ミュージカル「刀剣乱舞」~阿津賀志山異聞2018 巴里~ ついに東京公演の幕が開きました。
初回観劇の感想は初回にしか…っていつも書くたびに言っているんですが、今回は先週末に固めてすでに複数回観てしまったので、純然たる初回っていうわけではないのですが、やっぱり一度感想を書いておこうと思います。
うーん、でも今回は、いつもに増してなんて書いたらいいのかわからなくて…そりゃそうなんだけども…
ともするとちょっと扱いが難しくなりそうな気さえするんですが、でも私は心底刀ミュを愛してるので、その前提に立って書けば大丈夫かなって。いや、何が大丈夫なのかはわからないけど!?
とても特殊な状況下にある今、きっと何をどんなふうに書いても、私の文章で傷ついたり不快になったりする方はいるような気も正直します。
なのでそこはもう、一個人の感想なんだなってことで、他人同士相容れない部分があって当然だよな~~ってことでひとつよろしくお願いします~!
そして言うまでもないですが、もちろんネタバレしかありませんので未見の方はご注意ください!
今回の阿津賀志山だけでなく、刀ミュ過去作にもガンガン触れることになりますのでよろしくです!
まず、そもそも公演を見るにあたって、私が個人的に持っていた心構え(?)みたいな部分からなんですが。
さんざん過去にエントリあげていたとおり、私はつはものが心に刺さりまくってしまったオタクなので、正直「つはものをやった後にわざわざどうして阿津賀志山に戻るんだろう?整合性が取れなくないか…?」って思っていたんですよね。
やっぱり、作品における義経の在り方がそもそも全く異なりますし。
つはもののラスト、あのなんともいえない、切なくもありながら晴れやかな表情で、刀剣男士たちに背中を見送られ、弁慶とともに旅立っていった義経公の姿が本当に好きで…。
2016年に公演された阿津賀志山異聞での義経は、それとはまったく対照的と言っていいような、「歴史修正主義者の手によって生き返らせられ、意思を操られる」という描かれ方をしています。
そもそもなんだけど、やっぱり「操られている」元の主を見るのって、胸が苦しくなるもんだよね。幕末天狼傳の沖田くんしかり。。
主にその点、自分で見ていて折り合いつけられるかなってちょっと不安だったんですけど、なんかもう、全然そんなレベルのお話じゃなかった…。
冒頭、劇場には荒涼とした風の音が吹きわたります。投影されている背景には、強い風に押し流されていく分厚い雲。その陰間が明るいのはやはり月の光のせいなのか…と思ったその時、
階段状になったセット頂点の中央がぼうっと明るくなり、そこに一人の人影があらわれます。
その光の中に立っていたのは、他でもない、三日月宗近。彼の右手には、一輪の蓮の花が握られていて…。
息をのむ間もないうちに、三日月はとある歌を歌いだす。
「しくしく くれくれ…」
いや、ちょっと待ってくれ。
初回観劇したときに、本当に心臓が止まるかと思ったよ。。
まさか、そんな始め方をするなんて。「華のうてな」から始めるなんて…!?
つはものの劇中、泰衡と蓮の花を共に愛で、彼との「今生の別れ」を経た三日月が「約束は守る。…年寄りだからな」と人知れずふっと微笑んで、歌い始めるあの曲が。
つはものを象徴するともいえるあの曲が。冒頭に据えられているんですよ。
「纏う黒き衣 うたかたの役目…」と歌いながら、静かに舞台上へと階段を降りてくる三日月。
その両腕はゆったりと左右に広げられ、表情は読めないほどに、ただひたすらに穏やかで…。
その後の「半座分かつ 華のうてな」にさしかかると、やっぱり歌声のボリュームが大きく上がって…!それがまるでつはものの再現のようで、なんだか時間が巻き戻ったような感覚に襲われて、鳥肌が立ちました…。って、刀ミュを観に行くと最近こういう経験ばかりすることになってるな!?むすはじ然り…
(そしてここ、見ながらあまりに呆然としているので、三日月がどのタイミングで蓮の花を舞台上に横たえるのかわからなくなってしまった。。満ちてはかけてゆく玉桂、のところであっていたかしら。。?)
