こたえなんていらないさ

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刀ミュ 歌合 乱舞狂乱2019 公演を見終えての感想その1 ~客席を「信じてくれたこと」への感謝~

歌合乱舞狂乱、9都市26公演が先日ついに終了しましたね。

11月24日に長野で幕を開けたものの、明確な「ネタバレ禁止令」のお触れが公式から出るというなかなか独特な状況のなか、ダイレクトな感想はいっさいインターネットでしゃべることができず…独特のうずうず感を感じ続けた2ヶ月間となりました。でもそのお触れを守りきった千秋楽の達成感には、とても清々しいものがあった…!

書きたいことは本当にたくさん。だって2ヶ月黙ってたんだもん、そりゃ言いたいこともあるよ!!!そりゃそうだよ!!!よく我慢しきったよね!!!

ひとまず脳内整理に着手してみたところ、多分書きたいテーマとしては、

  • ①「歌合」という作品全体への感想(中身にはあまり踏み込まない、主に印象論)
  • ②「歌合」が扱った古典題材に関する個人的な紐解きの記録
  • ③和歌6首について、脚本それぞれへの感想
  • 鶴丸かっこいい国永さんの話

…の4本立てになりそうな予感。おい最後。って感じですよね。すみません芸風です。笑
書く順番はこのとおりにはならなさそうですが、ひとまずこの記事では①について書いています!




◆本丸の「日常」を垣間見る贅沢がそこにあった

もうほんとに、この点がもはや審神者に対する福利厚生だったと思う…!
刀ミュ本公演は基本的に戦いに出陣している最中の話なわけで、のんびり過ごしている本丸の普段の様子は、どうしても描かれるチャンスが少なくなります。
冒頭やラストに出陣前後の場面描写は当然登場しますが、そのときの衣装は基本的に出陣の戦装束で、内番着姿が見られるのは年末のらぶフェスだけ。らぶフェスの内番スタイルも、基本的にはライブ中盤の盛り上げパートに持ってこられることが多くて、その格好でのお芝居はこれまで見る機会がありませんでした。
「あの本丸で、みんなきっと仲良く毎日を過ごしてるんだろうな…」とは思うものの、色々楽しく&たくましく妄想を膨らませることはできるものの!
実際にその様子を見ることって、これまでなかなかできなかったわけなんです。


それが、今年は!
お話パートの初っ端(石切丸メインの【懐かしき音】)から、登場する全員が内番着姿で、何気ない本丸の日常の一コマを描いてくれるという、いきなり見たかったやつが剛速球で投げつけられるような状態で、初見時は情報量の多さに泡を吹きそうでした。
碁盤を挟んで向かい合う石切丸と鶴丸、それをおっとりと見守る小狐丸。れっすんに励む篭手切江とそれにつきあわされる御手杵
阿波の酒もなかなかいけるじゃねえか!って言いながらお酒を飲み交わす兼さんとはっち。
その傍らでひとり黙々と畑当番を続ける大倶利伽羅…などなど!
(※勢いでこのシーンの鶴丸の話をし始めそうになったんですが、別記事で好きなだけしゃべるので、ここはいったんだまります!笑 あと「吾が恋ふる」のお話自体のやさしさが大変だった泣いたぜ!っていう感想もまた別記事にします!)


メインでお話を展開させる石切丸の周りで、朗らかに談笑したりふざけあったりするみんなの姿が、これぞ日常、というかたちでその場に立ち上がっていて、本当に感動したんです。
「そうだよ、こういう、いつもの当たり前の本丸のこと、本当に見てみたかったんだよ…!?」って、見ながらありがとうの気持ちが爆発してました。ものすごく嬉しかったです…!
別なパートでは、ゲームで実装されたばかりの軽装まで見せてもらえたしね。。はっちに至っては軽装が解禁されたの1月14日だったのに、公演終盤でしっかり衣装変えてくるんだもん、気合いと根性がすごいと思う(運営の)。
刀ミュはいつだって見たいものを見せてくれるなってつくづく思うんだけれど、この「日常」感はこれまで機会がなかったけどすごく見たかったもの!っていう内容だったので、余計に嬉しく感じたのかもしれません。
どのお話の中でも、刀剣男士たちそれぞれの関係性や、そこに漂う空気感がとても丁寧に描かれていて、本丸の息遣いをつぶさに感じることができたように思います。

