こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

どんなにAIが発達しても、「便利にならない自由」ってあるよね

日記の方のサブブログに書くべきなテーマな気はする。
標題の通りなんですけど、便利にならない自由ってあると思うんですよねという話。


目次

仕事におけるAI活用の話

昨今、自分の仕事ではとにかく、AI活用の是非が常に隣にいる感じです。選択肢として取れるなら、それを選ぶのはもはや義務。
それってある意味では自分の仕事上の領域をAIに開け渡すところもあるのかもしれず、そこに関するそれとない不安や居心地の悪さを感じながらも絶対に向き合わなければならない、効率化というお題目。

でもねこれはね、お金をもらっていることなので全然いいんです。やりますし、正直やれます。という気持ち。
へーこんなこともできんのか!とびっくりさせられることしかない、とにかく日進月歩すぎてクラクラする。AIをサービス・製品に組み込んでいる企業はものすごくしんどいことが多くね?と思うくらい、Googleやアンソロピックといった大手の提供する汎用的なAIでできることが増えすぎていて正直わけがわからない。
そんな中でびっくりしながらも曲がりなりに「なるほどこういう部分は自分でやらないでAIに任せるのがいいんだな」という気づきを得たり、こういうこともできるかも?の発見ができるのは、確かに新しくて面白い。なんとなくわかってくると活用ってこういうこと?の端緒は見えてはくる。
そしてこのAI活用という分野を避けて通ることで自分の社会人人材としての価値はきっと目減りしていくに違いないため、むしろ歯を食い縛ってでもくらいつかねばならないポイントだと思っている。仕事だから、それはそれで良い。

プライベートにおけるAI活用の話

でね!?!こっからが本題なんだけど、
じゃあそれをプライベートでもやりたいかって言われると、
もうねぇ、ぜんっっぜん、やりたくねえ!!!!!
効率化とかマジで興味ない!!!👈あれよ


もともとわたしが「仕事脳とそうじゃない時の人格、流石に違いすぎない?」みたいな極端な人間なのもデカいのですが、
仕事で効率化を考えすぎて、それっぽいなんか賢いふるまいが私生活ではマジでできないし、やりたくない。理由は、ものすごく疲れるからです!
狂気のひとりアドベントカレンダー25日間の運用に効率を追求していたのは私の中ではかなりなレアケースである。狂気について詳しくはこちら。

私が日常でAIを使う局面って、Geminiにスキンケアの相談をしたりレシピの相談をしたりするくらいで、週に1〜2回使うかどうかって感じです。
この間は血糖値スパイクを防ぐ食事を相談してみた(が、そもそも健康・お金にまつわるような内容は鵜呑みにせず自分で判断せよという話がある)。


AIを使わない自由、便利にならない自由も本当に、あると思うの〜〜人間だもの〜〜。
「なんでそんなに便利にならなきゃいけないんだよ〜〜いいじゃん多少不便でも!まどろっこしくても!遠回りでも!!!」みたいな気持ちになる。


何のために「便利になる」のか

便利になったその先に何を求めるの?って話だと思うんですよね。要は目的が大事で。。
普段からとても困っていることがあり、それがAIに限らず技術で解決されるなら全然やったらよくて喜ばしい側面もたくさんあると思う。テクノロジーってそういうものだ。

一方で「なんかよくわからないけど、やらなければならないから」のAI活用って、やはり切実な動機がないためわりと苦痛なケースが多いのだろうな〜と思います。
そういうパターンの悩みに職場で直面している人もきっと多いのだろうな……。

わたしは仕事でやらざるを得ない状況にしっかり追い込まれたため腹を括ったというか、切実な動機はなくともやらないといけないことはもう割り切れたというか、
ある程度はこのあたりのAI活用に関する苦手意識も克服できましたが(どう使ってんの?の具体は控えますが別にそんな大したことはしていない)、
やはり人間として、「生き物」としての自分が、そこまで研ぎ澄まされた効率性に溢れた世界を望むか?と言われると……全然NOだなって思う。

資本主義の中に生きていると、仕事において便利にならない・効率化を求めないことは悪なので、もうそれは受け入れるのですが!
そこでお金を稼いでいるので文句はないのです、が!

生き物としてはなんか「ヤダ〜〜〜!」って思いながら暮らしている。なんの反骨精神だろうか。笑
不便を選ぶ愚行権、みたいな話になっていくんですかね……。これももう程度問題なんだろうか。
一定のところまでいくと、気づいた時には当たり前のレベルがもう想像できないくらいに上がっていて自分の生き方がいつの間にか超・前時代的で化石みたいなものになっているのかも。
そうなる速度が昔とは比べ物にならないくらいに上がっているのかも……とかを考えると、怖くてちょっと身震いする。

創造的な活動におけるAI活用について

文章にしろイラストにしろ、人が何かを生み出すプロセスでAIが可能性を拡張してくれる局面はとても多くて、それはうまく活用してできることが増える人が沢山いたらいいと思うんだけど、
自分が文章を書きたい欲はこういうつらつらしたただの日記であったりあとはなにかの感想をまとめたいという動機によるものなので、そこに関してはまだAIを使う必要性は感じていないのですが、これもまぁ忌避感があるゆえだと思います。
便利になりたくない・代替性がないと思っている、からかなと。

やってみたら創造的で面白いこともきっとあるのだと理解しつつ、私の中では明確にあらがっている部分。
例えば誤字脱字とか言い回しの重複チェックは便利かもね、とは思う。あとは構成の壁打ちとか。って考えるとアリな気はしてきたけどな。
でもさ、ごにゃごにゃと考えなくても死なないことを好きに考えて、その挙句ひとつの記事に5時間とかかけて1万字書くこととかが、わたしは嫌いじゃないわけよ。つまりやりたくて苦しんでるんだよね〜って思うから、つまりそこに「困ってはない」ってことなんでしょうね。しんどくはあるが……👈どっちだよ
今後本格的にやべえ!もう無理だ!と困ったらその時は遠慮なく使います。笑

結論:非効率の極みだからこそ生のライブパフォーマンスっていいよね

みたいな話をずっと考えていると、
この世の中においてはきっと非効率の極みである「演劇」という表現手法が、わたしはやっぱり好きですねぇ……と結局このあたりに結論が行き着くのであった。着地点の見出し方、強引か?笑

受け取るにも届けるにも、その場にいる人同士でなければならないという時間的・空間的な制約のもとにしか成り立たない、大変に非効率かつ刹那的な表現。
演劇に限らず、リアルタイム性を伴うライブパフォーマンスの価値はむしろ、この便利さの先に何を求めるんだ的な世界においては今後高まっていくんじゃないかなとはずっと思ってて、是非ともそうなって欲しいな。
チケット代の値上がりも相まって界隈の券売に厳しい局面を感じることも増えてはいるので、これもまた楽観的にすぎる願望だとは思うのですが……


思うのは「自分が何かを見て、どう感じたか」という内容こそが、AIによる代替可能性が絶対にないものだと言えるということ。
仮にAIに答えを聞いたとしても、明確に何の意味も得られないジャンル。
その人が得た感情、感想にはどんなにAIが発達したとてその人がその人である以上は絶対に代替性がなくて、唯一無二のものだ。
時間的・金銭的なコストを払って手に入れる観客としてのその体験価値って、やっぱり大事にしていきたいよね!と普段の自分の行動をちゃっかり全肯定して、この話を終わります。

2026年上半期に見たものまとめ


もう7月も終わるので大遅刻中なんですが上半期まとめます。
これまでのまとめ記事は月を跨いで観劇したもののコメントは最初の月にのみ記載、としてたんですが、今回そもそも年を跨いでいたり遠征しまくっていたりするため、そのあたりは自由に書きました。
書いてみて思ったけど本当にありえない暴れの半年。真顔になった、思わず今後の身の振り方(?)を考えた。

目次

1月

1月は2025年から引き続き観劇したものメイン!そしてやたらと移動しまくった1ヶ月。

舞台「忠臣蔵」

1月3日、名古屋公演へ。2年連続遠征で推しにあけおめしに行った(去年はおなじく1月3日のウィンブレ大阪遠征)。この時点では久々の御園座。1ヶ月以内に再訪したんですが。笑

明治座に比べると御園座は音響がとても現代的に思われて、作品全体がやたらとスタイリッシュに感じられたのが新鮮でした。
明治座での印象はほんとに「The!時代劇」だったんですよね。
あとは思った以上に舞台が近く感じられて。明治座・御園座でハコの作りは似ているはずなのに不思議~。
忠臣蔵の感想そういえば記事としてはちゃんと書けずじまいなんだけど、とても素晴らしい作品なんですよぉ……!
新年1発目ということで、劇中のナレーションを担当されている松平健さんのあけましておめでとうございますメッセージがカテコで特別に流されたりして、なんだか大変におめでたい観劇初めでした。

Songwriter's SHOWCASE


2024年12月に引き続き参加!
4ヶ国から参加したクリエイターによる12作のミュージカルより1曲が披露される、という仕組みは前回と変わらず。
キャストさんが全員、歌唱を担当しない間も舞台上の上手下手に座ったままなのが楽屋っぽいというか稽古場や舞台裏のようでもある印象。
ここでしか観られないその独特の雰囲気が「何かが作られていく過程」に立ち会っているなと感じさせてくれて、とても好きです。
歌詞やあらすじをふくめて資料を配布してもらえるのでこちらの解像度も上げやすいし、
クリエイターによって全く異なる性質の作品が飛び出すのでとにかくワクワクさせられます。
と同時に、日本語に加えて(同時通訳つきで)韓国語・英語を音声として聞き続けるため、脳みそがフル回転で心地よい疲労感もあり!
井上芳雄さんの司会芸もたっぷりと堪能でき、チケット代に対しての満足度があまりにも高すぎる催しなのでした。
この取り組みから世に出るミュージカルをいつか観劇できるとよいな。

ミュージカル「十二国記」


愛する博多座にて観劇!
Wキャストのスケジュールを完全に勘違いしており、実は東京でひか俊を見納めていたことに気づき衝撃でした。笑
博多座でれいちゃんの舞台姿を観る、をついに叶えられて嬉しかったな~!私がファンになった2020年以降、れいちゃんトップの間は花組の博多座公演はなかったので。
水禺刀もすぐ間近で展示がじっくりと見られて満足。

博多座・柚香光・十二国記……好きな要素が重なりまくっていて幸せしかない2日間でした。
なんといっても博多座の音響の素晴らしさ!しみじみと楽しい遠征(帰省?)だったな~!!

ミュージカル「エリザベート」

そして2週間後、再びの博多座へ。帰りすぎである。地元だからってさァッ!な頻度。
セーラー服から星のドレスにお着替えしてご満悦なうちのリド。ドヤい。
福岡についてその足でソワレに行くスケジュールの日だったんですが、機材到着遅れでフライトが思いっきり遅延して本当に冷や汗かいた(間に合いました)。

11月のオーブ以来の観劇だったんですが、わたしの今シーズンエリザはようやく!ここで!実現!みたいな気持ちになった。
オーブで設定されてた価格には手が出なくて、、というより、2階最後列に追いやられる可能性のあるS席が嫌でA席しか買えなかったの。w

その一方、博多座のA席(S席相当)範囲ならば「もうどこで観てもサイコ~確約だよね!」と思ってチケットとったんですが、
2階3列目サブセン、1階中列ほぼドセンという恵まれた2箇所で観られて、ほんとに悔いなくエリザを〆られました。オーブ3階からはるか下を見下ろしていた感覚からすると「すぐそこやん!」ってなる。嬉しかったぁ。。
連れて行った母も大変喜んでいてよかった。
観劇回のキャスボ2つ貼っておきます!

26/1/24 ソワレ
26/1/26 ソワレ

今シーズンのエリザ感想は下記にまとめたとおりです!
anagmaram.hatenablog.com

舞台「忠臣蔵」(大楽)

1月の締めくくりは忠臣蔵の前楽・大楽、1月31日の長岡へマチソワ遠征!

初めての上越新幹線、いったいこんな雪の中をどうやって!?と思う環境を難なく進む姿に呆気にとられた。雪国を走らせる本気、すげえ。
トンネル抜けて途中の越後湯沢駅についたとき、見たことない真っ白な雪国の光景には本気でぽかーんとしてしまった。
友達にフルアテンドしてもらい、とても快適に一日過ごせて大感謝……!
事前にアドバイスをもらって用意しておいたスノーブーツ、ほんとに買っておいてよかった。
長岡は階がわかれていないワンスロープの大きな劇場だったのですが、討ち入りに向かうシーンの客席降りがとても印象的で。
劇場中を埋め尽くす拍手で赤穂浪士たちを送り出せたことに、とても胸が熱くなりました。とてもよい観劇体験だった。

2月

ミュージカル「十二国記」(大楽)

その翌日である2月1日は、こんどは十二国記の大楽のために再びの御園座へとむかったわけです……!地方遠征の大楽はしご、ほんとにこれどんなスケジュール?笑
最初は31日のうちにいったんこっちに帰るつもりだったのですが、長岡発の最終の上越新幹線だと東京駅から自宅最寄りの最終がギリ間に合わなくて危険かも、とわかり。
代替案として「長岡~東京~名古屋移動で御園座12時マチネ……よし可能!」という結論に達し、約630キロの移動に挑戦したのでした。

東京へ向かう友人と一緒に7時台に長岡を出発。

そこから私はさらに東京駅で東海道新幹線へ乗り換え。IC乗車での東北新幹線から東海道新幹線への乗り継ぎ方法も事前に教えてもらっていたので(通れる改札が決まっているんだ!)、間が20分ないくらいでしたがスムーズに乗り換えできました!
りょうがくんがインスタのストーリーで「家につくまでが忠臣蔵!」と言っているのを横目に、自宅付近を超高速で通り過ぎ、なぜかはるばる愛知に向かっている私。笑

そこそこヘロヘロになりながらも無事にたどり着いて観劇した大楽、本当に本当に、素晴らしかったです。

まさに集大成というべき、あのときの「青白い闇」の記憶を、永久に保存しておきたい……!
カテコの景主従のやりとりが本当にたまらなくて頭がおかしくなりそうでした。円盤に入ることが確定しており、幸!
2日間での移動距離がありえなくて流石に疲れ果てましたが、とても幸せな遠征はしごだった。
御園座ロビーで友達とフォロワーになぜか長岡みやげを渡したりしていて、ほんとにめちゃくちゃオタクだった。笑

エリザベート TAKARAZUKA 30th スペシャル・ガラ・コンサート

2月14日ソワレ、2014花組スペシャルVerを観劇!直前までチケットもってなかったけど、一般発売の注釈付き開放を奪取することに成功し無事に観劇が叶いました。だいたい先着でなんとかする人間。

れいトート×まどかシシィ……極上のひとときでございました。
女子高生役のすぐ2週間後に男役歌唱って一体どうなんだぁ!?と思ってたけど、
十二国記の経験が存分に生きていることがわかるれいちゃんトートの伸びやかな歌声、とても素敵だった。

明らかに「人ならざるもの」であるれいトートが、それでも恋に出会ってしまうゆらぎの表現が相変わらずお見事ッ……!の気持ちに。
そして改めて「私は絶対にまどかシシィを東宝でみたいぞ?」と思いました。絶対に絶対にやってほしい。
宝塚版を観ると、ラストではトートとシシィが明確に両思いなことに、いちいち新鮮な気持ちになってしまう東宝版が親のオタクです。
カテコのご挨拶のれいちゃんがものすごい美でおもしれー女っぷりを繰り出すのでわらいじぬかと思った。れいちゃんは本当に、おもろい。

3月

THEE RUBY CATZ Live Tour "Ladies & Gentlemen, How do?"