ちょうど「半座分かつ…」あたりのタイミングで、三日月の背後にあたる階段セットの頂上には、義経の姿が現れます。
その時の三日月は、これから義経を待ち受けている「死」という運命に少しだけ思いを馳せるような、いうなれば少しだけ切なげな表情をするんですが、さらにそこへ泰衡が登場した時に、明らかに顔が変わるんですよ。。
少しはっとしたような、あぁ、ついに来てしまったのか、というようなお顔をする…。ある意味では泰衡の存在を直視しないようにしているともとれる雰囲気で、ふっと視線を下に逸らし、そのまま静かに立ち去ってしまいます。
その表情の一連の移り変わりを見ていたら、あぁ、やっぱり三日月にとって泰衡は「友」なんだなって、胸のつまるような思いがしました。
三日月が立ち去った後に残された、舞台中央にぼうっとライトに照らされて浮かび上がる蓮の花、そしてそれを挟んで対峙する、その後の義経と泰衡の立ち回り…
もうね、諸々観ていて、泣くに決まっていて…(まぁそもそも、華のうてなで私は泣いてたんだけども)
さらには彼ら二人の周りを荒々しく駆け回る武者たちの足が、なんども舞台上の蓮を踏んづけていくんですけど、それがまた、何と言ったらいいんでしょう…蓮の花に託された人の思い、命、約束の「儚さ」みたいなものを表している気がして、とてもとてもしんどい。。
そして蓮に関してはさらに演出でびっくりするポイントがあるのですが、義経と泰衡、二人の刀の切っ先が低い位置で交差して、勢いよく上へと跳ね上げられる瞬間、舞台上の蓮がさっとそれに掬い上げられて、高々と宙に舞い、なんとそのまま客席に落ちていくんです…!
最初見たときは想定してないトラブルなのか!?とも思った、でもその蓮が描く放物線があまりにも綺麗で、息をのんで見とれてしまったくらい。
週末土日マチソワしたので計4回見たんですけど、4回中3回は客席に飛んでいて、残り1回は反対方向である舞台後方に飛んでいっていたので、蓮を「客席に飛ばす」が意図された演出なのだろうと思います…!
いやさ、すごいよね。なにがすごいって、小道具を要は客席に放り投げてるわけなので…そこまで客席を信頼してくれる脚本と演出に、わたしは感動してます!!
(一部と二部の間の休憩でスタッフのお姉さんが回収している姿を見たので、蓮をキャッチした人はちゃんとお返し差し上げてくださいねー!!!)
その後義経に追い詰められ、喉元に刀を突き付けられた泰衡は、観念して刀を手放し、微笑みながら義経にとどめをさされるのを待とうとします。
しかしそこで、義経は泰衡を斬ろうとはせず、自らの刀を下ろしてしまいます。その様子を見た泰衡は、なぜ…という思いが言葉にならない様子で慟哭し、深々と礼をして、義経の元を立ち去ります。
その後一人残された義経は、静かに「泰衡殿…さらばじゃ」とつぶやくのでした。
この、二人のやりとり…きょうだいのように時を過ごした彼らが、意に反して命を奪い合う者同士になってしまったという悲劇性は、つはものを経た今だからこそ、阿津賀志山の物語の中で明確に描けることだし、観ている側にも沁みてくるわけなんだよな、って思って。。
そして何より。あの阿津賀志山への六振りでの出陣の前にも、三日月は「繰り返し、繰り返し」のうちの一回として、一人文治五年に時間遡行していたんだな、って…。何よりもそこがあかんですよね…
触れないとも思ってなかったけど、こういう表現をしてきますか…その蓮の使い方たるや~!!?っていう。。。
単なる再演では全くないですよ、今だからできることっていうのを練って詰め込んでいるんですよ、という事実を、この冒頭の数分でいやというほど思い知らされました。
は~~~まったく本当になんて脚本を考えるんだろう!?毎度のことながらわたしは御笠ノさんがおそろしいです!!!
その後、義経は自刃し、がっくりと首をうなだれて絶命します。
そこで再び吹きわたる強い風の音、流れ始めるピアノのメロディ。
上手下手の両サイドから静かに舞台上に現れた6枚のパネルに、地面に力強く突き刺さる六振りの刀剣が映し出され、そしてついに、
「刀剣乱舞」のイントロと共に、六振りの刀剣男士の姿が現れるのでした…!
