こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

ディズニーミュージカル「ニュージーズ」@日生劇場を見た感想

日生劇場で上演中のミュージカル「ニュージーズ」を10月16日ソワレで観劇してきました。

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背後に見えてる宝塚…ではなく、今回は日生劇場です

2020年に上演予定だったもののコロナの影響で全公演中止、そこから約1年半後の上演となりましたが、本当に見られてよかった。
音楽がアラン・メンケン日本初演のディズニーミュージカル、そこに演出が小池修一郎先生…という情報を見た時点で絶対に絶対に!見たかったし、そんなのもう「勝ち確」でしょ?!とすら思ってたんですけど、予想してたものの数十倍素晴らしいものが見られて、その幸福感に大げさでなく客席で涙が出ました。。
あ~~本当に!素晴らしかった!!!見てよかった。


以下、ざっとですが感想をまとめます。
(※これを書いている人はざっくりと「ミュージカル」が好きな、いち舞台おたくです!そしてネタバレ的な部分、中身にも触れるので未見の方はご注意ください。)

なんかもう、良すぎて、「良い…」しか言えなくなりそうになるのですが、ミュージカルが好きな人が「こんなものが見たいな~」と思うものを「ばっちり用意しといたよ!!!」って感じで、惜しげもなくゴージャスにどかん!とこちらに手渡してくれる。それがニュージーズでした。良すぎる…。




◆圧倒的ハイクオリティ&息つく間もないダンスシーンの数々

まずわたしが度肝を抜かれたのは、やはりダンスの迫力にでした。

20世紀目前、1899年のニューヨークの街で、ひとりひとりが”個人事業主”として新聞を売り歩く少年たち、ニュージーズ。その多くは孤児で、頼る保護者のいない中、自分たちの力で新聞を売りさばいてたくましく生きています。

作品の中心にいるのは、主演の京本大我くん、そして隣で一緒に話のメインを担う松岡広大くんと加藤清史郎くん
京本くんはマンハッタンを取り仕切るニュージーズのリーダー格、ジャックを演じ、広大くんはジャックの相棒的存在のクラッチー、加藤清史郎くんは一般的なニュージーズたちとは異なり、両親がいながらも父の怪我により幼い弟連れで働き始めたやや毛色の変わった少年、ディヴィを演じます。


出演キャストの大半は、上記3名と一緒にニュージーズを演じる、若手を中心とした俳優の皆さんです。
すでにミュージカルで実績を多数積まれた方がいたり、バレエ団に所属していた方がいたり、はたまたこの舞台が初出演の方もいたりと、様々なバックグラウンドの方が集合しています。ベテランとルーキーが入り混じった層の厚いチームなのですが、彼らが繰り広げる圧倒的なダンスシーン、見応えがものすごいことになっていて。あっけにとられてしまいました。

日生劇場のステージ横幅をいっぱいに使って、躍動し、跳ねまわる。エネルギーが空気中に直に放出されているようで、その生き生きとした表情も相まって、本当に目がまんまるになりました…。鳥肌が何度立ったことか。
バレエの素養のある方が多いのか、跳躍やピルエットがふんだんに取り入れられていて、ちょいワルな少年たちの物語なんだけれど、どこか洗練されたお洒落さのようななんとも言えないまとまり感もあって。
不良少年を表現するのにバレエの要素があることには、不思議なくらい違和感がありません。
二幕の冒頭にあるタップダンスのシーンもものすごい迫力で、あまりのかっこよさに涙が出たほど。タップまで見られるとは思わなんだ。。


大規模なミュージカルの場合、そういった見せ場になるようなダンスシーンって、いわゆるアンサンブルと呼ばれるキャストの方だけで構成されることもままある気がするのですが、ニュージーズの場合は主役級の3名もそこに当たり前に混じっていて、本当に全員で同じことをやるんですよね。(※タップダンスのシーンは物語の進行上、清史郎くんだけが参加しているのですが)
そしてその真ん中で堂々と跳ねまわる京本くん、本ッ当にかっこよかったな~!お見事でした。(キャストさんについて詳しくは後ほど!)


