こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

刀ミュ歌合の福岡公演に行く人へ!西鉄バスの乗り方について解説してみた

刀ミュ歌合、まさに札幌が公演中ですね。来週はいよいよ福岡!
わたしは地元が福岡なんですが、福岡の中心部の移動手段、圧倒的にバスありきで考えられているところがあります。そう、福岡はバスに支配された街。
その覇者の名を、西鉄バスという。
ja.wikipedia.org

先程友人から
「歌合の会場までって、天神からだとどうやっていったらいいですか?」って尋ねられ、
「バスに乗ったらいいですよ!」って気軽に答えたはいいものの、
…いや、乗るバス把握するの、初見だとマジ難しすぎない?
って元・地元民ですら思ったので、簡単にかいつまんで解説記事を書きました!

※本記事は2019年12月上旬時点の情報に基づくものです。各種公式リンクを貼っていますので、最新情報はどうぞご自身にてご確認ください!

~目次~

西鉄バスとは

福岡の都心部のみならず、県内のひろい領域をカバーして走りまくっているバスです。
西鉄西日本鉄道の略でして、要は超強い私鉄なんだなと思ってください。
鉄道会社なのでもちろん電車も走らせていますが*1今回使わないのでいったんおいておいて、とりあえずバス。
福岡市内、バス無限に走ってる。笑えるくらいバスにまみれている。要は本数も路線数も、死ぬほどある。
なので当然便利なんですが、なにぶん数が多いゆえ、初見殺しの感が否めません。

◆前提:今回は臨時バスが出ない

西鉄バスではドームやマリンメッセ等で大きな催し・ライブがある場合、天神・博多エリアから会場直通の臨時バスを出してくれることが多いのです、が。
今回の歌合には残念ながらそれがなかった~!涙
www.nnr.co.jp
国際センターのキャパだと出ないのかも。。マリンメッセなら出たかもね…。同じ週末のGLAY先輩はマリンメッセだから出るようだ。あと歌合とほぼ同じ日程でGENERATIONSさんがドームにいらっしゃるようだ。つまり、そちらに臨時バスは振り向けられたっぽいな…。なるほど。
というわけで、改めてわれわれ審神者は通常の路線を乗りこなして歌合にむかう必要があります。


では本題!どのバスに乗ればいいのか、自分のために調べました。
(細かい乗り方とかは後半に解説しています!)

◆ルート1:天神エリアから福岡国際センターへ

まず乗るバス停ですが「天神ソラリアステージ前2(A)」がおすすめです。理由:場所が便利でわかりやすいから!
天神のど真ん中を突っ切る大きい通り、渡辺通りっていうのですが、その渡辺通り三越とかがある側、西鉄福岡駅がある側にそのバス停はあります。もうmapのストリートビューで見てくれ。これみたら絶対に場所わかるから!笑
www.google.co.jp

乗るバスの番号にはいくつか選択肢があって、

  • 選択肢1:BRT(降りる停留所名:国際会議場サンパレス前)/所要時間12分 おとな190円
  • 選択肢2:系統番号80(降りる停留所:国際センター・サンパレス前)/所要時間10~12分 おとな190円
  • 選択肢3:系統番号90(降りる停留所名:筑港本町)/所要時間10~12分おとな190円
  • 選択肢4:系統番号20(降りる停留所名:石城町)/所要時間10~12分 おとな190円

いずれかになるようです。
※時間帯にもよりそうだけどとりあえず12/13金曜マチネに間に合う時間帯で調べました。
後述しますがこの系統番号でバスを見分けてくださいね!

★一番わかりやすいのは多分BRT

理由:見た目が普通のバスじゃないから!
わたしもまだ乗ったことないんですけど、数年前から車両2台分が連結されてるバスが福岡市内中心部を巡回運行しているそうで、それを「BRT」と呼んでいるらしい。でかくて黄色いので目立つ!
(さっき貼ったソラリアステージ前のバス停のストビューにも思いっきり写り込んでた)
www.nishitetsu.jp
見た目が明らかに「お前がBRTか!」という感じで誰にとってもわかりやすいので、乗り間違える心配もなく、初めての人でも安心して乗れるんじゃないかと思います。
130人乗れるって書いてあるから、審神者の運送にも活躍してくれるのではなかろうか…?
(補足:上記のリンクから時刻表とバス停の場所が確認できるのですが、BRTのルート内で単に「天神」と表記されているのが「ソラリアステージ2(A)」になります。)

★「国際センター前」以外の到着バス停について

筑港本町(ちっこうほんまち)、石城町(せきじょうまち)いずれも、国際センターから見て一本内側の(=海から遠い)通りにあるバス停なので、会場の目の前ではないのですが、本当にすぐ近くに到着します。
バス停名をいれてググってmapみたらすぐそこだな!ってわかると思いますので、ご確認ください!
参考に筑港本町はこのあたりにつきます!