この導入が本当にしぬほどかっこいい(いきなり語彙が死んだ)。
すべてはここから始まった感がものすごくある…なんかもうそれだけで胸がいっぱいになって、どう言葉にしていいのかわからない感情に襲われて、やっぱり初回はひたすら泣いてしまいました。
だってまるで夢見てるみたいな気持ちになったよ。こうしてまた、team三条with加州清光の出陣に立ち会えるなんて…って。 まだなんか信じられないような気さえする。とか言ってたら、あっという間に終わっちゃうんだよな…!?涙
そして冒頭だけで既にこんなに字数使ってこの先どうするつもりなんだろう!?笑
と思ったので、ちょっとこの先コンパクトめに箇条書き使ってかいつまみます。
あ~ほんと、なんでこんなに言いたいことばっかなんだろうな!??おかしいよな!?これほどまでに観ていて色んな方向に感情がかきたてられる演目、私個人に限っての話ですが、もうそうそう出会えないと確信しています…。しんど…。
- 清光が可愛すぎる
ちょっと~~~箇条書きの粒度~!いきなり雑~!!!笑
いや違うんですよ(なにが)
だってさ、清光の演技、変わりすぎじゃね!!??ハッいい意味で!!!
いや!!?前も今も世界一かわいいことには変わりないのでいい意味も何もないんですけど、何がいいたいかというと、
まじで清光の演技全然違う!!!!!
「加州清光、入りまーす」からの、主との一連のやり取り。
これはやっぱりあれなのかな、流司くんの中で役が深まって余裕が生まれたからこそなのかな!って思うんだけど、よりシンプルな表現になっているのにも関わらず、清光の愛らしさが前にもまして爆発しそうな勢いでこちらに伝わってくる、大変やばみあふれるシーンになっております…。
前はもっと主に対するリアクションがわかりやすく大きかったところあるよね!?
見ていて「ハァ~~~~~!!???!?」ってなるくらい、変わっていました。もうでもあの、とにかくかわいいので、最高なので…なにもいうことはありません…
俺が隊長!?のあとは「やったあ、特別扱い~」だったのがなくなって、代わりにぱっとガッツポーズをしかけるけど慌ててその手を口元にやってごまかしてみたりとか。。
編成を聞かされるところの、「今剣」「ふむふむ?」「石切丸」「ふむふ…んんっ?」「小狐丸と三日月宗近」「ん、んん~~~!!??」って、畳みかける様子とかね!?
え、なになに?あるじなにいってんのかわかんないよ!?って、ふんわり上を見上げて頭に手を添えてる姿、なにあの可愛さ…意味わからんのですが、やばくないですか…
「三日月なんか、俺の言うことなんて聞いてくれないと思うんだよね!?」って訴えかけるも主に笑われて「ん、うぅ~~~」ってハの字眉で困ってしまったり…
なんかもう、徹頭徹尾?一事が万事?(おちつけ)、深紅の薔薇がキュートすぎて、客席でしんでしまうかと思った。まじでびっくりした…いやだって、まだ可愛くなれる余地があったっていうのかよ…!!?
清光の可愛さについて言語化しようとしても、たいていうまくいかないんですよね。どうしてでしょうか。いやもうすこし努力をしろよ。
でも清光が世界一可愛いのはもう宇宙の真理なので、わたしなんぞが言葉を尽くさずとも何ら揺らがない事実でしかないのでいいかなって…とにかく、腹の底から絞り出すように言いますが、清光は可愛い。
それだけが言いたかった。完
あっあとものすごくやばいのが(完じゃないんかよ)
あのあれです、一番最後に「これからも俺のこと、ちゃーんと見ててよね。」って主に言うところで、ウィンク…きよみちゅ…ウィンクしとった…しぬ…
もーーーーーーー本当に可愛い…可愛い以外の単語を出力する機能を奪われてしまってつらい…
あとは「俺もいつかは向き合わなくちゃいけないのかな」って、前の主のことを明確に持ち出すシーンが追加されたことに関してはもう、言葉がありませんよね
ええ、そしてそのあとに君は幕末天狼傳で、沖田くんに…会ったんだよね…
沖田くんへの感情をほとばしらせる安定の隣で、自分の気持ちはそっと内側に押し込めて、何を思っていたんだろうね…てなって、一瞬で幕末天狼傳ロスおばけが暴れだすなどして本当にもう大変です。
御笠ノさんさぁ!?ほんとさぁ…!!?ありがとうございます!!????
- 「みんな、聞いて~!」までの一連のシーン
主に隊長を命じられた清光が、広間と思しき場所で三条の面々を待つも、出陣前とは思えない彼らの自由さに振り回されて…というシーン。
ここが、はんぱなく進化しまくっていました!!!
