こたえなんていらないさ

ミュージカル『刀剣乱舞』を実家とする舞台オタクのブログです。推しとご贔屓がいます。

刀ミュ 幕末天狼傳2020の感想その2(主に沖田くん/清光/安定をめぐるあれこれ)

前回の記事、一番書きたい内容にたどり着けないままだったので、改めてそこだけにフォーカスした記事をさっとまとめます!
(毎年大晦日になんやかんや必死で何かを書いている気がする…!)
anagmaram.hatenablog.com




◆心情を表に出す部分がぐっと増えた清光

初演では、沖田くんを追い求める安定を、ひとりそっと後ろからただ見守り続けている…という雰囲気の立ち位置で描かれていた加州清光
ふたりでひとつ、いわゆるニコイチである沖田組において、清光から沖田くんへの執着は果たしてそんなに薄くて大丈夫なのだろうか?表に出さない分、内面ではものすごい無理をしているのでは…?と、見ていて心配になるくらい、初演の清光は大人びていたように思います。
愛したかつての主が決して助からない、その運命をひとり、淡々と受け入れているように見えて。
でも今回の再演で、そんな清光の描かれ方は大きく変化していました。


まず、ソロナンバーが追加されました。タイトルは『あかき花 散り紛ふ』。
その歌詞は、戦いの中で折れた刀としての自分の来歴や、歴史の中で眩しく散っていった新選組の姿を深く思うようなもの。決して荒ぶることはないけれど、内に秘めた思いの濃さがぎゅっと詰まっているようで、なんというか「静かな激情」を思わせるような歌詞でした。矛盾するようなその言葉が、とてもしっくりくるような世界観の歌。
それを表現するりゅうじくんの清光の歌声が圧巻で…本当に、また歌がうまくなられたなと…。
聞いた瞬間に「あ~これは和田俊輔さん」とわかる、あの難しそうすぎる複雑なメロディを、自分のものとしてしっかりと歌いこなしていて。
「切な気」という言葉ひとことで表してしまえば簡単なんですが、それだけでは表現が追いつかないというか、もったいないというか。
瞳に込めた思いの強さと、奥底にある炎のきらめきと、どこかで何かをほんの少しだけ諦めたような哀しさと。
あれだけ誰にも負けないほどに愛らしくありながらも、哀切をわずかに覗かせるその塩梅が、とにかく見事だなと思います。りゅうじくんは、歌声に心情を自然に滲ませるのが、やっぱり抜群に上手い。
清光にこの歌が増えていたこと、本当に嬉しかったな…。


そして文久三年の武州多摩に出陣後、沖田くんの姿を目の当たりにしたのち、安定が「新選組に入隊することができたら、沖田くんを守ってあげられるのにね…」とこぼすシーン。
ここでふた振りに追加された『のら猫二匹』という曲がまた…!正気を失うかと思うくらいに、可愛かったです。
いやぁびっくりしました。あまりの可愛さにディズニーかな!?ってなった。
沖田組を好きな人、あの瞬間に死んでしまっていませんか…?と思うような、まさしく夢の光景でした。
清光と安定の、ほかの刀剣男士の中においてもちょっと珍しいような、横並び・イコールな唯一無二のペア感が、これでもか!というくらいに表現されていたナンバーでしたよね…。
また歌ってる最中の、二人の表情が見事なんだよな!?
「青い瞳のたれ目!」って言われたときの安定は「えぇ~何?僕のこと?」って感じでそこでようやく気づくような様子が可愛いし、
「赤い瞳のつり目!」って返された清光は「もう、なんだよぉ~」みたく、ぎゅーっと眉根を寄せてイー!みたいな顔をしてて…むちゃくちゃ可愛かった。。
そんでもって、最終的に「本当は 甘えたい」で互いに指差ししながらユニゾンされてしまって、わたしはもう。。
そうだよねーーーーー本当は、甘えたい、よねーーーーー!!??になってしまった…。
そんな風に、本音らしきをふた振りがそろって表現する場面があることが、とても嬉しかったのです。


沖田組のふた振りに関してもうひとつ、再演でびっくりした変化がありました。
千駄ヶ谷に訪ねてきた近藤さんと土方さんを見送ったあとの沖田くんが「僕の夢は…叶ったんだ」と笑顔になり、次の瞬間ひとりで激しく咳き込むシーン。
その辛そうな姿を目にして、初演では、安定ががっくりと落ち込んだようにうなだれ、清光はその背後から安定に手を差し伸べようとしますが、思い直したようにその手を引っ込めてしまう、という描写がありました。
しかし再演では、この役回りが、綺麗に反転していたのです。

同じ場面、苦しそうな沖田くんを目の前に、立ち尽くす清光と安定。
次の瞬間、清光はぐっと深く視線を落として拳を握りしめ、そのままなにかを振り切るかのように、その場から駆け出してしまうのです。
そんな清光に驚いたようにはっと顔を上げて、その後姿を視線で追いかける安定。
役割が逆転したこの沖田組の様子には、本当に驚かされました。

