こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

柚香光さん・華優希さんの大好きな花組トップコンビによせて

7月4日の「アウグストゥスー尊厳ある者ー/Cool Beast!!」の東京宝塚劇場公演千秋楽をもって、花組トップ娘役をつとめた華優希さんが、ご卒業されました。


昨年の秋、はいからさん千秋楽の翌日に、大きすぎる衝撃をもたらした華さんの退団のお知らせ。
去年わたしは全く予想外のタイミングで、はいからさんの東京公演を通じて、花組トップスターの柚香さんに真っ逆さまに転げ落ちました。
はいからさんの公演期間を猛スピードで駆け抜ける中で「ああ、もうこれは宝塚を好きになってしまったのだな」と早々に観念し、そしてなにより「わたしはこのトップコンビのおふたりが好きだ…!」としみじみと幸福感の中に噛み締めた、まさかの翌日に訪れたその知らせは、初心者が受け止めるにはあまりにも唐突でヘヴィでした。
宝塚歌劇=退団があるシステムとは重々承知ながらも、まさかこんなに早くその洗礼を受けるとは…という呆然とした思いになりました。

それから約8ヶ月が経過し、ついにその日が昨日、やってきました。
上記のとおりの歴の浅さで、わたしが見たものは本当に限られているし、触れることのできた情報だって全然多くはなく、そんな自分が書くことに本当に何の意味が…とは思いますが、どうしても書きたいので書きます。




◆わたしにとっての”宝塚”は、れい華コンビから始まった

はいからさんが通る」は、わたしにとって、なんにもなくなってしまった2020年という時間軸に一筋の眩しい光をもたらしてくれた、救いのような演目です。
楽しみにしているという言葉では追いつかないくらい、命をかけて待ち望んでいた舞台演目(東宝エリザベート)の全公演中止を食らい、
身も心もスケジュールもすべてが空洞になってしまった2020年の秋に、思いがけずに素晴らしすぎる時間をもたらしてくれた存在でした。

宝塚に関する知識は全然ないし、用語もシステムもわからないことばかりだけれど、それでもただただ、目の前に広がるはいからさんの世界が楽しくて仕方なく、
その真ん中で圧倒的な存在感を放つ柚香光さんにほぼ秒で完落ちし、花組というひとかたまりの世界が好きになり、そして、物語のヒロインとして本当にものすごいエネルギーで輝いている華さんのことも、大好きになりました。
白い喪服を身に着けて「少尉の妻の務めです!」と言い切るシーンにみなぎる意志の力には、初めて見たときから釘付けになりました。
お芝居でもフィナーレでも、おふたりが作り出す空気感に自分でも説明のつかないほどに深く引き込まれて、あの真っ白い光のかたまりのようなデュエットダンスでは、なぜか涙が止まらなくなりました。

わたしが”宝塚”を好きになったその世界の真ん中にいらっしゃったのは、柚香さんと華さんのトップコンビでした。
anagmaram.hatenablog.com


その後、年が明けてからの「NICE WORK IF YOU CAN GET IT」では、洒脱で心愉しい魅力がギュッと詰まった、色とりどりのおもちゃ箱のようなハッピーすぎる世界に出会いました。
どうしようもないダメ男なのに、好きにならずにはいられない愛嬌たっぷりなプレイボーイの柚香さんのジミーと、ダボッとしたオーバーオール姿で密造酒の詰まった箱をかついでみせる、たくましいギャングの仕切り屋で仲間からの信頼もあつい華さんのビリー。
そんな二人が大騒ぎのコメディの中で紡ぎ出す「運命の恋」には、どうしたって胸がかきむしられて、絶対に幸せになってほしくて、これ以上ないハッピーエンドにはただ笑顔が溢れました。
劇中のタップダンス'S Wonderfulも、”お洒落で大人な雰囲気を出せるように”と語られていたフィナーレでのデュエットダンスも、
シルクハットで決めた柚香さんと、真っ白いドレスの華さんが、カーテンコールで遊び心のあるやり取りを繰り出してくれる様子も、どれもが愛しくてたまらない光景でした。
anagmaram.hatenablog.com


おふたりが並び立っているときの、まるでその存在同士が響き合うかのような、常に真剣勝負のようなその様子が、本当に大好きなんです。
柚香さんと華さん、それぞれから発せられる「芝居の熱」はとにかくイーブンで、舞台上にはいつも、嘘のない生き生きとした感情のやり取りがある。
おふたりが発するもののどちらかが過剰でも足りなくても、あの舞台上の求心力は生まれない…と思うほどに、がっぷりと互角に噛み合った強さの表現力に、幸せに殴られるような気持ちで見ていました。

柚香さんが華さんの退団の意志をうけたときにかけた言葉として、最初にわたしたちが知ることができたのは「最後まで濃い学びをしていきましょう」というものでした。
退団発表を知ったタイミングでは、その言葉の意味をまだどう受け止めたらいいのかも当然わからず…という気持ちでしたけれど、
ナイスワークから、今回のアウグストゥス/Cool Beast!!までの数ヶ月間だけで、本当にただその言葉どおりの時間をおふたりは過ごされてきたのだなぁと、回数は少ないながらも、自ら足を運んだ観劇を通じて実感しました。
anagmaram.hatenablog.com


◆柚香さんが示した、華さんへの「同志」の思い

そして迎えた、昨日の大千秋楽。
ライビュの大画面で見届けたお芝居もショーも諸々…たくさんたくさん、感想はあるんですけど、私の中で一番刺さった場面は、デュエットダンス後、銀橋での一コマです。

柚香さんが華さんをホールドした状態の体勢がゆっくりとほどかれて、並んだおふたりが銀橋の真ん中でお辞儀をした後。
華さんの方を見た柚香さんが、どこか悪戯っぽい嬉しそうなニッとした笑顔で、ずいっとご自分の右手の「拳」を、華さんに向かって差し出したのです。
いわゆるグータッチをしよう!って、促している状態。
「えっ!?」とびっくりした様子になりながらも、ちょっと腰を落とした娘役のお辞儀のスタイルで、ちょこんと自分のグーをあわせにいった、笑顔の華さん。


この光景を見たとき、これが柚香さんにとっての「ふたりの完成形」だったのだなぁって深く深く感じました。
銀橋の真ん中で、退団していく相手役に、拳を突き出すトップスター。それが柚香さんの答えなんだなぁと。
究極のスターシステムを敷く宝塚では、真ん中は常に男役トップスターのもの。トップスターを中心として演目が組まれ作品が作られ、あらゆる物事がトップスター中心に回っていく、その環境の中で。
柚香さんにとって華さんは、間違いなく戦友であり同志であり、一緒に作品をつくってきたかけがえのない仲間だったのだと、
決してなにか庇護する対象でもなく、自分の陰に控えるような存在でもなく、ただフラットに隣にいるべき存在だったのだと、あの姿を見てそう強く感じました。


そして、あのグーを差し出した姿は、柚香さんがその事実を、誰よりも華さんに向けて、真っ直ぐに伝えようとしているみたいに見えたんです。
わたしたち、よくやったよね、そうでしょ?って、ときに控えめにすぎる華さんに、全身で語りかけているようで…。


インタビューや対談になると「なんにもできなくて」っておそらく本気の本心から何度でも発言される華さん。
しかしそう感じていたとしても、舞台上で己を卑下するような素振りはいっさい見せないからこそ、そこに圧倒的なプロ根性を見てかっこいいな…とこちらは唸るように思わされていたわけなのですが、
でもその背景には、本当にものすごい葛藤と苦しみと努力とが隠れていたんだろうなと、宝塚GRAPHの卒業対談を読んだときに改めて感じました。


わたしがみた限りの情報の中、たとえばナウオンの番組内など舞台上以外での華さんは、ちょっと極端なくらい控えめで、絶対に前に出過ぎることをよしとせず、「我を奥深くしまいこむ」ような印象がありました。
でもそんな華さんは、ひとたび舞台の上に立つと、柚香さんに対しても、絶対に遠慮をしていない気がしていたのです。
宝塚の世界の中で言えば、おふたりの学年は5つ離れていて、華さんからすると柚香さんは様々な面でどうしたって圧倒的な先輩にあたります。
それでも、舞台の上ではいい意味でお互いに手加減なく芝居をぶつけ合えているような、そんな風に見えていて。そこが、本当に大好きで。

でもその姿をお客さんに見せるまでの間に、いったいどれほどの苦難を乗り越えていたのか…と。
当然、それは察せられることではあったけれど、その過酷さはこちらの想像を絶する部分があるのだと、対談の文字情報となって届いたその内容だけでも突きつけられた気がしました。言葉に尽くせぬ濃さの出来事があったのだろうと思わずにはいられず、思いがぎゅっと詰まったあの2ページのおふたりの言葉たちは、とうてい涙なしには読めませんでした。


そんな華さんの歩みを、誰よりも近くで見つめ続けてきた柚香さんだからこそ、
あの千秋楽のフィナーレのラスト、万雷の拍手を送るお客さんの前で、華さんとの「同志」としての姿を見せたかったんじゃないかなって、そんな風に思ったのです。
そこには、大劇場での有観客ラストの公演になった4月24日・25日の二日間で、華さんを銀橋センターに招いてのひとりでのお辞儀の時間を作り出したのと、同じ性質のものが溢れていたように感じて。
華さんに向けた、柚香さんの心や思いが色濃く詰まっていたひとときなのじゃないかなと。
自分に足りないものやできないことを、もはや向こう側に突き抜けてしまうのではないか?というほどタフに見つめ続けた華さんに、でもその努力も心意気もちゃんと結実したんだよ、コンビとして一緒に「お客様に愛される」素晴らしい時間を完成させられたよね、そうでしょ?って、そう仰ってるような気がして。

◆れい華コンビが走り抜けた時間、見せてくれたもの

おふたりがコンビを組まれた期間は、コロナ禍を正面から受け止めるようなタイミングでした。誰もが経験したことのない状況の連続で、どうしようもない困難も多く、度重なる公演中止も経験されて…
その最後の場面で華さんに向けて贈られた、「この時期に一緒にできるのが華ちゃんでよかった、ありがとね」という、柚香さんの言葉。


芸事に真摯なゆえに、どう考えてもめちゃくちゃに要求水準の高そうな柚香さん。
その柚香さんが「華ちゃんでよかった」と発言されるその重みには、すさまじいものがある気がします。
2月にあったスカステの生放送特番でも、振り付けの足を踏み出す一歩目から何度でもやり直すしつこさ…と華さんとご自身との稽古風景について描写していらっしゃいましたが、
どれほど大量のダメ出しがあっても、絶対についてきて弱音を吐かない華さんだから、柚香さんは「華ちゃんでよかった」と真っ直ぐに語られるのだろうし、
だからこそ聞いた全員が「まさか!!!」とひっくり返ったであろう、あの振り切ったどストレートな「私の自慢のお嫁さんですので」発言をもなさったのだろうなと。
柚香さんってそういう表現をあまりされないタイプの方だろうとなんとなく思っていたところがあって……そんな柚香さんが、あの千秋楽の最後の場であの言葉を、他でもない”華さん”に、届けたかったんだろなと思うと…。思うと…!


舞台にかける情熱と魂が響き合うおふたりのコンビが、本当に大好きです。
二人で並べば秒でそこには「運命の恋」が生まれてしまう、あれほどに強固で深い精神的な結びつきを間違いなく持っているのに、その関係性の中には一切甘さがない。
でも甘さがないゆえに、どちらかが本音を真っ直ぐに言葉にしてぶつけると、結果もう片方がわけのわからない状態になってしまう、あの愛すべき息のあったちぐはぐさも、好きで好きで仕方ありません。
大劇場千秋楽での華さんの「柚香さん愛してます!」の爆音大告白で、照れ倒したとっさの返しが「声量が~!」になっちゃう柚香さんも(その後のやりとりで「ウォーミングアップが済んでおりましたので…」って返す華さん面白すぎてつらい)、
それへのまさかの全力アンサーになった、東京千秋楽での「自慢のお嫁さんですので」を浴びた瞬間に即フリーズし、じわっ…と無音でブーケを持ち上げ顔を隠してしまう華さんも(フリーズの瞬間、画面の中で\ワサッ/と揺れたブーケからして、もう最高に面白かった…)、
なんだかそういうところは本当に似たものコンビというか…
舞台のことだけ考えて突っ走ってきたおふたりの、とりあえず自分たちの「個」を徹底的に脇に置いてしまいながら、同時に相手を最大限尊重しているところ、めちゃくちゃに息ぴったりだなって思うんです。
おふたりの歌唱は音程がユニゾンになった瞬間に、ほんとうにピタッ!と美しすぎるほどひとつになりますが、あれは「心が揃っているから」なのだろうなって、聞くたびに何度も思いました。



あれだけ可憐で、まるでおやゆび姫のような佇まいなのに、その真ん中には誰にも負けないぶっとい芯が備わっていて、もはや内面が武士みたいな…可愛くて美しくて、かっこよすぎる華さん。
本当に「可愛い!!!」と叫びたくなる可愛らしさ愛らしさなので、心の中ではとっても「華ちゃん」とお呼びしたいけれど、あまりに武士でかっこいいゆえに湧いてくる尊敬の念が押さえられず、どうしても「さん」もつけたくなってしまい、
結果、わたしはTwitterでは最後まで「華ちゃんさん」というわけのわからない呼び方に終始してしまいました…。


華ちゃんさん。
本当に本当に、ありがとうございました。
柚香さんと華ちゃんさんが作り出す世界を通じて、宝塚を好きになれて幸せでした。
おふたりが作り上げる、色とりどりの心に溢れた舞台には、見るたびどうしようもなく感情が揺さぶられて、どの公演でも毎回新鮮に、観劇を通じた「生の実感」が尽きずに湧いてきました。
苦しいことも悔しいことも、数え切れないほどに沢山あったのだと思うのですが、でも何があっても負けることなく、おふたりのコンビが力を合わせて舞台上から届けてくださった時間は、とても陳腐な言い回しになってしまうけど、でもやっぱり「宝物」になりました。

最初に好きになった宝塚のトップコンビとして、心の中の特別で大切な場所に、これからも大事に大事にしまい続けようと思います。

華ちゃんさん、大好きです!

宝塚花組「アウグストゥスー尊厳ある者ー/Cool Beast!!」東京公演を見た感想(主に6月27日ソワレの記憶)

ギリギリ滑り込み、という感じでしたが、花組東京公演の後半戦、3回ほど観劇してきました。
全然まとまらなくなってしまうんですが、好きなところを好きなように・どうしても言いたい!ってことをひたすら書いてみます。
まずはお芝居のほうから、これまであまり触れられていなかったキャラクターのお話など!

先日更新したムラ観劇の際の記事はこちらです(※こっちには、むしろトップコンビについての話しか書けていません!)




アウグストゥスについてその①:己の美学を貫くアントニウスのかっこよさ

あきらさん(瀬戸かずやさん)のアントニウス、本当にかっこいい…としびれながら見ました。我が身を燃やし尽くすような、あの生き様が鮮烈で。。
なんといってもあの銀橋ソロ「欲望の夢」ですよね…!オケピから登場してマントを脱ぎ捨て、客席に背を向けて静止したポーズで歌い出す、あのかっこよさと言ったら!

