こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

帝国劇場「THE MUSICAL CONCERT」(帝劇コン)プログラムA・8月16日公演を見てきた

帝劇コン、プログラムAに行ってきました。
www.tohostage.com



正しいセトリはまだパンフレットを購入できておらず、流石に記憶は無理でわからないんですが(今回劇場での販売は見送られているので通販予定)、
1911年に開業した帝国劇場の歴史を、基本的には時間軸をたどる形で歌い継いでいくコンサートです。
プログラムA・B・Cの3日程が組まれているのですが、出演者数が一番多いのがA。
個人的に見たいキャストさんがAに集っていたので、絶対にここ!と狙ったチケットがあたってくれて、本当によかった…!


ステージ奥にスタンバイするオーケストラ。指揮者のひとふりで勇ましく始まるオープニング。
徐々に明るくなる舞台上に現れる、アンサンブルのみなさん、そしてその中心にはプログラムAの司会をつとめる井上芳雄さんの姿が。
セット階段の最上段、中央に立ち、笑顔で客席に両腕を広げた芳雄さんの頭上のスクリーンに、ぱっと白い文字で「ようこそ帝劇へ」と映し出されたのを見たとき、まだほぼなにも始まっていないのに、ボロボロ涙がこぼれました。


いまこの瞬間、目の前で、迫力を持って届けられるパフォーマンスの、生にしかない息遣いとエネルギー。
力強い歌声に震える空気、ぐわんと正面から押し寄せる音圧。
きらびやかな照明と、色とりどりの衣装と。
歌の合間に弾ける、劇場じゅうを包み込むような思いの詰まった拍手。
こうして思い出すだけで、体の内側が幸福感に満ち溢れる思いになります。


どのパフォーマンスも素晴らしかったのですが…どうしたって思い入れが濃くなってしまう「エリザベート」について書きますね。
今日はとんでもないものが見られました。


初日の8月14日はリアルタイムで配信されており、その最中に東宝演劇部の公式アカウントがTwitterで随時セトリを案内していました。
なので何が歌われるかは観劇前から予めわかっていたんですが、キャストの組み合わせがその時とは変わっていて、サプライズに思いっきり殴られました…!


エリザベートから披露されたのはトートとシシィのデュエットである「私が踊る時」、そしてトートとルドルフのデュエット、「闇が広がる」の2曲。
なんとそのどちらも、14日とはキャストが変わっていて!(なんせ、プログラムAには本当にトートが渋滞しているw)


上手から、真っ白いドレスを着た一路真輝さんが登場されたとき、本当に驚いて胸元をおさえてしまった。
一路さんといえば、宝塚版で日本ではじめてトートを演じられ、退団された後には長きにわたり東宝版でシシィを演じられた、まさにはじまりの存在です。
今年発売されたエリザ20周年のパンフでその足跡をつぶさに読んだばかりだったので、まさか、一路さんのシシィを自分のこの目で見られる機会があるなんて…!?と、心底たまげて目が飛び出そうになりました。
そしてそれを受けて登場したのは、芳雄さんのトート…!
芳雄さんは初演のルドルフ役でミュージカルデビューされていて、つまり20年前に母と息子を演じたおふたりです。
目の前でまさに歴史が新しく動いている様子に、もうあっけにとられてものすごい顔で舞台上を見つめるしかありませんでした。迫力が凄まじくて…あんなもの見てしまってよいの!!?
お二人とも本当にかっこよくて…絶対にトートに負けやしないシシィだわと思った…鳥肌が立つくらい、かっこよかった!
エリザという作品のことを大好きでいてよかったと、思わずそんなことを思ってしまうような、夢のような瞬間でした。


そしてその後に歌われた「闇が広がる」。あれには、本当に心臓がやられました。
あのイントロと共に最初に舞台上に現れたのは、なんと古川雄大さん。それってつまり…ゆんルドルフじゃん!!?この時点でライフが歓喜のあまりゼロになり、そして下手側から登場したのは我らがしろたんトート…!ゆ、夢!!夢叶った!!!!!となりまして…いやマジで、「生きててよかった」って心の底から思いました…。
わたしが2015年・2016年に見たトートとルドルフはこの組み合わせで、ほんっとうにツボに刺さる配役だったのです。。。ふたりとも声が大好き、ビジュアルの組み合わせも大好き…!
ゆうたさんは今やトート閣下であらせられるし、さすがにもうルドルフは見られないよなぁ~と思って諦めていたので、いや、こんな夢叶っていいの?!となりました。
あのしろたんトートの、感情が読めない、あからさまに”人外”の存在の独特の演技、大好きすぎる。。。
首を傾けてじっとルドルフを見つめながらじわりと近づいてくる様子…口元にかざす手の動き、うああ~~~あれがまた見られるなんて!本当に!最高!!!涙
「立ち上がれよ」のけしかけ方っていうかなんていうか、、外側からじわりと徐々に締め付けるような独特の追い詰め方で…!あんなのに狙われたらそりゃ助からない!あれは無理だ!!!
そしてゆうたさんのルドルフ、もーーーーなんであんなに透き通るように「悲劇」が似合うのか。死にすうっと魅入られていくのか。。…あんだけ美しかったらもうそうなっても仕方ないか!!!(結論はやい)
2016年当時からは当然のことながら更に歌唱に磨きがかかっているので、聴き応えがそもそも半端なかったです。もうさすが。というか、存在すべてが美の暴力だった。あの「我慢できない」のぐわっと盛り上がる高音、テンションがぶちあがりました。。王座にーーー座るんだーー王座ァーーー!!!!涙
しかも本来ルドルフが上パートなのに、おふたりで交互に上下ハモリを交代していて…?なにが起きてるのかわからず「?!??!」でもう宇宙猫状態だったよ…
ああ~~~本当にありがとう東宝……もう二度と拝めないと思っていた組み合わせを実現させてくれて…!!!
正直、ここの衝撃が強すぎてあらかたの記憶が吹っ飛んだというのもあり、それ以外について触れる隙がなくこのエントリー終わりそうです…(そんな!?)
でも本当にどのパフォーマンスもぴかぴかに輝いていて、全身でそれらを受け止めた多幸感に、帰宅してからもまだ突っ伏しています。



行けたらいいなぁと思っていたけど、でもそれが叶う確信は持てなくて、だからこそ今日本当に帝劇に行けたこと、ものすごく嬉しかったです。

たしかあれは5月頃、帝劇が公演を再開する情報が朝の情報番組で出たとき、その日付は「8月14日」となっていて、
もともとその日程って、何をやるはずだっけ…?と調べたら、帝劇コンの初日予定日でした。
「行きたいね、行けたらいいね(でも行けるかわからないね…)」って会話を友人たちとしていたあの日からも、もう数ヶ月経っている。
帝劇の公演再開は、実際はもう数週間早まり、ジャージー・ボーイズinコンサートで復活を果たしたのだったけど(そしてそれも見に行ったんだけれど)、
まさに”浴びる”がごとくスター達による歌声を聞いた2時間は、細胞のすみずみから生き返るような、足りなかった何かがひたひたと体じゅうに満ちていくような、素晴らしいものになりました。


本当に幸せで、楽しくて、生きててよかったと思えました。
そして同時に、この春に会えずじまいで失ってしまった時間の存在が、揺り戻しのように、鋭く苦く、胸の内で痛みます。


「今年はもう舞台に立つのは無理だと思っていた」「まだどこか夢みたいな気持ちがする」と、トークコーナーで口々に語るキャストの皆さん。
変わってしまった世界の中で、舞台に立ち、素晴らしい歌声を世に送り出してくれるその姿は、エネルギーに満ちあふれ、何よりまぶしい喜びに彩られていました。
わたしにとって、劇場がどれほどかけがえのない場所で、替えのきかない存在であるか。
やっぱり、ミュージカルがものすごく好きだと、その感情は波のように繰り返し訪れて、帝劇の客席で、マスクの内側がびたびたになるくらい、バカみたいに涙を流し続けました。


諦めて手放して、でも歯を食いしばって前を向いて、手繰り寄せた先に叶った奇跡のようなその時間を、必死に大切に守り続けている人たちが、今たくさんいることを思います。
当たり前はなく、約束された未来はなく、でもその中でも灯るものがあり続けていること。
そして様々な事情があり、現地に足を運ぶことが叶わない人は、確実にたくさんいて。
自分自身がどう振る舞ってもどこかで何かを傷つけてしまうことにつながりそうで、そもそもが常にリスクと隣り合わせで、最早立ち止まるほうが楽なのかもしれないとすら思える日もあるけれど、
それでもこうして機会が与えられ、それを叶える場面に恵まれたならば、わたしは自分にできることをやりたいなと、心から思います。


かけがえのない時間を届けてくださって、本当にありがとうございました。
プログラムCの千秋楽まで、毎公演の幕が帝劇で無事に降りますよう、劇場に音楽が満ちますよう、願っています。
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2020年「なつのまりおまつり」前半戦を振り返る

本来あるはずだったものは、色々たくさん失ってしまった、けれど!
「推しの供給がやばい2020」って感じの夏を、わたしはげんきに生きています!

