでから、ますます好きではなくなりました」というような意味のことを、はっきりと言うのです。


そう、村正は、家康の息子である信康が亡くなったことを、明確に深く引きずっているのでした…。
そして更に、検非違使への憎しみとも言えるような感情を剥き出しにする村正。
「ワタシは信康さんを殺したあいつのことが許せないんデス!」
あいつ、というのは、検非違使のこと。
このセリフを聞いたとき、心臓止まるかと思いました。そんな風に、誰かにあたたかく思いを寄せる、まるで<人間>そのものみたいな感情を、いつのまに村正は手に入れていたんだろう、と。

この冒頭のやりとりの最後に、村正は手に持っていた花を「はい」と蜻蛉切に手渡します。
「これはなんだ?」と不思議そうに問う蜻蛉切に彼が答えたのは、
トリカブト、デスよ」という返事でした。

トリカブト
それは、みほとせで幼少期の信康が「珍しい花を見つけてきたぞ!」と、意気揚々と服部半蔵であるところの石切丸に手渡してみせたのと、同じ花です。
そうして信康にゆかりのある花に心を寄せるほどに、村正は信康の死に心を痛め、他の仲間と過ごしていた時間を懐かしみ、長男の死を経てなお天下統一に邁進する家康には、どこか納得できないものを感じている…。
複雑に変化し乱れるその心の在り方は、かつての村正とは大きく異なるものでした。

◆刀剣男士と「心」

そして、この心についての本作での描写は、みほとせの際に私が感じ続けていた疑問―
「石切丸はなぜ力に操られたようになってしまうのか」について、一定の答えを出しているように思えました。

検非違使は今作でも再び現れ、刀剣男士たちはその圧倒的な強さにはやはり歯が立たない様子で、苦戦を強いられます。
しかし村正は「待っていマシたよ…!」と、目をらんらんと輝かせ、戦意を迸らせてひとり検非違使に立ち向かっていきます。
刀を握り込むその手には、なにかとてつもない力を込めて。

その様子は、みほとせで検非違使と戦うときの石切丸に、まるで瓜二つでした。
それを察知して「村正、だがその力は…!」と切羽詰まった声をかける蜻蛉切ですが、村正は一切聞く耳を持たず、本能の赴くままにといった様子で、ひたすらに検非違使に向かって突っ込んでいきます。
しかしその力をもってしても、検非違使を討ち果たすことはできず、途中で傷つきがっくりと力なく倒れ込みます。
そんな村正を庇い、肩を抱いて安全な場所へと連れて行く蜻蛉切


次に村正が気がついた時、蜻蛉切は村正に向かってこう吠えます。
「感情に支配されるな」と。
「覚えているだろう、石切丸様のことを」

…みほとせの石切丸が、検非違使との戦いのシーンでまるで自我を乗っ取られたかのような、力に翻弄される姿を見せることが、私は2017年の初演時から本当にずっとずっと疑問でした。
それについて考え続けた内容を、今年の再演を経て自分なりにまとめた記事が下記です。そしてここに書いたことは、ある意味ではおおよそあっていたのかもしれない…と、今回葵咲本紀を見て思いました。
anagmaram.hatenablog.com
なぜなら、私が石切丸のあの描写について核として捉えたこと、それは「刀剣男士の心」についてだったから。
今回の蜻蛉切の言葉を受けると、あの検非違使との戦いの場面での石切丸は、自分の身に宿る「感情」によって、追い詰められ我を失っていた、ということになるわけです。

刀剣男士に宿る「心」という存在。
それは人間である我々と同じように、彼らをときに悩み苦しめ、誤った方向へ導いてしまいそうにもなる。
でもその心があるからこそ、彼らは強くもなっていく。

「強かったデスよね。石切丸さんも、にっかりさんも。…誰かのために戦える者は、それだけで強い」

これは、今作で村正が蜻蛉切に対してぽつりと零してみせる言葉。
彼が、こんなことを言う日が来るなんて…。
”誰かのために戦える者”という言葉をつぶやいたその時、村正の表情はごく穏やかでもあり、哀切にも満ちているようであって…。

みほとせでの出陣時は、刀剣男士としてこの世に顕現したばかりであり、周囲の人間や男士たちの葛藤が理解できるようなできないような、曖昧な表情でいることの多かった村正。
信康の命日を迎える頃には、そんな彼も誰かの”気持ち”にはっきりと寄り添うようになった様子を見せてはいたのですが、
今作の村正は、さらにその遥か先を行くものでした。
心を得て以来、感情をひとつずつ学んで。その過程の中にはきっと苦しいこともあっただろう、と思わずにはいられない。
そしてそれの最たるものが、村正にとっては、信康の死だったんだろうなぁと…。


葵咲本紀での彼は間違いなく、自分ではない誰かのことを、強く思いやれるようになっているんです。
でも、その思いやりの深さが自分ではまだうまくコントロールできないから、蜻蛉切に「感情に支配されるな」って、言われたんだと思う。

村正にとっては、きっとまだ、全てが新しいのです。人と触れ合うことも、誰かの死を悼むことも、仲間を心配することも。
その戸惑いを、ある意味での純粋さとして表現する、もっくんの村正の研ぎ澄まされた美しさ。
「匂い立つその姿 妖しき光」なわけだけど、その姿は本当に、一輪の花のようだった。
誰かを思う心はそれだけで美しいんだと、そんなことを思わずにはいられなくなるような、新しい村正でした。

◆その傍らに在る蜻蛉切

そんな彼の側にいる、同じ村正派の蜻蛉切は、妖刀と言われる村正とは対照的に、徳川家に忠誠の限りを尽くした元の主=本多忠勝の姿を写す、誠実な槍です。

今作では、家康の息子である結城秀康が、敬愛する兄・信康を切腹させた父・家康への許しがたい思いをトリガーとして、時間遡行軍側の力に取り込まれてしまう描写があります。
秀康は自身の持つ刀に振り回されるように、家康の命を奪いにいこうとする様子を見せ、時間遡行軍とともに、倒すべき存在として刀剣男士たちの前に立ち塞がります。
秀康と会敵した刀剣男士たちは、なんとか彼を傷つけることなく止めようと苦心するのですが、今踏み込めば秀康にダメージを確実に与えられるというところで、連携して戦っていた御手杵蜻蛉切はともに迷いを隠せず、結果として秀康と遡行軍を取り逃がしてしまいます。

御手杵にとって、結城秀康はもとの主にほかならず、初めて相まみえたかつての主人に対する動揺や迷いが生じるのは、ごく当然といえるでしょう。
では蜻蛉切はなぜ?というところなんですが、その内面の苦しみを、村正は正確に推し量っていました。