全員が全員、腕を上げてきたな!!?ってことがありありとわかるんですよ!!もうね、めちゃくちゃ面白いことになっている!
おじいちゃんはお茶菓子を食べたあとの包み紙をせっせと紙飛行機に折って、清光に向って飛ばしてみせてしまうし、かと思えば座ったまま居眠り始めちゃうし、
石切丸の「祓い給え、清め給え」は、そこで終わるかと思いきや、続けて本格的な祝詞がマイクをぎりぎり通してるくらいの絶妙な音量で聞こえてくるようになっちゃったし…
そういう散りばめられた小ネタの合間に、2016年当時には絶対にできなかったであろう「間」の取り方が、全員それぞれできるようになってて、やっぱお芝居って間が大事なんだなー!?って改めて感じたりもしました!
間がうまい具合に絶妙に取られてると、見ていて自然と笑いが引き出されてしまうものですよねー!
三日月が紙飛行機を飛ばすタイミングなんてほんと完璧すぎて。一人でみんなをまとめようといっしょうけんめいになってる清光の頭上に、間の抜けた様子でふわーんと舞う紙飛行機、っていう絵面がまじで面白くて、あれは笑わざるを得ない!
あと石切丸は突然清光の似顔絵を描き始めるんですが、ここがどうやら完全アドリブっぽい?印象を受けています。
下手のほんとに一番はじっこのサイドシートだったとき、オペラグラスで石切丸の手元の帳面を確認してみたんですけど、やばみあふれる(決してうまくはない)絵が、まじでちゃんと描いてあって、ひとりであやふくふき出すところだった…w
その場で描き足してるかどうかまではわからないんですけど、「ほら、できた!」って言われて清光が絵を覗き込んだ後のリアクション、あれは多分その時の素なんだろうなって思います。笑 清光が立ち去った後に同じように絵を見せられる三日月の反応もまた然り!
は~もうこのシーン毎度毎度とても楽しみ!!!
そしてさらに、石切丸が似顔絵を描き始めるっていうのは、もちろんみほとせを踏まえているわけで;;
そういう過去作をふんわり踏襲した表現も散りばめながらも、でも別に今回初めて刀ミュを見る人にも楽しめるというその作りが、本当に最高だな~と思ったりもしました!
(さっきから結論のあたりに脚本への感謝が炸裂しております。でもほんとうにそう思う。まじで感謝している。いい加減御笠ノさんに感謝のお手紙を本気で書こうと思う…)
- 数十時間稽古していた畑当番が
なんと…小鍛冶になっていた…。
これも本当にびびった。まさかすぎた。。。
トライアル公演のころ、まりおくんと涼くん二人で何十時間も稽古をやったという、二人でどうしたらいいのかわからなかったというあの、畑当番のシーンが。
二人とも、畑を耕すという動きを通じて何を表現したらいいのか正解がわからなかったっていう苦しさが詰まっていたあのシーンが、
あぁ、本当はこういうことをやりたかったんだよね、っていう、三条太刀にしか出来ない、神々しさをまとった表現にダイナミックに生まれ変わっていて…。本当に、感動した。
あと友達と揃って訳のわからないテンションの上がり方をしてしまったんですが「はてはて いかがしたものか」って、古語(というほどの古語ではないんだけど)で歌う三日月宗近がいるというその事実に、萌え倒してしまい、これまた大変。
ワッこの人、はてはて、って言った…!って。え、最高じゃないですか?似合いすぎてしんどくないですか?はてはて、っていう三日月宗近…??????(この一方的な感慨が通じると思っている顔)(いやそれ、通じないから)
そして、うーん、話題がここまでたどり着いたのでそろそろ触れないとだよな。
今回、小狐丸が代役として上演されているこの状況、受け止め方、感じ方は本当に人それぞれだと思います。その人の立場によって、大きく変わらざるを得ない部分。
巴里公演の直前に、状況をお知らせで知り、そこからずっと、私自身なんと言葉にすればよいかわからない気持ちを抱き続けたまま、東京公演を迎えました。
幕が開いてみないと、どんな感情になるのか、自分でも本当にわからないなって思って。整理がつかないまま、初回観に行きました。
「残念、心配、早く元気になってほしい」って言うのは簡単なんだけれど、そんな一言ではとうてい片づけられない思いがみんなの胸の内にはあるはずで。
