こたえなんていらないさ

主に刀ミュ(ミュージカル『刀剣乱舞』)を愛しながら、舞台まわりをぐるぐるしている人

刀ミュ 壽 乱舞音曲祭 2部パートの感想

続きまして2部感想いきます!もうしょっぱなからテンションおかしく振り切れていくよ!なんたって2部だもん!!!
(そして1部以上にめちゃくちゃたくさん三日月の話をしています!半分はエンナイの話!推しゆえ、そこはどうぞよしなに…!)
先程更新した1部感想はこちらから。
anagmaram.hatenablog.com
※どちらもネタバレしまくりです!







◆こちらの頭がおかしくなったのかと思った、刀ミュで見る「黒燕尾」

休憩は20分なのでもうあっという間に2部になってしまうわけなんですが。
初日ね、おや?なんかおかしいな~と思ったんだよね…
2部の幕開け、暗闇の中で皆がスタンバイしてる様子がうっすらとつかめるんだけど、なんていうかシルエットと、胸元の白さ…なんか黒燕尾みたいだな…って思ったんだけど、
本当に黒燕尾だった


…わたしの頭が本格的におかしくなったのかと思いました。ええ。
刀剣男士の皆様が、ビシッと揃いの黒い燕尾服に身を包み、新曲をお歌いになられました。。
そして歌い出しを担当しているのが三日月宗近鶴丸国永でね。まぁそれはそれは、笑顔で美しくハモりなさるわけですよ。
ここまでまだ開始1分も経ってない情景を書いてるんですが、これだけでわたし、死ぬやつだよね?え?ほんとなんなん…???

初日、嘘でしょ!!???っていう気持ちで、まじで何を見せられているのかわからなくて、もう顎が外れそうになりながら、それでも必死でオペラで三日月を追い続けたんですが、
いやもうね
かっこいい(それはそう)


それはそう。そうなんだけど、ほんとかっこいい何これ夢?え???なに???(戻ってこられなくなる様子)
聞こえてくる歌詞の雅やかさにも感動していて、梓弓、春~みたいな、あぁこれまた素晴らしき歌詞(浅井さやか先生の神業!)と思いながら聞いてるんだけど…それでもやっぱりちょっと視界に収まる情報が異常でついていけない。
2部はみんなどの衣装なのかな~って思ってたところに、新衣装どころか燕尾服を持ってくるの…そうか、これ、ガラコンだったわ。と急に思い出す。
「おめでたいからみんなに揃いの黒い燕尾服を用意したからね!」っていう得意満面な刀ミュくん…マジ予想の斜め上だわ…あんたにはかなわないよ!!!


そしてこの衣装についてどう表現するかなんですけど笑、
わたしの周りを見ていて確信したんですが、これを「黒燕尾」と呼んでいる人は100%宝塚履修者ですね!笑
ここでは詳細割愛するけど、当方去年の秋に衝突事故のように突然宝塚に出会ってはまりしオタクになってしまったので(なんかしょっちゅう衝突してんね)、
もれなくわたしも「黒燕尾!?」としか思えなかったんだけど…普通はタキシードor燕尾服って言うよね。うん。
よその国(宝塚)に急に出入りするようになって慣れ親しんだ装いが、いきなり実家(刀ミュ)に現れたので、今回、本当に何が起きたんかと思いました。いやまじで。なんなん!??

◆mistake どうして君は

そうなるの?(あなぐま心の575)

いやさ~~~。動揺しながらも、一生懸命、「そうだよね!お祝いだから、めでたいな、あなめでたや~って歌ってくれてるんだね!」って、とりあえず意識を落ち着けるじゃないですか。
しかしそこにかかるイントロ。いや待てよおまえかよ
黒燕尾でmistakeってまじでどういうことなの?


もうここで動揺を処理しきれなくなり、初日はマスクの内側で気のふれたような笑い(※ただし無音)がひとり止まらなくなってしまいました…
だって、絵面が!絵面が!!!見たことないやつ!!!想像すらつかないようなやつ!!!
なんだけど、まって全員しぬほどかっこいい…!!!!!
本当に、びっくりしたなーーーーーー…。なに考えてるんだろう刀ミュ。すげえよ。なにをどうしたらそうなるん???

「5周年のお祝いだからやっぱりここはmistakeだよね★」っていうのは当然うん、同意するんだけど、この光景どうやったら思いつくやつなの???でした。
それこそ5年間見続けてきた見慣れた振り付けが、なんだか見たことのない世界観の中で繰り広げられている…。
放っておいても体が勝手に刻めるリズムでペンライトを振りながら「いったいこれは何???」と、あっけにとられながら見ました。
そして目はひたすら三日月を追うんですけど…ちょっとなんかもうよくわからん。かっこよすぎて最終的におたくは無になった。
こんなの嘘だ!現実じゃない!夢じゃなかったらなんだっていうの!?と混乱した気持ちでいっぱいになります。。
…かっこいいです。。。(絞り出して結局それかよ)


mistakeは刀ミュにとって、わたしたちファンにとって、本当に特別な1曲。
毎年の冬のお祭り、らぶフェス2016から歌合まで欠かすことなく歌唱されてきた、刀ミュ2部の看板曲なわけですが、
そんなmistakeにまた、新たな歴史が刻まれる瞬間を目の当たりにしました。いやー、すごいことをやってくれたわ…。去年のこんぺいとう後のmistakeもどうかと思ったけど、今年のこれは上を行ったな。笑
だってあんなの、おたくの妄想みたいな光景だもんなぁ。それが公式のお祝いの場でバーン!と披露されちゃうんだもん。。
いつだって予想のつかないことばかりを見せてくれる刀ミュだけど、もうこの時点で、2部はお腹いっぱいでした。。あんなの勝てん!!!笑


その後、2部の楽曲もそれぞれ大変なんですが、すみませんいきなり推しのソロの話に飛びますね。これを書かないと今夜は眠れん。

◆進化を遂げ、もはや新曲になってしまった「Endless Night」

わたしが今回の2部で一番聞きたかったのが、三日月のソロ曲である「Endless Night」です。
トライアル公演で生まれ、阿津賀志山異聞本公演と、らぶフェス2016で歌唱された、客席を青一面に染め上げるラブバラード。
バラードだからこそ、歌唱力の変化が明確に現れると思っていたので、今のまりおくんの歌唱力で絶対にゼッタイに聞きたい!と思っていんたんですが、その夢が無事に叶いました…。


夜空にたなびく雲のようにスモークが流れ落ちる階段、三日月と星の輝く空を背景に、ひとり立つ三日月。
「散らばった星を 見上げてそこに」の歌い出しから、そのまろやかな響きに、一瞬で心がギュッとわしづかみにされる。
サビに向かって徐々につかう音が高く上がっていく、確信的な盛り上がりを持って作られたそのメロディを、
そのまま自らの体から溢れ出る音楽として歌いこなすまりおくんの三日月が、そこにいました。


もともと、三日月、というかまりおくんは、刀ミュのメンバーの中では歌はうまい方です。
とくにハリのある高音をしっかりと出せるので、目立つパートを任されることも多かったのだけれど、
でも今のその歌唱力は、かつてのそれとは全く別物になっていました…。

全ての音域で、自由自在に豊かにかかるビブラート。
どこかほんの少しだけ鼻にかかったような、独特の甘さのあるその声が、どこまでも柔らかに、空間中を埋め尽くすように響いていく。
サビの直前「手を伸ばして」で一気に膨らませたそのボリュームは、豊かにサビにつながって、そのまま途切れることなく続いていき…サビ1回目の「夜風にまかせ」は、絹のように丁寧なファルセットで。
出るか出ないかぎりぎりの掠れた声には決してならない、艶のある高音が、ただ心地よく耳に届く。

後半はCメロが特にそうなんですけど、エンナイはとにかく、音が高いところを移動し続けるんですよ。しかもロングトーンがある。
昔の三日月は、派手に外したりすることはめったに無い代わりに、頑張って内側から絞り出すような発声をしていて、
歌い上げるときの表情も眉間に皺を寄せるタイプのお顔が多かったんですけれど…今はそれが全く違う。
終始目をキラキラとさせて、穏やかに慈しむような笑顔をずっと顔中に広げていて…。
一切喉に頼らない発声になっていることが本当によくわかる。。一体どれだけボイトレを頑張ったのだろうと…。


そして大問題はラスサビ前のセリフ、「そばにいていいか?」
もうこれが…2021年になって、正解を聞いちゃったんだな。。という気持ちになりました。
もともと、トライアル・初演時代の「まだどうやって作品を進めていくかが手探り」だった頃に独特のアレだと思っているんですが、
なんていうのかな、「女性向けブラウザゲーム原案だから…お客さんがちょっと自分に投影できるような、ロマンチック要素いれたほうがいい?!」っていうような判断で入ったであろう演出で。
解けない魔法の「僕と一緒に行こう。」もそうだったんだけれど、聞いているとお客さん側も「は、はい!?」ってなるような、そういう要素はそんなに求めてないけどえーとどうしたらいい!?ってなる感じの演出だったと思っているんですよね。
歌う側としても、おそらくは何度も襲ってくる照れをかなぐり捨てて、役としてなりきった上で発してくれているセリフだったんだと思うんですが、
2021年に聞いた「そばにいていいか?」、過去のそれとは全く別物でした。
いい意味での上から目線が炸裂してて(だって天下五剣なんだもの)、もうそこには余裕しかなかった。
そばにいていいか?って聞いてるけど全然聞いてないよねってなる。いて当然ですけど何か問題がありますかという感じの…有無を言わさぬ圧さえある、それでいて柔らかな声…。
初日にそれを投げかけられた瞬間、冗談みたいに体がフリーズしてしまって、ペンライトが一切振れなくなってしまった…。ほんとびっくりした。。
そんな風にこのセリフを発するようになられたのですね…と感動しながら、もうなんか何も考えられなくなって一時停止。周りのお客さんから見たら面白いことになってたと思います(あ、あの三日月担しんだな、なったと思う)。


そのセリフのあとに待ち受けているラスサビ。
2回目の「夜風にまかせ」は、今度は地声で歌い上げるやつなのですが…ここのボリュームがものすごいことに…!
以前は勢いを借りて、当てにいくぞ!という力みを感じる瞬間でもあったのが、その気配はどこにもなくて、堂々たる発声で。
しかもその後の「音のない星空に包まれたい」も、苦しそうになることなく、余裕を持って歌いきれるという。。


以下は、刀ミュを離れたまりおくん推しとしてのこらえきれない心の叫び。
ずっと、この声が聞きたかったんです。待ち焦がれていた。
2020年に実現が叶わなかった大きなふたつのミュージカル。その「場」を奪われてしまったから、表現できないことが本当にたくさんあったはずです。
どれだけ努力を重ねても、最後のピースはたぶんその、お客さんのいる「場」によってしか埋まらなくて…
場がないことで掴めなかったものを、この3日間だけでも、まりおくんが急速に手にしていっているのを目の当たりにして、万感の思いが溢れました。
苦しくて悔しくて、言葉にならないことが、振り返れば本当にたくさんありました。
それを乗り越えた今、こうして、やりたいと願う表現を心のままに歌いこなしてみせるまりおくんの姿が見られて。こんなに幸せなことはないです。
三日月として、また新しく大きな姿を見せてくれて、本当にありがとう。


トータルで、公演3日目になった11日の歌唱が、本当に凄まじかったです。
本人の中にあるこうしたいという内容と、歌っている間の感情と、発現させられる技術的な側面が、すべてぴったりと噛み合ったんじゃないかと思わされるような、
ひとつ違う次元に進んだことを感じさせられるような歌声でした。
もともとまりおくんの三日月のために作られた曲だけれど、それを新たな段階で歌いこなしていて、もはや新曲のようになっていた。
公演期間中、まだまだ進化していくんだろうなと確信させられて、本当に千秋楽までが楽しみで仕方ないです…。
あぁ、生きててよかった!