りょうがくん率いるオリジナルバンド、ザ・ルビーキャッツ(TRCZ)の記念すべき初ライブツアー。
福岡・仙台・大阪・東京で参加したんだけどほんっと~~~に楽しかった!
詳しくは感想記事を書いたのでそちらにて。
anagmaram.hatenablog.com
それにしても、ちょっと移動しすぎな上半期である。
この時点で(福岡もふくめて)2026年の遠征が8回になっており、、まだ3月だよ?笑

ジン・ロック・ライム

まりおくんの舞台久しぶりで嬉しい~!とわくわくして取ったチケット。
しばらくぶりにド正面からの「現代劇のストプレ・台詞劇」を観た気がする。

なんというか……人は誰しも、他人の人生を生きることはできない。自分の人生は自分でなんとかするしかない。
どれだけ相手を大切に思い、このようにあってほしいと強く心からの願いを抱いたとしても、その人生のありようや行く末は本人にしか決められない。
という事実を、とても痛切に感じた。
観ていて募るやるせなさ、人が生きていることのどうしようもなさ。
それと同時に、人は生きているただそれだけで素晴らしいのだ、という事実もまた真理として込み上げてくる。
ものすごくカロリーを使う観劇で、マチネを観終わったあと夜にご飯の約束があるにもかかわらず思わずラーメンを食べてしまったほど。

本当は2公演目も観劇を予定していたのだけど、ちょうどTRCZのツアーに通っていた私は「ロックバンドって、サイコー!」のメンタルだったため、
同じタイミングでロックスター主役のドロドロの話をどうしてもおかわりしきれず……2回目は髙木くんファンのお嬢さんにお譲りした、という後日譚があったりします。。それくらいヘビーだったよ!

4月

ゲキシネ「紅鬼物語」


3月は多忙につき、上映期間の終わり間際、4月に入ってからなんとか滑り込み。昨年ぶりに紅子たちにスクリーンで再会!
ゲキシネって本当によくできてる!単なるライビュの再放送っていう感じではなく、画角やエフェクトが作り込まれていて独特の楽しさがある。
大画面で浴びるれいちゃん紅子の美しさといったらなかったよ。
そして物語の内容には新鮮に号泣してしまったし周りの席もみんなめちゃくちゃ泣いてて「だよねぇ」の気持ちに。
れいちゃんのカテコの笑顔を見ていたら「この人に出会えた人生でよかったな」という幸せなモブの気持ちで更に泣けて仕方なかった……
改めてとても好きな作品だなとしみじみしました。退団後の舞台1作目がこれって本当にすごすぎる。

ミュージカル「メリー・ポピンズ」

観たいなぁどうしようかなぁ、予算がないなぁと思っていたんですがホリプロ公式のオトクなチケット広告がインスタに流れてきたのでそこでかなりお安くA席を買いました。
ほぼドセンを選べたんだよねぇ。。先行で買ってる人に申し訳ない気がしつつ、せっかくならとありがたく買わせてもらいました。

ジュリー・アンドリュース主演のディズニー映画と原作本は母の影響で子供の頃から親しみがあったので、「知っている世界」にミュージカルの形で出会う幸せを噛み締めた。
あのおうちのセット本当にかわいい!ドールハウスのような、仕掛け絵本のような……
スパカリ以外にも知ってる曲が出てきてなんだか懐かしさで胸が締め付けられるような感覚になった。

観るならこの組み合わせがいいなぁとこだわって選んだキャストが個人的にバッチリでとても満足感があった。
キャスボこちらです。

知念さんのウィニフレッドがとてもチャーミング。元女優の奥様役はもしかしたら夢見がちで現実が見えていない女性…のような造形が意図されているのかもしれないんだけど、知念さんのウィニーはなんだかそうじゃなくて「彼女なりに地に足のついた」という確かな生き方に見えた。やり方がわからないで戸惑っているだけで、何も諦めてないし悲観してもない。真っ直ぐに愛にあふれる母親で大好きになってしまった。
小西さんのジョージは前半の厳格さと後半のコミカルさのギャップがさすがでたくさん笑った。小西さん、かっこいいのになんでいつもあんな面白いんだろう。笑
小野田さんのバートはとにかく全ての動きに意味がある感じ。あの世界観に生きているのがとても似合う。
はじめましての玲奈メリー、凛としていながらも笑顔は柔らかくあたたかで、そりゃみんなだいすきになっちゃうよね!というメリー・ポピンズ。
子役のお二人が本当に達者で、あんなに子役ちゃんが出ずっぱりなミュージカルは私は初めて観たんですけど、すごいねぇ…!?

主演含めてここまで盛大に踊り散らかしてくれるミュージカルってなかなかないよね?
東宝芸能だし、まどちいつかメリーもやってくれん!?と思っている(星風まどかさんにいろんなものを背負わせるオタク)。

5月

ミュージカル『刀剣乱舞』加州清光単騎出陣 - 極 -

もうね~本当に、刀ミュの加州清光はその存在そのものが、愛です。
詳しい感想は下記に。
anagmaram.hatenablog.com
GWが重なっていたこともありそこそこ本気を出して全部で5回観たんですけど、本当に悔いがないというか、
自分の中でよい区切りをつけることもできて、とにかくりゅうじくんの清光に感謝しかなかった。幸せでした。

舞台「ハムレット」


はい、2026年、今年のサビでございます。存分にサビ、歌わせていただきました。
推しと贔屓の共演とかいう未だに何が起きたのかよくわからない奇跡に見舞われ、本当に熱に浮かされたようなテンションで通ったな……
日生劇場だったのも最高すぎまして。日生劇場の上演演目に該当したい!という長年の願い、十二国記からのハムレットで連続して叶ってしまい……ウルトラハッピーなのである。
ハムレットも感想は下記にまとめています&6月パートでもうちょっと書きます。
anagmaram.hatenablog.com

及川光博ワンマンショーツアー2026「TAKE IT ROSY!」


ハムレットの東京楽からハシゴして、ミッチーさん30周年記念のワンマン、東京ガーデンシアター公演へ。(ベイベーであるところの姉のアテンドによる。)
あの規模を埋めるというのはなかなかにすごいことだよなぁ……?と思っていたんですが、いざ当日を迎えてみたら、注釈付きまでぎっしり埋まってて壮観すぎた!
30周年記念の公演なのに行きたい人が入りきらない、ということが起きないようにと、ミッチーさんが押さえた大きめのキャパが結果的にソールドするの、まじでカッコいいなと思いました。

あれだけ大きな空間であっても、自分の信じる美学のもとにいつもどおりのミッチーのショーを届けてくれる姿もまたカッコいい。
私は美学を貫いてる人のことが大好きだな!と常日頃思うのですが、その点ミッチーさんってこれ以上なく本物のスター。
世間一般から見たときに、例えば商業的にパーフェクトな選択じゃないことや不器用に見えることがあったりしても、自分がこうと決めた姿を曲げずに追求していく姿って本当に素敵だなと思うんだ。

自身の生き様を嘘偽りなく音楽にのせて全力でぶつけてくれる、ステージ上と客席とで「生きている今このとき」を共有しあえるミッチーさんのワンマンショーは、いつ足を運んでも最高に楽しいです。
ライブで体を音楽に委ねて自由に踊る楽しさを、私はミッチーさんから教わった。
今年もほんとにたくさん踊って笑顔になった。また来年も遊びに行けたらいいな。

ミュージカル「レッドブック」


東京楽に滑り込みでお邪魔。ゆたちゃん(小関裕太くん)の年1の舞台姿とあらば観に行かないわけにはゆかない!
ヒロイン・アンナを演じるゆうみちゃん(咲妃みゆさん)がとにっかくお見事、その舞台姿に拍手喝采。
あんなふうに自然に笑いを誘えるコメディエンヌってそうそういないよ。なんであんなに面白いと可愛いをどちらも100%で両立させることが叶うんだい?!
歌もま~~~素晴らしい。こんなに歌うまかったっけ!?と度肝を抜かれるほどにお上手でした……カッコイイ!!
ゆたちゃんはやっぱり恋心の表現が匠の技というかなんというか……「自分でもどうしてかわからないけど君に惹かれてしまうんだ」というあのブラウンの困惑からの恋の成就には、びっくりするくらいに泣かされてしまった。けっこうめちゃくちゃなこといってんのに。笑
両思いになったあとのふたりのラブラブバカップルっぷりも最高だった。かっこいい+かわいい=面白い、になるのすごいよ。笑

個人的に韓国ミュージカルとの出会い3本目だったわけですが、やはり脚本、話の運びについては「なるほど~~~う~~ん!」の、体感。
これはもう好き嫌いというか相性の世界の話なのだと思っている。
このあたりはまた7月に観たアガサの感想を書くときにでも。

6月

UNDER THE MUSHROOM SHADE


りりかちゃんの歌声を聞きたくて買ったチケット。
本当に驚くほど静謐な空間で、身じろぎすらためらわれるほどの緊張感だった。
ピーターラビットの生みの親であるビアトリクス・ポターを主人公とした、たった3人で紡がれる秘密の小箱のようなミュージカル。
音楽も美術も繊細でとても美しく、3人とも実力が確かすぎる皆さんなため、耳で聞いている満足度はとても高い。
一方で、ストーリーに関してはどうしても乗り切れなかった……のが自分でもかなり意外だった。かも。
自分が観劇に何を求めているのかが、わかるようでイマイチよくわからなくなった一本でもあるのだが、やはりどこまでも結局は「話」になってしまうのか!?そうなのか?!と観終わったあと正直かなり悩んだ。
我ながらちょっと脚本厨すぎる気がする……のだけど、多分脚本への力点の置き方が世の中の観劇クラスタの平均値とは私はかなりズレているし、スイートスポットが狭すぎるんだと思う。感想の温度差を感じることが多いのはこのためだと思うんだよね。

舞台「ハムレット」

6月は大阪と愛知の地方公演に行きました!
噂に聞いていたとおりSkyシアターMBSはめちゃくちゃ便利なところにあるうえに大変に観やすくて、大阪の人うらやまし~!と思った。
それに比べて新しくできる東京の劇場、軒並み微妙なのはほんとーになぜなの!?笑

愛知公演はちょっと予想外のところにある劇場で、最寄り駅からはタクシー移動かな?と思ったけど全然来なくて無理で、
15分田んぼ&線路沿いをてくてく歩く……というなかなか味わい深い遠征に。雨の降った夜道はカエルの大合唱に包まれました。笑
シンメになるようにこだわって初日前につくった硬質ケースを並べられるのももう最後だぁ……としんみりオタクの気持ちで帰る前に撮った1枚。

今回のハムレットは、大楽の最後の瞬間まで、その時に積み重ねられる最良の表現を常に追求し続ける視座の高い座組で、そのことに圧倒され続けていました。
集う全員がそれぞれにプロフェッショナルで、本当に満足度の高い観劇体験を届けていただきました。


感想記事にはノイズになるなと思って全く書かなかったことをこの機会に。

ハムレット、私個人としては本当の本当に、オタク人生における大事件でして。りょうがくんとれいちゃんの共演、意味わからんすぎる嬉しさで、ひたすらに「この世に感謝!」みたいなテンションで過ごし続ける2ヶ月でした。できることならもういっかい最初からやり直したい。本当に幸せだった。。

初日前は何度事実に向き合っても「いや、そうはならんやろ!?」って現実とは思えずにずっと信じられなかったし、
いざ蓋を開けてみたらカテコの立ち位置がお隣で本気で宇宙猫になってしまった。そんな都合のいいこと、あります??
なんというか、なかなか重ならなそうに思えたお二人だったので……いやね、紅鬼と十二国記の時点でおなじみの俳優さんとたくさん共演済みなれいちゃんなわけだけど、そのラインナップにりょうがくん入るのォ!?っていうのが、本当にびっくりだったんですよね。
そして板の上に同時に大好きな人たちが揃ってしまうと、普段それぞれから受信している好きの周波数が違うため、オタクは3公演くらいけっこう混乱して観ました。得難い経験だった。


ビジュアルはそれぞれもちろん大好きなんだけど、やっぱりお芝居が大好きな人達なので、その二人のお芝居のやり取りが観られるっていうのがまた最高に幸せでした。
オフィーリアの死を告げるガートルードのところは、れいちゃんガートルードの語るオフィーリアの最期の悲しくも美しい詩のような響きに魅せられ、
その語りを聞いて涙ぐむりょうがくんレアティーズの表情に胸を締め付けられ……
極めつけにはお芝居のクライマックス、舞台上の上手では贔屓が、下手では推しが、まったくの同時に苦しみながら倒れ伏すので、本当に「どうしたらいいの?」でした。まじでそんなことある???
友達に「同時に倒れるあのときのはどうしてるの?」って聞かれて、「諦めてる」って答えた。2階席で見てたときはほんとにあきらめてオペラグラスを膝においた。笑
といいつつ、あのクライマックスは試合の剣さばきがあまりにもかっこよくて早々にレアティーズに視界を全振りするようになったので、毒に苦しむガートルードのお芝居、実はほとんど観られていないです。あのねぇ、同時は、無理よ!!!笑


このお二人は実はけっこう年齢が近くて、稽古~本番まで思った以上に接点が多かったみたいで……
レアティーズ・オフィーリアきょうだいのリフトの先生役をばっちりとれいちゃんがつとめていたことが大阪でのアフタートークで明かされたり(あみちゃんお話ししてくれて本当にありがとうございました)、
りょうがくんからの呼び方が「れいさん」であることがわかったり……今思い返しても本当に、なんだったん?ってなる。夢かな?夢だったのかも。

我々ファンにとっては周知の事実である「柚香光さんは面白い人である」という点に正面からツボりまくっているりょうがくんが垣間見れたのも最高でした。
うんうん、気持ちわかるよ~みたいな。れいちゃんってほんとおもしろいよね~そうだよね~!みたいな。笑
FC配信でりょうがくんの口かられいちゃんの最新おもしろエピが語られるのは本当にどういう状況だったんですか?聞かせてくれてありがとうございました。。。


公演期間後半のカテコ、大阪以降かしら、自分のお辞儀のあとに立ち位置についたれいちゃんがりょうがくんを振り返ってニコって笑いかけてくれる場面が多々あったのですが、
あくまでも私個人の捉え方としてですが、それはれいちゃんが「りょうがくんの気持ちをほぐそうとしてくれている」ように、見えていた。*1
なぜならカテコのりょうがくん、死にたての精神を引き摺ったものすごく険しいお顔をしていることが多かったので。
大楽でもれいちゃんからはそのニコッの微笑みかけがあり、それに対して笑みの混じった表情で頷き返すりょうがくんがいて。
そのやり取りを見たらもう流石に泣けてしまって無理でした。あーー。。。ってなった……。真意はもちろんご本人たちにしかわからないことですが、でもなんていうのか、一緒に作品を作り戦ってきた人同士としての交流を見させてもらえるのって、どうしたって胸熱にならざるを得ないじゃないですか。
こんなことってあるんだな~!?と思い続けた2ヶ月、オタク人生における惑星直列が起きてしまった。この幸を抱えてこの先もたくましく生きてゆきます。


とまあ、誰かを追っているオタクにとってこれ以上ない条件が揃っているうえに、舞台としてもものすごく面白かったときたら……そりゃあ、通ってしまうよねー。
想定よりもけっこう増えた回数で東京・大阪・愛知を駆け抜けました。
まじでもう2026年に悔いない!って思うレベルだった。楽しかったし幸せでした。長いことオタクやってるとこういうハッピーな奇跡も、起きるね!