この夏、推しているまりおくんのお仕事の波が怒涛の勢いで止まらず、さながらまつりのようだったので、ひとりで勝手に「なつのまりおまつり」と呼んで楽しんでいます。
せっかくなので、少し前の7月後半からこのまつりを振り返ってまとめます。


◆まつり1:ミュージカル「るろうに剣心」京都編・配役発表生配信(7月23日)

出演が告知された時点でもう嬉しすぎてテンションはアホほど上がっていたのですが、
最初に明かされたのはキャストだけで、配役は主役で剣心を演じる小池徹平くん以外は伏せられたままでした。
それを生配信で発表するよ!という、もう主催の気合がガンガンに伝わるこの企画、本当に楽しかったな…!
(以下は公式Youtubeチャンネルのアーカイブです)

キャスト陣がZOOMを使用してリモートで順に集まってくる仕組みだったのですけど、
今回、キャスト名で二番手の位置にいるまりおくん、期待どおり志々雄真実でした…!も~~~超嬉しかった!!!
出演がわかってから、電子書籍るろ剣を全巻買って、京都編まではすぐに一気読みしたのですが、志々雄が出てきた瞬間「絶対にまりおくんで見たい!」と感じていた役。
発表を聞いて心からガッツポーズでした。嬉しすぎるんだぜ。。

配信時点ではまだ直接お会いしたことがないというキャスト陣の皆さんでしたが、その状態でもすごく雰囲気が良くて楽しそうで、あ~これは絶対に良い作品になるなと確信しました。
繋がり続けている小池先生とのご縁、また新しく大きな役を通じて成長するであろうまりおくんが、とにかく楽しみです。
チケットの当落発表が少し先に延期になったりもしていますが、11月にステアラで観ることが、どうか叶いますように!

◆まつり2:つながる九州オールトヨタ イケボすぎるセールススタッフ(7月31日から公開)

まりおくんがセールススタッフになりきり、トヨタの3車種を紹介してくれるASMR動画です。
kyushualltoyota.com
ノア・シエンタアルファード編があって、設定がガラリと変わっていろんな表情が見られる&なによりASMRなので音声データの濃さがやばい。。
イヤホン推奨されてるのでイヤホンで聞くと、耳が幸せすぎてしにました。

最初に公開されたノア編を貼ったんですが、3つ見終えると彼がいちばんノーマルなセールススタッフさんだったことがわかります。笑
シエンタ編の頼れる子犬くんは、ちょっと反則レベルに可愛すぎて、見ていて変な汗をかきました。
個人的にはさいごのアルファードがめっっちゃ好きでした。声出して笑ってしまった。ものすごくかっこいいんだけど同時に面白くいられる、このまりおくんならではの振り切り方、大好き…。
三日月以外のカラコン珍しいので、ブルーグレーの瞳にドキドキしました!

◆まつり3:刀剣乱舞 大演練~控えの間~ 生配信(8月11日)

本来ならば、8月11日に東京ドーム(!)で開催されるはずだった、刀剣乱舞の5周年を記念した「大演練」。
toukenranbu-daienren.jp

昨今の状況により、無観客での開催もキャスト・スタッフ同士の感染リスクを鑑みて中止となりましたが、当日に出演予定だったキャスト全員による生配信トークイベントが開催されました。
最大13万人が視聴したとのことで、刀剣乱舞というコンテンツの大きさを改めて痛感しました。

まりおくんにとって、ずっと特別な存在で在り続けてきた刀ステ三日月の拡樹くん。ふたりが並んで言葉を交わす姿を見られただけで、ファンとしては言葉にできず、じーんと来るものが…。
キャスト陣のトークは終始本当に面白く、笑いっぱなしの3時間になりました。見終わるころにはヘトヘトだった。笑
そしてまりおくんのこの日のビジュアル、異常なくらいにかっこよかった。。黒髪短髪の爽やかさ、もはや暴力的なほど。かっこよすぎる。。
今年叶わなかった大演練ですが、まりおくんと拡樹くんが三日月として並ぶ日は、絶対に来ると信じています。

◆まつり4:BS12・プロ野球中継2020 副音声ゲスト(8月12日)

これもすごく楽しみにしてたやつだったんだけど、ほんっっとうに!!!心底たのしかった!!!涙
8月12日の西武VS楽天戦にて、BS12放送のビジター副音声ゲストとして登場したまりおくん。
あまりの楽しさに「これ本当に仕事ですか?」をご本人が放送中に連発していましたが、炸裂しまくる野球愛、音声だけで伝わるまりおくんのハッピー感。マジで心から楽しそうでした…!
そして、解説者としてやっていけるのでは?となるくらい終始滑らかな喋り。
それって野球が大好きだからだけじゃなく、まりおくんが、「周りを客観的に見る力・人の発する言葉を受け止める力」をしっかりと持っているからこそなのでは、と思ったりもしました。

「野球が好き、地元球団の楽天イーグルスが大好き!」ということを公言しまくり、結果たくさんお仕事につながっている部分、やはり有言実行のお人!
放送中に、田中アナが仙台ローカルのスポーツ番組を担当しているという先輩に連絡をとって、まりおくんを紹介してくれる→放送時間中にLINE経由で「スポーツ担当のプロデューサーさんに伝わった」とわかる流れはすごかった。
ぜひ本当に、地元×野球のお仕事、実現するといいなぁ…!(もえスポという番組だそう)
嬉しそう&楽しそうな推しの声を3時間ひたすら聞いていられたので、ハッピーすぎて頭がおかしくなりそうでした…。こんな幸せな時間があっていいのか?と思った。
BS12さん、ぜひぜひまた呼んでください~!
www.twellv.co.jp


◆まつり5:NHK総合「ん」出演(8月12日)

タイトルが「ん」っていう番組だったんです!笑

8月12日に放送する新たなコメディー番組「ん」
日常にあふれる「ん」な違和感をショートドラマで紹介し、「そういえば、私の周りでもこんなことあるかも?」と、日々の何気ないやりとりを振り返ってみるバラエティーです。

www6.nhk.or.jp

この日は野球中継の副音声から1時間ちょっとでNHKに飛び込む!というスケジュールでした。忙し楽しかった!
も~こちらはあっという間の30分。この番組、きっとテスト版制作のような感じでしたよね、好評だったら第二弾、考えてますよねNHKさんっ!?
主人公の松本穂香ちゃんの「ん子」が、ひっかかりを覚える瞬間に浮かべる「ん?」の表情の数々がお見事でした。
まりおくん演じる「ペラ先輩」は口が達者でノリでグイグイ行くタイプのキャラクターで、ん子ちゃんにしょっちゅう「ん?」をくらう存在。笑

ドラマパートと、それを振り返るスタジオでのトークパートがあったんですが、トークパートのお衣装が…!オシャレと可愛いとかっこいいのハイブリッドで、ちょっとようわからんかった。
だって、首元に真っ赤な柄スカーフ巻いてるんだよ!一見すると突飛っぽいのに、ばっちり似合ってて着こなしてて、どうなってるの!流石としかいえない!
全身コーデを立って見せてほしすぎる。かっこよかったよぉ~~~。
NHKらしさが詰まった面白い番組だったなぁと思ったので、ガチで同じメンバーでの続編制作に期待しています!


◆ニコニコネット超会議・黒羽麻璃央オンライン朗読劇「たもつん」(8月15日)

こちらはさきほどおわったばかり!
田村心くん、和合真一くんという気心知れたメンバーでの会話劇、とても楽しんで見られました。
野球部の同期だった「たもつん」の結婚式の余興をやるという名目で先輩に呼び出されて…という導入から、想像していたのとは全然ちがった形に物語が展開していき、最終的に着地した地点もすごく意外で。
「自分じゃない側から見た話も、真実だって受け入れよう」という途中のしゅうまいのセリフ、ぽんっと軽く投げ出されたようでいて、物語の核心をつくものでした。
最後までたもつん自身は登場しないからこそ、その中心にあるテーマが鮮明に浮かび上がってきたような気がします。

アドリブ合戦、とくに2部はひどかったw 主にまりおくんからわごちゃんへのあたりが強いことに笑いました。
わごちゃんはいつ見ても誰も叶わない癖の強さ、心くんはとにかくいい子!
アフタートークでは3人ともやりきった!っていう充実感に溢れていて、役者さんにとってお芝居ができる場所は、どんな形でもやっぱり在り続けてほしいなぁと強く思ったりも。
そして今の髪型でのまりおくんのスーツ姿、かっこよすぎて目が焼ける!ってなりました。かっこいい…推しのかっこよさが止まらないよ…!



…思ったより字数が多くなってしまったな!まつりだからしかたないな!
来週は来週でいろいろと大変なことがありますんでね!
なんと、推しが月9デビューします!!!
natalie.mu
待ってくれ、これはあまりにもまつりだ。どうしたらいいのだ。おめでとうすぎるんだけど!??!!!アアアアア!!!!!!!(錯乱)
新しくとんでもなくでかいニュースが飛んできたので、ここらでいっかい前半戦としてまとめるか!となったのでした。

というわけで、なつのまりおまつりはまだまだ続く!

朗読劇「僕とあいつの関ヶ原」「俺とおまえの夏の陣」2作品を配信で見た感想

めちゃくちゃ時間経ってしまい今更!なんですけれど、せっかくなので感想を書き残します!

