こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

「描いていた未来へ」 ー ミュージカル「刀剣乱舞」(刀ミュ)より、刀剣男士のNHK紅白歌合戦初出場決定によせて

いつかは出るだろうな、とは思っていた。
きっと出たいだろうな、とも思っていた。
だけど、本当にそうなる日が来るなんて、やっぱり想像できていなかった。

ミュージカル「刀剣乱舞」より、刀剣男士の皆さん、
第69回NHK紅白歌合戦への初出場決定、誠におめでとうございます!!!!!!!!!!!

おめでとう…ございま…ウゥッ……!!!!!!!!!!(大号泣)


今朝、すでにフライング気味の報道がチラホラと出始めていて、朝起きて私が最初に目にしたツイッターの情報がこれでした(アラーム止めたらまずは一回ツイッター見ちゃう、という見事なまでのツイ廃っぷりである)。このニュースを見た瞬間、眠気が一気に吹っ飛びMAXまで覚醒しました。そりゃ当たり前ですよね。
驚きのあまり起床数秒で旦那さんに「ねぇ…推しが紅白出るらしいんやけど…」って深刻な声で訴えたところ、
「おぅ…おはようより先に推し情報伝えられたわ…」と苦笑され、これは大変申し訳ねえと思いました。申し訳ねえ。一大事だったんだよ。おはようございました。
「推しが紅白に初出場決定した日」なんて、この人生でまじで間違いなく今日一度きりだと思うので、この二度と無い感動を克明に刻みつけつつ、何より正気を保つために、こうしてブログを書こうとしています。いや、正気などとっくに保てていないのですが。だってさぁ、これが正気でいられようか???いられるはずがなくない?????
紅白ですって。紅白ですよ。紅白?????
紅白歌合戦…????????(頭がおいついていない)


刀ミュと紅白。
意外か、と言われると、不思議なことに、なんだか意外、ではないのである。
だけどやっぱり考えれば考えるほど、その事実の重みに全身が震えます。

先日のシブヤノオトの特集のあまりの素晴らしさにふれて、「NHKの刀ミュへの寵愛がこれはもう天元突破したな…!」って思ってはいたんですが(それはもう、拝み倒す気持ちで視聴の上、あほみたいな長文を書いた)。
anagmaram.hatenablog.com
もともと、シブヤノオトには本当にコンスタントに呼んでくれていたしね。
あとほら、SONGS OF TOKYOもあるしね。
www.nhk.or.jp

だけど、ゆーーーーーーて、紅白ですよ…????????

世間において紅白を知らない人を探すほうがよほど難しいよ。わざわざ書くまでもないですよね?周知の事実すぎますよね?紅白の知名度を疑うことの必要性、とくに感じられませんよね???(※わかったから謎に詰め寄るのやめろ)
老若男女問わずに親しまれ、年末を華々しく飾る、ある種の祝祭のような番組。年末の風物詩などという単語を使うことすら最早はばかられるような、他に換えのきかない、あまりにも特別すぎる番組。それこそ「紅白出場」を目標に掲げるアーティストやアイドルが、いったいどれほどの数、存在することでしょうか。
「紅白離れ」なんて言われることもよくあるかと思いますが、私個人に関していえば、幼い頃から年末の番組は紅白一本の人生を歩んでおります!!!
実家にいる頃も毎年見ていた。基本大晦日は自宅で過ごす派なので、物心ついた頃から見ていない年は多分一回もないと思う。紅白にちゃんと間に合いたいから、母親のおせちづくりを積極的に手伝って終わらせようとしたり。好きなアーティストを見逃さないように、お風呂に入るタイミングをはかったり。
社会人になって実家を出てからは、自宅でだらだら大掃除やりつつお正月用のご飯を仕込んで、宅配の寿司をとって紅白の始まりとともに缶ビールで乾杯する、みたいな大晦日を、ずっと定番のものとして過ごしてきました。紅白大好き。だって賑やかで楽しいもん。終わる時に蛍の光でちょっとさみしくなるところまで含めて、ぜんぶ大好き。


で、再び、刀ミュと紅白の話。
年末になると「刀ミュ、今年は紅白だめだったね~!笑 でもいつかきっと出ると思ってる!」…みたいな気楽な刀ミュおたくの呟きを見かけることが、私のTLではわりとあったし、自分でもそういうたぐいのことを言ってた気がします。なんとなく「刀ミュはいつか紅白に出かねない」というのが、共通見解のようになってる部分があった。…ありましたよね!笑 シブヤノオトからちょっぴり期待してしまう流れ、出来上がってましたよね!


「(自分の推しが)紅白に出るかもしれない」
その発言者が、そうだなぁ…たとえば人気急上昇中のアイドルグループのファンだったり、それこそジャニオタの方ならば、それもまぁわかることかな、と思うんです。ある意味では当たり前に期待することかもしれないなぁと。
だけど、わたしたちが好きなのは、2.5次元ミュージカルの、とある1タイトル。
興奮の渦の内側にいると、その世間的な知名度や影響力がもはやわからなくなってしまうんだけど、明らかにメインストリームはってる存在ではないことくらいは、それでも流石に理解しています。
そんな刀ミュを好きなわたしたちが、のほほんとして繰り返していた「いつか紅白ほんとに出ちゃうかもね!」っていう発言は、だから聞く人が聞いたら「何バカみたいなこと言ってんの?」って思われる内容だったろうな、と思う。


だけど、それでも。
「いつか、刀ミュは紅白に出るんじゃないかな」って、やっぱり心の中でなぜかずっと、思っていたんですよね。
それは「ある意味飛び道具的に、いわゆる企画枠としてなら、全然チャンスがあるんじゃないか!?」といった感じの、ある種とても打算的で現実的なおたくたちの予想でもあったわけですが(そして本当に形としてはそのとおりになったけど)、
なんだろうね、出そうだなって…本気で思ってたよね。
だって、そう思わせてくれるほどの勢いと魅力が、間違いなく刀ミュにはあるんだもん。
だから、
「絶対に無理だと思っていた」夢が叶った、っていうのではなくて、
「きっと彼らなら実現させられるだろうと思っていた」夢が叶った、っていうこと。
そこへの感慨が、なんだかものすごく深いように思う。
いざ実現してみたら、やっぱり信じられないような気持ちになったけど…だけど本当に、叶ってしまったんだなぁ…。すごいな…!!!!!涙


紅白という舞台にまでたどり着いた、刀ミュという作品。
爆発的な人気をごく短期間で得た、ある種化物のようなオンラインゲームの巨大タイトルを、キャラクターの基本設定と数枚の絵と数えるほどのボイスしかない状態から「ミュージカル」にするという、無謀とも思える試みから、それはスタートしました。
前から何回も書いていることだけど、私も発表当時「いやいや、まだゲームのサービス開始から1年も経ってないのにミュージカルにするって、ネルケ正気か!?」って思っていた一人でした。
初演となった2015年のトライアル公演は、舞台作品としては正直まだまだ荒削りだった。「トライアル」とついているからこそ、この先の進化に期待してみよう、という感じのクオリティでした。
だけどそこから、本当にいろんなことがあった。
2016年の阿津賀志山異聞の本公演で彼らは見違えるような成長を見せ、最初は苦労せずにとれたチケットはまたたく間に入手困難なものになった。皆が立つ舞台はどんどんとスケールアップしていき、動員数は伸び続け、国宝舞台での奉納公演や海外公演にも取り組み、年末の真剣乱舞祭では日本武道館さいたまスーパーアリーナを使うまでになり…。

こう書くと、ある種華々しい成功を、順調に打ち立ててきたようにも思えます。
だけどそれが実現できたのは、その作品が他でもない「刀ミュ」だったからじゃないかなって。

舞台に立つキャストのことを大切に守り育てる気概に溢れた制作陣と、作品とキャラクターを愛して演じ続けてくれるキャストのみんなが、お客さんにいい作品を届けよう、という一点に集中して努力を続けて来てくれたこと。その姿勢は、作品に触れる中で何度も繰り返し、こちらに伝わってきました。何より、舞台上のパフォーマンスから。茅野さんや御笠ノさんが寄せる、パンフレットの序文から。キャストたちの沢山のインタビューから。
そうして作品の魅力を信じて、タイトルを丁寧に育てて来た人たちがいて。そしてその光に惹かれ、虜になってついて来たたくさんのファンがいて。
見る人を楽しませたいという作り手側の本気と、その作品を心から好きだと思う観客からのレスポンス。
そのふたつを、奇跡のように積み重ね続けることができたから、きっと刀ミュはここまで来られたんじゃないかなって、そんなふうに思うんです。

紅白出場は、刀ミュとしての目標、だったんですね。見事、届いたんですね。
本当に、おめでとうございます。


そして、涼くん…おかえりなさい…!!!!涙
team三条with加州清光が揃うことを、ずっとずっと願ってた。でもらぶフェスに清光が出られない以上、2018年にそれが叶うことはもうきっとないんだな…って諦めてたから、こんなに嬉しいことはないです…!!!涙
6人が揃った姿、何よりみんなの嬉しそうな表情に、こみ上げるものが止まらなかった。
家に帰ってきてNHK公式のコメント動画を見ながらこらえきれずにびゃーびゃー泣いていたら「よかったねぇ」って祝福されながら爆笑されたよ。いや、そら笑うよな。
だってさ~会社でふと気を抜いたらガチで泣いてしまいそうで、仕事しながらまじでずっと考えることすら我慢してこらえてたんだよ…。日本青年館で今年の夏を駆け抜けた人は、こんなの見たらそりゃあ、泣かずにはいられないよね…。


刀ミュが好きでよかったなって、今までで一番思った日かもしれません。
「描いていた未来へ」とたどり着いたその先の、2018年12月31日のNHKホールで、みんながいったいどんな景色を見せてくれるのか…本当に本当に、心の底から楽しみにしています!!!!!!
…やっぱあれかな、Aqoursの皆さんのところに時間遡行軍が現れて「た、大変だ!」ってなったところに「はっはっは」と笑い声を響かせながら三日月宗近率いる刀剣男士formation of 紅白(仮)が登場し、「刀剣乱舞、はじめよう」…かーらーの、「刀剣乱舞」披露ですかね!!??!(※ガチで事細かに予想すな)(でもこの流れ以外になくない!?笑)
しかも阿津賀志の六振りだけに限らず、他の仲間も…って言ってるからもう…まじで!!全員で!!!出てほしい!!!あぁ~~~~!!!楽しみ!!!!!!!!涙

もう、なんべんいっても足りないくらいなんですが、そして気持ちが溢れすぎて全然文章としてはまとまらなかったけど、
本当に本当に、紅白歌合戦ご出場、おめでとうございます!!!!!!!!!!

ミュージカル刀剣乱舞がすきでよかった!!!!!!!!!!!!

マイナーなものを好きになるとわかること ―誰が何を好きでもいいじゃない、という話

ここのところ、自分の趣味について、ジャンル外の人に説明することが続いたのですが、その時にすごく感じたのが「自分にとっては当たり前のことが、人から見るとびっくりするような内容だったりするんだな」ということでした。
趣味にまつわるあれこれの詳細を話していると、新鮮なリアクションをもらうことがすごく多いため、「あ~やっぱりおよそ一般的ではない行動を多々とっているのだな私は。」といった具合に自分を客観視する機会にもなり、色々と面白いです。
…確かに、数年前とは状況が全然変わってきているとはいえ、舞台、しかも主に2.5次元作品を観に行くことが好き、もっと言うと出演しているキャスト本人についてもファンになって応援している、というのは、やはりまったくもってメジャーな趣味ではないよなぁ、と思います。日常的に趣味を同じくする人と話す機会が多いので、このあたりの感覚がだんだんわからなくなってきてたとこある(マジで)。
いやほんと、ちょっと前と比べるだけでも全然状況は違うんだけどね。何らかのジャンルのおたく女子であれば、話が通じる確率はそれこそ比較にならないくらい、昔より上がってはいるんだけど。
でも当然、世の中にはおたくじゃない人も沢山います(当たり前のことを言うな)。
非オタの人から見ると、例えばそうだな…スポーツ観戦が趣味です!とか、それこそスポーツそのものをすることが趣味です、っていうのに比べれば、まぁ世間的には「どマイナーな趣味を持つ人」の範疇に入ると思っているんですよね。
私の場合、趣味に関して「どうやらこの人は何かを追いかけているらしい」というところまでが伝わると、だいたい真っ先に「ジャニーズですか?」と聞かれることになります。ジャニーズ。ジャニオタの友人は数名いるけど、今まで関わったことがなさすぎて、私にとっては未だに謎に満ちた巨大帝国です。私の趣味のいわゆるホームグラウンドである2.5次元若手俳優界隈からすると、ちょっと想像することすら難しいほどの広大な世界…と思って見ています。支えてるファンの母数が多いってだけで、まじですごいことだよなって、何かにつけてよく思う。
一方、ひるがえって我らの主戦場。趣味について質問をされると、必然的に「2.5次元とはなにか」の説明から始めることになるのはもちろんのこと、それに出演している「若手俳優」と呼ばれる役者陣についての概念的な説明までが、ざっくりと必要となるんですが、前提知識として共有され得る要素がほとんどないことに、自分でも説明していてかなり驚きます。それこそ、例えばジャニーズだったら、仕組みはわからないまでも、主だったグループ名やメンバーの名前が伝わることはきっと多い気がします。しかし私にはそれがないので、まじで全部説明する感じになります。若手俳優の名前をあげたあとに「へ~、その人何に出てるの?」(=テレビを念頭に置いている)と無邪気に繰り出される質問に対して、どう返したらよいのかわからなくなる、あの瞬間の切なさを帯びた戸惑いよ…!笑