◆制約のある中で魅せきった演出。シンプルさの中に際立つ美しさ

今回の2部は、これまでになくずっと同じ衣装で通す形となりました(獣で上着なしスタイルにはなりますが)。
音曲祭、おそらくは舞台上の人数密集を避けるための工夫として、普段ならいるダンサーの皆さんがいらっしゃらないのですよね。
そして多分袖での動線を限りなく単純にしようという意味もあっての、衣装チェンジも無しなのだと思われます。
つまり、今までやってきたような変化に富んだ演出手法が使えない。
できる範囲で、どうやったら見応えを出せるだろうか?と、練りに練られた結果として、
「刀剣男士のみが燕尾服で歌い踊る」という前代未聞のステージになったのだと思うのですが…すごかった。

シンプルに削ぎ落とされているからこそ、一切誤魔化しは効かなくて、刀剣男士のみんな一人ひとりの力量だけが頼りである、とてもストイックな表現。
でもそれは見ていて決して寂しさや物足りなさを感じさせない、とてもゴージャスでカラフルな、夢の世界でした。
各自が背負うものもきっと大きかっただろうし、稽古場ではおそらくコミュニケーションに制約があるような中なのに、これだけのものを見せてくれる。
間引いた客席で、悪化していく状況の中で…どれだけのものに向き合って、今この作品が上演されているのだろうと考えると、胸が締め付けられる思いになるのですが、
観ている間はこの世の憂さがすべて頭の中から消し飛ぶような、爆発的なエネルギーに満ちていました。
まさしく生の喜びに満ち溢れた時間を、過ごすことができました。


最後の全員による「刀剣乱舞」では、今回のために新しい歌詞が書き下ろされていました。
阿津賀志・つはものメンバー、幕末・むすはじメンバー、三百年・葵咲本紀メンバーでチーム分けされた歌詞は、
それぞれの連作を思わせる言葉がふんだんに織り込まれ、歴史が凝縮された特別なものに。

この歌い出しの部分で、三日月に任されている役割がまた…言葉にならん…。
全ての瞬間が、一枚の美しい絵のようです。時が止まっているみたい。
客席に背中を向けた状態でポーズをとり静止する場面が何回かあるのだけど、その背中で語れるものが、あまりにも大きすぎて。
こんなにも、大きな背中になられたのですねと…
トライアル、阿津賀志の頃は、まだ悩みながら、役に求められるものと自分とのギャップに悔しさを感じながら、
刀ステの鈴木拡樹くんの三日月と比較されることにプレッシャーを感じながら…
そうして努力の果てに積み上げてきたまりおくんの三日月が、
今やこんなにも、誰にも追い越せないような、立派な背中で、作品の5周年を背負えるようになっている。
その事実に、ただただ胸が熱くなります。


オーケストラアレンジがなされた「刀剣乱舞」は、これまで聞いたことのないほど、勇猛果敢でゴージャスなものでした。
Cメロの歌詞は、何があっても諦めなどしない、歩むことをやめないという、強い意志や覚悟が溢れんばかりで、
歌っている皆の気迫もものすごく…こんな正面から鼓舞されて、元気のでないことがあろうか?と思いました。
夢や希望を背負う立場は、本当に過酷だと思います。
それなのに、こんな風にエンターテイメントを通して、まっすぐに「生きる力」を与えてくれる。
刀ミュという作品がもたらしてくれているもの、そのかけがえのなさと、ここまで重ねてきた歩みを、
ファンの一人として、心から誇らしく思いました。感謝の気持ちでいっぱいです。



エンナイに巨大感情が爆発しすぎてほぼその話しかできなくなってしまった…これを書かないと本当に情緒が保てない!ってやつでした。


今この作品を愛していて、どこかに悩みを抱えていない人なんて誰もいないと思う。
それぞれの立場で、現実に向き合って、自分はどうすべきなのかを問いながら、公演期間を各自の形で過ごしている、そんな気がします。
公演ができることを、手放しで喜んでもいられないということも、わかってはいる…けれど、今このときに音曲祭が上演されている事実が、涙が出るほどに嬉しいです。


どうか、無事に千秋楽まで。
1月23日のラストまでを駆け抜けられることを、心から祈っています。

改めまして、ミュージカル『刀剣乱舞』、5周年本当におめでとうございます!
やっぱり、刀ミュが好きでよかった。

刀ミュ 壽 乱舞音曲祭 1部パートの感想

1月9日に、予定どおりに初日を迎えた、刀ミュ5周年を記念する演目、壽 乱舞音曲祭。
musical-toukenranbu.jp

一筋縄ではいかない、過去に類を見ないあまりにも困難な状況の中で幕の開いたのこの作品は、
今のわたしたちにどうしても必要な、希望の光そのものでした。
以下に感想を書きます!(もはやいつもどおりではありますが、三日月についてが多めになります。)

※追記:今更ですがネタバレしかしていません!




会場に響く、演奏前のオーケストラによる音出しのにぎやかな楽器の音。これ、わざわざ録音したんですね!になった、ガラコン感が出てすごく好き!
その音色が鳴り止んだ後、ステージ上に現れたのは、日向正宗と浦島虎徹
刀ミュで恒例になっている”上演中の諸注意”を客席に伝えつつ、とくに「光る棒」=ペンライトを点けるタイミングについてを、二振りが実技を添えてレクチャーしてくれるコーナーから始まりました。

パライソで初登場だったこの二振りを、初めて目にするお客さん、本当に多かったはず…。
初日、お客さんを前にした日向くんも浦島くんも、まさに万感の思いをたたえた表情をしていて、もうこの時点からこちらの涙腺が怪しかった。また舞台に立てて、本当によかった…。
普段は刀ミュ本丸の審神者の声で「ここぞ!」というペンライトのつけ時を教えられるわたしたちですが、もうそれは文脈として共有してるよね!とでも言うような振る舞いで、正面スクリーンにそのまま「ここぞ!」の画像を出してくる今回の方式、斬新で笑ってしまいました。(「ここぞ!」「消灯」、地味に忙しくて大変なんじゃ!笑)


そして滞りなくレクチャーが終わり、笑顔でふたりがはけていったその後、暗闇に包まれる会場。
どこからともなく響いてくる、びゅうと吹きすさぶような、激しい風の音。
もはや耳に馴染んでしまったその音の中、白っぽくぼんやりとした光に浮かび上がるように、ステージが明るくなっていきます。
地を這う靄のように流れ落ちるスモークの中、ひとり階段状のセットの頂点に佇んでいたのは、予想どおりに、三日月宗近の姿でした。
その手に携えるは、他でもない、蓮の花。

「しくしく くれくれ しくしく くれくれ…」

阿津賀志山異聞2018巴里の冒頭とまったく同じその演出に、心臓が止まるかというような思いになりながら、それでも耳はしっかりとその声を聞いている。
あぁ、またあなたはそうして一人で。時の流れの中で、誰かに思いを馳せているのですね、と。
「半座わかつ 華のうてな 誰が為にここにある」の、あの高音を。またリアルタイムで聞く日が来るとは、思わなかった…。
息の根を止められたようになってぼんやりしているところに、舞台上の三日月はどこか遠くを見やるような眼差しで、ひとり静かに微笑むのです。
5年という時間について「瞬きほどの時間のようで」と表現しながら、その透徹した瞳で来し方を思い返しては笑み零す天下五剣。

そう、5年。その時間をわたしたちは、この本丸と一緒に過ごしてきた。
辿ってきた足取りを、重ねてきた時間を、共に紐解いていく、これから訪れるのはそんな特別なひととき。


◆「5年間の歩み」を丁寧になぞる1部

幕開けの仕方にもう情緒がめちゃくちゃにやられてしまいましたが、結論からいうと、1部はそのまま「ミュージカルパートの楽曲を、作品ごとに順を追って振り返る」という、ごくシンプルな構成になっていました。
しかしシンプルであるからこそ、正面からその作品の存在を突きつけられるというか、ありありと思い出せる部分が増えるというか…。
それはまるで、自分の中にある刀ミュの思い出を、観劇しながらひとつひとつ、丁寧に取り出して見つめ直していく作業のようでした。


まず最初に歌われたのは、「名残月」。
阿津賀志山異聞の公演では岩融が歌うこの曲を、今回歌唱したのは小狐丸。
何度でも言いたくなってしまうけど…本当に、小狐丸殿も、歌がうまくなられた…!
それはもう、トライアル・阿津賀志山本公演の頃と、最早比べることができないほどに。
涼くんの小狐丸の歌声、なんて表現したらいいのかわからないのですが、歌唱法がとっても「和」の世界観に似合う気がして、他の刀剣男士にはない味わいにあふれているのがとっても好き。


そしてそこから再び舞台上に現れるは、やはり三日月宗近
「舞をひとさし」の一言から、「返歌 名残月」を歌唱してくれました。
もう。。もうほんと。。歌が…。まりおくんの歌が…。
その話は2部でさんざんするつもりですので、いったんさらっと流しますけれど… 歌が うまい。。。
「今咲き誇る 花の哀れよ」の高音ロングトーンでボリュームが爆発していたのは、阿津賀志巴里の2018のときにもうすでにびっくりしていたけど、
今度はそのあとの「消えゆく定め知りつつも」に差し掛かってもたっぷりとした声量を保っていることに、びっくりした。。。
もうまりおくんの歌が大変なことになっているということだけで1本記事書きたいよ…。
低音の響かせ方がまたどえらい進化している、とここで思ってゾクゾクしたんですが、いや~~なんかもうとんでもなかったんだよね。。。ちょっと、歌については後ほど2部パートでじっくり。。


その次に続くは、清光や鶴丸を迎えての「戦うモノの鎮魂歌」。これ阿津賀志巴里では歌唱がなくなった曲だったので、ほんっとうに久しぶりに聞いた!
あの三日月の衣装で殺陣を交えて舞い踊る姿、いつぶり?わたしが見てるこれ、幻?ってなって…なんかもう…なんかもう…!!!涙
初日、感極まってめちゃくちゃになった。。いや、もうすでにここに至る前にめちゃくちゃになってたけど。
歌って踊ってるよぉ!三日月がいるよぉ!!!ってなってしまい…この感情を、いったいどう表現したら良いんだろう。
こうして改めて文字にしていくと、初っ端からけっこうな分量で2年ぶりの推しに殴られていて大変だなぁ。。
いっぱいいっぱいになりながらオペラグラスを覗いているのですが、その隣に清光がいたり鶴丸がいたりして、その点においても「アレ?わたし、幻覚見てるのかなぁ…」って思いました。
この3振りが一同に会する日が来るとは…!という。なんかもうそれだけでも感無量になる。。視界にギュウギュウに詰まってしまう、刀ミュの歴史。。。


その後も、各公演の楽曲が、公演の時間軸をそのままなぞるリレーのように、刀剣男士たちによって歌い継がれていきます。
幕末天狼傳からは「ユメひとつ」、三百年の子守唄からは「瑠璃色の空」。
つはものどもがゆめのあとからは「ゆめのあと」、結びの響、始まりの音からは「序章」、そして葵咲本紀からは「太刀風」が。
各部隊、全ての刀剣男士が揃うわけではないので、ところどころに他の刀剣男士が参加しながら、全員でバトンを渡していくように歌がつながっていくその様子は、
まさしく刀ミュの歴史を追体験するようなひとときでした。
曲がりなりにもトライアルから見てきた身として、やはりその歩みのひとつひとつにはそれぞれの思い出があって…
続いてきたこと、守ってきたもの、積み重ねてきた努力。
嘘のないその「5年間」という時間をぎゅっと濃縮して総まとめするような。
「ものが語る故、物語」そのものを体現するような、演出がシンプルであるが故に、語られた物語の輪郭が際立つような、そんな印象を受けました。

◆観たかったものを見せてくれる時間。江の刀たちと虎徹兄弟

また、刀派として縁のある男士たちを揃えての嬉しい場面も。
葵咲本紀で篭手切江がまだ見ぬ夢のすていじを思って歌う「未熟な私は夢を見る」は、江の刀が勢揃いしての賑やかでゴージャスな場面が出現。まさしく夢のすていじ!
めんばーが増えた!って、嬉しくて鼻血が出そうになっちゃう篭手切くんを見てたら、もうこっちまで嬉しくなってしまって。。
もともと葵咲本紀を観ているときから大好きな楽曲だったので、「夢が叶ったねよかったね…!」という思いでいっぱいになりました。
江のみんな、揃うと絵面が最高に楽しいですね!
4振りそれぞれの個性がはっきりと出ていて、それでいてちゃんとチームとしてのまとまりがあって。
りいだあのど真ん中男前りいだあっぷり、どうなってんのほんとすごいよね!?って思うし、桑名くんは大地に根ざしたどっしりとした存在感を醸し出しているし、松井くんのノーブルでゴシックロマン…!って感じのどこか怪しい美しさがたまらないし。(特に踊る松井くん、とっても素敵だなと思ってみてます!)
こんな風に揃われたら、篭手切くんじゃなくても嬉しくなっちゃうよね!と思いながら、全力笑顔でペンライトを振るの、本当に楽しかったです…!