6月27日にライブ配信された朗読劇「僕とあいつの関ヶ原」「俺とおまえの夏の陣」2作品を、当日のリアルタイムおよびアーカイブ配信で見ました。(※略称はそれぞれ僕ヶ原・俺の陣となっているので、以降そう表記します。)
www.tv-asahi.co.jp

2014年~2016年にかけて様々なキャストによって上演されている両作品ですが、今回は2016年上演版のキャストが”再集結”する、という形でのオンライン配信でした。
もともと劇場で上演されていた作品を、オンラインの形に整え直して再演するというのは、今のところちょっと珍しい試みかも。
ちなみに2016年の詳細はこちら。(再集結!を打ち出したくて、2020年バージョンも宣材写真はわざと変えずに、このときのままにしたんだろうなぁと推測。4年前なのでさすがにみんな若い…!)
www.gingeki.jp

2016年までの上演は、作品名は記憶にあるもののいずれも見たことはなく、今回まりおくんが両作品に出演しているのでどちらも観劇しました。
舞台上で動きをつけての上演だった以前のバージョンを知らないので比較ができない感想になるのと、主にまりおくんについての感想が多めです。





◆僕ヶ原について

この作品は、石田三成徳川家康両陣営、そしてそのどちらにもつくことが決められずに惑い続ける小早川秀秋から見た「関ヶ原の戦い」が描かれています。
語り手の視点が複数あって、それがけっこうなテンポで切り替わっていくのですが、不思議と見失うことはなく、無理なく物語についていけるのはやはり演出の見事さだと思う(さすが中屋敷さん!)。
その物語の中心であり、つまりは敵方同士である石田三成徳川家康を、どちらも同じ役者(染谷俊之くん)が演じていることに最初びっくりしました。
みんな一人で複数の役を演じるとはいえ、そんな真反対な配役をしてしまうのか!と。
染さま、本当に声が魅力的だし、演じる力が本物だな…と久しぶりにお芝居に触れて圧倒されました。昔から、技量が高いなぁと感じる役者さんの一人です。
松平忠吉と共に途方も無いボリュームのト書きをこなす尾関陸くん、島左近と染音という男性・女性の二役を演じ分ける荒田至法くん、翻弄される中で自分の意志の置きどころが永遠に決められない、情けなさのかたまりのような小早川秀秋を演じる松田凌くん。
みんな本役以外にも細かな場面描写上の役をはさみつつ、物語の中でしっかりとセリフのボールを投げ、受け止め、投げ返しを続けていて、役者同士の表現の力によってひとつの場が丁寧に編み上げられているような感覚を覚えました。熱量のやりとりが、見ていてすごく心地よくて、本人たちが楽しんでいることが伝わってくる感覚に。


そしてそして、まりおくん演じる井伊直政大谷吉継
”演劇”という意味で、まりおくんが役を演じている姿を最後に見てからはもう1年以上が経っていたので、どれほど見たかったことか…と、まずはそれだけで胸がいっぱいになってしまいました。。
井伊直政を演じるときの艶やかな声の出し方と、大谷吉継を演じるときの、巻き舌多めで強く濁らせた、だみ声の明確な対比。
前者は美しい鬼と言われるだけあって、顔に浮かべる表情全体がとてもつるんとしているけれど、反対に後者は「苦虫を噛み潰したような顔」とはこれのことだな、と思うような、皺を顔じゅうに深く刻んだ渋面で。
話の途中で、吉継から直政へ、ほんの一拍おいただけですぐになり代わる場面があるのですが、直政を演じるときは脚を組むと決めているようで、すっと脚を組んだ次の瞬間、まとわせる空気を全然別物にしてみせていて、画面を見つめながらウワァーとなってぐっと息を飲み込みました。
「こういうのを見られるのが本当にたまらないんだ…!」と、初見時はひたすら幸福感にしびれていた場面です。。好きな役者さんが生き生きと演じてる姿を見られることって、なんでこんなに嬉しくなるんだろうなぁ。。
(すごく短時間で変わらなくちゃいけなくて、喉やっちゃいそうでしたってアフタートークで言ってた!笑)

あと僕ヶ原は地の文のナレーションが、最初と最後どちらもまりおくんで、その嬉しさもひとしおで…凛として芯のある声の張り方がとてもとても好きです…なにより聞き取りやすい…!とにかくまりおくんの声が大好き!(結論)
途中で凌くんがアドリブで暴れた「ン侍にィ、女と書いてェ、ア侍女でェ~~~す!」のところは、素で「ん?」って表情で思いっきり凌くんを見て笑ってるのも可愛かった。

薄ら寒いを浮かべるような冷酷さを常に湛えながらも、時に己を深く省みる直政。
感情を顕にし時には怒鳴り散らしながらも、いくばくもない命を以て、真っ直ぐに三成に対する義を貫き通す吉継。
演じている姿をどういうふうに捉えたかを、こうして言語化していけるのがやっぱりすごく嬉しくて、なんかもうね…さっきも書いたけど、演じることを通して生き生きとしてる姿が見られること、本当に幸せ!涙

◆俺の陣について

俺の陣は僕ヶ原に比べると、話の展開がよりシンプルです。主人公は伊達政宗、そして彼を側で支え続けた片倉景綱・重長親子。同じ時代を共に熱く生きていく主と家臣それぞれの人生を軸とした物語です。

須賀健太くんがまず、さすがの一言で…!彼のお芝居も久しぶりに見たけれど、当たり前なんだけれどやっぱり芸達者なんだよなぁ。。
幼少期の、疱瘡を患ったことにより内に深く閉じ籠もってしまう姿も、その後成長し、伊達者として溌剌と戦国の世を渡る青年期の雄々しさも、壮年期を迎えて、泰平の世の中における引き際を見出していく穏やかな様も、色とりどりに演じ分けていて、なんというかあっけにとられるような気持ちに。お芝居がうまい…!
僕ヶ原も俺の陣も、演じる基礎力がしっかりとある役者さんばかりが出演しているので、見応えがとてもあります。このどっしりとした安定感は今年の再演ならではだろうなとも思えて、そういう意味でも4年前と比較して見たかったな~と惜しいことをした気持ちに。

染さまは両極の二役を行ったり来たりする僕ヶ原に対して、今度は物語を一本に太く貫く忠義者の家臣、片倉景綱を演じていました。
律儀で愚直、戦乱の中で生き延びる上で主君にとっては替えのきかない優れた知恵者。僕ヶ原と比較すると、染さまのしっとりとした声質がより引き立つ役のようにも。

猪塚健太くんは八面六臂の活躍ってこういうことを言うのだろうか!?と思わせられる、何役演じているのか数えるのが難しいほどのオールラウンダーっぷりで物語の骨格をひとりで作って支えています。
あんなに次々と違う役にぽんぽんと飛び移っていくの、混乱しないのかな?と見ているこっちが驚くほどですが、アフタートークを聞いた感じではむしろそれを楽しんですらいるようで、俳優さんってすごいわ…と改めて思うなど。

今作でのまりおくんは、片倉景綱の息子、二代目小十郎である重長を演じていました。
幼い生意気ざかりの腕白坊主から、武勲に憧れる血気盛んな若者へ、そして様々な経験を積み、歳を重ねて落ち着きと深い主君への忠信を抱く姿まで。
子供のころの「うわーい!」なテンション、幼さの弾ける悪ガキっぷりはごく可愛らしく、戦場に打って出らんとする青年期はまだ背伸びをしながらも、段違いに男らしく。
混じりけのなさ、父親とは同じ真っ直ぐさでも性質の少し異なる部分がきらきらとまぶしくて、まりおくんの役者としての魅力のひとつには、やっぱり本人が持つ素直さから生まれるものって絶対に絶対にあるよな、中屋敷さんも演出するときにきっとそこに魅力を感じたりしているんじゃのかな…などなど、見ながら勝手に考えていました。

まりおくんが演じる中で声の高低を自由自在に使い分けるところもすごく好き。緩急というか、リミッターのオンオフにすごく自覚的で、演じながらどこか遠いところに冷静な自分を残しているような、いややはり体ごと役の中に入り込んでいるような…つまりは自身がこちらに与える印象を決してひとつに留めさせないところ、やっぱりそこにやられちゃうんだよな~と、推しを推しているゆえんを噛み締め噛み締め観劇しました。うう、幸せ。。
直前に中屋敷さんからオーダーが来たという、僕ヶ原を受けての「侍女でェ~す」のくだりに他のメンバーがざわついていたのも、すごく面白かった。笑

◆両作品共通しての感想

「画面越し」に自室で座って観る配信朗読劇、どこまで作品に入り込めるものなのか、正直かなり不安でした。
でもいざ始まってみると、そんなに心配しすぎなくても、ちゃんとそこには「演劇」があるのだなぁと思うことができて、見て本当によかったなと。
慣れ親しんでいた劇場空間に自分はいないけれど、
でも画面の向こうで役者同士がぶつけ合う熱量のかたまりは、ちゃんとこちらに届いてくる。
そのことに、ものすごく感動しました。ホッとしたとも言えます。


セリフを読み上げる声色、ちょっとした目線の使い方、椅子に座ったままでできる身振りなど、様々に工夫を凝らして役や場面を演じわける役者のみなさんの表現がとにかく見事で、
とかく制限のある中でも、やっぱり演じることの「プロ」である彼らには、こちらに表現を届ける演技の力が間違いなく備わっているんだな…と改めて痛感させられました。

どちらの作品も、始まってしばらくして、やり取りされる感情の勢い、言葉の息遣いに、何が理由か自分でもよくわからない涙がじわじわと出てきて、
役者が「役を生きている」その時間を観客として共有することの本質は、形が変わっても変わらずにあり続けるものなんだなぁと実感することができました。


とはいえ、もちろんね!直接!演じる姿を見たいに決まっていてね…!涙
これを直にこの目で見られたらどんなに楽しいか、幸せかと、思わないでいることはできませんね。これはもう、いつまで経っても言い続けることだと思います。
だけど、たとえそれが叶わないとしても、リアルタイムで役者さんが演じる姿を見られることの喜びは想像以上に大きかったです!


