こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

自分と宝塚歌劇の適度な距離感について考えていた

そう、ずっと考えていたのです。
考えていたら、そうこうする間に、
花組トップコンビの退団が、発表になりました。

……アアーーーーーー!!!!!!

宝塚をきっかけにブログを読んでくださる方は大変お久しぶりです。そうでない方は、今さぞ戸惑われていることでしょう……。

花組トップスター柚香光さんが好きな気持ちにまつわるよしなしごとを、本当に久しぶりにこのブログに書きます。
なんでそんな久しぶりになったのか、みたいな、この1年あまりの本当に個人的な逡巡をまとめているだけなので、うーん、、たぶんそんなに読まなくてもいいやつです。笑
私がながいこと宝塚に関して無音になっていた背景が気になる方は、そのまま以下をどうぞ。




私と宝塚

私が宝塚歌劇と出会ったのはコロナ禍1年目、2020年の10月です。
東京宝塚劇場で「はいからさんが通る」を初めて観劇しました。
宝塚花組公演「はいからさんが通る」を見た@東京宝塚劇場 - こたえなんていらないさ

敗因は「少尉がかっこよすぎたこと」です。それに尽きる。
当たり前のように、私はすごい勢いでれいちゃん(当時は柚香さん呼び)に転げ落ちたのですが、あまりに衝撃がすごすぎて、当時こんな記事を書いていました。
anagmaram.hatenablog.com

そこから月日は流れ……というわけなのですが、
この1年くらいは、実は自分にとっての宝塚歌劇に対する適切な距離感を探っているような、そんな期間でした。
ちょっと長いですが、先に貼った記事からの引用です。
2020年当時の私は、宝塚を「大海原」にたとえていました。

気づけばわたしは、見知らぬ景色を前に、ひとり呆然と佇んでいました。 目の前に広がっているのは、美しく光をたたえる真っ青な海。 ざぶんと波が打ち寄せる波打ち際で、とりあえず途方に暮れていると、 通りすがりの人が「ここから先どう過ごすかは、あなた次第ですよ、好きになさい」と優しく微笑み、そっと立ち去っていきました。 さて、どう過ごしましょうか。 海を眺めるだけで満足ならば、砂浜にパラソルを立ててデッキチェアに寝そべっていてもよい。 はるか沖の波頭のちらちらした輝きにぼんやりと見惚れていてもよいし、気が向いたらちょっと靴を脱いで、浅瀬でパシャパシャ水の感触を楽しんでもよい。 もうちょっと欲が出たら、浮き輪を取り出して沖に浮かんでみてもよいし、決意ができたらいきなりモーターボートを持ち出して水面をかっ飛ばしてもよい。 今のわたしは「この大海原で、どういうふうに遊んでもらっても構いませんよ」と、鷹揚に手招きをされている気持ちなんです。

「宝塚」という沼、もとい大海原を前にしたオタクの逡巡~検索の禁じられた世界で~ - こたえなんていらないさ

結論から言うと、21年~22年の私は
「いつの間にかすごく積極的にボートに乗って果敢に海に漕ぎ出していく結果になってたけど、ちょっと途中で思い直して波打ち際に戻ってきた」みたいな感じだったんですよね。
どういうこっちゃ。笑

「掛け持ち」から見える世界

私はいわゆる掛け持ちの激しめなオタクです。舞台を中心に同心円状に広がる世界に、どこまでもご機嫌に出かけて行ってしまう。
世間で言われる「ジャンル」の垣根が少なくとも私の中にはまじで存在しないので、本当に「舞台であればなんでも観る」オタクとして完成されつつあります。
それと同時に、生身の人を応援するのがどうしても好きな性質もあるため、心を込めて応援したい対象が常時複数名いる、気の多い(くせに、愛が重めの厄介な)人間でもあります。
更に、いわゆる推しの出演作に関しては、度を越した多ステをしてしまうタイプです。

そんな人に新たに宝塚なんて放り込んだら……「大変そうだなオイ」って思いません?
ええ、とっても大変でした。

私が宝塚に近づいてみてしばらくしてから思ったのは、「……これ、掛け持ちするもんじゃねぇな?」というシンプルすぎる真実。
少なくともトップスターを明確に贔屓と思い定めて行動するのは、掛け持ちだとあらゆるリソースのやりくりがめっちゃ大変です。それはどう考えても、当たり前にそう(時間的にも資金的にも!)。

