こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

刀ミュ ~三百年(みほとせ)の子守唄~ 個人的な「謎と解答」 その1

3月4日に幕をあけた(…というか4月23日に国内千秋楽が終わってしまった)「ミュージカル『刀剣乱舞』~三百年の子守唄~」。
刀ミュ全体ではトライアルから数えると4演目め、本公演としては3演目めとなる今回、
私が個人的に心を捧げていた幕末天狼傳の上海公演から約2か月半後という超スピードでの公演開始だったこともあり、

正直初日を迎える直前まで、全くもって心の準備ができていませんでした。
(上海公演含めトータル17回観劇した幕末天狼傳については、一度ちゃんと振り返りたいと思いつつ、

ロスに向き合うのがあまりにつらくて、未だに最終的な思いの丈を言語化するに至っていません…。果たして書ける日は来るのだろうか…)

 

私の初回観劇は3月5日のソワレ、全体では3公演目に当たったのですが、
心の準備ができていない!とかなんとか言いつつ、見終わる頃には頭のてっぺんからつま先まで、どっぷりみほとせの世界にはまり込んでいました。
やっぱり、刀ミュはすごい。裏切らない、引き込む力が半端なく、とにかく作品として文句のつけようがないくらいに面白い!こんな平易な言葉じゃ追い付けないほど、エンタメとして最高に素晴らしいクオリティで、ほんと心から推せる演目!!!と思ってます。
今回は東京と凱旋合計で9回+国内楽のライビュを観劇したのですが、そもそもあまりにひとつの舞台作品として面白かったので、どちらかというと作品の構造、お話のつくりについて、自分が言いたくなったことをひたすら書いてみようかと思います!
ここがかっこよかった美人だった可愛かった最高だった無理全部好き、みたいな話は延々とできると思うんだけど、ちょっといったんおいておいて。
そして今回の推し刀は青江くんなのですが、青江についてはさらに別に枠を設けたいです…笑
もっと早くにブログに着手するつもりだったんだけどねぇ。。まさかの楽後になるなんてな。
いま幕末天狼傳ロスにみほとせロスが重なってひとりロスのミルフィーユ状態です。めっちゃ苦しんでます。

 


※タイミング的にはもう書くまでもないですが、本編の内容のネタバレを多分に含みますため、もしもこれから配信や円盤等で初見予定の方は以下ご注意くださいね。
そしてわたくし恥ずかしいくらい日本史の歴史に疎くてですね、歴史の知識をベースにはまっっったく語っておらずです!

あくまで「舞台作品」として理解を深めたいと思ったときに、個人的にどう考えたかっていう論点ですので、そこのところなにとぞご了承いただければと思います!
あ、なので萌えをたぎらせた系の記事ではないです。それはそれで別で書きたい!というかそっちのほうこそ何から言えばいいのかわからなくなりそうだけど!

 


初回観劇後、まぁもうめちゃくちゃに泣かされてたんですが、どうしても一回では腑に落ちないというか、理解を自分の中で落とし込めない部分がいくつかありました。
これはどういう意味なんだろう~~~!?いやでも考えればわかるはず~!と、

観ながらひとりあれやこれやと想像し続けて、だいたい3回目くらいの観劇で、「あ、そういうことか!」と(自分なりの)理解ができたのですが。
そこのね~、演出と脚本の匙加減っていうか、全部説明をしてしまうことはせずに、

あくまで観客側に想像の余地を残してくれてるところが、また個人的に刀ミュ大好きポイントなんですけども!!!
観る側の力を育ててくれる演目でもあると思ってます、刀ミュ。
まずはその個人的に「謎→解決!」ポイントを、ちょっと書いてみます。
ほんとくどいですが「個人的に謎」だったポイントなので、えっあんたそんなことも分からなかったの!まじで!って内容も人によっては当然あると思うんですけど、まぁ自分の中で腑に落ちたことが嬉しくて書いてるので、そこは気にしないでください。笑
そして最後に今回の大変な任務を隊長として成し遂げた心優しき大太刀であり神剣である石切丸さんについて、まとめてたくさん書きたいとも思っております…。