◆上演に関して感じた工夫など

人数も4~5人と複数になる朗読劇のため、視点はぱらぱらと切り替わるのですが、誰にフォーカスしている場面なのかがカメラで自然と誘導される=視界が固定される点は、物語に入り込みやすくなる助けになっていたかもしれません。
この「視界が固定されること」は、わたしがふだん舞台作品を映像で見る上での苦手ポイントのひとつになっているんですが(本来ならばどこを見ていてもいいはずの視界が固められてしまうことに、言いしれようのない不自由さを感じてしまう)、やや複雑な場面転換にも無理なく観客を巻き込めるという意味では、逆に映像に強みがあるとも言えそうです。
そのぶんこちらが想像力をフルに働かせなくてもよくなってしまうことには、ちょっと危機感もあるんだけれど…。
たまにカメラの指定を失敗してそうな場面はありましたが、映像が大きく乱れたりすることはなかったので、見ている上でのストレスはほぼ感じませんでした。
また場面によっては会話をする2名を画面二分割で映していたりもして、見やすさがじっくり考慮されていたように思いました。


ブログに書く順番は前後してしまいましたが、先日TOHO MUSICAL LAB.を観たときにも思ったのだけれど、
「配信で届けること」を前提に、カメラワークも含めて予め周到に準備がなされている配信劇には、こちらの集中力を切らさないでつなぎとめるだけの力が備わっているように思います。
逆に、そういった演出面での工夫が全くなされないのであれば、どれだけ演者が熱量をもって演じていても、それをこちらに届けきることはかなり難しいだろうなと感じます。
あとは大前提として配信機材や回線が脆弱だと成立し得ないので、そこに十分なコストをかけられるかどうかは、観客側の満足度に与える影響がかなり大きそう。
その点、今回の僕ヶ原・俺の陣は、見る側がストレス無く集中できる環境が整っていたと思います。


次に音楽ですが、今回の上演で初めて導入されたという、生演奏でのアコーディオンによる伴奏が素晴らしかったです。
曲はすべて書き下ろしだそうで、物語に無理なくぴったりと寄り添うような音色が耳に心地よく、朗読の邪魔になることも決してなくて、劇伴としてとてもベストな形だったのではと感じました。
アコーディオンって鍵盤楽器だからひとりで主旋律と伴奏を奏でられるんだな…と見ながら改めて思ったんですが、
一台の楽器によるものとは思えないあの独特の厚みのある音の連なりが、作品を背後からしっかりと支えているように感じました。


最後にアフタートークについて。
両作品ともに終演後に設けられたアフタートーク、演出の中屋敷さんが司会を務めるかたちだったのですが、
俳優さん大好き!&演劇LOVEなやしきさんならではの視点で、演じる上でのいろんな観点が俳優のみんなから短時間なのにたくさん引き出されていて、すごく良かった!
関係性がしっかりできていて、お互いがすごく気さくにやり取りできる、和気あいあいとした空気感なのが随所に滲み出てました。
”演じること”について話すだけで、俳優のみなさんがすっごく楽しそうな表情になっていく様子に、またぐっと来てしまう。。
舞台作品のアフタートークって、たとえば小説でいうところの「あとがき」や「解説」に当たるような気がするんですが、物語に触れた直後にまた別の角度からの新しい情報を与えてもらえることで、作品の受け取り方がより多面的になったりする効果があると思っています。
今回のアフタートーク、そういう意味でも配信全体の満足度を高める内容でした!

◆その他雑感:自宅で配信劇を見るということ

おそらく配信劇を見る上でのあるあるで、もう慣れるしかないのだろうけれど、始まるまで自宅でソワソワしてとにかく落ち着かないのが、個人的にはわりとしんどい…!
自分のPC設定や配信環境に不備があってうまく見られないのではないか?という気がかりが、心配症ゆえどうしても拭えず。。
そもそも自宅に一人ではないため「これから私は配信劇を見るので!!!」と宣言して、孤独に集中できる空間を作ることも重要で。
配信の当日ですが、上記の宣言ののちに、天の岩戸のごとく部屋の戸を立てきりました。これはかなり人によって実現が難しいところですよね…。ご家庭の事情によっては、やりたくてもできない人はたくさんいそう。

自宅で見られるなんて手軽でいいじゃんと感じる人も多いと思うのですが、わたしは「こんなに神経すり減らすくらいなら、今すぐこの身を劇場に運びたい!」と暴れだしたい気持ちにならずにはいられませんでした。まじで心の底から、劇場に帰りたいと思った。
否が応でも物語に「集中できる」環境である劇場。そこに直接足を運ぶ意味は、やはりとても大きい…。劇場に行かせてくれ…!(結論はけっきょくここになってしまうのだった)





本当はもっと早めに感想書くつもりがこんなに遅くなってしまった…。
テレ朝動画でのアーカイブですが、明日まで購入可能・視聴は26日まで可能だそうです。ご興味があるかた、まだ間に合いますので記事冒頭のリンクから是非にどうぞ!
(…というおすすめをしたかったのに、記事化が遅すぎて大いに反省しています。。笑)

TOHO MUSICAL LAB.を観た。「CALL」「Happily Ever After」2作品の感想

7月11日に上演された、TOHO MUSICAL LAB.を見た。
www.tohostage.com

シアタークリエに観客を入れずに映像配信だけで届けられる、少人数での新作ミュージカル上演。上演時間は1本あたり約30分、公演前に事前収録のインタビューを挟んでの生配信である。

見終わって、2作品ともに、そこにあったのは「祈り」だったと感じた。
以下具体的に内容に触れまくっているので、これから配信映像をみる予定の方はご注意を!


1作目:「CALL」

”誰もいない”場所を探して、さすらうように歌を届けるバンド「テルマ&ルイーズ」の7人。
メンバーの中心は、ボーカルを担当する三姉妹。
その日の彼らは、今は緑の生い茂る、かつては劇場だった場所で歌を歌っていた。

姉たちが劇場の奥を探検しに行ってしまった間、三姉妹の末っ子、ミナモはひとりで先程姉たちと歌っていた歌を口ずさむ。
「誰も聞いてくれないなら 誰にも聞かせてあげない アカウントに鍵かけて 秘密の歌を歌う」
でもその声に、ぱち、ぱちと、手のひらを打ち合わせる乾いた音が返ってきた。
驚くミナモの目の前に表れたのは、ヒダリメ。かつてこの劇場専用だったという記録用のドローンだった。

「なにしてるの」
「ごめん、素敵な歌声だったからつい、拍手しちゃって」
「…はくしゅ?」
「…拍手、知らないの?」
観客が送る拍手のことも、カーテンコールがなんなのかも知らないミナモに、ヒダリメは教える。
感謝を伝えたいから、拍手を送るんだよ、と。



設定の詳細は想像するしかないが、そこに描かれているのは、人前で音楽やお芝居を公演するという行為が久しく失われた後の世界だったように思う。

冒頭から繰り返し歌われるテーマソングの歌い出し、
「誰も聞いてくれないなら 誰にも聞かせてあげない」の裏側には、痛いほど観客を切望する裏返しの思いを感じた。
本当は誰かに届けたい。この声を聞いてほしい。
だけど、誰にも届かない。それなら、いまこの場所のためだけに、そうしたいと思う自分の本能のためだけに、歌ってみせる。
テルマ&ルイーズの三姉妹は、観客が存在し得ることを、まだ知らない。
だけど心の奥底で、本当ならばこの声を受け取ってほしいと、いつの間にか願っている。


「ヒダリメのクラップ、あたしたちのバンドにめっちゃ似合うと思うんだ」「ねえわたし、カーテンコールがしたい」と弾んだ声で姉にせがむミナモ。
彼らのライブは、いつもは「ヘーイ、静寂、聞こえてますか?」から始まるけれど、
ヒダリメという観客を得たミナモは「ヘーイ、…ヒダリメ。聞こえてますか?」と、意志を込めてヒダリメに呼びかける。
そしてヒダリメは「聞こえてるよ。」と、しっかりとした答えを返す。
かつて劇場にたくさんの人が集まる様子を見ているのが好きだったヒダリメと、
生まれてはじめての自分の観客を得たミナモ。
二人の気持ちが、お互いに「届きあった」ことが、その瞬間に伝わってくる。



人はなぜ劇場に集うのか。表現を受け取とったとき、気持ちがどう動くのか。
そしてその表現が届いたとき、舞台上ではどんな感情が踊っているのか。
三浦さんがCALLという作品に込めたものは、「届く」ことへの祈りだと感じた。


サビで「君の名前呼ぶんだ」と繰り返すタイトル曲「CALL」。
それはまさに、劇場からの呼び声のようだった。
あなたの名前を呼びたい、この声を届けたい。どうか聞いていて。
誰にも聞かせてあげなかった歌が、初めて今「君」という誰かに届く。

クリエの赤い座席に、今は誰も座っていなくて、でもその向こうに届くことを信じて、明るい音楽がステージ上に満ち溢れる。
歌声を聞いているだけで、勝手に涙がぼたぼたと落ちて、届いていますよと叫び返したくなった。
「ヒダリメは、星空みたいにクラップするね」
途中にあるミナモのこのセリフは、普段わたしたちが劇場に広げている拍手をそう捉えてもらったように思える一言で、胸がギュッと苦しくなった。
弾ける拍手の音の星空で、役者のみなさんを祝福できる日が、本当に早く来るといい…。