本数はそんなに多くなく初見のものだけでいうと……いや嘘じゃん、10演目ありました、十分多いやんけ。。
言わずもがなで年末以降~2月頭までの暴れと5-6月のハムレット狂いがひどいため、総回数がそこそこすでにやばげ、
2026年のサビは歌ったつもりでそれはもう揺るがないんですが……でもなんか年末に「髑髏城の七人」来ちゃったよ。笑
www.vi-shinkansen.co.jp
いい塩梅ってどのあたりなんだろう。答えを探すあてのない旅は続く。とかいって誤魔化してないで多ステを真面目に見直せ!!
下半期も元気に劇場に通いたいです。

*1:その気遣いは……組子に対するそれのような……?って思っちゃったけどリフト習ってるしそういうことでいいか!?になった(ならないよ)

舞台「ハムレット」感想(市川染五郎さん/柚香光さん/石川凌雅さんを中心に)

ハムレット、本当に楽しかった!通い倒した集大成としての感想記事なわけですが、
単純に書き手の事情により、今回はたいへん恐縮ながら主演の染五郎さんとれいちゃん・りょうがくんの感想に絞って書かせていただいております(※筆者は以前より柚香光さんと石川凌雅くんのファンをやっています)。


目次

嘘偽りのない舞台姿がどこまでも観客を惹きつける / ハムレット・市川染五郎さん

硬派の極みである、演出や解釈もシンプルなシェイクスピア作品、それをなぜ私はこんなにも楽しむことができたのか。
それはなんといっても主演のハムレットをつとめた市川染五郎さんの素晴らしさによる。
彼なしにこの作品の成功、魅力を語ることは不可能である。
膨大なセリフを自らの内側から湧き出るものとして掌握し続け、場を支配するその様子は、
「21歳って……ええと、それはいったい何歳なんですか?」と言いたくなるような、凄まじい舞台姿だった。

私はこれまで一度も歌舞伎を観たことがなく、映像作品も含めて彼の姿を自分の目で見るのはこれが初めてだったのだが、
ハムレットを通じて染五郎さんを知ることができて良かったなと思うし、初めて見るハムレットを演じるのが染五郎さんで良かったと思った。
舞台が好きな人間として、目撃できたことをとても幸運に思う巡り合わせだった。
板の上に在り続けることを生業として生きてきた人にしか出せない説得力、それこそ一朝一夕で叶うものではない出力の安定感及び強さに、とにかく圧倒され続けた。


観劇前に戯曲を読んだ時点では、私にはハムレットという人間のことがさっぱりわからなかった。
「なんかずっとウダウダしていて話はいちいち長すぎるし、この人の言うことはちょっと適当に聞き流しておくか……」みたいな気持ちにさせられるくらいだったのに(正直すぎる)、染五郎さんのハムレットを観ているとそんなことは全然思わなくなってしまう。
殿下の言うことに、なぜか自然と耳を傾けずにはいられない。繰り言のようとも言える、ひとり思い悩む彼の独白が、不思議なくらいにこちらの心に届いてしまう。


それを叶えていたのはどれほど鍛えたらこのレベルに?と思わされる発声の確かさ、素晴らしさはもちろん、その内側にある舞台芸術への真摯な思いそのものなのかなと感じた。
我を出して貫いていくのとはちょっとまた違うベクトル。
この作品を今届けることの意味を内側で深く問い続け、役の中にどこまでも潜りながら、でも同時にどこか自由であるようにも思えた。
ハムレットと染五郎さんの間に壁がない感じ、殿下そのものに思える瞬間が多々あって。

祖父と父に続く形で、歌舞伎の高名な家柄の伝統として挑むハムレットという難役、その状況に意味を付け足そうとすればいくらでもつけられてしまうと思うんだけれど、
でもそれに反発するでもなく背負い込みすぎるのでもなくて、真っ向から役と一体となった宿命を受け止め、バリバリと噛み砕いて咀嚼しては、自分の表現として出力する。
そのしなやかな強さはあくまでも表現者としてどう役を生きるか?の深い問いかけにこそ向いていて、ある意味では頑固な職人のようでもあり……惚れ惚れするほどに魅力的だった。
こんな人が真ん中にいたら、そりゃあ座組も強くなると思う。
実際、カーテンコールその他の場面から窺い知れるカンパニーの充実度合い、雰囲気の良さが今回とても素敵だった。
染五郎さんを中心として、毎公演が真剣勝負であることが嘘偽りなく板の上から伝わってくるからこそ、私は硬派なストレートプレイをこんなに楽しく多ステできてしまったんだろうなと思った。

複雑で多面的な輝きを生きる王妃 / ガートルード・柚香光さん

れいちゃんが演じるからにはきっとこちらの受け取りも大いに複雑なものになるだろう、一体なにを見せてくれるのかな……ととてもワクワクしていたんだけどその期待にたがわず、とにかく表情豊かで奥行きの深い、大変に魅力的なデンマーク王妃だった。
なぜ死んだ夫の弟と結婚したのか、彼女は何を願い何を望み、何を見つめて生きているのか。
解釈の幅が様々にあり得るガートルードという人物像、東京~大阪~愛知と観る中でもその受け取りは様々に変化して、
おそらくは観る人や回によってもその答えは多面的に変わっていくものだったと思う。その魅力はまさに底なし沼のよう。
まばゆいゴールドのドレスに身を包む姿はトロフィーを具象的に表しているようでもあり、クローディアスの王位簒奪の要因の8割くらいは彼女にあったんじゃないか?と思わされるような引力の強い美女。まさしく「女」としての強い芳香を放つ。
しかし同時に、息子ハムレットに注ぐ愛は大海のように果てがなく、愛情深い母であり同時に女である複雑さ、
更にはその役割期待を超えて彼女が「彼女自身である」その様子が、私にはとてもれいちゃんらしい奥行きだと感じられた。


ガートルードが”彼女自身”であるというのは、周囲に向ける眼差しに満ちる愛のことを指している。
家族であるハムレット、クローディアスはもちろん、作中で関わるオフィーリア、レアティーズといった血縁の枠組みの外にある人物にも、その愛は確かに向けられている。
「ねえ、オフィーリア」と語りかけるときの声のあたたかな柔らかさや、オフィーリアの額への愛情あふれる口づけの仕草、
オフィーリア埋葬のシーンで「お願い、こらえてやって」と絞り出すようにレアティーズに叫ぶ声の必死さ。

れいちゃんのガートルードは意志を持って、その時己にできる最良の選択を採り続けようとしていたように見える。
仕方なく運命に流されているのではなく、自分に能う限りの手立てを持って、懸命に、同時に気高く生きている。
女性であるというその事実だけで、選択肢そのものが限られる400年前の戯曲の中での描かれ方。その中で表現することのできる最大値を、どこまでも追求しつづけたようなガートルードだった。

東京ではクローディアスとの結婚はあまり意に沿わないものであり「全てはハムレットのため」という風に見えて、なんならワインの毒にも気づいているように思える時があった。
大阪では打って変わって精神的な幼さが滲むような明るさと若さを生きており、毒入りのワインですべてを悟り息子に事実を伝え死んでいくように見えた。
そして最終地、愛知ではそれまでの歩みのまさに集大成、ガートルードを構成するあらゆる要素のバランスがとても繊細に積み上げられていて、
時に妖艶な女、時に愛を育てすぎた母、時に誇り高い王妃……その場面ごとに見せる顔が移り変わり、その印象はひとところには留められない。
結果「彼女はこのような人間である」とは易易と断じられない生き様で、簡単に答えを出させてもらえないことこそがれいちゃんのガートルードの本質だったのかな……というふうに感じた。
ため息の出るような王妃としての輝く美貌はもちろんのこと、その内側にあふれている芝居心が私はとにかく大好きなので、まさに柚香光ならでは、と思わされるガートルード像が見られてとても幸せだった。

悲しみの果てに冷たい怒りを孤独に燃やす / レアティーズ・石川凌雅くん

周囲から一目置かれる非の打ち所のない紳士とされるレアティーズ、立派な男だとハムレットからも繰り返し言及される彼。
りょうがくんの演じるレアティーズは、なにか”表面的な”名誉を重んじる男なのではなく、その中心にごく深い家族愛があるところが特徴だなと思う。
冒頭の船出の場面につけられているきょうだいの演出がそれを強く印象づけているのは間違いないが、
目に入れても痛くないほどにオフィーリアを可愛がる兄、その愛情の深さはどれほどのものであるか、という事実が観客には否応なしに伝わってくる。
長年宰相を務め、今の王からの信頼も篤い父親のことも敬愛し、強く誇りに思っている彼は、
「このように在りたい」と目指す姿であったり、己が守らんとするその名誉の根っこに、家族への強い愛を抱いていたのだと思う。
だからこそ、その全てを奪われたとき、彼は全てを振り捨てて一直線に復讐へと飛び込んでいく。


二幕後半に登場してからはまさにジェットコースターのような浮き沈み、激しい感情の起伏を生きることになるレアティーズ。
父を殺された事実とその顛末への激しい怒り、その父の死によって狂わされた妹の姿への驚愕、そこに更に追い打ちをかけるような時を待たずしての突然の妹の死。
……ちょっとズタボロになりすぎである。ひどい仕打ち。どう考えてもレアティーズ・オフィーリアのきょうだいふたり、あまりにも可哀想すぎる。

父王の復讐に揺れ、惑い続けるハムレットとは対象的に、烈火のごとく怒りの炎を燃やすレアティーズは、真っ直ぐに復讐へと吸い込まれていく。
埋葬のシーンでのハムレットとのぶつかり合い。レアティーズにとっては、あそこが一番苦しみを感じている場面だったように思う。
ハムレットによる「なぜ僕をこんな目にあわせるんだ?」については、いくら悲しみに溺れようとも名誉ある立派な男がそのように振る舞うべきではない、という指摘なのだろうと思うが(※「どの口が言う」100%前提として)、
そうはいっても彼も”人の子”なのだ。自然の情には勝てないからこそ、心からの嘆きはどこまでも深くなるのであり、その悲しみには出口が見えない。
内側に猛り狂う怒り、絶望、悲哀、苦しみの数々を、レアティーズ自身が持て余し自問自答するような表情は、本当に見ていてこちらまで苦しくなった。


そしてその身のうちに巻きおこる激しい感情の全てを、彼は復讐心へと冷静に収斂させる。
泣きぬれた悲しみの果てに彼がたどり着くのは、たったひとりきりの、冷え切った怒りの世界。

ハムレットとの試合前。その場に立つ彼は、一切の迷いを生じさせることそのものを固く己に禁じているような頑なさを身に纏う。
復讐相手に向かって手を差し出したそのとき、「…決して不当なことはいたしません」の一瞬の間。この一拍、明確な空白に、ハムレットを討ち果たすという強い覚悟が滲む。
一方で「その言葉、素直に受けよう」とレアティーズの手をとるハムレットは、握った手をなかなか離そうとせずじっと彼を見つめるので、本来は潔白でありたいはずのレアティーズの心は、恐らくは少しずつ乱れていく。
しかしそれでも。どれだけ卑怯な真似をしようとしているのかをこれ以上なく自覚していようとも、
愛する家族を奪われたその復讐の手を緩めることを、レアティーズは決して己に許さない。
毒の切っ先を見つめる目の色の濃さ。ハムレットに向かっていく全身からは、刺し違えてでも奴をあの世に連れて行くという気概が爆発するように溢れていた。


自らの命が果てる前に、王と己の企みのすべてをハムレットに伝える彼は、自分の何を取り繕うでもなくありのままに真実を打ち明ける。
確固たる愛ゆえの名誉心を、本来は望まないはずの形で全うしてしまったレアティーズ。
形が違えば、ハムレットとはきっと良い理解者同士、友人になれたのにと思わずにはいられなかった。

多くはない出番の中で喜怒哀楽の全てをぶちまけるように疾走する姿。そのさなかで、その心情がいかに本物であるか、ということを場面ごとに強く感じさせてくれたりょうがくんのレアティーズとしての生き様が、私はとてもとても好きだった。
ラストのハムレットとの試合のシーンの見事さはファンとして誇らしいとしか言えないもの。
アクションによって成り立つ場面として捉えたときの迫力が本当に申し分なく、とてつもなく決まっていて二人の姿のいちいちが絵画のように美しかった。
大楽の三本目の見ごたえといったら言葉にできないほどで、王宮で試合を見ている観客になってうっかり拍手してしまいたくなるほどだった。
今回のこの座組に名を連ねてくれたことが、いちファンとしては本当にたとえようもなく幸せで、存外の喜びを感じました。

総括:今「ハムレット」を上演する意味を、観客に問いかける一本

とても原作戯曲に忠実に展開されていたと思われる今回のハムレット、しかしラストだけが180度異なっている。
フォーティンブラスのラストのセリフが「兵士たちに命じて弔砲を打たせるのだ」から「兵士たちに命じて射殺しろ」になっているという衝撃。
今の世に上演することを考えたために結果としてそのように変更したのだという演出のルヴォーさんの思い。
実際に目にした観客としても、その変更に違和感を覚えられない……という現実の在り方には、やはり恐ろしさを感じざるを得ない。
あのエンディングの迎え方では、デンマークはきっと続いていかずに滅びてしまうことになるのだろう。


「射殺しろ」というフォーティンブラスの声に反応するように突如燃え上がる舞台上のピアノ。
絶命したハムレットを抱き呆然とするホレイショーのシルエットは波濤に飲み込まれ、背景のLEDパネルの映像はブラウン管のようにぶつっと白いノイズ線を走らせて消え、唐突に幕となる。