◆参画した作り手の数は、そのまま世界観の奥行きへ

今回、脚本家・作曲家・振り付け師がひとつの作品に複数いるという、贅沢極まりない状態だったわけですが、正直最初は不安もありました!それは主に脚本面について。
御笠ノさんが書く本がわたしはとにかくツボすぎるので、別な人がお話をつくるとどういうふうになるのか、どうしても全然予想ができなくて。
だけど実際に見てみると、増えた作り手の人数は、ただただ世界観を充実させる結果にしかつながっていなくて。
不安に思う必要なんてなかったんだな、って拍子抜けするくらい、そこにあったのは「いつもの刀ミュ」が、シンプルにパワーアップした姿でした。
そして何より、あの複雑な色合いを、しっかりとひとつの作品にまとめあげた茅野さんの演出の手腕、見事すぎる。


なによりも個人的に「ついにこの日が…」って感慨深かったのは、和田俊輔*1さんの音楽を刀ミュの世界の中で聞いてしまったこと。
公演の事前に動画が公開されていた、あの「イネイミヒタクク」の歌、もはやあの前奏の時点で「いや、こんなんぜったいわだしゅんさんやろ!?」って思ってはいたんだけれど、そしてその予想はあたっていたんだけど…実際に公演の中で和田さんの音楽に触れたとき、なんというか脳みそが痺れるようなすさまじい衝撃がありました。
音が鳴った瞬間から、その世界の色合いや空気を一気に変えてしまう、恐ろしいほどの力が、和田さんの作る音楽にはあると思う。
でもそれでいて、絶対に作品全体を変な意味で”支配”してしまうこともないんですよ…。あれだけ作家性を感じさせる独特の旋律なのに、個性をぶつけているのに、それが世界観の全体を強固にする結果にしか繋がらないという。
そんな矛盾しそうなことが成立すんの?って思うんですが、じっさい成立しちゃってるので、やっぱり和田さん、天才なんだなぁって。あまりのすごさに、聞いているこちらからはこのとおりばかみたいな感想しか出せなくなってしまうんですが…。いやだって天才がすぎる。。

思い出すのは冒頭の「奉踊」を初めて見たときの衝撃です。
あの音楽にのせて、いわゆる神がかりの状態を想起させる、真っ白な衣装を身に着けた刀剣男士のみんなの踊りを初めて見た長野公演。あのときの、どこか「畏れ」にも似た、本能が体の内側で一歩後ずさりをしているような、荘厳な感覚は忘れられません。

◆全編を彩る、日本語の美しさ

具体的な内容は考察っぽいことを書こうと思ってる別記事に譲るのですが、今回、いわゆる日本文学の古典にあたる内容が多々引用されています。
そのため、日本語という言葉の豊かさを、あらゆる場面で浴びるように感じることができて、典型的な文系おたくであるわたしにとってはそれだけで至福のひとときでした。

もともと刀ミュ本公演で使われる言葉遣いの渋さに転がりまわっていた人間なので(例:三日月の「はてはていかがしたものか」*2だけでご飯が3杯食べられそう)、大好きな刀剣男士のみんなが、奈良・平安時代の和歌を次々と読み上げてくれたり、勅撰和歌集冒頭の序文をセリフの一部として述べてくれる世界は、あまりにも贅沢で。
いにしえの日本語の言葉遣いって、なんであんなにうつくしいのだろう。文字で読んでも感じることだけど、音で聞いたときのうつくしさが特にたまらない。古文に久しぶりにたくさん触れたら、なんだか心が独特の潤い方をした気がしました。