三浦さんにも評されていたけど、めいめいちゃんから溢れる無垢さは本当に真っ白で、光そのものみたいで、ヒダリメに拍手やカーテンコールを教わった後は、またひとつ新しい命が胸の内に宿ったみたいだった…。
彼女が歌声にぐっと力をこめた瞬間、空気の質がぐんと変わる様子、本当に好き。勝手に鳥肌が立つし、その場に満ちる空気が「生きて」しまうことがわかる。
達成くんが役柄的になかなか歌ってくれないのでまさか聞けないんじゃ!?ってドキドキしたけどそんなことはなく、最後に披露されるCALLで思いっきりその溌剌とした歌声を聞かせてくれて嬉しかった。彼のスパンと正面から当たるまっすぐな高音はやっぱり魅力的だと思う。
妃海さんの力強い歌声は、だれもいない自然の中に広がる情景にぴったりで、だけど「景色に聞いてほしいと思って歌ってるよ」の言葉の奥にある澄んださみしさが宿っているようだった。

三浦さんが歌詞にのせた言葉たちは本当に「詩」だなぁという感じで、
緑につつまれた”劇場”のセットの中に広がると、なんだかおとぎ話みたいで…いまわたしたちに必要な、現実逃避ではないファンタジーを、届けてもらったような気がした。


2作目:「Happily Ever After

些細なことで言い合いを始めた両親の苛立ちの声。
普段は四六時中顔を合わせることがなかった二人が、今はしょっちゅう一緒にいるから、こうして喧嘩ばかりしている。
その出来事をどう捉えたか。少女は眠る前にひとり日記帳に自分の言葉を書きつける。
そして、眠りに入る前に祈るのだ。
静かな夜の中で、「彼」に会えますように、と。


その夜、夢の中の彼女のもとに現れたのは、見知らぬ青年。
お互いがお互いの夢の中の侵入者である彼らは、一体誰なんだと問い詰め合う。
でも少女と青年は、ぶつかり合うようで、実は気づき始めている。
いま目の前に立つ相手こそが、自分たちにとっての運命の相手、かけがえのない存在なのだと。



なんというか…この作品は「完璧」だった。。完璧と表現したくなる…。
構成要素の過不足のなさに驚かされたし、やりたいことが全部表現できていて、なおかつこちらに伝わっている実感がとてもとても強かった。

夢見る乙女の部屋といった風情の舞台セットは、ひとむかし前の少女趣味ど真ん中といった感じで、机に添えられている椅子はバイブルチェア。どこかアンティーク調にくすんだ色合いのドライフラワーや布地やレース、たくさんの細々したアイテムで部屋中が彩られている。
その中に佇むネグリジェ姿の、生田絵梨花ちゃんの途方も無い愛らしさ。。シースルー素材を重ねた花柄の布地、ふわっとボリュームのあるパフスリーブ、たっぷり幅のあるスカートの裾のフリル、きゅっとしめられたウエストの細さ…全てがお人形すぎる!ハーフアップのヘアスタイルも似合いすぎていて可愛いっ…!
その傍らにぴったりと佇む、少女の内面を映し出す心の中の存在として現れるrikoさんのほんの僅か傷ついているような、気怠げな美しい数々の仕草。
そしてその少女の夢の中にふわりと登場する海宝くんのスタイルが、麻のような素材の開襟シャツにサスペンダー付きのズボンというごく素朴なものであるがゆえに、明らかに少女の夢の中の世界にとっては「異質」であることも伝わってくる。


夢の中まで昼間の現実と同じようにつらいものだなんて耐えられない、誰かとわかったつもりになってわかりあえないことが怖い。
理解者を求めているというよりも、理解者を求めた結果それが得られないことに先回りして怯えているような青年に、少女は自分が書いている日記について語りだす。
ここからはじまる二人のデュエットには、本当に頭を殴られたみたいな感覚になった。
「Please, please, please, darling please!」
運命の人に巡り合ったのだという事実を、重ねる歌声の中に互いに見出していくその様子。音色にはただ喜びだけが弾けるようで、心の底から生き生きとしたその表情と…見ていて、びっくりするくらい泣いてしまった。
このおふたり、歌声の相性が最強にいい…!
海宝くんの歌声を聞いたのが実は今回が初めてで、自由自在に操られるハイトーンに度肝を抜かれた。
梨花ちゃんの歌声は、わたしは去年のロミジュリぶり。その可憐な見た目からは想像もつかないような力強いどこか硬質でさえある歌声が、曲が最高潮に達したところでパーン!と出てくる様子は、何度見ても圧倒される。


お互いが運命の相手だと自然に認めあった二人だけれど、これはあくまで夢の中の出来事。
目覚めはイコール別れであり、出会えた喜びと等しく、別れの苦しさが二人の胸の内を焼く。
それでも「夢で笑っていて」と願いを託しあって、二人はそれぞれの世界へと戻っていく。
「現実が辛くなったら、君に会えるように」
「想像力を、集中して」



目覚めた少女の頬には、涙の筋が伝っている。
戻ってきてしまった現実の中で、耳を塞いで縮こまる心の中の自分の姿に、少女はそっと、だが力強く語りかける。
「どうか、世界を愛せますように」
その言葉に、固く閉ざされていた腕はほどけて、舞台は静かに暗転していく。


そして、カーテンコールとして最後に再び披露される、二人の出会いの曲。
誰かを見つけて愛することは、自分が生きるこの世界を愛すること。
正面からそう受け止めて、その愛を相手に、世界中に届けようと、意志を持って自分の足で立つ二人。
歌っている二人が本当に心の底から楽しそうで、やっぱりまたぼったぼたと泣いてしまった。


本当に、とにかく「完璧」な作品だった…。
歌によって理屈にならないほどに感情が揺さぶられて勝手に泣いてしまうのは、これこそミュージカルだ…という感覚だったし、メインで演じる二人にダンスで寄り添うrikoさんと生ピアノ一本の伴奏のバランス、本当に過不足がなくて、見ていて気持ち良すぎた。
ねもしゅーさんが東宝と組んでお仕事をされるイメージが全く無かったので正直驚いたタッグだったんだけれど、いい意味で裏切られる後味だったのもすごくびっくりした。
彼女の作品を最後に見たのは2015年で、その時の強烈な印象が焼き付いていて、ミュージカルを作ったらどうなるんだろう…?とまったく想像できなかったんだけれど、抜群の歌唱力がある役者による歌が入ることで、感情の表現がある意味ではわかりやすくまとまるというか。(最近の作品を見てないので勝手なことを言ってますが…)
ものすごく絶妙なところで采配が踏みとどまっているような感覚があった。正直、見る前は「なんかすごくえぐかったり落ち込むタイプのものを見せられるんじゃないか…!?」とかなり怖かったんだけれど笑、その心配は杞憂だった。

LABという試み

やはり配信のみ、という形態にはどうしてもまだ馴染みがなく、実は直前までみるかどうかを悩んでいたのだけど、本当に本当に見てよかった。

観客が誰もいない劇場が、いつかまた満員に埋まる日が来るように。
それを望み続けることすら困難に感じられる中で、いまできる表現を届けようとする試みに、どれくらいの価値があるのか。
きっと届ける側にも不安ばかりだろうし、この先の道のりが果てしなさすぎて、正面から見つめ続けることがどうしても辛くなる。
でも、発信しないと表現そのものがゼロになるし、こちらがそれを受け取らないとフィードバックもまた、ゼロになってしまう。それじゃやっぱりだめなんだ。


見てほしい人と、見たい人たちがいれば、そこにはちゃんと作品が成立する。
わたしたちが劇場に行けなくなって、まもなく半年になる。でも、舞台のある未来を望むなら、受け手としてここに居続けることにはやっぱり意味があるんだと、今回観劇していて改めて思った。
舞台おたくとしてのアイデンティティがとうに崩壊しきっている今、こういう体験ができることは、本当にありがたい。
自分が舞台を見たいという気持ちを捨てちゃいけないんだって、目を開かされるような思いになる。


2作品ともものすごく素敵な時間でした。シアタークリエから届けられたまっすぐな祈りが、画面の向こうとこちら側とで、ちゃんと重なった気がしました。
エリザもミス・サイゴンも全公演が中止になって、どれほど苦しい中かと思うのに、こうして新しい灯火を生み出してくれた東宝演劇部さん…ありがとうございました。
欲を言うと、曲がどれも素晴らしすぎたので、CD音源ほしいです…!


まもなく再開されるクリエや帝劇での公演が、どうか無事に幕を開けられますように。

27歳おめでとう記念に、推しの好きなところぜんぶ書いた~Happy Birthday to 黒羽麻璃央くん!~

本日2020年7月6日は、応援している大好きな俳優さんである黒羽麻璃央くんの27歳のお誕生日です。おめでとう~!!!
「お祝いしたい」というただそれだけのテンションで書くんですが、初心に帰って、好きなところをひたすら喋ってみようと思います!

★外見編

◆世界一かっこいい!