そして、浦島くんが海を見つめて歌うとある歌では、虎徹兄弟が勢揃いします。
「海は広いな 大きいな」から始まるこの歌、見ていれば察しがつくと思うので言っても良いのかな…と思うんですが、パライソの浦島くんのソロ曲なんですよね。
海を見つめながら「こっちの手には兄ちゃん!こっちの手にも、兄ちゃん!これで、どうだぁー!」って笑顔で叫んでいる浦島くんの隣に、本当に兄ふたりがやってくる場面、なんなら1部で一番泣いたかもしれない。。

長曽祢さんの笑顔は本当におおらかで広々としていて、はっちの表情はこれまで見たことないような柔らかくて優しいもので…弟を前にすると、そんな顔になるんだねってびっくりさせられた。。
あの時間に流れる、まさしく夕日みたいな色合いのオレンジ色のあたたかさに、胸が締め付けられるようで、見ていて涙が止まりませんでした。
糸川くんの浦島虎徹、本当によくぞこんな最高の弟が来てくれた!?ってなるような存在感。。
欠けていたピースがぴったりとはまったかのような、奇跡みたいな組み合わせ。
長くシリーズを見続けていると、こんな場面にも巡り会えるんだなぁと、しみじみと嬉しくなりました。


江のパートも虎徹兄弟のパートも、こちら側が「これが見たかったんだよ!」と感じるものをぶつけてくれるやつで、その手腕の確かさたるや、やっぱり刀ミュは流石だな!って思います。
ごく丁寧に、こちらが期待するものを、それ以上のクオリティでちゃんと届けてくれる、この信頼のおけるっぷりと言ったら。。
キャストのみんなも、本当に嬉しいんだろうな…というのが伝わる笑顔ばかりが溢れていて、
歴史を重ねてきたからこそ、今こういう場面が見られているということの喜びを、たくさん噛み締めました。

◆今見ているのは、夢なのか現実なのか。厳島神社奉納公演ぶりに披露された「まほろばに」

らぶフェス2017のラストを彷彿とさせるような「かざぐるま」の全員歌唱で、1部はクライマックスを迎える…のですが。
その後に待ち受けていた曲がまた、とんでもなくて。。

雅楽の笙や龍笛の音色が響く中、ステージ中央でスポットライトにひとり照らし出される三日月。
そしてその背後には、2016年の秋の夜に見た、厳島神社の鳥居が…。
厳島神社奉納公演のために当時書き下ろされた「まほろばに」が、あの日の夜以来、初めて歌われたのでした。


もうこの歌い出しから、頭をガンっと殴られたような衝撃が走った…
まりおくんの三日月の表情が、その佇まいが、もう「神様」そのものだった。

その透き通る青い眼差しに、いったい何を映しているのだろう。
悠久の時を経て生きるその身で、いったい何を感じているのだろう。
顔中に柔らかく、穏やかに広げたその微笑みは、
目の前のこのひとときを、ただ慈しんでいるような、
「今、ここに在る」ことに、ひとり静かな祈りを捧げるような…そんな表情に思えました。


眼前にする光景がやはりこの世の現実のものとは信じられなくて、夢かうつつか…と、ただ目を見開いて見つめることしか出来なかった。
ゆったりとした足運びも、袖を手繰る手付きも、頭上にかざすその指先まで、一部の隙も存在せず、完璧に全てが美しくて…
なんでそんな風に舞えるのだろうと、呆気にとられるような思いでした。
初日は3バルからだったのでオペラグラスを両手で握りつぶす勢いで見ていたのですが、自分の呼吸でレンズが曇るのが嫌で、本気で限界まで息を止めて見ていたので、
休憩時間に入った直後は頭が痛くなって、しばらく頭を抱えてうつむく羽目になりました(深刻そう)。


見ながら、時間が止まってほしいと思いました。
呼吸をすることを忘れて、ひたすらに息を飲んで見守ったその一挙手一投足が、あまりにも美しくて。
なんと表現すれば、あの存在感に追いつけるのかわからない。
あんな風に、どこか近寄りがたいほどの神々しさを身にまとっている三日月は、本当に初めて見た気がします。


12月にカレンダーのお渡し会があったとき、まりおくんは久しぶりに三日月を演じることについて、
「楽しみに、厳しい目で見てほしいです」と言っていたんですよね…。
刀ミュから離れていた期間が長いので、その間に経験してきたものでどんな風に演じるんだろうと、期待して見ていてほしい、といったニュアンスのことをおっしゃってて。
「うわぁ、自分から明確にハードルを上げてきたな!?」って思って、否応なしにワクワクが増していたんですけど、その言葉の意味が、嫌というほどわかった気持ちになった。

もう、こんな表現までたどり着かれていたのですねと、ただただ、感服する思いでした。
直接は演じていない間も、まりおくんの中には「三日月宗近」という存在が共にあり続けていて。
いざ蓋を開けてその存在を外に呼び出した結果、じっくりと内側で育まれた、全く新たな姿が、わたしたちの目の前に現れることになったんだなぁと。
表現の階段を、一気に数段飛ばしで登っていて、そんなところにいるなんて思いもしなかった、というような。


こんなものが見られる日が来るとは…と、言葉にならない思いが嵐のように胸の内を襲ってきて、もう何も言えない…になりました。
刀ミュの三日月が、本当に大好き。まりおくんの三日月が、いてくれてよかった。
他の刀剣男士に囲まれて、中央に立ち、看板を背負うその姿は、例えようもなく頼もしく、
そして1部のラストに、ちらりと背後を見返るその瞳には、ダメ押しで射抜かれて。。
なんかなぁ、もうなぁ…
「生きててよかった」以外の感想が思いつけなくってなぁ。。
こんなに幸せでいいのかな、って思ったな(しかし、ここまででまだ1部なのである)。



1部と2部でまったくベクトルの異なるそれぞれに恐ろしいものを剛速球で投げつけてくる、それが刀ミュ!
というわけでいったんここまでは1部のお話。続きまして2部を更新します!

(↓その後2部も感想書きました↓)
刀ミュ 壽 乱舞音曲祭 2部パートの感想 - こたえなんていらないさ

宝塚花組「花より男子」を見て盛大にバグったおたくの感想

あけましておめでとうございます!
きのう、覚悟を決めて宝塚の花男を映像で見ました。
kageki.hankyu.co.jp
事前に予想していたとおり、見た結果無事に頭がおかしくなってしまったので、その感想を勢いだけで書きますという記事です!(そして開き直って道明寺の話しか書けないですごめんなさい~!)




◆前フリ:「そんな恐ろしいもの見てたまるか!」

昨年10月に「はいからさんが通る」をうっかり現地で見てしまって以来、いったい何があったの?という勢いでゴロゴロと柚香光さんおよび宝塚に転げ落ちているわたくし。
参考までに現時点での進捗を申し上げますと、

  • 宝塚友の会:入会済
  • CS専門チャンネルタカラヅカスカイステージ」:契約済
  • 「歌劇」「宝塚GRAPH」年間購読:申込済
  • 花組以外の現地観劇:月組WTT/ピガール狂騒曲、2回見てきました、たのしかった)

…まぁそんなかんじです。いや、進捗順調かよ。
歌劇とグラフが今後たくさん増えそうだなと思い、本棚を買い換えた際にはその2誌がぴったりおさまるサイズの棚を用意したり、年末を前にスカステで録画容量が死にそうだなと思ったので、レコーダーに新たに4TBの外付けHDを設置したりしています。柚香さんが出ている作品の映像もコツコツと集めだしました。そろそろヅカオタを名乗れそうになってきている。どうして???
約2ヶ月で各種インフラを爆速で整えてしまっておりまして、おかげでこの年末年始の休みはたぶんトータルで十数時間は宝塚関係の映像を見てしまいました。(とってもたのしかった!)


そんなこんなで10月以降、様子がおかしくなったわたしに対して、なんだかやたらたくさん花より男子を見てください!」って、Twitterで猛烈に勧めて来る人たちがいらっしゃったのですよ。

なに、花男…?ほほう…道明寺司で、柚香さんが主演だと…?
だいたい想像がつくよ!!!それ、とっても恐ろしいやつだよ!!!(確信)
というわけで「そんな恐ろしいもの見てたまるか!」と言って拒否をし、まぁ時期が来たら見ますね!と逃げておりました。



(全力で逃げようとする様子)

…なのですが、年末にちょうど、WOWOWで放送があったんですよねー。
そうか~放送あるか~ってなると、そりゃあ、せっかくだから録画するよね。
んで正月休み、最終日に時間が空いて暇だなと思った時、見るよね…。
うん、見ちゃったんだよね…。
結果、想像どおりにたいへんおっかない目に遭いました。柚香さんはおっかない。(ほめています)

◆恋する道明寺の破壊力、計測不能

やはりそこは道明寺ですので、つくしから見たとおり、最初は印象最悪な金持ちのボンボンとして、それはまぁにぎにぎしくご登場なさるわけです。
感じ悪くていじめっ子で、ほんっと、最低な奴~!って、言われても仕方ないような。(…いや、それでもかっこいいんだけど)(隠せない本音)

柚香さんが演じていてもそこはもちろんしっかりと、キャラクターとしてはものすごぉく「嫌な奴」なんですけど…しかし。
つくしへの恋心を自覚した後の変貌ぶりが、やばい。
いやなんで急にそんな可愛い???
…すっごかった~~~~。。。びっくりした~~~。。
あまりにもカラフルに息づいているその「恋心」の表現に、見ていて目が飛び出るかと思いました…え…なんであんなことができるの…?
画面越しなのに、映像なのに、TVの中で炸裂しているその恋心を受け取りきれずにキャパを超えてしまい、頻繁に一時停止をはさみながら見る羽目に。。


なんていうか、本当にびっくりするくらい、「男子高校生」なんですよ…。
好きな子を前にしてドキドキして、カッコつけたくて、素直になれなくて、どうしたらいいかわからないその様が、顎が外れそうに可愛くてリアル。
いや、小学生かよ!?って言いたくなるような子供っぽいリアクションをしてみたり。。
そんな中で好きな女の子の隣にいられて、彼女が自分のことを見てる!っていう瞬間には、耐えきれずに心からの眩しい笑みを零し、それこそ全身を使って喜びを表現してしまう…。
2幕頭の別荘に来たぜ!のところとか、俺、牧野のこと大好き!って認めちゃってるからなのか、大はしゃぎで波打ち際で駆け回る大型犬みたくなってたし…可愛さが度を越しとる。落ち着いてほしいになった。