次に、やはりなんといっても音楽!
アラン・メンケンって、天才なんだと思う。…思わず言わなくていい当たり前すぎることを言ってしまった。
どうしたって心が踊らずにはいられない、圧倒的にハッピーなオーラをまとったリズミカルな旋律。歌う方は絶対にめちゃくちゃ大変な気がするんですが、聞いてるぶんにはもう、最高のひとことです。いやぁ楽しいよ…。でも本当に歌う側にとっては、かなり難しいと思う…!

二幕にある、ジャックとヒロインのキャサリンが二人で歌うデュエット「信じられるもの」を聞いているとき、途中で「わたしは!ホール・ニュー・ワールドを書いた作曲家です!」ってメロディを通して自己紹介されてる気持ちになって、ちょっと笑ってしまいました。それくらい強烈に、アラン・メンケンを感じた。笑

誰が聞いても文句なし、と言いたくなるようなパーフェクトに楽しくて賑やかなそのメロディに、先述の超クオリティのダンスがばんばか乗っかるわけですよ。
そう!そして群舞シーンは、ダンスだけじゃなくて歌もすごいんですよ!コーラスの厚みにもうめちゃくちゃびびりましたよ。
あれだけ踊って歌もしっかり揃えてくるって、どんだけレベルの高いカンパニーなの!?と思います。
もうこんなの見せられたら、どう転んでも楽しいに決まっていて、最終的に客席で「ミュージカル泣き」みたいな状態になった。ああ、これこそがミュージカル!みたいな喜びによって勝手にじわじわ出てしまう涙。
あ~~わたしはこれが!こういう瞬間が好きなんだ~!!!って全身が喜びに打ち震えるような感覚でした。
正面から最高のものをどーんと容赦なくぶつけられて、「うわ~~楽しい~~!!!」ってびっくりして心の中で興奮して転がりまわるのが、本当に大好き。(随分と落ち着きのない心象風景だな!)


つづきまして、各メインキャストさんの感想を!(主役は敢えて最後に触れるスタイルで)

松岡広大くん

わたしが舞台で見るのはわりとお久しぶりです!
広大くんはやっぱりどうしたってあらゆる点で芸達者で、見ていて感動のあまり「…アミューズ!!!」みたいな気持ちになる。(どんな気持ちだよ)(アミューズに全幅の信頼を置いているタイプのおたく)
今回彼が演じているのは右足が不自由なクラッチーという少年。常に右脇に松葉杖を抱えている状態で舞台に立っています。
なのでつまり、冒頭に絶賛したダンスシーンの全てで、本来広大くんが得意であるはずのダンスが完全に封印されているという状況…!
なんですが、他のみんなと同じようにとんだり跳ねたりができないクラッチーが、集団の中にいて決して阻害されたり埋没してしまわない振り付けと演出のつけられ方が本当に巧みでしたし、
何より周囲に比べ極端に可動域が限られた状態でもしっかりと「ダンスをしてる」ことがわかる広大くんの体の使い方が見事でした。
やはりあれは広大くんの抜群の運動神経とリズム感があればこそなせる技で、せっかくなら全力のダンスが見たい!とついこちらは思ってしまうけど、それなくしてもしっかりと魅せることが出来ているのが、抜群にかっこいいなあと!

あとは彼のお芝居がやっぱり好きです~。溢れ出る感情がとても濃くて生々しくて、ちょっと荒ぶるくらいの激しさでドン!と勢いよくその場に提示されるので、自然と気持ちが揺さぶられて泣いてしまう。
二幕の「感化院からの手紙」は、ボロボロ泣きました。本当にお芝居がうまい。
久しぶりに見られて嬉しかったな!