とにかく、そんな感じで今の私には、
「自分はどマイナーなものにハマっており、なおかつその趣味に対してそこそこの金を注ぎ込んでいるマイノリティである」という自覚が一応あるのですが、その点においてひとつよかったな、とここ数年で思っていることがあります。
それは「誰が何を好きでもいいんだよな」って、本当に心の底から実感をもって思えるようになったことです。


たとえ他人から理解され得なくても、私にとっては、趣味に対するその「好き」はかけがえのないもの、生活を支えるエネルギーそのもの。仕事でも家庭でも学生時代の繋がりでもない、まったく新しい人間関係を、大人になってからあたらしく形作ることができた礎でもあります。
そして何より、その趣味に触れている瞬間に「楽しい、幸せ、サイコー!!!」と掛け値なく思えているということ。趣味に触れることで心がひとりでにキラキラしていくという事実そのものが、とても尊いんじゃないかな、とも思っています。
…だって、よく考えるとそれってすごいことなのでは!?その「好き」にアクセスすることによって、少し先の未来の自分を元気づけられるという結果が、ある意味保証されているんですよ!?
そんなの、生きていく上でめちゃくちゃ力強い武器でしかないではないか、と思う。この間推しについて考えた時にも思ったけど、「これが好きだ!」って叫べるものがあるのって、めっちゃハッピーなことじゃないかな、と。
その一方で「そんなものが好きなんて」っていうふうに感じる人は、きっと世の中には勿論しぬほど沢山いるのです。
だけど他の誰かにとっては「そんなもの」であっても、私にとっては本当に大切なものなんだ、ということに、ちゃんと自信を持っていたいな、と思うんですよね。
嫌なことはわりとすぐに忘れるタイプなので、もう具体的なアレコレは思い出せないんですが、過去にはやっぱり無意識に近いレベルでの「へー、(そんなものが)好きなんだ!」という反応を何度も受けたことがあって、そこそこのダメージとして刺さったこともありました。
それとか、もっとタチが悪いと「あぁわかる、つまりこういうことなんでしょ」って、その人の世界の見方の中に一方的に組み込まれ、「そういうんじゃね~よ!」ってこちらからしたら憤りたくなるような、勝手なラベリングをされたこともある。
…そういう目に遭ってしまうと、やっぱりどうしても疲弊してしまうものです。なので、おおよそそういうリアクションをしてきそうだな、と予想される相手には、これまで頑ななくらいに趣味の開示をしないで自分を守ってきました。笑


多分、自分の趣味について「理解されたい」というのとは、またちょっと違う。
むしろ理解はしてくれなくて全然いい、わかってもらう必要があるとは一切思っていないです。
ただ「あなたにとっては理解できないかもしれないけど、私にとってはそれがとっても大切な存在なんだ」っていうその事実は、尊重してくれたら嬉しい。…ということなのかなと思ってます。


なので、それこそ反面教師として、誰かに対してその人の「好き」を踏みにじる行為をやってしまうことをしない自分でいたいな、と思うようになりました。
世の中には、本当に驚くようなことに命をかけている人が沢山いる。
周りから見ればそれがどんなにバカらしくて信じられないと思うようなことでも、その人にとってはすごく切実で、奪えないものなのかもしれない、ということ。そこにちゃんと、想像力を働かせることのできる人でいたいなぁと思います。
幸い、そういう経験をすることはなくて済みそうだけど、本人がいない間に家にある趣味のものを勝手に処分されるみたいなやつ、なので本当に無理です…。なんで他者に自分の「好き」についてをジャッジされるのみならず、財産の処分までされなければならないんだ。あまりにも受け入れがたすぎる。
仮に私が2017年の夏に死ぬ気でコンプした大海帝祭の缶バッジ全22種が知らぬ間に売り飛ばされたりしたらどうしたらいいんだ。千秋楽の直前まで手に入らなかった久我くんを執念でゲットしたあの時の私の感動はどうなるんだ。嬉しすぎて友達と久我くん(の缶バッジ)を手のひらに並べてツーショットまでとったあのプライスレスの夏の喜びの価値、踏みにじられたらそんなの耐えきれずに憤死してしまう……!!!(注:家族はそういうタイプでは全くないので、ここに書いていることは全くの杞憂です!)
やっぱり、理解はできなくても、尊重はできる、そこが何より大事なことなんじゃないかな、と思うのです。


何かを好きになるという感情は、それだけでとてもかけがえのないものだと思うし、自分を励ます武器にもなる。好きにかかるコストはエネルギー面でも資金面でも正直かなり高いけど、だからこそ今の毎日を、自分なりに楽しく生きられているような気がします。
そして他ジャンルの人でも、やっぱり自分の趣味に命をかけている人はこちらの趣味のことも自然と尊重してくれる傾向が強いな、とも思います。過去に色々削られた経験からすると、それが本当に身にしみてありがたいし、嬉しいことだよな、と思うんですよね。
自分の好きを大事にするなら、他人の好きも大事にできるようにしたいよね!と思ったので、なんちゃない文章として書いてみたのでした。

「シブヤノオトPresents ミュージカル『刀剣乱舞』 -2.5次元から世界へ-」を見た感想(刀ミュへの愛が止まらない)

楽しみ半分、怖さ半分で、でも待ちわびていた番組がついに放送されました。
シブヤノオトPresentsミュージカル『刀剣乱舞』 -2.5次元から世界へ-
www.nhk.or.jp

本当に、見るのが怖かった。というのが始まる前の正直な感想です。
この番組は、おそらく本来であれば「2.5次元トップランナーとして駆け抜けてきた『ミュージカル刀剣乱舞』が、フランス・パリでの上演というこれまでにない大きな挑戦をし、そしてそれを成し遂げた」という、とても華々しい内容を伝えるものになるはずだったんだ、と思います。
だけれど、今回の誰もが予想だにしない、考えられる限りではかなり深刻な部類に入るアクシデントの発生により、番組が持つ意味が自然と変わってしまった部分が、どうしてもあるんじゃないかと思います。
私はどうしても後者に引っ張られてしまって、どういう心持ちで見ればいいのかがわからなくて、始まるまで本当に怖かったんですけど…無事に見終えた今は「放送してくださってありがとうございます」の気持ちでいっぱいです。
私は未だに阿津賀志巴里を総括した感想は書けていなくて。見る前も、見ていた間も、そして上演が終わった今も、どう言葉にしたらよいのかずっとわからないものが、心の中に残り続けていました。
そんな感じで、8月からどこかでずっと止めてしまっていた時間が、今回の番組を見ていたらまた動き出したような感覚になったので、今思うこと、書けそうなことを、書いてみようと思います。
※録画を見返してから書こうかなっておもったんですけど、見るのにすごくカロリーを使うので…とりあえずリアルタイムで1回見たままの状態で行きますね。なので細かい発言の言い回し等は間違ってると思います、すみません!




番組前半:パリ公演に向けた稽古

まず、ここまでがっつりと明確に「上演前の裏側」だけに密着した映像は、刀ミュではほぼ初めてだったように思います。
刀ミュの円盤って、最初わりとかたくなだな!?って思うほどバックステージを収録してこなかったですよね。公演が始まる「前」までの様子がそれなりに垣間見えるのって、つはものが初めてじゃなかったっけ…?という印象。
らぶフェス2017のバクステは、主に公演中の舞台裏がメインで収録されていた気がするし。
裏側を詳しく知る、という点では、今年の1月末に放送されたネルケ松田さんを追った「情熱大陸」も、同じような情報を提供してくれていたんですが(素晴らしいのでぜひ円盤買ってくれ…)、つまりは裏返すと刀ミュ作品の「公式」側からは、あまり舞台裏は明かされて来なかった、とも言えるような気がしていました。
作品としても、カーテンコールでは常に役を降りずに、キャスト本人が顔を出さない形での挨拶が徹底されていて、とにかく「表」面に提供される情報に集中してほしいのかな、といった印象を受けていました。
だけどその一方、今回の番組では稽古初日からカメラが密着しています。まず、阿津賀志山異聞2018巴里に登場する六振りが、それぞれどんな逸話を持つ刀で、役者は誰が演じているのか、といったところから、丁寧に説明がされます。
このあたり、に限らずもう全体的になんだけど、今回NHKの丁寧な仕事ぶりに泣けました…。だって<刀剣乱舞-ONLINE->のゲーム映像を紹介する時も、部隊をきちんと阿津賀志山の六振りで組んでいるんですよ。。そしてゲーム絵のキャラクタービジュアルを六振り並べて紹介したあとに、同じ背景のままで画像を刀ミュのキャストビジュアル六振りに変えて紹介してくれるんです。その背景っていうのがまた、阿津賀志山2018巴里のメインビジュアルの、あのなんとも言えない綺麗なブルーグレーのグラデーションのやつで…。あ~~丁寧…!涙

その先のシーンは、演じる上で6人がどんなところに苦労したのか、何を考えてこの作品に向き合っていたのか、茅野さんからどんな要求がされていたのか…などなど、とても具体的に見られる映像がてんこ盛り。こんなものを沢山見せてもらっていいのか…!とめちゃくちゃ興奮しながら見ていました。
作品のわりと序盤に登場する、能をモチーフにした一曲「向かう槌音」が、動きも声もうまく合わせられなくて苦労する麻璃央くんと涼くんだったり、クライマックスのシーンで「もうおこった!ほんきでやっちゃいます!」の一連の動きを何度も繰り返しダメ出しされる峻也くんだったり。
茅野さんの要求について「非常に高い」とナレーションが表現するところがあったりもするのですが、映像を見ていたら、あの6人のキャスト陣と茅野さんとの間には、もう確固とした信頼関係が成立していることが、明確に伝わってきました。
トライアルの頃は、できないことばかりで茅野さんには怒られてばっかりだった、と口をそろえて言っていた6人なのに…。最初の上演から約2年が経って、彼ら全員が、今ではもう全く違うレベルで作品作りをできるようになっていたんだな、というのを実感しました。今回の阿津賀志巴里のパンフレットを読んでいてもそれは伝わってくることだったんだけど、映像として稽古場の様子を見せてもらうとまた感じるものが大きかったです。


そもそもの話なんですが、私は最初、阿津賀志山2018巴里を上演します!って知らされた時に「なんでわざわざ阿津賀志山異聞をもう一度選んだんだろう?」って正直不思議に思っていました。
ちょっと前に「つはものどもがゆめのあと」という、同じく源義経にスポットを当てた作品があり、しかもその描き方のアプローチは二作品で全く異なっていたので、ある意味矛盾するところも出てくるし、どうしてわざわざ時計の針を元に戻すのかな?と。
実際に8月に阿津賀志巴里の東京公演を見た初回、諸々に感動しまくって「いや、やっぱり今やる意味が全然あったな」って思ってはいたんだけど。だけど今回、また阿津賀志山をやる狙いはもっと手前のところにあったのかなと、番組を見ていて感じたんですよね。


それは、
「世界に勝負をかけるなら、この6人で、刀ミュという歩みを始めたこの座組で行きたい」って(きっと松田さんが)思ったからじゃないのかな…ってことでした。あくまで個人の感想だけど。


勿論刀ミュとしての海外公演は初めてではないんだけれど、今回のJapan Expoへの参加とパレ・デ・コングレ・ド・パリでの上演は、これまでの海外公演とは全く別な意味合いを持っていたのだと感じています。
アジアを越えてヨーロッパへ。単なる作品の紹介に終わらず、一作品をまるごと日本語のままで上演するという試み。必要な情報は検索すればなんでも手に入る今の世の中でも、「舞台を生で見る」という行為は、実際にその人が劇場に足を運ばなければ叶わないものです。
その上で「物理的な距離」は、どう考えてもハードルになる。すでに現在、アジア圏のお客さんが沢山日本へ見に来てくれているとしても、ヨーロッパとなると流石に条件は変わってくるでしょう。
つまり「刀ミュどころか、恐らく日本の2.5次元ミュージカルを生で見たことがない」人たちがほとんどである状況で、4000人規模の劇場でいきなり公演をやる、という挑戦。
さぁ、それをどうやって成功させる?と考えた時にどうするか。それはやはり、一緒にゼロから作品を立ち上げて、最初の本当に苦しくて手探りだった時期を乗り越えて、ここまでの大きなタイトルに成長させて来た立役者である、彼ら6人にこそ託したいって、そんな風に思ったんじゃないのかな…と。(その意思決定者が誰なのかは勿論明確にはわからないけど、ほぼ確実に松田さんなのかな、と思う。)
そしてプロデュースする側、演出する側の意図は、きっと6人には当然のように伝わっていて。
茅野さんが日本での最終稽古の後に6人に向かって「事件を起こすつもりでいかないと」というようなことをおっしゃっていました。その話し方からは、作品としての及第点にはきっととっくに到達しているのだろうなという印象を受けたんですが、だけどそこからさらにもう一つ上に、お前らなら見せられるものがあるだろ?っていう感じの発破をかけていました。そしてそういうレベルのことを要求されても、当たり前のこととして受け止めることができ、自分たちの表現に還元していけるだけの力が6人にはついていたのだし、実際にその期待に応えようという気概が、それぞれから溢れ出ていました。
パリに渡った後、”公演直前の決起集会”とナレーションがつけられた、通りに面したカフェのテーブルについた茅野さんと6人の様子。その場で「何か事件を起こすんだっていう気持ちでいるし、だけどそれを特に気負ってはいないというか…」といった趣旨の発言をする麻璃央くんの落ち着いた様子が印象的でした。
肩の力はある意味抜けていて、でもやってやる、俺たちにしかできないことをやる、っていう静かな闘志みたいなものを全員から感じたのでした。だって、そう思えるだけの経験や苦労を、彼らは間違いなく積んできているから。