道明寺柚香さん、その表現のひとつひとつが、なんていうか本当に鮮やかで、目が惹きつけられてどうしようもなかったです。
1ミリたりとも、その存在が平板になることがない。
役としてリアルに「その場で生きる」力が抜きん出て強い方だなということを、改めて実感しました…。
存在すべてを使って役作り、表現をしていることがわかるというか。
目に浮かぶ表情、その視線の強さ、ちょっとした身振り手振り、なんかもうその佇まい全てで「恋」してることがありありと伝わってきて、本当にたまげた。。
あんなに嫌な奴ではじまるのに、そんな道明寺の恋がうまくいかない様子を見ると、こちらの気持ちが驚くほどに苦しくなってしまう…。
フォロワーさんも言ってたとおり、絶対に幸せになってほしいって、見ながら自然と願ってしまうんです。「あぁ~そんな傷ついた顔しないで!大丈夫!きっとだいじょうぶだから!」って、必死で励ましの声をかけたくなってしまうような。。
つくしでもないのに、こんなふうに気持ちを引っ掻き回されるなんて一体どういうことなんだ…と、見終わる頃にはヘトヘトになっておりました。

◆道明寺さんは踊らないでほしい(それは無理)

その大爆発している恋心のさまだけで、もう見てるこちらはボロボロなわけですが、当然のこととして、めっっっちゃ、踊るんですよね…(うん、宝塚だからね…。)
道明寺は全編通してわりとタイトなシルエットのパンツをお召しなのですが、そういう服着てなんでそんな動けるの!?だし、とにかくキレが凄まじい…
いやもう、柚香さんなのでダンスに関してはそれはそう、という感じなんですけど、でもさ、にしたって~~~
…かっこよすぎる~~~~~…(THE END)

一幕のわりと序盤、攫ってきたつくし(※シンプルに人さらいしててひどい)を、エステやなんやらで変身させるシーンでは、なぜかずっとマイケル・ジャクソン風に踊ってらっしゃるんですが*1、何が始まったのかわからず、ただ圧倒されつつぽかんとして見入ってしまった。
だって、ムーンウォークまでしてたよ?????いやなんでそんなことまでさらっとできる????なにもの???

そもそもがビジュアルの時点で有無を言わさず最強なのに、それで踊られたらもう、たまったもんじゃありません…!となり、とりあえずしばらく「踊らないでほしい」と思いながら見る羽目になった(無理な相談である)。

英徳学園の支配者として君臨する様も、真夏の海に大好きな君と来たぜひゃっほう!も、道明寺司のダンスレッスンも…
場面場面によって、振り付けを通して伝えてくる心情が、また全然違っていることも伝わってきて。。
柚香さんがセンターで踊りだした瞬間の、場の掌握力って、まじで半端ないものがありますよね…
あ~~~もう無理無理、完全降伏絶対服従~~~~!って頭の中で叫びながら、平たくのされたようになりながら見てました。そりゃ頻繁な一時停止も挟むわ。
家だったんで思わず「かっこいーーーー!!?」って笑い声漏らしたりしましたからね。危ないやつ。


あとさ~~~最後の、フィナーレのデュエダン~~~~!!!!
あれ、ほんとなんなの!!?(キレんな)
つくしを演じていた城妃美伶さん(つくしすぎて本人か?なった、かわいすぎる)との、うっとりするような徹頭徹尾”LOVE”に溢れたデュエットダンス。。
柚香さん、デュエダンだと本当に作り出す空気が別なものに変わる!!!それがまたすごい。
相手役の娘役さんのことを全身全霊で包み込もうとするような、いま、ベースに超弩級の愛がありますよね…?ってなるような…
まじでご本人が包容力のかたまりになって、踊ってらっしゃるなとおもう。。
なんであんなふうに、瞬間的に柔らかくてあったかい空気をまとえるの?って、見てて目が点になってしまうんです。驚きすぎて。。
そして問題はそんなデュエダンのラスト。
踊り終わった後に、そっと手を差し出すもなぜかふいっとひっこめた柚香さんに、しろきみちゃんが「え?」って顔になったところ、今度はいきなり強引に手をギュッと掴んで、そのまま満面の笑みで風のように駆け出していったので「この初恋泥棒ーーー!!!」みたいな気持ちになりました。
あれ、見てて萌えすぎて、耐えきれずに顔を覆ってしまったほど。。奴はとんでもないものを盗んでいきました…をひとりで思わずやり始めてしまうほど…いや恋…泥棒…(おちついて)

現代日本の男子高校生役。宝塚の「魔法」が使いにくい中でも輝く柚香さん

これはあくまでも発展途上の初心者の感想として聞いてほしいのですが、柚香さんの道明寺のすごさがどこにあるのか、昨日からいろいろ考えていたことを書いてみます。

花男は、舞台が現代日本で、主人公たちは全員高校生。ゆってしまえば、わかりやすく「現実と地続き」の世界であると言えると思います(英徳学園みたいな高校が本当にあるかは置いておいても)。
これって、わかりやすく言うと、宝塚的な「魔法」が、使いにくい環境ではないかな、と思ったんですよね。
たとえば歴史もののゴージャスな衣装もなく、描かれているのは過去のどこかの異国でもなく。
構造上、ある種の”ファンタジーとしての別世界が、視界にわかりやすく提示されるタイプの作品ではないので、フィクションを成立させる説得力に、物語の外側の構造の力は借りにくい特徴があるように思います。


詳しいことはわからずに言ってますが、そういった”ファンタジー”の中においての「これが宝塚的かっこよさだ」という文脈は、ものすごく確固たるものとして構築されてきているんじゃないかなと、想像しています。
そしてそこにある種の正解・正統派のようなものも、演じる側と見る側に共通して構築されている部分もきっとあるんじゃないかな…と、初心者はぼんやりと思うわけなんですが、花男っておそらくはその文脈からは、やや外れたところに位置するような作品だと思うんですね。
そうなったとき、たぶん「その作品において体現しなければならないかっこよさ」って、また全然別種の、違うものになっているような気がして。
うまく言えないのですが、構造的な部分に担保された、伝統的な男役としてのかっこよさの「魔法」を決して使いやすい状況ではない中で、それでも見る人を圧倒して惹きつけるような役作りができるとしたら、
それってやっぱり、本人が持っている「演じる力」の確かさによるものなんじゃないかなぁ…と思うのです。
柚香さんは、それがとてつもなく強い方なんじゃないかな、という印象を個人的にものすごく受けています。
役として生きることを徹底して掘り下げる、お芝居の人でいらっしゃるのだな…というような。だからこそ、あんなにも見る人の気持ちを動かすことができるんだろうなと。


わたしははいからさんでドボン!と思いがけずに大海原へのダイブを決めてしまった人間なんですが、ここで書いた内容は、はいからさんを見ていて感じたことにも繋がっています。
柚香さんの演じる少尉、本当に頭がおかしくなりそうに魅力的だったんですが、
劇場ではいからさんを最初に見たときに抱いた感想の芯に、「生き生きとした恋心の表現に惹きつけられた」という感覚がありました。
わたしが柚香さんを好きになった根っこが、たぶんここにあるような気がします。
言わずもがなで最早野暮ですが、お顔立ちの美しさ・スタイル・ひときわ水際立ったダンス…あげればきりがないそういったもの全部ぜんぶ、言葉が追いつかないほどに素敵なことは大前提!として、
それでも、はいからさんでわたしがあれだけ一気に気持ちをぐいっと強引なほどに持っていかれたのは、少尉が紅緒さんを想う、あの繊細な恋心の表現のせいであったように思えるのでした。


…こういう書き方をすると、まるで漫画原作モノでしか真価が発揮できないみたいな風に書いてると受け取られかねない!?(心配性)
それは断じて違います!わたしが言いたいのはそういうことではない!とひとりで念入りに大声で叫びつつですが、
おそらくは宝塚的にややイレギュラーな場においても、それをハンデとせずにむしろ強みに変えてひときわ輝いてしまえる。それが柚香さんの魅力のひとつというか、持っている力の確かな部分なんじゃないかな…と今回花男を見ていて思ったので、それに感動したさまを好き勝手に書いてみました。

なにが言いたいかというと、わたしは柚香光さんが好きだ!(それは言わんでもわかっとる)

逆に、わたしは観劇体験としてこういう入り方をしてるので、これから先の、花組の真ん中に立っている柚香さんのどんな新しいお芝居を拝見できるのか、それがますます楽しみにもなります…!
「どんな姿を見せてくれるのか全然予想がつかない」って、役者さんを応援していてものすごく嬉しいことのひとつだと思うんですよね。
この先に見られるものが、本当に楽しみだなぁー!



わかっちゃいたけど2021年も舞台には変わらず受難が待ち受けていそうで、正直リアルタイムで気持ちはとても苦しいですが、
「NICE WORK IF YOU CAN GET IT」は無事に著作権をクリアしてライビュもやっていただける…!とのことなので、
何らかの形で、その姿が見られますようにと、今はひたすら繰り返すように祈っています。
kageki.hankyu.co.jp
1月9日、大好きな人達の初日が重なっていて、そのどちらも無事であってくれと、願うばかりです。

*1:複数のかたから、あれは演出家の先生の好みで…!と背景など教えていただきました

2020年の観劇とイベントまとめ

毎年やっているので今年も書きます!総決算。
様相が大きく変わったこの1年、オンライン含めて何を見たか?という記録を残したいので、★=現地、●=配信/ライビュという感じで印をつけてみました。




◆1月

1/4 ★刀ミュ 歌合乱舞狂乱(たまアリ)
1/5 ★刀ミュ 歌合乱舞狂乱(たまアリ)マチソワ
1/19 ★黒羽麻璃央 ファンミーティング2020(東京)1部2部
1/22 ★刀ミュ 歌合乱舞狂乱(武蔵野)
1/23 ★刀ミュ 歌合乱舞狂乱(武蔵野)マチソワ ※千秋楽
1/25 ★テレビ演劇「サクセス荘」大同窓会 1部

◆2月

2/15 ★15th Anniversary Super Handsome Live「Jump With You」ソワレ
2/16 ●テニミュ3rdシーズン 全国大会 青学VS立海 後編ライビュ
2/22 ★The Brow Beat Live Tour 2020”Adam”(LINE CUBE SHIBUYA)

◆3月

3/22 ★刀ミュ「静かの海のパライソ」ソワレ
3/24 ★刀ミュ「静かの海のパライソ」ソワレ

◆4月

なし

◆5月

なし

◆6月

6/4 ●本多劇場「DISTANCE」(小林顕作さん回)
6/27 ●僕とあいつの関が原/俺とおまえの夏の陣

◆7月

7/11 ●TOHO MUSICAL LAB.(CALL/Happily Ever After

◆8月

8/1 ★ジャージー・ボーイズ inコンサート マチネ
8/11 ●刀剣乱舞 大演練 控えの間
8/15 ●ニコニコネット超会議 黒羽麻璃央オンライン朗読劇「たもつん」
8/16 ★THE MUSICAL CONCERT at IMPERIAL THEATER(プログラムA)マチネ
8/20 ★THE MUSICAL CONCERT at IMPERIAL THEATER(プログラムB)ソワレ
8/22 ●テレビ演劇「サクセス荘2」振り返り上映会

◆9月

9/20 ★ミュージカル「フラッシュダンス」マチネ
9/22 ★刀ミュ「幕末天狼傳」マチソワ

◆10月

10/3 ★黒羽麻璃央バースデーサイン会
10/4 ●山崎育三郎プレミアムコンサート~幻のトートからのエール~
10/9 ★刀ミュ「髭切膝丸 双騎出陣」ソワレ
10/11 ★宝塚花組はいからさんが通る」ソワレ
10/18 ★ミュージカル「ローマの休日」ソワレ
10/24 ★恋を読む Vol.3「秒速5センチメートル」マチソワ
10/25 ★恋を読む Vol.3「秒速5センチメートル」マチソワ

◆11月

11/3 ★宝塚花組はいからさんが通る」ソワレ
11/7 ★宝塚花組はいからさんが通る」マチネ
11/14 ★宝塚花組はいからさんが通る」マチネ
11/15 ★宝塚花組はいからさんが通る」マチネ/ソワレ(ライビュ)
11/21 ●刀ミュ「幕末天狼傳」ソワレ
11/22 ★刀ミュ「幕末天狼傳」マチネ
11/24 ●小山内三兄弟オンラインパーティー2部
11/29 ★ミュージカル「プロデューサーズ」マチネ

