こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

刀ミュ 江水散花雪 感想 / 歴史を守るその意味は~和泉守兼定と肥前忠広を中心に~

江水散花雪感想、2記事目を書きました!
この記事では、江水散花雪とはどういうテーマの作品だったのか?というところと、
極になって帰ってきた兼さんのその成長および、本作でわたしが目を離せなかった刀剣男士・肥前忠広について書きました。
まんばちゃんと大包平について書いた1記事目はこちらから。
anagmaram.hatenablog.com


「歴史を守る意味」をシンプルに問い直す作品

江水散花雪、大筋としてはとてもわかりやすい物語だったように感じました。
複雑性は薄いというか、観念的な部分もあまりなかったというか。
設定上の謎が残される部分は多々あれど、直球ストレートが投げ込まれてきたな!?という印象が強かったです。
なんせ、ここ最近の刀ミュの流れで言いますとね!久しぶりに本公演に三日月宗近の影がよぎらなかったので!ちょっとホッとしたところがあるというか、個人的にはそれだけでだいぶ見やすかったのです。笑
三日月推しには心労がありすぎるんよ。心覚とか心覚とか……あの作品のこと、私は未だに消化ができていません!
私の受け取り方が極端すぎるかもしれないけど、江水には見ながらドキドキして疑心暗鬼になったりする必要がなかったといいますか……(三日月推しの心労を、どうぞお察しください。。笑)
少年漫画感というか、ジャンプ感?努力・友情・勝利!が久しぶりにすごく強い作品だったなぁと思います。
それももちろん受け取り方は人によると思いますが、個人的にはからっとしていて勢いがあって、大好きでした!


今回の主題は、「そもそも、刀剣男士はなぜ歴史を守らなければならないのか」という任務の意義に向き合うことだったように思います。
「もしも本来出会うはずのない吉田松陰井伊直弼が出会い、友情を育んだら?」のIfから始まった、正史とは異なる歴史の歩み。
その小さなIfから生み出された新たな流れは、こぶし大の雪玉が急な坂をひとりでに転がり落ちていく間に巨大な塊に変わっていくかのように、いつの間にかどんどんと歴史全体においても大きな変化を生み出してしまう。
仮に歴史が守られなかった場合、その世界では何が起きてしまうのか……その様子が物語の中で大変わかりやすく提示されたために、刀剣男士たちの任務の重要性や意義が浮き彫りになったように感じました。


歴史が改変されてしまうと、失われる多くの物事がある。
代わりに生まれる良い変化もあるけれども、しかしそれは積もり積もって結局は「今」を否定することになる。
今回の部隊が遭遇した幕末の世界では、徳川家の将軍後継者問題も起きず、安政の大獄も、桜田門外の変も起きませんでした。
その結果として大政奉還明治維新に相当する出来事が数十年前倒しで起き、戊辰戦争にあたる内戦もなく、改革はすべてが平和裏に進められました。
確かにその歴史は素晴らしいものだったかもしれないけれど、そのまま進んでしまえば、その先にあるのは今とは全く異なった世界になることはどうしたって明白。
歴史改変を許してしまえば、今立っている自分たちの立ち位置が危うくなる。存在そのもの、実在を揺らがす事態になる。だからこそ、歴史は守られなければならない。
それは自分たちの今と未来を守るための戦いなのだと、刀剣男士たちの任務そのものについて、今回そんなふうに理解しました。


そして想像ですが、本作で主が出陣前の山姥切国広に託したのは、以下のような内容だったのではないでしょうか。
「今大包平たちが向かっている遠征任務先の幕末の様子が、どうもおかしい。
このままだと歴史改変が手のつけられないレベルまで進み、最悪、放棄された世界になってしまうかもしれない。
……が、裏返せばそれは歴史の重要性に向き合う経験を積める、またとない機会にもなるだろう。
だからギリギリまで手を出さずに彼らを見守っておいてほしい。万一危険が及んだ際には確実に退避ができるよう、サポートしてほしい」
こんな感じの無茶振りだったんじゃないでしょうか。
放棄された世界の可能性を睨みながら出陣を続けることが主の意図だと事前に伝われば、きっと余計な反発もあるだろうからと、山姥切は「俺が勝手にやったことにする」と告げて出陣したのだと思います。