この曲で舞台上に移動した後、アントニウスは神々に取り巻かれながら歌い続けることになるのですが、あの演出がとてもとても好きです。
あそこのアントニウスは、神々に取り囲まれこそするが、彼らに操られているわけではない、というのがミソな気がする。
アントニウスは、何が何でも自分の夢を絶対に叶えてやろうと決意している。そしてその代わりに、己の欲望が連れてくるもの、引き起こす結果がなんであろうと、それをすべて引き受ける覚悟ができている。
欲望をまっすぐに追い求めることが彼の生き様なのだし、それこそが生きる意味であって。
むき出しの本能を一切誤魔化そうともせず、目の前の出来事に体当たりでぶつかっていく…だから彼はためらいなくブルートゥスを殺害してしまえるのだし、民衆に己こそがカエサルの後継者であるとして、パルティア遠征を宣言できる。

それがなにか熱に浮かされたような有り様なのではなく、あくまでも己の本心から来る選択として意志を以て貫いている様子が本当に好きです…。
炎を吐くような気迫に満ちた歌唱、最後の観劇となった6月27日はあまりのかっこよさに客席で鳥肌が立ちました。
ある意味「滅びの美学」みたいなところもあるのかな…。もちろん彼は自分が敗北するなんて思ってはいないと思うんですけど、たとえこの身を滅ぼしても構わないとばかりに、火だるまのように運命に突っ込んでいく捨て身の様子には、命がけだからこそにじみ出る、どうしようもないかっこよさがあるなと思います。


そして彼をそれほどまでに駆り立てるのは、クレオパトラへの深い愛。
時間軸が進むにつれて、二人の関係性がどんどんと濃いものになっていく様子が伝わってくるのですが、一番好きなのは、ローマからの使者の存在を告げに来たアポロドロスに対して、アントニウスが「ローマに宣戦布告する」と宣言するところです。
クレオパトラはそんな彼の発言を聞いて、きっと本心ではギョッとするほど驚いたのだと思う。冷静に考えればそれがいかに愚かな選択であるのかも、きっと聡い彼女にはわかっている。
それでも彼女は、アントニウスがそんな馬鹿げたことを言い出したのは、全てが自分のためであることを悟り、瞬時に彼と運命を共にする決意を固めるのです…。
”生きるために愛を捨てた哀れな女王”は、一緒に夢を見てくれる愛すべき男と、ようやく巡り会うことができた。
「二度と互いを離すものか」と言葉に出さずとも誓い合う二人の愛は本当にドラマティック。
本来であれば、決して他人に頭を下げるべきではないはずの立場の彼女が、思わずオクタヴィウスに対して膝をついて「お願いです、どうか彼を助けて」と懇願してしまうところは、一国の女王の振る舞いとしては見ようによっては滑稽なのかもしれないですが、それでもやはり、彼女を笑うことなんてできないなぁ…と感じてしまいます。


その後の、アントニウスの自害…。剣の柄に手をかけた状態のアントニウスとオクタヴィウス二人の目が合っているのが、見ていてものすごく、辛い…。
お互いに、あそこはなんて顔をするのだろう…。(そして目の前で自害して死んでいくあきらさんを見守るのがお芝居の絡みのラストになるだなんて…演じていて柚香さんはいったいどんな気持ちになるのだろう…涙)

目が合った後、叫びながら再び自分の体に剣を突き刺し続けるアントニウスの手を止めようとするが叶わない、あのオクタヴィウスの顔。
もう、あれはどう表現すればよいのかわからない表情なのですが…ぐしゃりと顔を歪めた果てに虚脱して、「騙したのね!」というクレオパトラの叫びにも、ぼんやりと振り向くことしかできない。…辛すぎる。
そして何も言わずに、そんなオクタヴィウスから剣を取り上げてその場を去っていくアグリッパとマエケナス
なにかを責めるような表情でもなく、本当にいっさい何も言わないままに、二人は静かに彼を一人にするのでした。
あの退き方からは、二人がいかにオクタヴィウスを真剣に補佐しているのかが伝わってくる気がします…。いや、それで一人にされるのもやっぱり辛いけど…でも少なくとも、信頼できる部下がオクタヴィウスにはいてくれてよかった。。

アウグストゥスについてその②:希望そのもののようなアグリッパ

そんなかけがえのない補佐役、マイティーさん(水美舞斗さん)のアグリッパは、存在そのものが作品における希望のようで、見ていると心が明るくなります…!とにかく表情が本当に素敵!
冒頭の賊に襲われるオクタヴィウスを助けに駆けつけたところの、二人の気のおけない関係性がよく伝わってくる、あの軽妙なやり取りからしてもう大好きです。
…というかここのオクタヴィウスくん、明確に命を救ってもらってるはずなのに、よかった助かったー!みたいな顔じゃなく、「うわ~血だ、やだな~あいつはまたそんな乱暴な…」みたいなしかめっ面で顔をそむけるばっかりなので、こら~ちゃんと感謝なさいな!と思ってしまいます。だって君、アグリッパが来なかったら死んでたかもだよ!?笑


作品全体を通して、アグリッパがオクタヴィウスを見つめているその表情には、終始篤い信頼が色濃く溢れ出ているなと思います。
「静まれ!民衆よ!」から始まる、出陣前のオクタヴィウスの演説を聞いているときの表情は、最初はほんの少しだけ不安そう。でもオクタヴィウスが言わんとする本心を理解し受け取って、それに納得したように最後は微笑んでいて。
アクティウム海戦の船上で、アントニウスたちエジプト軍の兵士が乗り込んで来たときは、咄嗟にオクタヴィウスを守ろうと彼を庇う姿勢で前面に出ます。
しかし、いやそれは必要ない、というふうにオクタヴィウスに制された後は、「わかった」とどこか嬉しそうな笑顔で頷いて、そっと身を退く。
本来であれば、戦いは不得手であるオクタヴィウスにはサポートがついたほうが望ましいに決まっていると思うんですけど、でもアグリッパはオクタヴィウスの決断をちゃんと尊重するのですよね…。

この一連の、アグリッパがオクタヴィウスに向ける眼差しを見守っていると、本当に勝手に心があったかくなってしまうんです。
極めつけは「友よ―かけがえのない君へ―」の銀橋ソロですよね!そもそもタイトルが泣かせる。主従関係ではあるけど、あくまでも「友」なんだな~ってなるので…
作品中では沢山の人々が死を迎え、ついにはアントニウスと正面から戦うことになり、すっかり重苦しい空気になった中に、あの笑顔とメロディーが爽やかな風のように劇場を吹き抜ける様に、見ている心がほっと解けるような気持ちになります。
イントロからどんどんとアップテンポになっていく曲調は、作品の中では異質ともいえそうなものですが、異物感があっても敢えてそういうポップで明るい空気感を取り入れたい、という明確な意図があるんだろうなと感じながら聞いてます。
オクタヴィウスにアグリッパがいてくれて本当によかった…という気持ちで、スポットライトの中に消えていくその晴れがましい笑顔に、全力で拍手を送るのでした。


そしてラストでは、凱旋式に向かう真っ白い衣装のアウグストゥスと笑顔を交わしたのち、銀橋に立つその姿に、胸に拳を当てる敬礼を返すアグリッパ。その笑顔がまた、凛々しくて頼もしくて。
どこまでも真っ直ぐにオクタヴィウスを信じ、支えようと誓うその姿に、現実のお二人の関係性を重ねるなという方が無理なんですよね。。これが泣かずにおられようか!?
あてがきって、恐ろしい魅力に満ちているなぁ…。オクタヴィウスにアグリッパがいてくれるように、今の柚香さんのとなりにマイティーさんがいてくれて、本当に本当に良かった!!!涙

◆「アウグストゥス」という演目の魅力

結論としてなんですが、この演目、わたしは見れば見るほど好きになる…!って感じました。噛めば噛むほどいろんな味がしてきてしまう、まさにスルメのような魅力のある舞台。
地味だとか、盛り上がりにかけるだとかは、全然感じることができなくて…。そこここに溢れる感情のやり取りを、息を呑んで見つめ続けてしまう作品でした。


たぶんですね、これは大前提として「今の花組が好きな人」が見たときにすごく楽しめる…という作りになっている作品なのだろうな、とは思います。(去年の秋に花組に出会った人間が言って、どれほど説得力があるものかはわかりませんが…!笑)
娘役トップスターの華さんと、長年組を支えてきたあきらさんの退団公演であるという点が当然大きいと思うんですが、それだけでなく、とにかく「今の花組」を明確に作品世界に焼き付けようという意志に溢れた演目に感じられます。どの場面も、舞台に立つ生徒さんの生き生きとしたエネルギーに満ちてきて、たまらない迫力があるんですよね。


尊厳ある者・アウグストゥスとして輝かしい未来へ歩みだす主人公の姿と、花組を率いて新たな未来を切り拓いていく柚香さんの姿が大きく重なるのはもちろんなのですが…そんな柚香さんの最後の銀橋ソロの歌詞にあるのは「君と心分かち合った 確かな記憶を胸に」という言葉。
これは明らかにポンペイア=華さんとの繋がりを指し示すもの。だってそんなこと言われたらもう、、という気持ちで、見ているこちらは泣くしかできない。
そして、ポンペイアの言う「わたしはもう、この世界にはいられない」という台詞。いやちょっとなんて台詞を言わせるのだ…?と思うし、あの静かな覚悟を湛えた、引き留めることが決して叶わないとわからされてしまう表情も…現実と重ねて受け取ると、本当に言葉にならず込み上げるものがあります。


ラストシーンでせり上がってくるポンペイアは、穏やかで満ち足りた表情でアウグストゥスを見つめているし、銀橋から舞台を振り返るアウグストゥスの視線の先には、絶対にポンペイアがいるのだと感じます。
作品内でのトップコンビの関係性を、敢えて明確なカップリングにしなかったことで、逆説的におふたりの本来持つ「舞台」を介した真摯な結びつきの強さが現れている気がして…これはこれで、本当にありなんだなと思いました。
だってこんな作品づくり、このトップコンビじゃないとできないなと思いますもの。
コンビの”本質”を見抜いたあてがきだったんじゃないかなって、宝塚グラフのおふたりの対談を読んで感じました。「もしかしたら宝塚のトップコンビという型からは外れた、私達にしかない時間だったかもしれないけど」*1という柚香さんのあの言葉に、すべてが現れているような気がして…。
少なくともわたしは、今作で華さんが卒業されることに深く納得できました。おふたりには前作のナイスワークで、これ以上なくキラキラと幸せな運命の恋も、見せてもらえたことですし…。
もちろんものすごく寂しいんだけれど、なんだか不思議に満ち足りた気持ちにもさせてもらえる、妙なほどに熱いエネルギーのある作品だなと思います。大好きな作品になりました。

◆Cool Beast!!…というか、タンゴデュエダンについて、6月27日に見たもの

ショーはもう、本当に楽しい!楽しすぎて意味がわからない!55分間が秒で過ぎ去ってしまう!!!
見れば見るほど解像度が上がるので余計に体感が早くなってしまって…「終始わけがわからないのにこんなに楽しいって、なんなんでしょうねー!?」って、幸せな気持ちで心の中で叫んでいます。
そんな楽しくて幸せすぎるショーも、やっぱり見てるとあちこちで泣いてしまうんですけど…わたしの劇場観劇のラストになった6月27日のソワレで、なんだか明確に、舞台上の空気が変わったような印象を受けました。
なんともいえず「終わり」が意識されだしているようなそんなムードを、舞台上から感じてしまったんですよね。
前日の土曜ソワレも見ていて、この回は貸切公演だったのでお客さんの雰囲気もまたちょっと違う(初見の方もそこそこ多いはず)というのはあったと思うんですが、それだけじゃ説明のつかない切り替わりを肌で感じて、「うわっ…!」ってなったんです。
これが終わると、明日は最後の休演日。幕が再び開いたら、ここからはラストに向かってもう一直線。
少なくとも、1週間前に見た6月20日に、この空気はまだ存在していなかったなと…。


いつもカエルム~メカメカまでの流れで、メジャーコードの明るい曲にも関わらずギャンギャンに泣いてしまうのですが、この回のフィナーレはなんだかとても濃くて。。
とにかく驚かされたのは、柚香さんと華さんのデュエットダンスでした。
本作のデュエダンはタンゴ。はいからさんのブライダルデュエダンや、ナイスワークの'S Wonderful+フィナーレのハッピーな空気感とは全く違う、キリッとした大人の色気で魅せる場面なわけなんですが…。
なんだかこの日、すごいものを見ました。


アコーディオンの音色で始まる、タンゴアレンジの「ジョバイロ」。サビに差し掛かりちょうど美穂さん・かちゃさんの歌声が入ってくるあたりで、上手寄りで華さんが柚香さんに後ろからそっと抱きつく振り付けがあるのですが。
この日、ここで柚香さんに腕を伸ばして寄り添った華さんから、ふと「離れたくない」という感情が、ものすごく明確に溢れた気がして、見ていてハッとなったんです。
それはほんの一瞬の出来事なのに、まるで感情が目に見えたのかと錯覚するような…そっと差し伸べて肩に添わせた指先から、伏せられたまつ毛から、華さんの気持ちがぶわっと溢れ出るさまを、確かにこの目で見た気がしたんです。

でも、それだけでは終わらなくて…。
次の場面では、抱きついた腕を離した華さんの手をとり、正面から柚香さんと華さんが向き合う体勢になるのですが、
そのポジションになったとき、柚香さんが華さんと目をあわせて、ほんの少しだけ、でも確かに頷いてみせたんです。
ここの二人のやり取りで「頷く」という動きを見た記憶がまったくなかったので、これには本当に、驚いてしまった…
その光景はまるで、華さんがこらえ切れずに花びらのように溢れ落とした感情を、柚香さんが確かにキャッチしてみせたようだったから。。

タンゴの時の柚香さん、なんとも言えない「タンゴ用の」表情をなさってるじゃないですか。艶っぽくて、でも内面の感情を読み取らせない、どこかミステリアスな空気感のお顔。
でもそうして頷いた瞬間だけは、とても"柚香さん"のお顔だったのですよね…。
あくまでもタンゴの世界観の中で起きた出来事なのですけれど、それでもあの瞬間、「柚香光と華優希」としての関係性が、明確に目に見えるものとして舞台上に立ち上がったように感じられたのでした。


「え、今わたしなにを見た…?」という気持ちで、ただ目をまんまるに見開いてその後の二人を見つめ続けていたのですが、この日の華さんは、どこかびっくりしている様子に見えました。
ラストにかけて、センターから下手に踊りながら移動していく流れで、何度か二人が正面から視線を交わすところがあるんですが、普段の華さんはそのたびにすごくキリッとした、余裕すら感じさせるとても勇ましい表情をしているんですね。
「おぉ、そんなお顔つきで踊られるようになられて…かっこいい…」みたく、存じ上げてまだ短いくせに謎に感慨のこもった気持ちでそれまでの観劇では見つめていたんですが、この日の華さんは、とにかく「ぎっ!」と力を入れて目を大きく見開いていて、それはどこか表情を崩すまいと頑張っているように見えたんです。
柚香さんをまっすぐに見上げるその瞳に、驚きと動揺がほんの少しずつだけ、混じっているように感じられて。
きっと華さんは、自分が思わず伝えてしまった「離れたくない」という感情が、そのままあやまたずに柚香さんに届いたことに、ものすごくびっくりしたんじゃないだろうか…?と、お二人を見つめながら感じました。
そしてそれほどまでに、お二人の心は間違いなく、深く通い合っているのだなと思ったら、泣けて泣けて仕方なかった。本当に、わたしはこのトップコンビが大好きだなと思って。


これはあくまでも私個人の感じたことですし、全部気のせいなのかもしれない。偏った受け取り方の可能性は重々承知なんですけれども…でも自分の視界に映った出来事としては、本当にあったものだな…と思って、それを絶対に忘れたくなくて、今回書き残しました。
本当に、このデュエダンで、ちょっとありえんくらいに泣いてしまいました…。パレードでひとこさんが降りてくる頃には、嗚咽が漏れないように必死でこらえるようなありさまになってしまった。
お辞儀を終えて銀橋を渡りきり、下手の袖に消えていく柚香さんが、ゆっくりと右手を大階段に差し伸べるその背中に、また泣きました…。


自分のラスト観劇回でもありセンチメンタルになっているのは当然あると思うんですが、もはや逆にそれが吹っ飛ぶくらいに、「カウントダウンの始まり」を肌で感じた出来事でした。
ああ、本当に、最後がやってきてしまうのだなと突きつけられた思いになって。
自分がもう現地ではこの作品を見られないことが、それこそどうでも良くなってしまうくらい、目の前の現実の重みが凄まじかったのです。打ちのめされました。
だけど、そんな風に舞台上で今に息づいている感情を受け取れたことは、本当に幸せに思いました。今このとき、目の前で交わされた感情のやり取りを、見ることができたのだなぁと…。





信じたくないけれど、あと数日で、今回の公演は終わりを迎えます。終わりはイコール、彼女たちの卒業となる。
そこからこみ上げてくる感情を、うまく言葉に置き換えることができないのですが…
とにかくあとはラストまで、7月4日の大千秋楽まで、花組の皆さんが悔いなく公演を全うできることを、心から願います。
わたしも最後はライビュで見届けます。


残り本当に僅かな、あまりにもかけがえのないその時間が、関わる人たち全てにとって、どうか素晴らしいものでありますように。

そしてこれも本当に本当に、わたし個人の勝手な願いなのですが、
大羽根の両サイドを固める、共に戦ってきた特別に大切なはずの仲間を、いちどにふたり送り出すことになる柚香さん。
トップスターの役目を全うする中でも、柚香さんがご自分の気持ちを解放することが、どうか千秋楽ではほんの少しでも、叶いますように。*2

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ラスト観劇、6月27日ソワレの思い出と共に

*1:宝塚GRAPH 21年7月号「REI YUZUKA×YŪKI HANA SAYONARA TALK」より。

*2:ものすごくものわかりがいい風に書きましたが、要は「寂しいって!最後くらい、言ってもいいんですよ!!!涙」っていう気持ちが…どうしても込み上げて…だって華さんとあきらさんが一気にいなくなってしまうなんてそれは、見ていて本当に心中察するに…と思うから…!涙 柚香さんも華さんも己の感傷は二の次三の次で作品にすべてを捧げているところが、とても似た者コンビだな…と思うようになりました…

宝塚花組「アウグストゥスー尊厳ある者ー/Cool Beast!!」を見た(4月24日宝塚大劇場)

4月の終わりに、人生初の宝塚大劇場での観劇を体験してきました。
本当に色々な巡り合わせで、わたしがマチソワのチケットを持っていた4月24日は、なんだか特殊な一日になってしまいました。
「大劇場での有観客公演は、翌日の25日まで」と決まった劇団からのお知らせを、その日のソワレ開演前の客席で知りました。
ものすごく楽しかったことの直後にこのつらい現実が待ち受けていて、そこから感想を自分の言葉で外に出すエネルギーを失い、その後なんとか書いてはみたものの結局長いこと寝かしてしまい(そしてそのままロミジュリに突入)。
旬を過ぎまくりもはやお漬物のような状態の文章ですが、せっかく書いたので、整えて公開しております。
5月10日の千秋楽配信の感想はふくまず、お芝居・ショーについて、以下長文を書いています!(ドン引きですが1.3万字あります。。)そして柚香さん・華さんトップコンビお二人にとても偏っています申し訳ないです!