◆ルート2:博多駅エリアから福岡国際センターへ

乗るバス停は博多駅西日本シティ銀行前F(キャナルシティ方面)」です。
博多駅を博多口から出て(新幹線からは遠い方。アミュプラザとかKITTEとかがある、より賑わってる方)、目の前の通りを向こう側に渡ったところにあるバス停です。これも場所は超わかりやすいはず。バス停はここです。
(あ、ちなみに駅前にあるような大きなバス停には屋根がついてて、その屋根にバス停名が書いてあるのですぐわかりますよ。)

こちらからも乗れるバスの選択肢はいくつかあって、

  • 選択肢1:BRT(降りる停留所名:国際会議場サンパレス前)/所要時間11~13分 おとな240円
  • 選択肢2:系統番号99(降りる停留所名:石城町)/所要時間11~13分 おとな190円
  • 選択肢3:系統番号88(降りる停留所名:石城町)/所要時間11~13分 おとな190円

いずれかになるようです。
※天神エリアと同じく12/13金曜マチネに間に合う時間帯で調べました。

天神と同じく、BRTが使えるので不安な場合はそれを待ってしまうのが楽かもしれませんね!
(要は天神と博多、同じ循環バスでも逆方向から向かう形になっています。循環ルート的に博多から向かうほうがやや遠回りになるので料金が240円になってるようです)

ちなみに博多駅方面から来た「石城町」だと多分このへんにつきます。

★飛行機で来る人は、とりあえずなにも考えず博多駅まで行こう

なにせ、福岡空港から博多駅までは地下鉄で10分なので!御存知の通り爆速なので!
この近さまじで意味わからん…って帰るたびに思うんですが、とにかく福岡空港から現地入りする審神者のみなさんは、なにも考えずに博多駅に向かいましょう。


以降はちょっとしたお役立ち情報てきなものです。

◆基本:バスの乗り方

安心してください!各種交通系IC使えます!
福岡エリアにはnimocaSUGOCAはやかけん*2という3種類の交通系ICが存在しており、その時点で「いや何かがおかしくね?」って昔から思ってるんですが(こんな小さい街になんで3種類もICカードがあるんじゃよ)、まぁそれもおいといて、交通系ICの普及は地方都市の中ではめちゃくちゃ早い方に入ると思います。
ですので、皆さんがお手持ちのICで相互利用できるので、そこはひとまずご安心を。

乗り方は簡単。

  • 後ろ側のドアから乗る
  • ②乗り口にあるICパネルにICをタッチする
  • ③降り時に乗務員さんのとなりで再度ICタッチする

で、OKです。
現金の場合は乗る時に整理券を取って、その番号の小銭を払おう!

◆バスの「系統番号」をぜったいに把握しよう

バスの正面の電光掲示板に書いてある番号のことです。さきほどルートの紹介で「系統番号」って書いた番号ですね。
行き先名じゃバスの判別はまず無理ゲーなので、この番号で自分の乗りたいバスを特定しましょう。
同じバス停に、全然違う方向に行くバスもばんばかやってくるので、間違っても来たやつになんとなく乗ったりしてはいけませんよ!笑
自分が乗りたいバスの番号を把握し、やってきたバスに対して「それと同じ番号だな!?よし!」と確認した上で乗りましょう。

◆バス利用検討するなら、とりあえずアプリ入れるのおすすめ

「にしてつバスナビ」というアプリがあります。
自分がのりたいバスを検索すると、今どのあたりにいるのかの最新位置も教えてくれたりします。
(サイト版だった頃しかしらないけどアプリになってた、使いやすかった)
www.nishitetsu.jp
上記で紹介したルートは所要時間含めすべてこのアプリで確認したものです。ぜひご自身でも検索してみてください!当日はそれで確認しながら移動することをおすすめします。
西鉄公式のWebサイトで出てくる検索情報、なぜか画面遷移先で別ルートが出てきたりしちゃったので、アプリで確認するほうがよいと思います…。笑)

また、「バス停の名前がそもそもわかんないよ!」っていうときは、
乗る場所の指定で「ランドマーク」を選ぶと「天神地区」とか「博多駅地区」とかの粒度で乗れるバスをサジェストしてくれます。

f:id:anagmaram:20191207155806p:plain
地名や施設名を入れてランドマークを選択すると、下にサジェスト出してくれる
↑ただこれ、ランドマーク検索すると「出てきたバス停がどこにあるのかを突き止める」っていう作業が生じてしまうのがつらいところだな、と思った…笑

バスナビ、翌日以降に福岡観光予定されてる場合なんかにも、役に立つかもしれないですね!

◆バス停、整列乗車したくてもできないがち

日常的にバス運行に遅れは当然生じるので、「後から来るはずの別の系統番号のバスが先に到着する」とかもザラにあります。
また市内中心部のバス停だと、発着するバスが多すぎてバス停に収まりきらないこともしばしば…。
到着のタイミングが重なってしまった場合は、「いやそこもはやただの道端やん、バス停じゃないやろ!?」みたいな数メートル離れた場所でいきおいよくバスがとまり、そのまま乗降が始まったりします。
…なんかわりとそんなカオスな感じなので、人の多いバス停にいると「うわ~これどう並んだらいいかわからない!」って思うと思うんですが、地元の人もそう思ってるので、あんまり気にしないでください…。笑
無理に追い抜いて強引に乗り込んだりしなければ大丈夫だと思う、、笑

◆終演後、「福岡国際センター」からの帰りは?

帰りはねぇ…。笑
行きと違って、いっせーのせ!でみんな同時に帰りだすので、臨時バスが出ない時点でバスのみでは輸送キャパを超えてるんじゃないかな、と正直思っています。ほんとわからないですね。。
行きに乗ってきたのと同じような系統番号のバスが来ると思うので、天神に行きたい人はとりあえず天神方面って書いてあるバスに、博多駅に行きたい人は博多方面って書いてあるバスに、とりあえず乗るといいと思う(いきなり雑)
あとは大博通りをまっすぐ博多駅方面に進んで「呉服町」から地下鉄に乗ってしまうのも手かなと。国際センターからなら、15分あれば着くのではないかしら。

呉服町駅からは天神へも博多へも、地下鉄では2駅です!