フォーティンブラスを含め、最後に銃を構えて立つ兵士たちを演じるのは全員が女性キャストであることには、複合的に「今」を表すことを意図した演出なのかなと感じた。
旧態依然としたものはいずれ滅びる、新しい力*1がそれを乗り越えるように訪れるだろうというプラスの面と、
そうして立っている今この時がどれほど確かで過ちのないものなのかは結局はわからないというマイナスの面、
その両面が2026年の現代を象徴するような幕引き。
呆気にとられたまま急に現実に放り出されるような感覚のラストは、
「ハムレットという戯曲を今解釈して演じるとはどういうことか?」という問いかけを強く観客に向けてくる。
それまではどちらかというと傍観者としての感覚を強く得ながら物語を観ていたのに、最終的に事態の当事者として作品を突きつけられる、ある意味では容赦ない後味の悪さ。
この巻き込み方もまた演劇にしかできない表現そのものであり、こういった体験をいつのまにかしてしまうというのも、観劇趣味の醍醐味のような気がする。


東京公演の終わりかけの頃、自分なりにもっと作品理解を深めたくて手に取った「謎解き『ハムレット』 名作のあかし」(河合祥一郎著・ちくま文芸文庫)で、
最終的に「ハムレットは単なる復讐譚ではなくアイデンティティの物語である」という解説がされていたのだが、
観劇前に戯曲を読んだときに「この作品の主題って一体なんなんだろう」とまさに思っていたので、ものすごくスッキリした。
Xでも何度か紹介したけれど、今作の補助線としては完璧といっていい、私にとっては最適な一冊だった。が、すでに手に入りにくい本なので、読むならば同じ著者による100分de名著のほうがおすすめ。
以下で「はじめに」と「第1章」の全文が特別公開されているそうです。
mag.nhk-book.co.jp

戯曲の読書→実際の観劇→それを経ての副読本の読書→改めての観劇、といった流れで、自分の中でのめり込むようにこの作品に向き合えた約2ヶ月はとても充実していて、
単に「推しが出ている舞台」としての捉え方以上の*2、本質的な演劇作品に触れる観客としての喜び、みたいなものをたっぷりと味わうことができた。古典作品をどう楽しむか?という意味で充実感の最大値を記録できた気がしている。
とにかく、板の上の充実感が素晴らしい作品だった。そういう作品を目撃できることの幸せ。
この作品を届けてくれた座組の誰しもが「今その瞬間を役として生きる」ことにとても真摯だったからこそ、私はいち観客としてこれほどまでにこの一筋縄ではいかない戯曲を楽しめてしまったのだと思う。
予定調和のセリフなのではなく、その場で内側から自然と発するように聞こえてくるシェイクスピアのセリフは、最終的にはどこか音楽のようでもあって、
流れるような日本語の美しさを存分に味わいながら、同時に物語そのものの解釈を探求する過程をじっくりと楽しむことができた。


初めて観客として触れる「ハムレット」が今回の染ハム殿下を中心とするハムレットだったことを、心底幸せに思う。
類まれなる充実感を観客として与えてもらったこの初夏の客席での思い出を、これからも大切にとっておきたい。

開演前の撮影OKタイムにて。燃えるピアノ・きょうだいのリフト・試合前のレアティーズ正面で昇天ものだったとある回思い出の最前!

*1:時にそれはかつて虐げられてきた女性であったりもする、という象徴としての女性キャストなのかなと思う

*2:そもそも「推しと贔屓が共演している」とかいうわけのわからないことが起きている作品だったので、その時点で私にとっては大事件中の大事件なのだけど、この記事にその話を含めてしまうとノイズにしかならないのでいったん言及はやめておきました。笑

【ネタバレしかない】刀ミュ 加州清光 単騎出陣 極 東京公演序盤(5月1日~5月3日までの4公演)を観た感想

加州清光 単騎出陣 極、東京序盤の4公演に現地参加してきました。
当然のようにネタバレしまくりますので、未見の方は読むにあたってどうぞご注意を。

このブログで滅多に刀ミュの話をしなくなったので書き手の背景を簡単に説明しておきます。
刀ミュの初現地観劇はトライアル公演、その後2016年夏のプレミアム公演限定ライブの清光にやられて本格的に刀ミュにハマり、幕末天狼傳初演では思い詰めすぎて上海まで飛び、
その後つはもので三日月に陥落し、最終的に江水の肥前くんを経て最新の役者の推しはいしかわりょうがくんに流れ着いたオタクです。
過去の清光単騎は2017,2018,2019アジアツアー凱旋(幕張)で現地観劇。



目次

今回の加州清光単騎は、修行の描写の後に極衣装で登場し、一部の曲を歌うお芝居パート→二部のライブ曲を歌うライブパート→再び戦闘衣装(極)で刀剣乱舞、の構成。
先にライブパートの感想から書きます!

ライブパートについて

構成を大まかに解説

ライブパートの構成はざっくりいうとこんな感じ。初日はそんな記憶ができる余裕は全くなかった。何が起きたのか受け止められなかった。それくらい濃い。

  • まずは、過去の単騎及び本公演で歌ってきた加州清光としてのソロを披露(※フル歌唱ではない曲多め)
  • 清光がいったん捌ける。ダンサーさんのパフォーマンスを挟んで、衣装チェンジして清光が再登場
  • からの、ひとりらぶフェス無双状態が開始
    • 過去の本公演で披露された「全員曲」を過去公演分ぜんぶ網羅してみせるという、前代未聞すぎるボリュームのセトリに殴られる
  • 本丸の刀剣男士からのお手紙ビデオレタータイム。ここでも一回清光が捌けて、ビデオレター後半で帰って来る
  • ここから3曲披露なのだけど、その3曲目では客席降り
    • まさかの2バルまで!
  • 客席から舞台上に戻ってきて新曲を披露。ここまででいったん清光が再び捌ける。
  • ステージ上に和太鼓が登場。太鼓パフォーマンスが始まり、途中で衣装チェンジした清光が参加。
  • 太鼓曲を1曲披露。
    • これも新曲ですかね…?俺達ロックスター!って吠えている新鮮な清光が見られますw
ライブパート①自身のソロ曲をふんだんに詰め合わせ

つまり「自分のソロ曲」と「それ以外」で衣装をチェンジしているということなんだな、と書きながら気づいた。

この1着目の衣装がァァ!可愛すぎる。赤×黒をベースにした様々なサイズのチェックの布地が複雑に組み合わさっていて、ゴテゴテした装飾の過剰さと可愛さとの間でギリギリのラインが攻められてる。
一見ごちゃついてしまいそうなのに本当に心底「かわいい~!」って声が漏れる着こなしを見せられるのが、さすがの清光。
キャスケットも新鮮!似合う!!!


1曲目がおそらく新曲ですかね。Bメロに「鬼さんこちら 手のなる方へ」という歌詞があったり、サビは「奇々・奇々怪々」って繰り返される。
ちょっと不思議で不気味さもあるけど一度知ったら忘れられない世界へようこそ!みたいな空気感。のっけから、ダンスが好きすぎるんだよなァ!となる。
本当に清光の単騎は毎度こうなるんだけど、「可愛い!好き!」しか記憶できておらず、振り付けの形はまだ記憶の中であやふや……!


2曲目:早々に大好きな「kiss for all the world」で大歓喜。あのトランプを使ってダンサーさんたちと賭け事メインの抗争?を繰り広げる演出もおんなじ。
フルでしっかり歌われるのでめちゃくちゃ嬉しかった。
2番に入る前の間奏で清光が出したカードを見て回りのダンサーのみなさんが「アァー!!!」ってめっちゃ悔しそうにする仕草が、過去の単騎で一番強いというか声がでかい。ボロ負けしたんかなw


3曲目:「言の花」でこれまたギャー!!!初日、イントロで無意識に叫んだなぁ。
振り付けだけじゃなくて基本のステージングが!あつぱり本公演と変わってないぃ~~涙 となりました。
Cメロで上手に行くところとかそのまんま、おんなじすぎる。。。
この曲も振り付けが好きで……24時の枕元で斜めになる清光が再び見られて嬉しいよ……。
間奏かな、どこかのタイミングで椅子の上で足を蹴り上げるんだけどその高さに毎度ビビらされる。どんな身体能力なんだ。


4曲目:「Run Time」でやっぱりぎゃー!!!
ちょっとしっとりした気持ちのところにぶち上げられる1曲、メリハリが良いですねぇ。
りゅうじくん自身が好きな曲として名前を挙げてて過去お祭りでも歌われてないんだよな~って言ってたから、本家で聞けて嬉しすぎた。


5曲目:「Blue Light」これも久しぶりに聞いたぁー!!えーっと、5周年の音曲祭ぶりかなぁ……?
この曲ね、真ん中~終盤あたりでステージ後方の階段を登っていくときに、腰の右側に垂れ下がってる紋がプリントされた大きなオーバースカート的な布地をね、清光が手で摘んで踏まないようにするんです!
その仕草のあまりの可愛らしさに、初日に心撃ち抜かれた。
私が単騎2日目にロングスカートを着ていたために、階段で同じように裾を踏まないようにスカートをつまむ仕草をしたら、一緒にいた友達が「それ見て昨日の清光のかわいいところ思い出した…」って呻き出したの、よかった。笑


6曲目:「Promise You」RunTimeと同じくこちらも単騎2年目で生まれた曲。歌詞がなんか、ほんっとうに清光らしいと思う。愛が詰まっているなぁと感じる曲。
「この先もずっと一緒だよ」って言ってくれる優しさが、当時以上に身に沁みます。
「I promise you いつでも」の曲終わりに、小指をぎゅって握る振り付けがたまらん可愛さ。見るたびにキュンとする。
あと落ちサビのあの「好きだよ」を、歌わないで台詞っぽく言って観客を動揺させたアレをまたやってほしい~!楽とかでやってくれんかな?ってちょっと期待している。笑


7曲目:「解けない魔法」えええもう歌うーー!?って初日序盤でのびっくりしたポイントのひとつ。
やはり、過去の単騎だと本編締めの1曲という立ち位置だったため。

あのステッキを使う振り付けを何度見てきたことでしょう。
イントロ始まってすぐくらい、下手に向かって肩の上から左手のひらを投げかけるみたいなあの振り付けが大好きで「流れ星しゅー」って呼んでた、ずっと。しゅー!かわいいんだぁ。涙

もうひたすらにしみじみしながら、この刀ミュ伝統芸能を噛み締めて聞くじゃないですかこっちは。
そしたらさぁ、間奏でなんか音がギュンと変わってさぁ、思いっきり高く転調したんだよねぇ……?
その転調の意図に気づいたとき、初日本当に「!!!」って顔になった、2バルで本当に素っ頓狂な顔した。2バルでよかった。

清光、ここからもう一度サビを、トライアルの原曲キーに上げて歌ってみせたんですよね。バカみたいに泣いた。
あれ確か阿津賀志本公演以降のバージョンに比べると「三度高い」って聞いた記憶で。。
仮歌がそもそも女性の声で本当に高くて、トライアルのときは全然その高さが出せなくて、っていう……
その高さを顕現から11年目の今、堂々と歌い切ってみせるのが、本当にかっこよすぎて、涙が止められなかった。りゅうじくんの清光って、本当にすげえや。
3月にCS放送された居酒屋流司で、今回の単騎について「俺は俺を超えるぜ?」って言ってたとおりのことをやってのけていて、打ちのめされるような感動を覚えた。

ライブパート②本公演全員曲の狂気のメドレー

ここはもう本当に!狂気の沙汰だと思った!!!笑
何をしているかって、これまでの刀ミュ本公演で披露された全員曲を平等に各公演から1曲ずつメドレーにするという。真剣に本当に、どういうこと???一人なのに???


怒涛の勢いで畳み掛けられるので順番という意味でのセトリは全く覚えていないんですけど、そもそも1曲目が「Signalize」で。バリ叫んだよね!?
「Break Out!」でこちらの精神がブレイクアウトしました、ありがとうございました。
だってさ、振り付けがさ~~~!これまた幕末天狼傳の本公演と変わってなくてェ!?!がちの10年前って本当にどういうことなんでしょうか。
未だに舞台オタク人生において一番通った演目No.1です、幕末天狼傳初演。
「どんな闇だって 抱いてSignalize」ってリアルタイムで歌う清光を見ることあるんだ……って呆然とした。ありがとう、メドレー1曲目に選んでくれて。

この次が多分「革命前夜」かな?
水心子ステップやるためにCメロの光世のロングトーンから入るの良すぎ~!ってなった。
次が多分「IGNITION」ですかね。ここで一番大きな歓声が上がったことに初日は正直びっくりした。*1それだけコロナ禍以降のファンの人数が多いということだよなぁ。
この曲独特の治安の悪さもしっかり似合ってて、流石~!の気持ち。


さて、公演の上演順にどの曲が披露されたのかを書いてみよう。あくまでも上演順なので、セトリ順ではないです!

  • 阿津賀志山異聞→「mistake」
  • 幕末天狼傳初演→「Signalize」
  • 三百年の子守唄→「Can you guess what?」
  • つはものどもがゆめのあと→「BE IN SIGHT」
  • 結びの響、始まりの音→「Secret Sign」
  • 阿津賀志山異聞巴里→「Lost The Memory」
  • 三百年の子守唄2019→「響きあって」
  • 葵咲本紀→「約束の空」
  • 静かの海のパライソ2020→「Free Style」
  • 幕末天狼傳2020→「Scarlet Lips」
  • 東京心覚→「革命前夜」
  • 静かの海のパライソ2021→「揺ら揺らら」
  • 江水散花雪→「お前が知ってる」
  • 花影揺れる砥水→「IGNITION」
  • 陸奥一蓮→「百花絢爛」
  • 坂龍飛騰→「VROOM VROOM」
  • 静かなる夜半の寝ざめ ※見てないため不明でしたが初めて聞く曲が一個あったから、多分それがそう!(そんな!)


……いやこれを、メドレーとはいえ一人でて。どうなっとるんまじで。こんなの、呆気に取られるしかないのよ!
休憩っぽいタイミング一瞬挟むかな……?お水飲んでたのって、この全公演メドレーの折り返しあたりかな!?だとしてもぶっ通しだよね。
初日このタイミングだったっけ?「主に朗報!……まだ半分いってない!」って言ってたのは。笑
このメドレーパートが進んでいくにつれての、初日のどよめきというか動揺、ほんとにすごかった。
客席もみんな「正気!?!」みたいな空気になっていってた。そりゃあそう!!!