…のっけからいきなり説明を放棄するな!なんですけど、心の底からこう思っている!
まりおくん世界一かっこいい!!!
まずは外見的な意味合いで、とにかく本ッ当に、心底かっこいいと思います。説明する気はあるんですが、でもこれがもう真実であり結論なので…みたいな…(説明をしろ)
その姿かたち、誰がなんと言おうと真正面からかっこよくていらっしゃる。いらっしゃいますよね。異論は認めないというか、異論など存在しないだろう、という体です!
さいきん発表された下記のお仕事なんて、いやほんと…かっこよすぎじゃないですか???
www.nylon.jp

さすが撮られ慣れてるな~と思うんですけど、表情の作り方いちいち素敵すぎ。
ちょっとだけ斜に構えたような雰囲気だったり、正面から深く差し込むような目線だったり、自由自在でかっこいい…。
あと背も高くてかっこいい。スタイルも良くてかっこいい。わーん!!!(キャパオーバー)
本当にもう、「かっこよくあること」の才能を、いついかなるときでも遺憾なく発揮なさる。勝てねえ。
佇まい、醸し出す空気からして全てがかっこいいんだもん…あまりのことに「よっ!かっこいいの天才!」って囃し立てたくなります(囃し立てんでよい)。
よく写真を見ながら「なんでこんなにかっこいいんだろう」と半ばキレ気味に声に出してつぶやいては、友人に呆れられたりしています。…ほぼ何も説明できなかったけど、まりおくんかっこよくて大好き!!!(結論)


◆かっこいいと見せかけて、かわいい

でも、かっこいいだけじゃないんだなー!とんでもなくかわいくもあるんだなー!!!
このJUNON TVなんかどうですか。。!なんて浮き輪の似合う成人男性なんだ。どうなってるんだ。無邪気か。おちゃめか。いくらなんでもかわいすぎるのではないか。
junon-tv.jp
人懐っこい笑顔がほんと人たらしだなー!と言いたくなるような柔らかさと明るさで…かわいい!夏空の似合う爽やか青少年、so cute…みたいな気持ちで駆け出してしまう(どこへ)。
だいぶ以前にそれこそJUNONでまりおくんが自分のことを「おおきい子犬」と表現してたことがあったんですが、よくわかってらっしゃる、、と思う瞬間が多々あります。
いやほんと、急にめちゃくちゃかわいかったりするんだよな。かっこいいとかわいいがシームレスに交互に投げ込まれて来たりすることもよくあるので、そうなると大抵こちらはパニックになります。…どっちかにして!!!(しなくていいです!!!)

◆目が綺麗

まりおくんの目は、いつもとにかくキラキラしている…!
雑誌インタビューなんかでは「吸い込まれそうな瞳」って評されてるのもよく見る気がするのですが、単なる”目力”の強さとはまた違う特徴があると思ってるんですよね。
なんとも言えず透明度が高くて…うるうるとした「光」を常に湛えたタイプの目だなぁって思います。
その透き通り方のせいなのか、いつも不思議に引力がある感じがして、ついつい見とれてしまう瞳です。
この去年のwithのインタビュー写真とか、そんなきらっきらな目で見られたら眩しい…と軽く動揺します。ほんと綺麗な目だなぁ。。美しいな…。
withonline.jp

◆口角の上がり方、天才

「いやいや、こんな自然にきゅっと口角上がる人いる!!??」っていつもびっくりするんですが、まりおくん、お口元の造形が天才的に美しい&かわいいです。
それがグッズにも生かされたりしていて、愛らしいことこの上ないんです。
ちょっと以下の写真をご覧ください!

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左:三日月宗近、右:パペットぬいぐるみ(通称ぱぺまりちゃん)
左はミュージカル『刀剣乱舞』真剣乱舞祭2016の公式グッズ、右は2019年に楽天イーグルスさんと観戦イベントをコラボしたときのパペットぬいぐるみなんですが、
どちらもまりおくんのお顔をベースにデザインされているんだけれど、どちらも口角がきゅっと!上がってるの!っは~~なんだこれ!いつ見ても最高にかわいい!!!
デザインにそこを反映した担当者さん、わかってらっしゃる!まじでありがとうございます!
この口角の上がり方には、夢と希望が詰まっている…。

◆小顔と首の長さ、その絶妙なバランス

こう並べるとちょっと「ん?」って書き方なんですけど笑、これも個人的にすごく好きなポイント!
まりおくん、恐ろしく小顔です。身長180センチあるんだけど、いやその身長でそのお顔サイズ!?なる。(あまりに規格外に小さくていらっしゃるので、うっかり隣に並んでしまう機会があるときはいつも全力で自分の顔を縮める努力をしています…。)
でね、さらに首が長い!のよ!
アパレル経験のある友人に「首が長いはイコール”スタイルがいい”って意味で褒め言葉だよ!」と言われてから意識するようになったんですが、
明らかに平均値よりもだいぶ首が長いよな!?っていつも見ていて思います。その全体のバランスが、シュッとしててすごくすてき。
そしてわたしが超単純思考の持ち主ゆえ、首が長い=首長竜みたいだな…ってつい思ってしまってるんですが、
先日「推しに似ている」というただそれだけの理由で、ブラキオサウルスのぬいぐるみを買いました。とても可愛いです。
(※自分でも何を言っているのかよくわからないので、気にしないでください。)

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ブラキオサウルスに似てるって言われても困ると思うんだよね

◆目元の笑いじわ

これ、ほんとにめちゃくちゃ好き…。好きすぎる~!!!
ご本人も最近インタビューで自分の好きな部分を聞かれて、この笑いじわを上げてました。
わりと多めにぎゅっと寄るタイプなんだけれど、なんていうかそこにまた、人の良さが凝縮されているような気持ちにもなってしまう。
ただただ「うわ~~好きだな~~~…」と思って飽きずに眺めてしまうパーツのひとつです。
インターネット上には100%納得のいく笑いじわショットが見つからなかったけど、これのこと!です!左右どっちにも3本ずつくらいギュッて寄ってて、うあ~~~~…最高すぎる!!!好きだ~!!!
cancam.jp


★役者としての技能編

◆自分の色を、自然体のまま捨てられる

これだけかっこよくて恵まれた外見をしているけれど、まりおくんは演じる上で、いい意味で自分を「無色」の存在にしてしまえる役者さんだと思います。
演じる役によって、こちらが受け取る印象が本当に大きく変わるんです。
「何を演じても同じ」には、絶対にならない。
確固たる役者としての演じる力がまりおくんにはあって、それを発揮する上で、いとも簡単に普段抱かれるようなイメージを捨ててしまえるし、
毎回役柄ごとに全く違う色をまとって現れてくれるところ、役者だな…!と思ってめっちゃ痺れます。
なんというか、予定調和のお芝居を絶対にしない人だし、こちらの予想を毎度遥かに越えてきてくれるので、舞台上でどんな姿を見せてくれるのか、こちらからは予測がつかないのです。
いい意味で裏切られることが多くて、これぞファン冥利に尽きるというやつではないかなと思います。
まりおくんが舞台に立ち、生き生きとしている姿を見るのが、ほんとうに好きです。

◆歌が!うまい!

歌唱力、とにかく年々伸びていっているポイントです。もともとうまい方だったと思うんだけれど、安定感や伸びやかさがぐっと強化されました。
これは2017年の公演のソロ曲。一度目の歌唱力の爆伸びが起きたのは、この「つはものどもがゆめのあと」公演だったと思います。

華のうてな2 song by 三日月宗近

華のうてな2 song by 三日月宗近

  • 刀剣男士 formation of つはもの
  • J-Pop
  • ¥255

さらに2019年に「ロミオ&ジュリエット」で本格的にミュージカルデビューを果たしたことで、まりおくんはミュージカル俳優としての可能性を、ぐっと広げました。
記者発表は2018年秋なので今から1年半くらい前の歌唱なんですが、0:38頃からまりおくんパートが聞けます。
youtu.be
高音がつややかで、独特の透き通った声質。
なにより、なんともいえず鼻にかかった甘さが特徴としてあると思っているんですが、うまいだけじゃなくて声そのものに強い魅力があると思います!
本当であれば、今年は「エリザベート」で演じるルキーニ役で、その歌声をたっぷり堪能できたはずだったのですが、、絶対に近い将来、聞けると信じています…!

◆運動神経が抜群

スポーツならば何をやらせてもたいていうまくこなしてしまうんじゃないだろうか?と思うんですが、根っからの野球少年で、今でもとにかく野球大好きっ子なまりおくん。
2年前の9月に、ミュージカル刀剣乱舞ジャイアンツとのコラボナイターが開催され(※当時我々は全力で「いったいなにが起きてるの」となりましたが)、
まりおくんは三日月宗近として、始球式のピッチャーという大役をつとめました。
そのときの、投球の様子がもう!!!超~~~~かっこいい!!!
個人的には本番はもちろんなんだけど、ブルペンでの投球練習がツボです!
「ちょっとした肩慣らしだけど実力が隠せない」的ななにかを見守ってる気持ちになれます。笑
左利きなんですが、サウスポーからビュッと投げ込まれる球の鋭さよ!

過去に配信番組の企画などで、鬼ごっこをやってみたりバスケの1on1をやってみたりもしてるんですが、そのたびにいちいち「運動神経が!!いい!!!」となってしまい大変でした。
体の使い方がとにかくうまいんですよねぇ。自分の体をどう動かしたら良いのか、本能的にわかって自然に動けてしまう人の様子、どうしたって見惚れてしまう…。
その恵まれた運動神経は、舞台上でのダンスや殺陣にもしっかりと生かされています。
まりおくんが踊る様子には、なんとも言えずに”華”があり、終始魅せる力に溢れていて、ひたすらに目が釘付けになります…!