危険と隣り合わせではありながらも、放棄された世界の恐ろしさに向き合えば、嫌でも歴史を守る任務の重要性は深く刀剣男士たちの内側に根を下ろす。
その機会を特に狙いすましたというわけではないのでしょうが、せっかくならば役に立てておきたい、大変だけど山姥切になら任せられる……みたいな背景の任務だったのかなぁと感じました。*1


実際に、今回出陣した男士たちはみなそれぞれに成長を遂げたことと思います。
隊長を任じられていた大包平にとっては事態そのものが大きな試練だったでしょうし、
どこか達観していて主に執着しない風でもある小竜景光にとってはそんな自分の内面に向き合うきっかけが生まれ、
無邪気に「良いこと」を信じてしまう危うさがある南泉一文字には刀剣男士としての自覚が深く刻まれ、
”人斬りの刀”という出自と主への思いの間で複雑に葛藤する肥前忠広には思いもよらない感情との出会いがあり、
修行を終えて戻ってきた和泉守兼定には、旅の中で確かめてきた元の主への想いを改めて抱き直す機会が。
立場は異なりながらも、各自が「歴史を守る」ことの意義を捉え直して、自分なりに何かを乗りこえたり視野を広げたりした、そんな出陣だったのではないでしょうか。

”修行”を経て一回り大きくなって帰ってきた、かっこよくて強い!兼さん

今回はなんといっても!極の姿が刀ミュで初めて登場した作品となりました。
作中で刀剣男士が修行に旅立つ姿が初めて描写されたのは、2017年11月~2018年1月に上演された「つはものどもがゆめのあと」でした(最後に今剣が本丸を旅立ちます)。
同じく2018年5月に千秋楽を迎えた「結びの響、始まりの音」で、新選組の刀4振りが修行に旅立っていたので、実に4年を経て刀ミュでもようやく修行フラグが回収された形です。

今回の兼さん、なっかなか舞台上に姿を見せないので不思議に思っていたら、まさかの極姿での登場。家で初日配信を見ながら叫びそうになりました。。
極の衣装もウィッグも、またあれはかなり大変な造形だと思うんだけど、素晴らしい再現度。これにはさすが刀ミュ!の一言。なびくポニーテールのまぁなんと美しいこと!
またここの登場シーンの兼さんのソロが、爆裂にかっこよかったですね!!!
周囲を取り囲んで爆踊りする時間遡行軍はもはや完全にミュージカル的ダンサーの役割を果たしてるわけなんですが(時間遡行軍の振り付けのせいで、兼さんがフロアを沸かしてる…ってなってた笑)、
ここの間奏の部分では2部の時間遡行軍ソング「吾が名を呼べ」が使われていたりもして。
劇場で見た時、歌終わりに兼さんが納刀し暗転した瞬間はもう呆けてました。あまりのかっこよさに呆然として拍手するしかなかった。
あんなにかっこよくて強い戻って来かたをするなんて、にくいね~!ってなる。(流石だよ兼さん!って脳内の堀川国広がスタオベしている)


またもう1曲のソロ「散る花を」では、盛大に涙腺をやられました。もうこの曲に関しては、有澤くんの表現が素晴らしかった。*2
千秋楽のあとに楽曲リストが明かされた時、作詞者を見て「ですよねー!!!」と叫びました。なぜならこの曲だけは、脚本の伊藤栄之進さんが作詞していたため。。いや~そうだと思ったよね。。
「奪うな、俺から、あの人を」っていうセリフが本当にしんどみ極まる。あんなの泣けて泣けてしゃあない。。

刀剣男士として”心”を得た今、もしあの人=土方歳三が違う道を歩んでいたら、命を永らえて後世で活躍していたら……そう自由に「想像する」ことを、兼さんは否定しない。
でも、決してそうならないために、自分は歴史を守るのだと、力強く言い切るのです。
「好きだから 美しいと思うから」のところ、メロディの美しさも相まって、聞いていて本当に涙が止められなかった。。
自分が愛したかつての主を奪うことを許さない。たとえ歴史の中で儚く散る運命であろうとも、その姿を美しいと思い、愛していたのだから。
かつての主の、歴史通りのありのままの姿を守ることが俺の役目だと、改めて誓いを立ててみせるような兼さん。
その姿は本当に堂々としていて、迷いがなくて、あまりにもかっこよかった。