仲間に無理を言って、因縁の池田屋事件でも沖田くんと行動を共にさせてもらい、刀だったころの心残りに決着をつけることができた安定。
そうしてそれまでの過去に比べて、明確に一歩を踏みだせた安定に対し、実はまだ表現しきれないわだかまりを抱えているままの清光。
そうだよな、清光にだって口にしてないだけで、向き合うとどうしたらいいかわからなくなる感情が、本来たくさんあるはずなんだよな…って、しみじみとしてしまった。

近藤勇処刑の日。そこに駆けつける沖田総司、その背景にあったもの

初演の沖田くんは、人の言葉を喋る黒猫に近藤さんの処刑を教えられ、その言葉にそそのかされるように、手に握る刀の力にその身を操られるようにして、処刑の現場に現れます。
処刑の事実を告げられて動揺するものの、すでに自由に動き回る体力を失っている沖田くんに対して「私なら、貴方に力を貸してあげられますよ…」というその黒猫の存在は、明確に語られることはありませんが、処刑を阻止する=歴史を改竄するというその狙いからして、明らかに歴史修正主義者側のもの。
つまりは、物語における「敵方」によって、意図しない形で自らを乗っ取られているという描写となり、その姿は阿津賀志山異聞の義経の姿と重なるものです。

個人的にはですが、この描写があまり得意ではありませんでした。
理由はシンプルで、本心とは異なる形で意志を乗っ取られている元の主って、見ているとなんともいえない辛い気持ちになるもので…。
ふらつきながら駆け出した沖田くんの背後に猫の鳴き声が重なり、おそらくは菊一文字を意味するのであろう菊の紋を背景に、刀のシルエットがおどろおどろしく映し出される…という演出も、なんだかそれまで描かれてきた世界観の中からするとひとつ飛躍があるように感じられて、当時見ていて自分の中ではうまく飲み込めなかったんですよね。
…というのも多分無理はない話で、まだシリーズ二作目だった初演時、史実をベースにした物語に刀剣男士という存在を絡める上で、演出上のファンタジー要素とでもいうような部分が、今よりもずっと多かったんじゃないかなと感じます。まだ刀ミュという世界の中で描ける範囲について、手探りの部分が多かった時代。*1
しかし同様の表現があった阿津賀志山異聞は、2018巴里において、表現に明確なブラッシュアップがなされていました。
それを受けての幕末天狼傳の再演…。ここはいったいどう処理するのかなぁと思ってんですが、、
「そうか、そうきたかーーーー…」と、思わず絶句するものが待っていました。


初演と同様、庭先に現れた黒猫に「ごめんよ、今は遊んであげられないんだ…」と零す沖田くん。
その背景に静かに流れ始めたのは、聞き馴染みのあるあのメロディ。
しくしく くれくれ…の、「華のうてな」の旋律でした。
劇場でこの音に触れたとき、いや普通に想像しとけよって話なんですけど、なんか全然思い至ってなくて、まんまと死ぬかと思いましたね…。


初演では、沖田総司の自由を奪って無理矢理に近藤勇の処刑を封じようとしていたあの演出が大きく変わり、
謎の声が「近藤勇が処刑される」という事実だけを、ただ告げていなくなる、という表現に変わっていました。
そしてその謎の声とは、言うまでもなく…三日月宗近なわけです。
「つはものどもがゆめのあと」以降に上演される刀ミュ本公演作品においては、明確にその姿を表す場面が差し込まれるようになっているので*2、幕末天狼傳だとて覚悟しとかないといけないやつだったのですが…初見時はもうだめでした。無理だった…
葵咲本紀のときと同じで、明らかにこの場面になった瞬間に体温が下がったし、その後数分の記憶が吹っ飛んだよね。。どうしてこうなるの…?って思いながら見てた…


だって、声にどれだけエフェクトがかかっていようと…わかってしまうものがあるのよ。
近藤勇が、処刑されるなぁ」のところが、一番エフェクトが弱かったと思ってるんですが、「近藤勇が」の「が」の鼻濁音の名残りとか、語尾の「なぁ」の処理とか、よく知っているあの人の発声…となりまして。
そら、推しだもの…セリフのいいかたでわかる…涙
極めつけに、その声が最後「よきかな よきかな」って言うんですけど、心の中で「よくねーーーーーーよ!!!!!」って叫んでいましたね。いや、怒ってるとか嫌とかじゃなくて…こう…受け止められないというやつです…嫌とかじゃない(だけど無理)。

