こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

パワーオブマジック&マッスル!「マッシュル -MASHLE- THE STAGE」マシュステが、舞台として最高すぎた話


本当はもっとはやく書きたかったマシュステの感想!

7月4日に東京国際フォーラムホールCで初日を迎え、7月17日にAiiA 2.5 Theater Kobeで千穐楽となった全15公演の作品。
1ヶ月近く空いて今更にはなってしまいますが、本当に「最高!」と叫んで走りだしたくなるほどの素晴らしい舞台だったので、感想を書きます。

あまりにも好きすぎて、何がどう最高だったのかを言語化しようとすると頭がフリーズしてしまう。それくらい、個人的には心に刺さりまくる舞台でした。
なんというか、語るにおいてとにかく構成要素が多い。情報量が異常ゆえに言語化が難しいという、過去類を見ない珍しい状況になった(ために、感想書くのがここまで遅れた)。
すげえ長くなった(当然のように1万字超えた)ので目次も置いておきます。

ざっくりいうと、どんな作品?

今年の夏のネルケ×ジャンプ演目はこれか~!という位置づけの作品なんですが、つい先日ジャンプ本誌で連載を終えたばかりの漫画「マッシュル -MASHLE-」を原作とする2.5次元舞台です。
mashle-stage.com
原作は、某・魔法学校ものの突き抜けたオマージュ(超えてややパロディ)の世界観をベースとした、わりとシュールよりのアクションバトル漫画です(原作未読で申し訳ないのですが、この認識でたぶんあってるはずと思う)。
今回私は漫画原作は未読・アニメの方を途中まで視聴した状態で観劇しに行きました。

魔法を使えて当たり前の世界の中で、ひとり全く魔力を持たないで生まれてきたがゆえに全てを筋肉の力でどうにかしていく主人公・マッシュ。
その筋肉にまつわる問題解決の表現がいちいちぶっ飛んでるので、アニメを見た段階では「エエ……これどうやって舞台にするの!?」という困惑が先に立っていたんですが、
それが本当にびっくりするくらいに優れた舞台作品になっていたし、予想を遥かに越える面白さだった。
こんなに面白い舞台になるなんて、見るまでは本当に想像ができなかったですし、2.5次元においても近年稀に見るレベルの良作だったと個人的には感じました!


観る前の段階から、スタッフ陣の情報を元にこれは多分面白くなるのでは……?という予感はいちおうありました。
総合演出は松崎史也さん、演出は梅棒の伊藤今人さん。歌詞に三ツ矢雄二さんの名前があり、大きく外れる作品にはならないだろうという予測は立てられました。
歌唱指導のスタッフクレジットも明記されており、振り付けにも梅棒の方々という事前情報の時点で、これは盛大に「歌って踊る系」だぞ、ということもわかります。
ただここまでの時点では、言ってみればよくある2.5次元なのかな?とも。構成要素はいつものネルケお得意2.5次元の系譜といえそうな。
しかし実際に観てみたら、その表現の在り方というかスケール感が、想像以上のものだったんです。

何がそんなによかったの?その要素について語ってみる

……そんなの、「全部!!!(大声)」になっちゃう。本当に全部良かった。すごかった。困ったな。どう説明したら良いんだ。

一言で表現するならば、「このように見せたい、楽しんでほしい」という作り手側の意図が間違いなく客席に届いている作品でした。
構成要素のひとつひとつが素晴らしいのはもちろんなんだけど、それが組み合わさったときの妙といったら。
原作のシュール寄りの笑いを存分に活かす吹っ切ったバカバカしい面白さを体現しつつも、舞台とは総合芸術であることを心の底からしみじみと実感できる……という良作だったんですよ。

それだけクオリティの高いものが観られて、面白くて笑えて元気が出るなんて、本当に最高!!!しかも目当ての推しキャストが!死ぬほどかっこいい!なんてことだ!重ね重ね、最高!!!*1
最初はS席チケット代「12,500円」はかなり高く感じてちょっと怯んだけど、観たらお値段に納得しかなかったんだよね。ちゃんと値段分の価値がありました。
観劇していての満足度が端的にものすごく高くて、楽しい&ハッピーしかない7月でした。生きててよかった~!ってなってた。

以下の細かい説明はどうしてもほぼ観た人向けになってしまい申し訳ないんですが、それぞれの要素で好きだった部分を箇条書きにしてみます!

舞台美術
  • そもそもの幕開き。歌い踊るアンサンブルの背景に、原作アニメを思わせる映像が、漫画のコマ割りがイメージされた大きなボード状のセットに映し出される。そのセットが「長方形に対して斜めに走る対角線のライン」ですぱっと割れて、その奥にテーマソングを歌う登場人物たちが並んでるってもう……!かっこよすぎるでしょうがよ!?初日はここで鳥肌たちました。これはやばめに面白いものが始まったぞ、という確信がもうこの時点でありました。
  • 集中線やアクション効果のスクリーントーン状の模様があしらわれた漫画チックな背景により、漫画原作作品であることが全面に押し出されつつも、それが不思議なほどに世界観の全貌に溶け込んでいてチープさがない。
  • 舞台中央に回転する機構のセットが配置されているため、場面転換がスムーズに可能になっている。二幕にあるバトルシーンの転換もこの回転セットの大活躍により、とてもスピーディ。
  • 二幕のバトルの見せ場、ハーム・パペットが巨大な実体で登場したときはその迫力に度肝抜かれました。あれ普通は今どき映像でなんとかしようという発想が主流だと思うんですが、映像に頼らずあくまでも実体でやりたかったというこだわりを後日聞いて感動しました。あれは本当に、実セットでやってくれてよかった。
映像&照明

※ここの二要素のコンビネーションが素晴らしすぎてバラして書けないのでまとめてしまいます!

  • オープニングのM4、ちょっとあまりにも良くて。本ッ当にかっこよかった!!!マッシュのセリフ後のイントロと同時に明滅する照明とレーザー、音にピタリとハマっていて何回観てもゾクゾクしました。タイトルが出る瞬間を目指して畳み掛けるようにざぁっと高速で舞台上をなめていく、あの真っ直ぐな青い光の束。音楽とのシンクロ度合いが気持ち良すぎて、見ていると毎回興奮で全身の血が沸騰するようだった。
  • 演出のいまじんさんが何回も仰ってましたが、M4の後半でマッスルズが出てくるところ。「動と静」の対比という感じのあの照明と映像、たしかに意味わからんかっこよさでした。なんなら良さにちょっと泣けるまである。
  • 魔法を扱う作品ゆえ映像頼みになるかと思いきやそんなことはなく、むしろメリハリが意識されていて、ここぞの絞られたポイントできらびやかに魔法が表現されていて見事でした。
  • M3で再び「パワーオブマジック」が始まるときの背景。光がじわっとあふれるように滲み出し、粒となって泡のようにしゅわしゅわと輝く映像表現が特に好きでした!魔法のイメージ映像だと思うんですが本当に美しかった。
  • 全体的に照明が好きすぎるあまり、公演後半になると一幕冒頭や二幕冒頭、他にもいろんなポイントで思わずスポットライトを見上げたりしていました……これまで観てきた作品の中で、間違いなく一番好きな照明でした。
音楽
  • 1作品の中に本当にいろんな方向性のメロディが散りばめられている!ということにまず驚きます。
  • M1の「パワーオブマジック」*2かっこよすぎませんか~~~~!!?本当にかっこいい、かっこいいしか言えないしM4も大大大好きです!!!
  • ソロはキャラクターごとの特徴に合わせた曲調があてがわれていて、みんなそれぞれキャラクターにぴったりですごく良かった。ランスくんのソロがロック調で、役にも中の人にも似合いすぎており嬉しすぎて倒れた。
  • 全体的にキャストの声の持ち味や得意な音域を活かす方向で楽曲を当てています?と思うくらい、全員歌が素晴らしかった。特にりょうがくんのランス、笹森くんのアベルはそれぞれ声質が活きまくりで、ものすごく丁寧に当て書きしてもらったメロディなのでは?と感じたくらいでした。実際のところどうだったんだろうなぁ。
  • M2のじいちゃんソロやM6のフィンくんソロはめっちゃミュージカルになってるし、いや聴き応えありすぎね!?(ところでこの作品、ミュージカルだっけ!?笑)
  • 岡幸二郎さん佐々木喜英さんの美声および歌唱力をバチクソに活かすここぞのメロディラインもお見事でした!
  • ……音源発売してくれませんかね!!!?
歌詞
  • 三ツ矢雄二さんによる作詞でございまして、もう……そんなの!心の中のテニモンが涙を流して大歓喜だよ!!!(三ツ矢先生は3rdシーズンまでずっとテニミュの歌詞をおひとりで書いてらした方。)*3
  • 歌いだしが、「パワーオブマジック 魔法の力は絶対 パワーオブマジック 魔法の力は最高」から始まるんですよ。いやなんなの、そのてらいのないド直球は???「……私、これめちゃくちゃ知ってる!!!」という気持ちになりました。
  • もうその表現手法への抗えない懐かしさで、初日は客席でどうにかなりそうだった。細胞レベルの喜びを感じました。だってこんなの、初めて会うのによく知ってる人みたい……前世で知り合いだった?みたいな。それだけ歌詞の影響力って大きい。
  • 三ツ矢先生の歌詞は本当にわかりやすさがぶっちぎれていて、その振り切りゆえに観劇1回目でも話の内容がびっくりするほど頭に入るし、歌詞が耳に残る。やっぱり唯一無二だと思う。平易な言葉で聞き取りに負担をかけずに、剛速球でその物語の世界観を観客にインストールしてくれます。そんなん三ツ矢先生にしかできん。
振り付け
  • 梅棒のおふたり(含むたわちゃん!)+えりなっちさんによる振り付け!なんかもう、とにかく「ありがとうございます!!!!!!!!!」ってなりました。
  • わたし梅棒の本公演未だに観たことなくて……*4なので聞きかじった知識だけになってしまいますが、「セリフを使わずに物語を音楽に合わせたダンスで表現する」という作劇手法ゆえに、音楽を通じて物語を語る力がものすごく強い振り付けをなさるような印象があるんですね。
  • だからこそ最初は、視界から伝わってくる情報量に圧倒されて「このダンスを通じた表現が『好き』なことしかわからない」ってなるくらいでした。その好きの有り様を、目が情報として受け止めきれなかった。
  • 観ていくうちに振り付けの細かい要素が意識に残って、ここの動きが!あそこの振りが!みたく細かく理解できるようになり、ますます「好き!」が加速しました。好きすぎた~~~!!!
  • ブログ等で明かされた情報を拝見するに、個人的好き・振り付けの犯人はどうやらたわちゃんだった説が濃厚ぽくて、ほんとなんかエモも相まって……巨大感情が湧いてしまう。ありがとうたわちゃん。
  • 観ていて一緒に踊りたくなってしまうような楽しさがありました。合同課外授業とか、振り付けの音ハメ具合があまりにも気持ちよくて!デュエロの試合後の振り付けもホント大好きだし一緒に踊りたい!笑

演者の皆さん全員大好きすぎる問題

……さらに!ここに、まだ触れられてない出演者側の要素がどでかく乗っかるわけですよ。もうほんと全員大好き。LOVEしかない。

マッスルズ
  • 「マッスルズって何!?」ってなると思うんですけど、マッシュの常人離れした筋肉の力を表現するために、今回5人の卓越した身体能力をお持ちのプロのダンサーさんがアサインされています。
  • KRUMPというダンスジャンル、私は全然くわしくなくて今回初めてちゃんと観たのですが、ものすごく!かっこよかった!!!「身一つで勝負!」みたいな潔さをすごく感じるというか、瞬発力が凄まじくて躍動する全身から生命力が弾けてる、スパークしてる!Dリーグのことも知らなかったけど興味が湧きました。
  • 筋肉ムキムキなマッスルズの皆さんがシュークリームの被り物を被り、マッシュの背後にずらりと並んでマッシュの「筋肉」を表すというやり方。絵面からしそもそも面白くてずるいんです。マッシュル原作のシュールさというか、「ええ、そこ筋肉でそうなっちゃうの~!?」という”なんでもあり”感を、舞台上でこれ以上なくうまく表現している手法ではないかと思いました。
  • 舞台って全部その場で表現しきらなければいけないという点では制約があるけれど、そこを更に観客の想像力でカバーできるという利点もあって。その部分にうまくブリッジをかけているというか、これは演出における発明だなって思いました。
キャスト
  • 「はい好き!もう全員天才!大好き!!!」ってなりすぎているので、ここに関しては改めて別で書きたい!だって本当に全員大好き!!!最高なんだもん!!!!!!
  • これは先に書いておかねばなんですが、主演の赤澤遼太郎くんのマッシュっぷりがすごすぎました。あんな冗談みたいに完璧に肉体が仕上がってくることってある!?
  • たまたま私が彼を直近観た別作品がHOLICでの女の子役だったので、本当にギャップにびっくりしました。いやあなた、数ヶ月前まであんなにかわいい女の子演じてたやん!?ってなった。御本人いわく、めちゃくちゃ筋肉がつきやすい体質なんだそうです。にしても!?
  • あのマッシュの姿に説得力があるかどうかで、作品のクオリティが左右される側面は絶対にあったと思うから、赤澤くんはマジですごい。あのシルエットは本物すぎました。あそこまで仕上げきった努力に、心からの称賛の拍手を送りたい……。
  • なんというか、本当に見事なまでに粒ぞろいキャストだったなぁと思います。全員がその役である必然性しかなくピッタリに感じられた。相変わらずネルケのキャスティング能力はずば抜けているなと思いました。ネルケ舞台のいいところが出ていた。
  • ベテランの配置が贅沢すぎる。いや流石に岡さんは腰抜かす。フットワーク軽くオファーを受けてくださって本当にありがとうございます!?になったし、ヒデ様のレイン・エイムズはワンフレーズ歌っただけでテンションが異常に上がりました。あんなんずるいわ。
  • アンサンブルキャストの方が6名いるのですが、ま~~~皆さんダンスもお芝居も本当にうまくて!!!アンサンブル側にもお芝居要素がものすごく多いパターンだったので、板の上にいる全員でマシュステ作ってるな!って感じる大活躍っぷりでした。


……ここまで読んで、マシュステ観てない人、どんなふうに面白かったのか気になりませんでしたか???なりましたよね???
なんと、初日映像の冒頭20分がノーカットでYouTubeに公開されているんだな~~~!!?
「※期間限定での公開となります。」って書いてあるからいつまで見られるかわからないんですけど!
百聞は一見に如かずということで、まぁまずは観てみてください!もちろん現地に勝るものはないんだけどもぉぉ!!!

魔法と筋肉のバトルが、ちゃんと現実のものとして存在している

当たり前に重要なポイントなんですが、見応えを語るにおいてこれも本当にでかいです。
そんなこと可能なのか?って思うんですけど、可能になっていた。すごかったし、何を観ていたのか未だにちょっとよくわからない部分がある。笑

魔法VS筋肉の時点で、どうしたって荒唐無稽になってしまうし現実味も薄くなりそうなのに、なんだか謎なくらいによくわからない説得力がある形で、ちゃんと舞台上に実現されていたんですよね。
先程説明した「マッスルズ」の皆さんが、マッシュの周りを取り囲みあの手この手で”筋肉”のパワーを表現し、マッシュは誰よりもハードな運動量でもって舞台上を走り回り、
そんな彼らと魔法使いたちが正面切って対決するわけなんですが、本当にバトルがびっくりするほどかっこいいのよ……。
もちろん魔法使い同士のバトルもバチバチにかっこよかったです!!!
バトルシーンで組まれているアクション、本当に全部好き。かっこよかった!(しか言えんのかい!笑)
やっぱり、そのベースにあるのが確固たる肉体表現なんですよ。人間への信頼!

舞台における正攻法と言いますか、まずは生身の人間の力でどう表現するかが考え尽くされていたと思います。
マッスルズの活躍により、肉体的に「人が人を持ち上げる」形で高さのある肉弾戦が随所に登場していたのですが、ワイヤーなしで空中に人がいる状態を表現するのもよく考えたらすごいことだし、ワイヤーアクションと違って事前準備がほぼ要らないのでテンポ感がとにかく速いのもよかった。
アクションとダンスが渾然となってひとつの表現になっているのも、なかなか他では見られない魅力だったなぁ。
マッスルズに囲まれた真ん中で戦うマッシュのかっこよさったらなかったです!