★内面編

◆プロ意識がすさまじく高い

こう一言でまとめてしまうには惜しいほど、「人前に立つ仕事」を選んでいる人として、本当にものすごく意識が高いです。
周囲の環境に対する自分の立ち位置だったり、求められる役割だったりをシビアに客観視した上で、
自分のやるべきことや目指すことをコツコツとやっていく様子からは、仕事に本当に真摯に向き合っていることが伝わります。
言ってしまえば自分の「商品価値」みたいなものにもすごく敏感なのだと思う。
とくに公の場での発言については、とにかく安心感があります。
自分に求められる振る舞いがなんなのか、言ったほうがよいこと・言わないほうがよいことがなんなのか、
常に自分の頭で考えて発言していることがわかるので、これぞプロ意識の高さの為せる技だな…と思いよく唸らされています。
なんていうか、決して余計なことを表立って言わないんだよね…。
まりおくんが黙っているときは「今は表に出さずに秘めている方がよい」と判断しているときなんだなと応援するうちにわかるようになって、
その判断も含め、プロなんだなぁと感じ入っています。それがわかっていれば、こちらは信じて待つのみなので。
弱音の類も、渦中のときには絶対に言わなくて、乗り越えてだいぶ経ってから口することが多いように思うのですが、そこに感じる仕事人としてのプライドの高さも、とても好きです。


◆驚くほど、素直

ベースとしての性格がすっごく素直というか、見ていてびっくりするくらいに、まっすぐなお人柄だなぁと感じます。
驕らないし偉そうになることもなくて、ほんとうに「まっすぐ」としか表現できない。
上京して、芸能界に入ってもうだいぶ経つのに、まだその心根の健やかさを維持し続けていられることが、ある種驚異的でもあると思えるくらい。
常に言葉に嘘がなくて、まりおくんが発する内容ならこちらも変にうがった見方をしたりせず、そのまま受け取って良いんだなと感じられて、すごくホッとします。

この点について忘れられないのが、去年のバースデーイベントでのこのエピソード…。



時間的に駆け足になっちゃうタイミングだったけれど、わざわざイベントの最後にこの言葉を足して伝えてくれた菊地さん、優しかったなぁ…。
素直さそのものの塊を浴びてしまった、あのときの客席の空気が忘れられません。

◆ファンに優しい

優しいです。なんというか、ファンをひとかたまりに捉えてくれるというか、「僕のことを好きでいてくれる人たち!」という温かいまなざしを、全体に常に向けてくれている印象があります。
それと同時に、ファンとの間にはしっかりと適切な距離を保つことにも長けていて、そこの賢さがまた最高。
とにかく平等に愛すべき「みんなのまりお」でいてくれる様子、なかなかできることじゃないよな…と思って、いつもありがたくその優しさを頂戴しています。
個人イベントなどで、まりおくんが集まったファンひとりひとりに接している様子を見ているだけで、いつも幸せになってしまうほどです。
うんうんと真剣に話を聞いていたり、途中であはは!と顔をくしゃっとさせて笑ったり、バイバイして見送ってくれたり、急にキメ顔してみせたり、
「や、やさしい~!本当にいちいち、ファンにやさしい~…!」と言葉を失い、しみじみとありがたいな…という気持ちになっています。いい人…。

◆有言実行する力

自分が叶えたいことを積極的に口にだして、それを形にしていけるように正面から努力をしていくお人です。
ある意味では背水の陣を敷きがちというか…退路をある程度絶ってしまって勝負しにいくところがあると思う。その覚悟のある様子がとても好きです。
去年、実際に楽天イーグルスさんでの始球式を早々に実現させていたのは本当にすごかったし、心底嬉しそうだったし、何より立ち会わせてもらえて最高にハッピーでした。
anagmaram.hatenablog.com

これから近い将来、わたしが個人的に叶えてほしいと思っているまりおくんの有言実行内容は、
朝ドラに出ること・お芝居に関してなんらかの賞を受賞すること、の2点です!
2つとも去年いろんな場面で口にしていた内容なのですが、絶対に叶うと思っているので、その日を楽しみにしています。



そんなふうに夢を叶える力のつよいまりおくん、本当なら今年は「帝劇に立つ」夢が叶うはずだったんだけれど、
予期せぬ形でその実現は未来に繰り越しになりました。

とにかくままならないことが多くて、想像もしていなかったような日常を送る中で、どうしても元気の出ないときもあるけれど、
そんなときもいつもまりおくんの存在に元気をもらっています。
長い自粛期間の中で、「僕たちの存在価値は、人に求められてこそなんだなとすごく感じた」*1というまりおくん。
いろんな公演が中止になり続ける中、こちら側から姿を望んでいる気持ちを伝える術も難しくなってしまい、この春は本当にしんどかったけれど、
たくさんの人から”求められている”ことが、お誕生日をきっかけにたくさん伝わったらよいなと思いました。*2


どんなに先になっても、まりおくんが舞台の上で輝きを放つ姿を見られる日を待っています。
それがまだ叶わない間も、ファンとして変わらずに楽しくいられたら良いなと願って。
テレビの中や配信の中で見せてくれる姿から、元気をもらって過ごしていこうと思います。


Happy Birthday to まりおくん!
どうか素敵な27歳の1年になりますよう。

*1:雑誌「Sparkle」vol.41掲載インタビューより

*2:誕生日に記事の更新って今までやりそうでやってこなかったけど、今年は色々あって最終的に誕生日お祝いのために推し自らがYouTubeチャンネル開設までしてくれてしまったので、こちらからもできるかぎり何かしたい!という気持ちが止まらなくなったのでした…。

想像力と一回性と。「舞台の力」をめぐって考えたこと

本、漫画、ドラマ、映画、アニメ。
物語が展開されうるフォーマットは多様多様であり、物語の器としてそのどれもが魅力的なんだけれど、
その中で個人的に一番”替えのきかない”特別なもの、それが舞台である。


そんな大好きな存在である舞台の持つ「力」とはなにか?ということを考えたとき、
ちょっと変わった捉え方になる気はするのだが、わたしの回答は、
観劇後の感想を、とにかくなんとしてでも言葉に書き起こしたくなってしまうこと」である。
それほどまでに大きく感情が動くという事実そのものが、舞台の力なんじゃないかな、と常々思っている。


舞台がもつ様々な魅力、その根幹を成しているのは、「観客側も体ごとその空間に入り込める」という機構ではないかと思う。
目の前で生きた役者が、物語を展開して見せてくれる。そこには人の声によって発せられるセリフがあり、シーンに合わせて空間に流れる音楽があり、ステージじゅうをいっぱいに満たす照明の光がある。
客席にじっと静かに座りながらも、その内面では自分の持てる知覚をフル稼働させて、目で、耳で、ときには肌で受け取る物語の質感。
その情報密度はとてつもなく高くて、わたしは劇場で客席に座っているといつも、ぎゅっと濃縮された「物語」という塊を、勢いよく正面からぶつけられているような感覚になる。

今目の前に”生きている”人による表現には、ごまかしが存在し得ないし、受け取る方がその一瞬を見逃してまえば、どんなに命をかけた表現であっても伝わらない。
届ける側と受け取る側での真剣勝負が常にそこにある気がして、だからわたしはいつも観劇しながら、大げさなようだけれど「あー、今生きてるな」という実感を得ている。

◆舞台上と客席をつなぐ「想像力」

それほどまでに圧倒的な「生」の勢いがありながらも、舞台作品を受け取る上では、観客側にある種の努力が必要でもある。
観客側に求められるその努力とは、「想像力を働かせること」である。


舞台上というすべてがリアルタイムの現場で表現しうる内容には、どうしたって限界がある。
人は空を飛べないし、時間は自由に行ったり来たりできるものじゃない。死んでしまった命は生き返らないし、出発した次の瞬間に目的地に到着したりすることは不可能だ。
でも舞台作品では、その現実では不可能なことを、物語の進行上、どうにかして表現して見せなければならない場面が沢山でてくる。
プロジェクションマッピングなどの映像手法に頼れる部分はあるとはいえ、それにも当然限界がある。
そのときに、観客側には想像力を発揮することが大いに求められることになるのだ。


波の音が聞こえればそこに海を、びゅうと吹きすさぶ風の音がすれば荒々しいだろうその天候を。
主に音や光の効果によって、観客には「今この場面はこうなんですよ」というメッセージが語りかけられる。
その情報量はごく限られているはずなのに、それでも不思議なくらいに、そこにあるべき光景が、ちゃんと舞台上に成立して見えてくる感覚が、観劇しているといつもある。

仮に、舞台上に役者がたったひとりでスポットライトを浴びて立っている状況だとしても、発せられるセリフや音楽によってどんな情景なのかを理解してしまえる。
もはや当たり前のような気がしてしまうこれって、よく考えると実はすごいことなんじゃないかな、と思う。
そんなことが可能になるのは、観客側の想像力が、そこに介在すればこそだ。