私の場合は組み合わせ?取り合わせ?も難しかったのかもしれない!
観に行きたい対象がどちらも舞台主軸であるゆえに、どっちの公演スケジュールが先に決まるのかとか、そういうところが難しすぎました。
例えば年1でツアーの時期が固定で決まっているタイプの推しとかだとまだ予測はある程度できそうですが、
舞台を主戦場とする俳優が対象の場合、スケジュールなんてまじでわからんのよ。まじでなんも見えんのよ。笑

ガチの掛け持ちをやっていた期間(主に21年~22年夏までの1年半)は、どうしようもないダブルブッキングはなぜか奇跡的に起こさずに掻い潜って切り抜けたんですが、
謎の野生の勘が働いていたとしか思えない。
どうしてアウグストゥス/クルビとロミジュリ2021を並走できたんだろう?自分でもさっぱりわからん。
なんでなんとかなったのか全然わからないけど、でもなんか、なんとかなったんだよな…。得難い経験だった気がします。笑


ただ、掛け持ちが大変なだけだったらまだ違ったのかもしれないけど、
運命みたいなものに抗えずに負けてしまった部分があります。

わたしが乗り越えられなかったこと

それは、公演の中止です。

1年前の、「巡礼の年 / Fashionable Empire」東京公演の中止が、どうしても乗り越えられませんでした。

公演アーカイブに「※7月30日~8月14日11時開演、8月20日~9月3日の公演は中止となりました。」の文字があるけど、まともに上演できた期間がここまで短いことはあるんだろうか。やっぱり、他にないですよね……。


遅れに遅れた東京初日は、8月14日にやっと開いて。
私は本当にたまたま、まじで偶然でしかないのですが、その日のソワレのチケットを持っていました。
焦がれ続けた作品世界との再会。ようやく開いた幕をフォロワーさんと喜び合って、あの素晴らしすぎる物語の世界に、心ゆくまで涙を流した。


だけど、1週間も経たずに公演は再び中止となり、その後千穐楽の1公演のみの上演しか、叶いませんでした。
私は大劇場に2回遠征していて、観劇回数としてはムラで3回確保済みだったのですが、結局その後東京公演を現地で観ることはできませんでした。8月14日が、東京での最初で最後の観劇になりました。


もう大丈夫だと胸を撫で下ろしたところに、正面から冷水をぶっかけられた感覚。
1週間、また1週間と延びていく中止期間。もはや千穐楽が上演できるのかも定かなものではなかった。

その期間をすごすことがあまりにもしんどく、その当時の私は、いったんこの作品から、花組から自分の意識を離すことを選びました。心を守りたかった。
だって、めちゃくちゃ好きだったんです。巡礼の年。あんなに素晴らしい作品があるなんてと今でも思う。


そしてやってきた東京公演の千穐楽
自宅で配信を鑑賞していたんですが、やっぱりつらくて、正直あまり記憶がありません。ものすごく泣いたことしか思い出せない。

最後のご挨拶で、れいちゃんはとても険しいと言いたくなるような表情をしていました。
そしてその中で「こうして、皆様がお心を寄せて、手を離さないでいてくださるから」といった表現の言葉をおっしゃいました。

それを聞いたときに、私は「あ、ダメだ」と思ったんです。
なぜならその時の私は、明確に心を寄せてはいなかったから。手を離し切っていたから。


一緒に苦しむことができなかった。自分がつらいのが嫌だったから、そうすることから全力で逃げた。その自覚があったので、どうしたらいいかわからなくなってしまった。
別に誰に何を言われたわけでもないんだけど、その瞬間に私は、どうしても自分を許すことが出来なくなりました。
もともと掛け持ちの物理的な大変さに疲弊していたこともあり、あぁ、私には応援しているなどという資格はないんだなって、バカ真面目なので本気で思い詰めてしまったんですよね。
同時に「何いってんだこいつ」と、心底くだらない気持ちで自分を冷静に見つめるもう一人の自分もいたんですが、
も~いいや、今の私にはどうにもできん……と、フェードアウトする方向に舵を切りました。

もう、ヘトヘトだったんです。
どれだけ必死で公演の無事を祈っても無駄なことに、疲れ果ててしまった。


その後、それはそれで向き合うと大変すぎるリベンジの東宝エリザベートもあり、本格的にメンタル面のリソースが枯渇していたというのもあります。(※こっちはこっちで帝劇が中止になり、2022年は本当に精神が死にました。
契約していたスカステも解約して、定期購読していた二誌も解約し、友の会のカードだけほそぼそと残す形にひっそりとチェンジしました。
更に去年はおたく本職の(?)舞台俳優の方に、勢い目覚ましい新たな若手の推しが増えたこともあって、もうい~やそっちに全振りしようっと!の生活を選択し、今に至る、という感じです。