もうこれは観てもらわないことには説明困難すぎるやつなんですが、本当に舞台の上で、パワーオブマジックとパワーオブマッスルが炸裂していました。見事だった。
総合的にどう見せるか・どう面白くするかが徹底的に追求される中で、
その場に生きた者として存在する演者の肉体表現を第一に考えられている演出って、もうそれだけで信じられる。

これらの要素をひとまとめに束ね上げた、演出・伊藤今人さんの愛と力量

それがとにかくすごかったの一言に尽きるのだろうなぁと、見終えた今しみじみと思います。

今回、作品の幕開けから千穐楽後までの間に、キャスト陣やいまじんさんによる振り返りのスペース・Youtubeライブ・インスタライブ等の配信が豊富にありました。
それだけ座組側がみんなで語りたくなる作品だったのだなぁという点にもぐっと来るのですが、それらを聞いている中で「やっぱりあそこはそういう狙いであってたんですよね!?」みたく答え合わせになる瞬間がいっぱいあって。
観ていてここが好きだなぁ、気持ち良いな~と感じていた部分が漏れなく「狙って」作られたものだとわかり、いやお客さんの感情を狙い通りに持っていける手腕と予測力、すごすぎない!?ってビビったんですよね。。
具体的に例を挙げるなら、マッシュの「それができない世の中なら」のセリフで止めてM3オープニングのイントロ入れる→「ブッ壊すしかないでしょ、グーパンで。」で間髪入れずにM4に繋ぐ流れとか、一幕のラストに敵であるレアン寮を登場させるシーンはスポットライトが逆光で顔がわざとよく見えないところとか。
それ、狙い通りの効果が観客にものすごく届いてましたよ!?ってなりましたもん。観てる側の「楽しい!面白い!」が的確に撃ち抜かれている感じ。

特に、千穐楽後のとある配信でいまじんさんが「今回、実は純粋な暗転が一度もない」と仰っているのを聞いたときには「ですよね!!?」って叫びそうになりました。
暗転を使わずに、回転するセットの効果をメインとして場面転換がテンポよく進んで行くので、本当に観ていてあっという間に感じるし、ダレる瞬間が一切ないんです。
よほどうまく使ってくれない限りは、私暗転が割と苦手だったりします。。やっぱりどうしても集中力が途切れてしまうので。
あれだけ場面を詰め込んだ2時間40分なのに、工夫の積み重ねで一切暗転なしで物語を組み上げきったのは偉業だなと感じました。

ものすごく当たり前のことだなとは思うんですが、やっぱり演出の果たす役割ってとても大きいというか*5、いやそりゃそうか当たり前だな……なんですけど、演出ってつまりはその作品の羅針盤ですよね。
その導きが的確ならば、ここまで作品として観客に与える「面白さ」って狙い通りに作れるんだ、それを実現してしまえるんだなって、改めて感動してしまったくらい。
梅棒の本公演、今度こそ絶対観に行こうと思いましたし、いまじんさんが他の作品で演出を担当されることがあるなら観てみたいなって思いました。

そこには確かな「信頼」があった。ゆえの、とてつもない面白さ

今回先述の様々な配信や、SNSでのキャスト陣の声を聞いたり、また自分が現地で体感したこととして大きいのは、
ものすごく「信頼する力」の強い座組だったんだな、ということ。

このメンバーなら絶対にできる、やれるぞ!という自分たちへの信頼と同時に、お客さんのこともとても信頼してくれていたんじゃないかなと。
真摯に面白いものを作れば絶対に観客には届く、そのためにやるべきことは全部やる!といった感じの覚悟の決まり方が、すごく伝わってきたというか。
妥協なく誤魔化しもなく、本当に面白いものを作ってみせるというプライドと、それを客席に届けたいという思いがとにかく嘘偽りなく真剣だったことが、作品を観ていて熱烈に伝わってきました。
バカバカしさみたいなところを含めて全力&本気というか。思いっきりバカをやりきることで面白くなる!っていうその精神性、本当に昔から大好きなやつです。。


個人的に、この上半期はなにかと疲れることが多くて。
興行側からそれこそ”信頼されていない”ことにまつわるつらみがどっと押し寄せる出来事*6なんかもあったので、
マシュステを観ていて、「あ~私、やっぱり舞台が好きでよかったな、特に2.5のことまだ諦めなくてよかったな……」と、どこか救われたような気持ちすら湧きました。
自分が大好きなものが、大好きな形をしていてくれることってこんなにも嬉しいんだなと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

2.5次元ってやはり作劇がどこか特殊で、その原作の世界観をどう”再現”できるかがどうしても至上命題になりがちな部分があると思います。
でも同時に舞台作品単体としても面白いものじゃないといけないわけで、そこのさじ加減だったりバランス感覚がとても難しいと思うのですが、
マシュステはそこを正面から”舞台としての面白さ”でぶち抜いて来てくれて、本当に嬉しかったし大好きだった。
原作が好きな人からの評判も上々に見受けられたし、かなり幸せな部類に入る舞台化プロジェクトだったんじゃないかなと感じてます。


惜しむらくは、とにかく公演期間が短かった!
火曜に始まり土日を挟んで翌週の火曜にはもう東京公演が終わってしまうというコンパクトさは、興味を持ってもスケジュールを合わせるのがなかなか難しい。。
リピーターや口コミで埋まるためには、土日が最低2回は必要なところあると思うんですよね。
周りでも気になる、観たい~と言ってくれる友人は多かったのですが、タイミングが合わなかった声を複数聞きました。。
本当はもっとたくさんの人に観てもらえるチャンスもポテンシャルもあったと思うので、勝手に悔しさまで湧いてます!!!
もちろん幕開け後に十分評判で広まったほうだとは思うのだけど、でもやっぱ悔し~!!!笑
この短さだとリアルタイム性をもって感想をまとめるのもなかなか難しくて、結局だいぶ空いた今になってしまったよ。


トータルの観劇体験がこれほど幸せなものとして残ることって、正直そうそうないんです。もうこれは完全なる”当たり作”でした。
演じている側も観客もお互いに「楽しい!」が溢れている、最高の夏を過ごせました。完全燃焼してしまったのでもう既に夏をやりきった気持ちでいっぱいだよ。笑
マシュステに出会えて本当~~によかったです!
絶対にまたこの魔法と筋肉の世界に遊びに行きたいので、続編、全力でお待ちしていますね!!!

*1:今回はランス・クラウン役の石川凌雅くんを観に通い倒しました。ランスくんあまりにも最高すぎて絶対に寿命延びた。

*2:明かされてないので実は曲名わからないんですけど、便宜上パワーオブマジックと呼びます!仮タイトル「魔法の力」って言ってた……?笑

*3:テニミュを好きな人のことを「テニモン」と呼ぶのももうめちゃくちゃ古い言い回しなんですが、私はテニミュ2ndシーズンのせいで2013年に舞台オタクになったため、そのスタートラインはまごうことなきテニモンなのでした

*4:私が梅棒の名前を初めて意識したのは2019年の「愛のレキシアター ざ・びぎにんぐおぶらぶ」です。「刀狩りは突然に」の振り付けが特に好きだった思い出。エーステは実は未履修なんだな。

*5:もちろん脚本も要素としてはものすごくデカいんですけど、原作ものの脚本って原作を知らないときは評価がしづらいので今回は敢えて言及をしておりません!

*6:刀の話ではないよって念のため書いておきますね

及川光博ワンマンショー「踊って!シャングリラ」7月29日 @人見記念講堂 / きっと一生に一度の、最前ベイベーの記憶

踊ってきたわシャングリラ!!!

ミッチーさんワンマン。先日の土曜日、全通型ベイベーであるところの姉の誘いで、2023ツアーファイナル2days東京公演の1日目@人見記念講堂に参加してきました。
今年はすでに6月に市川でも参加しているので2公演目なんですが、セトリが2種だった年ということで幸運にも両Ver体験することができました!


ライブの場でミッチーさんを体験するのはこれが5回目でした。
ちょっと色々が特殊だったので先に結論?状況?から書くのですが、
今回のお席が最前のドセンだったんです。*1
「どういうこと?」って感じで、ほんとうにどういうこと?と思いながら出かけていったんですけど、ちょっと持って帰りきれなかったな

このような体験をすることも今後そうそう無かろうというわけで、せっかくなので体験談的なものを書きました。
時系列とかはあまりなく、体感として残ったものをだーっと書いただけの文章になりますが、それでもよろしければどうぞ!
※なお記事内に登場する曲名などは、姉の記事からカンニングしています!*2
purplekuina246.hatenablog.com
※ついでに去年の初参加記事も貼っておきます!
anagmaram.hatenablog.com




なにがどうなってそうなる?の視界で、腰が砕ける系姉妹になった

開演前に姉妹で着席するわけですが、とにかく本当に「わけがわからないよ」という感情に襲われる。どういうことだってばよ。
目の前のステージ、わたしと姉の席のちょうど間に線があって、これがつまり0番!ドセンということ!!!ギャアア!
「見えないけど、ステージ上には0番のバミリの代わりに二律背反マークがあります!!!」と教わり、さらに「ヒィィ」という気持ちになる。ヒィィ!!!!!
ねえ、これほんとにこのあと開演して大丈夫!!?(※わたしたちが。)
去年初めて参加したとき、ステージ上にいつの間にかミッチーさんがいる!という状況になったことを思い出し、ミッチーさんはどこから登場するの?って聞いたら、目の前の階段から降りてくるよと言われ、またしてもヒィィになる。


前口上アナウンスが終わり、暗くなる客電。立ち上がり出す客席……を最前ゆえに視認できないのですが、これって立つタイミングだよね!?となって慌てて立ちあがる。
すぐにステージ上では照明がオンになり、オリエンタル~♪エキゾチック~♪な雰囲気のメロディに合わせ、ファンタスティックスの皆さんとダンサーのお二人とコーラスのまなみんさんが登場。
美しすぎるさっちんさんとゆうこりんさんを交互に眺めては「か、かわいいいいいい!!!」の感情に支配されてメロメロしてたんですが、
なんかもう!そうこうするうちに!
階段の上に!現れてしまったではないですか!?本日の主役が!!!

……ハッ。現れた!あれ?ちがう、降りてきた!?!←それはそう
ハッ!!!やばい!!!こっちに来る!!!←それはそう
……無理!!!来ないでぇぇぇ!!!!!※それは無理

スタンドカラーのお衣装のデザインも相まって、本当にミッチーさんから醸し出される圧がはんぱない。
スターの圧……なんかこう、重量が!!!重量があるタイプのオーラだ!!!になった(???)
本当に、まじで。笑えるくらいに腰砕けました。人間ってあんなかんじで脚に力入らなくなるんだ……。
「そんなかっこいいものを近づけられたら命がなくなるのですいません」の気持ちで少しでも後ろに下がろうとしてしまうが、当然そんなことは不可能なのである。
さすが血の繋がり!ってくらいに、姉と二人でまったくおんなじかつあまりに漫画チックなリアクションをしてしまったので、登場早々のミッチーさんが面白がって笑ってくださった雰囲気がありました。その節は大変すみませんでした。。*3


そこから先は、……なんかしばらく記憶ないな?になりました。
わけがわからないよ???になる。これは一体なんなんだろうか???

客席もステージも、とにかくものすごい熱気で。汗をよくかかれるとは存じ上げていましたが、ミッチーさん、みるみるうちにまじで秒で汗だくにおなりだった。
最初はスタンドカラーのクールなデザインのお衣装をお召しなんですが、その襟元をガッと緩めてはだけたり(そのデザインでも……積極的にはだけにいくんだ!!!流石です!!!みたいな興奮があった笑)、
どのタイミングとか全然覚えてないけど、客席にピンポイントでウインクした後に舌出して噛んでみせたり!?なさってて、
そういうのを目撃するたびに、たぶん私の口からは「キャー///!!!!!」のかわりに「ゔえぇーー!?」みたいな声が漏れた箇所がいくつか……鳴き声を発してすみませんでした……
あとギター!ギター弾いてるところがバチクソにかっこよくて!!!楽器っていいよね!!!!!楽器弾いてる男性、大好きです!!!(大声)
「悲しみロケット2号」で存分にイケ散らかして「さぁ!かっこいい俺を見ろッ!」な雰囲気にギャーッ!!!になったし、隣の姉は冒頭リプレイのようにまた腰を抜かしていてめっちゃ面白かったです。笑
かと思えばもんのすごいかわいい瞬間あるしさぁぁ!!!「放課後ジュリエット」と「Birthday~バラのブレス~」とか本当にキュートすぎてどうしたらいいかわからなかったよ……。
放課後ジュリエットのあのスタージャンプほんと意味わからんくない!?かわいすぎん!!?すき♪きらい♪きらいだけどすき♪……ウワーーーッ!!!(錯乱)

こちらの体験が、目の前の相手にそのまま還流していくということ

先述のとおり、私がミッチーさんのライブに参加するのは5回目だったんですが、
過去のお席は「1階の20列目以降」で2回、「2階席」で2回、という参加位置だったので、そもそもお顔や表情がクリアに視認できること自体が初めてだったんですよ。
それが今回もう、なんか視認とかそういう話じゃないすぎて、まじでしぬかとおもった(いい意味で)。


ミッチーさんだけでなく、そもそもライブというものの最前列は流石に人生初経験だったのですが、舞台の最前列とはまた全然ちがう体験なんだなぁ!?っていうのをものすごく感じました(※申し遅れましたがこの記事を書いているのは観劇趣味11年目の舞台オタクです)。

個人的な感覚の話になりますが、舞台観劇の場合は、目の前で繰り広げられる世界を「観客」として見守ることに徹するので、その世界を成立させるためのひとつの静かな装置になっているような心持ちがあります。
作品にももちろんよるんだけど(コメディ寄りだと当然笑い声が起きるとかはある)、こちらからの受け取りのリアクションって拍手以外にはほぼ存在しないことが多い。
客席から舞台上に届けられるのはあくまでも集中した熱心な視線、それのみです。
その静謐さと集中力で紡がれる独特の緊張感、そこに逆に心地よさが感じられて、私は大好きなのです。


でもライブの最前って、それとは全く別種の体験でした。
ライブって、どこまでもより、インタラクティブなんだなぁ!!!