あと、師走の木・金曜日、どう考えても忘年会シーズン真っ只中なので、基本的に夜の道は混むと思います。帰りバスをあてにしてるとなかなか乗れなくて身動き取れなくなる…なんてことも、もしかしたらゼロではないかもなので、上記のとおりちょっと歩いて地下鉄に乗るか、タクシー相乗りも選択肢に入れておくとよいかと思います。(ただ道が混んでるとタクシーも同じくアウトではあるけど。。)

◆タクシー利用はあり?

全然ありだと思います。
博多駅からも天神からも、混んでなければ10分ちょっとくらいで着くはずなので、複数の友人と一緒であればタクシー使っちゃうの楽だと思います!とくに昼間。
帰りにどの程度国際センターにタクシーが待っててくれてるかは、正直わたしにもわかりません…!笑
どうしてもすぐに乗りたい場合は時間指定して予約することになるかなと思いました。

◆ソワレの会場戻り時間に気をつけよう

開演が19時なので、夕方の道の混み具合も勘案して、スムーズに会場に戻れるようにしておくとよいかなと思いました!
万が一の場合、ALL徒歩でも、天神からなら25分くらいでいけなくはない、と思う。歩こうと思ったことないけど…!



以上、ツイッターで書くには情報量が多すぎたのでブログにしてみました。
私はいま福岡に住んでいるわけじゃないので友人に最新情報聞いたりしつつ、住んでないからこそわかる「外から来た人」が知りたそうな目線でまとめてみましたが、お役にたてばうれしいです。
在住期間は本当にバスを乗り倒していたので西鉄バスにも愛着はある。そうだわたしは福岡がすきなんだ!(わかったよ)

は~幕末天狼傳ぶりに刀ミュで帰省できるの嬉しくてたまらないです。
みんな!歌合を楽しんだあとは、福岡の美味しいものたくさん食べて帰ってね~!


…というわけで、最後にだいすきなうどん屋さんを唐突に紹介して終わります。
ソラリアステージ店は、天神のルートで紹介したバスのりばのすぐ近くだよ!
なんと福岡空港店もできたのでぜひ食べてみてね~!
inabaudon.com

*1:太宰府天満宮九州国立博物館に行く時に福岡天神駅から乗る電車、あれが西鉄です!西鉄大牟田線といいます。

*2:nimoca西鉄SUGOCAJR九州はやかけん福岡市営地下鉄を運営している福岡市交通局がそれぞれ発行主体。

【ネタバレなし】刀ミュ 歌合 乱舞狂乱 初日in長野ビッグハットを見た感想

わーんついに今年も始まってしまった、冬の刀ミュの一大事…(いちだいじって…)
刀ミュ「歌合 乱舞狂乱」初日公演の11月24日、in長野ビッグハットに行ってまいりました!
もう始まる前から「いったい今年は何を見せられるんだ?」という、完璧にステータス:<怯え>だったわけなんですけれども…ほんとこわかったんだけど…
結論から申しますと、公式から「ネタバレしないでね!」っていう正式なお達しがありましたので、まじでネタバレはいたしません。
さじ加減を考えて、本記事の構成要素、こうなりました。

~この記事を読んでわかること~
  • 歌合 乱舞狂乱初日を見た人の心情、感想
    • 見たものについては一切具体的な説明はせず、結果として湧き上がった感情だけを書きます。何があったのかは絶対わからないように書いてやる。笑
  • 鶴丸国永さんがかっこいいこと
    • これは単に言いたいだけです!(でしょうね!)
  • 客席降りについて
    • ここは情報としてほしそうな人が多いので&そういう意味でのネタバレが禁止されたとは思ってないので(歯に物が挟まった言い方になってしまう…笑)
  • など、ネタバレを一切しない範囲の【感想】
~この記事を読んでもわからないこと~
  • 具体的なセトリ
  • 特定の刀剣男士の見せ場
  • 歌合ってそもそも何
  • あの怖い動画何

…こんな具合でいきます!
いわゆるエモバレも一切見たくない!という人は、どうぞご自身の目で体験される日まで読まないでくださいませ!




◆ステータス:怯えは、ステータス:放心に変わった


ほんとこれだった。これすぎた。
始まる前の怯えは、見た結果、放心からの100%の混乱になって終わりましたね…いい意味で!