◆「アウグストゥスー尊厳ある者ー」の概要(※トップコンビ視点)

今回花組が演じるのは、帝政ローマの祖となった初代皇帝アウグストゥスの若き日の物語です。
トップスターの柚香さんは、”アウグストゥス”という称号を得る前の青年オクタヴィウスを、トップ娘役の華優希さんは、オクタヴィウスの家系から見ると政敵に当たるポンペイウスの娘、ポンペイアを演じています。

ポンペイアは、愛する父を死に追いやった政敵であるカエサルを激しく憎んでおり、ローマ史上初の終身独裁官となったカエサル凱旋式の夜、カエサルの命を奪おうと、剣を手に彼の屋敷へ乗り込んできます。
その場に居合わせたオクタヴィウスにすんでのところで取り押さえられるポンペイア。
オクタヴィウスは、元老院で思惑の異なる派閥が確かに和解しあったことの証にと、彼女を捕らえずにそのまま帰してやるよう大叔父であるカエサルに訴え出て、その意見は無事に聞き入れられます。
辛くも命拾いをする形となったポンペイアですが、下心など特になく彼女を助けただけのオクタヴィウスに対し「いつか後悔するといいわ。今夜私を助けたことを!」と復讐の悲しみを宿す強い眼差しで言い捨て、その場を立ち去るのでした。


舞台上では、このオクタヴィウスとポンペイア二人の関係性を軸に、「憎しみ」という感情を巡った物語が展開されてゆきます。
帝政ローマが始まる直前、長く続いた内乱の最後の時代。人心は荒れており、民衆は自分たちを導く英雄を熱狂的に追い求めていますが、なにか大いなる力にただ縋ろうとする一方にも見えるその様子は、どこか無責任さも感じさせるもの。
その混乱期の中、名家ユリウス家に生まれたオクタヴィウスは、敬愛する大叔父カエサルがブルートゥスによって暗殺されたことにより、若くして政局の中心へと否応なしに押し出されてゆきます。
当初はわかりあえない立場として出会ったはずのオクタヴィウスとポンペイア。
しかし、彼らの魂の交流は、「憎しみ」に囚われそうになってゆくオクタヴィウスの精神を救い、最終的に彼を「アウグストゥスー尊厳ある者ー」の称号へ、つまりローマを平和へと、導いていくことになるのでした。
ものすごくざっくりとまとめると、トップコンビに注目した形でのストーリーはこんな感じ…と理解しています。

◆トップコンビが演じた「魂で響き合う」という特殊な関係性

上記のとおり、今回の花組トップコンビは恋人同士を演じていません。手を繋いだり、抱きしめあうようなシーンは一切なく、表現におけるいわゆる「甘さ」は、潔すぎるほどにゼロです。
公演が始まる前、ふたりの関係性について「魂でわかりあうような関係性、精神的な結びつき」といったような語彙の説明が事前に公式からいろんな形で出ており、
「えーとそれは一体どういう…?見てみるまではわからないな…」とは思っていたのですが、実際観劇したところ、そこには本当に「魂の理解者同士」と表現したくなるような、そんな世界がありました。

しかも、トップコンビお二人でのシーンは、音楽さえもほぼない、静寂の中でのセリフのやり取りのみがほとんどになっているんです。(いちどだけデュエットで歌う場面もありますが、ほぼ無音+台詞の構成。)
最初見たときはかなりびっくりしました。
舞台上に派手さが一切なく、もはやちょっと酷なのでは?と思うくらいに、二人のシーンだけ、徹底的に無音演出!

でも驚くべきは、その究極に引き算をされまくった演出でも、難なく(と言いたくなるほどに)その場面に説得力を持たせられてしまっている、お二人のお芝居の力強さでした。
セリフだけのやり取りで、人として人を思う、その真摯なありようが、ここまで胸に迫るものとして表現できてしまうんだ…と。
このお二人だから、演出の田淵先生はああいう演出であり物語を当てたのかなぁと想像しました。なにせそれで勝負ができ、見応えが生まれてしまう。
シリアスなストーリー、二人での場面にここまでのストイックな設定と演出を重ねて来られても、その場に生きる感情の交流ができるトップコンビなんだなぁと思うと、やっぱり私はこのお二人のお芝居にどうしようもなく心惹かれたのだな…と実感しました。


書いてしまうと野暮なので伏せておきたい、ポンペイアに関するとある設定があるのですが、その内容を踏まえたポンペイアの表情の、あのえも言われぬ美しさ…。慈愛に満ちて、まさに女神のようでした。
華さんのお芝居には、本当に自然と泣かされました。彼女が発する言葉のひとつひとつに、勝手に心が揺さぶられるのです。心の真ん中をギュッと握られるような感覚。
あんなふうなお芝居をする娘役さんって、あんまりいないのではないか…?と見ていて思わず感じてしまうくらい。客席にドン!と届く芝居の圧がすごく強くて。真っ直ぐこちらのど真ん中めがけて、純度の高い感情のかたまりが飛んでくる。


対する柚香さんのオクタヴィウスは、わかりやすく物語を引っ張って動かす訳ではないのに、それでも逆説的に際立ってしまう「真ん中にいる」存在感が見事でした。
オクタヴィウスは勇ましく運命を切り拓くようなわかりやすいヒーローではありません。家柄は良いが、本人はごく素朴である心の優しい青年が、徐々に運命に巻き込まれていく…といった趣のストーリーなので、ちょっと違うんですけれど、ナイスワークのときに抱いた感想を思い出しました。ジミーは周りの騒動に巻き込まれるだけで、ビリーへ恋した以外は実はとくに何もしてない!ってやつです。
今回もそれと同じで、明確に周りを引っ張っていくようなストーリーテラーではないんですよね。
でもそうやって、周囲で起こる出来事を自分がひたすら「受ける」ことによって、確かに物語そのものを前へと進めることができるんだなと。
そういう作りの物語の中心にいる柚香さん、うまく言えないんですが、物語のほうが柚香さんに吸い寄せられていくみたいに感じられて好きです。
演出家がそういう作品を当てたくなるのも、彼女のトップとしての魅力のひとつなのではないか?と勝手ながら思ってみたりもしました。

◆「黒目の大きさが…」

Twitterで周囲の人と盛り上がっていたのが「柚香さんは黒目の大きさが変えられる」という話でした。ええと、どういうことかというと…。笑
物語の終盤、エジプトとローマの海戦のシーン。
アントニウスとの一騎討ちの途中、剣を取り落してしまうオクタヴィウス。
しかし彼はアントニウスの挑発に満ちた言葉をきっかけに、己の身の内に潜んでいた憎しみに、瞬間的に魅入られてしまいます。
突如なにかが乗り移ったように猛然と剣をふるいだす、その憎しみスイッチが入った瞬間。
オクタヴィウスの目がまるで昔の少女漫画みたいな、それはそれは恐ろしい三白眼になるんです。
「え?いや白目の面積、さっきまでと違くない!?」ってなって、見ていて本気でビビります。
あれ、まじでどうなってるん…???柚香さん、それどうやってるん…?
その後、背後に幻のように現れて風向きを変えるポンペイアの導きにより、オクタヴィウスは正気を取り戻します。(ここの華さんの美しさがまた!言葉にならない!お衣装も本ッ当に心底、美!)
オクタヴィウスが「ポン…ペイア…?」と呟きながら、すっと全身から毒気が抜けていくようになるところでは、柚香さんの黒目の大きさが、また元に戻ってるのよ…。
そうか…柚香さんは黒目の大きさを操れるんだ!と今回覚えました。ほんとだもん!嘘じゃないもん!!!


上記の他にも、柚香さんの表情の豊かさはもう、言うまでもなく…という感じなのですが、本当に常に色鮮やかで。
今回のようなシリアスなお芝居でも、そのバリエーションは決して曇ることがなく。
物語冒頭の、まだ憂いのない、ただ健やかに朗らかな青年期の、若々しい笑顔。幼馴染のアグリッパと交わすいたずらっぽい眼差し。
カエサルの遺言状で自分が後継者に指名されたことを知った瞬間の、どこか泣き出しそうな、爆発しそうな感情を深く抑えこむような、複雑な表情。
そしてラストに真っ白で荘厳な衣装を身にまとい、これからローマを背負って立つ存在として歩き出す、あの威風堂々たる姿。

18歳だった青年が、愛する人との別離の悲しみや、世の中だけでなく己の身にも宿る憎しみの感情を知り、それが存在するのもまたひとつの事実として受け入れることで、より強い存在となっていく。
そして自らの思いと力によって未来を切り拓いていく、頼もしい”尊厳者”となっていく様子が、約1時間45分ほどの物語の中で、鮮やかに伝わってきました。


本作では、皇帝アウグストゥスとなった後の時間は描かれず、オクタヴィウスがまさにその”一歩目”を踏み出そうとする場面で物語は幕切れを迎えます。
決して平易ではなく、苦難も多いものであるはずのトップスターとしての道のりを、この先柚香さんが真っ直ぐに歩んでいけるように。そしてその未来がこの眼の前の光景のように、明るく眩しいものであるように。
花組トップスター柚香さんへの初めての書き下ろし新作であり、また華さんの退団公演でもある作品には、そんな願いが込められているように、見ていて勝手ながら受け取りました。
トップに対してあてがきの作品が作れるシステムって、本当にすごいですよね…。そのときのトップさんのための新作が見られるって、潔いまでのスターシステムを敷いている宝塚ならではの醍醐味なんだなぁと改めて感じました。

◆「憎しみ」とは何だったのか

今回は珍しく、事前に古代ローマについて2冊ほど本を読んで*1予習してから臨んだのですが、その甲斐あってなのか、物語の理解にはとくに困難は感じなかったです。(もともと世界史選択だったので最低限のうっすらとした記憶がある…といえばあるけれど、本当に記憶の残り香レベルだったので。。)
もちろん、ストーリーは史実とは異なる部分もけっこうあるとは思うんですが、どちらかというと世界観を把握するために情報を入れた感覚だったので、一種の歴史ファンタジーのようにして楽しめました。

予習しておいて役に立ったかなと感じたのは、「多神教である古代ローマの人々は国家における宗教的な斎祀を非常に重要視し、神々を崇める姿勢を強く持っていた」というような意味の情報かなぁ。
本作には「神々ーその正体は”憎しみ”の化身ー」という、わりと謎めいた説明の役があります。
彼らは真っ黒な衣装を纏い、顔にはそれはそれは恐ろしげなメイクを施して、人々の心に憎しみが巻き起こるシーンで度々舞台上に現れる役割なのですが、
仮にその存在が、おなじ概念を示すにせよ、単に「憎しみ」とだけ名付けられていたら、見ていてもなんだか締まらない感じがするかなと思ったんです。
ローマの人々の行動規範を心の奥底で規定している存在に、神を崇める信仰心があり、彼らは強く神を畏れている。
その畏怖の心と同一の階層に、人々が気づかぬうちに抱いている「憎しみ」が存在する…といった捉え方ができるような気がしました。全くもって的外れかもしれないですが。


「憎しみはなくならない。この世に人が生きている限り」ポンペイアが言う台詞はまぎれもなく真実であり、またその残酷さをも伝えるものだなと感じます。
憎しみそのものの存在を、我々は否定することはできない。
でもそれを知った上でなお、己がどうあるかは、自分の意志で選択することができる。
その意志が人の心に宿る強さであり、それこそが希望なのだと、オクタヴィウスにひたむきに語りかけるポンペイアから、そしてラストに眩い威光の中に佇む”アウグストゥス”となったオクタヴィウスから、伝わってくるように思いました。


本作から伝わってくる「どういった状況に置かれても、心の在り様を選ぶのは自分自身である」というメッセージは、とても心に響き、大切にしたいものに感じました。
誰かを・何かを強く憎むことは、自分自身を失うことに繋がりかねない。
その危うい橋を渡ることなく、たとえ現実がどれほど過酷なものであっても、オクタヴィウスは諦めずに、内なる祈りを信じて歩んでいく。
かつて大叔父が語った「ひとときの夢を見せる」存在として、人々に望まれる、唯一無二の英雄になっていくために。
…やっぱりこう書くと、本当に今の柚香さんにあてて作られた物語だな、ということに深い納得がいく物語でした。


◆Cool Beast!!について①幕開けからの衝撃~裸足でデュエダン

さて、ショーの感想に参りますが…ここから徐々に筆者の人格が変わってゆきます!簡単にいうと頭が悪くなります!
わたくし、花組のショーを生で見るのが今回初めてでして、もうそれはそれは楽しみにしておりました。
「Exciter!2017」の映像を見たとき、一瞬で虜になってしまったんですよね。。こ、これがショー!と思って。えーきさいたー♪って好きすぎてApple Musicで即アルバムDLしたもんね。
有識者のかたに「花組と大介先生のショーの相性は間違いがないから期待してていいよ!」と言われ、その後Santé!!を見て「なるほどそういう意味ねわかった」と納得し…
だって、パッショネイトラテンショー、ですよ?その真ん中に柚香光、ですよ。そんなの、最高なやつに決まってるじゃないですか!!!

…というワクワクを隠しきれずに臨んだんですが、いや~~~も~~~とんでもなかった~~~~~~~。
まじで秒。楽しすぎて体感が秒。そしてなんか泣けてくる。宝塚のショーってすごい!!!(※どんどんと順調に下がっていく語彙力およびIQ)
全部の場面について書きたいけどそんなことしたらやばいことになるのでダッシュでかいつまみます…!


全員そろってバーーン!幕開けいきます!のところ、ベスティア様が本当に野獣で。。(なんじゃそりゃ?な説明書いてしまいましたが、「S3 フェロクス・ノクテ」ですね、パンフレットって便利…。)
公式ページにある「野性的な色気を持った柚香光は、まさにCool Beast!!」…とは?って思ってたんですけど、見て「なるほど~~~(完)」ってなった。いやまじで柚香さん、Cool Beastだわ……
顔のサイドのラインに落ちかかる、ウェーブしてる長めの赤い前髪がめちゃくちゃ野性味溢れててセクシー!
ひっくい体勢になってぐっと上半身を落として銀橋に向かって駆け出す姿勢とか、その前傾姿勢っぷりにそもそも野獣の説得力がありすぎる。そして爪ェ!皆さん仰ってますけど、「ギュン!」って感じに指先に肉食獣の爪があって!(※見えるという意味)
あ~こりゃ大変だ、大変なものがはじまったわ!って思いました。のっけから助からなさがすごい。
全員で踊りながら銀橋をどんどこ渡っていくところ、もう「た~~のし~~~!!!」ってなって、拍手&手拍子をしながら顔中が全力笑顔でした。
っていうかびっくりするんですけど、銀橋の幅あんな狭いのに、ソロを歌っている人の後ろを踊りながら移動できるジェンヌさんがた、すっげ~って気持ちになる…
歌詞がそもそも楽しい。「ギャオ!ギャオ!ギャオ!」ってゆってる。わたしも言いたい~!!!てゆうか、これほんとだったらギャオギャオしてる花組の皆さんが客席に来てくれたんだろうな~くそぉ~!!?悔


…とかやっている間に、あっという間に「水の戯れ(S5「テラ・インコニタ)」、またの名を柚香さんの夢こと「裸足でデュエダン」がやってきてしまい、めちゃくちゃ動揺しました…。
初回見たとき「えっもう!!?」ってなってマジ慌てた。心の準備ができてない、こんな序盤だったとは!?
細やかなラヴェルのピアノの旋律にあわせ、スッ…と3方向に幕が開いていく光景だけでもうすごく好きなんですが、なんていうかあの動き、ぐっと心のフォーカスが舞台中央に寄るような感覚になるからかも。
そこに現れる、シンプルな赤い衣装を身に着け、裸足で踊るベスティア柚香さん…。
もう言葉がでなぁぁい…。ただずっと見てたい…って思う。
柚香さんの踊る姿からは、詩情が迸っていると思います。ダンスが上手い、っていう説明じゃその魅力はとうてい説明ができない。体中から物語が溢れ落ちているようで。
川のほとりで水をすくって飲み、ふと振り返った先に見つけた一輪の美しい花、フローレスに恋をするベスティア…。
軽やかに舞台上を駆け回るお二人の動きを見ていて、ここはデュエダンを見ているというよりも、一遍の美しい物語を見ている感覚になりました。ほんっとうに息を呑むほどに素敵。。
恐る恐る傷つけぬようにフローレスに触れようとするベスティア、驚いて身を引いたかと思えば、今度は自分からぐっとベスティアを覗き込み、悪戯っぽく微笑むフローレス
そこに重なってくるのが美穂圭子さまの美声で、やっぱり情報量が多くて「うわぁ~~~(混乱)」ってなって気づいたら、いつの間にかおふたりがセリ下がっていくところだった…。「え?あれ!?もう一回お願いします!!!」になる!(なるな)
舞台上の動きは激しいけれど、受け取る印象はとても静謐なもので。ラヴェルピアノ曲に本当にぴったりと来ていて、大好きすぎる場面になりました。ああ、書いてたら今すぐ見たくなってきた。。