結城秀康を前にしたときのことを振り返り、「覚悟はできているつもりだった」と語る蜻蛉切に、
「貴方にそんな覚悟など、してほしくはありマセン」と強い調子で言う村正。

おそらく蜻蛉切は、任務のためなら、いざとなれば真正面から秀康を傷つける役目を背負おうと思っていたのでしょう。(殺してしまっては歴史改変になってしまうので、そこまでするつもりはないと思いますが)
しかし徳川家に深く忠誠心を抱いていた、自分の元の主、本多忠勝を敬愛している蜻蛉切にとって、徳川の血を引く者に危害を加えることがどれだけ難しいか。蜻蛉切にとってそれはおそらく耐え難いことに違いないと、村正はわかっていたのです。

1回だけじゃとてもじゃないけどセリフを明確には思い出せないんだけど…
「元から汚れているワタシと違って、貴方はそんな役割を背負う必要はないんデス」
「ワタシと貴方は違うかもしれまセンが、それぞれが、それぞれの役割を果たせば良いんです。ワタシたちは、ファミリーなんデスから」
といった内容のことを、村正は言っていたように思います。


蜻蛉切と村正。
在り方、立場、来歴…刀派以外に同じ部分を探すほうが難しいかもしれない彼らだけれど、でもそんな二人は、お互いを<家族>と認めあっている。
誤解されやすい村正にとってのよき理解者であり、保護者である印象であった蜻蛉切が、
一方では村正に深く支えられてもいたのだ…ということが、明確に描かれた今作だったと思います。
まるで手探りをするかように、自分たちの絆をそこに確かなものとして見い出す、夜空のもとでの二人のデュエット。
あまりに美しくて涙が止まりませんでした。
そこに在るのは「心」の交流に、他ならなかったから。

◆刀剣男士を助けた謎の存在

ウウ、ようやくこの話にたどり着いたぞ…。
今回、まじでやばいことが起こりましたね。やばい。本当にやばい。


検非違使に追い詰められ、大量の時間遡行軍に追われる手負いの男士たちのもとに、編笠山を目深にかぶった謎の人物が現れます。
彼は力強い剣さばきで、正確に時間遡行軍を打ち払い、刀剣男士たちが逃れる手助けをするのですが…
その正体とは、みほとせの出陣の中で命を落としたはずの、そして史実上も徳川家康切腹を命じられたはずの、松平信康その人だったのです。

「久しいな、忠勝、直政」
そう言って慈愛に満ちた生き生きとした表情で笑ってみせた彼は、
「今は、掛川の吾兵と名乗っておる」
と、驚く蜻蛉切と村正に告げるのでした。


そして衝撃的な展開はここで終わらず…
検非違使によって負わされた傷からは、服部半蔵の手当によって回復したと語る彼は、あろうことか、蜻蛉切と村正の正体について…彼らが「刀剣男士」であることを、知っていると告げるのです。

似たようなことが、御手杵にも起こります。
元の主を目の前にして少なからず動揺してしまった御手杵の元に、今度は結城秀康そっくりの顔の別人が現れます。
永見貞愛と名乗る彼は、自分は秀康とは双子であり、忌み嫌われる双子であるゆえ、幼子の頃に養子に出された存在で、今は神主として生きている…と説明してみせるのですが、
彼もまた、御手杵たちが「刀剣男士」であることを知っている、と告げます。


信康も貞愛も、なぜ刀剣男士たちの正体を知っているのかというその理由を、
「ある人物から教えて貰ったからだ」と言います。

話の途中まで、その人物が誰であるのかについては明確に語られることなく、あくまでも謎に包まれているのですが…
その先に待ち受けていたのは、あまりにも衝撃的な事実でした。

◆誰が信康に事実を明かしたのか?それは…

蜻蛉切と村正が、吾兵として生き始めた信康に、事の詳細を尋ねているシーン。
かなりな深手を負っていたはずの信康は、石切丸の手によって回復できたのだと語ります。
それを聞き、訝しむ蜻蛉切。仮に石切丸が自らの正体を明かしたのでは、歴史が変わってしまう。
あくまでも服部半蔵として任務の中で信康に接していたはずの石切丸がなぜ?という思いで「しかし、なぜ石切丸様は…」と問いかけた蜻蛉切を、信康は「いや、それは違う」と力強く答えます。

「石切丸は最後まで、わしには半蔵として接しておった」
「では、いったい誰が…?」
疑問を隠せない蜻蛉切と村正に、信康はこんな言葉を述べます。


「とある人物に、教えて貰ったのだ。その人物は、わしのことを”友よ”と呼んだ


このセリフを聞いたときのわたしの衝撃、おわかりいただけるでしょうか…。


「友よ」
その言葉を私達が刀ミュの世界で聞いたのは、いつ、誰の口からだったでしょうか。


歴史上の人物たちのもとに現れ、彼らに「友よ」と呼びかけるのは、
「つはものどもがゆめのあと」での、三日月宗近に、他なりません。


この信康のセリフを聞いた瞬間、衝撃のあまり、構えていたオペラグラスを思わず0.1秒くらいのスピードで降ろしました。
そこからの記憶が10分くらい、まじでありません…。
話に集中しようと思うのだけど、まるで頭を殴られたようになって、何も考えられなくて、涙が止まらなくなった。*1

わたしにとってのつはものの三日月は、本当に言葉に尽くせないほど特別な存在なんです…
俳優として応援している大好きなまりおくんを推し始めるきっかけの事件となった公演であり、あの秋以来、私は三日月に心を奪われてずっと帰ってこられない。
阿津賀志初演でも、プレライでも、厳島でもらぶフェス2016でもなく、私が三日月宗近に真っ逆さまに落ちたのは「つはものどもがゆめのあと」なんです…。その詳細はこのあたりにばかみたいなボリュームで書いてあります…。
anagmaram.hatenablog.com
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だから本当にこの瞬間「ちょ、お前、三日月、ちょ…まじで…!!!」ってなってね……本当に…もう…
以降、頭の中が見事なまでにぐっちゃんぐっちゃんなので(無理もないよね)、秀康と信康どっちのセリフだったのか思い出せないんだけど、
「彼は、我々が歴史上で悲しい役割を背負わされているとも言った」って言うのよね。

歴史の中で、悲しい役割を背負わされている人もいるそうだよ。信康さんも、その一人なのかもしれない

これは、みほとせでの石切丸のセリフですね…。
三条の皆さん、あなたがたって本当に。
長く在る刀の皆さんに見えているものが、私は本当に怖いです。


三日月がひとりで時間遡行している先は、なにも頼朝や義経たちの時代だけじゃ、当然、なかったって話なんですよね…。
阿津賀志巴里の冒頭で三日月が「華のうてな」を歌ったのは自然なこととして理解できるの。だってあれは、つはものと同じく、源義経についての物語だから。
でもそれだけには当然終わらないってことが、今回あまりにも明確に打ち出されてしまって…
あの人、いったいどこで何をやってるの…?ってなった……


私にとっては、この「友よ」だけで十分すぎるくらい十分な爆弾だったんですけど。
その後に、さらなる恐ろしいダメ押しが待っていました。


物語のラスト近辺、本丸に帰ってきたとおぼしき場面で、鶴丸がおそらくは主に向かって語りかけるシーンがあります。

「ひとつ、わかったことがある」

その言葉を受けて背後に登場するのは、信康と貞愛。

「他の時代にもいるらしい。…我々のような、刀剣男士の協力者。三日月殿に、名前もいただいた」

ウ、ウワア、み、みかづきって、言っちゃったね、ついに名前でちゃったね、って思ってたらさ…もうさ、それどころじゃねえんだわ…
背景にぼんやりと…映像で、見慣れた青い衣を身にまとった姿が…
そして、聞き覚えのありすぎる声が…


「物に支える者…物部(もののべ)とでも、名乗るがよかろう」


…深刻な記憶喪失になったので、ここのセリフ詳細は全く自信がありません(2日目のソワレに入る友達に聞いてカンニングします)!!!