歌合、なにを見せられるのかまじで予想できなかったのでまぁなんの予想もしてなかったんですけど(ひらきなおり)、
もうなんていうか「そ、そう来るかァ~!?」のオンパレードでした。見たものを今思い返しても「なんちゅうものを作ってしまったん?」という気持ちになる。
らぶフェス2018はお祭りとしての集大成だったわけでして、どちらかというと「まじかよ、ここまでできるのか」みたいな、あくまで【お祭り】としての受け止めの覚悟はあったけど、レベル感として予想を超えてこられたことへの驚きが大変…という感じだったんですけど…。今年はガチで、未知の領域すぎました。


脚本家が複数いる、ということの威力が凄まじかったですね。今まで見たことのない刀剣男士たちの姿がたくさん見られた気がする。
で、タイトルどおりの「乱舞狂乱」だった。なにが言いたいかと言うとね、
乱舞狂乱すぎて、刀ミュくん、感情が急。いやまじで急。
わたしに言われたくないと思うけど、まじでいっぺん落ち着いてほしい。


「待っ!待って!ちょっと待って!いっぺんストップストップ!落ち着いて!」
ってなる感じの、緩からの急、いや違うな?急からの急か!?ってなる展開のオンパレード。
”感情表現の起伏が急”、とか、”情緒の動きが急”、って補ったほうが正しい日本語なんですけど、ざっくり「感情が急!」って言う方がなんだかあの驚きにそぐう感じする!
「まじで待ってくれ、心の準備できてねぇ~~~!!!」ってなる瞬間が多々ありすぎて、いやなんかもうどうしたらいいのか…見てもらったらわかります!笑

なんかねぇ、色んな人が色んな目に遭うと思う。予想しても受け身が取れないことがたくさん起こると思う…。どう、怖いでしょう?怖いんですよ!!!
恐ろしいな~刀ミュくんほんと相変わらずだな~!って、見終わったらヘトヘトになった。めちゃくちゃに楽しかったです。

「今まで見たことない」でいうと、途中、刀ミュでこんなに笑ったことないよなってくらいに爆笑する時間があって、昼公演も夜公演も本当に誇張じゃなくわたしはお腹が痛くなりました。笑いすぎて。あの大きな会場じゅうがぶっ壊れたように笑っていた…
その笑いが、確かな表現力の上に成り立っているっていうのがまた、にくい…!
その場に集うひとたちの実力があるからこそ、あの止まらない大爆笑が生まれるわけだよね…と冷静になった今は思う。昨日はただ、ひたすらわらいじにそうになっていた。あれ、稽古場で出番じゃないキャストも絶対わらいじんでたと思う。その話早く聞きたい~!
(※ちなみにこの大爆笑のシーンの直後に一切予想してないものがものすごい勢いで飛び込んでくるので、「いやほんと感情が急!!!」ってなりました)

◆えっ…鶴丸どこまでかっこよくなっちゃうの国永さん…!?

もうさ~大変だったんだけど!!?ねえ!?大変だったんだけど!?(おちついて)
もうやだ逃げたい!ってなった。かっこよすぎて。あんなの泣いちゃう。

歌合の鶴丸かっこいい国永さんを見た結果、「葵咲本紀からさらに成長してきなさったーーーーッ!!?」ってなってもうだめの人になってしまいました。あれはだめです。びっくりした。えっ…まだびっくりしてる…
何がどうかっこいいのか言いたいんですけど、それを話すとつまりは中身や演出に触れるので言えません!でも本当にめちゃくちゃに
かっこいいです!!!(大声)

え~~…まじですごい…ほんと…21歳の伸びしろかくや、って感じ。今思い出してたけど具合悪くなってきた。さいこうすぎて。なにあれ?どういうこと?バグる。
鶴丸を見るのをたのしみにしている人は大変な目に遭うので覚悟したほうがいいですよ!命に危険がおよびますからね!!!
葵咲本紀も大概だったけど、歌合もまじでやばい。進化に感情が追いつけなくて頭の中で大事故が起きてます。
鶴丸役のくるむくん、長野がご出身だそうで、つまりいきなり初日が凱旋で地元に錦を飾る形に…となり、よかったねぇ…とおたくはしみじみとしていました。よかったねええええ!!!!!(どさくさにまぎれて言いたいことを言う作戦)

でさ、それだけめちゃくちゃにかっこいいのにさ…二部衣装の時、いきなりウルトラキュートになってしまうのなんでなん?どうしたらいいん?ってなりました。つらい。ヒーン。。
なんかもうほんと、わたしは葵咲本紀以来かんぺきに刀ミュの鶴丸国永のおたくになってしまっているわけですが、キャスティングの確かさがもはや恐ろしくなるというか…狙いや期待がここまでハマることもそうそうないのでは?っていう奇跡を見せつけられてる気になってる。
くるむくんを見出して鶴丸という役に据えた刀ミュの偉い人たち、本当にものすごい仕事をやったなと思う…そしてその高すぎると言えそうなハードルや期待に努力と才能でバチバチに応えてみせるくるむくん。。…うわ~んもうだめだ~!!!(泣きながら夜道を走り出す)
歌合で初めて生で鶴丸見た人もたくさんいると思うんですけど、びっくりしたでしょう…という気持ちです。わたしはまだびっくりしてるよ。

◆某曲が、あまりにも和田俊輔さん

とりあえずこれだけは言いたい!某曲があまりにもわだしゅん節炸裂!!!
和田俊輔さんは舞台オタクの中では、脚本家の末満健一さんとタッグを組む機会が多いことで知られている作曲家さんかなと思います。わたしがはじめて和田さんの音楽に触れたのはTRUMPです。他に2.5次元の演目だとずっと「ハイキュー!」の音楽を担当されていますよね!(初演を見たきりなんだけど、ハイステのメインテーマもめっちゃかっこいいよね!)
作品にぴったりと寄り添いつつも、個性が鋭く光るメロディ。その旋律によって刀ミュの中に新しい扉がガンガンに開いたことを客席で体感してのけぞった。
刀ミュの世界観の中であの感じの曲調を聞くことになるとは!?っていう凄まじい衝撃。なんかほんと、、すっっごい曲なんですよ!詳細についてなにも言えないから、ものすごく頭がわるい文章になっていることを感じます!
たぶんわかる人には「あの曲でしょ!?やばいよね!」って首がもげるほどうなずいてもらえるところ…。あれはあかん…要素の色々が相まって、思い出しても鳥肌が立つ。
本当に、唯一無二のメロディーラインを書かれる方ですよね。今回あたらしく刀ミュに関わってくださって嬉しさの極みでした。。は~はやくもう一回あの曲を聞きたいよ…すごいものを見た…。

◆タイトルを明かさないでセトリについて書くコーナー(?)

