
今回のお題は「”好き”の対象が変質したとき、その事実にどう向き合うか」です。
オタクを長くやっていると、本当にいろんなことが起きるものだ。本記事、短いので目次無しです。
向き合い方、とタイトルで言っているんですが、あれかも。向き合わない、がひとつの答えなのかも。
なぜなら私が出した結論は、ひたすらに「距離を置く」だったので。
自分にとってのめちゃくちゃ好きなコンテンツや人があったとして、その在り様が変わっていくことは往々にして起きると思います。
時間は流れていくものなので。変化を止めることは出来ません。
そしてその変化とともに自分も一緒に変化していくのがもしかしたら理想なのかもしれませんが、なかなかそうもいかないもの。
もしも、自分にとっての「好き」が昨日までとは全く違うものになってしまう日が突然来たら、
こちら側にできることはそっと距離をとって離れる、それ一択なのだと最近とみに思います。
無理をしてまで”向き合う”必要はないんだと思う。
そして変わってしまったものは、仕方ないというか、正直なところ、どうしようもない。
こちらからどうこう出来るものでは基本的になく。
どうしたってオタクは提供されたものを一方的に享受する立場なので、そこに齟齬が生まれたらもうしょうがないというか……出来ることがあると思うほうが、おそらくは間違っている。
なぜ距離を置くのが良いのかというと、その方が自分の「好き」を大切に守れるからだと、私は思っています。
どうして変わってしまったのか?と納得のいかない気持ちで向き合い続ける行為は、おそらくどこかで執着に変容していく気がするし、最悪なパターンだと過去に大切で大好きだった時間までを否定することに繋がりかねない。
あのときの大好きだったキラキラした気持ちをそのままにとっておくために、いったんダッシュで遠くまで離れてみる、というのが長い目で見て結局は一番有効な気がします。
熱烈なファンが反転アンチに変わるのは本当によくある話。
たとえば2.5界隈でいうと、とにかくキャス変(キャラクターを演じるキャストの変更、交代)へのアレルギー反応には苛烈すぎるほどの凄まじさがあるなと思います*1。
それまでの公演を愛してきた人にとっては、過去キャストは絶対的でありものすごく切実だし、換えが効かない大切な存在だというのは痛いほどにわかる。そりゃもう、当たり前である。
だけど、それを現キャストに対して全否定の形でぶつけにいくのは絶対に違くない?と、いつもこの手の話題を見かけるたびに思います。
そこには新たに同じ役を演じる人が、あなたと同じ「生身の人間」として存在するのだという事実を、絶対に忘れてほしくないのだが……と感じるような行き過ぎた言説を目にすることがあまりにも多い。
言ってしまえば、別にキャス変を受け入れる必要なんてないんですよ。
過去のキャストしか認められない、見たくないというのも個人の感情として当然に尊重されるべき。
だけど、それと変更後のキャストを全否定する発信が当たり前に正しいものと捉える姿勢はどうしたって違うだろ?と思う。
愛とは別に正しさを示すものではない、ということです。
感情の濃さ、思い入れの強さは正義にはならない。
自分が見ている世界はあくまでも自分だけのもの。
それにもかかわらず、自分から見えているひとつの世界を他者からも当然に尊重してもらって然るべきという態度は、さすがに視野が狭小だなと思わずにはおれません。その上で更に、新たな表現を届けようとしている生身の人のことを傷つけても構わないという態度*2は、私には到底受け入れられない。
過去に好きだった何かが変質し、たとえその今の姿が自分にとっての「好き」ではないとしても、きっと今のその姿を大切に思い、かつての自分同様に愛している人たちも当然いる。
これらの事実を踏まえて考えた時、
自分にとっての切実さや受け入れられなさを内側に大量に抱えた上でまだできることがあるとしたら、それは「距離を取る」一択だなぁと思うんですよね。
どうしても湧き上がってくる不満や悲しみややりきれなさは、不特定多数が目にしうるSNSじゃなく、できれば身内との会話で昇華できるのが、多分あらゆる意味で一番良いように思います。*3
なにかしらの事情があって「いったん距離を取って思い切って離れる」という選択をしておいた結果、時間が経って再会したときに、かつてと同じように楽しめたり、やっぱり大好きだなぁ、と思える可能性はちゃんと残る。
……ということを、私はこの2年くらいで、身をもって学びました。
もともと思い入れが死ぬほど過剰で好きな対象には激重感情を抱きがちな人間なので、自分がそういう選択をできたことに、もはや感動すら覚えた。
好きで居続けられないのはたぶんある意味挫折でもあって*4。それを認めるのがとても苦しくて難しい瞬間もあるんだけど、だとしても、思い続けて「嫌い」になってしまうよりは、遥かにいいなと。
ずっと好きな「ままでいる」ことは難しいかも知れないけど、
かつての好きを「大切にとっておく」ことは出来る。
向き合い続けた結果、疲弊してその対象を嫌いになってしまうよりも、私はそっちを選びたいなと思う。
この話題に関して具体的には何についての話をしてるの?という部分には触れずに、概念的な話に終始しているのは、わざとです。
それもまた、私の中での「好き」を守るひとつの答えなんだなと、思っていただければ幸い。
以上、あなぐまアドベントカレンダー2024の23記事目「”好き”の対象が変質したとき、その事実にどう向き合うか」についてでした。
明日更新予定のお題は「筋肉は全てを解決する(ただし発展途上)」です。……今回のテーマの次がそれ!?となり、我ながらこのブログの筆者の情緒が不安になりすぎる。この流れ、大丈夫そうですか???そもそも明日ってクリスマスイブなんですけど、そのあたりは全無視しています!お楽しみに!