兼さんに関する描写については、修行に行って戻ってくることの意味をこれ以上なく表現している脚本と演出で、すごく説得力があった!と感じました。
原作ゲームの設定どおり、刀剣男士たちがかつての自分の足跡に向き合うことで新たな強さを得て帰ってくる”修行”というイベントを、
舞台上の物語の中にしっかりと落とし込んで、表現しきってみせたなという印象でした。

”人斬りの刀”である事実に向き合い続ける肥前忠広

今作でわたしが夢中になって見ていたのが、肥前忠広でした。
彼は”人斬り以蔵”の持ち刀であり、幕末期に刀として実際に多くの人を殺める武器だった存在。

物語の後半、肥前くんは今回の誤った歴史の流れを元に戻す一助にならないかと考え、闇夜に紛れて”天誅”と称し、本来は幕末の混乱期に命を落としていたはずの人物を密かに手にかけていきます。
それを目撃した兼さんに「人斬りは楽しいかい?」と声をかけられたあとの、ふたりの一連のやりとり。
咎められたかと思った肥前くんが、兼さんに皮肉を込めて言い返す「人斬りは楽しいかい?」なんですが、
ここの一言が初日配信で見たときと東京公演終盤では、言い方が全く違っていたのがとても印象に残っています。
最初はどこか揶揄するような、兼さんを煽るような調子での言い方だったのが、
公演終盤では何がしかの感情をぐっと堪え、ワントーン落とされた「人斬りは楽しいかい?」になっていて。
それはまるで「楽しいわけねえだろ、そんなのあんたが一番よくわかってんじゃねえか?」とでも言いたげな調子に聞こえました。


しかしそんな彼のかつての主は、改変された歴史の流れの中では”人斬り以蔵”からその立場を大きく変えており、折り目正しい振る舞いで勝海舟の警護にあたっていました。
夜の街中で彼と出くわし、そのまま刀を交えることになった肥前くんですが、
「人を斬って、何になるというのです!」と以蔵本人から面と向かって怒鳴られ、返す言葉を失います。
まるで主自身を否定するかのような言葉を本人から投げかけられた肥前くんの心中、察するに余りあるもの……。
以蔵に対する「やめろ、その喋り方!」という肥前くんの叫びは、自分が知っている本来の姿ではないことへの耐え難い抵抗を表していたと思います。聞いていてとても苦しさが伝わってきました。
この一連の歴史改変による岡田以蔵の変質は、肥前くんにとっては己の存在否定にも繋がりかねないもので、あまりにも過酷。

結局、そのまま岡田以蔵を斬ることができなかった肥前くんが歌うソロ「人知れず」。
曲中に漂う、何とも表現し難い哀しみがとても見事でした。見ていてどうしても苦しくなってしまう。。
限界まで照明が絞られた暗いステージの上、哀切のこもるメロディに乗ってひとり暗躍するように刃を閃かせる肥前忠広。
彼の周囲にかざされる提灯は、当時岡田以蔵が斬った相手である藩のものばかり……
人を斬る、誰かの命を奪うことを、今も昔も己の役目として在り続けるその様子。
そんな自分をどこか自嘲するようでもある肥前くん。しかし一方でその在り方こそが、肥前くんと元の主を繋ぐものでもある。


その後、”放棄された世界”となった後の江戸で、肥前くんは自我を失った状態の岡田以蔵と再び出会い、自らの手で彼を斬ることとなります。
答えがないとわかりながらも「正しい歴史と今回のこの歴史、あんたにとって、どっちが幸せなんだよ!?」と問いかけずにはいられない肥前くん。
人斬りとして生きたことは、果たして元の主にとって幸せだったと言えるのか。その人生を、主自身はどう捉えていたのか。
歴史の流れが揺らいだことで、付随して主への思いも様々にかき乱されていく中で、それでも全てを堪え、最終的に肥前くんは以蔵の命を奪います。

直後の肥前くんが行き合ったのは、他でもない兼さんでした。
荒い息を吐き、複雑に吹き荒れる感情を身の内に押し留めたような顔で駆け込んできた肥前くんを見て、兼さんは何が起きたのかを察し、
「泣けよ。……俺は泣いたぜ。一度だけな」と声をかけます。