◆12月

12/5 ★宝塚月組 WTT/ピガール狂騒曲
12/13 ★黒羽麻璃央 2021カレンダーお渡し会(東京)1部~3部
12/19 ★宝塚月組 WTT/ピガール狂騒曲



印つけてみたけど、配信系で見たものが本当に少ないな…?と驚きました。ここまで比率偏っていたか。
公演が再開されだした夏以降に、現実への「コノヤロー!」感がダダ漏れている。
現地に足を運んだいわゆる現場の数としては、たぶん昨年の3分の1くらいです。
テニミュの全国立海、ハンサムライブ、ブロビツアーファイナル…
どれもギリギリで辛くも見ることができたんだなぁ。


今年は「あったはずのもの」の面影を追い続けるような前半と、「今あるもの」にひたすらに全身全霊で向き合うような後半でした。

同じように舞台が好きであっても、立場によって見える景色が違いすぎることがとても気にかかる昨今です。言うなれば分断に近いものがある。
わたしは群を抜いて自分を立場上「気楽な方」だと思っているから(関東住まいで健康不安のない夫婦二人暮らし、仕事も在宅)、そこについて咎めるような気持ちが湧く面もありますが、
さりとて行ける立場で劇場に足を運ばなかったとき、残るものは一体なんだろう、とも思います。

自分自身については、舞台がないと絶対に生きていけないことを、ただひたすら痛感し続けた年でした。
先の見えない世界の中で出会ったものは、どれも全てかけがえがなくて、客席に座って拍手ができる喜びは、何物にも代え難かった。


本当に、思っていたのと全く違う1年になっちゃいましたね。
それに少しでも意味を見出そうとしてしまうのが人間なんだろうなとも思うけど、とにかく今を生き延びるしかない。思い返すとつい暗くなるけど、いままた落ち込んでも仕方ないですもんね。
少しでも多くの幕が、上がり続けますように。少しでも多くの人が、好きな作品を見に出かけられますように。
この先またいろんなことがあるだろうけど、それでも絶対に「諦めてなんかやるもんか」って信じて。
起きる出来事の全てを柳に風と受け流すのは難しいけど、たまにへこたれて萎びたりしながら、それでもしぶとく楽しく、生き抜きたいです。

皆様もどうぞ、よいお年を。

刀ミュ 幕末天狼傳2020の感想その2(主に沖田くん/清光/安定をめぐるあれこれ)

前回の記事、一番書きたい内容にたどり着けないままだったので、改めてそこだけにフォーカスした記事をさっとまとめます!
(毎年大晦日になんやかんや必死で何かを書いている気がする…!)
anagmaram.hatenablog.com




◆心情を表に出す部分がぐっと増えた清光

初演では、沖田くんを追い求める安定を、ひとりそっと後ろからただ見守り続けている…という雰囲気の立ち位置で描かれていた加州清光
ふたりでひとつ、いわゆるニコイチである沖田組において、清光から沖田くんへの執着は果たしてそんなに薄くて大丈夫なのだろうか?表に出さない分、内面ではものすごい無理をしているのでは…?と、見ていて心配になるくらい、初演の清光は大人びていたように思います。
愛したかつての主が決して助からない、その運命をひとり、淡々と受け入れているように見えて。
でも今回の再演で、そんな清光の描かれ方は大きく変化していました。


まず、ソロナンバーが追加されました。タイトルは『あかき花 散り紛ふ』。
その歌詞は、戦いの中で折れた刀としての自分の来歴や、歴史の中で眩しく散っていった新選組の姿を深く思うようなもの。決して荒ぶることはないけれど、内に秘めた思いの濃さがぎゅっと詰まっているようで、なんというか「静かな激情」を思わせるような歌詞でした。矛盾するようなその言葉が、とてもしっくりくるような世界観の歌。
それを表現するりゅうじくんの清光の歌声が圧巻で…本当に、また歌がうまくなられたなと…。
聞いた瞬間に「あ~これは和田俊輔さん」とわかる、あの難しそうすぎる複雑なメロディを、自分のものとしてしっかりと歌いこなしていて。
「切な気」という言葉ひとことで表してしまえば簡単なんですが、それだけでは表現が追いつかないというか、もったいないというか。
瞳に込めた思いの強さと、奥底にある炎のきらめきと、どこかで何かをほんの少しだけ諦めたような哀しさと。
あれだけ誰にも負けないほどに愛らしくありながらも、哀切をわずかに覗かせるその塩梅が、とにかく見事だなと思います。りゅうじくんは、歌声に心情を自然に滲ませるのが、やっぱり抜群に上手い。
清光にこの歌が増えていたこと、本当に嬉しかったな…。


そして文久三年の武州多摩に出陣後、沖田くんの姿を目の当たりにしたのち、安定が「新選組に入隊することができたら、沖田くんを守ってあげられるのにね…」とこぼすシーン。
ここでふた振りに追加された『のら猫二匹』という曲がまた…!正気を失うかと思うくらいに、可愛かったです。
いやぁびっくりしました。あまりの可愛さにディズニーかな!?ってなった。
沖田組を好きな人、あの瞬間に死んでしまっていませんか…?と思うような、まさしく夢の光景でした。
清光と安定の、ほかの刀剣男士の中においてもちょっと珍しいような、横並び・イコールな唯一無二のペア感が、これでもか!というくらいに表現されていたナンバーでしたよね…。
また歌ってる最中の、二人の表情が見事なんだよな!?
「青い瞳のたれ目!」って言われたときの安定は「えぇ~何?僕のこと?」って感じでそこでようやく気づくような様子が可愛いし、
「赤い瞳のつり目!」って返された清光は「もう、なんだよぉ~」みたく、ぎゅーっと眉根を寄せてイー!みたいな顔をしてて…むちゃくちゃ可愛かった。。
そんでもって、最終的に「本当は 甘えたい」で互いに指差ししながらユニゾンされてしまって、わたしはもう。。
そうだよねーーーーー本当は、甘えたい、よねーーーーー!!??になってしまった…。
そんな風に、本音らしきをふた振りがそろって表現する場面があることが、とても嬉しかったのです。


沖田組のふた振りに関してもうひとつ、再演でびっくりした変化がありました。
千駄ヶ谷に訪ねてきた近藤さんと土方さんを見送ったあとの沖田くんが「僕の夢は…叶ったんだ」と笑顔になり、次の瞬間ひとりで激しく咳き込むシーン。
その辛そうな姿を目にして、初演では、安定ががっくりと落ち込んだようにうなだれ、清光はその背後から安定に手を差し伸べようとしますが、思い直したようにその手を引っ込めてしまう、という描写がありました。
しかし再演では、この役回りが、綺麗に反転していたのです。

同じ場面、苦しそうな沖田くんを目の前に、立ち尽くす清光と安定。
次の瞬間、清光はぐっと深く視線を落として拳を握りしめ、そのままなにかを振り切るかのように、その場から駆け出してしまうのです。
そんな清光に驚いたようにはっと顔を上げて、その後姿を視線で追いかける安定。
役割が逆転したこの沖田組の様子には、本当に驚かされました。

仲間に無理を言って、因縁の池田屋事件でも沖田くんと行動を共にさせてもらい、刀だったころの心残りに決着をつけることができた安定。
そうしてそれまでの過去に比べて、明確に一歩を踏みだせた安定に対し、実はまだ表現しきれないわだかまりを抱えているままの清光。
そうだよな、清光にだって口にしてないだけで、向き合うとどうしたらいいかわからなくなる感情が、本来たくさんあるはずなんだよな…って、しみじみとしてしまった。

近藤勇処刑の日。そこに駆けつける沖田総司、その背景にあったもの

初演の沖田くんは、人の言葉を喋る黒猫に近藤さんの処刑を教えられ、その言葉にそそのかされるように、手に握る刀の力にその身を操られるようにして、処刑の現場に現れます。
処刑の事実を告げられて動揺するものの、すでに自由に動き回る体力を失っている沖田くんに対して「私なら、貴方に力を貸してあげられますよ…」というその黒猫の存在は、明確に語られることはありませんが、処刑を阻止する=歴史を改竄するというその狙いからして、明らかに歴史修正主義者側のもの。
つまりは、物語における「敵方」によって、意図しない形で自らを乗っ取られているという描写となり、その姿は阿津賀志山異聞の義経の姿と重なるものです。

個人的にはですが、この描写があまり得意ではありませんでした。
理由はシンプルで、本心とは異なる形で意志を乗っ取られている元の主って、見ているとなんともいえない辛い気持ちになるもので…。
ふらつきながら駆け出した沖田くんの背後に猫の鳴き声が重なり、おそらくは菊一文字を意味するのであろう菊の紋を背景に、刀のシルエットがおどろおどろしく映し出される…という演出も、なんだかそれまで描かれてきた世界観の中からするとひとつ飛躍があるように感じられて、当時見ていて自分の中ではうまく飲み込めなかったんですよね。
…というのも多分無理はない話で、まだシリーズ二作目だった初演時、史実をベースにした物語に刀剣男士という存在を絡める上で、演出上のファンタジー要素とでもいうような部分が、今よりもずっと多かったんじゃないかなと感じます。まだ刀ミュという世界の中で描ける範囲について、手探りの部分が多かった時代。*1
しかし同様の表現があった阿津賀志山異聞は、2018巴里において、表現に明確なブラッシュアップがなされていました。
それを受けての幕末天狼傳の再演…。ここはいったいどう処理するのかなぁと思ってんですが、、
「そうか、そうきたかーーーー…」と、思わず絶句するものが待っていました。


初演と同様、庭先に現れた黒猫に「ごめんよ、今は遊んであげられないんだ…」と零す沖田くん。
その背景に静かに流れ始めたのは、聞き馴染みのあるあのメロディ。
しくしく くれくれ…の、「華のうてな」の旋律でした。
劇場でこの音に触れたとき、いや普通に想像しとけよって話なんですけど、なんか全然思い至ってなくて、まんまと死ぬかと思いましたね…。


初演では、沖田総司の自由を奪って無理矢理に近藤勇の処刑を封じようとしていたあの演出が大きく変わり、
謎の声が「近藤勇が処刑される」という事実だけを、ただ告げていなくなる、という表現に変わっていました。
そしてその謎の声とは、言うまでもなく…三日月宗近なわけです。
「つはものどもがゆめのあと」以降に上演される刀ミュ本公演作品においては、明確にその姿を表す場面が差し込まれるようになっているので*2、幕末天狼傳だとて覚悟しとかないといけないやつだったのですが…初見時はもうだめでした。無理だった…
葵咲本紀のときと同じで、明らかにこの場面になった瞬間に体温が下がったし、その後数分の記憶が吹っ飛んだよね。。どうしてこうなるの…?って思いながら見てた…


だって、声にどれだけエフェクトがかかっていようと…わかってしまうものがあるのよ。
近藤勇が、処刑されるなぁ」のところが、一番エフェクトが弱かったと思ってるんですが、「近藤勇が」の「が」の鼻濁音の名残りとか、語尾の「なぁ」の処理とか、よく知っているあの人の発声…となりまして。
そら、推しだもの…セリフのいいかたでわかる…涙
極めつけに、その声が最後「よきかな よきかな」って言うんですけど、心の中で「よくねーーーーーーよ!!!!!」って叫んでいましたね。いや、怒ってるとか嫌とかじゃなくて…こう…受け止められないというやつです…嫌とかじゃない(だけど無理)。