こちらがどう楽しんでいるか、どう受け取っているか、それが全身の全てで目の前の相手に返っていく。それに本当に心底びっくりしてしまった。
ミッチーさんのイケてる仕草に息を呑んだりあまりのかっこよさに思わず口元を手で覆ったり、
曲に合わせて振り付けを思いっきり踊ったり、そのさなかにこちらからはとにかく笑顔が溢れてしまったり、
遮るものが何もない位置ゆえに、その全てが、今目の前で「ワンマンショー」を繰り広げている御本人に届くのかと思うと……うまくいえないのですが、ものすごく貴重な役目のようなものを担わせてもらっている気持ちがしました。

だからこそ、伝わればいいなと祈るように思ったのは「楽しんでます!」の気持ちでした。
貴方が届けてくださるものを全身で受け止めて、今わたし、楽しんでます!!!を精一杯全身で表現したくなりました。

その気持ちが強すぎたのか、姉と私揃っての謎ムーブだったんですけど、
ミッチーさんのリクエストにより\ミッチー!/って叫んで手を前に差し伸べる動きをするたびに、気づいたら二人してちょっとしゃがむようになっていた。笑
無意識に腰をやや落としてたんですけど……なんかこう、手を真っ直ぐ差し出すだけじゃ足りない気がしたんですよ!
「全身使わないと表現できねえ!もっと何かが必要だ!!!」みたいな謎の確信があり、
結果、謎に膝を少し折ってふたりで「ミッチー!!!」ってやってたんだけど、うん、普通に変だったかもしれないね???
珍獣連番をしてしまい、ほんとうにすみません。笑

1850人対「自分」を貫く。ひとりひとりに愛を注ぐスター

ミッチーさんが”目で”語りかけるその情報量の多さには、本当に舌を巻きました。。
自分に向けられているものでないときにもそれをめちゃくちゃ感じました。
あー今、どんなモードで見つめにいったのかがわかるような気がする!って思いながら、かみしもセンターにまんべんなく配られる熱い視線の色使いや方向を楽しく見つめていました。
そうそう!って嬉しそうにうなずいたり、今指してるのはキミだよ!の射抜くような視線を送ったり、にっこり目尻を下げて微笑んだり、どちゃイケ散らかした流し目でロックオンしたり……
本当に、その場に来ているお客さん一人ひとりのことを、愛して帰そうとしているんだなと。
ベイベー男子たちから届く歓声を受けて本当に満足げに微笑んだり、足りない!もっと!って手で煽ったり、
一方通行ではなくて相互の愛情のやりとり、コミュニケーションそのものを、ものすごく信頼して大切にしているんだなって強く思いました。


今回の個人的な体験談としてなんですが、多分ミッチーさん的には、私が姉(=ガチ勢)の”連れ”だということはおわかりだったのではないかしら?と思うんですね。*4
「キミ、初心者ベイベーではないけど、常連さんともちょっと違う感じだよね?」みたいな。
なので、これは本当~~~に私の勝手な体感なのですが、いただく視線で「どう?楽しんでる?僕がミッチーだよ!」って言われている感覚になったんですよ。
……この人、深刻に何を言っているんだろう……?って感じだと思うんですが……笑
ええとね、違うんですよ、それくらいスターの視線が雄弁だったと言いたいのです!!!伝われ~~~!!!笑


20列目で見ても2階席で見ても、ミッチーさんは常にミッチーさんとしてすごかったけど、
最前で体感するミッチー指数はカウンターの針が振り切れて測定不能なやつでした。
多分最終盤のバラ色かなぁ……?すごくガッツリ目を合わせてくださったときに「ハイ!!!しかと届いております!!!」をお伝えしたくて、思わず両手を胸の前に差し出してウンウン!とうなずいたら「うむ。」みたいな感じで満足気にうなずき返してから下手に去っていかれた瞬間がありました。
ミッチーさん、伝わりましたでしょうか。わたくし本当に本当に、楽しかったです。

「生き様」としてのワンマンショー

この日はファイナル2daysの1日目であり、まだショーは明日も残っている、という状況なわけですが、
ミッチーさんはとにかく徹頭徹尾、全力だった。
ここまで出し尽くすのか、燃やし尽くすのか……?とこちらは圧倒されっぱなしでした。


アンコール前、荒い息づかいで床に崩折れ、本当に全身汗だくで立ち上がるのもままならない、みたいな状態になってしまうミッチーさん。
今回の距離感ゆえに、その表情を見ていると深刻なものがよぎるくらいの何かを感じて、思わずドキッとしてしまった。
限界ギリギリ状態のスターを見守るステージ上のメンバーの皆さんも、心配を表には出さないけど、でもどこか祈るような気持ちがあるような、とにかく愛と信頼に満ちたような空気がそこにはあって。
それでも、そこから体を起こすにあたっては「ゆうこ……そこに、ヘアピンが落ちてるよ」って、聞いたみんなが思わず笑ってしまうような一言でまずは繋いでみせたり、
どれだけギリギリになっても、本気で命を削る部分があるのだとしても、自分はショーマンシップを貫くのだ、というその気概が凄まじかったです。

及川光博のワンマンショーは、人前に立って輝くために生まれてきた人が、自らの揺るぎない意志で選び続けてきた結果の、紛れもない生き様なんだと思いました。心が震えました。
そんなふうに、どこまでだってこちらに「届けよう」としてくれる。
そこまでして届けたいものの中身、それは純然たる愛
それが及川光博という人の生き様なんだなと。彼は、それを「選んで」きたのだなと。


唯一無二の星として輝き続けるため、自分が自分で在り続けるために、本当にものすごい努力や節制や葛藤や、そんなものをたくさん抱きとめて飲み込んで、なお圧倒的な光を放ってみせる。
顔じゅうに光る大量の汗の粒が、こちらからは本当にダイヤモンドの輝きに見えました。
それを受け取ってこちらから返せるものがあるとしたら、それもやっぱり愛しかないのだなと。
本当に本当に、素晴らしい夜でした。忘れられない夢のような体験を、ありがとうミッチーさん。



以下はちょっとだけ前日譚など。

位置が位置なので、余計に振り付け覚えられてる曲が多いほうが楽しいよね!?っていう話になり、姉がスタジオ借りてくれて事前に振り付けレクチャー受けたりもしてました*5
楽しすぎて、結果余裕をもった1.5時間のスタジオ予約が延長で2時間になる姉妹。
全通オタクの姉に人見1でやるのは多分こっちのセトリ!というラインナップで教わったんですが、私が一番食いついたのは「Shinin' Star」でした。
去年初めて現地できいたときからなんか不思議に「踊りたい!」って思った曲で、潜在的にすごく好きだったみたい*6
なのでイントロとサビを徹底的に習いました。
ABメロは決まった振り付けがないから「ヘキレキはこう、トキメキはこう動けばOK!」みたく教えてもらい、その努力の甲斐もあって、当日はちゃんと踊れたと思います!たんのしかった!!!
サビ後半の「Just get up!」でバーン!って撃つやつがかっこよくて前からちゃんとやりたかったので、それを徹底的にミッチーさんに向けて撃ちまくるのがすっごい楽しかった!!!満足しました。大サビの右手を上げるタイミングがワンテンポ遅れたのは悔しいけど!笑
1曲目の「ファンキー☆ミュージック」は……なんか”踊る”とかそういう発想を取り戻すまでに、2番の途中くらいまでかかった気がします。笑(ワワッ……!?のちいかわ状態で1番は終わってたと思う)
「死んでもいい」はBメロ出だしの動きが習った上でも未だに一生できないんですけど、それ以外はできたと思うのでいいことにしました!
「CRAZY A GO GO!!」は2番でようやく振り付けの雰囲気を思い出して楽しくもちゃりました!
最後の「バラ色の人生」は練習したわりにあんまりちゃんと踊れなかったけど、なんかもう、あの曲が流れる空間に居られることが幸せでした。


具体的な曲ごとの感想が単体で引っ張り出せない、、全部ひとかたまりになって記憶されてしまう特濃のめくるめくドリミーナイトだったので、ほぼ私の「体感」の話で終わってしまったな。。もっと見たものを事細かに描写したかったという言語化欲。
MCでは謎に博多弁を喋るミッチーさんが見られたり(あれはまじで、なんでなん?笑)、悔いなく燃焼できた、最高のワンマンショー体験でした。
文章の中でうまくいれられるポイントがなかったのだけど、バラードの「初愛」では、もうぼたぼたに泣きました……。
それでいて、いちばんさいごの「遠隔ゥ~!キューーピット!」からの流れのお茶目さといったら。
2テイク目、自分から\ギャフン/の発声を要求しておきながら「なんか違うんだよな?笑」の笑顔で客席を放置し、思い出したように優雅なお辞儀をピャッと付け足してスタスタ去っていった。はしごの外され方が面白すぎてちょっと忘れられません。ほんとうになんなの!?笑


そんなふうにお茶目で可愛くてかっこよすぎるミッチーさん、どうぞお体にお気をつけて、それはそれはくれぐれもお気をつけていただいて(※念押し)、
どうかこれからも輝くみんなのスターでいてくださいね。またワンマンショーの世界でお会いしましょう!
\愛してまーーーす!!!/

*1:これは自分のポリシー上、普段の観劇のときは基本席位置に言及しないスタイルなんですが、ミッチーさんのワンマンショーの場合は席位置開示のうえでの感想がわりと好ましいものとして受け入れられるようなので……めったにない貴重な機会をいただいた立場として書かせていただきました!!!普段なら絶対言わん!笑

*2:姉の記事、事情によりリンクしたほうは「豚骨抜きの豚骨ラーメン」だそうなので、濃い目の感想はこっちというのも貼っておきますね(本人許可済み)

*3:愛哲MCのときの出だしに「始まって降りていくときのみんなのリアクションが楽しい~」って仰ってた&うっすら視線が飛んできたので、楽しんでいただけていたら幸いです。笑

*4:シンプルに、姉は振り付けを意識的に履修し「めちゃくちゃ踊る」タイプのベイベーのため、練度の違いが並べると一目瞭然なのであります。笑

*5:オタク、時間があると己に課すタスク増えがち

*6:2022のファイナルラストに思いがけない形で聞いたために、余計そう思ったのかもしれないです。

2023年上半期に見たものまとめ

去年、過去最大の現場数だったのに記録が全然残せておらずびっくりしたので、簡単に上半期をまとめてみる。
あと自分でも「今年何読んだっけ」とかがわからなくなるので、観劇以外のやつも色々。

舞台作品その他、現地に足を運んだもの

※月をまたいで観劇したタイトルは最初の月だけに記載しています。いわゆる俳優個人のイベント系は書いていません。

1月

ミュージカル「進撃の巨人
  • 原作大好きなので行かないと後悔するのでは…?と思い、大阪公演始まる直前に東京公演のサイドシートを買いました(大阪幕開けたらどんどんチケットはけていってその後サイドシートは売り切れていた)。もう最高に面白かった!センサー働かせて観に行った自分を褒めたい。
  • 2.5次元×ミュージカルにする意義を存分に感じさせてくれる大傑作で、見応えがありすぎた。超大型巨人怖すぎたよね…ダンスシーンは侑くんのジャンに釘付けでした。カテコでマルコだけ衣装のあそこが違うの、ほんと芸細かい…って思いました(展開的にネタバレになるので言えなかったんだけど気づいて正直ぎょっとした)。
ミュージカル「ファースト・デート」
  • 村井くんがかわいい。音くりちゃんが超パワフルだった。アメリカが舞台の現代劇をそのまま日本に持ってきた場合、それを受け取る際に起きがちな自分の中での「居心地の悪さ」に、今のところまだ解が出せていない…(これは完全に受け手である私側の問題)。
ミュージカル「キングアーサー」
  • 面白かった~!!!なんというか味わいがとても不思議なミュージカルで、神話伝承の類いをフレンチロックミュージカルにするとこうなるんだな…?みたいな。あんまり類似の後味のミュージカルに出会ったことがないかもしれない。トーコさんのモルガン涙が出るほどかっこよかったです。禅さんのマーリン不審すぎて最高だった。
ミュージカル「エリザベート」(※博多座公演)
  • 帰省先の実家から4公演通うという贅沢をやりきったんだけど、博多座公演はまじで異様に楽しかった。。。大好きな地元で大好きなエリザが観られる!というテンションの上がり方は幸せすぎるやつでした。エリザにまつわる2年半分のありとあらゆるしんどいことが昇華される感じにハッピーしかない観劇期間だったおかげで、後日にはなったけど去年10月から寝かせ続けていた観劇の感想も無事にまとめることができた。博多座エリザが全公演無事でいてくれて本当によかったです。。おかげで2020年からの亡霊もやっと成仏できました。

anagmaram.hatenablog.com

2月

ロミオ&ジュリエット
  • 美術や照明はたいへん美しくて、やりたいことも明確だったように思う。しかし…舞台初挑戦の主演に翻案なしのほぼ原文ママ・古めかしい日本語で早口なシェイクスピア台詞をあてがうのは、流石に企画サイドのミスではないか!?と私は感じました。。!もっと他の作品で主演デビューさせてあげたらよかったのにと思わずにはおられん。
キングダム
  • 少年漫画の世界観そのままの大スペクタクルが帝劇で繰り広げられていることの新鮮さ!舞台作品としてあまりにも面白くて1回目観たあとに即追いチケしました。小関裕太くんの嬴政に友達がメロって大変なことになっていた。ゆたちゃんまじでかっこよい大人になられて……!
  • 華ちゃんさんLOVEすぎて観られて幸せになった。河了貂のお芝居、芯の強さが生きていて素晴らしかったし台詞がしぬほど明瞭だし、とにかく「華ちゃんさん~!」のLOVEが溢れた。せんちひのリンまじで楽しみ。。
笑の大学
  • 映画も観たことなくて初だったんですが、ああいうラストだったんだ!ってびっくり。途中助けてほしいと思うほど笑いました。美術も照明もシンプルで研ぎ澄まされていて、ミニマルな作品世界にとても集中して観られた。PARCO劇場は建て替え後も見やすいので愛してる!
舞台「刀剣乱舞」 禺伝 矛盾源氏物語
  • 現地で観た初めての刀ステ。TDC3バルサイドからだったけど、画作りの美しさに涙が止まらなくなった。とくに巨大な布を使った演出が見事。
  • 「物語」を取り巻く感情が重たくなりがちな人間なのでテーマそのものが刺さって仕方なかった。末満さんお得意の階層構造がこれ以上なくハマる題材だったんじゃないかな?と感じた。
  • あきらさんの光源氏はそりゃ、あかん!かっこよすぎ。

3月

ミュージカル「ジェーン・エア
  • 気になってたけど予定に最初入れてなくて、姉からの猛プッシュで観たんですがまじで行ってよかった。。全員歌がうますぎる。ミュージカルで初めて観た萌音ちゃんのすごさに感服した。詳しい感想は記事に書きました。

anagmaram.hatenablog.com

ミュージカル「マリー・キュリー
  • 評判がとても良かったのでチケットを急遽買って観劇に。なのですが、自分でも説明が難しいくらいになぜかうまくハマることができず、評判に対して自分のテンションが合致せずに一緒に行った姉とふたりでめちゃくちゃ不思議に思う観劇体験になった。6月の「ダーウィン・ヤング」で個人的にその違和感も消化できた。シシィからの振り幅のあるタイトルロールをかっこよく演じきっていたちゃぴさん、本当に素敵でした。
舞台「炎炎ノ消防隊
  • りょうがくんの主演姿を観に通いました。前作に増してアクションの量が本当にすさまじい。。人間の限界に挑戦してない!?って思うくらいで見応えが異常、本当にびっくりした。そもそも出演者、全員動けすぎ!?ってなるのですごい。
  • これは書くべきことではないのかも…と迷いながらなんですが、演目の”集客面”の成否は、正直原作の勢いにかなり左右されると思っており…舞台化にあたってのタイミングとかいろいろ要素があるよね。企画面の厳しさが客席の見た目として役者に還元されてしまうのは正直つらいなと感じるなどしました。*1

4月

演劇調異譚「xxxHOLiC」-續-
  • 今作なんかめっちゃ泣いたなぁ…。演者みんな実力があって、とても安心して観られる座組でした。もっくんもしょごたんも、見てて「流石…」しか言えなくなる。花組芝居の加納さんにもかなり持っていかれました。一瞬で、視線や手付きだけで語れることがあんなにも膨大なのかと。。雨童女と座敷童のやりとりもすごく好きだった。あそこはしゅんやくんの場の掌握力が素晴らしかった。
ミュージカル『刀剣乱舞』花影揺れる砥水
  • 記事に書いたとおりです。

5月

CLUB キャッテリア
  • キャストはまじのまじで全員最高に素晴らしかったし、全力声出しも超楽しかったです。芝居が後半にかけてうなぎのぼりに良くなっていったのも最高だった。
  • 詳しくは書きませんけれど、長くオタクやってるとほんといろんなことがあるなって11年目にして思いました。笑
舞台「HUNTER×HUNTER
  • たんのしかった!「これぞ王道の2.5次元!」ってなった。原作好きな夫を連れて行ったけどこれまでに観た2.5で一番良かったと絶賛していた。キャラ全員、再現度高すぎじゃね!?となり、そしてやっぱりおごたんのクラピカ…。あんなの観たら泣いちゃうよ!?
  • オーデで選ばれた新人しおんくんのゴンさん、ほんとピュアネスの塊でキラキラしてて、理屈の通らねえゴンさんっぷりが半端なく、ネルケのキャスティング能力は相変わらず異常だなって思いました。キルアもレオリオも言わずもがな最高!あとヒソカ!怖い!笑

6月

The Brow Beat Live Tour 2023 @LINE CUBE SHIBUYA
  • 先日記事に書きました。本当に楽しかったよぉ~~。。。自分が「好き」と感じるものはこれからも臆せず大事にしていこう、って思えたライブだった。

anagmaram.hatenablog.com

及川光博ワンマンショー「踊って!シャングリラ」 @市川市文化会館
  • ワンマンショーへの参加は2年目!踊ってきたわシャングリラ。来月もう1回いくのでそんときに多分感想を書きます。
ダーウィン・ヤング 悪の起源
  • 全員歌うまミュージカルってまずその時点で最高!ぴろちゃんがマジでかっこいい!禅さんのその声量はほんとどこからー!?鈴木梨央ちゃんの歌たくさん聞けて嬉しかった!Wの主演は大東くんで観たんですが、お芝居も歌も素晴らしかったです。
  • 話の展開というか起承転結的な部分に対しては正直頭の中が「???」になりまくるのですが、それはやはり物語が生み出された文化的背景の差異によるものだよなとなって、結果的に韓国ミュージカルの文脈をもっと知りたくなりました。なんか総合的に観劇体験としてめちゃくちゃ面白かった!