そしてそれを受けた鶴丸が、またおっそろしいことを言う!

「この世界には、三日月宗近という機能がある」

友達は「機関じゃない?」って言ってたけど、私機能って記憶したんだよね!でも間違ってるかも!
物に支えるって言ってたかも曖昧だ!

…だってさ、そりゃもうだめだよ。むりだよ。受け止めきれないよ!!!!!!
なんの予想もしていなかったところに背後からぐっさりと刺されてもうひどいダメージをくらったのですが、同じく初日にいた友人数名に「あなぐま生きてるかな」「絶対大丈夫じゃないだろうな」って全員から思われていて…
大丈夫なはずねえだろ!!!!!(大声)(みんな心配してくれてありがとう…)
この数ヶ月の間に、推しが三日月宗近として一瞬でも生きたのだと思うと、苦しくてぶっ倒れそうになりました。
いやだって、予想できたはずがなくない!?なんでわたし、新作で三日月宗近に会うことになったの!!?って…ちょっと…ひどい目に遭った…
その場にはいないのに、ここまで存在感を強く意識させられることってあるだろうか…
刀ミュの世界における三日月宗近の描かれ方に心底震える。一体この先に、何が待っているの…?
わたしこれから、ほんとうにどうしたらいいの…!!?ってなった。
いやだって、ねえ!?いくらなんでも流石に予想してなさすぎない!!?そりゃ1000億倍のダメージでしょうよ!!?かんべんしてよ向き合えないよ!!!

…この件については、なんかちょっと時間が経てばたつほどどうしたらいいかわからなくなってきてるので、唐突にまとめに入ります。(あきらめの境地)

◆「葵咲本紀」の意味するもの

なんとこのタイトル。石切丸がみほとせで書いていた例の出陣記録に対して、村正がつけたものだということが、今回一部のラストにわかります。
石切丸に題名をつけてほしいと頼まれるも、どうしたものかと考えあぐねていた蜻蛉切に「ほら、貸してごらんなサイ」と言って、村正がさらさらと書きつけたのが「葵咲本紀」という題名だったのでした。
「なかなか良いじゃないか」と笑う蜻蛉切
葵が咲く…とつぶやく彼に、村正はこんなことを言います。
「咲く、という字には、花が咲くという以外に、もうひとつ意味があるのデスよ」
「…ほぉ、どういう意味なんだ?」
「それは…内緒デス」
そう言い残し、穏やかに微笑んで去っていく村正を、やれやれ、といった風に見送る蜻蛉切


<咲>という字が持つ、もうひとつの意味とは。
以下、新漢語林より。

【咲】
字音 ショウ(セウ)
字義 の古字。わらーう(わらふ)。


葵が咲く=笑う、物語。
徳川家の家紋である、<葵が笑う>ということは、おそらく、
徳川家康が笑っている>ということを指すのでしょう。

家康と笑顔。
刀ミュを見てきた私達が、その光景を考えるときに真っ先に浮かぶのは、
「笑顔が一番です」と、明るい微笑みをもって、家康の傍らに居続けた者。
そう、みほとせの世界で鳥居元忠として生きた、家康の愛刀である、物吉貞宗の姿です。


彼が家康に伝え続けた、笑顔を絶やさずに生きる、ということ。
その意味や力が、ひとつの物語として新しくここに結実した。
そんな未来を、今回<葵咲本紀>で見せてもらったような気がします。


この題名の意味を知ったとき、

「よく、生きられましたね」

あの物吉くんの愛に満ちた声の響きが、頭の中にこだまするような感覚になりました。



…私にとっての初日感想はこんな感じです!
言いたいことがありすぎて…全然書ききれない。無理すぎる。
信康の生き方の美しさとか、江くんと結城秀康のもっていた刀の話とか、明石が何かに感づいてる様子とか、鶴丸は主に何を託されたのか…とか。考えること言いたいことはまだまだ本当にたくさんあるんだけど、なにぶんわたくし刀ミュの三日月宗近強火担なもので…今かけるのはこれが限界ですっ…!
ハァそしてみほとせオタクの皆さんちゃんと葵咲本紀のチケットもってるかな!?って心配になった…これ見られなかったら大後悔してしまうやつ…お願いみんな見て!(念)
そして私のようなつはものオタクに関しては…これは…ねえ…ほんとに…。何が起こるか、わからないのがミュージカル刀剣乱舞、ですね。。


8月はちょこちょこ銀劇に行くので、また何かしら書くかも。
オチもまとまりもない長文にお付き合いくださった方、ありがとうございました!

*1:余談ですが、観劇していてこのタイプの衝撃をくらったのは、別ジャンルのお話で申し訳ないけど、TRUMPシリーズの2作目であるLILIUMを見た2014年以来、でした…単独のセリフひとつが、ここまでの動揺をもたらすことがあるんだという経験…

【ネタバレなしで】刀ミュ 葵咲本紀の初日感想を書いてみる(主に刀剣男士の印象について)

8月3日、刀ミュ新作「葵咲本紀」の初日、天王洲銀河劇場で見てまいりました!

観劇後の感想として、ネタバレ満載のエントリーをすでに一本がっつりまとめたのですが(このあと別に更新予定)、おそらくニーズ(?)としては、ネタバレなしの感想も世の中には求められているのではないか…?という気持ちになり、普段やらないんですがタイトルどおりのものを短めにさくっと書いてみようと思います!

そもそも<ネタバレ>の定義が難しいので、以下のような内容を書くor書かないよ!というのを明らかにしておきますね。

  • 演出および脚本の中身には、一切触れません
  • 刀剣男士に抱く「印象」については作品の中身に触れない程度に述べます

「嘘つき!これだってネタバレじゃん!」って感じる方もたくさんいると思うので(いわゆるエモバレ)、本当になんの情報も入れずに観劇に臨みたい方は、このエントリーについてもどうぞ読まれないようにお願いします。
「詳しくは知りたくないけど、なんとなく雰囲気だけ掴みたい」って感じでソワソワしている方には、もしかしたら読んでも良いのかも、みたいな記事をイメージしています!