以下、歌われた二部曲についてのわたしの感想(一部)です。箇条書き単位で一曲になってます。
全曲に触れているわけではないと思うし順番も前後しちゃってるんですけど、初日見ていてわたしの好みや思い入れを知ってる人はどれがどの曲に対するキャプションか当ててみてください!…んな無茶言うな!笑

  • 「えっっっ嘘やろ!?まじで!?その歌やんの!?えっ、ていうかまってえっ、アーーーーッ(死)」
  • 「いやいやいやさすがにそれは嘘でしょ?それをそう!?その組み合わせで?正気か?えっ、いや待って、アーーーーッ(死)(2回目)」
  • 「ワーイやった~~~やってほしかった曲だーーー!!!やるべきだと思ってたよ!!…と思ったらなんかすごい斬新な演出挟まってきたー!?」
  • 「オリジナルメンバーかと思いきやこりゃ一大事、あの刀剣男士がいねぇ!?でも代わりに入ってるあの子がちょうかわいい!」
  • 「うわーーーーん(ただ号泣)すき!!!だいすき!!!!!」
  • 「えっ今年あらためてそれやるの!?意外すぎるんだけど!?振り付けが健在で嬉しい!」
  • 「(大好きな曲だけど今年聞くと心がバラバラになるので初日イントロで号泣)」
  • 「ギャーこれは大きな会場で聞くと最高にハマる最高の曲…すき!!!」


…こんなかんじです!どんなかんじだよ!!!(放り投げて次に行きます)

◆客席降りについて

今年とりあえず長野で歌われたのは「100万回のありがとう」と「勝ちに行くぜベイベー」でした!回がわり要素は告知されていないので、曲は変わらないんじゃないかな?と思います。
勝ちに行くぜベイベー、予想どおりすぎてめちゃくちゃ嬉しい~!タオルをぶん回すいわゆるタオル曲はこれでした。
でね、今年は去年の幕張方式で、降りになると着席が指示されます。堀川くんだったかな?「ここからは僕らが主さんたちの近くに行くので、座って待っていてくださーい!」てきなことを言ってました。
個人的にはこれめっちゃ嬉しい。視界良好だから誰がどこにいるのか見つけやすい。
あとキャストのことを考えても絶対そのほうがいいと思う、意図的でも意図的じゃなくても通路にはみ出してくるお客さんを防げますもんね。大きな会場で立ち状態だと、通路に降りてる間キャスト陣にスタッフさんからもおそらくは目が届きにくいだろうから、ちょっと心配だなと思う部分があったんですよね。なので着席スタイル大賛成ですー!
ルートがどうなのかはわからないけど、みた感じ昼夜大きく変わってないっぽかったな。
今回けっこう会場サイズに幅があるので、会場によっては変わるんだろうな~って気持ちです。ちなみに鶴丸さんは3階にいたので相変わらず高いところがお好きなんだな!ってなった。(あとでアリーナにもステージにも来たけどね!葵咲本紀ではやたら2階3階にいらっしゃりがちだったのでした。)

◆ペンライトに関するおすすめ

これは超個人的な感想なんですけども!
去年までは各公演から選抜して上限の6本持ち込むおたくをやっていたのですが、今年は見てみた結果、作品の構成にも、それやんなくてもいいかもしれないな?ってなりました。
なにせ先述のとおりミュージカル刀剣乱舞くんの感情が急なので、対処するのがけっこうたいへんだったというか…演出上どうしても立ち座りが頻繁に起こる部分があるので、集中して楽しむためにはペンライトについては取り回しが楽、かつ早いことがこれまで以上に大事かも、と感じました。(本数たくさん扱いたい派じゃなければそもそも困らないポイントだけどw)
わたしは推しの色は最低3本光らせてないと心に不安が生じるので、葵咲本紀カラーで3本、あと1本は公式の18色出せるやつ買おうと思いました。店舗販売分で遠征前にゲットできたらいいなー。

◆名は体を表す。まさしく「乱舞狂乱」でした

タイトルが発表になったとき、「いや、公式が狂うって文字入れて来ないでほしい(※狂うのはおたくの専売特許の意)」とか「2回乱れるって字が入るのほんとどうなの!?」って感じのことを口々に語っては怯えていた我々なんですが、なんていうか…見事なくらいにタイトルどおりの演目だったなあと実感しました。
乱舞狂乱とは本当によく言ったもので…!だからこそのこういう構成なんだな、って納得する部分も多々あり。コンセプトを偉いひとたちが会議で決めたんだと思うけど、何に挑戦したかったのか、何をお客さんに新しく提示したかったのか、ある意味すごくわかりやすく伝わってくる部分もある気がしました。