番組後半:アクシデントの判明から、公演へ

しかし、事態は急転直下。
涼くんが網膜剥離の診断を受けた事実を告げられる5人の姿を、私達は見ることになります。
パリ公演の上演は7月15日でした。刀ミュ公式サイト上に、涼くんが声だけの出演になる旨のお知らせが掲載されたのは、その前日の7月14日。
今振り返ってその時期のことを思い出しても、なんだかどう説明すればよいのかわからない気持ちになるし、涙が出てきてしまう。
私個人は、パリ公演は観に行っていません。行きたかったけど、スケジュール的にも資金的にも難しいなと判断して、そのエネルギーを東京公演に全振りしようと決めていました。しかし「え、パリ行かないの?」と友人(しかも数名から)聞かれるたびに「行かないよ!」って返す羽目になっていた(理由は同じく「行かない」って言っていた上海には、直前で飛んだ前科があるからである)。
今回の阿津賀志巴里ではきっといろんな演出が変わっているだろうし、パリに行けないのは残念だけど、ネタバレ見ないで済むように情報シャットアウトして、私は東京公演を楽しみにしていよう!ってワクワクしていたんですけど…そうして思いもよらない事態が起きて、本当に思考が停止してしまいました。
現地で何が起こっているのか、当然当時の私達には知るすべなどなくって。
心配することしかできなくて、そして予定通りの上演が叶わないことがあまりにも無念すぎて。どうして、なんで?ってそればかりが頭に浮かぶ。
でも絶対に一番つらいのは涼くんで、あの5人で。私は現地に行っていないからあれこれ言える立場でもなく、ただ舞台が成功することを祈るしかありませんでした。


その裏側、あの時何が起こっていたのかを、今回初めて見ることになりました。
もう、6人全員が、見たことのない表情のオンパレードでした。
あんな風に、苦しそうな感情をありありと顔に出している6人を、これまでに刀ミュという世界のくくりの中で、少なくとも私は、見たことはなかった。
これまでずっと、きらびやかな舞台本番の姿だけを私達に見せてくれていた彼らにとって、きっと刀ミュに関わってきた中で一番苦しくて悔しかったであろう時間。それを今回、図らずも見ることになってしまいました。
あんなに尊い努力の先に、非情すぎるアクシデントが待っているなんて、きっと誰も信じたくなかっただろうなって思う。観ているだけのこちらからしたら、あの状況に対して言えることなんて本当になにもない。


だけどとにかく、あの瞬間、誰も諦めてなんかなかったんだなってことが、痛いほど伝わってきたんです。
苦しみを抱えながら、今できる最高のものをお客さんに届ける、っていうその一点だけに全員が集中して、その時にできる努力をただひたすらに重ねていく姿が、映像には収められていました。


「大変なことになっちゃいましたね…一番つらいのは彼だと思うけど」って、その先の言葉が見つからない感じで、ただドアを閉めて去っていった大地くん。
客席後方に一人座って、組み上がっていく舞台セットを見つめながら「こうしてスタッフさんがステージを作ってくれていて…だけどそこに一人少ない状態で立たなきゃいけない」と苦しそうな表情で呟くつばさくん。
「今回、一番絡むというか、一緒にやるシーンが多かったので、僕も…もらいましたね。…それでも、やる。」って、強い眼差しと笑顔で言い切った麻璃央くん。
本番前、鏡前にうつむき加減で座っていた涼くんの後ろを通りかかり、いきなり笑顔で抱きついて「びっくりしたぁ」って言わせていた峻也くん。
普段、絶対泣く姿なんて見せないのに、開演前の挨拶の後、舞台袖でひとり何度も涙を拭いていた流司くん。
そして「ここ、俺の声に合わせたほうがきっかけ合いませんかね?」って、自ら提案をして、自分が抜けたことによって生じる殺陣の動きと効果音のズレを解消するべく、アイディアを出す涼くん。


7月15日のパリ公演当日、私は敢えて一切の情報を入れないようにして過ごしていました。何もできないのに、やきもきだけしてしまうのがすごくつらくて。
なので、開演前に涼くんの挨拶から始まったことも、声だけの出演が舞台袖ではなくって客席後方の音響卓から行われていたことも、今回番組を見ていて初めて知りました。
物理的に「いるべき人がそこにいない」形で上演された阿津賀志山2018巴里の姿も、初めて見た。小狐丸がいるべき場所にはスポットライトだけがあたり、向かう槌音を舞う三日月は不自然に一人ぼっち。出陣前の三条の自由な様子に手を焼く清光は、「なぁに、これ?」って、いるはずの小狐丸に向かって、虚空に自分の手のひらを開いてみせる。
やっぱり、見ててめちゃくちゃ、苦しかったです。
実際にその場で観ていた人にしか、その公演の空気はわかりえないものだけど、そのほんの一部だけでも垣間見て、苦しくて涙が止まりませんでした。

だけど、上演を終えた後、客席後方でお辞儀をして退出していく涼くんに、あたたかい拍手が送られ続けていたこと。その姿を黄色いペンライトを灯して笑顔で見送るお客さんの様子。
最後に退場してきた涼くんを迎えて、舞台裏で笑顔で握手をかわしあったり、抱き合ったりする5人。大成功!って叫んで、拍手をするその姿。


本当に、なんてものを見せてもらってしまったんだろうなと思いました。
ずっと一緒に努力をしてきた仲間が突然舞台に立てなくなり、でも絶対に公演はやり遂げなければならない。考えられる限りでも本当に過酷すぎる状況を、6人はただ、まっすぐに乗り越えていった。
そして、その努力をしっかりと導き、支えた茅野さんや松田さん。変化に対応するアンサンブルキャストの皆さんや、音響、照明スタッフの皆さん。
こんな想定外かつ深刻なアクシデントが超直前に起きてしまってもなお、お客さんから拍手喝采を受けるクオリティで上演を叶えられたのは、そのカンパニーが「刀ミュ」だったからに他ならないな、というように感じました。

象徴的だなと思ったのが、涼くんの出演方法について、松田さんと茅野さんが涼くんと3人だけで会って決めるというシーン。
松田さんは、部屋に入ってきた涼くんにソファーに座るように促しながらすぐに「大丈夫、カメラ最初だけだから。途中で出てもらうから」ってきっぱりと言います。
「最終的にはどうするか、俺たち3人で決めよう」って。
そんな風に、振る舞いに一切の迷いがなく、きっとその瞬間、一番苦しい思いをしているだろう本人に落ち着いて声をかけられるその人が、刀ミュのプロデューサーであること。
松田さんがネルケ代表取締役会長っていう肩書でありながら、ものすごく主体的に現場に関わっていることは情熱大陸で目の当たりにして、びっくりした点でもあったんだけど。アクシデントへの判断を下す立場として、ごく当たり前のように海外公演直前の現場にいられるその姿は、手がける作品に対して本心からの「愛と責任」を持っていないと、実現しないものなんじゃないかな、っていう風に思ったんです。
その在り方を見ていて、だから私達はこうして、安心して刀ミュに身を委ねて楽しんでいられるのだし、こんなふうに作品のことを大好きになってしまうんだろうなぁって、強く感じました。


今回の番組では、作り手側のスタッフさんの仕事ぶりの紹介についても時間が割かれていて、とても見応えがありました。もっと見たい!と思う場面ばかり。
「毎日タイミングが変わるんです」って言いながら殺陣の効果音を全て稽古場の段階から手作業でつけている音響スタッフさん。「体を使ったアクションは世界中にある中で、日本にしかないものとしてやっぱり色気を見せていきたい」と語る殺陣師さん。大掛かりな舞台セットがパリという異国の地で組み上がっていく様子を現地で見守る美術監督
そうして刀ミュに関わっている全ての人たちによる真剣な仕事があるからこそ、私達は感動できるのだし、心から楽しめているし、こうして密着映像として取り上げられた時にも、刀ミュが輝く作品たり得ているのだなと実感しました。

私が一人の舞台おたくとして、2.5次元というだけで好きな作品が低くとらえられることに悔しかったり、モヤモヤした思いを抱えていたのはほんの数年前の出来事です。
やはりどうしても「2.5次元」という単語は、ある意味レッテルのようにも機能してしまいがち。2.5次元であるというだけで、一定の線引きをされて、舞台作品としては真剣に扱ってもらえるチャンスが少ないように感じられることがありました。
だけど刀ミュは、そんな事態を一つ上に向かって打破したような気がしてて。2.5次元であり優れた舞台作品である、という実績を明確に打ち立てて見せたと思うし、ある意味では2.5次元というジャンルを、無視できないレベルの存在感までに押し上げてきたようにも思っています。
私は完璧にその世界の内側にいるファン層だから、冷静な見方ができない部分は当然あるんだけど、でも今回のシブヤノオトでの刀ミュの取り上げられ方を見て、真剣勝負で作り上げてきた時間や努力は、やっぱり裏切らないんだな、結果はついてくるんだなっていう風にも感じました。
2.5次元だから」ある種低く見られてしまうのではなくて、「2.5次元にしかできない」ことを追求し続けているその姿が、これからももっと広く、正当に評価されていけばいいなって、改めて思いました。



阿津賀志山異聞2018巴里は、私にとって本当に大好きで、この先もずっとずっと思い出に残り続ける作品です。
この夏の間に、苦しい瞬間も一杯あったけど、番組放送後のライブストリーミング配信、終始笑顔でふざけあってるみんなを見られて、本当に嬉しかった。
まじでずーっと笑顔だったもんなぁ…。過去の出来事ではあるとは言え、ほんの数ヶ月前の過酷な経験を振り返った直後であっても、ああして変わらない関係性の中できゃっきゃして笑ってるみんなが尊すぎて…見ててしあわせでした。ありがとうの気持ちが爆発した。

見る前までは、怖い怖いってそればかり言ってしまってたこの特別番組だったんですが、「阿津賀志山異聞2018巴里」っていう作品が、どういう歩みを経て作り上げられてきて、8月19日に東京で大千秋楽を迎えたのか、っていうことをつぶさに体感することができて、本当に本当に、よかったです。
つらすぎて、向き合う勇気がでなくって、言葉にずっとできなかったものがあったんだけど、今回の特集を通じて、改めてこの作品を観られてよかった、出会えてよかったって気持ちを抱くことができました。

シブヤノオトさん、素晴らしい番組を本当にありがとうございました。見そびれた人のために是非いつか再放送をお願いします!!!!というかもういっそのことライブストリーミング配信の中身も未公開シーンも全部セットにして円盤にして!売って!!!NHKだと売れないか!?どうですか!?だめですかね!!!?笑

はー、やっぱり、刀ミュが大好きだ!!!

「推し」っていったいなんだろう? ~とある若手俳優おたくが考える、推しの構成要素~

数年来の舞台おたくですが、本質的には私はやっぱり「若手俳優おたく」だな~と思うことが多い、あなぐまです。
タイトルどおりのことを、本当にここ数年、ず~っと自分の中で考え続けておりまして…。ツイッターをフォローくださっている方におかれては「こいつ、また言ってんな」って思われることかと思います。笑

いやほんと、「推し」って、いったいどんな存在を指すんだと思います…?
人によってその言葉の捉え方、意味することは様々なんだなぁと、日々ツイッターを眺めて思うわけなんですよ。言葉にもたせている意味の濃淡が、ほんとうに人によってバラバラなのが興味深い。
ここ数年、二次元/三次元を問わずに使える・実際に使っている人が多い印象の言葉です。それで言うと、そもそも応援してる対象を「推し」って呼ぶ文化、いつからここまで幅広いジャンルのおたくの中に定着したんだろうね…!?発祥は女子アイドル界隈なのかなと思ってるんですが、どうなんだろ?
そんな中で、私が「推し」という単語について掘り下げて考えたいと思う時に想定しているのは、「自分が彼のファンだなと自覚している若手俳優についてです。なので、今回はその内容に絞ってのお話をします!
このテーマ、まじで奥が深いなと思っていて…数年飽きずにひとり謎に追求し続けてるんだけど、一言でばしっと定義することは不可能に近いっぽい。なので、自分の中で「推し」について思いつく要素を、とにかく挙げていってみようと思います!
特に、オチとかはなさそう。ただの謎のぼやきになりそうな記事です。笑



というわけで、

Q.推しとはいったいなんなのか?
  • A.生きる希望で、
  • A.明日への活力。

…のっけから考えるつもりがなさすぎるのではないだろうか、という出だし。でもほんと、真っ先にこういう単語を思い浮かべてしまうんですよ。真顔で。
もうね~推しはまじで、生きる希望で明日への活力だなと感じます!そうとしか言いようがない。だって事実だから仕方ない!!!
日常生活って大変だな!仕事つれえ!もう無理だ!しんどい!!!…って思う時にも、乗り切る力を与えてくれる存在、それが推し。「あの舞台が待ってるからがんばろ」「イベントあるからがんばろ」そういうふうに、かなりダイレクトに力をくれる存在だなぁと思う。