ただ、話せないことが多すぎるので半ばネタっぽくなるよ。笑




鶴丸国永:かっこいい

鶴丸…めっちゃかっこよかった…!!!まじでかっこよかった!びっくりした~!
すでに刀ステの世界には存在してる鶴丸が、ついに刀ミュの世界に!ってワクワクしていたんですが、期待を遥かに超える最高の鶴丸がそこにいたよ!
来夢くんのお顔が比較的かわいらしい寄りなので、もっと楚々とした(?)鶴丸なのかな~って思っていたら、とんでもなかった。めちゃくちゃに雄々しくて頼りがいのあるウルトラかっこいい鶴丸国永がそこにはいました…!
私の中では、ビジュアルとステージ上で一番ギャップが大きかったのが彼でしたね!いい意味で予想を裏切られました。あまりにかっこよくて感動したもの。
鶴丸としての表現が動揺するくらいに好みどストライクだったので、二部は鶴丸うちわを作ることに確定したよ!
まず、声の出し方が素晴らしいなと思う…。「じ、自信に満ち溢れた平安刀…!?ウアァ好き……!!!」ってなる。(※あなぐまの推し刀が誰なのかを思い出してみよう)(みかづきむn)(以下略)
たぶん体の動きの面はこれから74公演駆け抜けていくなかで絶対にもっと進化するだろうと思えたので、凱旋の頃の仕上がり具合がめちゃくちゃに楽しみです…!えーんマジでかっこよかった~!鶴丸好き!

御手杵:本人

「…あの、ご本人いらっしゃいました?」ってなった。
いや~~~すげえ。田中涼星くん、見る前から「これは絶対に御手杵でしかないだろうな」って思ってたんですけど、実際に見てみたら、マジで御手杵だった。何を言ってるかわからないと思うんですが、マジで御手杵なんですよ(真顔)
なんていうか、似てるとかいうレベルじゃないんだよ…ご本人だった…御手杵がそこにいたわ…あんなんびびるわ…。
声の出し方もちょっとゲーム原作に寄せているところありそうですよね!?
元のお顔立ちの中でも、とくに鼻筋のあたりが御手杵に元々似ていらっしゃるかな、とは思ってたんですけど、今回目前にしてみて、衝撃がすごかった。だって、ただの御手杵なんだもの!!!(大声)
他に言うこと無いのかよって感じなんですけど、ネタバレしない範囲でってなると繰り返しこう叫ぶしかできねえ!!!笑
御手杵のあの朴訥した感じっていうか、三名槍として堂々としてはいるけど「俺は突くことしかできねぇから」って頭をかきながら言っちゃうみたいなあの雰囲気が…そのまんま舞台上にいます!
御手杵推しの皆さん、期待してていいと思います!!!

◆篭手切江:かわいい

…江くん、まじでしぬほどかわいい~!!!キャー!!!江くん~!!!!ってなる。感動した。
演じてる田村くんは3rdのジローちゃんなんだよね!どうりで…って心底納得しました。(全国氷帝で1回見ただけだからさすがに印象まで覚えてないんだけどっ…!)
江くんが実装された時、審神者たちは「この子は刀ミュに来るしかないのでは…?」って感じていたわけなんですけど、
いや~。見事なまでに、清々しいまでに、私達がイメージするとおりの江くんがそこにいました!笑
とある演出がマジで最高に可愛いので、劇場で全力でニコニコしてほしいです。
あと、脇差みがあってそこも素晴らしく良い!小回りの利く機動の高さを存分に感じさせる動きをしてました!刀ミュの脇差、ほんと全員かわいいよね…。

◆明石国行:本人

「…あの、ご本人いらっしゃいました?」ってなった。(※2回目)
だって!ほんとに!本人なんだもの!!!すげえ!!!拍手喝采する。
明石国行…そもそもがかっこいいですよね…「自分に働けいいますか?」って一見やる気ない風に見せて、戦うとめっちゃ強い太刀っていうキャラクター造形がもう反則だと思うんだけど。
なんていうか仲田くんの明石、”一筋縄ではいかない”ところがすごく良く表現されていて、これまた最高の明石でした…。
明石について語ろうとすると作品の中身を喋ってしまいそうになるのでぐっと黙る。。これ以上は言えねえ!
あと二部の明石、超~かっこよかったです。ウェエ~!?ってなった。歌って踊る明石国行。それだけでもう、大事件すぎません…?
明石推してる人、最高すぎてしんじゃうんじゃないかな。…がんばってください!!!(励まし)

◆村正派の二人:拝ませてくれ…

今回もはや刀ミュにおけるベテラン組として出陣している、spiさんの蜻蛉切ともっくんの千子村正は…
もう見ていて、拝ませてくれ、という気持ちになりました。
あなたがたのいる刀ミュが私は大好きです。。
ほか4名の刀剣男士が、俳優としてのキャリアも年齢もまだまだ若い、本当に新人!というクラスの子たちだったなかで、二人にかかったプレッシャーは相当なものがあったと思う。作品の成立可否はある程度二人の肩にかかっていたと言ってもおそらく過言ではなくて。
みほとせ初演の時は、他にも荒木宏文さんという頼もしいベテランがおり、石切丸の崎山つばさくんは二度目の出陣でもあったから、期待される役割はまた違うものがあったと思うのですが…
今回、刀ミュ本公演としての完全新作はむすはじから約1年半ぶり。そこに、新人4名+ベテラン2名の布陣が引かれたわけです。その布陣を見るにつけ、spiさんともっくんへの、制作陣からの途方も無い信頼と期待を感じますよね。
さらには先日の源氏双騎出陣を経て、お客さん側の期待値も、これまでとはまた異なる手触りになっている部分もあって…本当に、大変だったと思う…!
今回の蜻蛉切と村正について深く語ると、物語のネタバレになってしまうので何も言えないんですが、
ただただ、お二方の表現が心から好きだ、と思いました。
刀ミュの世界に生きてくれてありがとう、という気持ちで改めていっぱいになったよ…!

◆「刀ミュ」というひとつの作品ユニバース

今回これをめちゃくちゃに痛感させられましたね…。
具体的になにがどう、というのは言えない。言わないけど、<ミュージカル刀剣乱舞>という、ひとつの作品世界が、また新たにものすごく強固なものとして確立されたなぁ、みたいなことを感じました。
まさかこんなアプローチをしてくるなんて…って、心底ゾクゾクさせられた。

もし仮に、今回の葵咲本紀が初めての刀ミュ観劇になる方がいらしたら、とにかく過去作を見ておくことを全力でおすすめいたします。
「どれを見たらいい?」っていうのには諸般の事情により答えられないので、阿津賀志山異聞から順番に全部!って感じです!笑 もう、全部見ておいて!!!笑

過去作はバッチリ履修済みだぜどんと来い~!な人は、もうそのまま、えーい!と飛び込んで来てください。
私はこころの準備ゼロって感じで初日に臨んだところ(まあ準備のしようもないんだけど)、予想の1000億倍のダメージをくらいました。いい意味で、ですけど、本当にめちゃくちゃにダメージを受けて一発重傷で本丸に逃げ帰る感じになりました。
何が怖いって、このダメージの受け方というか方向性が、同じように刀ミュが好きで追ってきたのだとしても、きっと人によって多種多様にわかれるところですよね…(※傷ついた微笑みを浮かべながら)
「刀ミュ、マジ怖い!!!大好き!!!」ってなりました。


わからないけど、今作はある程度好き嫌いはわかれるのかもしれないし、もしかしたらちょっと難解に感じられる人もいるのかな…というような気はするんですが、
これはもう見てみてもらわないことには!という感じです。
表現のアプローチには色々と新しい部分が見受けられます。なのでたくさんびっくりすることにはなると思う…!
そうそう、歴史上の人物も全員素晴らしくて…ここもまた詳しく触れるとネタバレしてしまいそうだから取り上げることはできなかったんですけど、とりあえず「全員良い!」ってことだけ声を大にして言っておきますね!