◆Cool Beast!!について②お肉バトル&中詰

この調子で書いてたらどうなる!?って感じなのでだいぶかいつまみながら行きます!
次に触れたいのはやっぱりお肉バトル~!!!(ナイトライフですね)
ここ、柚香さんが冒頭でかけてるティアドロップ型のサングラスがま~~~お似合いになること!いや顔、ちっさぁ~!!!知ってたけど!
「男なんてララララ~♪」の歌い方、ワルそうで最高ですぅ…信じないほうがいいんですねわかりました!なる。だってほんとそういうワルそうな見た目してるもの!あれは間違いなく悪い男!!!(でもおいしいお肉ごちそうしてくれそう。)
お隣で踊るなっちさんのダンスもかっこよくて!なっちさんのダンス好きなの…退団さみしい…!涙
大好きな「お肉」を持って歌い踊るトップスターさん、という図がそもそも良すぎて、どうしたって笑顔にならざるを得ません。柚香さんといえばお肉、お肉といえば柚香さん…くらいにしっくり来すぎてしまうのである。
マイティーさんとの遠慮のないバッチバチのダンスバトルは、お二人ともまじで「楽しそう」に尽きる。良すぎる。お二人だけでなく、男役も娘役もほんっとあの場にいる全員が心の底から楽しそうで…エネルギーのかたまり…
花組の舞台から感じる、なんとも言えない「圧」がすごく好きなんです。ひとかたまりの熱量が、こちらに遠慮なくグイグイと迫って来る感じ。オラついて治安が悪いの最高なので、今後も遠慮なくやっていただきたい!
4月24日に見たときは、ラスト銀橋に出てきて手をガッとあわせるところ、柚香さんがマイティーさんの手を掴むと見せかけてスカしたうえ、軽~く蹴りを入れたりしてました(治安~!)。
同期という概念はしっかりと学習しましたが、ここはその点でも胸がいっぱいになります。。
柚香さんとマイティーさんがお互いに向け合う「信頼!」って感じの屈託のない笑顔は、本当に見てて幸せな気持ちになれる…。


そして今回覚えた中詰という存在。
ショーの真ん中らへんで全員が舞台上に現れて歌って\わ~!/って盛り上がるパートのことを中詰と呼ぶのだと知りました!(※その理解でいいのか?)
中詰、あなた、中詰っていうのね!パンフレットに則り送り仮名は略しております!
ここも本当に、たのしいよ~!!!にぎやかだよ~!お祭りだよ~!!!ジャンゴ~!!!からのテーマソング、Cool Beast!!ふたたび。この流れ、どうして落ち着いてなどいられようか。絶対に見ながら体温がガンガンに上がっているに違いない。

ところでステージに出てきたドレッドヘアの柚香さん、なんであんなに危険そうなんでございましょうか。女豹さんがたに取り巻かれながら、とてつもなくセクシーな色気をダダ漏らしていらっしゃり、あれは大変よろしくありません(最高です)。
なんというか柚香さん、ところにより動きのエロティックさにもはやR指定がつけられそうな瞬間が…とくに腰つき。。鼻血出そうになる。。本当に見ていてドキドキする…。

ここは最後銀橋に残る5人のパート、楽しいけどどうしようもなく泣けました…。だってこの並びは本当に、今しか見れない花組だな~!って思うと、胸に来るものが…。
あと下手側にはけていきながら「アイアイアーイ!!!!!」って元気いっぱいに叫ぶ華ちゃんさんが、もんのすごく可愛いです。男役の「フォッ」と同じで、この娘役独特の甲高いかけ声の出し方、クセになる!
ちゃんとこの「アイアイアーイ!!!!!」に合わせて、ピンスポがパッ!ってその瞬間の華ちゃんさんを捉えてる様子に気づいたときは、も~めちゃくちゃ感動しました!

◆Cool Beast!!についてその③問題の、おみあし…。

さて、とても全部は触れられない!って感じなので一気に一番たいへんなパートに飛ぶのですが…。
あきらさんエストームと女装ベスティア柚香さんのデュエダンが、、今回わたしは一番やばいです。ほんとうにやばい。あれはだめ。あかん。…なに!!?
(※男役のスターさんが女性の姿で演じることを、もともとが女性なのに「女装」っていうことに最初「どういうこと!」なってましたが、もうすっかり慣れました。笑)


女装なので、柚香さんの美しすぎる完璧なプロポーションがこれでもかというほどに顕になる…ので…「いけません!そんな!だめです!!!」っていう気持ちで、ひたすらに遠慮なくガン見しています…。
いや本当、もはや見てはいけないものを見ている気持ちになる。だって普段は男役として見ているんだもの!?ドギマギするし、ドキドキもして、我ながらよくわからない状態になってしまう。。

またお衣装がほんっとうに良くて!?なんですかあれは…!?
右脚は長いパンツスタイルで左脚はレオタード+その上に透ける素材のアコーディオンプリーツのラップスカートみたいな…?え、何?天才なの???(※このお衣装に関しては、後日発売された「歌劇」に衝撃の背景がサラリと書かれていて泡を吹きました…天才の犯人は他でもない柚香光さんご本人でいらした…。)
この左脚のプリーツがいい仕事しすぎでして…そもそも透ける素材が選ばれてるのが心憎いし、それに覆われて見えたり見えなかったりする生脚…かと思えば、途中振り付けの中で「バッ!!!」と音の出そうな勢いで、手で勇ましく布を跳ね上げて、自らそのおみあしを見せつけてくださったりもしてしまう柚香さん。。さ、サービス精神!?
もう、とにかく妖艶なんです。。その全身から、さっきまでの通常版ベスティア(?)とは違う、艶っぽさによる色香がとんでもなく漂いまくっている。でも眼差しの本質は常に獣なんですよね…
どの瞬間も、あまりにも美しくて…。なんだかもう、性別を超越した存在というか、もはや「美」そのものの概念だな、という感じで受け取っている場面です。全身で表す情報量が恐ろしい。。
というか、こんなに極端にいろんなスタイルを行ったり来たりできる人いるか!?って思う。。振り幅のでかさよ。。
だってさっきまでベスティアだったじゃん!?だし、このシーンのあとも戻ってきたらやっぱりベスティアだし!一体どうなってるのよう!!!


4月24日にマチネを見た後、ショーのあとにのこった記憶の8割がこのパートに占められてしまい、しばらく「おみあし…」とうわ言のように呟く羽目になりました。おお、なんと罪深い場面なのか。
寝そべった状態で上に勇ましく突き上げた脚のラインとかが、脳内に蘇ってきてしまい…なんちゅうパーフェクトなラインなの…柚香さん、筋肉までもが美だった…。
この「ペラクトルム」の一部始終、あまりにも集中して見たい気持ちが強すぎて、自分の呼吸を本気で邪魔に感じました。だってオペラグラスが曇るんだもの!?
集中しすぎてると、無意識で息を止めちゃうんですよね…そんで息を止めると自然と次の呼吸が大きくならざるを得ないから、そのタイミングでめっちゃ曇る!困る!!!
明日相当久しぶりに観劇するのですが、やっぱり見終えた後の自分がまた「おみあしbot」になってしまいそうな残念な予感しかしません…。笑

◆4月24日に、大劇場で見たもの

最後に、当日の話を少しだけ。

あのときは本当に直前まで、何がどうなるか、わかりませんでした。
わたしは確かに4月24日の公演チケットを持ってはいるけれど、本当に観に行けるのか、色んな意味で全く見通すことができず。
そして前日の4月23日に緊急事態宣言が出され、それを受けた劇団は「4月24日は予定どおり上演します。以降の公演については追ってお知らせします」という旨の告知を出しました。
当日、宝塚大劇場に向かっているあいだの新幹線の中で、なんとも言い難い感情に押しつぶされそうでした。

今このタイミングで大劇場に足を運んでおきたい、なぜなら大劇場に立つ華さんとあきらさんの姿を見られるのはこれが最後だから…そう思って、この状況下での遠征の”覚悟”を決めてチケットを取ったのは自分。
それでも反面、言い知れようのない不安も尽きずに湧いてきました。どんなに気をつけていても、感染リスクは絶対にゼロにはならないから。
本当はもっと違う感情で初めての大劇場観劇を迎えたかったけれど、でもこれが今の自分にとってのベストだと決めたから、気をつけられるだけ気をつけて、とにかく「今」に集中して楽しもう、ただそれだけを固く決意して客席に座りました。


そこで見せてもらえたものは、本当に「この世の憂さを忘れられる」としか表現のできない、素晴らしい景色の数々。
たくさん泣いてたくさん笑顔になって…そして、一番最後、フィナーレ前のデュエダンの終わりに、一生忘れられない光景を目にします。

華さんをセンターに招いてのこの時間は、大劇場での有観客ラストとなった4月25日まで続いたそうです。
その初回となった、4月24日のマチネ。
あのとき、客席も華さんも、本当にみんなで「…?」と一瞬不思議な空気に包まれて、でも柚香さんが意図するところを理解した瞬間、ブワッとなんとも言えない熱気が劇場じゅうに満ちて…。
センターに歩み出て、深々とうつくしいお辞儀をした華さんに送られた、”割れんばかりの”としか表現できない、大音量の拍手。


ただ拍手をすることでしか、今のわたしたちは気持ちを伝えることはできないけれど、あの瞬間の拍手には、本当に万感の思いが込められていたことを体感しました。
もしかしたら、もうお客さんの前で大劇場公演を続けることは叶わないかもしれない。
サヨナラ公演なのに、大切な本拠地でお客さんにサヨナラを伝えるそのチャンスが、消えてしまうのかもしれない。
そのことへの言い知れない苦しさや悔しさと、今この瞬間、目の前で素晴らしい輝きを見せてくれたことへの尽きぬ感謝。卒業していく華さんを精一杯祝福したい客席の気持ち。
そして、トップスターとしてこの時間を作り、華さんへ贈ろうと決めた柚香さんの思い。


あれは、その場にいるお客さんみんなの、言葉にできない様々な感情がぐわっと劇場中に増幅されたような、生き物のように熱を帯びた、ものすごい拍手でした。
眼前の光景の美しさと、爆発的なその音量に取り巻かれていたら、本当に涙が止まらなくなった…。
嘘のない瞬間を積み上げていくことだけに真摯な人たちの、心からのエンターテインメントが、どうかこれ以上失われることのないように。
いいように扱われて、踏みにじられることのないように。
何度そう祈って願っても、私達の気持ちはことごとく折られて来ている。
けれど、たとえそうだとしても、大切に思い、大好きだと感じる事実は消せないし奪えないと、瞳に炎を宿すような感覚で、深く心に誓うように拍手をしながら思いました。



本当は、もっとすぐに書ければよかったんですけれど。観劇後、公演中止の事実に、どうしても気力がやられてしまって…。
わたしは明日がようやく日比谷での初観劇なのですが、
残り少なくなってきた公演期間も、花組の皆さんが全力で舞台を楽しんでくださることを願っています!大千秋楽までの全制覇が、どうかこのまま無事に叶いますように。
わたしも明日は客席で目一杯楽しんできます!

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絶対にまた来るねと思いながら撮った宝塚大劇場

*1:「皇帝たちの都ローマ 都市に刻まれた権力者像」中公新書青柳正規著 「興亡の世界史 地中海世界ローマ帝国講談社学術文庫本村凌二著 の2冊です。このツイートを参考に2冊選んで見ました! https://twitter.com/worldofyuki/status/1363348883225550852

ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」東京公演を見終えての感想その3(ジュリエット・ティボルトについて)

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書いてみたらどんどん長く…!という感じで予定外の「その3」になりました。
今回はジュリエット役・ティボルト役の皆さんについて書きます!




◆ジュリエット・伊原六花さん

わたしが東京で見た大半の公演はりっかちゃんのジュリエットだったんですが、初日からの3週間弱で、本当にどんどんとよくなられた…!って感動しました!
初日に見たときは、特に一幕にまだ硬さがあるように感じられて。きっとあれはお客さんの前で迎える初舞台への緊張だったのだなぁと。
恋に憧れ、親の決めようとする結婚相手には反発を覚え、仮面舞踏会で運命の恋に落ちる。その勢いのままに「式を挙げるの!」とロミオに提案する押しの強さもあったりと、一幕からわりとジュリエットは「強さ」もある少女として描かれている気がするのですが、そこに伴う様々な種類の感情の押し出しが、公演後半で、本当にぐっと鮮やかになられていました。
6月に入って約10日ぶりに観劇したとき、表情の豊かさが段違いになっている!?とびっくり。
「結婚のすすめ」で乳母の話を聞きながら「えぇー!?」と驚いたり、ウエディングドレスをあてがわれて思わずはしゃいでしまう笑顔だったり、くるくると変わる表情が愛らしくて。
ここ、もうちょっと濃く感情が伝わってきたら嬉しいな…と初日を見ながら感じていたところがすっかり様変わりしていて、お客さんの居る場で得るものが本当に大きいのだろうし、何より舞台度胸があるタイプなんだろうなぁ…!と感じました。堂々としているんですよね。


そしてなんといっても歌声がものすごく素敵だなぁと感じました!
比較的高音が得意でいらっしゃるような…?
「結婚のすすめ」での「でも私会ったこともないのよ」や、「結婚だけは」での「我慢できないわ」だったり、バン!とある程度思い切りよく当てにいかないといけないジュリエット独特の高音パートが、一切苦になっていなさそうで。余裕すら感じさせる発声だったのがすごいなぁと。
あとは感情を強く乗せても、しっかりと声量を保って歌いきれるところが素晴らしいなと思いました。
公演後半になって「明日には式を」で両親に反発するりっかジュリエットに毎度もらい泣きしていたのですが、「あなたたちにはわからないでしょう」のところがとても良かった…!
このワンフレーズ、過去に見たどのジュリエットも感情の昂りのあまり声を震えさせていて、そこまではっきりと歌い切る印象はなかったのですよね。どちらかというと、動揺や怒りといった心の激しい動きを表現するほうが演出的にも優先されていたりするのかなと。
でもりっかジュリエット、ここで怒りと悲しさがないまぜになった感情を全力でぶつけながらも、ボリュームも音程もしっかり保って歌いきっていて、すごいな~と感じました。
その声の大きさに両親への憤りがぎゅっと乗っかっているような、すごく圧のある歌声で、とても好きな場面でした。

どうしてもプロフィールを拝見すると、やはりダンスが得意でこの道に進まれたのだろうという印象があるので、ここまで歌がお上手だとは!と本当にびっくりしました。
透き通るクリアな響きが真っ直ぐと伸びていくところ、聞いていてとても気持ちが良いです。


ラストの「ジュリエットの死」は、どんどんと感情の揺れが大きくなっていて…。あの歌、本当にとてつもなく悲しいですよね…(そしてカウントどおりに入れないといけない台詞と動作、いくらなんでも多すぎん!?ってのにも毎度びっくりしてしまう。無茶だよ!なる。)
同じ旋律で、直前までは恋人との幸福な旅立ちを夢見るわくわくとした思いが歌われているので、落差の激しさに打ちのめされる。
ロミオに縋り付くように「あなたの唇 まだ温かい そのぬくもりで私を抱いて」を歌う姿、気持ちがぐっとこもっていてラスト数公演はとくにボロ泣きしました。

ただひたすらにロミオだけを見つめて爆走していくような二幕のジュリエットの力強さが本当に好きなんですが、
りっかジュリエットはその点すごくしっくり来るというか、とてもパワフルなエネルギーを感じました。地元大阪での凱旋公演も、思いっきり楽しんでのびのびとやってほしい~!

◆ジュリエット・天翔愛さん

なんとまだ10代(2001年生まれ!!)の、現役音大生1年生…!わ、若い!!?俳優・藤岡弘、さんのお嬢さんでいらっしゃる愛ちゃんは、なんといっても本物の「お嬢様」感がすごくて、これはあまりにもリアル箱入り娘のジュリエットすぎでは!?ってなりました。いやまじでお嬢様感がすばらしく可愛いー!

愛ちゃんのジュリエットはとにかくフレッシュ。ご年齢や経験を考えればそりゃそうなんだけど、そのフレッシュさがここまで明確に魅力となって生きるのは、やはりロミジュリという作品、ジュリエットという役の特殊さだなと…!
逆に絶対に今しか演じられない、表現できないものがキラキラとこぼれ落ちるように現れていて、そこがとても魅力的なのです。
ロミオにも似たような部分があると思うんですが、ジュリエットって成熟してしまうと、きっと演じることができなくなる役だと思うのですよね。
19年の再演時、17年からの続投となった生田絵梨花さんが、17年の自分は19~20歳の年齢で、再演があってももうジュリエットを演じることはもうできないと思っていた、とパンフレットでおっしゃってたのがすごく印象に残っているのですが、この言葉のとおり、どこかに青さや未熟さを残していないと、表現することが難しい要素がぎゅっと詰まった役なのだと感じます。
そこに対して、今の愛ちゃんが持っているものがピッタリとはまっているのではないかなと!
だって、ほんとに本物なんだもん…!
お父様が18になるまで駄目だって言えばおとなしく携帯を諦めるし、お母様に「お前は親の決めた相手と結婚しなくてはならないの」と言われたら、素直に「なぜ?」と尋ね返してしまう。
乳母が「結婚がうまくいくには」と言っているところでは、うんうん、と嬉しそうに頷いていて、「相手を愛しすぎないことよ」と言われたら、信じられなぁい!という目をまんまるにした表情で「ばあや!」と叫ぶ。
本当に素直で、純粋な少女なんだなぁ…ということがとても強く伝わってくるのです。

その素直さゆえ、恋に落ちるときはもう真っ逆さまなのだろうな、という説得力もあって。
ロミオを想う表情のロマンティックさにも、なんともいえない瑞々しさがあって、とにかくピュア!
そして感情が昂ぶるところでは意外に「激情型」なところも感じさせる、内側に熱い炎が燃え盛っていそうなジュリエットでもありました。まだまだ化けそう…!