◆今回の三日月の「目的」は、何だったのか

なぜ、あの場面に三日月が現れたのか。
これまで描かれてきた彼の刀の在り方に照らすに、三日月は、歴史の中で「散り果てること」が運命づけられている新選組という存在に対して、その無念の端っこをそっと掴んで、それを和らげる方向に、ほんの少し歴史を傾けたのだと思いました。
最後まで仲間と共に戦うことの叶わなかった沖田総司の無念。己の思いを託した弟のような存在を残して先に死んでいく近藤勇の心残り。
結論が変わらないとわかっている中で起きる、掛け違いのようなほんの一瞬だけのふたりの邂逅。
そしてその場面に正面から向き合う、夢やぶれた主の面影をずっと引きずっているふた振りの刀。


刀ミュにおいて、三日月が人の前に姿を表したり、歴史に介入するパターンには、おそらくふたつあるのだと思います。
ひとつ目は、歴史そのものの本流を担う人々の前に何らかの形で現れて、その行く先=歴史上の事実を知らせ、取るべき行動を教え諭すようなパターン。
もうひとつが、歴史の裏側に紛れて表舞台には姿を表さない人々に対し、直接的に歴史を守る手助けを依頼する=彼らを「物部」とするパターン。
前者がつはものから描かれてきたもの、後者が葵咲本紀で明かされたものです。


今回の三日月の行動は、前者の亜流とでもいうものに該当するのだと思いますが*3、その行動がどう考えても決して合理的ではないところ、「なぜ私に全てを教えてくださったのですか」と、藤原泰衡がたまらずに言葉をぶつけたあの場面と、根底にあるものが似ている気がします。
三日月は、仮に沖田総司近藤勇の処刑の事実を伝えても、彼が自力で処刑場にたどり着けないことは、わかりきっていたはず。
ではなぜそんな行動を…?と考えると、沖田総司の愛刀ふた振りが、彼のすぐ側にいることに、思い至ります。
三日月は、倒れそうになりながらも懸命に近藤勇の元へ足を運ぼうとする沖田総司を見た時、清光も安定も、居ても立っても居られずに行動を起こすだろうことを、全て見越していたんでしょう。
…となると、もしかすると今回の目的の本質は、本丸の仲間へ向けられた眼差しによってなされたものだったのか…とも、思う部分があります。
過去にあった出来事を「歴史」として受け止めて、今いる場所からふた振りが先に進めるように、行動を、思いを共にする時間を、歴史の中にエアポケットのように作ってやったのか…などと思ってしまう。
でも、それもどうかはわかりません。
だって、三日月の行動には、人への優しさが根底にあるのと同時に、こちらの理解を拒むような、どこか気まぐれめいた透徹した冷たさも、あるような気がしてならないのです。
優しさと非情さが、矛盾することなく内側に同居しているように思えるんですよね。
悟らせるようで、その内面を決して掴ませることはない。
彼の心情について、そう簡単に「わかる」なんて言えないのが、刀ミュにおけるつはもの以降の三日月だな…と、改めて思いました。


最後にもうひとつ!
時間遡行軍から沖田くんを守るように戦いながら、処刑場に現れた清光と安定。
堀川と顔を合わせたその時、清光は一言「…ごめん。」と言います。
それを受けた堀川は「…いえ。気持ちはわかりますから。」とだけ言って、振り返らずに次なる敵の方へと駆け出していきました。
ここの、この描写に出くわすたび、見ていて壊れたように泣いていた。
清光だって安定だって、自分たちがやっている”沖田くんが近藤さんの元に行けるように手を貸す"という行為が、歴史的に「正しい」行いじゃないことは嫌というほどわかっていて、でもどうすることもできなくて…。
そんな二人を責めるでもなく、手助けするでもなく、ただ「気持ちはわかりますから」という言葉だけを置いていく堀川。
これだけで、そこにある信頼関係の深さが垣間見えようというもので…
刀ミュ本丸の、この馴れ合わないけれど深く「仲間」として結びついている関係性が、わたしはやっぱり本当に好きなんだ。。と、今回改めて打ちのめされるように思ったのでした。





…姿を表したわけでも、ないのにねぇ~。。いない人についてこんなに書いてごめんなさいでした。
もともと、幕末天狼傳に振れると情緒が盛大にバグるように出来ているんですが、今年はいろいろな状況が重なった上に、「華のうてな」の一件で本格的におしまいの人になりました。
言いたいところだけピンポイントでたくさん書きました。ようやく幕末天狼傳2020に幕を下ろした。やりきった~~~!(個人的達成感)

*1:出版された幕末天狼傳の脚本巻末についている茅野さん・御笠ノさんの対談で、そのような内容が実際に語られています。

*2:「三百年の子守唄2019」では直接三日月の行動について言及されることはなかったものの、あとに続く「葵咲本紀」でその行動の全貌が明らかになっています

*3:新選組は「悲しい役割を背負わされた人」には違いないのですが、言わずもがな歴史においては明確に名のある人たちであり、つはものにおける源頼朝や、藤原泰衡と同じです。その点からも、沖田くんが近藤さんが物部であるという考察はまず成り立たないと考えます。そもそも三日月から存在明かされてないですしね。

刀ミュ 幕末天狼傳2020の感想(主に初演との違いについて)

寝かしすぎて、どえらい時間が経ってしまった…!
刀ミュ幕末天狼傳2020が、去る11月23日に公演を終えました。1ヶ月経つんか…なんてこった。
musical-toukenranbu.jp
今回は劇場で3回、配信で1回の観劇となりました。
記事を書くには旬を過ぎて久しすぎる反省点がありまくりですが、感想を書き留めておきたいと思います。

◆「より”ミュージカル”らしく」を目指して再構築された、「ほぼ新作」の再演

今作の印象をひとことで言い表すと、こうなります。
携わったスタッフのかたもキャストのかたも「ほぼ新作」という言葉を使う場面が多かったように思いますが、観ている側の感想としても、全く同じ印象を持ちました。
そのいちばん大きな理由は、やはり「ほぼ全ての歌が新曲に書き換えられたこと」にあると思います。


1部のミュージカルパートで初演から残っていたのは、出陣ソングの「爪と牙」、宴会シーンの「かっぽれ ~天狼星の下/長の背中~」、そしてエンディングに歌われる「ひとひらの風」のみ。M1のメインテーマ「刀剣乱舞」を除くと、なんと合計でたった3曲です。(かっぽれは宴会芸として披露される歌だからまた意味合いが違いますし。)
それ以外の曲はすべてガラッと入れ替わり、そもそもの曲数も大幅に増え(初演:12曲→再演:17曲)、歌を担う刀剣男士の比率も大きく変化しました。
歌だったところをセリフに変えたり、そもそも新しい場面が生まれていたり。
同じく再演されたみほとせでは、歌に関する変化がほぼなかったこともあり、初めて見た時は「エッここまで変わるものなの!?」と、仰天した記憶が強いです。
そしてその変化はすべて、「この物語を、より”ミュージカルらしく”再構成する」というところに、主目的があったように思います。


2019年の「葵咲本紀」以降、刀ミュが模索する作品世界のあり方は、大きくこの「よりミュージカルらしく」の方向にシフトしています。(と言い切りましたが、個人的にそう思うというのと、パンフレットで述べられる茅野さんの言葉を読んでいても、おそらく間違ってはいない受け取り方ではないかと思います。)

葵咲本紀においては、宝塚・グランドミュージカル作品で活躍されている振付師(桜木涼介さん)を新たに迎えたり、刀剣男士以外の歴史的人物への歌の割当を本編に作ったりと、手法においても明確な変化がありました。

もちろん最初の阿津賀志山異聞の頃から、ミュージカルたろうとしている試みは当然あったと思いますが、やはりシリーズの黎明期においては演出として「やりたい表現」が定まっていない側面も、またその内容にカンパニーの総合力が追いついていない側面も、どちらもあったのだと想像します。

しかし、シリーズ立ち上げから4年目を迎えた昨年の葵咲本紀では、刀ミュ的には新人であるキャストが4名もいたのにも関わらず、「やりたかったことが、やっとできる」というような意気込みや充実を観劇していて感じました。
方法論として、これまでとは異なる歌の使い方・演出が可能になったという作り手側の手応えが、観ていてこちらにありありと伝わってくるようでした。
(そしてその変化の系譜は、7公演にて幕を閉じてしまった今年の春上演の新作「静かの海のパライソ」でも、より顕著になっていました。)


それを踏まえての、幕末天狼傳2020。
刀剣男士を演じるキャスト6名のうち、実に5名が4年前からの続投であるため、その演出の変化は本当にありありと感じられました。
物語の骨格は当然4年前と同じはずなのに、不思議なくらい、物語の多面性が増していた印象があります。
個人的な感覚でいうと、初演は主に「沖田くんを思う安定と、虎徹兄弟の確執」、このふたつが物語を貫く大きな柱だったように思うのですが、
再演ではその2つの柱が持つ物語それぞれの色合いが深まっているだけでなく、それを取り巻くその他の刀剣男士の立ち位置や役割、心情が、より色濃く伝わってくるようになっていたと感じます。
それだけでなく、歴史上人物キャストのみで歌唱される曲が加わったことにより、元の主たちサイドの持つ、一過性に過剰な閃光のようなきらめき、若さ、燃え盛る血潮の熱さ…そういったものが、よりリアルに舞台上に立ち上がってきていたように思いました。

そりゃ歌が新しくなるのであれば、歌詞も新しく生まれるのだし、言葉から受ける印象は大きいのは当たり前かもしれないんですが、それにしても本当に「これは最早、新作だな…」と言いたくなってしまうほど、初演にどっぷりだった立場からは、あまりにも新鮮に感じられた演出でした。
それだけ「4年経ってふたたび上演する意義」の大きい再演だったのだと思います。
同じものをやるのでは意味がないのだと、今この物語を新しく届けたい理由があるんだと、そんな気概がびしばしと伝わってくるようでした。

シンプルに表現してしまえば、ブラッシュアップされていた…ということになるんだと思うのですが、洗練された、というのとはまた違うような…
「幕末天狼傳という物語の真髄をより研ぎ澄ませて届けるにはどうしたら良いか?」ということが、極限まで追求された結果の、生まれ変わった新演出だったのだと思います。
それこそ感染症対策という予期しない足枷までが加わっていたにも関わらず、あの見ごたえのある、没入感を維持した世界を実現していたことは、本当にすごいです。

◆キャストそれぞれの成長と進化、表情の説得力

その「4年経っての再演の意義」は、キャスト陣の明らかすぎる成長にも、これ以上ないくらい発揮されていました。
4年経ってまったく同じ物語を、ほぼ共通のキャストで演じる機会。2.5次元に限らずに考えてもやはりそうそうないケースだと思いますし、反対に2.5次元に限ると「まず他ではありえない」レベルの珍しい話だと思います。
出身キャストも多いのと同じネルケなので、やはりここはテニミュを引き合いにだして捉えたくなりますが、テニミュだって、主人公チームとして物語を担う青学は、2~3年スパンで卒業していきます。
その2~3年だって決して短くないのです。若手俳優たちにとっての2年、3年という時間の重み。その年齢のあいだ、その役で居続けるということは、同じ役を通して成長を実感していける得難い経験であると同時に、他の選択肢を絶つという側面もあるはずです。
刀ミュに関して言えば、ひとつの大きなシリーズとして続きつつも、本公演に出演する刀剣男士には変動があり、目安として年末に一度、全員(に近いメンバー)が集まる…という形式をとってきているので、その間じゅう他の役ができないわけではもちろんありませんが、だとしても4年経っての再演だなんて…本当に「すごいことをやっているな」という印象があります。
やや話が逸れましたが、そんなレアケースの中において、同じ刀剣男士を通じてキャストの皆が表現するもの。
当たり前なのかもしれないのですが、それは本当に「4年前とは大違い」な、遥かにレベルアップしたものばかりでした。


一番印象に残ったのは、高橋健介くん演じる蜂須賀虎徹の変化です。
刀ミュにおける蜂須賀虎徹は、贋作でありながらも「兄」とされる長曽祢虎徹に反発心を覚え、彼との衝突を繰り返しつつ、仲間との関係性の中において「刀として戦うこと」「元の主という存在」を考え続けて、自らの築いた壁を少しずつ壊して前へ歩もうとする…そんな存在です。
その心情はずばりそのまま「高い壁」というタイトルのソロに表れていたりもして、プライドと同居する、根っこにある育ちの良さから来る葛藤が、初演の頃からとても好きでした。