何より、好きだとて、私は古典作品に詳しいわけでは一切ないのです。知識は高校生止まり。学生時代の勉強の中で触れた古典が、教科としてものすごく好きだった、ただそれだけ。(今はまったく無理だけど、受験前の脳みそがいちばん賢いときは、辞書なしでほぼナチュラルスピードで古文が読めたくらい好きでした。今考えるとけっこうすごいと思う。笑)
でも大人になってから自分で新しく読んでみようとしたことは正直なところ一度もなく、今回刀ミュがこうしてとりあげてくれなければ、日常生活で出会うことがこの先もそもそもなかったように思います。

こうして、自分がそれまで知らなかったことや、好きだったけど長く離れていたなにかに対して、新しい形での出会いをもたらしてくれるという機能。それって、エンタメがもたらす効果としては、シンプルにすごいことなんじゃないかな?と思うのです。
「詳しいことはわからないけど、なんだか好き」って思わせてくれて、さらにその興味や好意の先に、自分の中で理解の枝を広げてみたいと自然に感じさせてくれる、という事実。
それはそのまま、その作品世界が奥深く、真剣に作り上げられていることの証左だと思うんです。
それだけ心を動かされて、もっと知りたい、理解したいって欲求を呼び起こす力が、その作品には宿っているってことだと思うから。


毎回思うことなんだけれど、お客さんを侮らない刀ミュの姿勢がわたしは本当に好きです。
「ちゃんと届ければ、絶対に届く」。そう信じて、とにかく高いクオリティのものを発信し続けてくれていることが、言いしれようもなくありがたいし、すごく嬉しくなる。
今回はこれまでの刀ミュの歴史と照らしてもとにかく度肝を抜かれる瞬間が多くて、なんてことをしやがる…!?って初日はとくに目を白黒させていたけれど、それだけ新しい驚きにたくさん出会わせてもらえたことについて、観客としてこれ以上の幸せはないと改めて思いました。

◆アリーナクラスの会場で成立した「お芝居」。残るのは、「信じてくれたこと」への感謝

「今年はこれまで(=真剣乱舞祭)よりも、さらにお芝居の要素を増やす挑戦をしてみたいと思っている」というコンセプトは、公演発表の当初から、運営側によってとても明確に告げられていました。
とはいえ、公演が打たれる会場はどこも数千人規模のアリーナクラスのところばかり。埼玉公演にいたってはたまアリです。
らぶフェスにももちろん物語が語られるパートはあるにせよ、ライブがメインだった3年間を見てきた身からすると、「会場規模は変えずにそこで”お芝居”を中心に据えるって、ほんとにそんなことできるの?」という、不安にも似た疑問が湧いていました。
だって劇場とは比べ物にならないくらいの距離が、客席とステージの間にはどうしても生まれてしまうわけだし。…ちょっと流石に無謀なのではないか?とドキドキしていたのも事実。
なのですが、その不安は完璧に杞憂でした!


不思議だなと思ったのが、らぶフェスを見ていたときよりも、ステージとの距離の遠さを感じなかったことなんです。
それこそらぶフェス2017のたまアリでは、アリーナ後方にいるときも200レベルにいるときも、決して「近い」と感じることはできなくて、ちょっとした疎外感を抱く瞬間も実のところ多かったのです。もちろんすごく楽しいんだけれど、座席位置による格差の体感には、そこそこシビアなものがありました。

それに対し、今回のステージングは、アリーナ後方に配置したサブステージと正面のメインステージとの間に花道を設けない、とてもシンプルな形。
つまりステージ間の移動はすべて徒歩(というかダッシュ)という、キャストにとってはかなり負担の大きなものだった気もするのですが、サブステージがアリーナ中央ではなく後方にあったためか、どこで見ていても遠さによるさみしさを得ることは特にありませんでした。
物語が展開する中心位置がメインステージでもサブステージでも、それはおんなじで。
うまくいえないんだけれど、作品世界の中への没入感が、あの会場の大きさで可能なものとは思えないくらいに高かったのです。
見ている客席側にも、ぴりっとした緊張感があったりして、その場にいる全員で「作品を成立させている」っていう体感が、不思議なほどに得られたんですよね。今回の会場の中で一番遠かったと思われるたまアリの500レベルで見た感想もそうだったから、ここは自信を持ってそう言える。