兼さんの言葉に肥前くんは胸を突かれたような表情になり、じわりと膝を落として泣き崩れます。
その肩を優しい表情でぎゅっと抱いて、ぽんぽんと叩いてやる兼さん。
そして、この時に背景に流れる音楽……それはむすはじのラストで、土方さんが最期を迎えるシーンに流れているのと同じものでした。
むすはじのあの場面で、膝をついて子供のような泣き顔で泣いていた兼さん。
目の前の江水の世界に重なるように、むすはじの当時の光景が記憶の中からありありと蘇ってきて、「本当にまたこうやって……文脈で殴るように泣かせてくるんだから刀ミュは!?」ってなりました。あんなことされたら、泣かずにおれんだろ!

函館で、主の死に向き合ったあの感情を経験したことのある兼さんだから、肥前くんの痛みが手にとるようにわかり、余計なことを言わずにただ肩を貸すことができる。
ほんの少しの間だけ、うつむいて涙を零す肥前くん。
でも抱き起こすように肩に回された兼さんの腕をふいと払って、すぐに堪えるようにきっと顔を上げ、上を睨み据えてひとりで歩き出します。
それを受けた兼さんは、肥前くんの背を見てまたちょっとだけ笑い、自分もその後から何も言わずについていくのでした。
この程よい距離感が!ベタベタしてないこの感じが!!!ミュージカル刀剣乱舞!!!ってなります……好き!!!


あの時兼さんがいてくれなかったら、肥前くんは自分の気持ちに折り合いをつけることができなかっただろうし、
涙という形で感情を吐き出すこともできなかっただろうと思います。
それは本当に苦しいことだと思うから……頼れる先輩としての兼さんが、あの時隣にいてくれて、本当によかった。

刀ミュを見ていると、ただ側にいることがそれだけで誰かの力になるのだなと感じさせられるシーンが、本当にたくさんあります。
根底の部分で、生きること、人が人を思うことを信じているその脚本の力が、私はやっぱりとても大好きです。


「かなしいことがあっても、そのさきに、ぼくたちがいるんだから!」という、今剣のかつてのセリフに全てが込められているようにも思うのですが、
歴史を守ることは、大切な人のかつて生きた足跡を愛すること、そこから繋がっている未来に立つ自分たちの存在証明でもある。
うまく表現できないのですが、過去に何かしらの深い思い入れがあってこそ、刀剣男士の歴史を守る任務は成立しうるものなんじゃないかなと、兼さんと肥前くんの姿を見ながら、そんなことも改めて考えた作品でした。
何が正義だったのか、それは時代や立場によって大きく移ろう。それでも、自分が今ここにいるのは過去あってのことなのだと、それをまずは全て肯定してこそ、先に進んでいくことができるのだと。



寝かせすぎたこともあり、読める形の感想としてまとめられるのはこのへんまで!ということでそろそろギブアップ。。書けてないことが多すぎるけど、触れられてない刀剣男士も場面もみんな当たり前に好きなのよ……!
江水はなんでか、見ていて本当に少年漫画みたいな疾走感を感じたんですよね。
刀ミュがシリーズとしてだいぶ長くなってきたぶん、自分の視点にはどうしても様々に過去の文脈が乗っており、その分小難しい見方になってしまうことも多いなと感じたりもするのですが、
本作はそのへんの肩の荷があまりなく、シンプルにワクワクして「楽しい」に全振りして見ることができたように思います。楽しかったです!
公演を通じて様々な困難もあり、半端に触れることが出来なかったのでその件については何も書き残せませんでしたが、とにかくトータルで大好きな作品でした。アーカイブ配信、待ってます!!!

*1:しかしそんな主にも予測できない結果として、まんばちゃんは自分だけが本丸に帰らない選択をしかけてしまうのですが。。このあたりは江水感想の1記事目に詳しく書きました。

*2:「散る花を」ですが、途中でTheme of Shinsen-gumiのメロディを使いやがりましたね。いやそれを、兼さんが歌うかよ!?と思って本当にびびった。幕末天狼傳初演から、絶対に逃さないという刀ミュくんの強い意志を感じた……。