でも、再演では、そんなはっちが見せる表情のバリエーションが、まじで段違いに増えていたんですよね…。


主に隊長を命じられたあと、長曽祢虎徹が部隊にいると告げられたとき、主に向ける納得のいっていないひんやりとした美しい笑みや、
「俺にはそれもよくわからないんだ」の、堀川に話しかけながらもどこか自分に向かって独り言を言うような密やかな孤独、
兼さんから「あの人は強え。だが、悲しい。」を聞かされたあとの、不意に胸の奥をつかまれたような表情。
そのひとつひとつを見ていて、「うわぁ、もう”佇まい”から、物語を伝えられるようになっている…!」って、本当に勝手に感動しまくってしまった…。

いわばいつメンでしかない、新選組に縁のある刀剣男士5振りの中に放り込まれれば、そりゃ誰だって戸惑うでしょうし、ましてや蜂須賀は「武器として使われる代わりに、大事に飾られていた」という、新選組とはあまりにもかけ離れた逸話の持ち主です。
自分とは全く異なる来歴を持つ、馴染みのない価値観で結びついている仲間を、初めての隊長としてまとめなければならないのだし、その中には苦手としている「兄」までいる。
そんな状況に置かれたら、余裕のなさから、元からよく思っていない相手にきつく当たってしまったりすることもあるよね…と、よりすんなりと思わされたといいますか。
しかも再演のはっち、「不愉快だ!」って言い残してみんなの前からいなくなった後に、うっすら自己嫌悪に陥ってそうですらあるんだよ…。
つまり、より複雑性というか、それこそ人間味を増してその場に存在することに成功している。それが再演の蜂須賀虎徹だったと思います。
なんだか急にはっちを激賞してしまったんだけど(たぶん自分で思ってるよりわたしははっちのことが好き笑)、でも本当にびっくりするくらい違ったの。全体に占める虎徹兄弟の歌の比率が下がった分、心情を表現するわかりやすさも減っているはずだけど、むしろ豊かになっていることが、素直にすごいと感じたのでした。

◆変わるけれど、変わらないもの。月のない闇夜を照らす…

最初に触れたとおり、大きく変化のあった演出ですが、もはや執念なのでは?と思うくらいに初演から全く変わらなかったもの…それは「Sirius」という楽曲の役割。
いやーーー…ちょっとここに差し掛かった途端、筆の進みに急ブレーキ!!!
ほんとちょっと、あーーーー!ってなりました。まじで急に日本語能力ががくんと落ちたな…


なんでなのか今でもよくわからないんですけど、初演の幕末天狼傳のアルバムには「サウンドトラック」が収録されていました。歌じゃなくてインストゥルメンタルの、劇中音楽が、タイトル入りでね…。
その後そういう形式でアルバムがでた演目はひとつもないので、いやマジでなんで???って本当にずっと思ってるんですけど、とにかくそこに収録されていて、ウワーとなるような(どんなだよ)主要な場面に流される、ピアノを主旋律とする一度聞いたら忘れられない曲に、「Sirius」というやつがあるんですね。(説明が長い)

シリウス、つまりは天狼星。
劇中で、近藤勇が自分たち新選組の姿を重ね合わせ、そんな近藤から教わった沖田総司が何度も夜空に探し求め、その記憶を受け継ぐ加州清光が「シリウスかぁ」とつぶやいて、その名前を蜂須賀に教えてあげ、「天狼星って、本当は2つあるんだって」と土方組が自分たちの組み合わせをなぞらえて見つめるような、そんな特別な星。物語を象徴する、青白い光を放つ、冬のマイナス一等星…。

初演では、土砂降りの雨模様が刀剣男士たちの背景を占めていましたが、再演のビジュアルは、それが凛とした星空に変わっていました。その真ん中で、刀剣男士たちの背後にひときわ明るく輝く星。シリウスですね…。
あの再演ビジュアルを見た時は、なんとも言えないうめき声が自分から漏れた。。
「そ、そうなのね、どうしても、あの星に向き合わせたいのね…」と、思ってはいたんだけど…

再演で全体を通して、あれだけ音楽をガラリと変えながらも、その星そのものを象徴する楽曲である「Sirius」、および新選組のテーマ曲である「Theme-of Shinsen-gumi」は、一切その役割を、変えていませんでした…。


再演での新曲は主に和田俊輔さんによるものが多かったのですが、YOSHIZUMIさんのこの曲たちが真ん中にどっしり構えていることにより、いい相乗効果がありましたよね絶対。。
Sirius…嗚呼、君が担っている役割の大きさよ…。幕末天狼傳という物語の色を決定づける無くてはならない存在よ…と思いながら、大好きな曲なんだけれど、聞いていてなんだか胸が潰れそうになっていました。
幕末天狼傳の後日譚として描かれた「結びの響、始まりの音」でも、客席で心肺停止するかと思うようなタイミングで流される曲としても有名なんですが、、、

いやでもね。再演における一番の問題はね。そんなとんでもない曲を、
元の主たちに二部で歌わせたことだよね…。

9月の初見時、劇場で、
「ほんと、何考えてんのーーーー!!????(声にならない悲鳴)」でした。
違うんです、嫌とか怒ってるとかじゃなくて…。
なんていうか…情緒が受け止められるキャパシティを遥かに超えている所業なので…ちょっと…。まじでぶったまげた。
歌わせるなよ!!!!!!!!だった。なんでそんな怖いこと思いつくの…??????
(繰り返しますが、嫌なわけじゃなくて、なんかもう「無理」ってやつです)


旋律だけで十分すぎるくらい、もう既に特濃の意味を持ってるのに、それを歌うって。元の主が歌うって。本当にまじでどういうことやねん感はんぱない。
タイトルはそのまま「天狼」だそうです。…バカヤロー!!!!!!(叫んで逃げ出す)
9月に見たときは劇場でフリーズしたし、11月に劇場で見る前に細部を思い出したい…と思って自宅で配信を見たときも、キャパオーバーゆえ存在自体をすっかり忘れていて、またイチから新しくフリーズしました。

しかもそのあとに来るのが「ユメひとつ」ですよ。。。いやマジ、かやのさん何考えてんの…?(リピートアフターミー)
丁寧にとどめを刺されてるな~~~!!!ってなって、ペンライト振れてたんかな…覚えてないな…になってます。
この流れ、たぶん本当にキャパを超えていて、、2部めちゃくちゃ楽しいのに、このあたりで記憶が強制フェードアウト…。いやぁ…あの…ほんと…
変えるところ・変えないところのメリハリが、本当に嫌というほどばっきばきに決まっている演出、ということだと思うんですが、初演に人生を狂わされた組としては、なんかちょっとすごい目に遭った、という感想でした、ええ。おっかない。
なるべく冷静に書こうとしていても、幕末天狼傳に関してはどうしてもこうなってしまうの、ほんとなんでなんだろうな。。。
曲に間違いがないかを思い出したくて初演のサントラ聞き始めたのもあって、なんかもう最終的にヘトヘトになってしまった…。





今回、どうしてもこの記事を書き始めることが出来なくて、それがなんでなのか自分でもよくわからなくいまま、気づけば1ヶ月が経ってしまってました。
ちょっといろいろな、あまりにも多種多様な感情が、わたしの中で乗っかりすぎてしまったんだと思います。
(ほぼ書き上げて読み返したら、寝かしすぎたせいで一番書きたい内容に一切触れられていないことに気づいて笑っております…更新、リベンジできるかしら…。)


刀ミュというシリーズを語るにあたり、思い入れという点で、4年前の初演は避けて通れない存在。
そもそもわたしは幕末天狼傳の再演を予期していなかったため、再演の事実をどう受け止めてよいのかわからないところからスタートしました。
嬉しくないとかではなく「どうしたらいいのかよくわからない」という状況でした。

しかし再演が発表されたこの2020年は、ご存知のとおり、舞台を取り巻く物事の様相が、変わり果てた世界でもあり…
チケットがひと席ずつあけて発売され、立ち見の販売もなくなった結果、幕開けとなる東京公演の会場・天王洲銀河劇場では、入場できるキャパがおそらくは400人を切っていました。刀ミュの公演を打つ規模としては、どう考えたってありえない少なさです。
そんな中でなんとか手に入れたチケットで、9月の公演を、劇場で見ることが辛くも叶いました。

でもその翌日に、公演の中止が発表になりました。


それ以来、わたしは自分の中から、幕末天狼傳再演について語りたい言葉を取り出すことが、どうしてもできなくなってしまってました。
言い表すことの難しい重石が、ずしりと乗ったようで。
2ヶ月近くの空白の期間を経て、11月に再開の叶った凱旋公演。本来の3分の1までに、減ってしまった公演数。

彼らが改めてそこに賭けた思いを、わたしはちゃんと客席で受け取れていただろうか。せめて、そうであるといい。


「ゼッタイ諦めはしないと 強く胸に誓うのさ」

どうしたって、やっぱり客席にいると、彼らからはもらうものばっかりだなと思います。
この年の秋を、一緒に過ごさせてくれて、本当にありがとう。
また会えて、本当に嬉しかったよ、幕末天狼傳。

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2020年9月22日、天王洲銀河劇場にて。

愛と希望を風に乗せて。宝塚花組「はいからさんが通る」を駆け抜けました

宝塚花組はいからさんが通る」大千秋楽。無事に迎えられたこと、本当に本当に、おめでとうございました!
釣り上げられて甲板で跳ね回る魚のようにいきのいい初心者観劇ブログ、気づけば3記事目です。「あぁこいつか!」と思い出してくださる方のために1記事目のリンクを貼ります!笑
anagmaram.hatenablog.com

その後のわたしはどうなっているかというと…観劇回数をさらに重ねていて、いったい何が起こったのか、自分でもまだよくわかりません。
案の定というかなんというか、見事に熱に浮かされたような数週間を、きっちりと全うしてしまいました。
千秋楽はライビュに駆けつけたのですが、見届けられた幸福感で、まだ胸がいっぱいです。

10月に初めて劇場で宝塚を見た初心者の立場から、「はいからさんが通る」という演目を大好きになった、まとめの記録をお届けしたいと思います!

◆見れば見るほど、好きになってしまう作品

はいからさんから受ける印象をひとことで表すと、これでした!
お話の中身がわかっていても、何度見ても常に新鮮な気持ちで楽しめて、泣けるシーンでは涙が止まらなくなり…本当に、あまりにも、徹頭徹尾楽しかった!!!


最初に見たのが東京での3公演目、以降は終盤にまとめて観劇した形になったんですが(なんか…全部で5回観てたらしくて…ライビュいれたら6回…お前…)、
自分の目が宝塚の文脈に慣れてきたというのはもちろんあると思うんですけれど、それだけじゃなく、明らかにお芝居の充実度合いが、全体を通してぐんぐん進化していっているように感じました。
普段から、なにか舞台を見ているときに思うことなんですが、作品の中に良い循環が出来ている時って、生き生きとした独特の瑞々しい空気が生まれてくると思うんですよね。
見ている間、お話の勢いが途中で決して止まることなく、勢いが死なずにぐんぐん前へ前へと進んでいっているような感覚。今回のはいからさんから受ける印象が、まさにそれでした。
テンポよく進んでいくストーリーには一切の中だるみがなくて、場面場面に出てくる登場人物が、本当に全員、今この場を生きている、というエネルギーに満ちあふれていました。
まさしく生の充実を感じて…舞台観劇にしかないこの感動を、ありありと受け取れることが、本当に幸せで!