◆今回の三日月の「目的」は、何だったのか

なぜ、あの場面に三日月が現れたのか。
これまで描かれてきた彼の刀の在り方に照らすに、三日月は、歴史の中で「散り果てること」が運命づけられている新選組という存在に対して、その無念の端っこをそっと掴んで、それを和らげる方向に、ほんの少し歴史を傾けたのだと思いました。
最後まで仲間と共に戦うことの叶わなかった沖田総司の無念。己の思いを託した弟のような存在を残して先に死んでいく近藤勇の心残り。
結論が変わらないとわかっている中で起きる、掛け違いのようなほんの一瞬だけのふたりの邂逅。
そしてその場面に正面から向き合う、夢やぶれた主の面影をずっと引きずっているふた振りの刀。


刀ミュにおいて、三日月が人の前に姿を表したり、歴史に介入するパターンには、おそらくふたつあるのだと思います。
ひとつ目は、歴史そのものの本流を担う人々の前に何らかの形で現れて、その行く先=歴史上の事実を知らせ、取るべき行動を教え諭すようなパターン。
もうひとつが、歴史の裏側に紛れて表舞台には姿を表さない人々に対し、直接的に歴史を守る手助けを依頼する=彼らを「物部」とするパターン。
前者がつはものから描かれてきたもの、後者が葵咲本紀で明かされたものです。


今回の三日月の行動は、前者の亜流とでもいうものに該当するのだと思いますが*3、その行動がどう考えても決して合理的ではないところ、「なぜ私に全てを教えてくださったのですか」と、藤原泰衡がたまらずに言葉をぶつけたあの場面と、根底にあるものが似ている気がします。
三日月は、仮に沖田総司近藤勇の処刑の事実を伝えても、彼が自力で処刑場にたどり着けないことは、わかりきっていたはず。
ではなぜそんな行動を…?と考えると、沖田総司の愛刀ふた振りが、彼のすぐ側にいることに、思い至ります。
三日月は、倒れそうになりながらも懸命に近藤勇の元へ足を運ぼうとする沖田総司を見た時、清光も安定も、居ても立っても居られずに行動を起こすだろうことを、全て見越していたんでしょう。
…となると、もしかすると今回の目的の本質は、本丸の仲間へ向けられた眼差しによってなされたものだったのか…とも、思う部分があります。
過去にあった出来事を「歴史」として受け止めて、今いる場所からふた振りが先に進めるように、行動を、思いを共にする時間を、歴史の中にエアポケットのように作ってやったのか…などと思ってしまう。
でも、それもどうかはわかりません。
だって、三日月の行動には、人への優しさが根底にあるのと同時に、こちらの理解を拒むような、どこか気まぐれめいた透徹した冷たさも、あるような気がしてならないのです。
優しさと非情さが、矛盾することなく内側に同居しているように思えるんですよね。
悟らせるようで、その内面を決して掴ませることはない。
彼の心情について、そう簡単に「わかる」なんて言えないのが、刀ミュにおけるつはもの以降の三日月だな…と、改めて思いました。


最後にもうひとつ!
時間遡行軍から沖田くんを守るように戦いながら、処刑場に現れた清光と安定。
堀川と顔を合わせたその時、清光は一言「…ごめん。」と言います。
それを受けた堀川は「…いえ。気持ちはわかりますから。」とだけ言って、振り返らずに次なる敵の方へと駆け出していきました。
ここの、この描写に出くわすたび、見ていて壊れたように泣いていた。
清光だって安定だって、自分たちがやっている”沖田くんが近藤さんの元に行けるように手を貸す"という行為が、歴史的に「正しい」行いじゃないことは嫌というほどわかっていて、でもどうすることもできなくて…。
そんな二人を責めるでもなく、手助けするでもなく、ただ「気持ちはわかりますから」という言葉だけを置いていく堀川。
これだけで、そこにある信頼関係の深さが垣間見えようというもので…
刀ミュ本丸の、この馴れ合わないけれど深く「仲間」として結びついている関係性が、わたしはやっぱり本当に好きなんだ。。と、今回改めて打ちのめされるように思ったのでした。





…姿を表したわけでも、ないのにねぇ~。。いない人についてこんなに書いてごめんなさいでした。
もともと、幕末天狼傳に振れると情緒が盛大にバグるように出来ているんですが、今年はいろいろな状況が重なった上に、「華のうてな」の一件で本格的におしまいの人になりました。
言いたいところだけピンポイントでたくさん書きました。ようやく幕末天狼傳2020に幕を下ろした。やりきった~~~!(個人的達成感)

*1:出版された幕末天狼傳の脚本巻末についている茅野さん・御笠ノさんの対談で、そのような内容が実際に語られています。

*2:「三百年の子守唄2019」では直接三日月の行動について言及されることはなかったものの、あとに続く「葵咲本紀」でその行動の全貌が明らかになっています

*3:新選組は「悲しい役割を背負わされた人」には違いないのですが、言わずもがな歴史においては明確に名のある人たちであり、つはものにおける源頼朝や、藤原泰衡と同じです。その点からも、沖田くんが近藤さんが物部であるという考察はまず成り立たないと考えます。そもそも三日月から存在明かされてないですしね。