歌声は艷やかでとても綺麗な声質だなと感じました。
5月末に見たときは、役として湧き上がってくる感情をコントロールしながら歌声と自然と溶け合わせる…というところにまだちょっと難しさを感じていそうな雰囲気がありましたが、
その後が見れていないんですよね…!たまたま、私が見られた天翔ジュリエット回の観劇が東京公演の前半に偏ってしまって。
でも5/29と5/30の二日間だけでも、ちょっと課題と感じられたようなところを丁寧に演じてきっちりと修正をかけてきたなぁという印象だったので、残りの公演期間での進化がとても楽しみです。
無事に上演が叶えばまた大阪で見られるはずなので…!

◆ティボルト・立石俊樹さん

としきくんのティボルトも、実はまだ2回しか見れていない・かつ前半に寄っているので、比較的私が得られた情報が少ないのですが…!
なんというか、本当にとにかく「若い」ティボルト。これは年相応のティボルトだー!という感動がありました。
彼にはとても青臭いところがある。自分の置かれた状況について、まっとうに憤っているというか…なんせ本来であれば輝かしい未来あるはずの若者なので、理不尽さに正面から抗いたいんだと思うんですよね。。
大人たちに翻弄される立場としてのティボルト、復讐の手先になんかなりたくはなかったって言うその言葉に、見ていてものすごく説得力があるといいますか。
吉田くんのティボルトとはまた違う方向性で、見ていてすごくかわいそうになった…。ほんとだよな、どうしてそんなことになっちゃったんだろうな…って思う。。


「今日こそその日」で爆発させる怒りと怨嗟の思いも、若さゆえのブチ切れ方なんだろうなという印象を受けました。
あーもー知らねえ!何があったって知ったこっちゃねぇ!って感じで、どこかやけくそのように衝動的に感情を爆発させているのを感じます。
「決闘」でマキュに挑発されたところの「うるさい!」の怒鳴り声とか、本当に心底キレてんな~と思う。。そこもやっぱり、ものすごく若いー!!!
”子供の頃には夢を見た”というその記憶が、まだそんなに遠いところには行っていないティボルトで、見ていると彼をそんなふうに変えてしまった大人たちが自然と恨めしくなりました…。


そしてあの甘いマスクに甘い声。「ヴェローナ」で出てきてもやっぱりとんでもなくお顔が美しいし、素のご本人の姿を考えると、本来どう考えてもロミオに近いタイプ。
特に声質の甘さはティボルトには不利に働いてしまわないか!?とも思ったんですが、そこは歌の力で見事にねじ伏せてましたね!
ティボルトのソロ、3曲とも容赦なく難曲だと思うんですよね。音域も幅広い、そして高音が多すぎる!
歌の難易度ではロミジュリの中でも一番の役ではないかなと思うのですが、グランドミュージカルデビューであってもその難しさに対して堂々と渡り合っていて、とてもかっこよかったです。
ソロに関して言うと、としきくんのティボルトでは「本当の俺じゃない」が一番好きだったなぁ。最初に書いたとおりなんですけど、本当に嫌だー!って泣いているようで…
膝を落としてうずくまるようにして張り上げる声。まだ本来は大人の庇護下にあるべき年の青年なのでは?という気持ちになります…(ところでティボルトってロミオとは同い年なんだろうか。それともちょい上なのか?)
それなのにあんなに悪ぶっちゃって…。。自由な未来を閉ざされてしまった若者の悲嘆は、とても辛い。


ロミオに刺されるところは、どうしても私がロミオをガン見してしまうがゆえ、どんな表情で死んでいくのかが見られていないのは惜しすぎるな。。
東京でほとんど見られなかった代わりに、大阪・名古屋はほぼすべてとしきくんのティボルトなので、次の観劇を楽しみに待ちたいです。序盤は私の中に余裕がなさすぎて、どうしても記憶がおぼろげだ…!涙

◆ティボルト・吉田広大さん

というわけで、赤坂ヴェローナの大半は吉田ティボルトと過ごしたわけなのですが、もう吉田くんに関してはとにかく!歌がうますぎる!!!
感想を検索してても「あの歌の上手い人はどなた!?」って驚いてひっくり返っているミュージカル観劇勢がたくさんいらした印象です。
私も今回初めて拝見したんですが、上手すぎて、な、何事~!?ってなりました。
たっぷりとした声量を自由自在にあやつって、高音も低音もなんでもござれ!という感じのダイナミックな歌唱。
「本当の俺じゃない」のフェイクがまー、すごい!いやそこでそんな音出すー!?っていう高さをガンガンに攻める。
他に印象的だったのは一幕の「ティボルト」のラストです。「俺は…!ティボルト」でファルセット寄りの発声からはじめ、最初は静かに細くたなびくように、しかし伸ばすにつれてクレッシェンドをかけてブワッと膨らませて締める。見事すぎる。。
これだけ自由に歌えたら気持ち良いだろうなー!と思ってしまうような素晴らしさでした。聴き応えが半端ないよ~。拍手するのが楽しかった!


そして吉田くんのティボルトは、とても優しい人なのだと思う…。
本来普通に優しい男の子だったはずなのに、憎しみの街で過ごす中で気づけば少しずつねじ曲がり…でもそれでも、心の奥底にはまだ変わらない純粋なものが残っていそうで。
としきくんのティボルトが見ていてかわいそうになるのは「若さゆえ」なんですが、吉田くんのティボルトの場合はこの「優しさゆえ」にでした。
一人でいろんなことを抱えて苦しんで来たんじゃないかな、という…。
ただ一人触れられぬ、愛しい従姉妹のジュリエット。おそらく彼女に対しては、本当に愛をもって、優しく穏やかに接してきたのだろうなと感じます。
でもそれが、敵の家の一人息子に奪われたとあっては…。
大切なはずのジュリエットをたとえ苦しめることになろうとも、復讐をせずにはいられない。
「遠く遥かな日から」愛していたと告げることで、自分のこともジュリエットのことも徹底的に傷つけることになるのだろうけれど、悲しみに灼き尽くされたティボルトには、もうそれしか見えないんだろうなと。。
いやほんと、全員かわいそうだよ!!!!!!!ってなってきた…。


回数がけっこう見られたので、吉田くんのティボルトに関しては、ロミオに刺されるところの顔をちゃんと見ることができたんですが、
本当に「信じられない」というような顔で倒れていくんですね…。何が起きたのかわからない、なぜ?という疑問を顔中に浮かべて、どうっと倒れてしまう。
あの命の断ち切られ方、マキュとは違う辛さがありますよね…しかもマキュとは異なって、なにも言い残さないまま死んでいってしまうし…!?

予定通りいけば、吉田くんのティボルトにはあと1回は会えるはずなので、またあの美声を聞けるのが楽しみです~!



予定外の3記事でしたがなんとか書き終えたー!やりきったー!!!
あとは本当に、大阪・名古屋での公演が無事に上演されることを祈るばかりです。。
自分が見る見ないに関係なく、とにかく大好きなこのカンパニーに全公演をやり遂げてほしい気持ちでいっぱい。どうかどうか、叶いますように!!!


▼東京公演の感想その1:黒羽ロミオ編
anagmaram.hatenablog.com


▼東京公演の感想その2:ベンヴォーリオ・マーキューシオ編
anagmaram.hatenablog.com

ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」東京公演を見終えての感想その2(ベンヴォーリオ・マーキューシオについて)

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その1を書いたからにはなんとかしてその2を!という心意気と勢いだけで、平日夜になんとかするやつ。
最初に黒羽ロミオの話を書きたいだけ書き尽くしたので、今回はロミオ以外のキャストの皆さんについて書きたいと思います!
(※推しとのWキャストゆえ…しょうまくんのロミオは配信でしか見られていないので、触れることがおそらくこの先も叶いませぬ…!申し訳ない!涙)
以下、キャストさんごとにどんどん行きます。




◆ベンヴォーリオ・前田公輝さん

今回のキャスティングにはいろいろな驚きがありましたが、その中でも一番驚いたのはごうきくんのベンヴォーリオだったかも!
グランドミュージカルに出演されるというイメージが個人的に全くなかったのもあり、意外中の意外!という感じでした。
シリーズ通して見てはいないんですが、ザワだけはなんとか履修済みだったので完璧に轟としてのごうきくんしか知らず(…あ、映像ですが天てれ舞台も見たか!)、一体どんなベンヴォーリオに?とワクワクしていたのですが、
もうほんと、すっごい良かった~!素敵だった~!!!
愛らしいコミカルさあり、友を思う深い優しさあり。


東京公演の序盤と終盤で、演技がけっこうガラリと変わったような印象がありました。変わったというか、深まった…かなぁ?
冒頭の「ヴェローナ」で見せる、”喧嘩が日常”でしかないワルっぷりはぐんと高まり、同時に二幕でマーキューシオの死とロミオによる殺人を目の当たりにした絶望は、とてつもなく濃くなっていて。
ヴェローナ」自体がとにかく迫力にあふれるナンバーですが、背の高いごうきくんがあのワルそうな笑みを浮かべながらキャピュレットのメンツを煽ってるの、最っ高に治安が悪くてとてもよかった…!
けっこうずっと笑っているのですよね、あの曲。やれるもんならやってみろよ、ってごく当たり前に挑発するような笑い方が超かっこよかった。


そのあとのモンタギュー夫人とのやり取りや、「憎しみ」での台詞のないパフォーマンスのところでは、一転してコミカルに転んでいて。
モンタギュー夫人への「それ以上、追いませんでした!」が、イコール「ごめんなさぁい><!!!」な言い方になるベンヴォーリオは、初めて見ましたw
あとは「マブの女王」での悪ふざけと、「綺麗は汚い」でのキュートなダンスもすっごく可愛い。
なんというか、とにかくノリが良くて若いベンヴォーリオだなと。ロミオに「仮面つければわからないさ」をやってみせるところ、本当に楽しそうだったなぁ。笑


そして二幕で親友が命を落とす現実を突きつけられてからの絶望の表現は、本当に公演後半で深く深くなっていったなぁと感じました。
基本どうしてもロミオ定点してしまってるのでアレなんですが、6/10かな?に見た、マーキューシオの亡骸を抱きかかえる姿が忘れられない。
悲しみにくれていた彼の目の前で、今度はロミオが怒りに我を忘れてティボルトを刺殺してしまう。それを目撃した瞬間、本当に「絶望」としか言えない表情を浮かべていて…。
もう取り返しがつかない、どうしようもない…とひとり目の前の出来事を受け入れられずに呆然としている様子、見ていて胸を突かれるような思いがしました。
だけどその後に、慟哭するロミオに覆いかぶさるようにして強く抱きしめるところは、本当に友を思っての必死さが溢れていて。
最初の頃、あそこでロミオの手を握ることはしていなかった気がするんですよね…。6/10と6/12の公演で、ロミオの手を上からぐっと握りしめてくれていて、宥めるような、繋ぎ止めるようなその様子に泣きました。


あとは前田ベンヴォーリオの「…君に会いに」が絶っ対に笑顔なのが、本当に見ていて辛いです…辛いよ…。
その後の「嘘だーーーッ!!!」の黒羽ロミオの絶叫をまともに正面からくらってしまうのも辛い。ベンヴォーリオ…。。。
ラストの「罪びと~エメ」はわたしの頭がもう駄目になっているので(なぜなら泣きすぎているから)、いつどの回でみたどんな景色なのかがもう思い出せないんですが、
あの悲しみの時間に、自分を律する心を見せてしまうベンヴォーリオなことは、今年の二人に共通していたかも…?とちょっと感じます。だからベンヴォーリオは本当に!存在が辛いんだって~!涙
予想以上に素敵な姿で、大好きなベンヴォーリオになりました。

◆ベンヴォーリオ・味方良介さん

個人的に彼のお芝居をがっつり見るのは本当に2013~2014年ぶりだったんですが、なんていうかとってもいい意味でミカティだー!!!って嬉しくなってしまう、彼らしさにあふれているなぁと感じたベンヴォーリオでした。
なんだろうなぁ…あの独特の存在感…?なんで板の上での在り方が、彼はあんなに面白いんでしょうか…?笑
ちょっとした台詞回しとか間のとり方で、他の人には作れない面白さを自然と生んでしまうというか。。
ロレンス神父役のカズさんが、公演が始まる前にインスタで「今年のベンヴォーリオは面白系」とおっしゃってたんですが、初日に見たときにその理由がわかったwwwてなりました。
これは流石に初日にしかやってなかったんですけど、物の弾みで!って感じで、モンタギュー夫人に間違えてナイフを突きつけちゃって「ワォ!」って言ってる場面ありましたからね!そんなことある!?笑
「まだ見ぬ恋人!?」ってロミオに尋ね返すときは「…ウワ~ォ。」って言うし、綺麗は汚いで「UFO出現だってよ!」のくだりでは「あれだ!あれに違いない!そうに違いない!」みたいな賑やかしを入れてくるし。
あといちばん笑ったのは、ロミオに出会った乳母が思わず「やっぱりみんなと違う!」と感激して言うところで「そりゃあそうだろ!」って合いの手を入れてたことですね。笑
そりゃあそうだろ!じゃないのよ!いやそんなオタクみたいなこと言わんといて!?なった。いくらなんでも面白すぎるよ!


そして同時に、なんともいえず「治安が悪い」んだよな~!!!笑
今年のベンマキュ、どの組み合わせで見ても2019年の30倍くらい治安が悪化している気がしていて、それはそれとしてすごく好きなんですが、個人的にペアを治安ランク付けしたりしていました(どうして?)。


ヴェローナ」での立ち居振る舞い、ごうきくんは喧嘩なれしてる感じの治安の悪さなんだけど、ミカティの場合はなんていうのか、危険に対する無責任さ?みたいなものを感じて。
調子よく振る舞っているそのすぐ背後に命の危険があったとしてもそれを直視していないっていうか、なにか行き過ぎたものを感じさせるような治安の悪さでした。
比較すると、治安の悪さの仕上がりは味方ベンヴォーリオ>前田ベンヴォーリオだったなと…(だからどうして治安で測るんだよ)。


でもそんな彼は、マーキューシオの死とティボルトの死を境に、まるで別人のように変わります。
その唐突にも思える変貌について、わたしはそこに彼の「後悔」が現れているからなのかなってすごく感じました。
明日をも知れない感じで、その日その瞬間が楽しけりゃいいじゃないか、って勢いに任せて適当に生きていたら、親友の一人は死に、もうひとりは意図せずに殺人者になってしまった。
その事実の重みから、考え方を急激に変えざるを得なくなった、かつてのお調子者の真剣な後悔…のように見えていました。
本当はそんな形で大人にならなくても良かったはずなのに…と思うと、また新しい苦しさがあるなぁ。。
味方ベンヴォーリオが「どうやって伝えよう」の途中で「世界を治める王だった」で、世界の王の振り付けを思わせる感じで拳を正面に突き出すところが好きでした。

ラストの「罪びと~エメ」は、本当に自分の感情を抑え込む系のベンヴォーリオだったなと…!
どのベンヴォーリオで見ても胸が潰れるシーンですが、もっと自分の悲しみを表に出してもいいのに!?と思わずにはいられないような、深いところに何かを抑制したような様子に見えていて。(でも繰り返しですがこのシーンのわたし本当に当てにならないんで…回によるかもしれない…)
思い返すと、親友をふたりも喪ってひとり遺されてしまうベンヴォーリオ、一番かわいそうなんじゃないか…とやっぱり思う。辛い!!