そして、ここまで一切触れてきませんでしたが、「歌合」が指すものについて。
もうこれは…ほんとに何も言いません、見て体感してください!そして驚いてください。という気持ちです。

ミュージカル刀剣乱舞という世界の中では、描けることに限りなんてない、ということを今回まざまざと見せつけられました。まだまだ、この世界には先がある、深まっていく、その予感に胸が熱くなる。
いつだって見たいものを見せてくれるんだけど、それだけじゃなく、全く予想もつかない新しい景色を見せてくれる、それが刀ミュだなと痛感しました。
エンターテイメントに対して本気な人たちだけが、この作品に集っていることがよくわかります。そうじゃなきゃ、あんなもの絶対に作れない。
いま同時代に生きて、観客としてその試みや新しい表現を受け取っていけることがやっぱりものすごく嬉しい、って思った一日になりました。
刀ミュが好きでいられて楽しいし幸せだよー!って心底思う。そんなふうに感じられる演目に出会えることが、そもそも奇跡みたいなものだと思います。



中身についての本気の感想ももちろん書くんだけれど、今年はいつアップしてよいものかわからないから…とりあえず水面下でひっそりと書き溜めておくことにします。初回の衝撃が薄れないうちに!

今年の冬もなんだか大変なことになりそうです!

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長野ビッグハット外観。昨日は季節外れの暖かさだったらしく、天気に本当に恵まれた一日でした!楽しかった!

刀ミュ 葵咲本紀 全体を通しての感想その3(まとめられない断片的な思い出たち)

「エッ、さっき葵咲本紀の話はもうおしまいって言ってたじゃん!?」なんですが、なんていうかこう…まとまった文章にはしきれないけど、言いたいことってほんとうにまだまだたくさんあって。。
記事にする中でこぼれ落ちた内容を別メモに移したりしてたんですが、そのまま書かないでいるのももったいないなぁと思えてきて、書けるだけ書いておこうかなと。歌合の前に…笑
以降、すべて箇条書きに近いスタイルで、前後の項目には全然つながり無いです!




◆一夜を駆け抜ける物語

ヤンジャンの対談で茅野さんが脚本に対して言っていた内容、見てみてなるほどなぁと思った。
たしかに、疾走感というか、ごく短い時間軸の中におきた出来事をたどっていくタイプの物語、実は刀ミュでははじめて。
今まではもっと長い時間のお話ばかりだった。みほとせは言わずもがなだけど、それ以外の作品も、数ヶ月~数年の開きのある歴史上の出来事の現場に立ち会っている場面が多い。
鶴丸たちが村正と蜻蛉切に合流して、そこから検非違使からいったん逃げるために二手に分かれる。わかれた先でそれぞれの集団の中でちょっとした衝突や相互理解を繰り返しながら再び合流。そこへ現れた検非違使鶴丸がひとりで引き受けて、その間に5振りは秀康を正気に戻すことに成功。最後に重傷を負いながらも検非違使を追い詰めた鶴丸が戻ってきて、全員で検非違使にとどめを刺す。…なんと、ここまでが一晩の出来事!
途中で回想シーンが複数はさまれはするけれど、時間軸としては本当にたった一夜のお話なんだな、と思うとびっくり…。そう考えると冒険活劇っていう色も強いよね。
徳川家っていう歴史の大本流を描くからこその、オープニングの大河ドラマ然とした演出も最高にハマってた。「葵咲本紀」っていうタイトルがババーン!映し出された時、かっこよさというか、重厚感あふれる演出から滲む作品への自信に、ひっくり返るかと思った。
やっぱり描き方というか、作品の組み立てに、新しい部分が多々見受けられる新作だったなぁと改めて。

◆舞台セットの文様について

あれ、モチーフは青海波じゃないのかなぁって思ってたんだけど、どうかな、違うかな…。
なにか青海波に特別な意味があるのかなって思って調べてみたところ、「どこまでも続く波のように、平穏な生活がずっと続きますように、という意味が込められている」といった感じの説明のサイトをたくさん見つけた(けど、原典というか根拠資料にまではどこでも当たれず!)。
広辞苑にも純粋に波をモチーフとした文様、っていうシンプルな説明しかのってなくてううむ。
でも日本大百科全書によると

日本では奈良時代以降今日に至るまで吉祥(きっしょう)模様の一つとして愛用されている。

とのことなので、おめでたい文様であることは間違いがないようだ、なるほど。

平穏な生活が未来永劫ずっと続きますように、っていう願いが本当に青海波に込めてあるのだとしたら…それはまさしく、泰平の世を望み続けた家康の姿に重なるし、百姓という立場からその同じ夢を描くと決めた信康の思いでもあるよな…って思った。
それを背景に描かれる物語だとしたら、なんというかすごくグッと来るものがある。