どれくらい力をもらっているかというと、唐突なんですけど、私は今年の春~夏にかけて転職活動をしておりまして。その結果今は新しい会社で働いているんですけど、この転職活動のエネルギー源がまさに、推しだったのでした。
年明けすぐくらいの私は、とにかく元気がなかったのです。なんでかっていうと、仕事に関して自己肯定感が下がりまくっていたからでした。
当時の仕事、ざっくりいうとやりがいがなかった。入社後数年経つうちに仕事内容がつまらなく感じられるようになってきたうえ、収入もそんなによくなくて。いわゆる昇進・昇給の機会がほぼ無いことも分かり始めた時期でした。働くことがわりと好きな人間なので、その状態がすごく辛かったんですよね。めちゃくちゃ早く帰れることは利点の職場だったんだけど。
でもそんな中、私が観に行く推しは、いつもいっしょうけんめい、かつ楽しそうにお仕事をしていて、魅力的な姿をみせてくれる。なんか「社会に出て働く」という意味では同じ立場とも言えるひとりの社会人として、シンプルに眩しいというか、羨ましさがありました。
そして、その様子を見ていたら「私もまだ、もうちょっとがんばれるかもしれないな」ってマジで思えてきてしまい。嘘みたいだけどほんとに、頑張れそうな気がしてしまった。「仕事がつまんなくて収入にも納得いってないなら、余計に働く分、稼げばいいのではないか!?」って思うようになった。
その結果、いっちょやってやろうじゃねーか!となり、一念発起して転職活動始めたのです。大変だったけど仕事(および地獄のような阿津賀志山のチケット戦)と平行しながらなんとかがんばって、最終的にはうまいこと希望する条件を叶えて転職することができたのでした。
そうして入った今の職場は幸いにしてかなり働きやすく、いろんなことが以前に比べて充実した実感がものすごくあります。もし、推しを推してなかったら、あの時わたしも負けずにがんばろって思うこともなかったし、3月以降~夏までの間、あんな意味不明に爆発的なエネルギーは湧いてこなかった。そういう意味でも本当、心底ありがとうすぎる、推し。…いや、まじでありがとう!?!?(振り返ってみて、改めて感謝が爆発した)

  • A.見ているだけで笑顔になれる存在

推しを眺めていると、ほんとに勝手に、笑顔になります。別に本人が目の前にいなくても、画像でも映像でも全然オッケーです。
なんかめっちゃ良い風なことを言ってるけど。笑顔になれる、というと聞こえはいいけれど、要は単に「全力でニヤける」ということです。危ない人やんけ。なので、電車の中で、保存した推し画像をうかつに眺めたりしてはいけない。でもたまにやってしまう。にやけます。やめようぜ。
いやでもほんと、写真を見るだけで一瞬でハッピーになってしまえるのって、なかなかにすごいことなのでは!?と思うんですよ。いやだって、燃費が良すぎない!?写真見るだけで笑顔になれるなら、そんなん絶対、推しがいたほうが幸せじゃない!?って思う。どう考えても、それだけでめっちゃ生きやすくならない!?
というか、そんな風に見ず知らずの他人を画像だけで励ましてしまえるなんて、推しという存在価値の高さ、やばくないですか…?えぇ…?彼はなんて、尊いお仕事をしているんだろうか…???(考えていたら、今度は尊みが爆発した)

  • A.気づいたらお金を使ってしまう対象

ちょっと観点を変えて、自分の行動について考え、言語化してみたらこうなりました。気づいたらお金を、使ってしまう。いや~その一言に尽きるな。
個人で出すグッズや写真や、掲載されている雑誌。出演している舞台やイベントや舞台挨拶のチケット、出演作品の円盤、などなど。買わずにいられようか?いやいられない。基本、買う以外の選択肢がないのであった。買うor買う。絶対買うやん。
そうは言っても最近は、そもそも置く場所ももうないしな~と思って、グッズ系はちょっと控えたいなって思ってはいるんですけど。いるんですけど~!前述のとおり、見ていると笑顔になってしまうので~!!!…という理屈で、やっぱりいろんなものが増えていき、いろんなことにお金を使ってしまいます!!!
ただまぁ「気づいたら」って言ってばかりもいられないので、真面目に予算を考えて資金使途をきびしく把握しようかな、とも思い始めては、います。笑

  • A.優先順位のトップに勝手に躍り出てしまう存在

まじで、勝手に躍り出るよね。仮にもし、他の舞台のチケットを取っていたところに、推しの急な仕事が告知されたら、「えええ困る!!!!」って言いながらも、観劇予定だった元のチケットはきっとなんとかして別日と交換し、推しの急な仕事の現場に一目散に出かけていってしまうと思います。…っていうか、実際にそれをやっている私。
いや、ほんと仕方ないのだ。行けるなら行きたい。もっと言うと本来行けなくても行きたい、だからこそなんとか都合をやりくりしてしまう。それくらい優先順位の頂点にいつだって飛び込んでくる存在、それが推しです。
なので公演期間が長い舞台が決まったりすると、逆にその時期身動き取りやすい、みたいなところあります。「ここが初日なら、直前の2~3週間は稽古だろうから流石にイベントとかもないだろうな!よし、じゃあ何かあるならここにいれとこ!」的な思考回路です。笑
それくらい、なるべくスケジュールを空けていたいと思っちゃうんだよね…!優先度マックスだから、推しに照準を合わせていたさがすごくある。あまり気の乗らない予定で自分の休日を埋めていたくない。可能な限り、オープンにしていたい。何か決まったときに対応できるように、していたい…!
余談?ですが、わたしの周りのおたく友達にはそういう人が本当に多いので(いわゆる類友というやつだろうか)、飲みの約束をする時なんかも「もし推しに急に呼び出されたら全然そっち優先で~!リスケしようね~!」っていうのが前提になることが多いです。笑
なので数ヶ月先の予定調整をしようと試みるときも、「あっ待って…その時期多分、稽古まだ始まってなさそうだから、土日になにかしらある気がする…」「オッケー、じゃあ何もなければとりあえずそこで、何かあったらまた考えよ!」みたいな会話がなされることになります。みんな、いつもありがとう。笑

  • A.とりあえず、色々知りたい対象

なんでもかんでも知りたい、っていう欲求は正直あんまりないんですが、インタビューとかで知らなかった事実が明かされていると、めちゃくちゃテンション上がります。うぉ~そんなことを考えていたのか!とか、実はあの時裏ではそういうことがあっていたのね…!とか。知らなかった事実には激しく食いつきがち。そしてマイ推しペディアを脳内で充実させていこうとしがちです。トークショー的なイベントではいろんなエピソードが明かされることが多いし、まさに知っておきたい情報の宝庫ですよね。
私の場合ですが、たぶん「商品として提供される推し」についての情報はなるべく知りたいんだと思います。彼自身が自分に関して、外の世界に「商品」としてプレゼンしている内容については、可能な限り情報を拾っていたいです。反対にプライベートはあんまり知りたくないかな…そこは彼自身のために、ひろく知られない状態で、守っていてほしいな~。知り得る範囲の情報に余白がたくさんある、くらいのほうがどう考えても気が楽。
あ、でも小さい頃のエピソードとかは聞くの好きなので、なんだろうな、今現在、リアルタイムのプライベートは、知らなくっていいや!って感じなのかもしれないですね。

  • A.他人なのに勝手によく知ってる気がしてしまう人

上記から繋がる点なんですが、日常的にSNSに触れていたり、インタビューを沢山読んでいたり、イベントでの発言をしょっちゅう聞いていたりすると、だんだんと推しの考え方のクセみたいなものがわかってくる。その結果、圧倒的に他人なのに、なんだか勝手に「よく知っている人」のような感覚を抱きがち。…全然そんなことないのにね!
すごく遠いんだけとなんか妙に近い人、みたいな不思議なポジションにいる人になっていくのが推しだな、って思います。そして、ここの心理的距離感を誤らないことが、ファンを続けていく上では肝要なんだよな、とも思う。笑

  • A.健やかでいてくれと思う対象

まず、ご飯はちゃんと食べていてほしいという願望があります。急に痩せたりすると心配になるのでご飯はしっかり食べていてくれ。頼むぜ。稀に体調崩したりすると「働きすぎなんだよ~!」と青ざめる。そういう勝手な心配をつい抱いてしまうのも、推しならではかな…って思う。勝手なことはわかっているんだが、心配くらいはさせてくれ。的な。まぁ他にできることなどないので。元気でいてくれ!と願うだけ。
なんにせよ、心身ともに健やかであってくれるのが一番ありがたいなぁ、と思います。元気があればなんでもできる、っていうのは本当にそのとおりだなと思うんですが、それってつまり裏返すと「元気がないといろんなことがままならない」ってことだなと、身をもって思うので(私自身が、あんまり体丈夫じゃないほうな人)。フィジカルもメンタルも、ほんと健康第一。推しにこそ、ひたすら健やかであってほしいです。

  • A.(推しが)褒められると勝手に嬉しい存在

これほんと嬉しい。推しが「かっこいいよね」「かわいいよね」「スタイルいいよね」「演技うまいよね」「運動神経いいよね」「ダンス得意だよね」「歌がうまいよね」…等、ほんと~になんでもいいので褒められると、すごく嬉しい。「そうなんですよ~~!!!!!!!」ってなって全力でニコニコします。
あっそうなんですよわかってくださいます!?この子本当にステキな子なんです、魅力にあふれているんです、どうもありがとうございます!!!という、この感謝の気持ちは…いったいなんなんでしょうね!?笑
こういう感覚、親目線とよく言われたりもしますが、なんか違和感あるんですよね。笑 まぁ私は今のところ誰かを生んだ経験はないので…その感覚はようわからんし、正直ピンとはこない!笑
でもとりあえず「褒めてくれてありがとうございます」とは確かに思う。いや、お前は推しのなんなんだ。

  • A.心臓に悪い存在

なにかあるとすぐにびっくりするし、告知で目ん玉飛び出がち。昼休みにはいった直後、ぼけ~と眺めたツイッターのタイムラインにでかい告知があったりすると、動揺のあまり瞬間的に本当にものすごい顔をしてしまう。「情報解禁です」の続きを読む時の、ハラハラドキドキ感たるや。…あ~、あの独特の緊張感、想像するだけでちょっと疲れた。笑
なので推しとはたまに、心臓に悪い存在にもなるのでした。その存在にまつわる些細なことにも、好むと好まざるとにかかわらず、自然と一喜一憂してしまう、それこそが推しなのであった…!

  • A.なんだかんだ尊敬している対象

これも大事な要素かもしれないなぁ。
推しって、人として「きみはほんとうにすごいよ」って素直に思える存在でもある気がします。
あの時、表ではなにも言わなかったけど、実はそんな悔しさを抱えていたんだね、っていうのを後から知ったりすると、なんかもう、ただただ尊敬する。そんな風に真摯にお仕事に向き合っていて、まじで偉いなって思う。
そもそも、いろんな人のいろんな期待を背負って人前に立ち続ける、という仕事特有の困難さを思うと、それだけでもう言葉にならないほど「すげえ」って思うから、まずその時点でめちゃくちゃたくさん尊敬ポイントが積まれている感じ。
彼が携えている才能だったり、それを武器にして戦っていく姿だったり、ひたむきに努力する姿だったり、ステージでキラキラ輝くその様子…その色々をひっくるめて、いやぁ尊敬できるな…偉いな!!!!!と思って眺めています。

  • A.とりあえず「幸せになってくれ」と思っている人

結論はもう、これに尽きますね…。いやもう、幸せになってほしい。なってくれ!!!
お仕事を通じて、きみ自身の夢をバリバリ叶えていってくれ、毎日を楽しんでくれ、そして思う存分幸せな人生を歩んでくれよな!って思う。でも見てる感じ、多分私などがそう願わなくても楽しそうだし夢を叶える力がありまくる感じの推しなので、ほんとその調子で大成してくれたらいいな、って思っています。
健康を願うのと同じく、こちらから他にできることなどないのである。ただ、彼が望む姿を手に入れられたらいいな、夢が叶ったらいいな、と思って見ることはできるので、推しのことはほんとに応援しています。
その姿を見ながら、わたしも自分の人生をがんばりたいな、という気持ちです。



…私にとっての「推し」とは、どうやらこういう存在のようです!
うん、オチはほんとに、とくになかったですね!笑
こうして書いてみたら、たぶん割と、濃い意味で「推し」って言葉を使ってる方なのかな?とは思いました。あとなんか、全力で楽しそうなので、私よ良かったね…と(他人事のように)思った。
推しがいる毎日は、やっぱり心がきらきらします。かつて推し不在期間を経ているので余計そう思う。そう、推しという存在を持つということは、ある種ひとつのライフハックなのだ!!!
…という気持ちで、次の現場を楽しみにしていようと思います!