◆加藤清史郎くん

本当は、るろ剣京都編でその姿を見るはずだったんだぁ~…!(リベンジをずっとずっと待っております。待ってますからねこいけせんせ~!)
まだ二十歳になったばかりなのですね、と知ってその若さにびっくりするような、いや待てあの清史郎くんがもう二十歳なの!?ということにびっくりするような…。いずれにしてもびっくりしている。
ディヴィは他のニュージーズたちとは境遇が異なり、いわゆる「学のある」少年です。
ジャックに出会った当初はやや線を引いた態度を取りますが、その後実際に新聞を売っていく中で徐々に打ち解けていきます。
その頭脳でストライキのアイディアをどんどんと出し、ジャックやニュージーズの仲間たちをまとめていく明晰さ、かと思えばごく情熱的な一面もある少年。
前者の特徴は、なんとなくですが清史郎くん本人の持ち味というか人柄のようなものがうまく出ているのかな?と感じましたし(ものすごく似合ってて!)、
後者については半ば体当たりのようにがむしゃらに演じている熱さ・若さが今だからこその要素として噛み合った結果なのかなと思いました。
あとはやはり、役者としての説得力をすごく感じたんですよね。そこは流石のキャリアなんじゃないかなと…「俺を見ろ!」という圧を自然と出してしまえるタイプの役者さんというか。ディヴィは俺、というよりは僕、なんですが。思わず目が惹きつけられてしまうシーンがたくさんありました。
また別なミュージカルでお会いしたいので…るろ剣京都編、マジで頼む~!!!

◆咲妃みゆさん

今回初めて拝見しました!キャサリン、本当に魅力的だった…!
いってしまえばジャックたちの”敵”であるピュリツァーの娘であることを隠し、ペンネームを名乗ってジャックたちのストライキを取材する彼女ですが、
ジャックに一途に恋をするだけなのともちょっと違うし、もちろん上流階級からの同情でもなく、かといって板挟みになる自分の立場への哀れみでもないし…キャサリンのキャラクターってその芯になにがあるのか、どう構築されるべきものか、実はけっこう難しい気がします。
でもみゆさんのキャサリンはとにかく瞬間ひとつひとつに嘘がなかったなぁと。一生懸命で一本気で、愛らしかったしこんなの好きになってしまう!って思いました。

なにより、歌が素晴らしかった~!!!一幕にあるキャサリンのソロ「何が起きるのか」は、おい作曲家容赦ねえな!?と思うような難しい譜面で、セリフのように歌わないといけないかと思いきや高音低音あっちゃこっちゃ行くし、リズムは跳ね回るし、な、難曲…!と思わず感じたんですが、それをものの見事に歌いこなしていらっしゃいました。
最後のロングトーンを決めたとき、拍手しながら痺れてました。超~~かっこよかった!!!
二幕冒頭でニュージーズたちに混じって、スカートをふん!とたくし上げて本気のタップダンスを披露するところも、負けん気の強いキャサリンの特徴がキュートに炸裂していて、思わず笑顔になりました。可愛いよ~かっこいいよ~!

ラストシーン、新聞の卸値がもとに戻り、売れ残ったぶんは新聞社が買い戻してくれる新しい制度がスタートした場面。
自分の役割は終わったとばかりにニューヨークを立ち去ろうとするジャック。
彼を引き留めるキャサリンは「それにあなたは、もうひとつエースのカードを持ってる」と言います。
「それは…?」と問いかけるジャックに、キャサリンは満面の笑みでばっと勢いよく両腕を広げ、「わたしよ!」と高らかに答えます。
あの真正面の自己肯定からくるポジティブさが、嫌味なくかんぺきにハマる、あれは咲妃みゆさんのチャーミングさがあってこそ…!本当に素晴らしいヒロイン像だなと思いました!
千と千尋のリンが俄然見たくなりました!


そして最後になりましたが、

京本大我くん

もうね、素晴らしいの一言でした~!かっこよすぎる。ジャック、似合いすぎてる!