このとおり全公演から必ず1曲ピックアップされるため、誰でも今回の単騎該当になれる。それが地味にものすごいことではないか?と思う。

清光が出ていた本公演や過去の単騎をタイミング的にも現地では観たことないって人も沢山いるはずだけど、
絶対に「これ好き!」って思い入れがあるだろう曲が、全員にとって1曲はあるはずの構成になっている。
誰のことも置いていかないし、嘘偽りなく刀ミュ本丸全体を背負ってみせるという気概とその実力がものすごい。
やっぱりずっとりゅうじくんの清光が刀ミュの総隊長なんだねぇ。涙

江水まで本公演は必ず現地で複数回観ていた人間なので、それぞれの公演曲が披露されるのが本当に嬉しかった。
清光はどうしても大型公演不在なことが多くて、出られてもゲストだったり。
このタイミングで初めて歌ってるのが聞けた!って曲が沢山あるし、自分にとっての大切な曲を清光で聞けたのも嬉しくて、なんかもういろんな感情が溢れに溢れた。


以下は個人的テンション上がりポイントです!

  • 当たり前のように坂龍の「VROOM VROOM」も入ってきたので初日嬉しくて叫んだ。りょうがくん見てるか!?(まだっぽいです)←その後東京楽で観れていてほんとによかった。「ねーー君のパートをりゅうじくんの清光が歌っとるけど!?」なった。
  • それよりあとに江水から「お前が知ってる」も来たのでぶち上がり。りょうがくん見てるか!?ちょっとまた君のソロパートをりゅうじくんの清光が!?(アゲイン)
  • 全公演から歌うならそりゃそうなんだけど「BE IN SIGHT」にもギャー!!なった。STAY!って聞こえると意識しないであの「ジャンジャン!」ってタイミングの2音に合わせてペンライト振っちゃうよね。
  • 最終盤で「Lost The Memory」だったので……もう……!涙 これは清光の持ち歌でもあるから、ほぼフル尺に近い長さで歌ってくれて。。振り付けがもう懐かしくて懐かしくて……あの「もう離さない」でジタジタする動きとかさ。

この狂気のメドレーを締めくくったのは「mistake」。もうぐうの音も出ない。
3日目のソワレかな?歌い終わりに捌けていく清光がなんか爆笑しているように見えて、自分でも「なんだこれー!!!笑」って気分になったりするのかな?とちょっと思った。かわいかったです。笑

ライブパート③ひとりでも客席に降りるホスピタリティ

お手紙ビデオレター後のここの1曲目が「見つめてくれるなら」なんですけど、これもフル尺に近い長さで歌ってくれて嬉しかった!
フルではないんだけど、その分逆にライブでは聞けたことがない、音源でしか聞いてこなかった(よね?)Cメロを歌っているのも聞けて最高だった!

なんといってもこの曲は本当に振り付けのすべてが大好きです。なんであんなに毎秒かわいいんか?どうなっとるんか???
好きなところいっぱいあるんだけどサビの「Love that's waiting」で肘を曲げて引きながら腰をキュッとひねる感じの動きが、本当に2017年からずっと好きです。あんなの可愛すぎる。9年経っても助からん。
好きすぎて水道橋駅の階段を降りながら「ここが可愛くてぇ~」って説明のために同じ動きをしていた。やめなさい。友達に最初の3日でこの振り付けの話10回くらいしたかもしれない。笑
やはりこれは、単騎初年度を象徴する曲といいますか。公演映像まとめたPVも作られたしね……公開されたとき、自分でも引くくらいに泣きながら見たのを覚えている。


2曲目は「Dear You」
ここ数年の大型で歌われる機会もあったよなって気もしつつ、どうしてもこの曲には幕末天狼傳初演+単騎の思い出がぎゅうぎゅうに詰まっているので、エモさが……!
「忘れないで 忘れないで 僕のことを」って言われるたびに、忘れるわけがないよ!?って思い続けてきた。
刀ミュが終わることが明確に告知されている今聞くと、なんと表現したらよいのかわからない、これまでとは種類が違う切なさが込み上げてしまう。
そりゃ忘れたりしないよね。絶対。


3曲目は「No life without you」。単騎2年目の曲。
清光のことだから、TDC…じゃない、カナデビアホールだろうがどこだろうが絶対に客席に降りるだろうとは思ってたけど、まさか2バルにまで行くとは思わなんだ。。
しかもその光景を後ろからカメラ2台で追ってくださるの、凄すぎない!?

階段を登り、歩きながらタンブラーでお水を飲んだり、今回のグッズのトートバッグを受け取って肩にかけたまま移動したり、その間じゅうずーっとキラキラの笑顔。
降りてる様子を見てるだけで、も~なんか幸せで楽しかったです。ニコニコして眺めてしまう。
刀剣男士がバルコニーにいるところは実にコロナ禍前の葵咲本紀ぶりに見ていることになるので、ものすごく感慨深くもありました。

相変わらずの凄まじい反射神経でファンサを振り撒き続ける天使。本当にすごいしか言えなくなる。
見てるかんじ、指さして・ハート作って・花丸ポーズして、あたりが打率高そう?(すぐできるからかなやっぱり。)
通路近くより、むしろ自分に対して遠い位置にいるお客さんを構おうと頑張っているのが伝わってくるので、やっぱり愛がすげえ。
ファンサはいつだって時の運ですが、刀剣男士の人数が多いときとは明らかにモードを変えているので、そういうところも尊敬してしまう。*2


自分をカメラが追ってくれることについて「ほんと、便利な時代だよね~」ってほんのり笑いを起こしたあと、ここでも新曲!
手拍子とかお手振りが入る感じの、とっても明るくてウキウキした曲。
曲調は違うけど立ち位置としてはエタフレとかALL FOR ONEぽさのある、ちょっとゆるっとした軽みが特徴の曲で大好きでした。
これも歌ってる清光がとにかく毎秒、本当に可愛い!!!毎度そうなるけど、清光の単騎の感想書いてると「可愛い」以外の語彙を失ってしまう……

ライブパート④俺達ロックスター!

……太鼓曲、サビの終わり毎回「俺達ロックスター!」って叫んでるよね?……どゆこと?w
めちゃくちゃオラついてる曲調で、これは歌ってる本人めちゃ楽しいんだろうな~って思ってみてます。新曲であってますかね。違ったらすみません、、
(追記:↑こちらは「静かなる夜半の寝ざめ」の曲なんだそうです。それはそれでびっくりした、「え、あのメンツがこの曲を…?!」になって。笑 教えていただきありがとうございました🙇)

歌唱がこれまでの清光とだいぶちがくて、みんな感じてると思うから書いちゃうけど、かなりブロビっぽいです。なんせ途中デスボイスも入るので。笑
そのあたりに関しても「……まぁ、極だかんな!」って気持ちで納得できるのがなんか楽しい。
本当にね~この曲の清光、めちゃくちゃ楽しそうなんだよね~。
これまで入ってた「誉」の文字が出る演出はそういえば今回はないな?って思います。


ライブパートはここまでで終了。そうなんです、なんと今回はアモーレが衝撃のセトリ落ち!
清光の単騎で「情熱のSymphonia」やらないって選択肢あるんや~!?って初日かなりびっくりした。でも確かに東京ドーム1日目に歌ってたもんな……?と思ったら納得はした。


本当に「そうはならんくないか」の大ボリュームで届けられる今回のライブパート。
初日はペンライト3本で臨んだけれど、すぐに悟った。それで足りるはずなんかないと。
なので2日目と3日目は、真っ赤な光を所持できる最大数の6本に増やして挑んだ。
だってこんなすごいものを見せてもらっているのに、こちらからは他にできることがないんだもの……!
すさまじい努力とパフォーマンスに報いる方法が「なるべく光る」しか思いつかなくて……すごいよ清光……。

お芝居パートについて

修行の描写

ここに関してはただただ「うわぁ……!」と良い意味での致命傷を負った気持ち。
そうだよね。清光が極になるので、行き先考えたらまぁそりゃそうなる……と思いつつ、幕開けにいきなり沖田くんの格好してるとは思わなんだ。。

ウィッグの感じがとっちーじゃなくてふうまくんの沖田くんだよな~って思っていたんだけど、ふうまくんの沖田くんにシルエット似てる!って感じてるお客さん多い気がします。
友人とその話をしていたんだけど、終演後の劇場前で全く同じ会話が耳に飛び込んできた。「定本くん連れてきたのかと思った!」←わかる
なんだろうな、とっちーの沖田くんはストレートヘアだし鋭利な印象が強いのに対して、ふうまくんの沖田くんは全体から醸し出す雰囲気が柔らかいんだよねぇ。

1曲目がそもそも沖田くんすぎてあかんやろ……のあとに「爪と牙」やってくれたんですよね。泣いたよ。。
最後の「命果てるまで」の歌い方ちょっとがなる感じにするよねぇ、っていうのが過去の単騎とまたおんなじで……
刀ミュにおける新選組を浴び続ける数分間、そんなのこちらは泣かないでいられるはずはないのだ。
「貴方はよく生きた。ご苦労さま」って、羽織を置いて振り返らずに立ち去っていく清光よ……


そして再び登場する彼は、ついに極の姿で帰還する。


※ここから先に書くことは、現在の刀ミュの脚本の流れすべてが完全にウェルカムである人とは絶対に相容れない感想なため、その前提で読んでほしいです。
人によっては明確に不愉快になる可能性がありますから。


極の姿で語られる内容について

私は今の脚本の展開を自分が受け入れられる日が来ることはないんだろうなぁと、もうだいぶ前に諦めてしまっている。さみしいけど。
ので、今回の極の清光が語る内容に関しても、引っかかりを感じたり心がうっとなる瞬間はどうしてもあって。
でも、特に初日に明確に得ていた違和感を、公演3日目には「極」としてのりゅうじくんの清光が全部抱き込んで説得力をもってお出ししてくれていた。
そのことに正直かなり救われています。


昨今の展開、そしてこのまま物語が向かっていくのだろう結末……かつて本丸の初期刀が折れてしまったことが、三日月がずっと単独で行動していることの背景や要因のひとつになっている、という解釈は、
つはものに端を発する過去脚本の描写から考えたら、いやいやそんなん絶対ありえんでしょうにと、もはや怒りを帯びて思い続けているんですけど、
(だってそれでは「歴史を守る」のではなく「本丸を守る」ことこそが彼の行動原理となってしまう……三日月が守ろうとしてきた歴史って、もっと大きなものだったと思っているから)
それはそれとして、「機能だかなんだか知らないけど、月になんかくれてやんない」と、清光が三日月のことを本丸の仲間として大切に思っていると言葉ではっきり伝えてくれたことが、すごく嬉しかった。

違和感としてはですね、刀ミュの清光が三日月のこと「じじい」って果たして呼ぶかね……?とは思ったし(おじいちゃんとは言ってきたけど、自称じじいでもそう呼んでは来なかったよね?)、
歌仙兼定に「会いたくないっていうか、気が合わなそうっていうか……今のは無し、無しね。」とか、後者はともかく前者は、果たして彼がそんな風に言うかね……?ともだいぶ、思ったけど……(気が合わなそうはわかる。でも、会いたくないって言いかたするかね……?)
でもまぁそのあたりもほら、いうて「極」だから。っていう説明が、つけられるような気はする。なんか複数回見てるうちに、してきた。


こうやってちゃんとブログに書くのは初めてなんですが(辛いから意識的に書かないようにしてきました)、
脚本家の交代以降に描かれる三日月のあり方が、本当に申し訳ないのだけれど、私にはどうしても受け入れることが自分でも悲しいくらいに、難しい。
だって私は、つはものの三日月が大好きだから。
今回の単騎脚本パートも、当然最新の流れで紡がれている内容なために、正直見ていてしんどくなる側面はあるけれど、
それでも清光が最後までこうして仲間として待っていてくれるなら、それはそれで本当に良かったな。と思えたのだ。自然と。

それくらいに、りゅうじくんの清光が、現在と過去を明確につなぐ存在として立ってくれている。
その原動力が「愛」であるところは、ずっと変わらない、ブレない軸であり続けてて。
昔からずっと知っている清光が伝えてくれる言葉にはやっぱり嘘がない。
そして今回、お芝居パートは茅野さんとりゅうじくんの共同演出であることが名言されている。
パンフレットのふたりの対談も読んだ。
刀ミュの過去と今の双方を嘘なく生きる清光が見られたのは、りゅうじくん自らが携わったからこそだろうと本当に強く感じた。


最後に「ねえ」って呼びかけるところ、初日の時点で「あ、これ三日月に話しかけてるんだな」ってその発声だけでわかったの。
「俺、結構強くなったよ」以降の台詞の言い方は毎公演違っていて……

あそこに込められている清光の愛が、私にとっては本物の手触りで、どこまでも信頼できるものだ。と強く感じました。
もう自分自身が観客として積極的に物語を追うことはとうに諦めてしまっていたけど、今回その中で初めて光明が見えた。そのことが嬉しかった。
刀ミュのはじまりを担った存在だからできる役者本人の力技で、連続性をもった世界につれてきてくれた、そのことに心の底から感謝してます。ありがとう、りゅうじくんの清光。

清光が歌う「ねえ主 帰ってきたよ」の歌、中身に対して自然とこちらの心が沿った。素直にとても好きな曲だと思った。
闇夜が覆い尽くすなら朝を連れてきてやる、みたいなところ、本当に愛がでっかくて、ああ、刀ミュの清光だなぁ……って思う。泣けてしまう。


何を書いてもこういうの読まされると怒る人はいると思うんだけど、私は浅井さん個人のことを責めたいわけでは全くないです。*3
だって書き手が変われば話が変わるのなんて、当たり前にしゃーなし、でしかないと思うもの。
その点では誰のことも責められるはずなんかない。シリーズは終わらせなければいけないんだし。
書き手には「作家性」というもの、得意分野があって当然だと思うんですよね。
個人的な感覚では、浅井さんの作家性はきっとあたたかな愛のあり方を描く方に、より適性がおありなんだろうなと思う。
だから今回の清光の描かれ方とそこはしっかりとマッチしていたし、りゅうじくんが過去文脈を乗せきってその「愛」を演じてくれたから、理想的な融合が起きていたんだろうなって今回感じました。


ライブパートのセトリの豪華さと、このお芝居の力量で、
今回の単騎を通じて過去の自分がものすごく大好きだった刀ミュに、ちゃんと正面からお別れをする機会を貰えた気がした。
だから本当に、感謝しかないんだ。
もう思い出すことも難しいかと思っていた過去の熱量が、自分の身のうちに帰ってきた瞬間を感じられた。
そんな体験が叶うなんて、正直思ってもいなかった。大好きな気持ちは色褪せずに内側に残ってくれているとわかって、そのことがすごく嬉しかった。


昔から観客として同じ気持ちのままではいられなかったこと、本当にごめんなさい。
でもそんな私でも、今回この場所につれてきてもらえたこと、新しい景色を見せてもらえたことがすごく嬉しかったです。
ありがとう、清光。
あの「刀剣乱舞」ラスサビの昔からずっと変わらない振り付けを踊る清光を、私はあと何回見られるんだろう、と思ったら涙が止まらなかった。


どう考えてもものすごく、最高にタフな公演だと思うので、どうか最後まで無事に駆け抜けられますように。
心から応援しています。あなたは間違いなく、この本丸のかけがえのない光。