最後にれいちゃんの舞台姿を観たのは全ツ「フィレンツェに燃える」だったんですけど、ちょっとあれは正直……作品と自分の好みが明確に合わなかったんだなぁと思います。1975年ぶりの再演は……受け取りが難しかったな!?
そしておしゃ帝については……これも控えますが、本当~~~~~に思うところがありすぎるのもあって(書かないけど太字にせずにはいられないくらいのなにかではある)、
う~ん、なんかこう、いろいろタイミングというか運?が合わなかったのもあるかもしれないですね。今振り返ると。

切っても切り離せない文化とシステムと

乗り越えられなかったこととしては、実はもう1点あります。
ネットに書いたら怒られることは一切ここには書かないので安心してほしいんですけど笑、
知っている人にとっては周知の事実として、宝塚歌劇を取り巻くシステムは、本当にものすごく独特です。
もはやそれは連綿とつづくひとつの文化であり、外から見たときの常識がどうとかそういう世界ではないところまで達していたりもする。

私はいわゆる宝塚から見たときの「外部」と称される舞台に長年親しみがあるゆえに、
その文化的な側面に染まり切ることも、どうしてもできませんでした。ここには明確な挫折があったとも言える。

これはね、もう向き不向きだったり自分のポリシーだったり、そういう部分なので本当に仕方ないです。
合わないなら自分で離れるしかないたぐいのもの。
私が一番叶えたいのは「劇場現地で舞台を鑑賞する」こと、シンプルにただそれなんだけど、
文化的な側面にコミットしない限り、それこそが一番難しくなってしまう……というのが。。
本当に独特だなぁと思うんだけど、もはやそれこそが宝塚らしさと言えそうな気もするし、こればっかりはどうしようもないです!
それを理解した上で、自分がどうしたいかを選んだのは私なので、後悔とか文句とかも特になくて。チケットもないけどしょうがないよ、うん。笑


そういった背景があるために、れいちゃんの退団が発表になった今現在、わたしが有している宝塚のチケット確保の手段は、潔いまでに「ほぼ・無」となっています。
一瞬シルバーになったけど来年はレギュラーステイタスに落ちているはずの宝塚友の会一本と、あとは各種貸切で、なんとかするしかない!なんたる心もとなさか!笑
東京はほぼ無理だろうと思うので、平日でいいから大劇場で最後1回、生で観られたらいいなと思っているので、そのために頑張ります。母も連れていきたい。。

好きな感情を規定する必要はない

そんなこんなで、なんか不要にマイナスだったりネガティブだったりするものがにじみ出るのも嫌だったので、
ここ半年以上、宝塚についてはほぼ話題にのぼらせることがない状態が続いていました。
Twitterに関しては宝塚をきっかけにフォローしてくれている方も相当数いるのも知ってます。こいつ全然話さなくなったなって思ってたと思います。申し訳ない。
余計なことを言って、他のかたの「好き」の邪魔をしたくありませんでした。

自分でも「まじで話題に出さんやん」って思ってはいたんだけど、
ただ、言葉にしないからどうとも思ってないわけじゃなくて。


一回好きになったものって、やっぱり絶対に消えないし、無くならないんですよね。


はいからさんで本当に心が信じられないほどキラキラしてコロナ初年度でひしゃげた精神が生き返ったこと、
華ちゃんさんと愚直に真摯に紡ぎ上げた絆とあふれる愛、
まどかちゃんとタッグを組んで築いてきたきらめくほどの充実の時間、
れいちゃんが踊る姿を観ているときだけに流れる涙。

私が自分の心で受け取って刻み込んできたものは、何も変わっていないし消えていません。
いちど蓋を開けたら、一気に溢れてきてどうしようもない。今なにがしかの踊ってるれいちゃんの映像観たら泣いちゃうから、みたいけどみられない。


来月、東京宝塚劇場でれいちゃんと花組のみんなを観ます。去年の10月に全国ツアーを観に行ってから、気づけば約1年ぶりになりました。
ずっと心を砕いて見つめ続けてきた皆さんと、私のこの半端なスタンスから見えるものは絶対にもう当たり前に違っているはずなので、
そのことが誰かを不快な気持ちにさせないことを願うばかりですが、
とりあえず私は自分が感じること、好きな気持ちだけに向き合って、自分なりに静かに大切にできたらなぁと思っています。


れいちゃんの舞台姿が大好きだ。まどかちゃんとの奇跡みたいなコンビが大好きだ。


れいちゃんとまどかちゃんのお二人が、最後まで納得のいく、楽しくて充実した時間を過ごせませすように!
そしてこれから贔屓の退団に向けての時間を過ごすことになる皆さんの心が、どうか少しでも明るく穏やかなものになりますように。