おしまい

私がミュージカル「刀剣乱舞」(刀ミュ)を愛してやまない理由 - 脚本について語ってみた

こんばんは、あなぐまです。
またしても唐突ですが、よくよく考えると、今まで「刀ミュが好きだ!!!」っていうテーマだけに絞って文章を書いたことがなかったな、とふと気が付きまして。
じゃあちょいと構成を考えてみよう、刀ミュが好きな理由を書き出してみよう…と書くに当たって試してみたところ、脚本に関してだけでものすごいボリュームになりそうなことが容易に察せられたので、とりあえずいったん「脚本編」として書いてみることにします!
私が舞台を観る上でおそらく一番重要視している要素、他でもなく「脚本」なんですよね。
なので、特に脚本に対して(時に過剰に)思い入れがちな人間の意見ではありますが、トライアルから観てきた上で、私なりに感じている刀ミュの魅力を語ってみたいと思います。

※話の中身に触れざるを得ないので、以降これまでに公演された作品についてのネタバレを含みます!!!※

◆1.歴史的事実や逸話に多く立脚するが、それを知らなくても楽しめる

まずひとつめは、なんといってもコレ!
刀ミュの脚本は、脚本を担当されている御笠ノさん自身が歴史好きである背景がたっぷりと反映されて、毎回いろんな歴史的事実・逸話がふんだんに織り込まれたものになっています。(いつだったか、御本人が「好きな歴史について存分に仕事でやらせてもらえる場にもなっていてありがたい」的なことをツイッターでつぶやいていらした。)
なので、毎回のように初日が開けると「まさか、マイナーなあの戦いに触れるなんて!」「あの年号が出てくるだけで痺れる!」「この逸話が使われるとは思ってなくて嬉しい…」といった、歴史好きの皆さんからの熱い感想がツイッター上に溢れているイメージがあります。
私の身の回りにも、かなりな歴史好きのフォロワーさんがいて、毎回刀ミュを見るたびに実際に上記のようなリアクションをされているのですが、その人が語る大半の内容を私は知らないので「へえぇ~~そうなんだ!?」と新鮮に思っているような状況。

そうなんです、私はほんと、お恥ずかしいくらいに、このブログでも過去に何度も触れてきているとおり、日本史の知識に超絶疎いんですよ…。
日本史、まじで苦手だったんだよねぇ。。いやぁ、同じ漢字の入った名前の人が沢山でてきて、比較的狭い範囲内でいろんなことが起こるので、さっぱり覚えられなくてね…(←注:世界史と対比しています。カタカナを覚える方が得意なタイプ、なので世界史を選択していました。)
最後に日本史として授業で勉強した知識が残ってるのって、高2のときにやった幕末くらいなんだよねぇ。他の時代も勿論やったけど興味がうすすぎてマジでほぼ何も覚えてなくて…とほほ。
大河ドラマも「新選組!」と「真田丸」だけ唯一真剣に見た…ってそれ、あきらかに脚本家につられとるやーん!って感じです。
こんな私は明らかに「歴史を知らない」層に該当するとは思います。

しかし。そんな具合に歴史に疎い私でも、刀ミュという作品を楽しむ上で、支障を感じたことは一度もありません。
確かに「わたしがもっと歴史に詳しければ、あの場面でより感動が深かったのかな、うーんちょっともったいないなぁ」という風に思うことはあるんだけれど、知識の無さがイコール「理解のできなさ」に繋がるところは、基本的には無いと思っています。歴史的背景に関する知識がなくても、描かれている思いや場面描写についてはきちんと理解ができるように、考え抜かれて構成されていると思う。
歴史的な知識を色々と盛り込む一方で、決して「わかる人にだけわかればいい」というような突き放し方をしないところが、歴史に疎い立場からするととても好きです。
反対に、歴史が好きな人達にとってはおそらく堪えられないほどに「よくぞここにスポットを当ててくださいました!」の諸々が詰まっている…という具合に、歴史好きにも熱く支持される作品作りがされているのではと思います。
こんなふうに、歴史への思い入れや知識の濃度がバラバラなお客さん、それぞれに対してきちんと届き得る作りになっているところが、本当に巧みな脚本だよなぁと毎度思わせられるんです。
知っている人はより楽しめて、知らない人はもっと知りたいと思うことができる、といいますか。
実際、私は「あの戦いって名前しかしらないけど、どういう内容だったんだろう?」といった風に気になることがあれば、観劇の後で調べてみるようにもしてるんだけれど、むしろ、そうやって「知らなかったことに興味をもたせる」ことができるほど、刀ミュの脚本は、ストーリーとして面白くて力のある存在なんだと言えるのではないかな、と感じています。

◆2.日常的に出会わない日本語がたくさん出てくる

これもまた、くぅ、痺れるな~!渋い!カッコイイ!と個人的に思うポイントなんですが。
私自身、歴史には詳しくない代わり(?)に、比較的、言葉に対する感度は高いほうと言えるかなぁと自分では思っていたんですが…刀ミュを見ていて「いやいや全然、甘いわ~!まだまだだな自分!!」と思うようになりました。
まじで知らない言葉が沢山出てくるよね。

下記、いずれも過去のブログですでに触れた内容になりますが、その例をいくつかあげてみます。

  • 幕末天狼傳「ひとひらの風」より
    • 天霧る(あまぎ-る)とも晴れやかな あなたの笑顔が弾けて

…あまぎる。聞いたことない単語すぎて、当時なんべん劇場で聞いても、まったく聞き取れなかったんですよね!えぇ清光、なんて歌ってるの~!?教えて!?ってなってた。推しのパートなのに意味が取れない単語があるという状況、気になりすぎてはげそうだった思い出です。笑

  • 天霧る
    • 雲、霧などがかかって、空が霞み渡る。空一面にどんよりと曇る。(精選版 日本国語大辞典
    • 雲霧などのために天が曇る。(広辞苑第七版)
  • 三百年の子守唄「瑠璃色の空」より
    • 君の名は竹帛(ちくはく)に垂る

「~にたる」って言ってることは分かるけど、ちくはく、って音がこれまた知らないので、全く聞き取れなくて。聞き取れた後も、ちくはくってなんぞや!?でした。この歌においては、君=徳川家康なので、意味を知って「うぅむなるほど…」すぎました。

  • 竹帛に垂る
    • 文字に書き残す。功名や手柄が書きのこせられて後世にまで伝わる。歴史にのこす。(精選版 日本国語大辞典
    • (竹帛は書物、転じて歴史)名を史上に留めて永く後世に伝える。歴史に残るような功績を立てる。功名を竹帛に垂る。(広辞苑第七版)
  • つはものどもがゆめのあと「散るは火の花」より
    • 朱殷(しゅあん)に染まった結末

音としてはっきり「しゅあん?しゅわん?」って聞き取れこそすれ、はて、その意味は。となり、これまた調べて「うぅむ」と唸った言葉です。

  • (「あん」は「殷」の、赤黒色の意の場合の漢音)黒みがかった赤。黒ずんだ朱色。赤黒色。(精選版 日本国語大辞典
  • (「殷」は黒ずんだ色)あかぐろい色。血の古くなった色。殷紅(あんこう)。(広辞苑第七版)

他に、意味がわかりつつ、その言葉の遣い方にやられる…好き…!ってなるパターンもあって。
わたし、つはものどもがゆめのあとで、頼朝のもとへ平泉から義経が馳せ参じるシーン、兄上に会わせてくだされ!お頼み申します!のところがすごく好きでして…。

頼朝「その者は、どのような風体か?」
家臣「見目麗しい若武者にございます。が、供の者が怪し気で、悪相の荒聖。すぐに大人しくさせますゆえ」

この「あくそうのあらひじり」っていう言葉遣い、最高だよね~!!?って、友達と二人でツボにはまり、観劇している当時、アホみたいに二人してテンションあがりまくった思い出があります。
人相が悪いことを悪相と言い、荒くれ坊主であることを荒聖と表すというそのセンス、なんかもう…その言語感覚に対して「これだから、日本語大好き~!!!」って感じに、文系の血が騒ぐっていうか、気持ちが昂ぶらざるを得ないんですよね…。
このあたりも、御笠ノさんのこだわりが詰まっているポイントなのかなぁと思います。同じことを表現するならば、「顔つきの悪い山伏」とかでも良いわけで。悪相の荒聖…なかなか出てこないのでは!?その言葉選びが好き!!!となってしまう。ハァハァ(興奮)

他には三百年の子守唄の「かざぐるま」の途中にある

幼子はまたたく間に初冠(ういこうぶり)

っていう歌詞。これもしばらくの間は聞き取れなかったんですが、何回か観劇を重ねるうちに「ういこうぶり」っていう単語だとわかった、その瞬間の気持ちよさといったらなかったです。そうか~!!?元服したことを言っていたのね!?となり。

  • 初冠(ういこうぶり)
    • 成年に達した男子が元服して初めて冠をつけること。ういかがふり。(広辞苑第七版)

こういう、日常的にはおよそ使われ得ない言語表現がたくさん詰まっているところも、刀ミュの作品ベースを一つ高く引き上げている原因になっているんじゃないかな、という風に思っているんです。

上記、1と2であげたポイントは、そのまま、刀ミュという作品が「お客さんを侮っていない」ことの現れだと思っていて。

「こんな難しい背景を組み込んだって、観に来るお客さんには若い子が沢山いるんだし、きっと伝わらないよ。もっとわかりやすくしよう」
「意味が多少薄くなっても、キャラクターが舞台に上がってキラキラしてりゃ、お客さんは十分満足するでしょ」

もし仮に、刀ミュがこういう感覚のもとに作られていたとしたら、今とは全く異なった作品になっているだろうことが、容易に想像がつきます。
むしろ、作り手の意識としてはその反対で。御笠ノさんがインタビューやツイッターで「こちらが思っているよりもお客さんは作品を理解してくれる。むしろお客さんの方が作品をわかってくれていると感じることの方が多い」といった趣旨のことを何回も言ってくださってるのですが、そういうポリシーで作品を作ってくださってること、ひとりの観客として、本当に心の底からありがたいなぁ…と思っています。

2.5次元というジャンル、数年前に比べれば断然知名度は上がってきたとはいえ、恐らく界隈の外から見たらまだまだ「低く」見られてしまうところがあると思うんです。
やはりビジュアルの再現度の高さは、2.5次元作品を成立させる上で避けては通れない大事な要素ではあるため、どうしてもそちらのイメージに引っ張られがちですよね。見た目がキャラクターそっくりなイケメンたちが沢山でてくるキラキラした「だけの」舞台、というように思われがちなところ、正直まだ沢山あると思うし、説明する側としても、訴求しやすいポイントではあるから、特徴の一つとしてビジュアル面を挙げてしまうことが多いようにも思う。
刀ミュに関して言うと、キャラクタービジュアルのクオリティの高さは、正直2.5次元作品の中でも群を抜いているというか、突き抜けて素晴らしいと思っているので、勿論そこは譲れない作品の魅力の一つでは当然あるわけなんですが…じゃあ、それだけがあれば満足なの?と言われたら、やっぱり見る側としては「NO!」と言いたいわけなんですよね。
私達には、2.5次元である前に、ちゃんとひとつの「舞台」として、その作品を楽しみたいという欲求がある。
それを余すことなく叶えてくれる、易きに流れない、おもねらないで観客を信頼してくれる刀ミュの脚本作りが、私はほんっとうに大好きです!
むしろ、知らないこと、気になることがあったら、自分でも調べてみようと思わせてくれる、知的好奇心を駆り立てられるひとつの機会すら、刀ミュは提供してくれているなぁと感じます!

…中盤ですでに熱く語ってしまいましたが、続きに参ります!

◆3.過去作とのつながりを大事にしてくれる

これがあるからこそ、やはりシリーズとしてファンになってしまうんだよなぁ~!!!と思うんです。
例えば、二作目である幕末天狼傳では、第一部隊の隊長の任を解かれたことを伝えられ、最初は動揺していた清光が、主から「蜂須賀を支えてあげてほしいのです」と言われ、
阿津賀志山の戦いでみんなと得たもの、生かしてみせるよ!」
と言ってみせるシーンがあります。
このひとことが、当時、まさに聞きたかったやつすぎて。阿津賀志山異聞を経た存在として、いま幕末天狼傳という世界の中に、改めて清光が立っている…ということが明確にわかるセリフが、とても嬉しかったんです。team三条with加州清光という、刀ミュの始まり方をきちんと踏襲してくれたことを感じて、初回観劇の時にいたく感動したものでした。

そしてシリーズを構成する作品の数が増えていけば行くほど、その要素は当然強くなっていきます。
「つはものどもがゆめのあと」では、阿津賀志山異聞で岩融が歌っていた「名残月」を今剣が歌ってみせたり、阿津賀志山の戦いを経たいまの俺たちに、越えられぬものなどない!といったセリフをはっきりと岩融が言ったりするなど、明確に話が続いていることを実感させられる描写が多く出てきます。

「結びの響、始まりの音」では、もう繋がっている…などと言ってはいられないくらいに、幕末天狼傳と地続きの世界であることがわかる要素が、沢山散りばめられていて。
例えば、沖田くんを救いたいあまりに、幕末天狼傳では暴走一歩手前のところまで追い詰められていた安定。彼は「結びの響、始まりの音」の世界では、元の主が死んでしまったことに対して、胸にぽっかり穴が空いたような感覚になる、今でもその穴は埋まらない…と、ごく冷静な視点を持って、自分の思いを客観的に語れるまでに成長した姿を見せます。
土方さんを始めとする新選組の面子とのかっぽれのシーンは、幕末天狼傳を愛してやまない私にとっては、もうなんと表現していいかわからないやつでした…。きっと心の内で、元の主たちとの記憶を懐かしむように、本丸で宴をやっていたのだろう新選組の刀たちが、今度は実際に元の主と一緒にかっぽれを踊ることになる…というその流れに、言葉にならない感情が溢れ、見ていてぎゃんぎゃん泣いてしまいました。

この夏の「阿津賀志山異聞2018巴里」では、石切丸が清光に対して「似顔絵を描こうと思ってね」と言い、ニコニコしながら帳面を取り出します。それは「三百年の子守唄」で、此度の出陣で何があったかを書き残しておこうと思うんだ、それには挿絵があった方が読みやすいだろうと思ってね、と穏やかに語っていた、石切丸の姿をなぞるものでした。

他にも、過去作と同じセリフがさりげなく発せられたりするなど、数えればきりがないほどに、作品同士の繋がりを体感する場面は沢山あると思うんですが。
あくまでもひとつのシリーズとして、刀ミュという世界、本丸のことをまるごと大切に描こうとしてくれるからこそ、見る側がこうして追いかけて、長く楽しめているんだなぁと感じます。
新作を見る中で、大好きだった作品の息吹をまた感じることができたり、過去作の世界を踏まえた上で成長した刀剣男士に再会したりできる喜びは、やはりシリーズとして確固たる世界観が構築されていてこそだなと。
しかし歴史の知識の話とおんなじで、過去作を観ていなければ楽しめない、ということも全く無くて、その点でもとにかくバランスに優れているんだなと感じます。