① 今回の任務における「時間の経過」について


これね!ほんとにわたしは理解するまで3回かかっちゃったんだけどさ!遅いな!
みほとせは、ざっくりと言ってしまうと、徳川家康の生涯を追った物語ですよね。
時間遡行軍によって家臣が全滅させられてしまった岡崎城松平家にて、かろうじて生き残った生まれたばかりの竹千代君が、殺された徳川の家臣になりかわった刀剣男士たちの支えによって立派な若武者に成長し、

いくつもの戦で武功をあげてついには天下を統一し、天下人・徳川家康として駿府城で息を引き取るところまでが描かれています(ほんとにざっくり言っちゃうとだけど、そして天下統一の瞬間とかは描かれないわけですけども)。
…家康さんってさ、その時代の人にしてはすっごく長生きしたのって有名なお話ですよね。御年75歳、であっているのかな?
…ってなるとね。エッ!?じゃあ男士たちはほぼ75年間、家康の傍にいたのか!?って話にまずなって、初めはそこでいったん理解が止まっちゃったんですよ。
とはいえ、男士たちが演じていた家臣のほうが家康よりも先に亡くなっているし、生涯のかなり前半をクローズアップして描いているかと思うので、男士たちが過ごした時間はもうちょっと短くはなるのかなって思うんだけど、まぁそれでも数十年単位であることは間違いないですよね。一年や二年なんてものじゃない。

だって「十年という月日はあっという間に過ぎていった」んだもん。エッ!ってなりますよねそりゃ初見では。
いやいやどういうこと!?君たちそれだけ長い時間本丸を留守にするの?そんなことしてる間に本丸のほうでの時代はあっという間に移り変わってしまうのでは!?ってびっくりしておりました。


ここでまず前提として「いや、男士たちが家臣になりかわる設定にはそもそも引っかかりを覚えなかったの!?」って言われる方もいると思いますが、それはあれです、

幕末天狼傳を見ていたので、そういうアプローチもあるかな~って思って、意外にすんなり納得できていました。
(※ここで無駄に天狼傳のネタバレをさしはさむのもはばかられるので、詳しくは書かないでおきますね。見てない人は天狼傳も見よう!!!!)
さらに「徳川の家臣としてふるまってるっていうけど、でも男士たちの服装、見た目がいつもどおりじゃん!」っていうところは、

それはまぁねぇ、彼らは2205年のひとたちだし、何より付喪神だから。

人の目をくらませるような方法はいくらでもあるんじゃないかな~、そしてあくまでも舞台上ではいつもの戦装束でいるように見えるけれど、

たぶん家康その他の人たちには別な姿で見えてるんだと私は理解しました。(舞台ならではの表現手法として!お客にゆだねられているポイントかと)

 

で、話を戻して、時間の経過ってところなんですけども、
そもそもなんだけどね、
「刀剣男士たちが出陣(ないしは遠征)している間に経過した時間と、本丸で経過している時間がイコールだとは一切言われていない」
ってことに、3回目で私はようやく気付くに至りました(え、遅い?笑)。


…そうなんだよ。イコールだなんて誰も言ってないんだよ。
ゲーム中にも10分から24時間までいろんな長さの遠征があるけどさ、それは本丸での経過時間を言ってるだけであってさ…もしかしたらものすごおーく長い時間を、遠征先であのこたちは過ごしてきてるのかもしれないじゃん…?
ってことに気づいて、これは刀剣乱舞の原作ゲーム設定から解釈しうる範囲での離れ業だわ~してやられたわ~…って思いました。遅いか。遅いね。笑
でもびっくりしない!?石切丸がいきなり「殺された徳川家の家臣になりかわる」って言いだしたとき、絶対みんな初見時はびっくりしませんでしたか!?
それは一体どうなってるんだ?って一回立ち止まってしまうんだけど、ちゃんと考えると論理だった説明が可能なところに落ち着いている、ズルはしてない!ってところが、さすがだな~って思いました。
いやそんなん説明するまでもなく、自明のことなんでは…?って方も多分たくさんいるよね笑、なんかね、わたしはどーーーしても、ここが引っかかって仕方なかったんですよ。なので「は!もしや!」って自分なりに理解できた瞬間、すっごくすっきりして感動したの。笑

 