ネタバレ防止の観点もあって言えないことを抱えている人も結構いるような気がするので、たまには置いておきます!(マロだとネタバレするもんねぇ…)
お返事とかとくにできないんですけど、書いていただいた内容はぜんぶ読みます!
docs.google.com

過去の単騎の感想も貼っておこ。だいぶ文章下手だけど……いやほんとに下手ァ!まあそれも味で思い出!書き残しておくっていいことだよね。
▼2017
anagmaram.hatenablog.com
▼2018
anagmaram.hatenablog.com
▼2019
anagmaram.hatenablog.com

*1:「なんだよォ!IGNITIONよりSignalizeの歓声のほうがデカくあれよ~~!?」と思った、だってやっぱさみしいじゃないすか……けどまぁ10年前の公演だと思うとそれも無理な話かも。。

*2:全員自分目当てだから、本公演の清光からじゃ考えられないくらい客席の前方のことは基本構わないように徹底しているなと個人的には感じました。観てないからみちのおくの時の様子はわからないんだけど……

*3:むしろどう考えてもめちゃくちゃ大変な状況を引き受けてくださっているわけで。指向性と噛み合うものではないかもしれない題材を書き継いでくださっている、それは途方もないことだと思います。物語を愛するからこそそう感じてます。そこへの敬意と、過去との連続性という意味で自分が新しい物語を観客として愛せるかは全く別の話、として捉えてます。ここまで言葉を尽くしても、言いたいことが伝わらないこともあるとはわかっているけど。でも、伝わる人もいると知っているので。

「客席から舞台上が見えづらい劇場」がなぜできてしまうのか問題を、いち舞台オタクが考えた

新しい劇場が出来た。喜ばしいことだ。しかしなぜか「客席から舞台上が見えづらい」らしい。なんでやねん。

きのうの夜からバズり散らかしているこの記事を見て、舞台オタクたちは大いに怒っている、いや呆れている。

新しい劇場ができた、しかし肝心の舞台上が見づらい!……みたいなことがまじでめちゃくちゃしょっちゅう起きるの、本当になんで?
とずっと思ってて、個人的にこういう構造だからなんかなーと考えたことを書きます。あっているかどうかは知らない!いち舞台オタクから見えている景色を書いてみるという試み。

目次

なぜ客席から舞台が見えない劇場ができるのか

それはシンプルに「見えるように設計されていないから」ということになるが(本当になんでだよ)、
この点について過去に「設計現場にいる人の大半は男性であり、特に視界に関しては男性の身長であれば問題ないことが多い。そのために、結果的に女性の視点での見づらさが見過ごされがちなのではないか?」的な言説をXで見たことがある。当時はまだTwitterだったかしら。

そのソースはもう見つけ出せなくて辿れないのだけど、もし仮にそのように「劇場を建てる側に、男性に比べると身長が低めなことが多い女性の視点が欠けてしまう」ということが起きているとして。……いやいや、

舞台客の大半女性やろがい

となる。いやなりますて。

すみません面倒なので特にソースとか持ってこないんですが、我が国における舞台興行のお客の大部分を女性が占めていることには、まずもって疑いを差し挟む余地はないでしょう。
いやそらもちろん、男性が沢山来る演目だってあります。ありますがね、「日常的な観劇趣味を持っている層のマジョリティが女性」という点に関しては、大枠異論のないところだと思います。

じゃあ、なぜその大多数の観客層が、これほどまであっさりと蔑ろにされるのか?
それは、「劇場を作る側が、実際に足を運ぶ観客のことを考えなくても良い構造になっているから」ではないでしょうか。

我々観客は、間違いなく劇場に足を運ぶ「客」である。しかし、劇場から見ると本質的な「クライアント」ではない。それはどういうことか。

劇場がお金を貰う相手は誰か?それは「主催」である

劇場施設にとってのクライアントは、主催。
お金の発生元は、あくまでも舞台興行を打つ側。
つまり興行がその劇場にOKと言えばいい、使ってくれればいいわけです。

じゃあそのクライアントたる興行側が重視していることは何か。
それはおそらく、「その劇場を使うことで可能になる券売の総数=見込み売上」なのではないかなと想像する。
この演目をだいたいこれくらいの規模の劇場でかけると、チケット収入は◯枚かけるいくらで、合計◯千万円…といった試算が当然なされることでしょう。
つまり、一番大事なのはお金だ。

もちろん、収益の見極めが重要なことに異論などはない。赤字の演目を打つわけにはいかない。どれくらいの収益が得られるのか、それは興行側にとっての最重要事項に決まっている。だって商売なのだから。

でも、そうやって興行側が使用する劇場を検討する際、要素のひとつとして「ここは観客にとって見やすい環境だろうか?」ってことが考えられているかっていうと……
絶対考えられてないよね?
そんなことはまずないんだろうな、とこの現状を見ると思う。いやわからん、検討されるのかも。でもされたとして「決定要素」にはまずなってないだろう。


収益構造に直結する人数キャパ以外の部分で、劇場という建物に関して主催側にとって重要なのは、きっと演出の可否を決める機構側の要素なのかなと思う(当事者ではないからわからないが)。
盆やせりの有無、組めるセットの最大幅や高さ、消防法の対応云々、といったような。
そしてこれも別に考えれば当たり前のことにも思える。さして違和感はないというか。

でも、となると
「えっと……じゃあ、誰が観客にとっての見やすさを考えてくれるん?」と思うわけですが、
……もしかして、そんなことを考えてくれる立場の人って
実はこの世のどこにもいなくない?🥹

  • 劇場を作る人たち👉
    • なるべく座席増やして、最大収益をデカくしよう!ロビーも狭くていいよね!
  • 興行主👉
    • なるべく効率よく予算に合った席数の劇場を押さえよう!
  • 私たち👉
    • \すみません、舞台がよく見えないんですけど!?/

なんかもしかしてこんな感じ?笑


だからこそ、せっかく出来てぴかぴかに新しいのにやたらせせこましいホワイエや、意味不明に動線が死んでるロビー、座席間がキツキツに狭くて結果前の人の頭が余裕で舞台にかぶる座席配置、などなどが生まれていくんじゃないだろうか。

一番大事なのはいかに効率的にお金を儲けるか、それこそが至上命題。なので、見え方なんて二の次なんだろ〜な、と邪推せざるを得ないわけです。……なんでだよ。笑
劇場は演目を見るための場所なのにそれがいちばんの目的で設計されないの普通に意味がわからないよ!笑


つまり私たち観客は客だけど、客扱いされてない。本当になぜなんだ。


これは、

日本の観客は「役者」につく、とよく言われる特徴

が根底では大きく絡んでくるようにも思う。
やや飛躍もあるように思うがちょっとお付き合い願いたい。


興行にまつわるなにかに不満を抱いても、私たちは劇場に足を運ぶことをなかなかやめられない。なぜならそこに見たい役者がいるから。
仲間内やSNSでギャーギャー文句を言ったとしても、完全に観に行かない、という選択はなかなかできない。だって好きな役者を見たいから。


ものすごく極端な言い方をすると、興行側にとっての私たち観客は
「とりあえず人気のあるキャスト・もしくは引きがある演目を用意できれば自然と来てくれる人たち」であって、
売上向上のために深い理解をしなければならない顧客である、と捉えて貰えるような存在ではまず、ない。*1


商売をしている上では、自分のお客さんがどのような人たちなのか?を理解することって本来はすごくすごく大切なはずだ。
なぜこの人たちは自社のサービス・製品を買ってくれるのか。何が望まれていて、何が叶わないと顧客離反が起きるのか、そういったことに真剣に向き合わないと、いつのまにか徐々に売上は落ちていく……はずである。
でもこの構造は、日本における商業演劇にはあまり適用されないような気がしている。


興行側は、こちらが潜在的に抱いている不満や望みを知って深く理解しようなどとしなくても、キャストと演目さえ用意できればある程度の売上は担保できる。
そこに使う劇場が多少見にくかろうがそんなことは関係なく、どうせ観客はやって来る。
なのでそもそも「その劇場が見やすいかどうか」みたいな話は、検討の俎上にすら乗らない。

……みたいな感じに、私には見えてしまう。

そっかぁ、そりゃ〜見やすい劇場なんて作られないよね〜、って 思……えるかい!いや作れや!見やすい劇場!だって「劇場」なんだから!!!笑


宝塚歌劇団や劇団四季が自前で持っている劇場が「見やすい」のは、彼らにとって我々観客が収益構造上も明確にクライアントだからだろうと思う。
ポジティブなこともネガティブなことも明確にフィードバックされうる対象として向き合われている結果、お客さんが満足する環境の提供が真摯に行われているのだろう。

劇場は、なんのための場所か

劇場は、言うまでもなく、舞台その他の演目が上演されるためにある。
そしてその様子を「見て・聞いて」、我々観客が楽しむための場所だ。それが劇場の機能だ。
板の上と客席とで、同じ空間と時間を共有し、心を震わせたり世の憂さを忘れて没頭したり。
そんな奇跡みたいな出来事を生み出してくれる、ある意味ではとても神聖な場所だ。


劇場とは、そこにあるぶんの席が埋まれば埋まるだけ、掛け算で収益が発生する、単なるお金発生装置などではない。断じて違う。


ストレスなく視界が確保される座席に座りたい、そんな当たり前のことが、なんでこんなにまで叶わないのかが数年前からさっぱり理解できないんだけれど、
「この劇場を使うとお客さんの満足度が下がるからやめておこう……」といった判断が主催側でされるようになる日が、いつか来るといいですね。
いや、いつかと言わず今すぐ。無理ですか、どうですか???

というかそもそも、
見えにくいイマイチな劇場を建てるのは今すぐやめて〜〜〜!!!


そもそもわたしは劇場という非日常を提供してくれる空間が本当に大好きで。
新しい劇場なんて本来ワクワクして仕方ない存在なはずなのに……期待に反して裏切られることが多すぎる。
この問題の諸々にたいしていち観客には本当にできることがあるはずなくて、ないんだけど「なんでやねん」のツッコミがどうしても脳内で止まらなかったため、
舞台オタクのお気持ちを書いてみました。


せっかくなので過去に書いた「理想の劇場」記事と「好きな劇場記事」も貼っておくね。
理想の劇場記事は結局今回と似たような話をしているところがある。



こういうネガよりな記事の方が数時間かけて書いた感想記事より数倍読まれるのは世の常なんですけど、
もしここを読みに来た舞台オタクで昨年12月〜今年2月に上演されたミュージカル「十二国記」が好きな人がいたら、是非ついでに感想も読んでいってください。頑張って書いたので。笑

「わーい、次に通う劇場が日生劇場で嬉しいなぁ!連続で日生該当なんて超ラッキー!」……というつぶやきが、もはやマウントになりかねないのである(大袈裟)。

全ての劇場よ、観客にとって見やすくあれ、マジで。
日比谷の方角に全身全霊を込めての念を送りながら、ここいらで筆を置きます。*2

*1:1枚2万円する記念プレートの在庫分販売を超人気演目「エリザベート」のチケット先行申し込み条件に抱き合わせて界隈を震撼させた「皿先行」事件が記憶に新しいところです。

*2:建て替え後の帝国劇場よ……どうか頼むから魅力的であって、本当に。

ミュージカル「十二国記」感想#4 二人でひとりの中嶋陽子。ヨウコ/柚香光さん・陽子/加藤梨里香さんに愛を込めて


めちゃくちゃ迂回をし続けてようやく主役にたどり着きました。お待たせしすぎてすみません。
今回のサムネはXのヘッダーにしているのとおんなじ写真をつかった!
大遅刻感想シリーズ#4、これでついにラストー!大好きすぎる主人公:中嶋陽子ちゃんへの多方面巨大感情・大爆発記事です。

目次

「二人でひとりの中嶋陽子」がどれだけ成功していたか

二人でひとりの中嶋陽子を演じるというのがどういうことか、初日の幕が開くまではなかなかイメージが難しかったのだが、実際に見終えた今はこの演出プランは本当に大正解だったと思う。ミュージカル十二国記を観た人はみんなそう思うだろうと思うけど、本当に素晴らしかった。

本来は十二国の世界の住人であり、あろうことか王ですらあった主人公・陽子。
彼女にとって、日本での姿はいわば仮初めのものというか「本当の自分」ではなかった、ということにどうしてもなってしまう。
でもだからといって、日本にいた頃の陽子の人格が消えてなくなってしまうはずはない。

追手から逃れてきたはいいものの、移動の途中で気絶してしまい、目を覚ませば髪は赤く瞳は緑へと相貌が大きく変容してしまった十二国の世界の陽子=れいヨウコ。
でもその内面にはずっと、日本のありふれた女子高生としての自分=りり陽子が存在している。
見知らぬ世界で、着慣れた制服がどんどん引きちぎれてボロボロになっていくヨウコとは対象的に、その制服は破れたり汚れたりすることはなく、きちんとした優等生らしい格好のままに、陽子は十二国の世界をつやつやのローファーで踏みしめる。


「月の影 影の海」の陽子は、どこか過去を捨て去るような割り切り方で彼女にとっての異世界に順応していくわけではない。
あくまでも過去と地続きの自分をしっかりとその内側に抱いたままで、見知らぬ世界での過酷な経験を通して改めて己と向き合い、新しい自我を獲得していく。
だから、彼女にとっての異世界で孤独に戦い続けるれいヨウコの傍らにはずっと、りり陽子がいる。
この「二人でひとりの中嶋陽子」の演出により、十二国の陽子の中にも蓬莱の陽子がちゃんと居続けている・その上で人間として成長していっているのだという事実が、観客にありありと伝わってきた。
同時に二人を板の上に存在させるというのはまさに舞台だからこそできる描き方であり、今作の舞台化として最適解と言いたくなるアプローチだったと思う。

演出の妙味を活かしきった二人のヨウコ/陽子の素晴らしさ

そしてその演出にしっかりと意味を持たせきった、れいちゃんとりりかちゃん二人の表現。本当に本当に、言わずもがなに、最高に素晴らしかった。
どんな言葉で飾り立てても二人が届けてくれた表現の尊さには追いつける気がしない。二人が生きてくれた中嶋陽子が、あまりにも好きだ。


異世界にたどり着いてしまった混乱を歌う「青白い闇」は、陽子というキャラクターを象徴する一曲であるように思う。
最初はれいヨウコがソロで登場。ここはどこなのか、姿形が変わってしまった自分に一体何が起きたのかとひとしきり嘆き、これは悪い夢だと思い込もうとする彼女のもとに、「夢じゃない」「これは現実だ うちに帰れない」と歌うりり陽子が現れる。
その声には厳しさすら滲んでいて、目の前の出来事から目を逸らすなと、まさに揺るぎない”現実”を突きつける役割を担っている。
そうして二人は声を合わせて「青白い闇の中 わたしが消えてしまう」とハーモニーを響かせる。
何が起きているのかわからない。怖い、痛い、辛い。家に帰りたい。追い詰められたその感情が複雑な旋律に乗り、波打つように舞台上から押し寄せる。
何がすごいって、その同じ歌詞をハモって歌う二人の言葉の処理、音のニュアンスが同じとしかいえないことだった。