どれほど発信する側が腐心して作り込んでも、作り手の思惑通りに行くとは限らないとも言えるこの点、ある意味では表現としてのジレンマを抱えている…といえそうだ。
でも、逆にそこがすごく面白いというか、舞台の大きな魅力になっているように思う。
なぜなら、そのことによってわたしたち観客も、作品世界の構築に「参加している」感覚になれるから。
観客は客席に座って、目の前に繰り広げられるものをただ観ていればよいようにも思えるけれど、そんなことはなくて、
実はけっこうなクリエイティビティを求められている瞬間が、たくさんあるのだ。
そうしてこちら側がごく主体的に表現を受け取りに行く必要があるからこそ、溢れるように次々と感想が湧いてくることになるのかな、という気がしている。

◆同じ公演は二度とない

そうして自分の持てる限りのあらゆる感覚を発揮して、客席で受け取ったその日の公演。
同じ演目だからといって、今日観た公演と同じ瞬間が訪れることは、この先に二度とない。それが舞台作品の宿命である。
舞台はこの絶対的な「一回性」を、常にまとっている存在だ。

たとえ同じ演目に対して複数回観劇できる予定があったとしても、今日の表現と明日の表現は、また別のものだ。
それは、”生きていればそもそも同じ一日は二度と訪れない”という動かしがたい事実の、ミニチュア版のようにも思える。
当たり前すぎて普段は意識から遠ざかっているその事実を、わたしたちは観劇を通して、たびたび突きつけられることがある。

あのシーンのあの表情、素晴らしかったな、あの歌声をもう一度聞きたい。…終わりを迎えた演目に、過去どれほどそうして胸を焦がしてきたことだろう。
ロングランの演目であろうと、永遠に終わらない作品は存在しない。
いつかは必ず、どの作品ともお別れする日がやって来る。
どれだけ恋しく願ってみても、終わってしまった演目を二度と生では観られないその事実は変わらなくて、
「あぁ、もうこの目で大好きなあの場面を観ることはないのだな」と、痛みをもって終わりを噛みしめるしかなくなるのだ。


でもだからこそ、舞台を介して、心はこれほどまでに大きく動く。
今しかないその輝きを全力で受け取りたくて、夢中になってしまうのだと思う。

そしてわたしの場合は、その様子の一部始終をなんとかして言葉に置き換えて、感想として書いておきたくなってしまう。
自分が受け取った表現のきらめきを、暴れるように動いた感情の軌跡を、しがみつくように書き残しておきたくなるのだ。


それは、どうしても「忘れたくない」から。
すべてを忘れずにいることはできないとしても、たしかにそこに在った、かけがえのない表現に対する思いや受け取ったものを、せめてなにか形にしたい。
その一心で、わたしはいつも自分の気の済むまで、観劇の感想を書き残している。


でも、どれほど言葉を尽くしても言い表せないことはいつだってたくさんあるし、書けば書くほど、本来書きたかったはずの内容から遠ざかるような気持ちに、正直なところいつもなる。
それなのにどうしても、面白かった・感動した・楽しかった・驚かされた…次々に湧いてくるその気持ちのかたまりをぜんぶ、ひとまず文章にしてみようとせずにはいられない。

言ってみれば”理由はわからないけれど、なぜかそうせざるを得ない”状態にされてしまう感覚がある。
それは、自分の内側で、感情がそれほどまでに豊かに動き続けていることの証なんじゃないだろうか。
これが、私が感じているいちばんの「舞台の力」の在り方だ。



今はまだ、とにかくいろんなことが難しくて、”日常”と呼ばれるものは、かつてのそれとは大きく姿を変えたままだ。

ごく当たり前だった観劇体験を取り戻せる日が来るまでには、まだおそらく相当に長い道のりがある。
失ったものの大きさを思うと、途端に文字を打つ手が止まってしまう。この事態に対するあれこれを、未だにうまく言葉にすることができない。


でも、それでも。
今できる様々な工夫を凝らして、いろんな形で、舞台の幕が上がり始めている。
止まらずにこの世に在り続けようとするその姿と、ひとりの観客として、引き続き一緒にいられたらいいなと思う。
以前と形は違ってくるのかもしれないけれど、発信されるその表現に心動かされる限り、わたしは「舞台の力」を感じ続けていたい。



以上、雑誌「Sparkle」vol.41での「舞台の力をテーマに投稿してください!」というキャンペーンに応募したくて書きました。
(裏表紙+巻末12ページインタビューのまりおくんには、感無量のひとことでした…!)

Sparkle Vol.41 (メディアボーイMOOK)

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  • 発売日: 2020/06/24
  • メディア: ムック

「舞台オタクとしての感性」が死ぬのが怖い

無理して前向きになる必要はないと思っているので、普段ここに書く文章に比べると明るさが少なめになってしまったけど、いま感じていることです。

 

 

 

あっという間に6月になった。なんと梅雨入りだ。

日々の中に光り輝くエネルギー補給ポイントであった現場がカレンダーから全て消え、生活から徹底的にメリハリが失われているので、時間はただサラサラと前へ向かって流れ去るのみになっている。

こうして生きているだけで、世界は不可逆性に満ちている。

 

 

劇場に行けなくなった生活も、4ヶ月目に入った。

観劇はわたしにとって、物語の力、生きている人が紡ぐ表現の力を、かたまりとしてまるごと客席で受け取る行為だ。

そして、今模索されている演劇の新しい形が、過去のそれと全く同等の体験を与えてくれるものだとは、あまり思っていない。

これはなにも悲観的になっているのではなく、当たり前のことだと考えている。

なぜならいま色んなところで懸命に形にしようとされている新しい上演の試みは、わたしたちのよく知る舞台本来の姿の「代替」を目指したものではないからだ。

代わりになるものではなく、新しいもの。だからこちら側にも、新しいものに対する観客としての態度変容が、たぶんこれからものすごく必要になる。

 

そして、決してあるべき姿の「代替」にはなり得ない事実が、作り手にも観客にも明確にわかっているのに、なぜ新しい形を探り続ける動きがあるのか。それはおそらく、

「止まってしまえば、舞台作品という表現そのものが、いつか恒久的に失われ得る」おそれがあるからではないか、と思う。

その危機感が根底にあるから、たとえ違う形になろうとも、舞台の上で表現することを、諦めるわけにはいかない。その必死な思いを、観客側から勝手に感じている。

 

 

この先、新しい取り組み全てがうまくいくものではないだろうし、見えないことはあまりにも多すぎる。

中には新しい取り組みをするようでいて、実際は本質的ではない小手先の何かで、お茶を濁すようなケースもおそらくあるだろう。淘汰されるのだろうけれど。

 

けれどそんな混沌の中に、必死に手繰り寄せようとされている、舞台表現の息づかいが存在するのだとしたら、

それを観客として、受け取ることのできる自分でいたい。

できるかどうかわからない。正直あまり自信はないんだけれど、可能ならばそうでありたい。

 

これはわたしの願望であり、舞台オタクとしての死をひしひしと感じている焦燥感の表明だ。

わたしは舞台を劇場でどうやって楽しんでいたんだっけ。どんなふうにワクワクして感想を湧き上がらせていたんだっけ。

観劇とは五感をフルに使った体験である。見ている間の時間以外に、チケットを手にするまでの時間、劇場に行ける日を心待ちにする時間、見終わった後に作品を咀嚼しじっくり味わう時間、友人と感想を語り合う時間、そういうものを全部ひっくるめて、ひとつの体験が構成されている。

だから、かつて劇場で見た作品の映像を繰り返し見るだけでは、その感覚は少しずつ色褪せていってしまう。頭の中にもやがかかったようになり、鮮やかだった手触りはどんどんとぼやけていく。

 

そもそも舞台が上演されない限り観客にはなれないので、実際のところ舞台オタクとしてのアイデンティティは既に消失しているのに等しいのだが、

根っこの部分にある「舞台を楽しむために必要な感性」が、自分の内側でゆっくりと息の根を止められているような感覚があり、それがものすごく怖いのだ。

 

この先のわたしは、もしかしたら画面越しの演劇に、いまいち乗り切れない自分に失望するのかもしれないし、

座席が間引かれ、値上げされたチケットで見た作品に、かつてと同じような体験を得られず悲しくなるのかもしれない。

数ヶ月前まで当たり前だった上演告知に対して抱いていた期待と比べると、配信で届けられる新しい作品群のお知らせに対して「楽しみだ」「見てみたいな」と感じる気持ちは、あまりにも弱い。そのことがなんとも言えず辛い。

「配信」での上演の重みが、かつて知っていた通常の舞台公演のそれとは、どうしてもわたしのなかではイコールにならないのだ。

 

でも同じじゃないものを、同じように楽しみにして、同じように感動することは、たぶん出来なくて当たり前なのだ。

 

だからこそ全部、経験してみないとわからない。

やってみたその先に、感性のなかに新しく動く部分を見つけられるかもしれない。

その新しいなにかを見つけることができたら、わたしは舞台オタクとしてまだ、生き延びることができるんじゃないか。

 

 

配信での演劇への距離感を掴みかねている苦しさ、オタクとしての自我が死にゆく恐怖感、そんなものが今とてもしんどいんだけれど、

結局一番奥にあるのは「大好きな舞台が見れない、劇場に行けない」ことへの苦しさだ。

本当にわたしは舞台が好きなんだなと、逆説的に浮かび上がるその必死さに、もはや複雑な気持ちになる。

 

義務ではなくて自分の楽しさのため。取り組むのは、やりたいこととできることだけ。そこのバランス感覚を研ぎ澄ませながら、生き延びるしかなさそうだ。

だから今はとにかく「見てみたい」と感じたものがあったら、気負わずに楽しく見ていこうと思う。

わたしはやっぱり舞台オタクでいたい。