この「ライブ会場で公演を行い、数千人に対して生のお芝居を届ける」という一見無謀にも感じられる試みが、疑いようもなくしっかりと成立していたことにも、刀ミュの歩んできた道のりの確かさが表れていたように思います。
だってどう考えたって、受け手側にそれなりの集中力がないと、場の空気って簡単に発散してしまうと思う。音声にならないまでも、内心がざわついてる客席の空気感って絶対に演者にも伝わるものだし、その中でお芝居をやることはやっぱり無理だと思うんです。
だけどその点について、見ている間じゅう、本当に不安がなかった。
あんなに大勢の人がしんと静まり返って、息を飲んで一心に舞台を見つめている時間、わたしは初めて経験しました。


「難しいかも、無謀かも」って、きっと届ける側にも多少なりとも不安はあったと思う。だけど、わたしたち客席側のことを信じて、こんなとんでもない作品をぶつけてきてくれたことが、何よりもすごく嬉しかった。
これまでおためごかしのない、硬派に過ぎる作品作りを続けてきた運営と、それに惹かれてついてきたお客さんたちとの間に、もうしっかりとした受けこたえの関係性が出来上がっているんだなって思えて。
観客として信じてもらえるって、エンタメの受け取り側として得られる最高のご褒美のひとつだと思います。それを今まで以上に高い純度で与えてくれた刀ミュのこと、余計好きになりました。


なによりその信頼関係は、今回の「ネタバレ禁止」が観客側によって守り抜かれたことによって、ひとつ結実したのではないでしょうか。

歌合2019の作品の根幹=「これまで本丸にいなかった新しい刀剣男士(桑名江/松井江)を歌合によって顕現させる」という仕掛けは、基本的にSNSでは固く秘密として守り通されていたと思います。
作品のネタバレをSNS上でどう捉えるかという、そもそも議論を呼ぶ内容が絡むので難しい点もあるんだけれど、今回刀ミュがわたしたちに望んでいたのは、「観客として、皆さんも一緒にこの作品を作ってくれませんか?」っていう、ごくシンプルなことだったのではないかと感じました。


歌合の公演後、陸奥守吉行を演じている田村心くんが上げてくれたブログの文章に、こんな一節がありました。
lineblog.me

ネタバレ禁止を信じた「刀ミュ」と
ネタバレ禁止を守ったお客様

ミュージカル「刀剣乱舞」と
お客様との間に信頼関係がなければ
今回の「歌合」は本当の意味で
成立しなかったのではないでしょうか。

年月をかけて
たくさんの出陣を経て
たくさんの歴史ができて
その中で生まれた信頼関係なのだと思うと
すごいことだし素敵だなと思います。

受け手側で得ていた体感を、実際に演じていたキャストさんの言葉でそのまま聞くことができたことの嬉しさに、読んでいて勝手に涙が出ました。
この心くんのブログ本当に素晴らしいので、是非全文読んでほしいです…!


そして武蔵野での千秋楽、カーテンコールでの一コマ。


2ヶ月の長きにわたり、年をまたいで日本全国を飛び回り、しかもまさかのカンパニー内に絶対に存在をバレてはいけない秘密のキャストを抱えながら、全26公演をやりきった皆さんに、心からのねぎらいと、感謝の気持ちをおくりたいです。
わたしたちのことを、信じてくれて本当にありがとう。



なんか一番最後に書いたほうが良かったのでは?感のある、まとめ感たっぷりの文章になってしまったんですが、まぁ2ヶ月我慢してたから…笑
体調崩したりシンプルに忙しすぎてここのところ全然ブログを書く時間がとれてなかったのですが、2月にはいってだいぶ落ち着いたので、ここからしばらく気の済むまで歌合を振り返ろうと思います!

*1:数々の舞台作品の作曲を手掛けており、主に「TRUMP」シリーズ、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!」で彼の音楽に触れている舞台おたくは多いと思います。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E4%BF%8A%E8%BC%94

*2:阿津賀志山異聞2018巴里で歌われる「向かう槌音」に登場します。