そしてこの歌のあとに来る台詞のシンクロ度合いといったら。あれは一体なんなんだ。
自分を連れ出したくせに一向に姿を見せない謎の男、ケイキに対する憤り。「…なにが守るよ。」「「全部、あんたのせいじゃない」」の声の揃い方には、毎公演感服していた。
なんで視線が合っていない、同じ方向を見ている場面であそこまで息遣いが揃うんだ?凄すぎて意味がわからない。
公演の最終盤には、声を発しているのは実はひとりだけなんじゃないか?と思えるほどに揃っていた。

同じような特徴を持つ場面では、雁国に渡る手助けをしてくれる船乗りへの「ありがとう!」がある。声を揃えてお礼を言うだけでなく、「坊主、跳べるか?」と船乗りに問われてひらりと身軽に飛び移るその体の形が、れいヨウコとりり陽子でぴったりと同じシルエットをしていた。

一緒に同じ人間を生きているのだという意識を二人が寸分たがわずに同じ強度で持っているからこそ、あんな芸当が叶うのだと思う。
表に浮き上がってくるのがヨウコ/陽子どちらなのか、場面によって様々な役割分担がなされていた。同じ歌を声を合わせて歌うこともあれば、一曲の中で掛け合いのようにして進んでいくこともある。
二人の手で複雑に織りなされるその共同作業によって、ひとりの女子高生の心の成長の旅路が、舞台上にごく丹念に描き出されていった。

「わたしは、わたしだ」物語の最終地点で描かれるもの

物語のラストで、ヨウコはついにはぐれていた景麒との再会を果たす。一番最後のナンバー、M32「王と麒麟」で、りり陽子は「わたしは、わたしだ」と高らかに宣言する。

突然に異世界に連れてこられ、様々な苦しい経験をし、でも信頼できる人たちに出会う。王であると告げられて最初は大いに戸惑い、でもその運命を受け入れる決心をして、ついに自分のいるべき場所=王座へとたどり着く。

ジョウユウを無理やり憑依させられて「取りなさいよ!」と泣いて叫んでいたセーラー服の少女は、過酷にすぎる長い道のりを経て、偽王の手から自らの居場所、臣下である麒麟を奪還した。
眩しさに焼かれそうになるあのラスト。
あの曲を歌い出すのは、ヨウコじゃなくて陽子であるべきなのだなと思う。だって、”わたしは、わたし”だから。
彼女は、決して別人になったわけではない、陽子自身が自らの力と意志で進化したのだ。

景麒を従えて王として凛々しく立つれいヨウコ、それよりも少し上のセット奥、王座にいちばん近い位置に立っているのがりり陽子……という構図もまた、”わたしは、わたしだ”という揺るぎない結末を表しているように思う。


育ってきたのとは違う世界で思いもかけずに王になったのだとしても、この先もずっと、陽子は陽子だ。
両親に思うように自分の意見を言えなかった、教師から誤解されやすいんだと言われても大人しく従うしかなかった、級友に酷い仕打ちをしても曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。
その頃の記憶のすべてを、苦さと痛みを持って抱いたままに、これから彼女は王として生きていく。あくまでも、陽子のままで。

キャスト感想:陽子役/加藤梨里香さん

”所在のなさ”を圧倒的な歌唱力で届ける一幕

りりかちゃんの陽子、日本にいる段階から見ていてもう泣けてしまって仕方なかった。自分でも謎なくらいに陽子ちゃんを見ていると涙が出続けた。

波風を立てぬよう、息を殺すようにして周りの反応を伺う。自分がどうしたいかよりも、周りが自分に何を望んでいるのかを優先し、はっきりと意見を述べることはなく曖昧に微笑むばかり。
杉本に対するクラスメイトたちの振る舞いに加担してしまった後は「わたしは何にも悪くはない」と(絶対にそんなことはないと自分でもわかりながら)必死に言い聞かせている。
彼女を取り囲んでいるのは「わたしを呼ぶ声」「わたしを通り過ぎる声」。
そうして陽子を呼ばわる声たちは、決して彼女の内面深くを捉えることはない。あくまでも表面的な関わりの中で中嶋陽子という人間は形作られており、そもそも彼女自身がまだ自分を知らない虚ろさが、日本にいる時の陽子には色濃く漂っている。


一幕の序盤、日本の場面の歌はほぼ陽子メインで展開していくが、そのメロディーの複雑さといったら驚くほどだ。それをまたどこまでもクリアに明瞭に、気持ちよく突き抜ける声で届けてくれるりり陽子。
硬質で透き通った声、安定した音程、申し分ないボリューム。ミュージカルのプリンシパルとしてのその頼もしさといったら!
冒頭の「あれが来たら殺される ああ」の絶叫に近しいようなロングトーン、M3「月の影 影の海」での「泡立つ波」の高音など。どれもが天下一品だった。
ぐしょぐしょに泣きながら、ときに激昂して叫ぶような場面も挟みながら、あのメロディーを完全に掌握し続けるのって並大抵のことではないと思う。りりかちゃんが音を外す公演、私は一度も見なかった。

更にはあの、「剣なんて使えない」と歌いながらのとんでもないボリュームの殺陣。
初日から本当に度肝を抜かれた。あんな難しい歌と共にバリバリのアクションさせる演出、鬼難易度!!!
ケイキに憑依させられたジョウユウの力で自分の意志とは関係なく俊敏に動いてしまう体。足から動かないように何度も注意されたと語っていたけど、剣にぐんっと引っ張られてつんのめるように妖魔に突っ込んでいく全身のその動きは、まさに第三者に操られているようにしか見えなかった。
しかもそれをセーラー服とローファーで…!?やってのけたりりかちゃん、本当に凄すぎる。

りり陽子の歌は、ひたすらに陽子の内面描写を担当し続け、とくに一幕では明確な物語の牽引力にもなっている。
同じ海客である松山の裏切りには「同じ日本人なのに 同じ人間なのに」の高音で凄まじい憤りをぶつける。
妖魔に襲われ続け謎の女に剣で手を刺し貫かれボロボロに成り果てた場面では、日本の誰も、母すらも自分を待っていてはくれない幻覚を見せられて「それでもわたしはうちに帰りたかった」と絶唱する。
別記事に既に書いたとおりだが一幕ラストの「強くなりたい」での「殺さなくてよかった」には、毎度とてつもなく心を揺さぶられた。

ヨウコに寄り添い、優しくその背を押す二幕

二幕に入ると、陽子は自分の本来の在り方=王である事実を知らされたことによる葛藤を経て、でも最終的には在るべき場所へと向かっていく。
この物語の大転換を受けて、りり陽子の役割も一幕から徐々に変化する。
一幕ではヨウコと一緒に惑いながらも、内側から強さを見せるような、先に立って引っ張っていくような側面がやや強い。
でも二幕では、れいヨウコが立ち止まってしまうときに、そっと背中を押すような佇まいに変わる。
自分が見つけた自分なのだから、きっとできるのだと励ましているような寄り添い方。
その二幕のりり陽子の存在感がとても絶妙で、いじらしくて、大切で……やっぱり陽子ちゃんが大好きだ!の気持ちで泣けてしまって仕方ない。


「王様になったら、帰れないね」のれいヨウコの隣でボロボロに涙をこぼし、静かにれいヨウコの袖を掴んで「わたしがいるべき世界じゃなくても」とそっと歌いかける声。
楽俊の「おいらは陽子がどんな国を造るのか見てみたい!」を聞いて、泣き笑いの笑顔で頷き去っていく背中。
「帰れなくても 今私にできることを」と声を合わせて歌いながら、晴れ晴れとした笑顔でれいヨウコに戦装束のマントを着せつける手つき。
舒栄にとどめを刺してしまって手を震わせるれいヨウコの手をそっと握り、その重みと自分の役割の双方を噛みしめるように頷いて見せる眼差し。


あんなに所在なさげだった、どうすべきかを他人に委ねるばかりだった彼女が、間違いなく自分の意志で自分の居場所、未来を選び取った。
蓬莱の陽子は王として歩んでいく十二国の陽子の中に溶け合いながら、きっといつまでも生きている。
あの柔らかな笑顔が、凛々しい王気を宿す眼差しの中に時折ふっと香る、そんな日があるだろう。
心の中でずっとずっと大切に抱きしめていたくなる、等身大のりりかちゃんの中嶋陽子が、本当に大好きでした。

キャスト感想:ヨウコ役/柚香光さん

大好きな人が、大好きな役を演じる、その奇跡を浴び続けた2ヶ月

れいちゃんのヨウコ。
大好きな人が大好きなキャラクターを演じるのだから、それはもちろん見る側のファンからしたら最高峰の出来事に決まっていて、あまりのことに想像することはできなくて。
そしていざ見てしまったらもう「自分の観劇人生に悔いなし!」みたいな気持ちで、うっかりオタクを引退しそうになった。
それくらいに、今生の喜びが凝縮された出来事だった。何か書こうにも未だに苦労する。人生演目すぎる、それがミュージカル十二国記。


れいちゃんはとてつもない美ジュアルの持ち主だから、普段からやっぱりその美貌でなにかと話題を集めがちである(と私は思っている)。
が、れいちゃんの本質ってそこじゃなくて、圧倒的に芝居の人であるのだよと私は勝手にずっとずっと思っていて。
それが十二分に生かされまくっていたのが、このヨウコ(中嶋陽子)という役だった。

何か書こうとするともう全場面に言及しそうな勢いで逆に筆が進まないのだが、なんだろう……本当に、「異世界に飛ばされてしまった女子高生の中嶋陽子が、過酷な経験を経て王になるまで」を舞台上であんなふうに突き抜けたリアリティをもって生きられるのは、柚香光しか絶対にいないよ、と心の底から思う。
今作での中嶋陽子という存在の描かれ方自体はここまでで散々書き尽くしたのでおいておくが、その全てを引き受け、生きた人間の感情として繊細に場面ごとに紡ぎ続ける、その芝居心の凄まじさたるや……
ここまで丹念にれいちゃんのお芝居をどっぷり見続けられる演目に、退団して早々に主演で出会えてしまったことがまず僥倖すぎるし、それが他ならぬ十二国記で陽子ちゃんだというのが本当にわけがわからない、都合がよすぎる展開だった。
まじで全場面について話しかねないので、頑張ってピックアップを試みていく。

好きすぎポイント:芝居

本当にキリがないため、以下ではごく一部だけ例を挙げます。
M10「生きのびる」なんか、公演後半になるにつれて本当にすごかった。なんなんだ、あの芝居力。
「女の子は清楚で 従順で内気で……」と自嘲するような弱々しい笑みを浮かべながらの歌。
そうあれと過去の自分に言っていた父親に向けた「嘘、だよ……」の空虚なつぶやきは年不相応の諦観を帯びている。
もう何者にも頼れない、自分以外を信じては駄目なのだと深い諦めの中で戒めて、でもそのことにより最終的に立ち上がってみせるという強靭さ。
ボロボロの姿で座り込みながら、踏みにじられたことで逆説的に強くならざるを得ないそのあまりの哀しさが……いやほんと何!?れいちゃん、新鮮に芝居がうますぎるよ!?


楽俊と出会ってからの「心を開けない」描写もどんどん研ぎ澄まされていって、人って相手を信用できないとあんな風な反応をしちゃうんだ、そしてそれは相手にもめちゃくちゃに伝わってしまうんだ……みたいな遣る瀬無さが観客に伝わってくる演技だった。
楽俊に水禺刀の鞘がないことを問われての「無くした」の素っ気なさも、そのままだと剣が傷むぜ、と気遣われたのに「ええ。」とピシャリとシャッターを下ろすような笑顔の冷たさも、見ているこっちがヒヤヒヤするほどに尖っていて。見ながら思わず「楽俊さん!違うんです!本当はこんな子じゃないんです!」みたいな気持ちになっていた。
本当は陽子も苦しいよなって思うから、その後のM15「世界を歩く Reprise」で楽俊側の事情を知って以降、心をほどいた笑顔を見せてくれるのが嬉しかったな。。

好きすぎポイント:アクション、体の使い方

アクションはもう…言わずもがなすぎるので!ええ!存じ上げておりますので!って感じで書き飛ばしそうになるけど、あのM9「裏切り」でのスローモーションの殺陣や、馬腹の脚に追われているときの階段上のセットを登りながらのアクションあたりは……やっぱり、どないなってる?でした。あまりにも自分の体を適切に操れすぎている。

なんというか、れいちゃんの身体能力の高さに関してはこちらが見慣れている部分も大きいために、驚くのにも多少の時差が必要だった(?)。
すごいことをあまりにも自然にさらっと、さも当たり前ですという感じにやってのけているので、一旦は普通に受け入れてしまってから「……ん?ちょっとまって?いやあれ、すごくない?」ってなる、みたいな。

アクション以外の体の使い方もやっぱり見事で。まずもって殴られるのがうますぎる。女子高生を殴るなんてひどいよ、巧国の人ら!
馬車に乗せられているシーンでは、華奢なうえに未舗装の道での馬車なんて体験したことがないから、体がずっと不安定に揺れている。きっとお尻が痛くなったろうな……って思うような座り方。
ジョウユウの力で妖魔と戦いながらも、その動きからは自分の体と意志が完全に馴染んでいるわけじゃない、絶妙なズレがあることが伝わってくる。
かと思えば、一転してのM16「獣」。何も悪いことをしていないのに迫害される立場である自分が、圧倒的な力を以て逃げ惑う人の中で妖魔を倒せることに、開き直ったような愉悦を滲ませた激しい剣さばきを見せる。
塙麟に刺し貫かれた剣を手の甲から抜くシーンは、その抜き方も痛みへの悶え方も「本当に剣が刺さっていた」と思わされてしまう迫真っぷり。ここ、れいちゃん絶対にうまいだろうな……という妙な確信があり、正直原作の中でも再現を楽しみにしていたシーンだった(そこそこにひどいファンである)。
あとはあれ!達姐に裏切られていたと知りほうほうのていで逃げ出す場面は舞台上上手から客席最前通路に降りていきますが、あのときにガクッと躓くような動作を毎回入れていて。
それがあまりに自然なのでお客さんが思わず「!?」って心配そうなリアクションをとってしまうのだけど、あれはちゃんと、わざとなんだなーーー!!!っていうのも、大好きな表現のひとつでした。
「芝居の中で、本当に転んだように見える」そんな体の使い方ができてしまうのが柚香光なのである。

好きすぎポイント:王気

小見出しが雑ですみません。でも伝わりますでしょうか?本当に、とんでもなかったのが王気なんですよ。
二幕の後半、王であることが判明してからのれいヨウコから、徐々に王気が染み出し始めるあのグラデーション。隠せないオーラ!あなたこそが王!慶東国ばんざい!みたいなテンションに……なりますよね?私はなります。後半のあのクレッシェンド、ほんとにすごいて。

感想#1で書きましたが、M26「王」の立ち姿の神々しいまでの美しさ。スポットライトを浴びてその真ん中に凛と立ち……どうしたって貴女は王に相違ないのです。
運命を受け入れて、慶国の王として景麒救出に向かう戦支度からの一連、もうあの数分間が好きすぎてどうにかなってしまう。
りり陽子にマントを着せ付けてもらうところでまず爆泣き、ヨウコ/陽子二人による「背中合わせのわたしが雲海を駆ける」という歌詞とメロディの美しさに爆泣き、そして極めつけは、ここでの延王との台詞のやり取りの全て。
「どうしたら、そういう気分になれる?」「覚えておこう」「そう簡単に死にはしないと思う。私は、往生際が悪いから」
……弾むような声音、抑えきれないどこか愉しそうなトーン。この台詞回しがね、ほんっとうに、なにがどうって説明できないんだけど「柚香光ーーー!!!」って叫びたくなるやつで、大好きでした。本当にれいちゃんを感じた。好きすぎる。
吉量から降りてきたあとはもう……モブの慶国民となりまして、王の帰還を心からお慶び申し上げました。だってもう、王すぎる。赤王朝始まっちゃったよ。フライング赤楽。女子高生はあんなかっこよくマント操ったりできないのよ。やっぱりね、どうしたって王なのよ!!!
あそこはね~~れいちゃんが、昔取った杵柄としての宝塚の男役所作を滲ませることを己に許していたのかな~~とも感じていまして、まさに柚香光だからできる中嶋陽子だった、と思います。

好きすぎポイント:歌!