あと、石切丸がいつからこの任務の推移を予想していたのか、っていうこともあるんですが。
これもね~最初はわからないなって思ってたんだ。
青江が託された赤ん坊が竹千代君=のちの徳川家康だと知った石切丸が「この戦、まだ負けたわけではないようだねぇ」って言うシーン。
彼はさも当たり前のように、自分たちが家臣になりかわることで、家康の歴史を正しい形に修正しよう、って提案してるように見えるんだけど。いきなりそんなこと思いつくかー!?って思ったんだけど。
あれ、あの場ですべてを思いついてるんじゃないですよねたぶん。
あらかじめ、その可能性まで、主に言われたうえで隊長を引き受けて出陣してきてるんじゃないかな?


今回の出陣に関して、石切丸、蜻蛉切、物吉貞宗千子村正が事前に主に知らされたのは、
・遠征任務の途中で、にっかり青江と大倶利伽羅が消息を絶った
・二人の安否は不明
・刻は天文十一年、場所は三河岡崎城
という情報でした。
でもその前に石切丸は、一人で主と会話をしています。


石切丸「難しい任務になりそうだねぇ」
主  「…わかっているとは思いますが」
石切丸「ああ、奴らが現れる可能性は極めて高い」
主  「ええ、その通りです。…石切丸?」
石切丸「主、やるよ。私にやらせてもらいたい。」


っていう会話をしているわけなのですが、
この“難しい任務”というところ、きっとすでにもしかしたらかなりな長期任務になるってことまで、言及されていたのではないかな、と思いました。
主は家康が生まれたばかりの時代の岡崎城で、青江と大倶利伽羅が消息不明になってしまったことを知った時点で、おそらく正確に時間遡行軍の狙いを把握していたのかと思われます。実際石切丸も劇中ではそう言っているし。
赤子の家康が生き残っているかどうかという点についてはさすがに不明だったのでしょうが、主は「歴史を正しい方向に戻すために、できることをやってきてほしい」というような任務の与え方をしたのではないかな、と。
そのために、長期にわたって歴史に干渉し続ける以上、「奴ら」=「検非違使」が現れる可能性は極めて高い、という話だったのではないか?と思いました。
でもさぁ、仮にそうだとするとさぁ、石切丸さんさぁ、ほんとさぁ…一人でいろんなこと抱えすぎなんですけど…?
もうちょっとさー!みんなにさー!頼ってもよかったんだよー!!涙

もう!!ひとりであんなに苦しんで!!!青江がいてほんとによかったよね!!!?(※論点がズレ始める)
なぜ主がこの任務を石切丸に任せたのか、という点についても勝手にモリモリ考察しまくったので、それは改めて書きたいと思います!

 

② 信康の命の落とし方が「切腹」でなくても歴史は守られたことになるのか?


これもね、最初は結構疑問だったのです。
今回、信康が家康の命で切腹した歴史上の日付に、「これ以上彼を生かしておくわけにはいかない」という決意のもとに、石切丸は信康を斬りに行きます。
このシーンは後でもっといろいろ書きたいのでいったんちょっと深掘りはせずおいておいて、シンプルに改変された「改変されてしまった歴史のをもとに戻す手段」として考えたとき、

「人に斬られて命を落とす」ってことは「切腹」とはまたちょっと違うことになっちゃうのでは?って思ってたんですよ。
ここからは歴史を残念なくらいに知らない私が勝手にいうことなんで聞き流してほしいんですけど(でもとりあえず言う)、
もし今回のミュで描かれたように、「戦を終わらせるために戦をし続ける」ことに疲れ果てた信康が、切腹でなく自害していたとしたら?って、ふと思ったんだよね…。
嫡男の自害って戦国大名にとっては国がゆらぐ一大事なのではないだろうか、どう考えても。
仮にそんな事態だとするとさ、自分が治める一国一城を守るためには、どんなに苦しくても親の命で切腹させたことにしたほうが、

戦国大名としての強く厳しい徳川家康のイメージを形作ることにもつながり、体面が守られてよそからつけこまれるようなこともないのかな、なんて…思ってみたり…。
これは本当に勝手な妄想に過ぎないのでいいんですけど、
そもそも「信康は家康に切腹させられた」っていうのは、正史じゃないかもしれないよ、っていう前提の上に、あの演出が成り立っているのかな?と思いました。
だからこそ、村正が信康の切腹にまつわる理由は諸説あることを披露したうえで、物吉くんが「切腹させられた理由は、ずっと側で見ていたけどわからない」という話をしているのかなって。