◆秀忠と信康

秀忠と信康のシーンを見ていて思ったこと。
秀忠は、いきなり見ず知らずの男に「秀忠殿。…少し、儂と夢を語ってくださらんか」って声をかけられるわけだけど、それにしては随分とすっと返事を返している。
怪訝そうな表情ではあるんだけど、そこには警戒心があまり見られない。
ここ、原嶋くんの演技が後半とくに変わったところだなぁと思ってみていた。
なんというか、秀忠から信康に対しては「この人、どこかで…?」っていうような、なにか自分に縁のある人物なんじゃないか、って思っているような印象を受ける。
只者ではないって思っているというか。
あのシーン、信康が生きているのはいわゆる「本当の歴史」では無いわけで、刀剣男士たちが(というか、この点に関してはもはや三日月が…)作り出した継ぎ接ぎの歴史なんだけれど、
その中で兄と弟が邂逅して、弟の迷いを兄が振り払ってやる、っていう優しさに満ちたシーンであることに、ぼろぼろ泣けて仕方なかった。
「ごへいちゃん殿!」って嬉しそうに顔中に笑顔を広げた秀忠が、信康にお辞儀をした時、信康はさっと表情を引き締めて、深々とした礼を返す。
あの瞬間、信康は自分の”弟”に対してではなくて、”未来の天下人”に対しての礼を返していたな…って思ってみていた…そしたらまた涙が止まらなくなった。

◆「本当にそうか?」っていう御手杵の問いかけについて

「なぁ…歴史から消されるって、どんな気分なんだ?」「別にどうってこたぁねえよ」
このやりとりの後に、御手杵が貞愛にかける言葉。
あのセリフの意味をずっと考えながら見ていて、凱旋の何度目かで自分の中で答えが出たかな?って感じたことがあった。

「だったらお前が覚えてろ。…俺もお前のこと、覚えててやっから」

何度目かの観劇でこの貞愛の言葉に触れたとき、あぁ、後世に出来事を繋ぐのは人の”思い”なんだ、ってことを痛いほどに感じた。
その思いを受け取った刀剣男士だから、歴史を守ることができるんだな…。

御手杵は元の主である秀康が、天下人になることの叶わない悲しみや苦しみを抱いていることをわかっている。元の主である彼に、本当は華々しい姿を叶えてほしかった、っていう思いもきっと持っていたんだと思う。
でもその秀康の悲しみすらも、そもそも決して表舞台に出てこない貞愛の存在の上に成り立っていることを、御手杵は今回はじめて知ることになる。
表舞台に出ている中で、役割を担えないことに苦しんでいる人もいる。じゃあだったら、そのさらに「陰」にいる人の気持ちはいったいどうなってしまうんだろう、という思いが、御手杵の中に募って、それが「本当にそうか?」っていう問いかけに繋がったのかなって。

そして当然、御手杵の中には、三名槍として世に名を知られながらも、焼けて失われてしまったという自身の過去へ対する、言葉に尽くしがたい思いもある。
「歴史から消される」っていう言葉を聞いたとき、御手杵の心には、焼けてこの世から無くなってしまった自分のことが、どうしたって想起されたのだと思う。

あの時御手杵は、貞愛から返ってきた「だったらお前が覚えてろ」って言葉を聞いて、本当の意味での覚悟というか、自分の役割をつかむことができたんじゃないかな、って思った。
貞愛は表舞台には出ない、出ないけど、確かに生きた証がある。
胸を張って「ここに存在したことに変わりはねぇ」って言い切る貞愛の姿に、自分が刀剣男士として果たすべきことがなんなのか、御手杵にははっきりと見えたんじゃないだろうか。
その覚悟が「三名槍がひとつ。御手杵!…行くぞォーッ」のセリフに、熱く込められているなって思った。
あそこの表情、本当にかっこよかった…。

◆秀康と貞愛

東京公演はわたしの理解がまだまだふかまる前だったので、要くんの演技の細部が追いきれていないのが本当に悔しい。。
なのでどうしても代役で演じられたりおんさんの記憶になってしまうんだけど、秀康と貞愛、しっかりと「きょうだい」だったなぁって思った。
鬼哭啾啾のラストで、貞愛が秀康の肩を受け止めたとき、秀康はもうその腕から逃れようとするのではなくて、貞愛の腕に自分の手を伸ばし返している。
家康が鳥居元忠の討ち死にの知らせを聞いた時、秀康はすとんと膝を落として静かに座り込む。それを横からそっと支えるように肩を抱く貞愛に対して、やっぱり秀康は自分の手を伸ばして、そっと貞愛の腕に触れる。
引き離されて育てられ、全く異なる立場の人生を歩むことになったふたりだけど、その様子を見ていると、ふたりは変わらずにずっと「きょうだい」だったのだなぁ、と思えて…
血の繋がりだけが家族じゃねえ、なんだけど、同じ時に、同じ血を引いて、この世に生を受けたふたりには、どうしたって他には変えられない、分かち難い絆がある。
道も立場もわかれてしまっても、断絶してしまうのではなくて、ちゃんと通い合うものを持ち続けていることが伝わってきて。
「ただいいか 忘れるな 歩むべき道違えど」っていう、二部の徳川兄弟の曲の歌詞が本当に刺さった。

◆「人間じゃないんだから」

明石国行に関してはー!!!
わたしはちょっとどう理解をしたらいいのかがわからなくて、保留にしているところがある…。なんか無理してわかりたくねぇ!みたいな気持ち。
このラストの「人間じゃないんだから」の表情、何だったんだろうなぁ…ってずっと考えている。
あの瞬間の明石は、刀剣男士とはどういう存在なのか、というところに改めて思い至ったのかな…だって、明石はまだ顕現してから日が浅いんだ。
自分たちはモノでありヒトである。人間のようではあるけれど、あくまでも人間とは異なる存在。
そして、そんな独自の存在である自分たちを<刀剣男士>たらしめているのは、過去の人々の「思い」なんだってこと。そんなことを明石は今回の出陣で身を持って体験したんじゃないだろうか。

「すべてを救えないなら、何も救えていないのと同じだ」って言う時だけ標準語になる彼は、犬・猫・蝸牛の存在を通じて時間遡行軍の在り方に理解を深めていく巴ともまた違って、どうやら最初から、時間遡行軍たちが名もなき刀たちの成れの果てであるってことを、予め知っているようにも見える。
顕現してから日が浅い、にも関わらず、いろいろを察している風であるその背景はいったい何なのだろう?って一応考えるんだけど、今は無理にこじつけた答えを出したくはないので、この先の作品で刀ミュがきっと描いてくれるであろう内容を楽しみに待とうかな、と思っている。

◆出陣前に各男士が主と交わした会話は?