そしてやはり、歌!歌の大進化。
なんといっても、御園座大楽の「青白い闇」が忘れられないです。私はあれを永遠に記憶に留めたい。
メロディーの複雑さ・難曲度合いは、譜面激ムズミュージカルな今作の中でも随一に感じられたこの楽曲。
やはりその難しさゆえに、公演の序盤ではこの曲に特に苦労をしていたように思うけれど、大楽で聞いた歌としての完成度の高さには、ただただ涙するしかできなかった。
初日とはもはや別人、音楽的な素晴らしさを存分に届ける域へとたどり着いていた。
ああ、これがやりたかったのだな、と作り手の意図が120%十二分に伝わる、二人の息のあった歌唱表現に心の底からの感動を覚えた。
東宝ミュージカルで主役を務める重責の中には、当然に歌という要素がある。
そこに対するこれ以上ない回答をれいちゃん自身が努力の果てに出し切ったのが本当にかっこいい。大好きだ。


とてもじゃないけど書き尽くせない。その全てが好きすぎるから。
れいちゃんが中嶋陽子を生きる姿を見られた。そのめぐり合わせの幸に感謝する以外に、私にはもうできることがない。幸せでした。

二人でひとりの「中嶋陽子」に、心からの愛を込めて

本当に、この作品に出会えてよかった。
大好きな作品の舞台化が、これ以上は望めないだろうという理想的な形で叶ってしまった今回、やっぱりまだほんのり「良すぎて引退!」の発作が起きそうになるのですが、
その真ん中で主人公としての生き様を力をあわせて届けてくれたお二人に、心からの愛を贈ります!
陽子ちゃんが大好き。本当に、ありがとうございました。



書きつくしました!悔いはありません!よくやった私!ひとつの作品に対してこんなに大量の文章を書いたのは、相当に久しぶり。
でもまぁ大楽から2ヶ月オーバーは本当に、遅すぎるんだけどな!!!大遅刻感想でしたが読んでくださった皆さんもありがとうございました!

願わくば、再演または続編の実現を。絶対に叶うと信じてお待ち申し上げております。

ミュージカル「十二国記」に出会えた人生で、よかった!
改めて、この作品に携わった皆様に特大の感謝を込めて。



▼ミュージカル「十二国記」について書いたもののすべて

  • 舞台化解禁時の荒ぶり

anagmaram.hatenablog.com

  • 初日感想

anagmaram.hatenablog.com

  • 大遅刻感想シリーズ#1

anagmaram.hatenablog.com

  • 大遅刻感想シリーズ#2

anagmaram.hatenablog.com

  • 大遅刻感想シリーズ#3

anagmaram.hatenablog.com

ミュージカル「十二国記」感想#3 プリンシパル感想第二弾(景麒/相葉裕樹さん)※筆者の様子おかしめ


大遅刻感想#3はプリンシパル感想第二弾!なんとまさかの景麒オンリー!なぜ?
というのも、本当は陽子ちゃんズと景麒の話で更新するはずだったのですが、少し前に下書きしていた景麒についての自分の文章を読んだらちょっとあまりに「変」すぎたので、これは単独で記事にすることにしました。
基本的にずっと様子がおかしいため、笑ってもらえたら幸いです。これはそういう読み物です!真面目さ数%しかありません!これまで更新してきた記事との温度差にくれぐれもご注意ください!!!


目次

「景麒ってこうだよね!(喜)」になる最高の舞台姿

ずっと同じ話をしてしまうが、ミュージカル化発表のときに「れいちゃんが陽子!?!ちょっと!誰が景麒やんのよ!?」と喧嘩腰で確認しにいったら「相葉裕樹」という名前があったときの感動が忘れられない。
「それならば!当方になんの文句などもあろうはずがございません!全力で感謝申し上げます!!!」と大声で叫びたかった2025年2月。果たしてその時の思いは……やっぱり完全に正解してた。裏切られなかった。

非常にくっきりとした凛々しい目鼻立ちに意志の強さが現れているあのお顔立ち。そんなあいばっちが景麒を演じると、ひんやりとした冷気を感じさせるタイプのえもいわれぬ美貌になりましてね!
あの頑固者(と呼ばざるを得ない)であり傾国の麒麟であるところの景麒に、本当にピッタリでした……お顔はもちろん、スタイルもたいへんに美しい!
ごくわずかに柔らかくウェーブしている金髪ロングヘアのウィッグは扱いも大変そうに思えるのですが、それをひらめかせて追手の妖魔から身をかわしたり床をゴロゴロと転げたり、そういった動きも難なくこなしていらしてそこも見事でした。
……そっかぁ、ミュージカルの景麒、運動神経がいいタイプの景麒なんだ……(どういう感想?)👈別に小説で景麒の運動神経に触れられているわけがないし、筆者は運動神経がいい人が好きである。うるせぇ


冒頭の女子高生・陽子に出会ってからの一連のシーン。あの有無を言わさない調子、説明不足すぎる様子が、ほんっっとうに!最高に景麒そのものでした。
「おま、説明足りてないんじゃ!陽子ちゃんがかわいそうやろがい!」と再読後も何度だって読者が腹を立てずにはいられない、あの「まじで説明下手」の真骨頂、言葉足らずの極みな感じが、本当にまんま景麒だ!と感動した。ウワァ~そのままちゃんと三次元にいる~!ってなりました。

自ら見出した先王を喪った麒麟は何を思うのか。歌に描かれる麒麟の在り方

誓約のシーンの歌も素敵なんだけど、やはり陽子を十二国に見送った後に来るソロパート。*1ミュージカル俳優としての貫禄を存分に見せつけてくれる1曲だった。
原作での描かれ方を考えると、どうしたって景麒の出番って少なくなりがちだろうから(なんせずっと捕まってますからね)、見せ場的な意味でのバランスはどうするのかな?と思っていたら、あのタイミングでソロが入ったため「なるほど!」と初日に膝を打った。

この曲、歌詞も聞けば聞くほど「ウッ」となってしまうもので……根本的に「その存在の前提として”王”が居る」という生き物・麒麟の在り方を、かなり真正面から歌っているんですよね。
麒麟が持つ意志とは、そのまま国を成立させるための役割=王を選び、王を支えるという行為に繋がるもの。
キャラクターとしての内面を明確に歌っているわけではないようにも思うけど、でもあの景麒のソロは明らかに陽子が聞いているものではないので……となるとやっぱり、景麒の内面なんだろうか……と思いを巡らせるとしんどくなってくる。

特に「心を引く哀絶」という歌詞に大変にやられておりました。日本語の使い方がとても美しい!
出会ったばかりの新王である陽子に「何を望む」と問いかけているところには、先王を喪った背景が横たわっている複雑さも感じられる。先王はあろうことか麒麟である自分をこそ望み、そして身罷った。
王のためにあるはずの存在が、自ら選んだ王を結果的に見送ることになった、しかもその原因が自分であるという運命は相当に重いはず。
あのソロは場面転換も兼ねているし、景麒のキャラクターも相まってあいばっちは恐らくわざとさらりと気負わずに歌い、そして去っていく雰囲気だったけど、実は注意深く聞くととても情報量が多い歌。大好きでした。

博多座公演で起きた(私の)異変

とまぁ最初はそんな感じで、「原作小説のイメージ通りの景麒だよね!うんうん!最高!」って感じにある程度は気楽に見られていたのに、年をまたいだ博多座公演でちょっと調子を狂わされました、私が。
……だって、なんかあいばっちの景麒がめっちゃ「嬉しそう」になっててぇ!!!

そもそもの異変は一番最初の出会いのシーンから。
ここで景麒は「見つけた あなただ ああ」と歌いながらモップをかき分けて登場し陽子に相対しますが(そして陽子には当然のようにドン引かれていますが)、
その瞬間明確に、たいへんに嬉しそうな顔をしていたのである。口元はあくまでも弾き結ばれたまま、目だけで。その瞳に、喜びの光が閃いていた。
同じようなニュアンスは東京公演の終盤でも確かに感じられていたように思うけれど、その出力がまた一段階引き上がっていた感じといえばいいのかな……。オペラグラスを覗き込んでちょっと「えっ」となった。

でもでも、それだけでは終わらなくて!
出会った陽子を職員室から連れ出して屋上にたどり着く景麒。しかしそこにコチョウが襲来する。景麒は嫌がる陽子に水禺刀を渡したうえで剣を扱えるように冗祐を憑依させ、「その鞘を決して剣からお離しにならぬよう!」(👈もっと他に言っとくべきことあるだろ)とのみ伝えて一度その場を離れる。
そうして別な追手に片をつけた景麒が戻ってくると、陽子は冗祐の力でなんとかコチョウを斬り倒すことは叶ったものの、化け物を斬ったショックで呆然とし、涙を流してえずいている。
その陽子に対して景麒は「もう……よろしいか」と声をかけて立ち上がらせようとする、のですが。ここですここォ!!!

この場面、舞台化されて視覚的に観ると本当~に陽子があまりにも可哀想すぎるため「なにがよろしいか!いいわけないやろがい!!!」と毎度新鮮に憤りを感じていたのですが、なんか博多座の景麒、ニュアンスが全然ちがくってぇ……
「もう……よろしいか」と言いながら陽子の手首を握るその仕草が、ものっっっすごく優しかったんですよね。もうびっくりした。え待って今のなに???になった。ちょっと一瞬ぽかんとしてしまった。
東京公演で観たときは、優しくないとか乱暴であるとかいう意味では勿論なく、むしろもっと気が急いているようなニュアンス。
危険からいち早く遠ざかるために出立を急ぎたい、という意識が強めに感じられる動作だったように思う。
でも博多座で観たときは、手首の握り方がまるで、違ったんだなぁ……。陽子のほそい手首をあくまでもそっと握り込むような仕草。
人が人に手を差し出して腕をとり立ち上がらせようとする、という動作は全く同じなのに、その一瞬に「優しさ」「慮っている様子」をすっと込められるその手つきのお芝居の変化よ。役者さんってすげえ!と大感動した。
……景麒に”慮る”っていう表現もいまいちなんかしっくりこないんだけど(お前は本当に景麒をなんだと思ってる?)、でもなんかとにかくそういう握り方、でした。ハァ。この1シーンでここまでうるさくなる私、ほんと何?


同じような変化では、最後に陽子と景麒が再会した場面。
「カイコとハンキョは?」と陽子に問われ、「おります。お呼びしますか?」と返す顔がやっぱりどこか嬉しそうだったり、
「ジョウユウって、どういう字を書くのか」に対しての「おかしなことをおっしゃる」と振り向く顔がほんのりと微笑み可笑しそうなニュアンスを含んでいたり……

あえなくずっと捕まってたけどようやっと主上の役に立てる、側にいられるという、そういう根源的な喜びが静かに込み上げているように思えて、
いやさ、麒麟だからそりゃあそう!なんだけど、「なんだよ景麒、めっちゃ陽子ちゃんのこと大好きじゃん!!!涙」に、なりまして。
同じセリフのままで、作中における”王”という存在に対する絶対的な麒麟の在り方、抗えない忠誠の心、敬愛の念……そういったものを、ほんのちょっとのお芝居の変化で雄弁に伝えてくれるのが、本当に流石、あいばさまァ!!!ってなりました。ありがたい。ありがとうございます。

結論:景麒が好きで悔しい(どういう感情?)

今回あいばっちが景麒を演じたことで、やっぱり私かなり景麒っていうキャラクターが(どこか不本意ながら)大好きなんだよなぁ……と自覚し、なんだか大変に複雑な心境になった。本当にこいつは景麒のことなんだと思ってる???
いやなんか……元から好きなキャラクターだったんだけど、なんかこう……やっぱ……悔しいっていうか……お前は本当に、以下略。
でも景麒の細かい仕草に萌え倒している人もなんか周りにはそこまで見受けられなかったので、とりあえず異常値として遠巻きにしてもらえれば大丈夫です。

いや違うの!傾国の麒麟である美貌とかそういう話ではなくて、あのしちめんどくさい説明下手で生真面目で融通のきかない頑固者が、結局は麒麟であるがゆえに陽子という王がまっとうに大好きなのである、という構図が!そこがッ!!!
その一連のすべてが、ここまで理想的に具現化されますか!!?という話で……何の話をしているのかわからなくなってきたので一旦終わります。
ハァ、金波宮にお仕えしたいな……。

ここまで観客を翻弄しておいて(?)カテコでは容赦なく素笑いぶちかますあいばっち。なんかもう、色々と、ありがとうございました。大楽のカテコのれいちゃんの小芝居に対する漫画みたいな吹き出し方はもうこっちが笑ったわ!楽しかったな~!!!涙

変なものを読ませて本当にすみません。このあと陽子とヨウコの感想を書くのでどうか見放さないでいてくれたまえ!!!

↓ 博多座公演のあとは、しばらく自称「追放女」として生きていた



▼公開済みの十二国記感想記事たち
※他の記事の筆者はわりと真面目な人格かとぞんじます

  • 初日感想

anagmaram.hatenablog.com

  • 大遅刻感想#1

anagmaram.hatenablog.com

  • 大遅刻感想#2

anagmaram.hatenablog.com

*1:これはM2「麒麟」じゃなくてM3「月の影 影の海」になるのかな?と思うが自信がいまいち…シームレスに歌で場面転換していくから曲の切れ目がわかってないところある。過去公開記事で間違ってるところ絶対ある。冷や汗