わたしが舞台で拝見したことがあるのは2019年のエリザベート・ルドルフ役だけなんですが、その2年前の記憶とひきくらべても圧倒的に歌がうまくなられていたと思いました。声量が格段にアップされたのでは?と感じた。
ものすごく「正統派」だなぁ!と感じる、とても丁寧なミュージカル歌唱に、新たにパワフルさがガツンと加わっていたような印象を受けました。

ジャックはニュージーズたちのリーダーで誰からも一目置かれるような存在なので、ある種のカリスマ性が必要な役ですが、その点の説得力もすごくありました。
みんながついていきたくなっちゃう頼もしさ、好きになってしまうかっこよさが備わっていて。
役どころとしてはれっきとした(?)不良少年であるわけなので、端正なお顔立ちからくるノーブルな印象からは割とイメージがつかない部分があったのですが、実際に見てみたら、そこに対する違和感はまったくありませんでした。

あの世界観の真ん中にいることが、とても似合っている。とくに一幕は出ずっぱりというか、出てる間は歌ってるか踊ってるかセリフ喋ってるかで、その運動量というか負担は凄まじいものだと思うのですが、それをクールにこなしている(ようにこちらからは見える)のも、本当にすごい。
小池先生が彼を主役に!と望んだの、すごくわかるな~という気持ちに勝手になってしまいました。


特に素敵だな、と思ったのは二幕、屋上でのキャサリンとの場面です。
素性を隠していたキャサリンに怒るジャック、嘘をついていたわけじゃないわと言い返すキャサリン
君が男なら/私が男なら殴ってた、という売り言葉に買い言葉のような言い合いの果てに、じゃあ殴ってみろよ!とキャサリンにけしかけるジャック。
でもキャサリンは殴る代わりに、唐突にジャックにキスをします。
その後の、ややぎこちないままなんとなく会話が本筋(ストライキをどうするのか)に戻ったあと、ジャックはキャサリンを制して、
「…これは?」と訝しげな表情で彼女をじっと見つめ、自分たちふたりの間にある空間を、そっと指し示します。
俺たちの関係って何?と、曖昧にせずに正面から問いかけるあのシーン。
なにかキザにかっこつけるでもなく、やたらぶっきらぼうになるでもなく、ジャックの心根の在り方がまっすぐなんだなぁと感じるような、やや無防備さも感じさせられるような空気感で…なんだか見ていてものすごく、キュンとなりました!ときめいてしまった。
とにかく見ていてファンの方はさぞや嬉しかろう…と思ってしまうような本当に素敵な主役姿でした。再演が叶ったこと、改めて心から良かったなぁと思いました。

◆どうしてこんなに魅力的な物語となったのか?映画版と異なる舞台版の脚本、キャサリンという存在について

以下はごく個人的な興味にもとづく、ちょっとした掘り下げであり、蛇足です。


もとは映画として作られたニュージーズは、改めて舞台作品とされる際に、脚本に変更が加わったそうです。(※パンフレットによる)
もともと、ジャックたちのストライキを取材し応援する新聞記者が男性だったところを、ピュリツァーの娘役としてキャサリンを創作し、彼女を新聞記者としたとのこと。
この変化により、豪華な製作陣の割に映画公開時には目立ったヒットとならなかった作品が、舞台版では打って変わって大ヒットした…という旨のことが書かれてあったのですが、すごく納得感があるような気がしました。


キャサリンはその当時で考えてみれば、恐らくはだいぶ珍しい「職業婦人」です。仕事を持つ若い女性はまだ一般的ではなかったはずで、ある意味ではキャサリン自身も、社会のメインストリームからは外れた存在と捉えることができます。
その世界の中心にいるのは、あくまでも彼女の父親たち。金持ちや政治家たち。


キャサリンは、ジャックたちによる新聞の卸値値上げ抗議のストライキを一面で取り上げる記事をサン紙に書くことで、彼らに加勢します。そして最終的には自分の父親の持ち物である古い印刷機を勝手に使い、強硬姿勢を貫くピュリツァーにカウンターを食らわせるような紙面をニュージーズたちと一緒にこっそりと作り上げてしまうわけですが、
その行動原理の根底には、一種の連帯感、仲間意識みたいなものがあるのかな、と感じました。


もちろんジャックとキャサリンでは置かれている生活境遇は全く違います。いくら仲間に慕われていてもジャックがその日暮らしを強いられていることに変わりはありませんし、キャサリンはおそらく寝食の心配をしたことなど生まれてから一度もないでしょう。
でも作品中ではそんな二人が、不思議なほど横並びに見えるのです。
「ええい、みんなで一緒になってやっちゃえば、なんとかなるでしょっ!」みたいなあの破れかぶれな勢いでゴリ押してしまえる感じ。
その中心にあるのは、ごく自然発生的な仲間意識のようなものじゃないのかなぁ…と思うのです。