※舞台系の現場数がたぶん上半期「38」で、これは年間70に収められるか…どうか…って感じになってまいりました。イベント系を足すと怪しくなるから「去年マイナス15」くらいにしかならんような気がしてきた。(去年は100over)

アニメ(再視聴したものも含む)

水星の魔女
  • 第二期の直前に見始めて今は毎週視聴中。ねぇこれほんとに終わる…!?大丈夫!?不意なネタバレをしたくないので何も喋れないんですけど、わたしはグエルくんが好きです!(たぶんみんな好き)
SSSS.DYNAZENON
  • 放映してた2021年に4話まで見てたけどイマイチ…?ってなって見なくなる→映画(グリッドマン ユニバース)のために改めて通しで見た夫から「絶対に見たほうがいい、死ぬほど面白い」って言われて、ほんとか~?の気持ちになりながら5話以降みたら9話がもう、あまりにも突然の神回で、そこからはだーだー泣きながら完走した。そのテンションで観に行った映画は当然のことながら最高に楽しめた!
ツルネ -つながりの一射-
  • 年明けから放送の二期、録画していてだいぶ後からまとめてみたんですがやっぱりツルネ好きです。交差したりまとまったりする関係性が様々なグラデーションで展開していくところが好き。あとはなにより「部活」なのがいいですよね!
天元突破グレンラガン
  • グリッドマン ユニバース」を見たらTRIGGER作画のアニメが見たくなり、久々に「プロメア」を見たら本格的にスイッチが入ってしまった結果、TVシリーズを2014年ぶりに完走しました。何にびっくりしたかって自分の話の忘れっぷり。引くほど細部を覚えてなかった。。自分の中の好きの核に近い部分がやっぱり詰まってる作品だなぁと思った、私は中島かずき脚本にめっぽう弱いのです。
  • 二期のシモンのキャラデザかっこよすぎてびっくりした(それも忘れてた)。あと改めてプロメアから続けて見るとキャラデザに関してはガロ→カミナだし、アイナ→ヨーコなので、作り手サイド(今石さん?)が好きな造形なのかなと思いました。

映画

生きててごめんなさい
  • まりおくんの主演映画。おもてたんと違うタイプの明確にダメージのあるお話で、でもかといって決して嫌いではなくて、おもわず2回目を見に行ったほど。でも重たくて結局感想はまとめられなかったんだよな…書きたかったのだけど忙しいタイミングでちょっと気力が足りなかった。。主演ふたりのお芝居がとても良かったし、冒頭の○○の脚が宙を飛ぶシーンはあってくれてよかったなって思いました。
シン・仮面ライダー
  • 面白かったけど幼少期の親しみがウルトラマン寄りだったので私はシン・ウルトラマンのほうが楽しめた!って感じで、昭和ライダーへの濃い目の愛あふるるオマージュ系はとんとわからんので、もうこれはそういうもんと思って見てました。2号の柄本佑さん、色気があって異様にかっこよかった。
グリッドマン ユニバース
  • 「最高」の一言しか残せなくなるし、ネタバレ知らずに見てほしいしので、本当に何も言えない。。とりあえず最後のほうの戦闘シーンではもうわけわからんくらいびしょびしょに泣きました。オーイシマサヨシさんの音楽があまりにも天才的。
  • この感動を知ってもらうためにはネタバレ無しでSSSS.GRIDMANとSSSS.DYNAZENON合計24話を完走する必要があるんですが、その価値はあると思いました(MCUのエンド・ゲームを勧められたときのことを思い出してしまう)。
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME3
  • シリーズ最終作。ずっと物理的に一緒にいることだけが仲間じゃないし、各自の選択を愛し、尊重しあえるその信頼や関係性の在り方こそが「仲間」なんだなって思った。これもいっぱい泣いたな~。。

基本的に私には映画を見る習慣が全くないため(観劇で忙しいからというシンプルな理由)、2~4つめは全て夫の趣味によるものなんだけど、自分の好みの範疇外から面白いものがやってくるのは体験として大変ありがたい。

漫画

メダリスト
  • 前から読みたくて唐突に読みだした漫画・その①です。デビュー作と知って驚愕。どういう画力!?いのりと司コーチの関係性があまりにもとうとい。いのりの指導を通して司コーチの中に燻る過去の色々が癒やされていくし、いのりは司コーチと出会ったことで自分と自分のやりたいことに対して初めて正面から向き合えるようになっていく。周りのキャラクターも全員良い!あの二人にはどんどん喜びGOEを爆発させていってほしい。アニメも楽しみです。
違国日記
  • 前から読みたくて唐突に読みだした漫画・その②です。どうしたらこんな漫画が描けるんだ。。読んでいて、朝が槙生ちゃんに向けて言い放った一言があまりにも辛くて、まるで自分がその言葉を言われたかのように傷ついてしまった瞬間があった(でもそのあと槙生ちゃんが正面きって言い返していたので救われた)。それくらいに心を傾けて読んでしまう作品。本誌では最終回を迎えるそうで、どんな結末になるのか大切に受け取りたい。

このテーマで6000字超えてしまったのはなぜ???となったので、読んだ本はここには書かないことにします!読書に関しては多分年末にでも別館に書く!(おそい)

*1:「走り出してしまったからもう止められない」系の、集客が厳しい舞台化企画が最近多いような気がしていて。。一旦整理したほうがいい時期なんじゃないかなと感じたりしますよね。コロナ禍で離れたお客さんは戻ってきてないのに演目数だけは往時に戻っているので、元々ただでさえ少ない”観客というパイ”の奪い合いが本当に激しい気がしていて、なんだかあまり健全ではない。他にも色々と業界に対して「どこに向かっているんだ」と首を傾げたくなる出来事が多い上半期でした。心配。

「死んでもいい」と思える時間を。The Brow Beat Live Tour 2023 "The Five Senses" 2023/6/4(日)LINE CUBE SHIBUYA

ブロビライブ、3年ぶりに参加してきたよ。
thebrowbeat.jp

もうほんと、訳わかんないくらいに楽しかった!!!
オーラス1公演だけ入っていてセトリも何も!という感じなので、今回ライブに参加した自分の純然たる感想を書きます。ライブ感想って未だに書き慣れないから読みづらいものになると思うすいません!




3年ぶりでもあっという間に「ただいま!」の気持ちを味わえた

気合を入れた全身真っ黒のコーデ*1にマスクもグレーで用意して超張り切って出向いたら、開演前に(連番ではなく)待ち合わせた友人から「いつもと違ってわからなかったww」ていわれました。へへっ。笑
演目としてのレギュレーションは明快で、不織布マスク必須、そのかわり声出しは全力でどうぞ!という内容。わかりやすくて良いですね!
過去のツアーグッズを身に着けているお客さんも沢山いて、5周年という時間の流れをあらためて噛み締めます。


始まりは5分以上長めにちょい押しての開演でした。
SEに合わせて沸き起こる手拍子、青、赤、緑…様々に明滅する照明の鮮やかさにどうしようもない興奮が体の内に込み上げてくる。
何やるのかな!?って期待値マックスにぶつけられた1曲目は、「日本」でした。
もうほんと、これだけでありがとーーー!!?になっちゃう!なんせもう、すべての始まり!これぞ原点!!!(學蘭歌劇のオタクだからね!)
すすめいちおくひのたまっだっ!って全力で叫べることの幸せよ!?
ボルテージいきなり最高潮でなだれ込んだ2曲目は「ジセイノク」だったはず、
どうやって乗るんだっけ?みたいなちょっとした不安も一瞬で吹き飛ぶ、”Ryuji”としての生き様ぶつけてやるぜ!な立ち姿に、もう夢中になって手を突き上げました。
3曲目は「メビウス」だったと思う、あやふやなんだけど!
自分が3年ぶりの参加であることへの不安ももうこのあたりで完全に氷解して、空間に身を浸す喜びに集中してました。
その後わりとすぐ、まだ序盤だったと思うのだけど、「灯籠流し」は命を削るような振り絞るような歌い方で、
歌詞の中にある「目の前の灯籠が消える前に 気づいてほしかった」の歌詞がもう刺さって刺さって……。
ここにいる、生きているその事実を激しく刻み込むように、ほぼ崩折れるような姿勢で歌い終えたりゅうじくん。見てて心配になるほどの熱唱でした。


そしてHAKUEIさんが合流してからのツインボーカルの豪華絢爛!!!な華やかさ。
記憶違いだったらごめんなさいなんですが、二人で最初に歌ったのが「CLOWN」でしたか…?
日比谷野音の初年度に合わせてリリースされたシングル、やるとは思ってなかったので聞けてすごくびっくりしたけどめっっちゃ嬉しかった!ブロビの中でも特にこの曲大好きなんです。。
ビッグバンド風の構成で、どーーしても裏拍でノリたくなってしまうし最早踊ってしまう曲。
ロックのノリ方って基本的に縦のY軸だけ使いますよね…?そうとわかってはいるものの、つい”Z軸”を足してひねりをいれて踊りたくなってしまい、なんか違うよな…!?って申し訳なくなるんだけど、楽しいから許して。笑

「Hide and Seek」はサビ前に「もしかしてこれ、跳んでOKだったりする…?」って思った通りに客席がびょんびょん全力で飛び跳ねてて最高に楽しかったし、
「Snow White」はイントロの時点でのりゅうじくんの「Hi-ho!!!!!」てもうテンションぶち上がりでした。
ライブで初めて体験する「BLACK SHEEP」も、めちゃくちゃ楽しかったな……。


アンコール前のラストに「ネモフィラ」聞けたのもすっごく嬉しかった!
私以前からブロビのメロディアスな曲にめっぽう弱いんですが、周回遅れで去年のアルバム404を聞いてたら「なんぞこれ!?めっちゃ好き!!?」ってなった曲だったので。これも聞けるとは思わなかった!
切なげ明るめチューンでなおかつ歌詞見てると実は別れの曲だったりもするしさぁ、ねぇ本当にさぁー!?ってなっちゃう。
サビラストの”扉開いて”を歌わないで客席を見つめてたりゅうじくん、思わずみんながふわっと歌った声はその耳に届いていたかな。


アンコールは2回ありました。
タイミングあやふやなんだけど1回目のアンコール直後かな?今回の新譜収録の「紡ぐ」は圧巻の歌唱でした。
かどしゅんさんの華麗なスティックさばきが、暗闇の中に佇むりゅうじくんのシルエットの背後に映えて思わず息を呑んだし、
バンドメンバーがひとりずつステージに戻ってくる演出もあいまって本当にドラマティックだった。
1回目アンコールラストが「アイリス」であってる……?
昨日歌ったって聞いてたから諦めてたんだけどやっぱり1stデビューアルバムの1曲目、初めて聞いたブロビの大好きな曲なのでこれも嬉しかった。。
たしか2回目のアンコール初っ端が「ラブレター」だった気がしてきた!
アンコールのどこかで「Black&Black」歌ってくれたのにはほんとテンション上がりすぎてどうかなりそうだった……!
(※曲順はもう「多分!」を連呼せざるを得ない感じなので、全然違う可能性が大です!ごめんな!)

貴方の語るメメント・モリが好きですと、今回も思った

冒頭わりとすぐのタイミング、たぶん3曲目のあとではないか?に挟まれたMCで、のっけからりゅうじくんらしさを痛いほど感じて、もう心臓貫かれました。
「今日死んでもいいなって。……そう思える時間を過ごしたい。」って、いきなりそう言い始めて。
歳を取って自分も丸くなって、前より傷つくことも増えて、腹の立つことも増えて。でも今日ここで死んでもいいなって思えるくらいの最高の時間にしたいなって思うので、というような内容を訥々と語るりゅうじくん。
初っ端からこれをぶつけられるのか!?と、この時点でうっすら涙が出てしまった。

やっぱりどうしようもなく、刹那を愛する人なんだなぁ、と思ったんですよね。
「今、この瞬間」を全力で愛おしみ、命丸ごとで眼の前の時間にぶつかっていく。
その在り方にどうしたってこちらは心を揺さぶられるし、浮かんでくるのはやっぱり「信頼」の二文字なのでした。
表現者としての貴方のことを、この先もたぶん一生信頼しているな、と思った。


とても個人的な話ですが、時間が経つことによりいろんなことが当たり前に”変化していく”事実を、どうしても辛く感じてしまう場面が、去年から続いていました。
もちろんそうはいっても仕方ないことだし、もう受け入れるしかないのだ……と後ろ髪を引かれるような気持ちで、実のところうまく前に進めなかったりもしていたんだけど、
自分の中に生まれた変化を受け止めて、その上で「今」を真正面から生きているりゅうじくんを見ていたら、勝手に背筋が伸びるような気持ちになりました。
そうだよね、大事なのは今にしっかり根ざすこと。そこから目を背けないこと。時間が経つのも、悪いことじゃないんだ。
後半のMCでは「長く人生を過ごしていきましょう」的な、生きていきましょうってメッセージも言ってくれてた。
彼の持つ死生観に、なんていうか表現者を超えて人間としての信頼を置いているのかもしれないです。
限りがあるからこそのかけがえのなさ。生の一回生。そこから目を逸らさない人。


力の限りにこちらが差し伸べた手のその先で、全身で煌めきを見せつける姿、最高にかっこよかった。
自分を”ファン”と称して良いものか迷うくらいの、少し離れた位置から数年間ずっと見続けているからどこか冷静な部分もあるんだと思うんだけど、
本当に生き様そのものがかっこよくて、やっぱり大好きな人だなぁ、とシンプルに思いました。

5年目を迎えて、バンドのフロントマンとしての貫禄の重たさには感服しきり。。
どんだけ忙しいんだっていうスケジュールの中で、音楽活動にも嘘がなく本気だからこそのこのクオリティ、やっぱり流石です。
プロ中のプロが集ったメンバーの豪華さも、もとからの楽曲の完成度の高さも、今改めて沁みてくる……。
久々に見たため余計にそう感じたのかもですが、バンドとしてのアクト全体の厚み・充実感も、やっぱり段違いに高まっている気がしました。持ち歌めちゃくちゃ増えたわけだし!
あとレーザーをふんだんに使った演出もものすっごいかっこよかったんですよ!
この曲!ってタイトルで言えないのが悔しいんだけど中盤に色とりどりのレーザーに刺し貫かれる時間帯があって。その空間を生で、自分の全身で体感できることの喜びを味わいました。


銀テのキラキラが贅沢に頭上に降り注ぐ「Browbeat」、その向こうまっしろな照明の中で客席の隅々に目を凝らす真摯な瞳。
つい先日自分のブログを読み返していて、2019年に日比谷野音で見た景色を思いだしたばかりだったから、余計に眩しさに目が見開かされ、胸が詰まりました。
anagmaram.hatenablog.com
アンコールで聞けるよねって楽しみにしてた「な訳ねぇだろ」は、ちょっとあまりにも、想像以上に楽しすぎて……!?
\全部クソーー!!!/って声を限りに笑顔で跳びはねて歌い叫んでいたら、淀んだものが全部どっかに吹き飛んだ気がしたよ!
この曲でのりゅうじくんの笑顔、ほんとにキラッキラで心底楽しそうで。
マスクで飛び跳ねて歌うとさすがに酸欠!?って感じでクラクラしたけど、その笑顔見てたらこちらも全力笑顔になってしまった。


そんな彼は、最後に爆弾を落して去っていきました。
ピックやらスティックやらを豪快に客席に投げ込むバンドメンバーを笑顔で見送り、一人ステージ上に残ったりゅうじくん。
どんなご挨拶で締めるのかな?って思っていたら、
「本当は言いたくないんだけど、いつも皆さんには感謝してるんですよ!」って言い放ち、優雅なお辞儀を残して袖に消えていきました。
いやちょっと、そんなんずるいわー!?ってまじで動揺しました。
どう考えても、たしかに御本人の言う通り有り様が丸くなったのは確かで。
その変化こそが示す時の流れを、最終的にとても愛おしく思いました。


入場のときに配られる小さなリーフレットは受け取ったまま見てなくて、
終演後に写真を撮りながら開いたんですが「ラブレター……!?」ってなって込み上げた巨大感情にまじでしにそうになった。
そこにあるのは間違いなく愛、なんだなぁと。



コロナ禍寸前の逃げ切りだった2020年2月のLINE CUBE SHIBUYA以来のライブ参加だったけど、本当に行ってよかったです。
数年足が遠のいていたけど、迎え入れてくれてありがとうございました!とどこへともなくお礼を言いたくなる。
絶対に行くべきだなって痛感したので、また絶対に遊びに行きます!
だって本当に、楽しかった!!!
「死んでもいい」と思える時間は、生きててよかったと噛み締めている、その証だから。
生き様まるごと届けてくれて、本当にありがとう。

*1:いつ行っても本当に客席のドレスコードが黒メインで見事なんですよね!!!笑 今回のツアーTは黒地にカラフルなプリントだったのと過去グッズ持ち込んでる人ほんと多くて「黒+いろんな色」で客席にぎやかだった!