◆4.出てくる六振りそれぞれにきちんとスポットがあたる

その他に、刀ミュの脚本に関しては、優れた「群像劇」としての一面もあるなと思うんです。
毎回、刀ミュの本公演に出陣する刀は、ゲーム編成どおりの六振りに限定されていますが、六人というその少ない人数だからこそ、きちんと一人ひとりのことが丁寧に描かれているのかな、という風に感じます。
もちろん、どの作品にもそれぞれ、話の中心軸となる男士は出てくるわけですが、そうじゃない子達のことがおざなりにされるかというと、全くそんなことはなくって。

例えば幕末天狼傳では、元の主である沖田くんのことを強く追い求めてしまう安定と、贋作と真作との間でわかりあえずにいる虎徹兄弟、計3人が主に話のメインでした。しかしそれ以外の3人にもそれぞれ、どんな思いでその場に居るのかがきちんと語られているなと感じるシーンが沢山あって。
同じく沖田くんの持ち刀だった清光は、直接自分の思いをセリフで吐露するシーンこそないけれど、「選ばれぬ者」の中で
「今でも思い出す 今でも忘れられない あの人の血の迸る熱 こんな思いは俺だけで十分だ」
とはっきりと歌う。
兼さんと堀川くんは、ぶつかってしまう虎徹兄弟を見守りながら、時に助け舟を出したり、背中を押したり、本丸の仲間として傍でできるサポートをさりげなくやってあげていました。そしてその二人の間には、土方歳三という元の主を介した、唯一無二の強固な結びつきが存在していることも、とても丁寧に描写されます。天狼星を見上げた二人による、差し向かう心は清き水鏡…のラストシーン。最後に「ううん、なんでも」って兼さんに向かって笑み零す堀川くんの晴れやかな表情に、何度泣かされたことだろう。

つはものどもがゆめのあとでは、どの刀剣男士に感情移入するかで、同じ作品であっても、きっと全く違う世界が見えていたんじゃないかなぁと思います。
主や他の男士に黙ったまま、ある意味では行き過ぎたとも取れる単独行動をする中で、移りゆく時の流れの中に生きる「友」にひとり心を寄せる三日月宗近
主の命にひたすらに真っ直ぐであろうとするあまり、誰よりも親しい仲間であるはずの三日月のことを理解できなくなって苦しむ小狐丸。
おっとりとしていてマイペースであるばかりのように見えて、その実穏やかかつ冷静に、三日月のことを見守っている髭切。
兄に翻弄されながら、武士の刀たる所以の勇ましさや強さを、顕現したての身であっても存分に発揮しようと意気込む一方、主からの密命の中身に触れて、今剣をそっと思いやる膝丸。
あの頃の僕とは違うと言い、実のところ阿津賀志山異聞からは明らかに成長した姿で、再び愛してやまない義経に出会うことになるも、今度は自身の「存在」について、過酷な疑問を突きつけられることになった今剣。
いち早く自身と今剣が歴史的に存在しなかったことに気が付き、その事実からどう今剣の心を守りぬくか、優しさ故に迷い、苦悩を続ける岩融
つはものは、恐らく刀ミュの中では今までで一番、構成としては複雑だったと思うのですが、話の軸になっていた三日月だけでなく、上記のとおり六振りそれぞれに、全く違う物語がありました。しかしそのひとつひとつがばらけることなく、最終的には丁寧に重なりあって、つはものどもがゆめのあと、という重厚な作品を形作っていたと思います。
私はその中でもとにかく三日月に感情移入しまくってつはものを観ていて、三日月推しの観点から本当に大好きな作品になったのですが、今剣と岩融の主従ペアが好きな人も、源氏兄弟の二振りが好きな人も、三条太刀としての組み合わせが好きな人も、みんなそれぞれが深く感じ入って楽しむことができる作品だったと、間違いなく言えるのではないかな、と思っています。

上記のとおり、作品を観に行くにあたって、どの男士に思い入れるかというのは、それこそお客さんによって当然バラバラだと思うんです。
私がいつも刀ミュを見ていてすごいなあと思うのは、そんな風にお目当ての刀がバラバラなお客さんたちが集まっているのに、それぞれがいろんな方向できちんと作品に満足して帰ってこられるというところです。
あれだけキャラクター数の多い原作ゲームだから、ものすごく人気のある刀剣男士となると、やっぱり上位層は固定メンツになっているところは当然正直あると思います。だけれど、その一般的な人気の多寡には特に左右されることなく、刀ミュという作品の中においては、どの男士も丁寧かつ平等に、時間を割かれて描きぬかれているなぁと感じます。
単に話を構成するための要素・道具として登場させられている、といった扱いの刀剣男士は、ひとりとしていないんです。
だからこそ、出陣している六振りの中に仮に推し刀がいるのなら、見に行けば絶対楽しめるんじゃないかな、という風に思います。
彼らは全員がちゃんと、物語の中において、存在意義をもち、自分だけの役割を担わされている。
推しにそうして丁寧にスポットが当てられている作品に出会えるのって、原作キャラクターが好きな人にとってはものすごく幸せなことですよね…!

ひとまず「刀ミュの脚本」がいかに好きか!ということを、全力で言葉にしてみました。
しかし読み返してみたところ、どうしても幕末天狼傳への言及が多くなっていることには笑いました。さすがは幕末天狼傳ロスおばけの私!
そして言うまでもく、勿論脚本以外の要素も含めて!刀ミュが!大好きです!!!演出も衣装も美術も音楽も振り付けも、もちろんキャストの皆さんも。
その中でも特に、私にとって一番クリティカルにヒットした要素である「脚本」について、まずは書いてみた次第です。


新作公演が1本のみだった2018年、らぶフェスの千秋楽ではいったいどんな発表が待ち受けているのか、今からすでに楽しみ半分恐怖半分、って感じです。笑 あの楽サプライズには毎度具合が悪くなるよね!
刀ミュ、シリーズとしてはもしかして今年でひとつの区切りを迎えるかな、とはずっと思っていたんですが、どうやら来年以降にも、現メンバーが引き続き出陣する未来は有り得そうで、ちょっとますます読めないなと思っています。今後がどんな展開になっていくのか、今はまだ全くわかりませんが、刀ミュが現在の制作布陣で続いていく限りは、やっぱり追いかけてしまうんだろうなぁ、と思っている次第です。
だって、ここまでシリーズとして好きだなって思える作品に出会えることって、この先そうそうないと思うもの…!
好きなものを追いかけられるというのは、それだけでもう、ものすごく幸せなことです。作品が上演されるタイミングが、自分が追いかけられるタイミングと重なる時点で、ある種の奇跡だと思わないといけないんだと、数年の舞台おたく生活でもう私は嫌というほど学んできているのだった。

これからも、変わらずにみんなに愛される刀ミュの世界に、引き続き出会うことができますようにー!

おしまい

「ずっと」は、いつか変わってく

全く脈絡無いのですが、いつもだいたい1万字くらいのあほみたいなボリュームの記事ばかりあげているので、たまには趣味周辺の全然違うことも書いてみようかな、と思いました。
タイトルどおりの内容です。

時間が経つと、自分の好みや嗜好性が変質していくことは往々にしてあると思う。
わたしはわりと、一度好きになると長い間同じものをしつこく好きで居続ける傾向が強いといえば強いのですが、そうはいっても時間が経つ中で、自分でも気づかないうちに、徐々に感じ方が変わっていくことはあります。

もうまじでだいぶ時間が経ち、ニュートラルな気持ちになったな、と思うのでちょっと書いてみようと思ったのですが、

わたしは過去に、応援していた俳優さんからのいわゆる「降り」を経験したことがあります。

…っていうとなんだかめちゃくちゃ仰々しいけど、いやいや、単に自分がファンでいるのをやめたというだけの話です。
そう、文章で表すとたったそれだけのことなんだけど、自分の中でそれにまつわる様々な気持ちを処理して、自然と落ち着くところまでもっていくのに、なんと1年半ちかくかかったんですよ!文章にできそうかな、という状況になるまではそこからさらに半年。
わたしの元の性格が割とまじめなことが災いしたのだろうと思いつつ、ここまで引きずるとは思ってなかったので、自分でもかなりびっくりしました。
いや、それ以上に、自分が彼のファンでいることをやめた事実に、降りた当時何より一番びっくりしました。いやそんな他人事みたいに。他でもない、自分のことなのに!
なんというかある意味青天の霹靂すぎて、自分のことが信じられなくなり、まじでしばらくの間、呪いのように元気が出ませんでした。それは2016年の秋の出来事だった。
…2016年といえば、わたしはその頃、幕末天狼傳に命をかけて通っていたわけで。新しく出会った「好き」に魂撃ち抜かれ、心血注ぐ勢いで刀ミュに向き合っていたのですが、それと同時にふとした瞬間「私、なんで気づいたら彼のファンじゃなくなってるんだろ?」という謎の自問自答に揺さぶられるという、それはそれはしんどい秋を過ごしたものでした。
それからちょうど2年たった今、いい具合に時間が解決してくれたことも多くって、文章にしようと試みている次第です。


彼のファンでいる頃の私は当たり前のように、観劇の理由の最優先に「その俳優さんが出ている演目である」ことを置いていて、むしろ観劇するにあたってそれ以外の動機を探すほうが難しいくらいでした。作品を観に行きたいからではなく、彼を見るためにチケットを取っていた。
そう、今でこそ2.5次元の人気演目には、作品に対してのファンがたくさんついているけど、2013年~2014年頃はまだまだ「好きなキャストが出ている演目が、たまたま2.5次元だから観に行っている」っていう観客の方が、圧倒的に多かったと体感として思います。
いや勿論、私自身今だってキャスト目当てで作品を観に行くことは当たり前にあるし、そういうお客さんは当然変わらずに沢山いることも理解してるんだけど、「劇場に来ているお客さん全体に占める俳優ファンの比率が、今と数年前とじゃけっこう違う気がする」といったらいいでしょうか。
現場にいて、明らかに若手俳優のおたくが観客の大半だなぁと感じることが、今よりも多かったんですよね。そもそも舞台を観に来る人の絶対数が全然少なかったはずだと思われます。
今は当時に比べると、「俳優さんのことはわからないけど、舞台はあまり見ないけど、この作品が観たいから来た」というお客さんの数が、めちゃくちゃ増えてると感じます。まじで。
個人的に、刀ミュとハイステが始まった2015年の秋~冬あたりが、2.5次元がひとつのジャンルとして認知度を高め、一気に新規層を獲得した潮目だったと思っています。
それ以前は、今でいう刀ミュ・刀ステ・あんステのような、界隈を席巻するほどの熱い盛り上がりを見せる演目って、そこまで見当たらなかったのではないかなぁ。
盛り上がりという意味ではそれこそドルステがすごかったよね、とかそういう話になってくる。


…若干話がそれましたが。私が元々好きだった俳優さんを推していたのは、そういう時期、テニミュでいうと2ndシーズンの終盤+終わってしばらくくらいの期間。いろんなことが「前夜」という感じだった期間でした。
具体的な長さとしては、2013年の春から、2016年の夏にかけての3年半弱。
その当時、けっこうな熱量を持ってファンをやっていたような気がします。
基本的に、彼を応援すること、特に彼を通して出会った舞台作品を見ることが、純粋にすごく楽しかったです。
私がファンになったのは彼がテニミュを卒業した後だったのですが、その時期の彼は若手俳優の中では珍しく、むしろ2.5演目に出ることの方が少なくて、かなり渋めの演目に出ていました。そしてそれがまたことごとく、贔屓目なしに作品として面白かったんですよね。今でも好きだな、観たいな、と思えるものばかりです。
その点に関しては、なかなか自分からは足を踏み入れない世界で新しく良質な刺激に出会えたという点で、本当に恵まれていたし、良い観劇経験をさせてもらったなぁと思っています。
若手俳優を語る上では避けて通れない、いわゆる接触の機会については、正直あまりイベント事の運営が得意な事務所ではなかったので、「回数はそこそこあるけど、なんだかなぁ、うん…」みたいに思うことが基本だった印象ですが、事務所のあれやこれやについてはぽろぽろ文句を言いつつも、バスツアーとかファンイベントとかに参加して、普通に楽しんでました。
写真集が出たりもしたなぁ。リリイベいったなぁ。最近もっぱら独壇場かというレベルにHMV渋谷での開催が多いけど、あの頃は新宿サブナード福家書店が一番多かったような気がするなぁ。


で、ここからが本題ですが。
私はこの調子で文章を書くのが種類を問わず大好きなので、その俳優さんに、いわゆるファンレターをマメに書いてたんですよね。
書き始めたきっかけは「応援していてがんばってほしい、楽しい時間をくれてありがとう!という気持ちを伝えるのに、他にできることがない…」と感じたからでした。
初めて観に行った舞台のたぶん2回目の観劇で、すでに手紙を書いたような記憶があります。一度書くともうそこからは習慣のようになって、ほんとよう書いたな。という量を3年半弱で出したと思う。
彼のファンになったばかりの時期、つまりはわたしが舞台おたく・若手俳優おたくとしてデビューしたてだった頃に、友人から「手紙は自己満、プレゼントはお供え物と思え!」っていうありがたい教えを授けられ(←言った本人は忘れてそうだけど笑)、じゃあ自己満なんだとしてもせめて、なるべく元気が出て仕事がんばろうと思えそうなことを書くようにしよう!と張り切っていました。その数年、私が手紙を書く上でのキーワードは「滅私奉公」で笑、自分の都合は置いといて彼のためになる手紙を書きたいなとマジで思っていました。


そしてね、その数々のファンレターの中で私、たぶん
「ずっと応援してます!」って、何度となく書いてたはずなんですよね。


…なんだけどな~!