◆マーキューシオ・大久保祥太郎さん

しょうちゃんも、お芝居を見るのはいつぶりだ…?と思って確認したら、出演作の観劇はグランギニョルの2017年が最後のようです!かなりお久しぶり!
とにかく若いのに「なんでも出来る」役者さんとして長らく認識しており、久々の観劇ですがきっと素敵なんだろうな~と思っていたけど、やっぱりとても良かった!やっぱり思ってたとおり、なんでも出来る!
危なげのない狂い方(?)で。日本語がおかしすぎますが。笑

しょうちゃんのマキュはなんていうか安心して見られるマキュだった。ううん…うまく説明ができないんだけど!
大公の甥の血筋をすごく感じるというか。元はやっぱり、とても育ちが良さそうな印象がある。
彼がナイフを愛するのはどうしてなんだろう。なにか自分の存在のよすがにしていたりするのかな…
憂さ晴らしというか、気分転換にちょっと危ないものに手を出しているというか。それで心のバランスをとっているというか。
違うんですけれど、系統としてざっくりとした仲間わけをするならば、19年のまりおくんのマキュと仲間になるだろうなぁ、と感じました。
どこかに深い孤独を抱えたタイプのマキュじゃないかなぁ、と感じるんですよね。
ヴェローナ」でひとりナイフを見つめる目つきは、どこか恍惚としていて。
単に他人を威嚇したいのともまたちょっと違うような。ナイフを持つことで、自分の中に強さや芯を得ようとしているような…やっぱりそういう解釈に落ち着きます。


「決闘」と「マーキューシオの死」で本当はもっとちゃんと語るべきことがあるはずなのに、今年のわたしったら!ロミオ定点のしすぎで…!(まぁ仕方ないんだけれども!)
亡くなっていきかたが、なんていうか清々しいっていうとちょっと違うんだけれど…どこか憑き物が落ちたような雰囲気もあるところが、まりおマキュの仲間だなとおもった理由のひとつです。
動揺して涙を流すロミオのことを、安心させようとしているというか。そして死ぬ間際、ベンヴォーリオのことも、しっかりと気にかけてはいなかったですか?やっぱりどこか、優しさを感じさせるんだよなぁ。。
根幹には良家の子息として身につけた教養とかがありそうな、成長の途中でちょっとグレたけど、そのまま無事に成人できていたら、立派な大人になれたんじゃない…?と思うような青年で。
そういう未来ある命が失われてしまうことへの悲しさが見ていて思わず募るような、素敵なマキュでした。

◆マーキューシオ・新里宏太さん

ベンマキュの中では今回初めて拝見する役者さんでした!(改めて経歴を見て、まりおくんの次の年のジュノンボーイコンテストファイナリストだったのね~!ってなりました)
しょうちゃんのマキュとはわりと対極と言えそうなタイプではないかなと。今年のマキュは対比がとても鮮やかな組み合わせだなぁ!と感じました。…今年はといいつつ、19年はそうちゃんのマキュを200回記念のシャッフル公演で一幕しか見れていないわたしですが…。笑(あとでDVDになってから見ましたが!)

初日に真っ先に感じたのは、すっごく危険なマキュだ~!ってことでした。迂闊に触れたらこっちが怪我どころか命を落とすところまでいっちゃいそうな、かなり尖った鋭さのあるマーキューシオ。
東京公演は中盤でなかなかタイミングが合わなくて、相当久しぶりに東京前楽でふたたび拝見したのですが、その印象はやはり変わらず。
前楽で見たときは、もはや「ヴェローナ」の時点で下手するとティボルトを殺しかねない感じのマキュだなと感じてすごくゾクゾクしました。
すごく刹那的というか、衝動的に身一つで目の前の物事に突っ込んでいきそうな雰囲気。
また体の使い方がとても上手くて、ひとつひとつの動きが自然と目を引きます。全身表現になんともいえない緩急があるのが魅力的でした。
ヴェローナ」が終わった後に下手に捌けていくとき「じゃあなー!」って笑いながらティボルトに言うんだけど、それがまた、怖いんだよね~!


新里くんのマキュからは、寂しさや孤独といった要素よりも、「怒り」をより強く感じました。
何に怒っているのかはたぶん本人もまだ明確にはつかめていないんだけれど、知らず知らずのうちに”憎しみ”に支配されてきた若者として、
周囲の大人たちの身勝手さに、因習に囚われて生きていくしかない自分たちに、不満をつのらせているように感じるんです。

その怒りが爆発しているのが「マーキューシオの死」だったような気がして。
前楽で見たとき、刺されてお腹から血を流している状態なのに、最後に残った力で衝動的に全力で暴れてみせるので、それに本当に驚いてしまった。。
バン!と何度も大きな音を立てて手を叩きつけていて、本当に死んでいくさまが悔しそうでしかなく…。
ロミオに向けた「ジュリエットを愛しぬけ」の遺言も、自分が親友のそばにもういられなくなることへの悔しさが滲んでいるというか、
とにかく今この状況に全力で抗ってやる!こんな現実に納得なんてするもんか!って感じの怒りをぶちまけていて、そしてそのまま死んでいってしまう。。
あの今際の際を見ていると、新里マキュにとっては、めちゃくちゃ無念の死なのだな…と思います。
悔いなく居なくなられても、悔いのかたまりのまま居なくなられても…遺された親友たちにとってはどちらも耐えられないものだけれど…このパターンも相当辛いな。。と感じたのは、今回新里くんのマキュを見ていて得た新しい発見でした。



ベンヴォーリオとマーキューシオだけで6000字使ってしまいました…笑
やっぱりロミジュリが好きなんだよな…!?
「その3」で、ジュリエットとティボルトについて書ければと思います!頑張るー!


▼ロミジュリ2021の感想他記事

  • 5/21初日感想

anagmaram.hatenablog.com

  • 黒羽ロミオの感想

anagmaram.hatenablog.com

ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」東京公演を見終えての感想その1・黒羽ロミオについて~人生はミュージカル~

ロミジュリ2021、本日が東京公演の千秋楽。この記事を書いている間に無事に幕が降りたようです!
Wキャストゆえ、一足はやく昨日の6月12日のソワレで、黒羽ロミオ東京楽を見届けて来ました。
本当に、あっという間すぎる約3週間…まずはとことんまりおくんのロミオについて、感想を書き残します。
(他キャストの皆さんについては改めて別記事にて書こうと思っています!が、がんばれ私…!)


初日に受けた全体的な印象と大きくブレるところがなかったのですが、東京公演期間中、とにかく頭の中に鳴り響いていたのは「演技が繊細」という小池先生評。
どうしてそういう風に言われるのか、改めてよくわかる気持ちになったロミオでした。
目の前に起きる出来事ひとつひとつを、丁寧に心に映して、そこで生まれた自分の感情が、自然に表に湧き出てきている。
決められた型にはまった動きなのではなくて、今そのように心が動くから、ただそれだけを理由として、生き生きとした表情を見せてくれる。
どれも初日に書いたことの繰り返しになってしまうんですが、ロミオって「恋」以外にこんなに複雑に感情の動きを提示してくる役だったのか!とびっくりしました。
考えれば考えるほど、ロミオって難しい役ですよね…。たぶん本質的には「恋」に全振りするのがとても正しいようにも思うけれど、それだけだと「僕は怖い」など、陰の部分の表現がまるごと宙に浮いてしまいそうだし。
途中で人を殺めてしまう場面もあって、どこに軸足を置きなにを表現していくのか?と考えたとき、やっぱりひとつひとつの場面を嘘なく生ききる…以外にできることがない役のような気がする。
好みも当然あるのは理解するんですが、わたしはひとつの嘘もなく生ききる、ある種人間くささを感じさせる黒羽ロミオが本当に大好きです!
そりゃファンだから当たり前なのはそうなんだけど!にしても!良すぎたよ~~~まりおくんのロミオ!!!


千秋楽だけを特別視するのってあんまり好きじゃないんですけど、でも昨日の公演、短期間の中でこんなに変わるか!?と思わされた部分も大きくて、やっぱり特別でした(どっちだよ)。
本当に今できることを出し尽くした、板の上でやりきった公演だったのだなとひしひしと伝わってくるようで。
端的に言うと、一幕では恋心の色合いがぐっと深まり、二幕では初日から切れ味抜群だったもがき苦しみの様子がよりソリッドなものに仕上がっていて、初日に提示した表現をしっかりと深めきった千秋楽だったなぁと感じました。
言いたいことがありすぎてまとまるのか不安ですが、一幕・二幕に分けて書いてみようと思います。

◆一幕についてその①:色濃く深まった真っ直ぐな恋心

冒頭の「いつか」は、ここで過去イチの情報量を出してきたかぁ!と思うような、色とりどりの表情で登場なさり、のっけからその眩しさにやられました。
ついに幻覚を見てしまったか…と思ったんですが、あまりにも表情がキラッキラなので、昨日は歌っているまりおくんのお顔の周りに、光のつぶつぶのエフェクトが見えた気がしてしまいました。。いや本当に見えた…もうそれくらいに眩しく輝いていた。
なんていうかここはとことん、少年なんですよね。出てきた瞬間から美しい瑞々しさをたたえている若者としての笑顔で。
まだ見ぬ恋人を思い、期待に胸をふくらませるその表情は、ただ明るい希望に満ちている。
公演序盤ではやっていなかったけど、歌いながら時折胸元に手をやるようになっていたりして、うきうきと心弾む様子がとにかく愛らしく。。
時節柄、今年はロミオが客席から登場できなくなったので、いつかでのロミオ・ジュリエットの立ち位置が19年とはけっこう変わっているんですが、その結果下手で両腕を広げる乙女の動きが今年はロミオに割り振られているのが可愛くて好きです。(19年はジュリエットがセットではなく舞台上でバラを片手に腕を広げる動作をしていたので、どうしてもそれがよぎるの…!)
黒羽ロミオ、「遊びならば何人かと付き合ったけれど虚しいだけ」は、こいつ本当に遊びだったんだろうな…って思わざるを得ないモテ男の容赦のなさがダダ漏れているところと、
「いつか出会う」と本気で信じて運命の人を思い浮かべるピュアで晴れやかな笑顔が当たり前に両立しているところが、すごく心憎いです。笑
あれは絶対、気のない相手に思わせぶりな態度をとって女の子を泣かせまくってる男だよ!なる。ロザラインもクラウディアもシルヴィアも女の子の勘違いじゃなくて絶対悪いのはロミオだよな、と思ってしまいます…。笑
まりおくんが事前にロミオのイメージを尋ねられて「ナチュラルモテ男」と回答したことがあるんですが、それをきっちりと体現してらして、似合うとは思っていたけどここまでとは…!脱帽だよ!なりました。


二人の気持ちを確かめ合う「バルコニー」では、ジュリエットの「どうしてロミオなの」の嘆きを聞いたあと、本当に「あーあ…」というような落ち込み方を見せるところが好きです。
そりゃそうだよな、自分はモンタギューで相手はキャピュレット。どうにかなるはずがないんだよな、と、ものすごく冷静に状況を俯瞰しているように思います。
それでも「それが無理ならせめて 私を愛して」の言葉を聞いた瞬間に、恋の成就の喜びが胸の内で弾けることがわかる。
彼女も自分と同じ気持ちなのだという事実にぐっと背中を押されたそのままの勢いで、真っ直ぐに恋に飛び込んでいくんですよね。
バルコニーから降りた後、ジュリエットに”愛の花”であるバラを掲げてみせるシーンがあるんですが、たぶんラスト数公演目から、2回その同じ動作をやるようになっていました。
微笑みを交わしたあと、嬉しくなりすぎてついもう一度恋人を振り向いちゃう!というその笑顔がちょっとあまりにも可愛くて、客席からふふ…とあたたかい笑いが起きていたほど。
それを見て笑っているジュリエットも本当に可愛いんですよ…!
ロミオの行動を規定するのは、ジュリエットへの恋心なわけだから、深めるとしたらやっぱりそこが超重要だよな!と。
公演後半でそこをさらにしっかりと掘り下げてきた黒羽ロミオの進化、見ていてとても嬉しかったです。

◆一幕についてその②:恋に落ちながら、現実も見る

ロレンス神父のもとへ結婚式の相談に行く場面「愛ゆえに」。
あのシーンでの黒羽ロミオから滲み出ているのは、愛すべき人に出会った喜びではなく、重々しい「覚悟」なのがすごく特徴だなと思います。
「結婚式を…挙げていただきたいのです」からの、ロレンス神父とのやり取りが本当に好きなんですが、「キャピュレットの娘です」の言い方も、お前の家は?と問われたあとの「モンタギュー。」の表情も。
自分がしようとしていることが、現実的に考えてどれほど危うく無謀な振る舞いなのか、黒羽ロミオは嫌というほどわかっている。
それでも、この想いの強さを止めることはもうできない。パリス伯爵と結婚させられそうなジュリエットと自分が結ばれるためには、もうこの方法しかない。
「二人の愛が実ったとき この街にも訪れるだろう 平和が」のワンフレーズも、心底そう考えているのだという事実が伝わってくる気がするのです。
現実逃避ややけくそからくる行動なのではなくって、真正面から運命と現実を受け止めてみせようとしているというか。その様子を端的に表すと「覚悟」なんだな、と感じます。


その重たい決意のもとに、真実の恋人とこれからの人生をともに歩む誓いを立てる「エメ」。
ジュリエットを見つめるその瞳は、まさに慈愛、と評したくなるような表情に溢れていました。
初日はこのエメでもどちらかというと覚悟の色合いが強かったんだけれど、公演が進むにつれて、どんどん「恋」のオーラをまとうように変わっていて。
自分のほうへ真っ直ぐ歩いてくるジュリエットを見つめる間中、柔らかな微笑みを広げて、君しか見えないという強い思いを全身から滲ませる。
「この宇宙が終わるときも愛は残る」の上ハモリの高音も、公演後半になるにつれ、ボリュームがま~容赦ないことになっていて…!
わたしの観劇後半戦がすべて伊原ジュリエットとのペアだったんですが、まるで教会中にふたりで愛を広げるようなエメに仕上がっていて、6月に入ってからは特に素晴らしかったです。


黒羽ロミオ、ロマンチストでありながら現実を見る力も強いというところが、かなり珍しいロミオなんじゃないかな?と感じます(このあたりは最後に改めて)。
でもだからこそ、本来であれば「生き残れそう」でしかないんですよね…なのにどうしてそんなことに?っていう悲劇性が、逆説的に強まっている。
ジュリエットとの愛を絶対に成就させたいからこそ、現実を見据えて障害を乗り越えてやろうとしてる感があると思います。
運命のボタンの掛け違えがなければ、本当に二人の結婚によって、誰の血も流さずにヴェローナの街に和解をもたらせた可能性があるんじゃ?と見ながら思ってしまうんですが、
だけどそれをさせてもらえないのが、「愛する代わりに憎しみが満ちる」ヴェローナなんだな…と思うと…。いや~~~辛い!!!

◆二幕についてその①:運命の恋は、彼を大人に変える

二幕冒頭、黒羽ロミオは「街に噂が」がものすごく!良いんです。
歌詞にあるとおりなんですけど「キャピュレットの一族も同じ人間だ」「憎しみを捨てて彼女との愛に生きる」というのは、なにも夢物語を述べているのではなくて、
それがあのときのロミオにとって見えている世界の真実なんだろうと思うのです。
その理由を考えたのですが、きっとロミオはジュリエットに出会うことで大人になったからなんじゃないか?という解釈に落ち着きました。


ヴェローナの街の若者たちは、みな古くからのモンタギュー・キャピュレット両家の対立を疑わないで暮らしています。
黒羽ロミオはたぶん、そこの枠組みには元々さほど囚われておらず、自分がたとえ当家の跡取り息子だとしてもいがみ合う必然性を感じたことがないし、興味もなかったのだとは思います。
しかしさらにその状態から、黒羽ロミオはジュリエットに出会うことで、もう一段階「自由」になっているんじゃないかと思うんです。
連綿と続く憎しみの種を植え付けられた街の若者から、それまでとは違う視野で、目の前の世界を捉えなおすことのできる新しい世代の若者になっている。
ひとりだけぽんと新しい位相に飛んでしまった、そんな感じなんです。ヴェローナの街の既存の大人たちともまた違う形で、ロミオはひとり、大人になっているんじゃないかなと。
もちろん、それは旧態依然の世界に生きたままの仲間たちとは当然相容れるはずがなくて、ロミオは徹底的に孤立してしまう。それを表しているのが、この「街に噂が」という曲であるように感じました。

19年に見ているとき、この歌については、ジュリエットとの運命の恋に出会ったがゆえに、それを貫くことしか考えられない近視眼的なロミオの姿なんだという風に受け取っていたんですが、今年の黒羽ロミオを見ていると全くそういう印象を受けませんでした。
これまでと違う全く新しい受け取り方が自分の中に生まれてとても新鮮だったし、それが黒羽ロミオならではの表現なんじゃないかな、と思えてとても好きな場面です。


この黒羽ロミオの在り方は、「決闘」でも光ります。
「仲間を愛するなら憎しみは忘れろ」という魂の叫びは、いい子ぶっているのでも、単に争いを嫌っているのでもなく、ジュリエットに出会って得た新しい視界から来るものなんだなと思うんですよね。
家同士がどうこうなんて関係ない、純粋に人と人との関係じゃないか、現に自分はジュリエットと出会って愛し合っている。
そもそも自分たちがなんの根拠もない憎しみに支配されるのはおかしいって、ロミオは本気で周囲に訴えているのだと思います。
どうしてロミオがそんなに必死になって、マーキューシオのこともティボルトのことも等しく止めようとするのか、その理由が黒羽ロミオを見ているとすごくストンと理解できる気がしました。

この場面は、ほんとうに登場する全員が、憎しみに支配されきっている。
ロミオが割って入らなくても、マーキューシオとティボルト、どちらかの命が失われるまで決着はつかなかっただろうなと。
目の前の相手を倒すことしか考えられなくなっている若者たちの間を縫うように奔走しつづけるロミオの様子は、その憎しみの感情から一人だけ切り離されているように見えます。
しかしそれが、次の場面で大きく変わってしまうことになる。