刀ミュ花影を観て。脚本の変更に、いち古参オタクが思うこと

刀ミュ新作、花影揺れる砥水。
4月30日にTDCホールで迎えた初日、その客席に私もいた。
先に言います、この先に続くのは残念ながら楽しい文章ではないです。そしてめちゃくちゃに長い。

覚悟はして臨んだものの、脚本の変更により大好きな作品シリーズの様相が変わっていたことに、動揺をどうしても隠せない。
率直に言って悲しんでいる今、少しでも自分のなかでけりをつけたく、こうしてブログに文章を書こうとしている。
これはいわゆる”お気持ち”長文と呼ばれるものになろうが、そこは個人のやっているブログなので当然であると開き直って書かせていただく。すべて個人の感想である。*1


そして今花影を楽しめている人を否定する気はさらさらないことも、当然ですが明確に言っておきたい。私は、あくまでも自分の「好き」に対して正直でいたいだけだ。
他人の感受性にまで責任を持つことはできないし、こちらから干渉しようとも一切思わない。あなたはあなた自身の「好き」を、どうか大切にしてほしい。


いわゆる注意書き的なものを最初に書いておく。
以下の前提のため、この人とは合わないなと思われた場合は注意されたい。

  • 今回の刀ミュ花影に対しては明確に「ちょっとこれはどうなんだろう?」と思っている。率直に述べると「面白いとは思えなかった」人間です。
  • 刀ミュは2015年のトライアルから現地観劇勢。本シリーズを追っている人間としては、いわゆる古参の部類に入ると思います。現地で見ていないのは厳島と江おんのみ。
    • わざわざ”古参”という言葉を遣ってこれを書く理由は「これまでの作品シリーズに対する自分の理解が浅かったとはどうしたって思えない……」と感じている背景を述べるためである。
  • 刀ミュの中で好きな刀は、三日月宗近加州清光鶴丸国永・肥前忠広。ゲームでもともと好きだったのは、初期刀:加州清光の他に、一期一振へし切長谷部*2
  • オタクとしての本業はこの10年舞台オタクであり、原作ゲーム及び派生コンテンツそのものへの思い入れは薄め、刀ミュのみを例外的にめちゃくちゃ愛してきた人。舞台オタクかつゲームも当時たまたま遊んでいたことをきっかけに刀ミュに足を運び、いろいろあって今に至る。

脚本は作品の支柱である、その事実の重み

刀ミュの脚本家が変わった。ついに、本公演でも本当に変わってしまった。
それがどういう結果をもたらすのか、覚悟をして臨んだつもりだったけれど、それなりに予想はしていたけれど、やっぱり全然受け止められなかった。
私が愛してきた物語は、もうそこには存在しないことがよくわかる2時間15分だった。


長く刀ミュの脚本をつとめてきた伊藤栄之進さんの書くお話は、とにかく常にひとつの「群像劇」としての在り方が抜群に優れていたと思う。
出陣する6振り(東京心覚だけは例外的に8振り)それぞれについて、スポットのあたる瞬間があり、
彼らが本丸でどういう関係性を育んできたのか/来ていないのか、どういった性格なのか、仲間に見せる顔と一人のときでは何が違うのか、
そういった”人となり”と言うべき点が、舞台上に生き生きと立ち上がっていた。
だからこそ、見終わる頃にはそれまで特に興味のなかった男士のことも含めて「全員大好き!」になってしまうし、
反対にその作品の中に特別に好きな刀剣男士がいる場合はめちゃくちゃのめり込んで見ることができ、その上でそれ以外のメンバーのことももれなく好きになり、誰を見ていてもしっかりと楽しめた。
出陣を経て、何が変化としてもたらされたのか。刀剣男士としてどんな成長があったのか。歴史を守る任務についての捉え方はどう深まったのか。
そういう点が、1部のお芝居の終わりには自然とこちらに溢れんばかりに伝わってきていた。


「歴史」に関する捉え方、つまりは歴史上の人物たちの描かれ方にも、いつも深い愛情が感じられた。
世に語られる歴史上の姿と、実際のその人物とは果たしてどこまで同じであったのか。
よく知られるその実績に隠れて知られていない側面も実はあったのではないか。
歴史の中に名を残す人、儚く命を散らす人、長く生き次の時代を作る人、その立場は様々だけれど、
その誰もに、確かにそこに生きた命があったのだと、
その連なりこそが今という時間を作り出し、刀剣男士たちが守るべき「歴史」となっているのだと、そんなメッセージが伝わってくるようだった。


そういった愛情を以て織りなされる物語の中で遣われる言葉は、
徹底的に選ばれ磨き抜かれていて、決して「語りすぎる」ことがなく、
そこに存在する感情は、一体いまどのような色合いなのか、その行く先やありようを観客が自由に想像することができた。
刀剣男士が、ふと仲間に語りかける理由。返事をした相手が、その時に抱いた気持ち。
飲み込んだその言葉の先に何があったのか、どんな感情が渦巻いていたのか、ぐっと彼らの内側に引き込まれるように、夢中になって彼らの生き様を見ることができた。


作家性には、どうしたって代替性なんてない。
書き手が変わればその世界の色使いが変化するのは当然のことで、
先に挙げたような特徴は、伊藤さんが書く物語だからこそ存在しているものだと、もう重々わかっていた。承知の上だった*3

だからこそ「脚本は変わっているのだ、もうこれまでとは違うのだぞ」と自分に言い聞かせ、ある意味では期待値をぐっと下げてから観に行った花影初日ではあったのだけど、
想像するのと実際の出来事として眼前の出来事を受け止めるのはやはり別問題で、
そうかこういうことになるのか……とちょっと呆然とした思いになっている。

花影を観た私の感想

以下、私が花影を見た結果の感想である。
最初に謝っておく。今作を楽しんだ人は普通に気分を害する可能性が高いので、まず読まないほうがいいと思う。
そしてネタバレしているのでご注意されたい。

  • 6振りの刀剣男士それぞれについて、彼らがどんな性格をしているのか、何を考えてその任務に向かっているのか、お互いのことをどう思っているのか、提示された物語の中から掴み取ることは私には難しかった。つまるところ、彼らがどんな人なのか、正直全然わからなかった。君たちのことを、もっと知りたかった。
  • 一期一振の影打ちと言われる「カゲ」の存在が出てきた時点で、きっと物語はこう帰着するのだろうな、と容易に想像がついて、果たしてその通りになり、終わった。以上、という感じだった。物語の行く末を息を詰めて見守る、といったことは特に起きなかった。
  • 本阿弥光徳の子供時代に聞こえてくる”謎の声”が、彼のその後の人生をマジでそのまま全部言って予言してしまうのには本当にびっくりした。”余白”の消失を最初に感じた瞬間だった。
  • 本丸の主、今までも「一期一振を頼みます」までなら言うと思うけど、そのあと間髪入れずに「彼の支えになってあげてください」なんて言う?いや絶対言わんくない?あの人そういう人だったっけ?*4
  • 唐橋さんの演技の素晴らしさは否が応でもよくわかり、思わず笑ってしまうし見事だなぁと思うんだけれど、結果としてそこに残ったのは光徳の物語だったと感じた。刀剣男士たちの物語は、どのあたりに見い出せばよかったのだろう。
  • 豊臣秀吉がめちゃくちゃ歴史上のステレオタイプ豊臣秀吉に感じられた。伊藤さんが物語の中の存在として新たな家康像を生み出したのと思わず対比してしまうほどに、彼に対してステレオタイプ以外の要素を見つけることが難しかった。秀吉が携えていた物語が見えなかった。
  • 歴史の流れが変わってしまうからと、病から生き延びた鶴松を斬りにいこうとする長谷部と長義を小竜が止めるシーンがあったけれど、二人だって何も「正面から斬りにいく」ほど考えが至らないものだろうか(そこまで浅はかではないのでは)?と思うとかなり違和感があるし、そこへの小竜くんのツッコミの入れ方・対する長谷部と長義のリアクションが、なんだか普通の”いまどきの人”っぽく、付喪神というよりは俗っぽい雰囲気に感じられ……そこにも強めの違和感があった。(特に小竜くん。江水で見ているからこそ余計に。彼ってこういう人でしたっけ???)
  • 一期一振が、どうやってカゲを打破し自身を取り戻したのか、そこに至る動機やきっかけがなんだったのかがよくわからなかったけど、長谷部がその時代に実在する刀としての一期一振にめっちゃ話しかけたから、で良いんだろうか。長谷部といち兄の間には事前にそれほどまでに深い本丸の仲間としての絆が、果たしてあったのだろうか。私にはどうしてもそうは見えなくて、「なんで急に戻って来られたの???」になってしまったし、ていうかみんな、いち兄のこと放置しすぎてない?遅くない……?怒鳴りに行くならもうちょっと早くても良くない?となり、ただただ疑問が渦巻いた。(話の都合上、きっかけとなる鶴松の死が出てくる時間軸まであの状態を引っ張らざるを得なかっただけ、に思えた)
  • 磨り上げられないゆえ具現化した「カゲ」はいち兄よりも大きかったわけだけど、最後の刀の状態の一期一振って、あれは磨り上げられたの、られてないの?どっち?だとしたら身長は???あれ……??(ってなったんだけど、最早私の集中力がなさすぎたのかもしれない……)
  • 長谷部たちがカゲに阻まれて偶然落とすかたちになった毒薬を拾い、それを幼子に飲ませることを以て一期一振が「それが自分にできること」と自分の存在意義を見出すあの流れ、あれは本当にどういうわけなのか???この1点に関しては、私は正直怒りが抑えられない。原作興味はもとから薄いとはいえ、2015年のゲーム開始時点からキャラクターとしては一期一振が大好きな人間としては、ちょっと耐えられないし、理解ができなかった。いや辛いて。自分の存在意義についてそれは一体どういう自覚の仕方なんだよ……いち兄……君の刀剣男士としての役割ってなんなんだ……。
  • 焼刃して記憶がないいち兄の取り扱いについて、いや普通にもっとやりようあったくない?となった。刀だった頃の記憶がない彼が交わす、もとの主の豊臣秀吉との会話、それを活用すれば秀吉のことだってもっと人として掘り下げられたのでは……(いち兄が好きだからこんなに怒ってるんだろうな私、と今更ながら気づく)
  • 今回の部隊がこの6振りであることへの必然性、納得感を醸成してほしかった。今回、彼らが物語の中であまりにもどこか”記号的”な存在に感じられ、観ていてそれがたまらなく辛かった。都合で動かされる存在ではなくて、彼ら自身の意志と感情、つまりは「心」を持った生き生きとした存在として、彼らに出会いたかった。
  • 時間遡行軍との戦い=殺陣の見せ場がここである、というのがこれまでは明確にわかって、刀剣男士ごとに違う曲がついていたりメロディーが同じでも楽器が変わっていたり、といったことにすぐに気づくのがこれまでの常だったのだけれど、どこが殺陣の見せ場だったのかわからないまま終わってしまったのでびっくりした。*5
  • 暗転がめちゃくちゃに多いと観劇慣れしてる人間でも気が散るんだな、と知った(これは伊達双騎でも感じたことである)。


別に泣ければいいと思っているわけでは全くないけれど、刀ミュの本公演を見ていて涙が出なかったのは、流石に初めての経験だった。
同じ満開の桜の花の下で歌われる歌なのに、「キミの詩」と伝わってくるものがこんなに違うことがあるんだ……とびっくりした。それくらい、”物語”から、なにも伝わってこなかったのである。
わたしは、この花影という物語からいったい何を受け取ればよかったのだろうか?と、未だに困惑している。
これはもしかして、とにかく「わかりやすさ」に全振りしたのかな?とも感じた。*6
その結果、私には物語が伝えたいことが一体なんなのか、逆に全くわからなくなってしまったわけだが。。

これまで私が刀ミュの物語で愛してきたのは「余白」であり、行間だったんだなと改めて痛感した。*7
余白が徹底的に塗りつぶされたとき、それを前にした人の想像力は行き場を失うし、そもそも駆動するきっかけすら無くしてしまう。
結果、観ている私の心は、自分でも動揺するほどに全く動かなかった。辛い。

これからの刀ミュはどこへ向かうのか?

私はおそらく、刀ミュを好んで見る観客層の中ではこれまでもだいぶ外れ値で、偏ったサンプルなのだと思う。
ゲームや派生コンテンツに思い入れが浅いのに、刀ミュだけが異常に好き、という刺さり方をしている人は多分あまり多くはないはずだ(同じ舞台作品ではあるけれど、自分の好みとは違うという理由で刀ステも基本的には見ていないくらいだし)。

そのため、今回の変更で真っ先に思い浮かんだのは、「自分はこの作品のターゲットから外れたのではないか?」ということだった。

どういう層か具体的に表現するのは難しいけれど、
刀ミュの物語が培ってきた精神性みたいなものがぶっ刺さって好きにならずにはいられない、我々のような層のことはいったんおいておくことになってしまっても、
その代わりにもっとカジュアルに間口を広げて色んな人に気軽に見てもらえるようにしたい。運営にはそういう思惑があるのかなと想像したのだ。


ところが、である。
後からパンフレットを読んでみたところ、別に意識してそうしたわけでもないように思えて……というところで、今は余計に混乱している。(今回某かのもやもやを抱えている人は、いちどパンフレットを読んで見ることをお勧めする。)
今作のパンフレットでの茅野さんと浅井さんの対談には、別に「わかりやすくしたい」というような話は一切なかったし、そもそも冒頭で茅野さんの口からは「栄之進さんに書き続けてもらえればそれが一番良い」とまで語られていて、本当にどうしたらいいかわからなくなった。。
これは一体、なにが起きているのか。
書き手としてのひとりの天才が去ったというその事実がシンプルにめちゃくちゃに重い、しかしそれをどうすることも難しいという、そういう話なんだろうか。。

「わかりやすさ」、それは本質的な意味合いでの価値なのか?