原作映画を見てないからわからないけど、ジャックに協力する新聞記者が、たとえば上司に叱責ばかりされているうだつのあがらない男なら、あいつらをぎゃふんと言わせてやろう!といった連帯は、ジャックとの間に生まれ得る気はするんですね。
しかし仮にそうだとしても、社会構造的にはその記者はジャックの「上」にいる存在なのだと思うんだよなぁ。男として真っ当に職を持ち、あくまでも権力側の末端にいるような気がする。

でもキャサリンは違う。最初から彼女の前にはひとつ線が引かれていて、父親たちと将来的に同じ土俵で戦う存在だとは、おそらく誰からも目されていない。
ジャックとキャサリン「あらかじめ社会からはみ出した者」同士だったからこそ、全然立場が違うようであっても、同じ位相で無理なく手を取り合えたのかな?と思ったのでした。


もちろん、単純に記者が女性になることにより生まれたロマンスが、物語に新たな味わいをもたらした効果には、当然大きなものがあるとは思います。
月夜の屋上でのデュエット、それこそロミジュリのバルコニーみたいで素敵だったもん。

でも、キャサリンのモチベーションの中心はなんだか恋心とはちょっと違うような気が、個人的にはですが、しました。

印刷機を動かすために、言ってしまえば”上流階級仲間”である同業他社の息子たちをあっけらかんと引き込んでいるのも、使えるものは全部使っちゃえ~!みたいな図太さがあって、そこがまた良くて…!
いい意味で彼女にはだいぶ、自分勝手、自分本位なところがあるというか…?

あなた=ジャックのために、じゃないんだな、と思うんですよね。キャサリンが頑張るのは、わたしのために、なのだと思う。
目の前の大好きな仲間にとって"わたし"が良いと信じるゴールのために、できることをやりたい。そういう心意気を感じました。
というのも、当然見ているこちらの勝手な感じ方なんですけど、時代・お国柄を考えると、自立心にあふれるキャサリンの造形ならば、それもまたありえるのかなって。


…だらっと書いた割にあまりうまくまとめられなかったんですけど、ええとつまり、
お仕着せのような単純な「いい話」や、主人公たちのロマンスが描かれているだけに終わるのではなく、登場人物たちそれぞれに残るエゴイスティックさがリアルな人間くささに繋がっている点が、深い魅力のひとつになっている作品なのかな…と感じました!我ながら強引なまとめだ!
そしてその奥行きを生み出したのが、立ち位置の複雑さをまとうキャサリンの存在なのじゃないかなぁ、と。


ピュリツァー(松平健さん)もね、単純な悪役なわけじゃないところが、とってもいいんだ…。
彼はあくまでも自分のポリシー、商売人としての明確な損得勘定で動いているからこそ、得になると判断すれば最後はジャックの提案にも乗るわけで。
損得を見極めるや否や、変わり身は早いピュリツァーのあの人間味がとても好きでしたし、目の前で意を翻した相手を特に馬鹿にするでもなく、あくまで「ビジネス」の相手として受け入れるジャックの清々しさもまた、心地よく胸に残りました。



今回のチケットは一般でもぎ取ったやつで(土曜ソワレなどよくもまぁ買えたもんだ)、チケ難ぶりが半端なかった印象ですが、
近い将来、数年後にまた再演してほしいなと心から思いました!
ミュージカル作品としても、このクオリティは間違いなく最高峰だと感じます。


絶対にまた見たい、とここまで強く感じた舞台作品に出会うのは、正直久しぶりでした。

そして再演がいつか叶ったとして同じメンツで見られる保証はもちろんないので、本来の予定から一年半越しの2021年、ニュージーズに出会えたことに心から感謝したいです。
ほんっとうに、楽しかった!!!やっぱりミュージカルは最高!!