阿津賀志山本公演から2年経った今だからできること。あの6人だからできること。そしてきっと、みんなで揃ってこの演目を演じる機会は、二度と巡っては来ないという事実。
それを踏まえての、一度きりの夏だったわけなんですよね。
誰が悪いわけでは全くなくて、関わる人全員にとって、ただひたすらに酷な事実が突き付けられている、っていう風に感じていました。それこそいろんな立場の人がいることを考えると、もはや、私個人が軽々しくつらいとすら、言えないようにさえ思えて。
でも、でもね。幕が開いたその舞台の上には、ちゃんと小狐丸がいたんですよ。
「大丈夫、居るから。じゃないとあんなふうにならないもん。」って、ゲネのあとに御笠ノさんがつぶやいていたツイートを見て泣いてしまってたんですが、
実際に見てみて、ほんとにそうだったな、って思った。
それを実現するまでに、カンパニーの全員がいったいどれだけ心を砕いて準備を積み重ねてくださったんだろう、と。
岩崎さんは、いったいどれだけの努力をしてくださったんだろう、と。
違う人が演じるのだから、まったく同じになることは勿論ない。涼くんにしかできない表現を見ることは私たちはできない。
だけど、この状況下で、このクオリティで作品を上演できているっていうその事実に、私は刀ミュが心底すきな一人のファンとして、本当に感謝をしたいと思いました。
うまくいえない上に完璧に超個人的な感覚なんですが、岩崎さんが演じてくださっているのは、単に小狐丸なのではなくて「涼くんが演じる小狐丸」なんじゃないのかなって、そんな風に感じるのですよね。
舞台上にちゃんと存在している、だけど役者個人としての表現としては「影」の存在に徹しているようにも受け取れるというか…だめだなうまく言えないや。
いつだってShow must go onであり、興行は絶対に成立させなければならない、という動かせない事実を前にして、こんな風に表現者として身を捧げてくださる人がいて。だからこうして私たちは、公演を観に行けているんだなって。
本当に、ありがとうございます。
そしてそれと同時に、涼くんの小狐丸に会いたくて泣けてくる気持ちもあって、当然なんだなって思うんです。
進化したあどうつ聲を、はったはったちょうちょうを、あの二人の声で聴くことができていたなら、って。思わないでいられるわけ、ないじゃないですか…。
だけどそれをこれ以上大きな声で言うことはできないなって。言っても仕方ないなって思うのです。
岩融が、「此れあれば彼れあり」って教えてくれたので。故にすべてを受け入れよって教えてくれたので…
なのでこの二つの気持ちはなんら矛盾しあうものではないと思うし、私自身の気持ちとしてちゃんと受け止めたうえで、楽しみたいなと思っています。し、現に既にめちゃくちゃ楽しんでいる。
だって他にできることなんてなにもない。ひとりの観客として、こうして届けてもらえる演目を全力で楽しむだけ。ただそれだけなんだなって、今は静かに思っている次第です。
とてもとてもセンシティブな内容だし、色んな考えの人がいて当然だから、どう書いても誰かを傷つけるだろうなとは思ったんですけど…とりあえず私の気持ちとしては。今そういう結論です!
さて続き!
- 今剣の進化がはんぱない
これ本当に。本当に感動している。まじですごい。しゅんやくんすごい。
こんなに2年で成長するんだ!!??って衝撃をうけまくっています。
いや、つはものの時点で十分それは伝わっていたんだけど、やっぱり演目が同じとなるとね!??成長がありありと浮き彫りになって、観ていてもう目が真ん丸になってしまう…!
そもそも「きらきら」がまじであかんです。号泣ポイント。
あんなに感情が自然と溢れるように歌うようになるなんて…そして歌がうまくなりすぎている…びびってしまう…
こうしてブログばっか書いてるやつが何をいうんじゃって思うんですが、言葉にせずとも伝わってくる感情って本当に尊いなと思います。
歌に乗ってこちらに痛いほどに届く、きらめくような今剣の喜びの感情。
それを表現するダンスの振りつけも、めっちゃバージョンアップしていて、もうほんと可愛いったらないんだよ~…!え!??あそこで泣かずにいられますか!?いやいられないね!!?私は無理ですね!!???
