こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

テキスト文化と心中したい

Twitter、お前、しぬのか……?


情報を追うごとに、ここ数日でどんどんと怪しくなっていく雲行き。
Twitter、本当にどうなってしまうん?」
という気持ちがおさえきれず、未だ今年のエリザの感想記事すらあげられていない(ほどに文章を書くことを休みたい気持ちが強かった)のに、思わずブログを更新してしまっています。


わたくし、どう考えてもTwitterヘビーユーザーです。ないと本当に困る。特に趣味において困ることが多すぎる。
自分がなんちゃないことをだらだらと書き連ねるつぶやきの機能はもちろんこそと、
そもそも日常の「情報収集」はTwitterに全頼りで生きています。
ここに関しては趣味のみならず、この人なら信頼できるなと思うソースたり得るアカウントをフォローすることで、時事の話題もそれなりに追うことができていました。
それで不便を感じずにここ数年過ごしてきたので、仮に急に「もう使えません」と言われたら、本気でどうしたら良いかわからなくなりそうです。



こういう、幅広い情報収集が行えるツールでTwitterに代わるものって、どう考えても今のところないですよね……?
という時点で、これだけ影響力の大きなサービスに於いて「どうにもならなくなる」ことが現実に起きうるものなのかはわからないんですけど、それにしてもザワザワします。

「退避先としてマストドンにアカウント作る?」といった意見もあって、
親切に概要をまとめてくださった方のツイートなんかも流れてきてふむふむと読んだのだけど、
これを世の大半の人が使いこなせるとは到底思えず……マジョリティが流れる先のツールには、まずならないよなぁ、という印象です。


かといってじゃあInstagramなのかと言われると、それも絶対に違うわけで。。
そもそもタイムライン的な機能を放棄していて「こっちが見せたいものを見せるからね!」の押し付けが強すぎるインスタとは、わたしは現時点で本当に気が合いません。
俳優陣のアカウントをフォローするだけの、自分では一切投稿しないアカウントこそあるものの、
この先自分が積極的にインスタを活用していくイメージは全く持てていないのでした。
タグでの情報検索とかは、たしかに便利だしメイク動画とかは色々見られて面白いんだけど、SNSの活用として中心に据えることは難しいな……と思う。


やっぱり、140文字という「テキスト」で作り上げられている世界だからこそ、わたしはTwitterが好きなんだよなぁとしみじみ思います。
画像も動画も投稿はできるけど、主たる要素はやはり文章にあるわけで。

当たり前のことですが、画像って情報量がものすごく多いですよね。
伝えられる内容も、パッと見で与えられる印象も、文章よりよほど投稿者の意に添いやすい形で運用ができるように思います。
だからこそわたしはインスタが苦手なんですが……「こういう風に見てほしい」という理想のもとに切り取られた画像の集合体に感じられてしまって、怖いんですよね。
正直、なんて容易に嘘がつけるのだろうと思って見てしまっているところがある。
そりゃあ文章でも虚飾に走ることは可能なわけですが、そうは言ってもやはり限界がありますもの。


それこそブログもそうなんですが、
どんなに廃れていっても、わたしはインターネット上で出会う情報としては、一番「文章」を愛しているし、これからもそれは変わらないと思います。
その時点で時代にはとっくに取り残されているのかもしれないし、切り捨てていかれる層なのかもしれない。
でもそれならばそれで構わないよと思うくらいに、わたしはテキスト文化が大好きです。
テキスト文化と心中させてくれ。


そのためにも、Twitterには是非とも踏みとどまってもらいたい……のだけど。
システムを支える立場の人たちがいなくなったら当たり前のこととしてサービスは持たないに決まっているだろうし、
本当にある日突然使えなくなるなんてことも、出てくるのかなぁ。。無理すぎるなぁ。。


深く付き合いがある・ないに関わらず、相互であるかどうかも関係なく、
ただ「この人が書いてる内容を日々眺めていたい」という感覚で時系列で文章を好きに追える、そんな場所としてのTwitterが大好きです。

まともに使い続けられるなら全然課金もやぶさかではないけど、なんかそういう話ですら無さそうで、とにかくざわついているよ、というお話でした。
果たしてこの懸念は、笑い話で済むのかどうか。。本当にどうなっちゃうんだろうな。