あの世界での信康の死因、ほんとうは何だったんだろう…。


…考えすぎな気もするけどね!あの石切丸が自ら手塩にかけて育てた信康を斬ろうとするっていうその行為こそが、おそらく描きたかったお話の肝だとは思うので!
でも理解しようと思うとちゃんと答えが出てくる(ような気がする)ところ、ほんと素敵な脚本だなって思うんですよ…!あくまでも勝手な理解だとしてもさ~~見た人が自分なりに何かをもちかえってあーでもないこーでもない、って考えられる余地があるのって、とっても大切なことだと思うんですよ!

 

そして結局信康は検非違使によって命を奪われてしまうわけですが、なのでやっぱり切腹には当然至ってないのですが、

検非違使は歴史の「保全」が目的なわけで、検非違使が介入したことにより、その時点で本来死んでいるべき人間が命を落としたとしたら、手段はどうあれ、ある意味その「保全」は達成されたことになるのかな、って思いました。
ぜんぜん説明がうまくできないんですが、、検非違使の介入には、歴史が自動的に元々あるべきルートに沿った形に書き直され、あたかも何事もなかった風になる…みたいな機能がありそうだよね。なんとなく。

男士たちとはちょっと違うアプローチをしてるんだろうなと思う。男士たちが苦労して歴史上の人物になりかわったりしてどうにかこうにか、最低限の介入でなんとかしようとしているところ、

検非違使は「歴史の異物を排除」すれば事足りる存在だから、

要は生きているべきでない人間の命を奪ってしまえさえすればOK、ってことなのかなと。

 

検非違使の機能」についてと、前述の「切腹は正史ではない可能性がある」というのは、ちょっと話のベクトルというか内容が全然違う話にはなってるので、混ぜて書いちゃいけないなとは思いつつ…
いずれにせよ、「歴史を守るとは果たしてどういうことか?」って考えたときに、ふわふわたどり着いた理解だったのでまとめて書いてしまいました。わかりづらくてゴメンナサイ…

でも結局なんで刀剣男士・時間遡行・検非違使みつどもえなのか、そこんとこが(まだあんまりまじめに考えたことないけど)わかんないんだよなー。っていうのがこれからの原作展開のポイントなんだろうなー…。

ついにミュでも検非違使を扱ったことにより、今後がいろいろ気になるところではあります。
※なお検非違使による歴史の「保全」という単語は、ゲーム内で検非違使に遭遇したときの文章から持ってきております。念のため補足でした。


③ 家康臨終シーンの信康らしき人物の登場について


家康が物吉くんに頭を抱かれている臨終のラストシーン。

ふと、照明と流れる音楽が変わり、編み笠を被ったひとりの青年がステージ上に現れます。
その姿を認め、弱々しく「お前は…」と尋ねる家康に、青年は静かに編み笠をとって見せます。
「…信康、信康…?」
そこに現れたのは、確かに信康としか言いようのない、一人の若い男性の姿でした。
はい、ここですね!
この「信康らしき」人物は、いったい誰なの?というかどういう存在なの?
ってところにもいろんな解釈が可能だと思うのですが、
私は「信康の魂(いうなれば幽霊に近い存在)」かなと位置付けて観ておりました。


まず、彼が舞台上に現れた時点で、周りにいる男士たち全員が、明確に彼の存在に「気付いている」身振りをしています。
なのでその時点で「家康ひとりが見ている夢、幻」という線はないのかな?と。
(※臨終の家康の夢の中にみんなが入り込んでいる、といったファンタジックな説明もできなくはないかと初め思ったけど、以下の理由で私はそれを却下しております)


彼が舞台に現れる直前、家康は繰り返し「すまんのう…すまんのう信康…」と涙を流して言い続けます。
「かわいそうなことをした」とも。
そして現れた信康らしき青年は、「信康…」と家康から声をかけられたのに対し、
「その名は捨てました」
と返します。