一方で今回の花影について、わかりやすい、しんどくなくて観やすいといった感想が沢山あるらしいと聞く。それもじゅうぶん理解できる。
皮肉のように聞こえてしまうかもしれないが、「結局のところ、この作品を通して何が言いたいのかわからない」というのは今回私が花影に得た感想になるけれど、
これまでの刀ミュの物語にそっくりそのまま同じ感想を得てきた人もきっと沢山いるはずなのだ。
だからこれはもう完全に「好みの問題」になってくるのだと思う。

時間の経過に伴い作品タイトルがどんどん巨大になり、運営体制にも様々な変化が生まれ、結果として自分の好みの方向性ではなくなっていきつつある……という事象が起きているのだとしたら、それは全然理解できる。
マーケティング的に考えてもあり得る話であり、なにかコンテンツが成熟していくときにはむしろ起きて当たり前のことにも思える。
その結果、作品が自分の好みに合わなくなったのならば仕方ない。こちらから離れていくしかないよね、という話だ。*8
私にとっては自分の想像力が働くスペースが物語に存在することこそが魅力を感じる源泉だけど、
もし反対に、解釈を自分で深めなければいけないことそのものがストレスになる人のほうが観客の中に多いのだとしたら、
そちら側に作劇を寄せていく選択をするのも、頷けることだ。
今回の作品の方向性を歓迎する人たちも沢山いるだろうし、それで成功するならその道もコンテンツ存続のためにはありなのだろう。

しかしパンフレットを読む限り、特にそういったメッセージを見つけることはできない、ように思える。
となると、意図して起こした変化ではないということになり……
もしそうであるならば、シンプルに脚本の持つ「物語の強度」については、運営にもう少し再考してもらえたらなと切に感じた。


2015年のトライアルから始まり、2018年には紅白歌合戦への出場も叶えた刀ミュは、
源氏双騎や歌合乱舞狂乱といった、2.5次元としてはかなり挑戦の色合いの強い作品も次々にラインナップし、
重厚で奥行きのある世界をこの7年半、こつこつ積み上げて作ってきた、と思っている。

私は、刀ミュがお客さんを決して侮らないところが好きだった。
舞台作品として、物語に絶対的な奥行きがあり、見る人によって受け取り方の変わる多面性があったからこそ、
原作のゲームが好きな人、個別のキャラクターが好きな人、日本の歴史が好きな人、私のように舞台がもともと好きな人、
様々な層にアプローチが出来、その裾野を広げていけたのではないだろうか。
解釈に残されていた"余地"の部分があるからこそいろんな立場の人にとって求心力があったし、私たちはその余地に対して想像力をかきたてられ、魅力を感じることが出来ていたんじゃないだろうか。

超人気タイトルの脚本を一人で背負うのは過酷だろうし、さまざまな制約もあるに決まっていて、だからこそチーム制のような方向を模索しているのだろうな、という動きも2019年あたりから見受けられていた。
その前提があったから、メインライターとしては離れることがあっても、監修のようなスーパーバイザー的立場で伊藤さんは残ってくださるのかなと当初想像していたんだけど……

興行としては当然のこととしてコロナの打撃も相当に深いのだと思うし、伊藤さん自身がこの作品から離れることを強く望んだのかもしれないことも、なんとなく想像できてしまう。
でも仮にそうなのだとしても、脚本という作品の支柱であるその精神性は、やはり絶対的に欠いてはならないものだったんじゃないだろうか。
この先どうなっていくのか、どうしても私には不安に思えてしまう。
複雑性を廃した物語は、いったいどこに行き着くのだろう。

「キラキラしている」だけではない、と言い続けるために必要なのは

私は以前から、あくまでも骨太な1部のお芝居があってこその、2部のライブの良さがあると思っている。
2部のことも大好きだけど、それをメインで楽しむ場は真剣乱舞祭として明確に別に設けられているし、
刀剣男士たちの現代での戦いを”ライブ”と捉えた、ある意味では突拍子もない設定を勢いでねじ伏せているこの1部2部構成は、
1部に重厚な演劇を成立させて初めて、説得力をもって届けられるものじゃないかなと思うのだ。

でも、物語の強度が以前に比べ損なわれたと感じられる今の状態で、後に続く2部はこれまでどおりの綺羅びやかなライブステージをやっていくんだとしたら、
それではまるで、1部が2部のおまけみたいになってしまう事態に陥りはしないだろうか。
今私が抱いている最大の懸念はここだ。

アイドルそのものを題材にした2.5次元作品だって当たり前に存在するわけで、そうではなくて刀剣男士たちがライブパートを成立させるところに妙があるのに、
そのための前提となる屋台骨=刀剣男士としての彼らを語る物語がスカスカになってしまうのは、あまりにも危険なことに思える。
その先に待ち受けているのは、「単なるイケメンキラキラコンテンツ」に変化して簡単に消費されていく、そんな望まぬ未来に思えてならないし、
それこそが、今まで刀ミュが絶対そうならないように頑張って避けてきた姿なんじゃないだろうか。


これまでの刀ミュは、2.5次元だからと軽く見られらすいような状況にはめちゃくちゃに意志をもって抗ってきたと思っていて(そうじゃなきゃ生まれないだろと思う作品ばかりである)、
見ている立場から私は自信をもって「たしかにキラキラして見えるかもしれないし、実際キラキラはしてるんだけれど、でもそれだけじゃない作品なんです!」って、胸を張って言うことができていた。
でもこの方向性がこの先続いていくとするならば、もう私は同じことを言えなくなると思う。
もし花影しか知らない人に「刀ミュが好きなんですね!」と話しかけられたら、なんと答えていいかわからない気持ちになってしまう。
2.5次元が侮られやすい現状に風穴開けるような気骨と気概がかっこよかったのに、だからこそ出来たことが沢山あったはずなのに。その結果もついてきていたはずなのに。

本当に、大好きだったから

2016年、幕末天狼傳にぶん殴られたことがきっかけで私はこのブログを立ち上げた。
そこから刀ミュにまつわる記事はなんとトータルで70件以上、書いてきたらしい。
anagmaram.hatenablog.com

この7年半で、本公演+各ライブ演目の現地観劇回数はとっくに100を超えた。
そうさせる力が、間違いなくそこにあった。
得た感動をなんとかして言葉にして書き残したい、抗えないその欲求がいつも、刀ミュ作品を観たあとの私を駆り立ててきた。
でも、そういうことも多分この先は起きなくなるのだろう(現に花影で起きていない)ことを思うと、今は本当に身を切られるように寂しく、心から辛い。
私の感情が呼応していたのは、伊藤さんが書く物語に対してだったんだなと、ひしひしと痛感している。


最後に、2019年の「歌合乱舞狂乱」に向けたでじたろうさんと松田さんのCUT対談を引用する*9
今あらためて読んでいたら泣けてしまった。

松田 「『刀ミュ』って、他の作品なら10年かけてやるようなことを2年くらいでやっているわけですよ。ものすごい巻き(笑)。マラソンなのにダッシュしてるみたいなスピードで走ってて『平気?』って思っている人たち、まあまあたくさんいると思うんですけど――」
小坂 「僕はこれしか知らないからな……そうなんですね」
松田 「そう、これ、めっちゃ速いペースで走ってるんです。でも、できれば僕はそのペースのままマラソンを走り続けたい。何も振り落とさずにね。だからそれができるようになるためには知恵もいるし、人の助けもいるし、アイディアも必要だし。ただ闇雲に走っていたら絶対に息切れして苦しくなるから、まだまだこれからです。支え合いながら、ぜひみんなで一緒に走りましょう」

「何も振り落とさずに」。「みんなで一緒に」。
そうさせなかったのはやはり、コロナ禍なんだろうなと思う。
誰が悪いという話じゃなく、正直なところ、明らかに全てはコロナが悪いんだろうな……と感じた。
そこまで思考がたどり着くと、残るのはどうしようもない無力感である。
松田さんがまだネルケにいらしたら、もしかするとなにか違う部分もあったのかな、などと余計な邪推までせずにいられないほどだ。
当然、見えないところでなにが起きているのかは我々にはわからないけれど。
製作委員会の中にはもしかしたらいらっしゃるのかもしれないが、目に見える形としてクレジットに松田さんのお名前も伊藤さんのお名前もない。それが今の刀ミュなんだ。

パンフレットを読む限り、観劇直後の私が当初想定したような「わかりやすくして間口を広げたい」といったような動きは特に起きていないのだとしたら、
余計にどうして?という気持ちが募ってしまう。
抜け落ちた物語の存在感、かつてあったその強度がより強烈に思われて、とても辛い気持ちになる。


私は本当に、ミュージカル『刀剣乱舞』が大好きでした。
もらってきたものは、それこそ両腕に抱えきれないほどに沢山あります。応援したいと思う俳優さんにも、みんな刀ミュを通じて出会ってきた。
その思いの源は、やはりそこで描かれてきた物語の力強さにありました。

これからも刀ミュのことは好きでいたいし、10年続くコンテンツになってほしいって今でも変わらずに思っている。
でも物語から受け取るものがこれほどまでに目減りしてしまうのであれば、今までみたいに心躍らせて劇場に足を運ぶことは、もうどうしたって難しくなるだろう。
同じような感覚の人がどれくらいいるのかはわからないけれど、このままでいい、とは到底思えないし、思いたくはない。
何度考えても、これは単なるこちらの勝手な思い入れだけではないように思うのだ。
そんな一方的なもので、この作品がここまで大きくなれたはずがないから。


作品の奥行きの中に自分の感受性を自由に解き放ち、想像力を働かせ、そこで動いた心のありようをスケッチするように、気の済むまで言葉を遣って感想を紡ぐ。
そんな贅沢な時間の過ごし方を数え切れないほどに味わわせてくれた、かけがえのない作品。
言葉にできないほどの「好き」が、そこには本当に沢山詰まっている。


伊藤栄之進(御笠ノ忠次)さん、長きにわたり素敵な物語をたくさん届けてくださって、本当にありがとうございました。心から感謝しています。
あなたの筆致は私にとって、まるで奇跡のように心に宿る光でした。
生み出される言葉たちに、心尽くしの物語に、本当にいろんなところへ連れて行ってもらいました。

刀ミュの三日月宗近の結末は、どうしてもあなたの本で観たいです。
それだけでも叶う可能性はないのかと、正直まだ諦めきれません……。
戻ってきてくださる未来は、絶対にないのでしょうか。

*1:インターネット上の人格としては顕名で、ある意味ではリスクをとって本音を書いているわけだけど、これは大好きなものに対して私が示せる誠実さの形だと思っている。なので言いたいことは、自分で言いましょう……私は誰かの代弁者になるつもりはないとだけ、強めに意思表示をしておきます。

*2:今まで全く気配もなかったふた振りが同時に出てくることへの動揺と、たぶん伊藤さんならいち兄は書かないだろうなという納得と、この形でならふた振りに正直出会えなくてもよかったと思ってしまう悲しみと。

*3:伊達双騎は現地で観て、この違和感はやはり脚本が違うからなのかなと戸惑いながらも敢えて深掘りはしなかった。その後に青江単騎を観て「これこそが私の愛する物語だ!」と衝撃すら覚える涙を流した。しかしその1ヶ月後に脚本から伊藤さんが離れられることを知り、絶望。「脚本が違うし、本公演じゃないならひとまず観なくてもよいかな」と思い、江おんは刀ミュで初めて現地で観ない=チケットを申し込まない選択をした。全ては本公演を観てからの判断だ。その結果が、今。

*4:アンケートで「本丸の主が言葉足らずだから刀剣男士が苦しむことになるんだ、もっとちゃんと指示を出せ!」的な批判があったんかなとすら思いました正直。……いやさ、描かれてないから指示も出してない、とは限らなくない???????

*5:脚本云々は抜きにして、今回全体的な完成度がいつもの水準に達していないように感じられたのもめちゃくちゃ不思議だった。過去作のバクステの長い稽古期間・厳しい指導の様子を見ているので余計に……本当にどうして?茅野さんらしくない……

*6:幕が上がる前、ステージの上にモチーフですらないどでかい日本刀そのものがでんと構えているのを見て本当にびっくりした。わかりやすくしたいのだとしても、そんな極端な具象に走るのか!?という衝撃。そこまでせんでも流石にお客さんみんな話わかるやろ……刀ミュらしからぬセンスだと思った。つはもののあの幽玄なセットが懐かしくなった。

*7:最低限の言葉で語りに余地を残す伊藤さんの本に、エッセンスとなるワードを明確に散りばめた浅井さんの歌詞の組み合わせが、やはり最強だったんだと思う。塩梅というか、情報量としてのバランスが。お二人の言葉の相互作用は美しいまでに完璧だったなと思う。

*8:それくらいドライに割り切れるほど簡単な「好き」ではなかったんですよ、こちとら、と言う気持ち。頭では理解するが感情が追いつかない

*9:出典:CUT No.415 DECEMBER 2019「原案ゲームとミュージカル、それぞれの生みの親が『刀剣乱舞』への愛と夢を語り合うプロデューサー対談! 小坂崇氣 × 松田誠」

ミュージカル「ジェーン・エア」感想(萌音ジェーン・芳雄ロチェスターを中心に)

身内の激推しを受けて、ミュージカル「ジェーン・エア」を東京芸術劇場プレイハウスにて3月19日マチネ観劇してきました。
キャストの面々から察するに、歌に関しては絶対に間違いがなくて観たいやつ!とは以前から思ってはいたのですが、期待を遥かに超える満足感!本当に行ってよかったです。

ジェーンとロチェスターエドワード)のふたりを中心に、以下に感想をまとめました。

(柱じゃないところのポスターも撮るべきだったなぁ…笑)



上白石萌音さん・井上芳雄さんの組み合わせの良さに脱帽

今更すぎて申し訳ないのですが、なんと相性の良い組み合わせなのでしょうか!?いや、そんなのほんとうに今更だよな!笑
”20も歳が離れている”と劇中で説明されるとおりの年齢差なわけなんですが、
それが申し分ない形で生きてる!?良すぎ!?になって、
「やっぱりダディ・ロング・レッグス*1見たかったわ!」って思ってしまった。それ、今回とおんなじ文脈で絶対に最高のやつだったよね!?

というわけで、私が観たのはWキャストのうち萌音ちゃんのジェーン回。
萌音ちゃんのミュージカル姿を今回初めて観たのですが、とにかくその舞台上での存りようのすべてに心底圧倒されました。

佇まいがごく自然に物語をまとうそのさま、過剰な演出なしに、そこに在るだけで生まれる説得力。
そして何より、ミュージカルにおけるあの歌声の見事さ!

あの小柄な体から「歌」の概念そのものが溢れ出ているようでした。
今そこに心が動くただありのままに、感情が音と言葉になって迸るよう。
滑らかさと透明感が同居していて、あたたかみのあるオカリナみたいな声質が、
時に祈りそのもののように、時に驚くほどドラマティックに、劇場に響き渡る。

一幕、寄宿学校を出て家庭教師の職を得ることを決意したジェーンが歌う旅立ちの一曲。
未来と自由をのびやかに追い求めるその心を高らかに歌い上げる様に、本当に感情が揺さぶられて驚くほどに涙が出てしまいました。
ああgenuineだ、と思わずにいられない歌声そのものだけじゃなく、
ミュージカル的に欲しくなるここぞのボリュームをどん!と出してくれるところ。素晴らしすぎる。
白い襟に真っ黒な飾りのない簡素なドレス姿で、物語の主役をほぼ出ずっぱりで堂々と生ききる萌音ジェーン。あまりにもこの作品に似つかわしい!


そんな萌音ジェーンに対する、井上芳雄さんのロチェスター。(※観ていてどうしても「エドワード」での受け取りが強かったので、一般的じゃないかもですが以下呼称は「エドワード」で書きますね!)
高身長の芳雄さんが小柄な萌音ちゃんと並ぶと、本当にそのお姿が大きくて!
フェアファックス邸の主人たる貴族、どこか風変わりで予測の付かない行動を取る”変人”である「圧」と、
同時になんともいえない子供のような所在なさを湛えていて、一幕のあいだじゅう明かされない謎も相まってその様々な面でのアンバランスさに惹きつけられました。
物語の中における明確な孤児はジェーンのほうなのに、居場所を求めているのは屋敷の主であるはずのエドワードに見えてくる。

そしてお二人が並ぶと、惹かれ合うことにごく自然に納得感が生まれてしまうというか、
熱情ではない、でもとてつもなく運命的な心の通い合いが、ひとりでに立ち上がっていく印象がありました。

「まるでセイレーンみたいに呼ぶから」。そこに宿る真実性に救われた

生きる上で己を苛む不自由さのすべてに倦み疲れていたエドワードにとって、自分の望む心のままにジェーンを求めることは、現実的には絶対に叶わないはずの何か。
それでもジェーンを得たいと願ってしまったことをどう捉えるべきか、道徳的に許される部分とそうでない部分の線引きはどこか、といったことを勿論考えもするのですが、
もうとにかく……「まるでセイレーンみたいに呼ぶから」のあの1フレーズがトータルで描き出したものに、動揺と呼べるほどにやられてしまいました。

このフレーズが登場するのは一幕のラスト、ジェーンとエドワードのデュエット。
舞台の一番奥に立つエドワードと、反対に一番端の位置に立つジェーンが、お互いに呼応するように別々の歌詞に乗せて歌声を重ね合わせて、大きな音の波を作り出す。
嵐や海を思わせる歌詞の中に登場する「セイレーン」という言葉。
そしてそのモチーフは、二幕にこれ以上なくドラマティックに観客を再訪するのです。

その場面について説明するため、以下に二幕のあらすじをざっとまとめます。

ジェーンと結婚しようとした当日、エドワードが実は既婚者であることが明るみに出ます。
ごく若い時分に、持参金目当てでエドワードの父と兄が勝手に決めた結婚でしたが、結婚後すぐに彼女は精神を病み、エドワードはそんな妻の存在を屋敷の上の階に隠して暮らしてきたのでした。
その衝撃的な事実を知らされたジェーンは悩み抜き、どれだけ自分が願おうと、既婚者である事実を知ってもなお彼を愛し側にいることはできない、(宗教的に)その罪は犯せないと決め、エドワードのもとを去ってしまいます。

衝動的に屋敷を出た彼女は一文無しとなってしまい困窮し、路頭を彷徨った末に倒れたところを通りかかった牧師のシンジュンに助けられるのですが、
彼が自分の住まいとして彼女を招き入れたのは、かつてジェーン自身が子供時代を過ごした叔母のミセス・リードの家でした。
そうして数奇な運命のもとに、病におかされていたミセス・リードの最期に立ち会うことになったジェーンは、
過去の諸々に囚われて苛まれるミセス・リードに、幼い頃の自分が友人のヘレンから伝えられた”赦し"を送り、彼女を看取ります。