ネタバレせずに言えるのはこれくらいかな…!書いてたら早く二回目みたくてウズウズしてきました。

新人キャストも盛りだくさん、いったいどんな作品になるのか見当もつかない…という中で開いた初日の幕でしたが、私は刀ミュをずっと愛してきたひとりのファンとして、これ以上なく満足して帰ってきました!
とくにキャスティング能力の確かさには今回も舌を巻いたわ…。

皆さんの葵咲本紀観劇が、どうか楽しいものになりますように~!

刀ミュ「髭切・膝丸双騎出陣2019」を通して、刀ミュの源氏兄弟について考えた感想

源氏双騎出陣、全17公演、本当にお疲れ様でした…!
キャンセル待ちはもちろん当たらずだったので、現地観劇は7月7日の1回きり、7月14日は自宅で配信を見届けました。
楽の幕が下りた直後に来年の再演も発表されて、めでたい限りですね!


正直、一回見ただけだと詳細を噛み砕いて理解しきることは、とうてい出来なかったです。キャパを超えまくっていた。
なので今回の双騎でなされた「試み」というか、作品の全体像について、ひとまず自分の中に落とし込もう、とした記事だけとりあえず書いてました。
anagmaram.hatenablog.com

でも千秋楽の配信を見たら、改めて言葉にしたい気持ちがふつふつと湧いてきました。間違いなく、そうさせるほどの熱量がある演目だった。
毎度同じことを言って恐縮ですが、歴史や古典芸能の知識に裏打ちされたなにかを語ることは私にはできないので、それは他の方に譲ります!いや、バックグラウンドのある人にとっては、こんなに考察しがいのある構成もなかなかないと思う…。
私はあくまでも「刀ミュをずっと見てきて、刀ミュという作品を愛している立場」から、自分なりに感じたことを書いてみたいと思います。




◆双騎が描き出したのは、”刀ミュ”における源氏の兄弟刀の在り方ではないか

そう、楽の配信を見終えた今、言いたいことはこれなんである。
今回浮かび上がったのって、刀ミュの世界における兄弟刀としての、髭切と膝丸の関係性というか、刀剣男士としての在り方そのものだったのではないかな?っていう気がしたんです。
双騎の一部・二部のふたつの世界を通して、ふた振りの「刀剣男士」としての成り立ち、生き様…みたいなものが、こちらに伝わってきたような気がしていて。
どういうことなのか、なんとか言葉にしてみようと思う。

今回、髭切と膝丸が演じた一萬・十郎と、箱王・五郎のふたりに特徴的だったのは、
「ひとたび道が別れても、同じ想いを持つ兄弟は再びめぐりあう」
「兄弟はお互いを深く愛して信頼しあっている」

ということだったかな、と感じているんです。
そしてそれはすなわち、髭切・膝丸自身の在り方としてオーバーラップするといえるのではないかな、とも思っていて。
以下にそれぞれについて書いていきます。

◆1点目:めぐりあう兄弟

まずこの1点目について痛感したのが、今回の二部で披露された曲「双つの軌跡~となり~」での歌詞の変更でした。
元々はつはもの公演の一部で歌われた曲なんですが、今回おもいっきり新バージョンになっていて…
なんせ歌い出しの歌詞よ!いきなり新しい内容てんこ盛りでしたよね…そこで明確に「ぎょええ~!!!真正面からめぐりあっている~!!!」って大興奮した記憶はあるんですけど、すみません現地1回配信1回じゃ、具体的な歌詞は全てが飛んでます!笑


ただひとつだけ明確に言えることがあって。
この歌、途中で膝丸がソロパートで歌う歌詞が、
「弥久を彷徨いたどり着いたのは 貴方のとなり
になっていました。

これ、7月7日に観劇した時はまじで聞き間違いだと思ってたんです。自分の耳が都合よい解釈でもしたか!?って思って自信がなくて。サイドシート前方だと、正直音のとどく射程範囲外って感じで、初めて聞く歌詞は聞き取るのがけっこう難しかったのもあり…。
だけどフォロワーさんがブログで言及してらしたのを読んで、「き、きのせいじゃなかった…」となり、今日の配信でしっかり聞いて打ちのめされました。


ご存知のとおり、本来の歌詞は「誰かのとなり」なんですよ。ここ。

つはものの劇中で膝丸は、岩融と今剣が歴史上には実在しない刀である件に触れるとき、自分たち自身も「彼らほどではないが、曖昧な存在」だということを、何回か口にします。
源氏の兄弟刀とされる刀は日本に複数現存していると言われていて、来歴が明確になっているわけではない。
だけれどきっと、義経や頼朝の時代に存在していたことは事実といって差し支えないだろう…といった、事実解釈にグラデーションが生じうる中で顕現している刀剣男士だから、彼らにとってたどり着いたのは「誰かのとなり」なんだと思っていたんです。
明確に、兄と弟が、確かなものとして隣り合う、とは決して言い切らない余地を残すといいますか…。
その余白がこの歌において、ものすごく好きなポイントだったんです!つはものの当時。


だけど今回その歌詞を明確に、「貴方」に変えて歌ってきている。
それはつまり、刀ミュの世界の髭切と膝丸が、「そう在りたい」と思っているからに他ならないのではないかな…って、そんなふうに思ったのです。


今回の双騎出陣は、ふた振りが刀ミュ本丸に顕現してからはだいぶ時間が経ってからの出来事、と捉えていいように思っています。
一方でつはものは、それこそ彼ら兄弟が本丸にやってきた直後の物語。
だからこそ、久方ぶりに相まみえた兄弟にとって、弥久をさまよいたどり着いたのは「誰かのとなり」と捉えるのがおそらくは自然だった。

しかし彼らは、つはもので人の身を得た刀剣男士として、はじめての仲間たちとの出陣をともに経験します。
きっとその後も本丸において同じ時を過ごしてきた髭切と膝丸のなかでは、<兄弟>という存在、お互いにとっての自分/相手を、「どう捉えるか、どう位置づけるか」というところが、徐々に変容していったのではないかなと、そんなことをこの歌詞変更から考えたのです。