そのあと、義経と相対した時、自分が今剣であることを伏せながらなんとか義経に言いたいことを伝えよう!と腐心するところとか、見事としか言えない…
セリフや演出が細かく変わっているのは勿論なんですが、それを可能にさせたのはしゅんやくんの成長に他ならないよねぇ…すごいや…。
終盤の「おぼえている」も、がっつり目にミュージカル的な表現が盛り込まれたナンバーで、2年前のみんなの力量だと正直歌いこなせるぎりぎりラインだったのかな、って感じを受けていたんですけど、全然そんなことなかったですよね…
真ん中で悲痛に叫ぶように歌う今剣の姿、とにかく胸に刺さる。
はぁ~~~もう、こんな姿を見せてもらえるなんて…すごいの一言だよ…!
- 戦闘シーンの見ごたえが素晴らしい!
これ本当に!!!!素晴らしいの一言…!
おそらくミュージカル上演の一作目だったこともあり、いろんな面が手探りだったのだと思うのですが、2016年の阿津賀志山異聞では、戦闘シーンにエフェクトが入ってたんですよね。
刀をふるった残像が光になって相手に飛んでいくっていう、ゆってしまえばとてもゲーム的表現。(本編のゲームにそういう描写はまあないんですけども)
今回はそのあたりが綺麗にすべてカットされて、純粋な殺陣に置き換わっていました。
殺陣のシーンの曲も追加になってるよね!?
系統としてはこのあいだのむすはじの、あほほどかっこいい戦闘曲にもちょっと近いものがある気がします!序盤の清光から始まる戦闘シーンのところの曲、めっちゃくちゃにかっこよくて大好き!!!
あと途中ちょっとロックテイストな曲もさしはさまれたりしてバリエーションがある!どれもかっこよくて最高なんです~;;(この数行で3回かっこいいって言っているのでやっぱり語彙が死んでいる)
あと、実は元々正直けっこう観ていて「?」って感じてた、完全に自我を失った後の義経の最終形態の見た目も調整されてた。あの妙な刀じゃない謎の武器ではなく、単なる刀を振るうようにもなっていたので安心した。
そしてなにより真剣必殺ですよっ…!
ボロボロになりながら、義経を乗っ取った存在に立ち向かい続ける今剣。
同じく傷を負った岩融と二人で何度も敵を斬りつけるも、まるで効かずに返り討ちにあうばかり。
ついには重傷セリフをぽつりと漏らし、糸が切れたようにふっと倒れ伏した今剣なのですが、「もうおこった!ほんきでやっちゃいます!」って雄々しく叫んで再び立ち上がり、見る間に敵を追い詰めていく姿、ほんとにかっこよくて…
前は一度姿を一瞬パネルで隠されて、そこに映像が投影される形での真剣必殺だったけど、ごくシンプルにスポットライトが当たるだけに変わりましたね。
やっぱり舞台を観に来ているので、生身の表現での勝負がより胸にぐっと来るところありますよね。もーーー断然今回の演出が最高!!!
ここも観る前にはどうなるのかな~って気になってたシーンだったので、 見ごたえ増しまくってて本当に感動しました!
そして衣装さんの仕事レベルが高すぎてやばい。舞台上で演じている本人の動きだけで真剣必殺まで持っていけてしまうのって普通に考えてあり得ないよね!?いったいどんな構造に!?すごすぎでは!?
…ここまでで字数を確認したらすでに10000万字目前だった。なんてこった。どうしていつもこうなるのか。そろそろまとめに入ります。
うーん全然書ききれてないんですが(日替わり要素にすら触れてないのになんでだよほんとうに)、とりあえず無理やりまとめるとすると、
本公演から2年経った今、さらには同じ時代を扱ったつはものを経てなお、阿津賀志山異聞を改めて上演する意味が「あまりにもあった」って感じです。
単なる再演になんてなるわけないって勿論思ってはいたんだけど、大幅な改訂を行わずして、ここまで見ごたえをアップさせられるものなんだ!という感動がとても大きい。
振り返ればこの2年、本当に刀ミュに身を捧げて爆走してきた実感があるんですけど、そうして時間を過ごしてきたことに一片の悔いもないな!?と思わせてくれる作品でした。
心の底から信頼できる演目に巡りあえたこの喜びは、まじで舞台おたく冥利に尽きるという感じです。
は~~~、やっぱり刀ミュ楽しい!最高!!!!大好き!!!!
次は二部の話もしたいな…いったいいつになることやら…一部だけでも言いたいことならまだまだいくらでも湧いてくるんだぜ…!?
なんかすごくすごく中途半端だけど、とりあえず今日はここでおしまい!
うっかりこのあほみたいな長文を読んでくださった方、いつもながらありがとうございました!