この時点で最初は「えっ待って!?それじゃお父さんかわいそうだよ!」って思ったんですけど、たぶんそういうことじゃないのね。
そのあとに青年は「今は掛川の百姓で…吾兵と申す者です」と続けます。
それを聞いた家康は「吾兵…吾兵…そうか…そうか…」と、虚を突かれたような、でもどこかほっとしたかのような声を漏らします。
親子の印であった名前を捨てるって、いやそりゃお父さんつらいやつだよ~ってまずは思ったんですけど、家康の様子を見ると、そのことにショックを受けている風でもなく、

では「かわいそうなことをしたのう」が何に対しての「かわいそう」なのかを、そこで改めて考えたんですね。
最初はシンプルに「若くして命を落とさせてしまったこと」かな、って思ったんですけども、それではおそらく足りていないのではないかと。

「自分の子供として生まれてしまったばっかりに、好きなように人生を歩ませてやれなかった」っていう後悔なのかなぁ、という結論に至りました。


信康は幼き日に吾兵と出会うことで、苦手だった剣術の稽古にも積極的に取り組むようになった、と劇中でも触れられており、

吾兵が命を落としたことに憔悴しきっている様子が後半に描かれます(というか、それがそのまま信康の最期につながっていくのですが…)。
「花が好きで、自然が好きな」少年だった信康にとって、畑のつくり方を教えてくれた、ゴツゴツとした手を持った吾兵は、

きっと信康にとっては「こうありたい」という理想の姿だったのでは?と思われます。

そしてそれはきっと、父である家康にも十分わかっていたことなのではないかなと。


そんな彼が、若き日のままの姿で「掛川の吾兵と申す者です」と告げる、というのは、家康に対して「自分は今は望む生き方を手に入れています、だからもう、そんなに苦しまないでください」というメッセージなんじゃないかな?って思ったんです。
だから彼の存在は「死ぬ間際まで悔やみ苦しみ続けてきた家康を救うために現れた、信康の魂」だったんじゃないかなぁ…という理解に落ち着きました。

「耳を澄ませてください、…聞こえてきませんか?」

って、つらい!今思い出しててもつらい!!!あんなん泣くよ!!!


あの家康の最期のシーンはほんとうにだめです。とにかくなにより、笑顔で家康に寄り添い、静かに涙を流している物吉くんをみていると、こちらも涙がとまらない…。
私は幕末天狼傳が大好きなので、一瞬の短いときに命を燃やして、時代に選ばれずに死んでいった元の主たちのことを胸に抱き続けてる新撰組のあのこたちと、

天下統一という大仕事を成し遂げ、その時代には稀なほどの長寿を全うし、約300年続く太平の世を築いた元の主、そして彼のそばにずっと一緒にいられた物吉くん…っていう鮮やかすぎる対比に、心がぐりぐりえぐられまくっていました。
新撰組のあとに家康って題材の選び方が天才的ではないかと…。
物吉君の最後のセリフがさ…よくあんな言葉を選びぬけるなって。
「よく、生きられましたね。…おやすみなさい」
脚本家さんの言語センスに圧倒されます。そしてひたすらに泣くという…。
だって、すごすぎない!?
おやすみなさい、だから、そのあとに続くみほとせ=三百年についての「子守唄」なんだなって気づいたとき、本当に鳥肌が立ちました。
やっぱりひいき目じゃなく、どう考えても刀ミュ見ごたえありすぎます!
…だから!刀ミュが!大好き!!!!涙

 

若干話がそれましたが、とりあえず個人的に「謎だった」ポイントは、一番大きなさいごの一つを残してこんな感じで落ち着きました!
っていう理解の過程も書いとくと後から自分が面白いので。。

 

その私にとっての最大の「謎」がね。これがまぁとてつもなくヘビーなんだ…。
それは「石切丸の描かれ方」についてです。
だってねえ!?あの描写はどういうことなのか、考えないとだめなやつでしょ~!?
こちらについてはここまででも十分長くなり過ぎた、かつここまでと同じくらいかそれ以上の文字数を要することが目に見えているため、

ちょっと別記事に分割しようと思います。

今週中にはもう一件アップ予定です~!気が向いたらお付き合いくださいませ。