お互い、実在した刀としての逸話や来歴は謎に包まれている部分も多いけれど、でも今こうしてともに戦い、同じ任務を背負って歩む刀剣男士として、確かに隣に存在している。
過去の事実がどうであれ、今向き合っているその事実こそを、真ん中に置いていこうと、そんなことをふた振りは考えているのではないか…って。


事実、つはものの劇中には、「もし仮に、今剣のように自分が歴史上に存在しないと知ってしまったらどうする?」といった内容を問いかける膝丸に対して、髭切が下記のように返すシーンがあります。

「どうでもいいことだと思うけど、そんなこと。歴史上に存在していようといまいと、いまここに存在していることは事実だろ?それでいいんじゃないかなぁ」
「…そうなのだろうか」
「まあ細かいことを言い出したらきりがない、大雑把に行こうよ」

この言葉を受けた膝丸は、全く兄者は…とすこし気抜けしたように、やや呆れたように笑いながら返していました。
大雑把にいこうよ、だなんてまとめられてしまったこともあり、生真面目な膝丸は、この時点では髭切が述べた言葉をまるごと受け止めることは、おそらく出来ていなかったのだと思う。
だけどそれから時間が経ち、刀剣男士として様々な経験を積んだ彼は、改めて「双つの軌跡」を歌う今、
”貴方の隣”
という言葉を、選べるようになったのではないかなって。


つはものを観劇していた当時、先に引用した髭切の回答は、おそらくは「刀ミュの世界における刀剣男士」を理解する上で、一つの真実を貫いているように感じていました。
実際、作中で「歴史上に実在しない」と明言されてしまう今剣も、史実上の実在を否定されても壊れてしまうことなく、その事実をしっかりと受け止め切ります。

つはもののラストシーン近辺において、義経の最期の場に駆け寄った今剣は、「今剣ともうします!」と、覚悟を決めて自らの名を名乗ります。
その後に続く「このなまえに、ききおぼえはありませんか?」という、自らの実在を懸けた義経への必死の問いかけは、「いや、初めて聞いた。だが、良い名であるな。あの世にいっても、覚えておこう」と敢え無く返されてしまいます。
あの瞬間の今剣には、途方もない絶望や諦観がきっと訪れてしまったと思う。
でも同時に、<あの世にいっても覚えておこう>という返答により、大好きな敬愛する元の主に、<今ここにいる>自分の存在が間違いなく届いたという大きな救済も、もたらされたと思っているんです。
そしてそんな事実を受け止めねばならない今剣の隣には、同じ気持ちで支えてくれる仲間がいる。
いちばん大切なのは「今ここに存在していること」なんだと、上記のシーンを通して、つはものでは明確に描かれているように思いました。


髭切も膝丸も、過去の歴史の中に、刀としてどこまで確かな存在としていられたのか、今となってはわからない。
そう、それこそ歴史は水の流れのようなものだから…。
なにが正史なのか、数百年時を遡れば、過去の物語は様々に移ろい、色合いを変えていく。
でも、今の自分が、誰の隣に立っているか、それは疑いようもなくわかっている。
それ以上に、今の自分にとって、確かなことはない。
そんな答えを、源氏の兄弟刀が刀ミュの世界で見つけて提示してくれたのかな、と感じました。


そのめぐりあいは、一部の物語では、「武士の道と仏の道に別れた兄弟が、大人になり再会し、誓った仇討ちを果たす」という形で描かれます。
あそこで、明確に「一度は道が別れても、想いを果たすために最後は同じ道を行く」という描写があるところに、私は髭切・膝丸を感じずにはいられなかったのですよね…。
その物語を踏まえた上での「双つの軌跡~となり~」の歌詞変更だったので、叫びそうになりましたし、ものすごく胸が熱くなりました。。

◆2点目:眼差しと背中で支えあう兄弟

私が凛としていられるのはお前の眼差し、私が追いかけたいのは貴方の背中。
一部で一萬と箱王が歌うこの歌詞、本当にやられた…。
兄弟ふたりの、直接伝えはしない、互いへの思いの、この果てしないあたたかさよ。。
この曲のタイトル、綾なす…ナントカって言ってたね!配信後コメントでせっかく教えてくれたのにど忘れしちゃったな~!


曽我物語は、兄弟による、仇討ちの物語です。
知っている人にとっては当たり前の知識になっているような、著名な古典作品だと思うのですが、私自身は「聞いたことが言われてみれば、高校の頃にあったかもしれないような、気のせいのような…」といった感じで、全く知識がありませんでした。恥ずかしながら。いや、多分なんらかの形で確実に習ってるだろうな…。笑
その前提で見ていたので、当然ながら大きな違和感を得ることはなかったのですが、今回の曽我物語の結末って、それこそwikiで読めるものとはそもそも異なっています。
歴史上の史実がどうだったのかも含め、物語成立の時代は武士の世のはじまりにまで遡るからこそ、曖昧な部分はおそらくあるだろうな、としか思っていなかったのですが、もっと厳密なたぐいのものだったみたい。どうやら。兄弟がどうやって命を落としたのかは、ある程度明確ではあるみたいだ。
実際、手元の「精選版 日本国語大辞典」で「曾我兄弟」を引いてみたけど、二人の最期については、

母の再嫁によって曾我氏を称した兄弟は、建久四年(1193年)富士野の狩場で父の仇を討ち取ったが、兄は仁田忠常に打たれ、弟は五郎丸に生け捕りにされ殺された。

とありました。


でも、今回演じて見せられた曽我物語の結末では、二人は名実ともに力を合わせて父の仇を正面から討ち果たし、よくやったと泣き笑いの表情でしっかりと抱き合います。
あの日、家族で見上げた夕焼け空の思い出が蘇るように、再び聞こえてくるかりがねを耳にしながら、お互いの体に身をもたせかけ、あたたかい微笑みのなかで命を終えていくのです。

…そう、そこにあったのは、「兄弟愛」以外の何物でもなかったんですよね。


ここでつはもののセリフを再び引用しますが、頼朝に鎌倉入りを拒絶されて嘆く義経を見た後、兄弟同士で仲違いをするのを見るのはやはりつらいな、といった旨のことを言った膝丸に、

「どうかな?兄弟同士で骨肉の争いなんて、歴史の常だと思うけど?」

と、ごく飄々とした様子で、髭切が答えるシーンがあります。
確かに、現に義経と頼朝は仲違いをした悲劇の兄弟にほかならず、それ以降も刀として長い時を経てきた彼らにとって、兄弟=仲睦まじいもの、という単純な図式を結ぶことは、きっと簡単ではないと思うのです。


だけど、今回「髭切・膝丸が刀剣男士として曽我物語を演じる」ことになったとき、ふた振りが見せてくれたのは、家族と兄弟への愛に満ちた、哀しくもあたたかい物語でした。
これもまた、今刀剣男士としてここに在る彼ら自身が選んだ、兄弟としての在り方を巡る、ひとつの答えなのではないかと思うのです。
つまり、髭切と膝丸のふた振りにとって、兄弟による仇討ちは、ああいった色合いで語られるべきものだったんだと。