ミセス・リードの死後のある日、シンジュンは宣教師としてインドに渡るつもりであることをジェーンに告げるのですが、
彼はジェーンに自分の妻となってインドへ共に来るようにと、強引とも取れる態度で結婚を申し込むのです。(あらすじここまで)


以下は超・個人的な感想なのですが、ここのシンジュン、無理すぎポイントに触れまくりで本当に拒否反応MAXになってしまいましてね。。
めちゃくちゃに高圧的に感じられて……結婚に関しても申し込むというより「申し渡す」といった印象だし。
時代背景柄、相手の存在をナチュラルに下に見ているモラハラがすごすぎて一気にしんどさがこみ上げました。
ジェーンの存在について「君は愛のために生まれてきたのではない」の一言なんか、突然の一方的な存在否定が投げつけられていて恐ろしすぎる。
時代背景など鑑みると、非力であり立場のない女性は男性に従うのが当然で、とくに器量が良いわけでもない敬虔なジェーンには宣教師の妻という立場はこれ以上なくうってつけのものだとか、そういうことが言いたいのだと思うんですが、
心の底から「無理!!!インドへは一人で行って、どうぞ!!?」になってしまいまして。
愛されているわけでもないのに、彼は何故自分に妻になれと言うのかと戸惑うジェーンも、
それが運命ならばといった感じで一瞬受け入れそうになるので、「だめ、ぜったい、だめー!!!」って叫びたくなったところで、なのですよ。
そこに届いたのは。

「ジェーン……ジェーン……」

遠い彼方からの呼び声のような、どこから聞こえてくるものなのかわからない、幻のような美しい歌声が、空間にゆらりとたなびいて。
それはまごうことなき、芳雄エドワードのものなわけです。
その声を聞いた途端、はっと我に返ったように、「エドワード!」と声の限りに叫ぶジェーン。

もうこの演出に本ッ当にゾクゾクさせられましたし、何よりも観ていてこちらまで”救われた”気分になってしまった……。
まるで自分を放棄するかのように、愛されなくて当然だ、その価値などないのだからとでも言わんばかりの選択をしかけたジェーンを我に返らせて救ったのは、
現実的にはどうしようもないとわかりながらも、それでも「魂の理解者」として、本心から自分を求めていたエドワードの声。

「まるでセイレーンみたいに呼ぶから」を、あんなふうに二幕で具現化なさいますか???井上芳雄さん!!!になってしまった。
というか呼んでるのは貴方の方だったの……!みたいな。。

そもそも一幕のいちばん冒頭、登場人物たち全員が集まってくる場面で、
エドワードはセット奥の上手、後ろ姿で木の下に佇んで「ジェーン……ジェーン……」と歌っているんですよね。(そしてすぐ姿を消す。)
その場面では「わぁ、そんないきなりカゲソロ*2みたく贅沢に芳雄さんの歌声を使うなんてー!」って思っていたんですが、その存在がまるごと作品の中でリフレインとして効いてくるとは。。
とにかく演出の素晴らしさに唸らされた場面でした。
姿が見えなくても、心どうしがただ必死に呼び合っている。
ジェーンとエドワードの精神的な結びつきが、安っぽくならずに痛いほどの切実さをもって描き出されていて、本当に見事でした。

物語のラストで二人は婚姻関係として正式に結ばれるわけですが、
この二人の関係性は単純なラブロマンスというよりも、孤独な魂の双子同士の呼応、のような描かれ方に思えました。
恋愛感情としての愛というより、人間愛に近い印象*3
二人はお互いの本質の中に、自分自身と響き合うそっくりな部分を見つけた、ゆえに惹かれ合ったように感じました。

エドワードもだいぶ身勝手にジェーンに救いを求めたように受け取られかねないところ、そこまでの都合の良さは感じなかったというか、
行動の中身を見ると正直めちゃくちゃな部分も大きいのだけれど、それでも彼をいい加減な奴として糾弾する気にはなりませんでした。
舞台上に紡がれていたのは、ごく危ういバランスの中に奇跡的に成り立っている”純粋な何か”だったように思えて。
それをまとめあげた演出の力も、芝居と歌で魅せきったお二人も、本当にすごいなとしみじみ嘆息しました。

描きたかったのはきっと、「自分として、善く生きる」こと

原作は未読です。事前に芳雄さんのインタビューを読んでいて、キリスト教的信仰心、特に”許し”が背景として大きく横たわっていることを知り、
現代日本に生きる自分にとって果たして素直に受け取りが可能な物語なのか、正直観る前は若干の不安がありました。

実際、序盤の寄宿学校でのシーンでひどい仕打ちを受ける幼いジェーンに対し、
唯一の友人であるヘレンが諭すように歌う「赦すの」という言葉には、まったく頷くことができず。。
「いや、そんなん無理やろ!」としか思えなくて。
信仰心があればそこまで達観することができるの?その全てで、いま手元にある現世の苦しみが本当に救われるの?とどうしても思ってしまったんですよね。

でも、二幕で死の床にいるミセス・リードにジェーンが語りかけた「赦すの」には、
それまでジェーンが自分の人生を通じて得てきた真実の重みがしっかりと乗っていて、ジェーンがそう言うのだから……という気持ちに自然とさせられました。
それは、ジェーンの信仰心が盲目的ななにかなのではなく、自我を以て生きることを追い求める切実さに裏打ちされたものだからなのかな、と。

彼女がまず信じていたのは、自分自身に他ならない。
生きている限り、自分の信じる心の自由を、生の在り方を希求して良いのだと、萌音ジェーンから語りかけられたような感覚になる、そんな作品でした。
ジェーンが与えた過去への赦しもまた、彼女自身の心が決めたことなのだ。


19世紀半ばに紡がれた古式ゆかしい海外の小説を、ここまで現代性をもった物語として異国で届けられるのは、ある種快挙なんじゃないかなと思います。
篤い信仰心と、現代人が当たり前に持つエゴイズムってときに真逆に位置するもののようにも感じられるんですが、
萌音ちゃんのジェーンは現代につながる女性像をその内面に明確に持ちながらも、時代背景を背負う作品の中で矛盾なく生きられている。そのバランス感覚が素晴らしかったです。
ジョン・ケアードさんはテーマとして「その人がその人自身で在ることの尊さ」を真摯に描き出したかったのかなと、そんなふうに感じています。
ジェーンは自分が自分であることを諦めずに他者とかかわり、より善く生きることを懸命に目指した。その道筋の中で、彼女は赦しや愛をその手のうちにあたたかに掴み取っていくのです。

セットと呼べるものはほぼないといえるほどに簡素で、舞台上には荒野を思わせる木々と草花のセット、その他には最低限の机やベッドが時折登場するだけ。
ごく限られた情報量なのに、だからこそ総体として伝わってくるものが大きくなっているように感じました。
二階席から見ていたのですが、床に落ちる照明がどれも大変うつくしかった。
緊張感をもってとても緻密に織り上げられた作品世界に、安心して身を委ねて楽しむことができました。



他のキャストの皆さんも素晴らしかったのですが文章で触れきる体力が……!生でゆきちゃん(仙名彩世さん)の歌声を聞けたのがなにげに初な気がしてびっくり&嬉しかったー!
観に行けてよかったなぁ!と心から幸せなため息をつける作品に出会えた時の喜びよ。
4月1日・2日には配信も決定しているそうなので興味のある方はぜひ。
janeeyre.jp

*1:そもそもなんですけど演出と音楽が今作とおなじなんよ!笑 そんなのますます見たかったわ! https://www.tohostage.com/ashinaga/

*2:これ宝塚用語ですかね?他で聞かないのですが便利なので使ってしまった。カゲソロ=姿を見せずに舞台袖などで歌声だけをソロで届ける演出なんですけど、この時エドワードの後ろ姿は見えているので厳密には違います。ややこしいな!

*3:もしかしたら、原作的にはそれは信仰心がベースになったものなのかもしれないのですが。

ミュージカル「エリザベート」2022年公演の感想② / ルドルフ・フランツ・ゾフィー・トート・シシィ各キャスト感想

①ってつけてたフラグちゃんと回収できるぞ!書くぞー!

エリザ2022-2023公演全体の感想として、(ダブルorトリプルの)プリンシパルキャストの皆さんについて書きました。
といいつつ、推しルキ回のみを観ていた事情により、ルキーニを除く、となっております。まりルキの感想は個別にまとめた以下の①からどうぞです。
anagmaram.hatenablog.com




ルドルフ/ 甲斐翔真さん

しょうまくんはこれまでロミジュリ2021の配信でしか観たことがなく(なんせまりおくんとWのロミオだったので)、実際に舞台姿を生で観るのはエリザが初めてでした。
「ひ弱な皇太子」だった時代から大きく成長を遂げ、健康的で堂々としていて、
熱い心を持った正義感の強いルドルフ、という印象でした。
登場すぐのシーン、父である皇帝と衝突するところの押しの強さや、独立運動でダン!と爆音で足を踏みしめる動きなどの端々に、胆力を感じました。
でも一方で真っ当におぼっちゃま育ちなところがあるゆえ、理想に向かって突っ走りやすい危うさがあるタイプ。
だからこそ、母親の拒絶を受けた瞬間に、真っ逆さまに転落していってしまう。

今まで観たことなかったなぁ!と思ったのは「僕はママの鏡だから」のアプローチです。
途中の「ママだけがパパを説得できる」の歌い方。
あそこでしょまルドは、はっとしてものすごく嬉しそうな表情を浮かべるんですよね。そうだ、その手があった!みたいな。
ママならばパパの意志を変えることができるんじゃないか!?って、あの瞬間に初めて気づくという表現、過去に観たことがなくめちゃくちゃ新鮮でした。
そしてその瞬間的な喜びの感情が、直後のシシィからの拒絶によって粉々に打ち砕かれてしまう急角度の絶望、苦しかったなぁ。。
歌は言わずもがなの安定した歌唱力で、本当に朗々たる!堂々たる!といった歌声だったなぁと思います。
闇広のラストも、これから自分は戦うんだ!という積極的な未来への意志を感じる力強さがあるのが魅力的でした。

ルドルフ/ 立石俊樹さん

としきくんはロミジュリ2021のティボルトぶり!
ビジュアル面や役作りにおいて、なんとなく共通してイメージされやすい青年皇太子としての正統派ルドルフ、といった印象を持ちました。
あのなんともいえないノーブルで甘いお顔立ち、本当にルドルフ向きですよね。
そして甘いだけではなく、そこに翳りがさしていて苦悩の色が強め。
警官に取り押さえられた「ルドルフ…ハプスブルク」のセリフの言い方なんかは、あの瞬間にもう一段階目の覚悟が決まってしまっているようで、
トートがお膳立てした死に向かって素直に吸い込まれていくようなルドルフかなぁと思いました。

歌唱に関してなんですが、公演途中で爆発的に伸びた瞬間があったように勝手ながら感じています(帝劇の折り返し後、11月前半だったと記憶)。
とくに闇広の迫力、主にボリューム面かなぁ?伝わってくる情報量が突如ガン上がりした公演があったんですよ。
たまたま同じ回を観ていた友人も全く同じ感想だったし、
「若手ってこうやっていきなり伸びるんだな!?」ってめちゃくちゃ感動したのを覚えています。
終盤に博多座で観た回でもすごく安定していたし、とても素晴らしかったと思います!
太平洋序曲への出演も控えているし、今後も大きなミュージカルで活躍されていくんだろうな!

ゾフィー/ 香寿たつきさん

2019までに観てきたエリザでも一番馴染み深かったのがタータンさんのゾフィーなので、
私のなかで「ゾフィーといえば」という印象を形作っている方です。
タータンさんは、なんといっても歌声が!大好きです!!かっこいい!
なんでそんなに歌がうまいんですか!?とびっくりしてしまう。
安心して聞いていられるので、その分こちらは好きなだけ「怖いよー!」って思って観ていられる感じ。
とにかく抜群に安定している歌唱力、「皇帝の義務」の「結構ね!」の歌い方なんかもう、それはそれはおっかなくて大好きです。

タータンさんの場合は歌の安定感がそのままゾフィーとしての存在感の大きさに結びついているといいますか、皇太后としての威厳がとても強くて、
最期までブレることなく太后として有り続ける芯の強さがとても魅力的だなぁと。
博多座で観られるつもりだったら全然そんなことなく、御園座ではからずも見納めてしまったのがショックだった~!(キャストスケジュールはちゃんと把握しましょうね!)

ゾフィー/ 涼風真世さん

涼風さんのゾフィー、ほんっと好き……!
とても表情豊かで、涼風さんにしかない独特の魅力があるなぁと思います。
個人的な感想ですが、時おり現れるコミカルな側面が強いところがすごく好きで!

「計画通り」の途中でヘレネを見やって「安産型だわ!」と立ち上がる動きがどことなく大げさだったり、
なんといっても「皇后の勝利」が本ッ当に面白くて大好きでした。笑
面白いって言ったら怒られるかしら……でも面白いんだもーん!
「綺麗な女なら、他にもいます!」のところ、腕全体をつかってぶん!と大きく手招きをしながら若干後ろにのけぞってる!?みたいな動きをしていたり、
博多座公演では「大臣を勝手に任命したぞ」あたりで杖をぐるぐる勢いよくぶん回してましたし、杖で周囲の伯爵たちを打ち据える瞬間にちょっと跳び上がってて。笑

かと思えば、同時に美しさゆえの怖さもあって……涼風ゾフィーがシシィと対峙するとなんかもう、女同士の戦いのひりつきがすごくて!「こ、こえ~!」ってなります。
あとは少年ルドルフに対して一番厳しく接してるのは涼風ゾフィーだなと思うんですよね。
剣の握らせ方に容赦がねえ!!タータンさんは少し恭しく捧げるような渡し方をするけど、涼風さんは「お前が剣を握らないでどうするのです?」って絶対に許してくれない感じがする。。

ゾフィー/ 剣幸さん

観られるはずだった帝劇公演が中止になり、博多座でようやくお目見えが叶いました!
剣幸さんのゾフィーは、根底に「母である」事実がしっかりと横たわっていて、
その厳しさも愛ゆえなのね……と思わされるというか、
本当は優しい人なんだろうなぁ、ちょっとなにかが違えばシシィともうまくいったんじゃないかなぁ、というような気持ちにさせられるゾフィーでした。

配信で見ていた大楽のごあいさつで、小池先生から「人のいいおばさんみたいよって言われて……」と仰っていたのには思わず笑ってしまったんですが、なるほど!?とも思いました。
確かにわかる、根っこが優しいゾフィーだな!?と。小池先生、さすが言い得て妙すぎる。笑
なので私の中で「ゾフィーの死」が一番泣けたのは剣さんでした。
歌詞のとおりに、皇帝であるフランツのことを思い、母としての自分を殺して勤め上げたのだな……とやるせなくなって。
最期は穏やかな気持ちで迎えられたのだろうか……と、トートダンサーたちの黒い翼の中に消えていく姿を見ながら自然と涙が溢れたのでした。

フランツ/ 田代万里生さん

田代さんのフランツは、本当に徹頭徹尾「皇帝」なところが特徴だなと思っています。
皇帝になる運命を背負って生まれ、その運命を疑うことなく、ひたすら真っすぐに帝王教育を受けて育ってきた人という感じ。

その在りようはどこまでも出自に沿って、ひとりの人間である前にオーストリー皇帝であるものとして完成されきっているから、
結婚式でシシィが人目を嫌がり「みんなが見つめているわ」と縋っても、彼女がなにを嫌がっているのかが理解できないし、
「ここは牢獄よ!」とまで泣いて訴えかけられても、「でも母の意見は君のためになるはずだ」って笑顔で言えてしまう。いやそこ、笑顔ちゃうんよ!?ってなっちゃう。

私の感覚では、シシィが宮廷で「ここに私の居場所はない」と感じてしまう元凶をしっかり作ってんなー!と思わされるフランツなので、
ゾフィーに向かって「あなたのせいです」と怒りをぶつけるところなんかは「いや違うやろ!あんたのせいやろ!?」って言いたくなってしまうんですよね。笑
と同時に、ものすごく妻を愛していたのね、、ということもロマンチックにめちゃくちゃ伝わってくるだけに、
「いや、あなたもうちょっと!もうちょっとうまくやれたでしょ!?」みたいな気持ちにさせられてしまう。
ナチュラルボーンハプスブルク家(※当たり前だよ)としての、シシィに向けるどうしようもなく根本的な無理解、何よりそこに全く”悪気がない”のが観ていてより辛くなる。
あくまでも私の捉え方としてですが、田代さんのフランツは、観客に対してシシィの人生の苦しみを浮き上がらせる役割を色濃く担っているような印象があります。
毎度新鮮に腹を立ててしまって申し訳なかったほどです(そうよ私はシシィに肩入れしまくるタイプの女)。

フランツ/ 佐藤隆紀さん

シュガーさんのフランツ、今回たくさん見てめっちゃ好きになりました……!
先述のとおり私はシシィに肩入れするあまり、フランツに対しては基本的に「なんてひどいことをするんだ!」と明確に怒っていた部分があるんですが、
今回のシュガンツを観ているときはその感情が全然湧いてこないことに気づいて本当にびっくりしました。
2015年に初めてエリザを観た時のフランツもシュガーさんなんだけど、その時の記憶もメモも、流石に残ってなく。。
でも私の中でフランツは、言ってしまえばずっと悪者だったんですよ~!笑
しかしそれが、あのシュガーさんの”溢れる愛”そのもの、と表現したくなる歌声のあたたかさ・奥行きの深さに触れたことで、一気に印象が変わりました。

シュガーさんの場合は、自分の中に葛藤もありつつというか、皇帝という役割を引き受ける上で致し方なくその行動に至っている、という側面が強いように思います。
シシィの気持ちも十分理解できてるんだけど、でも皇帝だからできないこともあるんだよね、あれ、もしかしてちょっと口下手なのかな、みたいな……。
ってなると、結局はどっちのフランツに対してもやっぱり「もうちょっとうまくやれたでしょ!?」にはなっちゃうんですけど笑、
シュガンツに関しては「でもフランツだって辛いよな……」って気持ちにさせられてました。

「夜のボート」、心象風景としてはあんなにも大きく腕を広げて、深い愛でシシィのことを待っているのに全く結実することがなく……本当に悲しかったなぁ!
博多座で初エリザ観劇に連れて行った母に「歌声で言ったら誰の声が一番好きだった?」と聞いてみたところ、
即答でシュガーさんだったので、声の魅力が本当にお強いなと改めて思いました。
カムバックしてのフランツだったわけですが、またぜひ次回も続投していただきたいです~!