◆二幕についてその②:そして「憎しみ」の濁流へ

マーキューシオの死は、憎しみから一番遠い場所にいたはずのロミオの運命を、徹底的に反転させてしまいます。
事切れたマーキューシオを抱く黒羽ロミオ。「この世は地獄なのか ああ」の最後の音を伸ばしている途中に、徐々に目つきがどす黒く変わっていくんですよね…。瞬間的に、内面を憎しみに染め上げられていく。
焦点の定まらないまま、転がっているナイフを拾い上げ、掠れた声で「ティボルト…」と呟いて、足を引きずるようにティボルトの方へ近づいていくけれど、その瞳はティボルトをまともに捉えていない。
対するティボルトは正面からロミオを睨みつけているんだけれど、その視線にすら気づかないままに、衝動的に勢いよくナイフを突き刺す。
自分の足元にティボルトが勢いよく倒れ込んだ後にようやく、今何が起きた…?と我に返り、自分の手に握られたナイフに気が付き、何をしでかしてしまったかに思い至る。
その瞬間恐怖に顔を歪め、ナイフを取り落して一目散にその場をまろびでていく…。
まさに「殺すつもりなど全くなかった」としか言いようのない姿でした。
生来の純粋さゆえに、親友を殺された事実に、瞬間的に憎しみに自我を支配されてしまったことがわかる。それはまりおくんが事前に「(愛にも憎しみにも染まれるように)なるべく真っ白でありたい」と語っていた姿とぴったりと一致するもので、こうやって仕上げて来たんだな…と思うといい意味で打ちのめされました。
ロミオがティボルトを殺してしまう事実、その一連の流れの違和感のなさが、本当に見事だなと。
明確な意志の介在しない衝動的な殺人ゆえ、その後の悲嘆や悔恨も色濃くなるなと思います。


東京千秋楽では、ティボルトを刺してしまった後の「代償」も凄まじかったです。わたしが見た東京公演の中では、いちばん濃い演技をしていたと思います。
ティボルトを刺した自分の右手を、信じられないものを見るような目で見つめ、わなわなと震えだす右手を必死で左手で握りつぶすように抑え込む。
それでも収まらない震えに怯えるように身を捩り、うずくまったまま後ずさろうとしてみたり、慟哭のままに激しく手を床に叩きつける動きをしていたり…
歌や台詞がない間はマイクは切られているんですけど、ここの黒羽ロミオ、声に出して泣き続けてるんですよね。。
パニックになった人がやるみたいな呼吸の仕方になっていて、そのままだと過呼吸起こしてしまわない!?って見てて心配になるようなもがき苦しみ方をしてて、特に千秋楽は、身の削りかたが本当にエグかった。。あの時間、本当にものすごく消耗すると思う…。
昨日は大公が出てきた後、どこのタイミングかまでは思い出せないんですが、膝をついて身を起こし、マーキューシオの亡骸を呆然と見つめている瞬間があってウワー!?ってなりました。そんなのここまでで見たことない!
初日の「代償」は、どんどんと内側に潜り続けていくような演技をしていて、そのぶんどうしても見る側に対して伝わるものが少なすぎたんじゃないかな?とも感じていたので、
改めて先生から演出がついたか自分で変えたのかはわからないですが、段違いに良くなったポイントじゃなかったかなと感じました。素晴らしかったです!

◆二幕についてその③:白眉というべき「憎しみ~エメ リプライズ」

そして問題の「憎しみ~エメ リプライズ」。この曲の破壊力、何回聞いても慣れることはありませんでした…!
あれだけ荒い呼吸を繰り返していたあとに「僕は憎む 自分の中にある 黒い炎 それは」を、感情のままに腹の底から絞り出すように、でもしっかりと歌として聞かせられる声で出してくることに、まずたまげます。
どこか吐き捨てるような発声だったり、怒鳴り声に近いような声を出したりもして、台詞のように歌詞がこちらの中に入ってくるんですよ…でも、同時にちゃんと歌として成立してるんだよなぁ!!?
ここの技量、本当にとんでもなく跳ね上がったポイントだなと思います。今回のロミオ以前のまりおくんからは、この歌唱はちょっとファンでも想像できませんでした。。
いまフルでこの曲を思い出してると、ここも好きあそこも好き!って、全フレーズにラインマーカーを引きたくなるやつで…
「破滅だけが僕を待っている」の、なんていうかもう”破滅”っていう単語そのものだわ!みたいな発声もめちゃくちゃ好きだし。。破滅を音で表したらああなる…って思う感じの…!

黒羽ロミオの何が好きかって、初日からずっと思ってることですが、運命じゃなくあくまでも己の愚かしさを呪うところです。
なんていうか、運命と対峙するものとしての自己があるように思えて。しでかしてしまったことへの責めを、苛烈なまでに深く深く自分に突き刺していくので、本当にどうやったって救ってあげられない気持ちになるので辛い。。

そして最後に零す「ジュリエット…」の悲痛さ。
初日は彼女の存在が一筋の光のように現れたんだな、と感じるような、名前を告げた瞬間に瞳に光が戻る演技をしていたんですが、
東京公演の後半では、ここがぐっと悲嘆の色合いに変わりました。誰より悲しむその人は、で思い出したとおり、愛する人を絶望のどん底に落としてしまうことへの悔恨。
でもそれでも。二人の魂だけは引き裂けない。それだけをよすがに、もうこの世に信じられるものなど何もない、追い詰められきった黒羽ロミオが零す「エメ…」の光。
(あそこでじわっと死が隣で体を起こすところが怖すぎて本来大好きなんですけど!今年どうしてもロミオ定点してしまってちゃんと見られてない…!)


この歌が終わるたび、客席で毎度魂を抜かれたようになっていました。心臓はドキドキするわ、握った自分の手には立てた爪の跡がつくわで大変でした。
そしていつも、拍手も長くて大きかったように思えていて…。自分が誰よりも呆然としているので全然当てにならないんですけど、この曲でそんなふうに客席を持っていくロミオ…?と思うと、もうファンとしては嬉しくてしにそうになります。
思いもよらない形で人を殺めてしまい、突如として悲劇のど真ん中に放り出された様子がここでひとつの完成を見ると思うのですが、本当に見事としか言えなかった。
こんなすごいものを見せてもらえるとは…ただただ圧倒され続けたことを、とにかく幸せに感じました。

◆まとめると、黒羽ロミオの魅力は「矛盾を内包する人間らしさ」

ロミオという役をどうとらえるか。おそらく解釈や好みは色々とあると思うんですが、今回の黒羽ロミオを見ていて、この日本オリジナル・バージョンの物語中における説得力が段違いに強いロミオであるように、わたしには感じられました。贔屓目ももちろんありましょうけれど!!!
ロミオはもともとどんな青年で、ジュリエットに出会いどう変化したのか。争いを好まないはずの彼が、どうして人を殺してしまうのか。最後にどうして自らの命を断ってしまうのか。
そのひとつひとつに唐突さがなく、ストーリーの中で必然性を背負って表現されていくので、話の中で場面ごとに変化していくロミオに一切の違和感が生じないところ。そこにとにかくわたしは説得力を感じました。


見出しにまとめたとおりですが、黒羽ロミオの魅力は、矛盾しそうなものを内側にしっかり内包して、無理なく両立させられるところだなと。
ジュリエットにまっしぐらに向かっていく恋心も、敵の一人娘に恋した自分の置かれた立場がどのようなものであるかも、どちらも正面から現実としてちゃんと受け止められているというか。
夢見がちゆえに突っ走っていくのではなく、どこか賢さを感じさせる、地に足のついたロミオ像のように思えます。
ロミオの持つ純粋さは、世間知らず感ではなくって、あくまでも気立ての良さ、素直さとして現れているんだろうなと。
モンタギューの仲間の中心にいて慕われているのも、すごくしっくり来るというか…。
これまでわたしがロミオに対して抱いていた「世間知らずの育ちの良いお坊ちゃんだから、夢見がちでもしょうがないよね」と思わせられるような部分が、黒羽ロミオにはあまりない。
それゆえ、たぶん王道ではなくてちょっと違うんじゃないかと感じる人も多いような気はなんとなくしてます。
なんだけど!それでも!王道じゃなく独自にアプローチして積み上げたものによって生み出される、物語の中における説得力が、やっぱりどうしたってものすごく強いと思う…。
そしてそれがまりおくんならではの表現だなと思うので、もう好きしか出てこないんですよね…!そりゃあもう、大ッ好きですね!!!(全力)


「僕は怖い」については初日にもたくさん書いたのですけれど、歌詞そのままに伝わってくるものがとても濃いような気がしていて。
視野が広くて現実が見えている黒羽ロミオだからこそ、「僕にはわかる 何かの終わりが もうすでに始まっている」なんじゃないかな、と思わされてしまう。
争いや憎しみに覆われたヴェローナという街で暮らす彼らの周りには、いつもどこかに死の予感が潜んでいる。
なにかがほんのちょっと爆発すれば、それは人の命を失わせるような事態へ簡単に転がり落ちる。そんな危うさの中にあるいつもの日常。

あの曲の黒羽ロミオが見ているのは、きっと今よりほんの少し先の未来。
頭上は美しく晴れわたった青空だけれど、遥か向こうの方に、どす黒く渦を巻く雨雲が見える。
もしかしたらそれはこの後、こちらに近づいて来て、土砂降りの雨を降らせ、自分をずぶ濡れにするのかもしれない。
根拠のない怯えなのではなく、実感してしまっていることから来る畏怖心というか…。全然死にたくなんかないし、本当に「僕は怖い」んだなと伝わる歌唱で、その怯えの様が見ていてかわいそうになるくらいでした。。
とても強い感受性を持ったロミオなんだろうなぁと見ていて思うのですが、つまりそれはご本人の特性を映しているようでもあって、やっぱり見ていてファンの感情がどこまでも巨大になります…。好きすぎる…!!!涙

◆おまけ:人生はミュージカル!

6月12日の夜公演でWキャスト千秋楽を迎えたキャストは複数いらっしゃるのですが、その中でも主演おふたりがいつもどおり中心に残り、合計4回のカーテンコールになりました。
ダブルまではキャスト全員をお呼びしてのご挨拶なのですが、3回目・4回目はロミオとジュリエットのおふたりのみ。
ここのご挨拶で、とにかく「出し切った!!!」という充実感で爆発するような元気いっぱいのまりおくんが見られてすごく楽しかったです…!
初日以降、基本的にとてもしっかりとした座長としての態度を貫いてらして、6月5日の配信日の不意打ちのトリプルカテコで、初めて涙ぐんで個人的な本音を言葉にしてくれたくらいだったので、
急に全力でご本人出てきた!?ってなったのが、びっくりして楽しくて、とてつもなく可愛くて…。客席も笑いが止まらなくなる、すごくあったかくて楽しい時間になりました。
お隣のりっかちゃんがさすがの関西人で、ハイテンションなまりおくんが繰り出すおもしろ発言を見逃さずに拾ってはツッコミをいれてくれるので、もはや夫婦漫才みたくなってて本当に面白かった。


トリプルのタイミングで、その日のマチネでもうひとりのロミオである甲斐翔真くんが「家に帰るまでがミュージカルです!」という挨拶をしていたことに触れたまりおくん。
「昼公演で翔真が『家に帰るまでがミュージカルです』って言ってて、ああ~いいこと言うなあと思ったんですけど…家に帰ってからもミュージカルです!」と笑顔で言い切ったあと、
最終的に「人生はミュージカル!!!」って元気いっぱいに言い放ってて、どうしたどうした!?ってなって客席もりっかちゃんも笑ってたんですが、でもこれ、すごくいいな素敵だな、と思いました。
是非ともそんな気持ちで暮らして行けたらいいなぁと。
山あり谷あり、もしくはなにもないような平坦な道のりでも、歌うように朗らかに。
ふわふわした千秋楽のテンションの中で偶然生まれたものだと思うんですが、忘れられないフレーズになりました。
わたしは明らかに観劇で生きるエネルギーを得ている人間なので、”ミュージカル”という言葉が含むものがとてもとても大きくて…それをそのまま人生になぞらえると、なんともいえずに励まされてしまう一言でした。
嬉しそうなあのまりおくんの笑顔と一緒に、ずっと覚えておきたいな。


まりおくんのご挨拶には「千秋楽を迎えられることが奇跡のようになってしまった」という言葉もありましたが、
初日が初日のまま、千秋楽が千秋楽のままでいてくれて、本当によかった…。という言葉しか、まずは今は出てきません。


夢中すぎてもはや終始嵐の中にいるようなメンタルの3週間になりましたが、赤坂ヴェローナで見た景色、最高でした!
少し時間が空きますが、7月の地方公演も、どうかどうか予定どおりの上演が叶うことを、心から祈っています。

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人生はミュージカル!2021.6.12 @赤坂ACTシアター


▼5/21初日の感想
anagmaram.hatenablog.com

ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」5月21日初日公演を見た感想(主にロミオについて)

ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」、通称ロミジュリ。10周年記念となる5度目の公演の初日の幕が、5月21日に開きました。
www.rj-2021.com

最初にかんたんに説明を添えておくと、梅芸・ホリプロ・TBS・東宝の4社主催で公演されるロミジュリは、今回の上演で10周年の節目を迎えるのですが、
それにあたってメインを務める若手のキャストが一新され、とてもフレッシュな顔ぶれになっています。
グランドミュージカルに初挑戦なメンバーがとても多く、若返り方にびっくりした方も多いのでは。
とくに前回上演の2019年版が、わりと盤石の布陣と言えそうなキャスト陣で、どこか決定版のような雰囲気があったので、前回との対比がけっこう鮮やかです。

この記事を書いている人は、今回Wキャスト主演のひとりとしてロミオ役を務める黒羽麻璃央くんのファンなので、本記事は以降8割くらいほぼロミオの話ばっかりします!


◆全体的な感想

今回の上演にあたり、演出や美術はほぼ2019年版が踏襲されています。
舞台セットの使われ方は大きく変わる部分はなかったように思いますが、主に背景として使われる映像だけはガラリと変わっていて、荒廃したヴェローナの街について、より具体的なビジュアルが打ち出されている印象です。
今回ダンサーさんも新しく出演される方が多いのですが、前回から続投されている方も勿論いて、その中でモンタギュー・キャピュレット両家の所属が変わっていたり、はたまたおんなじだったり…といったアレコレに気付くのが楽しかったです。
大人組のキャストの皆さんも変わらず続投・役をチェンジしての出演の方がいらっしゃったりと、演出や振り付けが基本同じとはいえ、やっぱり全く新しいロミジュリでした。
とにかく舞台から伝わってくるエネルギーが本当に大きい!幕開けのナンバーである「ヴェローナ」の迫力が、本当に大好きです。
19年に目の前で展開するその世界観のスケールに心を撃ち抜かれたことを懐かしく思い出しながら、あぁ、またヴェローナに戻って来られて嬉しいな…としみじみ思いました。


早速ですが、ロミオ以外のメインキャストの皆さんの初日の感想です。

まずはジュリエット役の伊原六花さん。本来であれば、昨年WEST SIDE STORYシーズン3でマリア役でミュージカルデビューを果たすはずだった彼女も、今回がようやくの初舞台となりました。
ダンスがとても得意な方とのことですが(惜しいことに!ジュリエットってダンスシーンはないのですよね)、歌がすごく良かった!
透き通ったクリアな声質が真っ直ぐに飛んでくるようで、年相応のフレッシュさが魅力的で。
とくに二幕に目を惹きつけられました。
追放されて街を出て行くロミオを涙の中に見送ったのち、両親に真っ向から反抗し、ロレンス神父のところへ飛び込んでいく流れの二幕は、急に感情が覚醒したような印象がありました。運命を変えてみせるという強い決意が滲んでいて。
もしかしたら初日の一幕はまだ緊張も強かったのかな…?と思ったりもしたので、これからどんどん深まっていくお芝居が楽しみです!


ティボルト役は立石俊樹さん。
とにかく「ものすごく人気がある…!」という印象の存在だったんですが(最近では黒執事で3代目セバスチャンを演じられていました)、彼がまさかグランドミュージカルに、しかもティボルトで出演するとは!とキャスト発表時はとても驚きました。
実際に見てみると、声の甘さがティボルトには不利なんじゃないか!?と一瞬思いそうになるも、歌唱力が抜群に高くて、あの難しいティボルトの歌を自分のものにできていたので、キャスティングに納得!にすぐに変わりました。
テニミュ3rdの幸村しかわたしは見たことないんですが、本ッ当にお顔が美しいですよね…。
そしてなんというか、実際の年齢的な側面も含めて、感情の動きがとても「若い」ティボルトだったのが印象的でした。
まだ諦観には至っていない、若さそのままのクリアな苦しみを感じて。幼さが残る強がり方というか…とにかく若い!
19年の廣瀬友祐さんのティボルトからは強い孤独と悲しみを、渡辺大輔さんからは名家の子息としての誇りを受け取ったことを覚えているのですが、それともまた全然違っていて。
声量もすごくあるので、決闘の前後での怒りの表現なんかがすごくハマっていてかっこよかった~!ファンの方はこのご出演、きっとすごく嬉しいんじゃないだろうか!