史実として明確にどうであったか、ということよりも、物語を通して彼らが届けたかったのは、命を落とした敬愛する父の無念を、愛する母を一人残す哀しみを負ってなお、お互いに手と手を取り合って晴らそうとした、兄弟の姿だったのではないかな、と。

髭切・膝丸がそのようにあたたかな兄弟愛を演じてみせたことについては、源氏推しのフォロワーさんがとても素晴らしい考察を書いてらして、許可頂いたのでリンク貼ります、是非~!
正直わたしはこちらを読んで満足してしまった部分があるほど、源氏を好きな人にしか書けないな!と唸らされる素敵な文章でした。
sfractal.blog77.fc2.com



刀剣男士は、刀であると同時に人である。モノナリヤ、ヒトナリヤ、の存在。

今回の源氏双騎出陣は、「意志を持ち、体を持つ」刀剣男士として、髭切と膝丸が自らの在り方を見つめ直し、それを外部に提示するそんな機会になっていたのではないでしょうか。


「物が語る故、物語」であるそんな新しい作品を、見せてもらえたことの興奮が未だ醒めません。
書けば書くほど、まとめたいことがたくさん出てきて…!余裕あったらまだ書くかもしれません!

【※超ネタバレです!】刀ミュ「髭切・膝丸双騎出陣2019」感想【見てから読んでね!】

源氏双騎、7月7日ソワレに行ってきました!(諦めかけてたけど当引買えたおかげで行けた!奇跡だ!)
なんか「ものすごいものを見た」という感想しかとりあえず湧いてこない…びっくりした…

やーーー…とにかくツイッターでのネタバレは厳禁だと思っているので、ブログに引きこもりに来ました。
というわけで、以下全力でネタバレします!!!
言ったよ!言ったからね!ネタバレするって言ったからね!!!
まだ見てない人は、現地観劇だろうがライビュ予定だろうが、以下絶対に読まないでほしい!言ったからね!!!(2回目)
別にネタバレ気にしないです~な人にも、できれば見る前には読まないでほしい…。まじで。あの体験から得られるものを、いちおたくに過ぎないわたしの文章で余分に目減りさせてほしくなどない。頼む。
まだ見ていなかったら、いったんこのページを閉じましょう。そして観劇orライビュ後に、どうぞ戻ってきてください。

というわけで、以下を読むのは観劇済みの人のみor楽が終わったあとで、なにとぞよろしくお願いしますー!

(あとあくまでも1回みたきりの記憶で書いてるから間違ってるところ当然あるので!大幅に間違ってて直せるところあれば直しますね)

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SNSで「見たくないものを見て傷ついてしまう」問題について(解決策:逃げる)

SNSとタイトルに書きましたが、このエントリー内では「ツイッター」を想定して書きます。
おたくの情報収集に欠かせないツールであるツイッター。最早わたしはツイッターを使えないと生きていけない自信がある。でもそんな便利なツイッターは使い方を間違えた途端、私たちを著しく疲弊させてしまう諸刃の剣でもある。


なんで急にそんな話をはじめたのかと言うと、
「見たくないものを見て不要に消耗することを防ぐ」ために、わたし自身が普段から意識的に心がけていることがいくつかあるんですが、


↑こんなかんじで考えてることをなんとなくつぶやくと、そこそこ反応を貰うことが多いので、ニーズがあるのかな?と思い、いちどまとめて書いてみることにしました。
(※なお、わたし個人は今現在困っていることは特になにもないです。いたって平和に楽しいおたくライフを送っています!)




◆1点目:「見たくないものは、見ない」。そのためには戦略的に逃げを打つ

冒頭に貼ったツイートどおりですが、まず前提は、これに尽きると思います。自衛による先手必勝、ですね。
なにが自分にとってクリティカルダメージに直結するのかは人それぞれだと思うんですが、それがある程度わかっていて避けられるなら、あらかじめ避けてしまえ!と思うわけです。


わたしの場合ですが、「なにかを貶めることがもはや目的って感じの言葉遣いをするアカウント」は、まず一切見ないようにしています。
それが推しに関係してようがしてなかろうが、です。
見たところで得られるものがないばかりか、疲弊するだけだとわかっているからです。
あんまり悪質だなと思ったらためらいなくブロックも発動します(TLで見かけることが普段まずないんだけど)。
またそういう類いのアカウントじゃなくても、自分のめちゃくちゃ苦手とする何かが表現されているのを見てしまったときは、そっと静かにそのアカウントをブロックなりミュートなりすることがあります。


もしかすると、ブロックすること自体をためらう人ももしかしたらいるかな?とは思うんですが、たぶんそこまではケアしきれなくていいのではないかな、と。
自分がブロックしたことで誰かを傷つけるかもしれない、までは、もう考えなくてもいいんじゃないかな…?
というのも、ツイッターって「通りすがり」の感覚で良いと思うんです。
フォローするもしないも、それぞれが自分の好きにやるものだし、自分の発言に対する相手のリアクションまでを縛れるものではないと思うんですよね。


「他人を嫌な気持ちにさせる発言は、なるべくしないように心がける」というのはマイルールであり、わたしが言葉を使う上での大前提です。
それでも結果、思わぬ形で誰かを嫌な気持ちにさせてしまうことだって絶対にあると思ってます。
だって、万人に好かれる、万人にとっての正解だけを喋ることは、誰にだって、どうしたって不可能だから。
…という意味で、ブロックしようがされようが、そこはお互い様であり得ることだなって手放した方が、気が楽でいいんじゃないかな。
他人に自分がどう思われるかまでコントロールなんてできないし、しようとするほうが多分まちがっている。だからこそ、ブロックされた/されないに対してストレスを感じても無意味だな、みたいな感覚があるかもしれないです。
なので「これはつらい、本当に無理だ」って思う瞬間があったら、自分を守るためにばんばん使っちゃえばいいと思います。ブロック。遠慮しなくていいと思う。

◆2点目:ツイッターでよく生じるタイプの「論争」は、触らぬ神に祟りなし

これはわたし個人にとって、という感じですが。全ての論争が無駄であるとか、見たくないと言っているわけではないよ!
ただ、そもそもなんですけど、ツイッターって論争に圧倒的に不向きだと思うんです。
というか、テキストを使った建設的な論争、うまくいく方が珍しい気がしています。


まず、ツイッターに限らず「議論」を成立させるためには、相手と自分の問題認識がそもそもおなじフェーズにないと、真っ当な形にはならないですよね。
前提を共有することが不可欠である、といえる。
わかりやすくするために極端な例で説明しますが、Aさんが「四つ足の哺乳類の話を幅広くしたい」と思っている一方で、Bさんは「ネコについてだけ話したい」と思っており、しかもそのことがお互いに伝わってないとしたら、まずは両者の前提を揃える必要があります。
Aさんはまずは「私はネコだけでなく犬やうさぎのことも話したいんです!」ってBさんに伝えて、自分のいる位置をわかってもらわないといけないですよね。
相手と自分がいる位置が揃っているのかを見極め、揃っていないとわかったら合わせようと試みるのって、実際にやるのはけっこう難しいことな気がします。

しかもたいていの場合、ツイッター上でもめている発言者のことなんて、どこの誰なのか、どんな人なのか、背景情報が全然ないことが多いと思うんです。
そういった「相手に対する情報が圧倒的に不足している」という状況の中で、更に「自分に対して敵に相当する立場の人」が発する言葉を、歪みなくフェアに受け取るって…果たしてそんなことができるのだろうか?と思うんですよ。その状態で相手からなにを言われても、ついすべてを否定的に捉えたくなってはしまわないだろうか?