トート/ 山崎育三郎さん

とても俺様みの強い、「俺、帝王ですが何か?」的なところがすっごくいくさぶさんらしいな!と感じさせられたトートでした。
普段の「え、僕、プリンスだけど?」な感じが、そのままトートにも生かされていると言ったらよいかな……?笑(これも怒られる!?怒らないでください!褒めてますので!笑)
劇評ではナルシズムが強いと表現されていたりもして、すごーくわかる!と思いました。
ほんとそれくらい、とにかく俺様なトート。なんというか帝王であることに多大なる自負心を抱いていそうで。
なのでそのぶん、シシィに袖にされるとめちゃくちゃ怒ってんな!?って印象で、わりと腕ずくで自分のものにしてやる!感もあり、
つまりはそれくらい熱烈にシシィに惹かれているんだなぁという印象を受けました。

あとはなんといっても、原曲キーで歌うことに自らこだわられた「最後のダンス」ですよね!
イントロを聞いた瞬間から「音がちがーう!?」とまずそこにゾクゾクさせられて。
キーが違うと当たり前ですが、印象がだいぶ変わります。より攻撃的な色合いが強まると言ったら良いかしら?
シシィに向かってぐっと距離を詰めてのシャウトには、なんか「もうそのへんで許してあげて!?」ってなるような凄みがありました。ボリュームも半端なかったよ……。

そのいくさぶさんのトートなんですが、予定していた観劇回数、ガッツリ削れてしまいまして……(手持ちチケットの帝劇中止公演が3回あり、そのうち2回がいくさぶトートだった。)
もっと色濃く記憶にとどめておきたかった!!!
私の脳内を検索しても、出力される結果が「俺様」&「原曲キー」しか出て来なくて、おい私!?ってなっているのです、、
それこそラストの表現とかさぁ、もうちょっとなんか覚えておいてよねぇ!!?

エリザ始まってすぐのだいぶ序盤に固めて観てしまったゆえ、私の側に全くといっていいほどに余裕がなかったんですよ。。
悔やまれるがこればっかりは仕方ない。。
次回もきっと演じてくださると思うので!またその時に俺様いくさまトートに会えるのを楽しみにしています!

トート/ 古川雄大さん

ゆんトート、2019の時とだいぶ印象が変わられて!ました!
2019はとにかく、恋心の表現のビビッドさに心を鷲掴みにされておりました。
ロミオだった人のトートだわ!ってなるというか、なんかほんとうにロマンチックなんですよね。恋心が!
2019年に大興奮して感想を書き残していました。
anagmaram.hatenablog.com

今回もその恋心は健在だった……のですが、なんかこう、どえらい偏執的な方向に進化していらっしゃって……?
「めっっっっちゃしつこ!え、しつこいな!?」ってなる感じの、シシィ、なんかちょっとやばい人に好かれちゃったかも感があるっていうか、端的に言うと「逃げて?」ってなるっていうか。笑
自分の中で思いこんでます感がすごいんよ。
「だって俺が見つけて好きだって思ったんだもん!それはもう運命でしょ!?(※人の話聞いてない)」みたいな。
なんともいえない「こーいーしちゃったんだ♪」な雰囲気があってね……(怒らないでください)でもやっぱり、私はゆんトートのそこが好きなんだよな!

今回も相変わらず「愛と死の輪舞」でしっかりと泣かされました。
あそこで謎に涙がこみ上げてくるのは2019のゆんトートで初めて経験したんですが、
あのハッとした感じ、愛を見つけてしまった!と喜びに打ち震えているような、初恋の発見といいますか……あの恋心の色鮮やかさが、たまらなく好きなんです。かつてよりしつこくはあったけど。笑
ゆんトートについて書こうとすると結局はそこが一番に来てしまうなぁ。よほど好きなんだろうなぁ。

ラストの「愛のテーマ」はね、、歌が始まった時点でもう既に、その先に待ち受けているシシィとの永遠の別れを覚悟しているようで、その表情に涙が出ます。。
現世の呪縛を解き放つように、黒いドレスを脱ぎ捨てるシシィ。彼女のほうから自分のもとに歩み寄ってきて、万感をたたえて抱きついてきたその瞬間、
本当に心底愛おしそうな表情で目を伏せて、心を込めた甘やかな抱擁を返すのです。
シシィが絶命したあとの暗転直前の瞬間は、虚空に投げ出されたような、でも全てわかっていたことだと受け入れているようでもある表情をしていて。
うううう!思い出したら悲しくなってきた……。
そして何より、名古屋・大阪はひとり全通トートというとんでもない偉業をやってのけていました。本当に凄すぎます!!お疲れ様でした!!!

トート/ 井上芳雄さん

芳雄閣下に拝謁するためには黄泉の国in博多座に飛ばねばならず、そしてその拝謁の権利がまぁ!なんとも入手困難でしたこと!?
わたくし地元が福岡ですので、芳雄さんはまごうことなき地元の大スターなんですけれども……
博多座で観る井上芳雄、良すぎ!?」ってなりました。
いやそれほんとどういう感情?笑
まじめな記事のはずなのにこらえきれず文字をデカくしてしまいました。それくらい衝撃だったんですよ。

いやーーー本当に良かった。井上芳雄トートin 博多座、地元民としては体験として最高に素晴らしかった……

芳雄さん、よくテレビ番組でもミュージカル歌唱を披露してくださいますけど、その時点で毎度「歌がうめーな!」ってなってるんだけど、でも
劇場で観るほうが100倍歌がうまいよね!?
ちょっとどうなってんの!?って気持ちになりました。
最後のダンス、ほんとさぁ、あのさぁ!??だった。「この曲ナニ?私が知ってる最後のダンスと同じ曲です???」みたいな。
いや、でもいちおう過去に観てるはずなのに……。ちゃぴさんがインスタで言ってたけど、どえらい進化なさってましたよね確実に???
そりゃあ井上芳雄だもの、歌で魅了せずにどうします?ではありますけれども、でもちょっとすごすぎて「えええーー???」ってなった。博多座の優れた音響で観たのもいい意味で良くなかった!(謎の混乱)
なんかもうね、芳雄サラウンドって感じ。「これはそういう仕組み?機構で音が出てるのかな???」みたいなアホの会話を観劇後の姉としてました。


そんでね!芳雄トートの何が好きって、ルキーニをご寵愛くださるところです!!!
ルキーニへ示す興味や感情、3人の中で圧倒的に多めで本当にびっくりしたよ!

いくさぶトートには過去にルキーニを通っているからこその「お前は俺の言うことを聞いて当然だろう」的なしもべ扱いムーブ
ゆんトートにはどこか共犯者っぽいちらりとした目配せがあるとそれぞれ思っているんですが、
芳雄トートは……ご寵愛をくださった……という衝撃で、推しがエリザでルキーニ!であるところのわたくし、もう頭の中が衝撃でぐちゃぐちゃになりました。

だって最初の「私を燃やす愛」の時点でさぁ、「ただひとつの過ちは 皇后への愛だ」を歌いながら、ルキーニの頬~顎のあたりに手の甲を滑らせて!??す、すべ!!?うぇ!!?
1月25日マチネで初めて芳雄トート×まりおルキーニの組み合わせでこの場面を観たとき、\ウギャアアアア/って心の中で歓喜の悲鳴を上げていました。
というのも、まりおくんのルキーニのアプローチがですね!?「僕の中でトートへの感情は崇拝に近い」って本人がインタビューで仰ってましてね!?
崇拝強めルキーニに、ご寵愛強めトートをかけあわせたら……そんなの、最高に決まってるじゃんッ!!?だったのよ。
「私が一番見たかった組み合わせ、これじゃん!!?」の巨大感情がまさかの公演最終盤で襲ってくるとおもわず、ちょっと泡を吹きました。。良すぎた……


他に印象的だったのは、「愛と死の輪舞」でシシィを見つけた後の感情が、目に馴染んだゆんトートとは全く違ったところ。
自分で自分を許せないような、俺は何をしているんだ?と自問自答しているような、それでも誇りを以て「返してやろうその命を」と宣言しているその様子。
心ならずもひとりの少女に惹かれてしまった自分に対する怒りと戸惑いがないまぜになったような感情を抱いている複雑さ、観ていて心臓がギュン!ってしました。す、好きだな。。
その複雑性は、ラストの「愛のテーマ」での、シシィを簡単には”抱きしめ返さない(せない)”という、まさかすぎる表現にもつながっていて。
観ててほんと「嘘ぉ!?そんな!そんな……!」になった。切なすぎ!辛!!!
ふたりの別れが一番悲しく感じたのは芳雄トートだったかもしれないな、と今振り返ってて改めて感じました。

え~~~~さみしいな、今すぐもっかい観たいな、困ったな!!?
芳雄さん、まだトートやってくれますよねぇ!?
前楽カテコの「せんせえ!!僕、さいごですかァ!?」の食い下がりが本ッ当に死ぬほど面白かったので、絶対にまだ見られると信じております!笑

エリザベート(シシィ)/ 花總まりさん

本当によくぞここまで。長きに渡り、難役をつとめてくださったことかと、とにかく畏敬の念しか湧いてきません。
お花様のシシィには、もう絶対に彼女にしかなし得ない、完成され磨き上げられた芸術としての凄みがありました。
そこに在るだけで、何の説明もなくエリザベートという人そのものなんだなと、観ている側は当然のように感じてしまう。
佇まいがもうそのまま「物語になる」というか。

その様子はもう、説得力とかいう次元を超えていて、あれは一体どうやったらたどり着ける領域なのだろう?という気持ちにさせられました。
毎公演、本当に命を削って舞台の上に立っていることが伝わってきて。
瞬間瞬間に嘘がなく、全身全霊で本気で向かっている気迫が凄まじくて、ものすごいものを見せてもらっているな、という感覚でした。
そうしてご自身の中でエリザベートという「戦い」を生き抜いている様が、まさにシシィとシンクロしていたのかなと。

配信で観ていた大楽のご挨拶、本当に長い間ありがとうございました、と言葉を詰まらせて、
「私のエリザベート、さよなら~」と、背負ってきたものを宙にふわっと解き放つような動きを儀式的になさっていて。
あぁこれで本当に最後だったんだ、花總まりエリザベートは本当に終わってしまったのだな……と、信じられないような、呆然としたような思いになりました。
私の現地見納めは1月30日マチネ、花總シシィと井上トートの組み合わせラスト回だったんですが、
カーテンコールのお二人がまさに”戦友"といった趣のハグを自然に交わされる様子に、涙が止まりませんでした。

日本におけるエリザベートの始まりを担われた唯一無二の存在。
2020年の全公演中止を経てからの今回のリベンジは「お引き受けできるギリギリのタイミングだと判断した」ともはっきりと言葉にされていて、
観ることに間に合ってよかったと心から思いました。
本当に長い間、素晴らしい時間を届けてくださり、ありがとうございました。

エリザベート(シシィ)/ 愛希れいかさん

ちゃぴさんのシシィ、大大大大大好き!です!本当に!!!
2019年に観たときよりも一回りもふた回りも大きくなられていたような印象でした。
平たく言ってしまえばそれは「自信」なのかもしれないのですが、
エリザベートというタイトルロールとして舞台の中央に立つのは私である」という力強さといいますか、
その役の重責全てを背負い、なおかつそこから高みを目指してみせるのだ、といった覚悟とか気合とか……そういうものが色濃く滲む舞台姿で、それがシシィの造形にぴったりで、本当にかっこよかったです。

友人が「ここまで気が強くて成功しているシシィは初めて見た」と言っていたのが印象的だったんですが、
その気の強さが決して鼻につく感じにはならないのも特徴なのかなと個人的には思いました。
確かにルキーニの言うように、シシィは「ものすごいエゴイスト」なのかもしれず、意志が強すぎるあまりに周囲を振り回す側面も強い人物造形だとは思うのですが、
でも観ていてこちらが嫌な気持ちになることは特になくて。
彼女に向かって心が自然と寄り添っていってしまう求心力があるように感じました。


そしてなんといっても、歌が!素晴らしすぎました。
「私だけに」を高らかに歌い上げる、あの歌唱力の充実っぷり。
何度聞いても心が震え、もう一度聞きたい!と心が渇望してしまう魅力に溢れていました。
くずおれた体勢から始まる「嫌よ 人目に晒されるなど」のフレーズで、キッと鋭く正面を見据える眼差しが怒りに燃えていて
そこから「自由に生きるの」にかけて顔じゅうに笑顔を広げていく流れ。あの力強い万能感と無敵感。
もうほんっとうにかっこよかった。
最後の高音を渾身のロングトーンで思いっきりぶちかましてくれることによって得られる、あのカタルシスたるや!
「私が踊る時」なんかも超超かっこよくて、めっっちゃくちゃ堂々としていて、
観ている間じゅう頭の中を「好き!!!」の感情が駆け巡るシシィでした。大好きです。。
力強さがあると共にどこまでも瑞々しく、舞台上での息づき方がとても色鮮やかで、冒頭に書いたとおり自然とこちらの感情が惹きつけられる引力に満ちていました。

あとはそう、ダンスが得意でいらっしゃるずば抜けた身体能力が生かされまくった各種の体の使い方が素晴らしかったです!!!
「愛と死の輪舞」でくっと糸をで引かれたように動き出すところや、「最後のダンス」で操り人形のように舞う動き、
歌のない場面で、体を使ってああまで見事な表現ができるのかと。しかも輪っかのドレス着てるのに!
あれは本当にちゃぴさんにしか実現できないものだなと思います。毎公演観るのがとても楽しみな場面でした。


出自的にも大先輩のレジェンドと相対し続けるだけで独特の筆舌に尽くしがたいプレッシャーがあるだろう中で、
自分だけのエリザベートを確固たるものとして魅力的に確立させたちゃぴさん、本当に本当に素敵でした。
絶対にまた会いたい!ので、次回のエリザもちゃぴシシィで観られることを祈っています!





……ぶじに記事②は1万字超えたな!笑
このあと記事③があるとしたらそれはもうおまけというか、
「ひとりのオタクが、いかにしてエリザベートというお化け演目と2年半向き合い続けたかドキュメント」になると思います。
そこまで書けたらようやく私のエリザの旅も終われるのかな。。みたいな気持ちがあるので自分の中のけじめ的に書くかもしれません。とりあえず感想はおしまい!

2022-23パンフレットと、帝劇公演期間に日比谷シャンテでゲットした”星のドレス”のコースター