ベンヴォーリオ・マーキューシオのペアは、初日は味方良介さん・新里宏太さんのペアでした。
ミカティはまじでテニミュぶり(まさかの2014年以来!?)に見たので本当にお久しぶり…!なんですが、ロレンス神父役の石井一孝さんが「今回のベンヴォーリオは面白系」と言っていたのがわかる…ってなる感じで、なんかこう…絶妙に面白い!笑
なんだろうか、あの独特の存在感!?ちょっとした表情の付け方というか、その場での在り方にどうしてもクスリとさせられてしまうというか…この感覚、ちょっと懐かしいってなってしまった…。
19年の木村達成くんも三浦涼介くんも、かなり優しい系ベンヴォーリオだったから余計になのか、すごく新鮮です。私のしらないベンヴォーリオいる!ってなりました。うっかりモンタギュー夫人にナイフをつきつけないでほしい。笑
新里宏太さんは、とにかく「危なさ」が光るマーキューシオでした!本人がナイフそのものみたいな鋭さで、迂闊に関わるとこっちが怪我しそう!って感じの。
体のキレがとにかく鮮やかで、ダンスシーンも「決闘」の戦い方も、なんとも言えない切れ味というか、スピード感が魅力的でした。
あとなんていうか、とりあえずこの初日ペアの感想としては、ヴェローナの治安が19年比で30倍くらいは悪化してる感じで、それも含めて最高でした。笑

初日に「死」を演じられたのは小㞍健太さん。死の振り付けをされていたご本人が5回目にして舞台上にご登場!という流れだそうで…!
「死」を務めるどの方を見ていても思いますが、体を動かし、踊りとして表現する上での技量が、本当に凄まじい方々ですよね…。人間ってこんな動きできるんだ…って19年も思いながら見ていた記憶。
初日のわたしがあまりにもロミオに釘付けだったせいで、19年の観劇時よりも死をちゃんと見られていない!ので、次回以降もう少し視野を広く持ちたい!

◆可愛らしさと眩しさでこちらを動揺させる一幕の黒羽ロミオ

そして、ロミオの話になるのですが…
一幕の印象、一言で表すと、ものすごく、可愛かった…。
「エッロミオってこんなに可愛かったのか!?」ってびっくりした。ロミオに可愛いイメージ、これまで抱いたことなかったよ!なんだろうね、あの愛おしくなる青年、もはや少年感は!?ふわふわキラキラしてて…一幕、とにかく眩しすぎた。動揺しました。
まりおくんが演じるのだから、さぞやめちゃモテの人が現れるんだろうな~!とは思っていたんだけど、なんかそれともちょっと違う…よりナチュラルさが抜きん出ているというか。
受け取る印象がとても柔らかくて、日だまりみたいなあったかいロミオなんです。。


登場シーンである「いつか」では、まだ見ぬ恋人、運命の恋に想いを馳せる憧れがとにかく瑞々しく、こぼれ落ちる笑顔がまぁ甘くて…出てきた瞬間から、文句のつけようのないロミオがそこにいました。
自分を探しているモンタギューの仲間たちの中に「やぁ!」と朗らかに現れる「世界の王」直前のシーンでは、その笑顔だけで周りの空気を一瞬で和やかにしてしまう、天性の優しさが溢れて。

そして、仮面舞踏会でジュリエットに出会った「天使の歌が聞こえる」では、まさに歌詞そのままの「ついに出会えた」の爆発するような歓喜が、とてもビビッドでした。
歌の最後のキスシーンより前、ロミオがいちどキスをしようとして、驚いたジュリエットが身を引くシーンがあるんですが、あそことかほんと思わず口づけようと体が勝手に動いてしまったことに、ロミオ自身が驚いているようで。恋心の走り出し方、とてもとても純度が高い…!

その後、バルコニーで衝動的に「僕と結婚してくれ!」って叫ぶところ、「今、なんて言ったの?」とジュリエットに聞き返されて、自分でもびっくりしているみたいでした。本当に、彼にとってもすべてが急激すぎる展開で、感情に理性が追いついていないのだとわかります。
「そうか、僕はいま目の前にいるこの女の子と結婚したいんだ!」って、尋ね返されたことで、自分自身の思いを実感しているようでした。
その思いを噛み締めから改めて告げる、一転して静かに響く声の甘さ。。み、見事だなぁ…。。
一幕ラストの「エメ」のドラマティックさの中には、これから彼女を愛していくんだという力強い誓いが詰まっているようでした。

◆運命に飲み込まれる狂気が光る二幕の黒羽ロミオ

しかし、印象はまた二幕で大きく変わります。
二幕のロミオから伝わってくるのは、仲間と断絶してしまうひりついた孤独、
親友を失った悲しみ、衝動的な怒りと憎しみ、人の命を奪った自分への悔恨と憎悪、それでも残るジュリエットへの想い。
そして大切な人を喪ってしまった果てのない絶望と、死をもってまで全うしようとする、強い愛。


運命の恋人との出会いからほんの僅かの間に、ロミオの人生は濁流に押し流されるかの勢いで変化していきます。
突如として暴力的に訪れる悲劇の中で翻弄されるロミオの感情は、本当に短時間で目まぐるしく移り変わるのですが、
そのひとつひとつが曖昧に流れ去ってしまうことがなく、しっかりと説得力をもってこちらに届いてきました。


特に、「マーキューシオの死」からの展開が出色でした。
あの姿を見ていて、黒羽ロミオにとっては、ティボルトを刺し殺してしまったのは本当に事故なのだと思った。
純粋さ故に、感情が極端なほうへ振れてしまった結果、
マーキューシオを喪った悲しみが瞬間的に憎しみに転換されて、自分でも思いもよらないような形で爆発してしまったんだなと。

「代償」の間じゅう、ステージの真ん中で縮こまって打ちひしがれるその様子は、ティボルトを殺してしまったことに、何より自分自身が強くショックを受けているようでした。
小さく舞台上にうずくまり、身を固くしているロミオは、固く握りあわせた両手を、ずっと小刻みに震わせていて…。
人を殺めてしまったことを認めたくない、衝動的にそんな愚かな振る舞いをしてしまった自分のことが信じられない、という絶望の奥底に落ちたロミオ。

そんな彼の歌い出す「憎しみ~エメ リプライズ」の凄まじさったらなかったんです。
だって、最初はこの世に希望などないという風に真っ暗闇に塗りつぶされていたようなその瞳が、途中で「ジュリエット…」と呟いた瞬間に、明確にきらっとした光を取り戻すんですよ!
見ていてそれがはっきりとわかって、もう本当に鳥肌が立った。。最後に零すような「エメ…」の一言に至るまでの流れ、もはや恐ろしかったですもの。

暴風雨のように荒れ狂う運命と自分の感情の双方に翻弄される中で、彼が見出した、たったひとつの希望であり生きる意味、それはジュリエットへの愛。
逆に言えば、もうそれ以外はすべてを失ってしまった彼が「引き裂けない」と絞り出すように言う、その追い詰められた気迫と覚悟。
ただ”優しくて可愛い”だけなのではないロミオを、明確に刻み込んだ二幕のここまでの流れは、圧巻の一言でした。


小池先生はまりおくんの演技を「とても繊細」だと評価なさっていますが、なんというか、見ていてとても受け取る情報量の多いロミオだなと感じました。
まりおくんの全身から、今ここに息づくロミオとしての心のありようが色鮮やかに伝わってくるので、行動のひとつひとつに唐突さや無理がないのです。


ロミオが背負う物語は広く知られたものだと思いますし、主役だからこそどこかに王道のような、正解のようなもの…共通見解のようなものが生じやすい役のように感じるのです。
だけどまりおくんのロミオは、どこかにあるそういった正解を探して置きに行くようなものじゃなくて、ただそこに「生きている」
今この瞬間、ロミオはこう感じているからこのように動く、その連続で。
自分がファンであることを差し引いても、本当に引力が強いというか…感情が嘘なくそこにリアルに息づいているからこそ、観客をぐいぐいと引っ張っていく力のあるお芝居でした。あっけにとられながら、ただただ、引き込まれました。
これは完璧にわたしの好みなんですが、この「役として生きる」力が強い役者さんが、ほんっとうに大好きなので…
ロミオとしてこれだけ繊細で奥行きのあるお芝居を見せてもらえたこと、心からファン冥利に尽きました。
初日からまた変わっていく部分もあると思うんですが、それがすべて、その日まりおくんのなかでロミオとして心が動いた結果なのだと思うと、もう見る前からどの回も楽しみになってしまいます!


◆こちらの予想を遥かに超えてきた歌声の進化

そして一番伸びていた!と感じたのはやはり、歌でした。
ロミオはとにかく曲数が多い。ソロありデュエットありダンスナンバーあり、曲調もキーも様々で、ひとつの作品の中にあらゆる要素が詰まっています。
2019年に観劇しているとき、古川雄大さん・大野拓朗さんのロミオを見ながら「ロミオ役ってこれを歌いこなせるレベルの役者さんでなければ務まらないんだな…」と感じ入っていたほど。
その難曲を、まりおくんはどう表現するのだろう?と思っていたんですが。いやーーー本当にたまげた…。だって、歌がうまい!!!
いやお前、主演さまを捕まえてなにを言うか!なんですけど!ファンとしても予想がつかなかったほどに、全方位に歌の力が伸びていなさって…!
もともとの持ち味である、ツヤのある高音はより自由度を増して、比較すればおそらく以前は苦手であった低音域は、とにかくボリュームも響きも段違いに安定し、
自分が「歌いたい」と思うように表現を操れるところに、到達していることが伝わってきて。


一番びっくりしたのは「僕は怖い」でした。
ロミオのソロの1曲目であり、それまでのポジティブで生の喜びに溢れた場面から空気が急転直下する、この先のロミオを待ち受ける死を示唆する、運命的な楽曲。
身も蓋もないことを言うと、めっちゃ難しい曲だと思うんですよ!ごまかしがきかない。
あまりにも有名でお客さんたちも楽しみにしている場面のひとつだと思うし、そもそも歌いながらの「死」との絡みもあって。
正直に言うと見る前は、もしかしたらまだ、本人にとってはチャレンジングな要素なのかも、とちょっとだけ思っていました!ファンとして。
なんだけど、そんなの本当にとんでもなく失礼な心配だった。すっごかった…!

あの最後の「怖い」。なんせ”イ”の、一番喉が開きにくい音でのロングトーンですよ。あっれが、本当に、「ギャーーーッ」って心の中で叫びたくなるほどに凄かった。
完全に劇場を掌握する、その気迫のこもった声量がズガン!とこちらに突き刺さり、次の場面である仮面舞踏会が始まっても、しばらく頭が追いつかないほどでした…。客席で呆然としてしまった。
そもそもなんですが、この曲で提示されてる世界観に飲まれてしまって。本当に死ぬことが怖いんだと心から叫んでいるような、畏怖心が滲んだ声と表情と。
「もうほんとごめん!ちょっと心配なんかしててごめん!そんなの全然必要なさすぎた!!!」ってなりました…。ファンとして出直してきます!になりました。


他の曲でも、とにかく「歌+感情」を一体とした表現が存分に発揮できているのですよね…。
曲によって出すべき声、使うべき技術を切り替えているというか。レッスンと稽古を本当にたくさん積んだのだということがわかる…
元々の素地がある人が地道に努力を重ねたら、歌ってこんなに技術的に伸びうるものなんだって知りました。
「歌わなきゃ」にならずに、自然と感情に溶け込ませた歌を届けつつ、でもやっぱり歌としてのクオリティも重視されるという…ほんとミュージカルって難易度の高いことを役者に要求してるよね!?
それをしっかりとやってのけているまりおくんの姿は予想の遥か上を行っていて、いい意味でめちゃくちゃに打ちのめされました。
もう本当に、なるべくたくさんの人に聞いてほしい、見てほしいまりおくんのロミオなのです…!涙

◆その背景にある、2020年に叶わなかったもの

レベルアップの様子が今回はちょっととんでもなく、観劇後は「予想のつかないものを受け取って勢いよく転んでしまい起き上がれない」みたいな精神状態になっていたんですが、
それはやはり、まりおくんが2020年に公演が叶わなかった作品の準備で身につけていたものが、それだけ大きかったということだと思いました。


全公演中止となってしまった2020年版「エリザベート」で、ルキーニを演じる予定だったまりおくん。
衣装をつけての舞台稽古まで終わっている中での、全公演中止の決定。あとは本当に、お客さんに見てもらうだけだった作品。
昨年秋に開催された山崎育三郎さんのコンサートにゲスト出演する中で、唯一「キッチュ」だけを聞くことができ、その片鱗を感じることはできていたのですが、わたしたちには、その全貌はわからないままでした。
anagmaram.hatenablog.com
エリザのために、まりおくんは半年以上前から他の舞台のお仕事を入れないようにして、準備に時間を使っていました。
その頃から含めると、実に一年半以上の時間が経過しているんですよね。
今こうして、ロミオとしてこんなに素晴らしいものを届けられるほどに、見えないところで進化をなさっていたんだな…と思うと、ようやくその姿が見られたことが、言葉に尽くせぬほど嬉しかったです。


そりゃあ、びっくりしても当たり前だったなと。だって2020年の舞台スケジュールがまるごと空いてしまった結果、ミュージカルは19年のマーキューシオ以来、2年ぶりだったのですから…!
その空白の大きさを思うと新たに目眩がしそうな思いにもなったのですが、でもそれよりも、今こうして念願叶った舞台姿が見られることが幸せです。
本当に、幕が開いてよかった。

◆改めて、2021年版に寄せて

「ジュリエットを愛し抜け!」と最期に言い遺して亡くなっていくマーキューシオ。
そうして託された言葉どおり、ロミオは「愛し抜いた」結果として、ジュリエットの後を追い、自らの命を絶ちます。ロミオとジュリエットの死は、ヴェローナの街の人々に、憎み合うことを悔いさせ、長年の両家の争いに終止符が打たれます。

19年にマーキューシオを演じていたまりおくんが今年ロミオを演じている現実は、2年前に自らが託したその”バトン”をある種受け取っている姿にも見えて、どうしたって、ものすごく感慨深いです…。
まりおくん自身がインタビューの中で「ロミオとして精一杯ジュリエットを愛し抜こうと思います」と度々口にされているのにも、きっと過去に演じた記憶がつながっているからなんだろうなと。


19年のロミジュリは、まりおくんがミュージカルに、そして小池先生に出会うきっかけとなった作品でした。
その中で見られた姿があまりにも眩しくて、どうかここからミュージカルの世界への道が開けていってほしい…!と強く願った作品に、今年主演として帰ってきてくれたことが、本当に嬉しくてなりません。
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2年前はグランドミュージカルデビューを全力でお祝いしたいという気持ちで感想を書き残していたけれど、こんな未来が待っていようとは。
カーテンコールでの挨拶では、きっと個人としての達成感や去年果たせなかったことへのリベンジの思いもあるはずだけれど、その個人的感慨ではなく、あくまでも「座長」としての言葉を選んでいたことにも胸打たれました。
「本日こうして無事にこの作品の幕を開けることができましたが、それは普段から気をつけて生活をなさっている皆さん(客席)と、支えてくださるスタッフの皆さん、そして役者の頑張りで叶えられたものだと思います」
といったような内容の挨拶を1回目のカーテンコールでしてくださったんですが、そこでの言葉の選び方も個人的にはとてもまりおくんらしいなぁと思うものでした。

演じる側の方々は、どうしても立場上、周囲や足を運んでくれる観客に向けた言葉を述べられることが多くなると思うんですが、そこに最後に「役者の頑張り」という言葉を選んでくれたことが、なんだかすごく嬉しかったのです。
見てほしい気持ちと、見たい気持ちが、劇場でちゃんと重なったのだなと感じることができたというか…。
1年以上、わたしたちはただ「待っている」ことしかできなかったけど、でも待ち続けていてよかったなと、心から思いました。



そもそも「初日を楽しみにする」という感覚を抱くのが至難の業になってしまった今、
以前のような混じり気のない楽しい気持ちだけを手にできる日は、まだ相当に遠いもののように思えますが…だからといって、今を諦めることはできないので。

初日を観劇したあとも、まだどこか心がうまく解放できないような、感情がバラバラに散らばっていてそれぞれの反応が遅れてやってくるような状況にちょっと苦しんではいるのですが、
でもその過程も含めて、今ここに息づいている舞台を観客として受け取れる喜びは、やはりなにものにも代え難いです。
現状を良しとすることは当然できないししたくもないけれど、それでも観劇を愛する者として、今という瞬間に向き合うことをやめたくないな、と思います。


まりおくん、新生ロミオとしての堂々たるデビュー、本当におめでとうございます!
2021年のヴェローナが、どうか1日も長く、1公演でも多く、劇場に息づきますように。
千秋楽が千秋楽のままに幕を下ろすその日を心から願って、これからの公演を、安全に気をつけながら思いっきり楽しみたいです。

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赤坂ACTシアター名物の大ポスター

▼2019年版ロミジュリの感想
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