…というような背景により、「果たしてツイッターでなにかしらの結論が出るような建設的な議論が展開できるのか?」と問われると、わたしはだいぶ首を傾げざるをえません。


おたく同士によるツイッター上の論争では、往々にして上記のような背景から「そもそも話が噛み合わない」状態が起きているような気がしています。
その結果として、噛み合わない話をただ延々と、いかに「自分の方が正しいかを周りに表明する」ために、やり続けてしまう面があるのではないか?と思うんです。
私がツイッター上の議論が苦手な理由は主に、ここにあります。

解決に持っていきたいという意志よりも、自己の正当性を周りに認めてもらいたいという欲求の方が主になってくるその様子を見ているのが、なんともいえず苦手なんです…。
めちゃくちゃ個人的な感覚なのであまり一般的ではないと思うんですが、その「自分の意見を周りに正しいと思わせたい」という意志に基づいて言葉が使われている様子自体が、あんまり得意じゃないのです。
見てるだけで、どうしてもヘトヘトになってしまうんですよね。。
話題がなんであるにせよ、自分側が信じる正しさのみで相手を殴り続けるみたいなその様子に疲弊してしまう。
なのでやっぱり、論争系もなるべく見るのを避けるようにしてます。(これも基本的にTLに流れてこないから見るケースがレアだけど。)
これは1点目に書いた内容とは異なって、予め避けられるたぐいのものではないので、出くわしてしまったら「くわばらくわばら」と思ってそそくさと逃げます。
ある意味では建設的でもなんでもないけど、なんか知らんがめちゃくちゃバトってんな!ってやつを見かけたら、とにかくそっと離れて見ないふりをする。それに尽きます。


人間、言われると言い返したくなりますもんね。それもわかるんだよな。
でもその、言い返す時の自分の言葉の使い方には敏感になっておきたいっていうか…言い方は強いですが、叩きのめすことが目的になってないか?っていうのが気になります。
すべての議論を避けるべきという話でもないし、話し合える可能性をはなから諦める、という話でもないのですが、自分の属する界隈において起こるすべての論争に付き合っていたら、間違いなくおたくは無駄に疲弊すると思う。
仮にですが、推しや自分の好きな作品や大切な友人にとって、何かものすごく不利益を生じさせる風説の流布がなされたりしたら、そのときはめちゃくちゃ頭をつかってどう戦略的に戦うか、わたしは考えるかもしれない。でもそうじゃない限りは、とりあえず論争地帯からは距離をとっておくと、心の安寧が保たれやすいように思います。


ここまで書いたことは、ご覧のとおり結論「逃げる」に終始していますが、見たくないものを見ないのは、別になにも責められたり、恥ずかしがったりするようなことじゃないと思います。

というのも、

◆言葉に対する感受性を無視してはいけない

と思っているからです。

例えば、自分が好きなものを、ひたすらに悪し様に言う言葉を読み続けていたら、気持ちよくいられる人の方が少ないと思う。
または、やたらとネガティブに周囲への呪詛を吐き散らし続ける様子なども、見ていて疲れるなぁと思って自然なのではないでしょうか。
ましてや、人を怒らせよう、悲しませようとすることを明確に意図してるような言葉はどうか。そこからダメージをくらってしまうことなんて、もはや自明すぎやしないでしょうか。


そうと分かっているものに、いちいち翻弄されて疲れてしまうのって、ざっくりいうと勿体無いし、損ではないかなと思うんです。
自分にとってつらいものを見たら傷ついてしまって当たり前なんだから、そこはまず、自分の感受性を守ることを最優先にしていいんじゃないかな。
その「言葉を見て疲れる、傷つく」ということに、蓋をする必要はないんです。むしろそこには、もっと自覚的になるべき。


なぜかというと、自分の感受性を守れるのは自分だけだから。
自分がなにに対して傷つきやすくて、なにに対して喜びを感じるのか。
その点について、ある程度意識的になって行動するだけで、ツイッター上で出くわすしんどいことは確実に減らせるし、反対に嬉しい場面も増やせる気がしています。
そこを他人や環境に任せるのではなくて、あくまでも自分のために、自分の裁量の範囲内でコントロールしようと試みるのは、戦略的かつ重要な守りの姿勢だと思います。


毎日当たり前のように、ものすごい量の情報に触れる生活。
その中で「言葉」が果たしている役割は、とてつもなく大きいと思う。
私は言葉に寄りすぎな人間ではある自覚はあるんだけど、言葉の使い方は間違いなく癖になります。
引き寄せとかそういうたぐいの話は得意じゃないけど、自分が使う・選ぶ・好む言葉によって、周りに集まってくる言葉の色合いが変わってくることは絶対にあります。
だからこそ、使うなら明るいことに、気持ちが楽しくなるようなことに言葉を使っていたいと常日頃思っているところがあります。実際にできてるかどうかは置いといて、「心がけている」とはいえると思う。
同じように、こういう言葉の使い方は苦手だ、しんどいと思うものからは、めちゃくちゃ逃げるようにしています。でないと、あっという間に傷ついてボロボロになってしまうことが明白だからです。


ツイッターという「ほぼテキストのみ」のツールを頻繁に使う以上は、言葉から受ける影響/自分の言葉が与える影響、どちらも軽んじすぎるのは危険です。
そこに介在する自分の感受性の在り方には、しっかりと耳を傾けたほうがいいのではないでしょうか。

わたしは、主に趣味において、「自分にとっての<好き>を見つけたあとは、それを守り育てていく内なる戦いがある」と思っているんですが、
その一環としてまずは「感受性を守る戦い」があるような気がしています。
楽しいおたくライフを継続していく上では、その戦略があったほうが、比較的うまくいきやすいし、何より自分が楽だと思います!
というわけで、言葉に対してしんどさを感じるときは、遠慮なくかつ積極的に「逃げ」を発動することをおすすめします!



普段わりとそういうことを考えながら、ツイートしたりブログを書いたりしているな、というお話をまとめてみました。
…というとものすごく考えている人っぽいけど、んなことはなくて、見てのとおりツイートの大半は思いついたまま脊髄反射的に喋っているだけです!笑