全然、ずっとじゃねぇじゃねえか!!!!!!

って今となっては思うので、その点については、やっぱり申し訳ない気持ちになったりするんですよね。最近はもう、さすがにそれも薄れましたが。


いや~、でもね、まじでね、「ずっと」ファンだと思ってたんだよ。その時は。
でも、なんと「ずっと」じゃなかったんだよ。驚くよね~。
私もそんな風に思う日が来るなんて、当時はこれっぽっちも思っちゃいなかったんだ。


嫌いになったわけじゃないんだけど、もう前のようには好きじゃない、っていうその事実の残酷さを思うけど、ゆうても本質的にはファンって勝手な生き物なんですよね。
だって、勝手に好きになって勝手に離れていくんだから。…というのは、飲みの場で出会ったとある人の言葉なんですが、これを聞いた時「いや、まじでそうやな」と思いました。

でも一方で、その時に掛け値なく「ずっと応援してる」って思ってたから、それはそれでいいんだろうな、とも思います。
その当時、ずっと応援してる、好きなんだ!と思ってたんなら、それが私にとっての事実だったのだと。本音をセーブする必要があるはずもないので。
私がそうして、せめてその時に応援してたなにがしかが、1ミリでも彼の役に立ってたらいいんだけどなぁ。と思うんだけれど、実際のところどうだったかがわかる日などは、永遠に来ないのでありました。


こういう経験があったので、私はこの先誰かに対して「ずっと応援してます」って言葉は、もう使わないかな、と思うようになりました。

「ずっと」は、いつか変わってくのだって、身をもって図らずも体感してしまったから。
誰かを応援する自分の気持ちすら当てにならないんだと、思い知ってしまいました。
本当に、絶対、なんてないんだよなぁ。
だけど長年同じ人のファンを実際に続けている人は沢山いるんだよね。まじですげーなぁと思っています。だって、私にはそれはできなかったから。


応援するって、自分がそうしたいと思うからすることであって、好きになったことに義務は生じない。
だから、誰かのファンをやっていくなら、
「ずっと、じゃないかもしれないけど、でも今この瞬間、すごく応援してるぜ!好きなんだぜ!!!」
…くらいの感覚が、一番ちょうどいいのかもしれないな。と最近では思っています。
未来の約束はできないし、保険をかけることもできない。
誰かのファンでいるならば、推すならば、できることはやっぱり「今、ここにいること」だけなんだなぁ、と感じる毎日なのでした。

トータルとして、結論、今は今しかないから、悔いのない観劇ライフ&推し活をしていきたいものですね!!!…という具合にどんどん、刹那的になってしまわざるを得ないのですが、でも心からそう思うし、先のことなんて色んな意味でわかんないんだから、他にできることなんてマジでないんだよね。
後から振り返ったときに「悔いがなかった」と思えるのがきっと一番ハッピーなんだろうな。
彼を応援していた期間については、今考えてもとくにこれといって悔いは残らなかったので、そういう意味では良かったのかもしれないな、と思います。

このあたりの話、書いてみてちょっとスッキリしました。ちょっと振り返り欲が生まれたので、そのへんを消化したかった感じです。
なんというか、自分がどんどん古い存在になってってるのを最近すごく感じるんですよ。
日常的に目にする若手俳優の名前、知らない子がどんどん増えていっている。一方私はといえば、いつまでたってもテニミュ2ndシーズンをやっていたころからどこか頭が抜け出せないままでいる、だけどそんなテニミュも気づいたらもう3rdも終わりに近づいていて…ということに、愕然としたりもして。
いやこりゃほんと時間経っとるわ~と焦り、ちょっと自分の観劇ライフの前半を振り返って、今書けることを書いてみようかな、と思った末に生まれた文章でした。

なんかよくわからないものを読ませてしまってすみません。笑 おつきあいありがとうございました!

おしまい

刀ミュ 阿津賀志山異聞2018巴里 今更ながら振り返りの感想(二部パート)

いったいどれだけ寝かせておけば気が済むの!?という感じだったのですが。
…あつかしぱりの振り返りを!やるぞォーー!!!!!涙 という決心をしました。
その公演に向き合っていた気持ちの時にしか書けない文章というものが、やっぱりあるなとは常々思うんです。千秋楽は8/19なので、言うまでもなくもう書くにはとっくに遅いんだけど、それでも一度、振り返る何かを残しておきたい一心で書き始めています。

とりあえず、テンション高く行けそうな二部から着手してみることにしました!
そして「短く・簡潔に・面白く」みたいな機能、わたしが文章を書く上では一切ついていないので、ただただ気持ちの赴くままに叩きつける、行き着く先の見えない文章になります!つまり長いしそんなに面白くないよ!!!(という言い訳)

今回の楽曲リスト、千秋楽の数日後には公開されていたんですよね。「えっもう発表されるの!?早い!」って思ったんだけど、公開のタイミングが早かったわけではなく、阿津賀志巴里が17日間・25公演という、刀ミュの公演としては比較的短期間に上演されたため、そういう風に感じたのかもしれない…。改めて公演カレンダー見て「少なっ!!!」ってなったもの。本当に、なんて一瞬で終わってしまった夏だったんだろうか…。
STAGE INFORMATION | ミュージカル『刀剣乱舞』公式ホームページ
そしてこのリンクをとって来ようと刀ミュ公式サイトのトップへと飛んだら、とうの昔に桜の舞わなくなったその光景にまた心が痛みを訴えた…!涙

以下、曲ごとに感想振り返り、いってみようと思います!

今回、そもそもオープニングが幻想即興曲から始まるのがマジで最高すぎました。
巴里!!!パリ!!??いやそんな、のっけからいきなりParis!!!???ってなって、初回観劇したとき、びっくりして息をのみました。
いや、ショパン、そうかなるほどね!?となりつつ、刀ミュの演出において既存の有名な曲をもってくるというのがめちゃくちゃ意外だったのですよ…!いやでも、粋なことしますよねぇぇ!!!
幻想即興曲、実は個人的にものすごく好きな曲でして。大学4年生の時に出た人生最後のピアノの発表会で演奏したという、とっても思い出深い一曲なのでした。私にとっては過去最高難易度で4ヶ月以上は練習が必要だったので、弾けた時は嬉しかったなー!
っていう、ごく個人的な感傷を挟みましたが、とにかく幻想即興曲のあのアレンジ、本当にかっこよかった~~!!!という話でした。
パリのお客さんにもきっと馴染みがありまくるだろう一曲、現地での公演当日はどんなリアクションだったのかな?って想像したりもしました。
高い音域まで一気に駆け上っていったピアノの旋律が煌めきながら降りてくるあのフレーズに合わせて、男士ひとりひとりにスポットライトがパッ!っとリズミカルに切り替わって当たっていく演出、最強にかっこよかったです。

そしてそのメロディが鐘の音に徐々にバトンタッチされてゆき、そこから始まるイントロは、

◆Lost The Memory

こっれもさぁ~~~!!!ほんっっと、かっこよかったよね~~!!!!!!!!(※語彙を失うのが早すぎる。)
出だしでバシッと勇ましく刻まれるリズム、そして最後は急に転がっていくような16分音符で終わるイントロ、その諸々に合わせてペンライトを振るのが…もうね、心底楽しかった…。うぅ、思い出しながら書くことになるから、早速もうロスい、しんどい。
歌い出しは清光からでしたね。「時を告げる鐘は孤独を分かつ子午線」っていう最後の「子午線」は、そういやようやくディレイ配信で聞き取れました。今回、観た回数の割にまじで歌詞が頭にはいってこなくて。視界に夢中すぎた。
「癒えない傷の意味」とか「繰り返す輪廻に似たその」とか、断片的なフレーズだけが頭にこびりついている感じで、曲の全体を構成することがまったくできません。笑
Lost The Memoryに関してはとにかく「その記憶 解き明かせたら」の、「記憶」にあわせてこめかみを指差すあの瞬間が好きでした!
あとCメロからのサビにつながるパートがものすごくたまらないやつで…Cメロで、自分のソロを歌い終えた清光が両腕を広げながらくるっと華麗にターンをして、片膝立ちで客席に背を向け、階段上の三日月を見上げる形で座るんですけども、そうして見上げられている三日月はというと、「祈りよりも強くただ」のところでぐっと清光に向かって手を差し伸べるんですよね。途中からそのタイミングにあわせて、清光も立ち上がって手を差し伸べ返すようになってて、なぜか唐突に差し向かう二振りだった。
このねぇ、青と赤の二人が並んだときの「双璧」感が、もうほんっっっとうに、好きなんですよね。。。揺らがない刀ミュの二枚看板だよね。もはや視界が華美って感じでした。魅力のベクトルがまったく違う方向だからこその「双璧」なのかな…。と彼らを見るたびに思う。文句なしに最高。。それが見られない今年のらぶフェスはやっぱり切ないですね…まさか、清光がいないなんて思いもしなかった。(しかしそのかわり流司くんに決まっていたとてつもなく大きなお仕事は、全力で応援しています!チケット未確保だけどな!!!)

曲の方向性は、むすはじの一曲目「Secret Sign」にちょっとばかし近いのかな?と感じたりもしました。
ラブソング要素が薄いというか。いや「もう離さない」等の歌詞もあるからジャンルとしてはふつうにラブソング?だとは思うんですけども。(なにと比較してるかというとCan you guess what?と比べていました笑)
切なげに甘くハードボイルドって感じです。うあ~~、好き。

◆In My Light

なぜか刀ミュのライブ曲は毎公演2曲めにハマりがちなわたしですが、阿津賀志巴里もこの曲がいちばん好き~~~~;;!!!だって、とてつもなくエモいよ~~~歌詞もメロディーも!!!エモいと言ってしまうと思考停止な感じがするからちゃんと言語化もしたいんだけれども!!!!!
メロディーが個人的泣きメロに認定されるラインに属しておりまして…!Bメロ→サビにかけての流れが最高だ!!!
そしてサビのラストの「照らせIn My Light!」という歌詞の、力強さたるや。
なんだかとってもteam三条with加州清光っぽい楽曲だなぁと感じたんですよね。
刀ミュという世界を引っ張ってきた彼ららしい印象を受けるというか。
苦しいこと、つらいこともどうしたって色々あるけれど、それでも自分たちの力で前を向いて、未来を切り拓いて行こうという、眩しくてまっすぐな意思を感じるような一曲でした。それこそまさに「刀ミュ」らしいなとも思いました。
その世界観が、トライアルから2年半後の成長した姿を見せてくれる、今の彼ら自身にダブったりもして。

そして何より、この曲とにかく振り付けが、容赦なくかっこいい。かっこいい寄りに思い切り舵を切った感じのスタイリッシュなダンス、しかしそこに本山さんらしいチャーミングさも当然プラスされているという…もうそのさじ加減が絶妙で、ただひたっすらに大好きなやつでした。
「消せない光がここにあって」の「ここ」で自分の足元を力強く指差す三日月がちょーーかっこよかったな…。まさしく自ら光り輝くというその様子を端的に表わしていたな…。
そしてそのサビの続き、「立ちつくす日だって」の歌い出しで、後ろ脚に体重をかけてくいっと一拍だけ、後ろに傾ぐ感じの清光が、また超絶好きなやつで。あーーーこういう動き、これが私がみたい加州清光ーー!!!ってなっていました。

ここで唐突に三日月について書きます。(ほんと唐突だな)
わたしこの曲で第二形態になった三日月がめっちゃくちゃ好きでして!!!…え、だってほんと、あほみたいにかっこよくない!?あの人、ただのかっこよさの権化だったよね!!!??笑
衣装の色使いがまさに「巴里」になってたのがまた好きだったんですよね。確かに三日月は一部衣装の時点でトリコロールの3色が元々ばっちり揃ってるんだもんな~。そりゃ、色使いで巴里出陣背負っちゃうよね~!?って思いながらみてた。笑 体の前、左側に垂らされた赤い細いベルトがアクセントになってて可愛かったんです!
細身で長袖のナポレオンジャケットに黒い手袋は、あまりにも似合いすぎてて反則でした。ウエストにかけてのラインもギリギリまで絞ってある感じで、そこに合わせた白いミディブーツ、スタイルの良さが暴力的に引き立っていた…。ボトムの色も一部衣装とおんなじグレーのグラデーションになってるんだよねー!!そんなかっこよすぎる衣装で、あの意味のわからない程に美しいお顔で、誰よりもおじいちゃんなはずの天下五剣が元気いっぱいにシャキシャキ踊ってるその様子、見慣れたけど見慣れないよ…笑!!!
とにかく「手脚なっげぇ!体うっす!!!」ってなる衣装だった。いやー似合ってた似合ってた。その格好でかっこいい振り付けを踊り倒すものだから、今回ほんと、最っ高~~~!!!でした。
つはものの衣装も素敵だったけど、つはものはやっぱり源氏兄弟をメインに据えてのデザインだったようなので、源氏兄弟=回転多め→ドレープ多用のゆったりしたシルエットだったんですよね!なので体そのものの動きというより、裾や袖が翻る残像込みで計算されたデザインだったというか。今回はそれとは対照的で、シャープかつ現代的なイメージを受ける衣装で、今回の公演曲のトーンにもすごく合っていたように思います。
この間、装苑の刀ミュ衣装デザインをされている方の記事を読んだんですが(あ、上記のつはものの衣装についての話はそれを踏まえてます、三浦くんの動きを引き立たせる狙いがあったそう)、公演の企画のかなり早い段階からデザインが起こされて、それが現場にすぐにフィードバックされて時にはキャスト自身の意見も取り入れられて完成されていく、っていう一連の流れにまじで感動を覚えました。細かいところまでこうしてこだわりぬいて作られているから、観客としてここまで満足できるんだよな…!
袖の長さはけっこう男士それぞれにバラバラで、清光は半袖だったよね。後ろの裾が燕尾服みたいなスタイルになってるのがめちゃ好きでした。少しタックをたたんである感じの、サイド~後ろにかけての裾がつくる曲線のラインが可愛くてさ~!!!衣装の中での赤と黒の配分も絶妙で、あの姿でらぶフェスに出てくれるのを…見たかった…!!!(話がまた途中に戻っている)

あと清光といえば、間奏のところでの岩融によるリフトがありましたよね!あれ初見のときかなりびっくりしたけど、初めてやったのは公演も残り半分を切ってからだったような気がします。(ツイートたどれば正確な日付もわかるんだけど、面倒でやっていないのであった。)
岩融と清光の体格差がありありと浮かび上がると言うか、抱える方も抱えられる方も、二人とも揃って軽々、らっくしょ~!って感じで。身体能力がありあまっていた。そしてそもそもリフトの高さがものすごかったよ。だって清光、岩融の肩より上のラインを舞ってましたよね…!?宙を切り裂く一連の動きがとても鮮やかでした。その二人の組み合わせが、そもそも新鮮だったというのもあるよね!