目が慣れてきて飽きるのではなくて、反対にフレッシュな感想を毎回抱けるのって、明らかに演じている人の力によるものだと思います。
お芝居の変化でいうと、個人的に印象に残っているのが、蘭丸でした。
最初は、紅緒の隣や後ろにそっとくっついていて、控えめな印象を受けるというか、内側から強く押し出されるものはそんなに感じなかったんですが、それが大きく変わっていて。
幼い頃から本当に大切に想っていた存在を、降って湧いたような許嫁の存在に、突然さらわれてしまうやるせなさ。
でも自分が紅緒の隣にいることはできないのだと、少しずつ実感していく、どうしようもないその切なさが、表情やふとした瞬間の立ち姿からじわじわと伝わってくるようで、後半の観劇では何度も泣いてしまった…。

蘭丸は「前提として、女性が男役を演じている+その役柄が歌舞伎の女形である+さらに劇中で女装もする」…という状況なので、考えれば考えるほど現実がねじれていくようで初心者は大混乱してたのですが笑、
でも不思議と「女性そのもの」として板の上に立っている印象は、やっぱり受けないんです。なのでまじで本当によくわからなくなる…!(園遊会のシーンの牛五郎に共感せざるを得ない!)
二幕冒頭の大正モダンガールズで着物で踊っているところは、あくまでも女形なんだよなっていうのが伝わってきましたし、いや、やっぱりよくわからなくなってきた!現実がねじれる!ジェンヌさんってすごい!!!

忘れちゃいけないのが、その隣にいる牛五郎~!!!涙
牛五郎はほんとうに気のいいやつだ…「飲み直すか!…蘭の字」のところ、あんなの絶対泣いちゃうよ~!!!
後半観劇しながら思わず何回も「牛五郎~!」ってツイートしてました。だって好きなんだもん!
伊集院家に乗り込んだところ、槍を持って襲いかかってくる御前を前にして、紅緒と二人で「あなたが前に行きなさいよ!」「いやここは親分が!」みたいにわちゃわちゃしてたりとか、細かいところを見つければ見つけるほど好きで。。


そして何より、弾けるエネルギッシュなヒロイン、紅緒さん…!本当に素敵だった!
ライビュで千秋楽を見ていて、えっ?と思うくらいに、その場に「存在する」ことの確かさを感じたというか…「可愛くておきゃん」の、その先を見たような気がしました。

じっくり見たいんだよな…と常々思っていた、絵皿を割った後、斬りかかろうとする御前と対峙するところの表情。ライビュでしっかり抜かれていたんですが、正面から御前を睨みつける眼差しの鋭さ、本当にびっくりして声が出そうになった。
あとは浅草の乱闘騒ぎのところ!縦横無尽に暴れ回るとしか表現できない一連の乱闘も、その後に少尉につかまれた腕を「はーなーしーて!」と振り回すところも、真に迫ると言ったらいいんでしょうか!?本物の酔っぱらいだ!!!って思いました。
…というか、紅緒さん、レースの日傘を日傘としてではなく、あれは最早日々武器として携帯してますよね…?笑

何度困難に晒されても、めげずに前を向く、眩しいエネルギーそのものとして生き生きと動き回る紅緒は、ヒロインとして、最高に魅力的でした。
あの紅緒だから、伊集院家の人たちもどんどん存在を受け入れて惹かれていくのだし、恋敵のはずの環も友情を優先してしまうし、出会ったばかりの鬼島軍曹も力を貸したくなるし、冬星さんを惚れさせてしまうのだなって…
…言わずもがな!!!伊集院少尉もね!!!!!ウッ…(言葉にしたらセルフダメージを受けた)

◆その組み合わせが奇跡みたい。柚香光さんと華優希さんが作り出すもの

トップコンビのおふたり…。もうなんか本当に、言葉がなくなる。運命が奇跡のマリアージュおこしてる…って思います。
お芝居の部分でいうと、おふたりの感情のやりとりは「今ここに息づいているもの」を、お互いに交換しあっている様子が、ありありと伝わるなと思うんです…。
少尉と紅緒のあの空気感は、おふたりだからこそ作り上げられる、唯一無二のものなんじゃないかな…と思わずにはいられませんでした。

好きなシーン…でいうと、好きなシーンしかないのですが…「花嫁修業」のサンドイッチのところとか、もう本当にだめ。。。何回見ても「ヒィッ…」ってなっちゃう。
回を重ねるうちに、少尉が紅緒への想いを本格的に自覚するのは、あそこなのかな…って思うようになりました。
修業のあと、少尉が差し入れてくれたサンドイッチをひとくち頬張るものの、こてん、と少尉の肩に寄りかかって眠りに落ちてしまう紅緒。
その重みを肩で受け止めた瞬間、はっとしたように手が動き、静止するその流れとお顔!!!しょ、少尉~~~~!!!!!(のたうち回る)


そんなウルトラかっこいいの権化である少尉を演じる柚香さんは、また…本当に!絶対に!同じお芝居をしない方ッ…!ということが、回数を重ねるごとにビシバシと伝わってきまして…
「あっそこのセリフ、そういう感じで言うのか!」とか、「わぁ、このタイミングで笑い声がこぼれた…!」とか、ひとつとして予定調和的な部分がないといいますか。。
その場に「伊集院忍」として確固たる軸を貫きながらも、何回でも板の上に、新鮮に生きる姿を立ち上げてみせている…と見ていて感じました。
お芝居って正解のない世界だと思うし、いろんなアプローチのタイプがあると思うんですけれど、わたしはこの…柚香さんのお芝居の在り方が、ものすごく好きです…!
どうしようもなく目が惹きつけられて、一瞬一瞬をつぶさに追うように、記憶に刻むように、見てしまいました。
そういう風に役として生きようと心に決めて、それを実際に観客に提示できる実現力。そんなの好きに決まっているし、あまりにもかっこいいよう…。


二幕までのお芝居パートでもう、お二人にはめためたにやられているんですが…問題は、フィナーレの、デュエットダンス。ほんっっっっっとうに、あれ何なんですかね…!?
見てると、じんわり涙出てくるんですよ。。なんであんなに全身で発光するかのように、互いに愛を表現できるのだろう!?って思います。わけがわからない。
柚香さんがね…とにかく華さんを見つめ続けているんですけど、すべての視線で迎えに行っている気がして。
なんというか、ふたりが向かい合う瞬間は100%完璧に絶対に目を合わせてみせる、という確固たる意思を感じます。オペラで見ていて何度「?????」の顔になったことか…愛の光線でレンズにヒビが入りかねないよ。

そしてそして千秋楽。デュエダン…すっごかったですね!!!!!!(興奮のあまり急に爆音)
踊り終えて銀橋で手を取り合うお二人。拍手に包まれるその一瞬の間ののちに、そっと柚香さんが華さんにおでこを寄せて「こつん」とくっつけたのを見た瞬間…まじで、そこまでに見たものの記憶がいったんすべて吹っ飛びました…。
2週間ほどまえの、アクシデントがあった公演で、最後にやってみせた仕草のお話は聞いていまして、つまりはそれと同じ動作だったわけなんですけど!
当日にレポを見た時「見た人はさぞや、クリティカルダメージを…」と想像していたんですが、いやほんと、破壊力凄まじかった。着ていたニットワンピの胸元を思わずぐしゃ!握りしめました。頭の中でなにかが弾けた。まじで記憶障害になるかと思った。

…でさぁ、そんな甘くて甘くてたまらん仕草が、あのおふたりにはまぁほんっとうに似合う!!!説得力しかない!!!
拝ませていただきありがとうございます!!!になる…。


手を取り合ったおふたりが通った後には絶対に花が咲きこぼれるし雪解けが起こるし砂漠ならオアシスができる…!と思うような、光にみちた愛のさざなみが客席を覆い尽くすような、もう勘弁して!(最高!)になるような、忘れられないデュエットダンスでした…。本当に大好き…

なんだろうなぁ、トップのおふたりが並び立って踊ることから生まれる美しさがあることは理解するんだけど、なんかそういう話に終わらないで、そこにある「感情のやりとり」まで含めての表現なんだな…と唸らされ、なんかもう、のけぞりました。
なんもいえねえ!になる。何度見ても「え…何……夢…?」って思う。
これから心がカラカラに干からびたと感じることがあったら、はいからさんのブルーレイでデュエダンを見たら絶対に元気になれる。そう本気で思いました!!!

花組が好き。柚香光さんが好き…!

千秋楽を明日に控えた14日ソワレを観劇しているときに唐突に気づいたのですが、もうこれは、物語を作っているひとたちをまるごと好きになっているな、と思いました。
はいからさんという作品のことを本当にひと目で好きになり、そして通ううち、いつの間にか、花組さんのことも大好きになっていました。
舞台上のどこを見ていても、好きだなぁという気持ちが溢れて…。大正モダンの賑やかな街並みも、伊集院家のお屋敷も、その空間を作り出している皆さんの、どこを見ても楽しくて。
観ているうちに、あの場面とあの場面にいる人がおんなじだ!とか、執事さんの中にやたら小顔でスタイルのいい人がいるな?とか、すみれ組実はかっこいいよな…とか、どんどん好きなポイントが増えていきました。


舞台を上演する集団のことは、座組、カンパニーとよく表現されますが、宝塚ではそれが「組」なわけですよね。
なんというか、一般的なカンパニーの概念とはまた一味違う、より運命共同体のような、結びつきの強さみたいなものを、見ていてとても強く感じました。
ひとつのものを心を合わせて作り上げる様子、本当に見ていて幸せになりました…。
見てきたものを思い浮かべると、思い出すだけで幸福感が胸にあふれて、じんわりと涙が出てくる。本当に、楽しかった。


そして、その花組で新トップスターをつとめられる柚香光さん…。
なにから書いたらいいのか、わからないです。。
自分でも驚くほどに、ただただ、大好きになってしまいました。なんか今、もうそれしか言えない。
いや、言葉にしたいことはいくらでも、たくさんあるはずなんだけど、全然書けなくなってしまって。。どうしちゃったんだ。
とくに千秋楽のご挨拶を聞いた後はお人柄が突如としてリアルに迫ってきて(※なんせ検索しないで生きているので、ほぼ現地観劇の情報のみでここまできている)、もはやいろんな好きが大洪水になり…ちょっと今は言葉にすることができずにいます。


1月30日に始まったという稽古…そこからの10ヶ月あまりの間に、いったいどれほどに辛いことがあっただろうと、困難に取り囲まれたことだろうかと、こちらからは想像することしかできないけれど。
舞台が好きなおたくとしては、この春に何度も何度も、身を引きちぎられるような思いばかりしてきたから、
千秋楽が千秋楽として無事に幕を開け、最後の挨拶の時間にたどり着けたそのことが、どれほど貴重で得難いものか、観客としてわかりすぎるほどわかりました。
お芝居を愛している人たちが、板の上に立って充実した表情を浮かべている、その様子だけでもう…。


2020年がもし、予定されていたとおり平穏に進む年だったのならば、わたしはきっとはいからさんを見る機会はなく、
それどころか、柚香さんがトップに就任されている間に花組の公演を見ることすら、なかったかもしれないです。
そう思うととても不思議な気持ちになって…

今年は失ったものが本当に本当に多くて、何度立ち上がっても叩きのめされるような出来事は繰り返し起き。
その一連の出来事に、意味を見出すことは、あまりしたくないようにも思うけれど…でも、そうやって明らかに疲弊していた心に、はいからさんという作品が、柚香光さんという存在が、新しい風を入れてくれました。
その風にのって届いたのは、愛とか希望とか、そういったもの。人が生きる上で自然と欲してしまうようなあたたかな概念、そのものの力でした。
現在進行系で血を流しそうな心を、本気で救っていただきました。今はとにかく、感謝の気持ちしかありません。


劇場に満ちていた、割れんばかりの拍手の音量。その1ピースになれたことが、本当に嬉しかったです。

派手にすっ転び勝手にドボン!と威勢よく大海原に飛び込んでしまった初心者ですが、
観客として受け入れてくださって、本当にありがとうございました!

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この数週間で、東京宝塚劇場を軸とした日比谷周辺地図が頭の中に生まれました