◆断然、君に恋してる!

はい来ました名曲!!神曲!!!これもまじでめっちゃ好き!!!好きすぎた!!!
楽曲の素晴らしさにもはや客席で感動していました。石切丸・岩融・今剣の3人が歌う曲としてのバランスも完璧だし。歌詞がウルトラキュート、振り付けも超絶かわいくて、メロディがあまりにもキャッチー。そしてつけられていたタイトルが「断然、君に恋してる!」だなんて…もう、トータルでとにかく完成されすぎている!!!
この曲、聞いてると客席で自然と笑顔にあふれてしまいます。いやだって、こんな楽しい曲ある!?むすはじのBrand New Skyと同じ感じの、ただただひたすらに「楽しい!可愛い!幸せー!!!」ってなるタイプの、多幸感が爆発してる一曲だったなと思います。可愛くてテンポ速めで弾けてる系の曲って、刀ミュだと意外に少ないんだよね。
サビの「もうむ~り!」「ほんとむりー!」に合わせて、両手に持ったペンライトをばってんにするのが、も~楽しくて。そうやってるとたまに舞台上の三人の誰かと目があってニコニコしてくれたりもしました。(全力で楽しんでるよ~~!!!っていうリアクションを客席から明確に返せるという意味で、意外にこういうのも役に立つのかなって思ったりした。楽しんでるんです嬉しいんです!というかんしゃの気持ちがつたわると、うれしい)
ディレイ配信を自宅のリビングで見てたら通りかかった旦那さんが「これは間違いなく神曲」とコメントを残していったんですが、初見でそう思わせる引力はんぱないですよね。
とにかく三者三様に魅力が炸裂してた。石切丸、ちょっとコミカルな曲調が実はすごくハマるよね!岩融と今剣は、SA・KA・ZU・KI華兄弟で開花させたのと同じ方向性の表現力を遺憾なく発揮してました。
とくに今剣ちゃんに関しては目まぐるしく表情を変えて歌い踊るさなかに、ものすごい勢いでファンサを繰り出しまくっていてなんかもう、すごかった。舞台上からファンサのちからで主たちのハートを射止めまくっていた。なんならときおり息の根をとめていた。笑 清光と今剣の舞台上からのファンサのロックオンっぷりには、何度見てもひぇ~~!!!ってなります。
この曲、らぶフェスで絶対やると思うんですけど、わたしぜひここに脇差の3振りと源氏兄弟を加入させてほしいんですよね…。いや、めっちゃくちゃ似合うと思いませんか!?特に青江にこの振り付けで踊ってもらいたすぎるよ!!!(膨らむ夢)

◆Timeline

…切なかった!!!もう、この一言に尽きる。。何度聞いても切ない時間だった。
何度か、その回が初見と思われる小狐丸推しの方が隣だった時があったんだけど、やっぱりサビの途中で声がハッキリ聞こえてくる瞬間に、体が固まって泣き出しちゃう…という様子をそのたびに見て、余計に私も泣きそうになったりしていた。。
この曲に関しては、
・とにかく切ない、サビで声が聞こえてくるとうっと胸が詰まる
・三日月、徹頭徹尾歌がうまいのでぼんやり聞き惚れることになる
・あと顔がいつ何時もおそろしく綺麗すぎて意味がわからない
・とか思っていると終盤黄色いスポットライトに泣かされる
・しかし最後いきなり三日月がめちゃくちゃ踊るからびっくりする
みたいな記憶で構成されています。(※ひどい)
二人だったら、どんな演出だったのかなぁって思いを馳せながら観ていたな。
でも、らぶフェスできっと完成版が確実に観られることになると思うのでね!それを楽しみにしよう!
そして三日月、とにかく歌がお上手で。。。まりおくんどんどん歌上手くなるからびびりますよね。元からうまかったけど最近の伸び率半端ないな!?ってびっくりしてしまう。
曲じゅうずっと、なんともいえない、いいお顔をしながら歌ってましたよね…小狐丸の声が聞こえてきて、はっと気づくような表情をした後に振り向いて、また前を向いて切なげに微笑む一連の流れ…の、顔の美しさ!!!!(おい結局それかい)
ところで私、ラストで三日月が手で狐作ってることにディレイ配信で気が付きました。え、まじで?なった。いや、私15回も何みてた?なった。(答え:多分、ひたすら顔を見ていました。)
あれ、別に楽だけやったわけではない、よね…?笑

◆言の葉

…ぎよみづーーーー!!!!!!!!涙
イントロで斜めにステップを踏みながら前進してくる清光からして、もう始まった瞬間に100点満点なんだけど…
↑何を言ってるのか急にわからない文章になったね。いったん落ち着こうぜ
いやもう。単騎でも聞きましたけれども。やっぱり、加州清光のソロはいつだって最高だった、何者もその域を侵すことはできないといった風の、総隊長の不動の貫禄を見せつけるソロでした。
この曲もとにかくリズムに合わせてペンライトを振り分けるのが好きでずっとやってました。なんかもう、清光を前にしてそれ以外にできることがなくて…(?)
たとえばBメロの「もしも君の 心のかけらを」とか、サビの「瞳に映る 君は霞んだ空の向こう」では、伴奏のメロディのリズムにぴったりと合わせる感じに、サビのラストの「ひらひら 重ねた」では、歌詞の刻みどおりに…っていう具合に、細かく振るタイミングを変えていました。なんかもう体が自然と、そうリズムを刻みたい!というふうに、動いてしまうんじゃよ…。そういう勝手な思い入れを持ってその時間を楽しめるのもライブの魅力のひとつだよね!!!あと同じタイミングで振ってる人(※たくさんいる)をみて「同志よ」ってなったりするのもたのしい。

そして清光、もう何回同じことを言っているのか最早わかりませんが、なんであんなに色っぽく中性的な空気をまとって踊れるんですかね?心からそれが謎すぎて…いやおかしくない!?!ってなる。。
だって、中身は23歳のどちらかというとヤンキーみあふれる、おとこのこなんだよ…。まじでどういうことなの…?
特に顔の前に手をかざしてみせる仕草とか、艶めかしくて、悩ましげで。。この曲に関しては、可愛いというよりも終始美しかったです。
途中で椅子が出てきたときは「本山さん、佐藤清光+椅子の構成すきすぎるやろ!?」ってちょっと笑いました。でも仕方ないよね。はちゃめちゃ似合うんだもの…!!!
最後に薔薇の花をそっと手向けてみせる清光、その周りには周囲から深紅の花びらがふぁっと散らされて…いやまじで、色っぽいが過ぎるやろ。自重して!!!そんなことしたらひとさらいに遭うから、気をつけてね清光、と本気で思いました。深紅の薔薇よ永遠なれ…みたいな気持ち…。
でもさ~!そんな風にどセクシーに歌い終わるくせに、降り曲になった瞬間無邪気にぴょーん!って椅子から降りてるのがまった、かっわいかったんだよね~!!!(そして結局可愛いで終わるんかいという)

◆回がわり:だいすき/365色/Looking for your Love

今回の回がわり曲、3つすべて大好きでした~!どれもミドルテンポの明るい曲で!!!だけど曲調が似通いすぎてることもないのも良き!
さんざんツイッターでも言ってますが、わたし降りのバラードがそんなに好きじゃなくて~というのは単純な理由でして、客席でワーキャーしづらいからです。笑
しっとり歌ってるさなかだと、自然とこちらの気持ちもおとなしくなってしまうというか…!笑
あとは曲のテンポに合わせて動く分、男士たちの歩くスピードが遅くなる=一箇所にとどまりがちになるため、推しがまったくこっちに来ない!となる危険性も高く、メリットが薄いように思えるのでありました。
その点、今回の降り曲ラインナップには大満足でした!全部聞いてて楽しかった。勝手に顔がニコニコしちゃう系の曲調でした!
どれが一番好きか考えたんだけど、選べないんだよね…僅差でLooking for your Loveかなぁ!?サビで入る手拍子が可愛くて!!!
…まぁ降りに関してはそのあいだじゅう、とにかく推し会いたさに必死なんですけどね!!!

降り曲なので唐突にファンサについての話をしますが、わたしマジでファンサは「運」だと確信しています。別に通路席にいたからってラッキーに恵まれるとは限らないし、思いっきり埋もれてる席でも思わぬ形でファンサを受けられたりする、往々にしてそんなもんだからです!
うちわを工夫するなどの努力はもちろんできる。だからこそ事前準備としてそこには心血注ぎまくるんだけど、にしたってそもそもが「チケットに当たる・ファンサが貰えそうな席に恵まれる・降りガチャに勝つ・推しの気が向く」という要素を揃えないといけないのですから。これが運じゃなくてなんだというのだ!?笑
でもちゃんとファンサをもらいに行こうという姿勢がないと実現しないのも事実ではあって、そこもやっぱりものすごくポイントにはなってくるのでした。
わたしは幕末天狼傳のとき、まだまだうちわを持つことに照れがあって、清光に対して「~して」系のうちわをどうしても持てませんでした。なので17回行ってても、いわゆる確定のファンサは0回。そりゃ~そうだと今ならわかる!
阿津賀志巴里でようやく、うちわへの明確なリアクションだなって実感できるファンサを清光にしてもらったんだけど、そのラインナップは「小首傾げて」「指クルクルして」「ほっぺたぷくっして」の3本です。…いや、ひねりすぎだろ。
そんな変なうちわにも完璧に応えてくれる清光、やさしすぎる。ありがとうすぎる。ありがとう…。
友達の話を聞いてても「えっそんなことまでしてくれんの!?」っていうのがボロボロ出てきたので、改めて加州清光のファンサ能力の高さに震えました。
それにしても、今回死ぬほどうちわ、作ったな…。たぶん15~6面は作ったのじゃないかな。控えめに言ってもあたまがおかしいですね。だって作るだけ作って使わなかったやつとかあるんです。え、なんのためにつくったの?笑
でもそのバカみたいに必死なうちわづくりまでを含めて、かけがえのない、夏の思い出なのでした…!涙

◆漢道

この面子でやるなら…やっぱり、漢道だよね~!!!って、これも初回観劇のときほんとテンション上がりました。獣ではないだろうな、と思ったの、やっぱり漢道だよね、濡れた眼差しで突き刺したり醜い嫉妬を切り裂いたりしてこそのteam三条with加州清光だよね!!!(?)
振り付けも変わってなかったし!ただ紐は謎の進化を遂げており、めっちゃ太くて紅白のめでたい感じのやつになってた!!
あれを見ると私はどうしても神社の鈴からぶら下がっている紐を連想してしまうんですが…しないですかね?笑
漢道に関してはもう、体が勝手にペンライトの振りを再生しだしますよね。生で何回聞いたんだろうこの曲…?刀剣乱舞の次に聞いた回数が多い曲になるはずだね!?
刀ミュにおけるライブの原点のひとつを感じられる気がして、そういう意味でも大好きです。この曲をライブパートに入れようって思いついた時点で勝ちだなぁって思う…
「もう迷わない!」に対する\キャーーー!!!!!/も、ほんと何回だってやりたいものね。また黄色い声を上げることができて、嬉しかったよ;;
漢道まで来る頃には絶対体力が限界に近づいているはずなのに、男士のみんなが全員ほんとに楽しそうに歌って踊ってくれるから、観ている側としては、なんかもうひたすらに、「ありがとう!たのしい!わーー!!!!涙」って感じの気持ちになる。。この感覚をまともに文章に紡ぐことができないんだけれど、純度の高いキラキラした「楽しい」という感情が、とにかく胸の内にあふれそうに宿るのでした。そういう時間をくれる刀ミュのことが、わたしはやっぱり心底好きなんだなぁ、と思います。

だいぶ時間をあけてしまったぶん、長い割に対して面白い文章にならないんだよな~!だって言いたいことがありすぎるんだけど、もはや何を言葉に載せ替えていったらいいのかわからないんですよ…。昨日の夜に着手して、書いたり消したりを繰り返し、もうなんだかんだ5~6時間は費やしている気がする。何回読み返してもどうするべきかわかんなくなってきたので、最終的には投げやりに更新しました。笑
そんな駄文ですが読んでくださった方、まじでありがとうございます。
一部について書けるか自信があまりないんですが、とりあえず二部についてはこんなかんじで!
はーーーーーー もっかいみたい!!!!!!むり!!!!!!!!