鶴丸はね、ともかくとして、ここでは他の男士について。
こてぎりくんは多分だけど、「自分に縁のある刀が結城秀康の側にいる、どうやら時間遡行軍の今の狙いは結城秀康のようだから、その刀も何らかの形で時間遡行軍の企みに巻き込まれないとも限らない」っていう部分を、なんとなく主から聞かされていたのではないかな?という気がする。
主に出陣を告げられた回想をしているシーンで「…いえ、できるかどうかじゃありませんよね。やるしかないんですよね」っていう彼は、自分にしかできない任務としてなにかを託されている自覚をしている風だった。
その後、出陣前に出会う明石に「えらい思いつめた顔してはりますなぁ」って声をかけられても、詳細を語らないところを見ると、そうなのかな…って余計に思う。
鶴丸から作戦曲で「篭手切。頼んだ」って言われてるのを見るにつけ、やっぱりそうなんじゃないのかな、先輩の存在を念頭に置いて出陣していたのではないかな、と。

で、それに対しての、明石国行な~!
「一応、気にかけておきましょか?」の”気にかける”は、篭手切江のことだったのかな…ってちょっと思う。秀康を操る刀に対する対処が、あまりにも端的で鮮やかだったから。(こてぎりくんに止められて実現はしないのだけど)
最初は元の主に対峙することになってしまう御手杵のことなのかな?とも考えたんだけど。いや、後で明石はその二人に対して諭すような歌も歌ってるし、どっちもに対してかなぁ。。うーん…
でも多分こてぎりくんのことだったような気がする。たぶん。。

仮にそうだとすると、いや刀ミュ本丸の主、あんた…ってなるよね。
だってつまりこてぎりくんに作戦の根幹部分を任せながら、そこで明石とこてぎりくんがぶつかるだろうことまで想像しているわけでしょう。で、きっと主の想像どおり、こてぎりくんの思いに揺さぶられた明石がある種態度を変容させるであろうことまで読んでいるってことになるのでは…ええ…(こわい)
さらに最終的にすべてを引き受けて場を収集する役割は、まるっと鶴丸国永に任せていたわけですよね。。
どの刀剣男士がどう動くかを、ほぼ完全に見切っているのではないかと思わせられる、あの本丸の主。。
「ま、どうせ君が無茶苦茶な任務をやらせて鍛えたんだろうけどな!」ってあけすけに言ってのける鶴丸、なんというか今までみんなが言いたかったことを言ってくれた!感があった。笑
ほんとだよ!まじで無茶苦茶な任務ばっかりやぞ!

葵咲本紀における「刀剣男士たちが見ている角度がそれぞれにバラバラ・情報格差が部隊の中に存在している雰囲気がある」っていう状況が、本当につはものを彷彿とさせた!この点においては、2作品の作りがそっくりだった気がする。
…まぁその感覚がまさかの三日月宗近によって補完されてしまうんだけどね!涙
まじで忘れられん。なんで私は8月3日に突然推しの姿を銀劇で見ることになってしまったんだろう…。ひどい目にあったな…(遠い目)



とくにまとまってないです、言いたいことを書いただけ!丁寧にまとめることは放棄してるので、ある意味ツイッターのつぶやきを引き伸ばした感じの文体!笑
葵咲本紀が好きすぎるので…とりあえず叩きつけて満足した!寝る!(もはや日付は歌合当日である。)



▼「葵咲本紀」についてのその他感想記事はこちらにあります
anagmaram.hatenablog.com

刀ミュ 葵咲本紀 全体を通しての感想その2~刀も人も、夢を見る~

早くしないと歌合初日に追いつかれてしまう!という必死さに駆り立てられるようにして書いています。そんな今日の日付は11月23日…しかももはや夜!歌合前日やないかい!笑
去年もらぶフェス福井の前に阿津賀志巴里の記事を慌てて更新したりしてたな(成長してない)。
ちゃんと書けるか自信がないのですが、葵咲本紀で今回メインテーマのひとつとして描かれている、と感じた言葉について、頑張って文章にしてみました。(※いつものことですが長いです!)




◆長らく「役割」を描いてきた刀ミュ。今回新たに描かれたのは「夢」だった

葵咲本紀に対する、私の中での大きな印象のひとつに、この内容があるんです。
折りに触れて「夢」という言葉がとても明確にセリフや歌詞の中で登場する今回の物語。様々な角度から「夢」を描くことが、葵咲本紀のひとつのテーマだったように思えています。


これまで刀ミュの世界では、ご存知の方も多い通り、長らく「役割」についてがメインテーマとして描かれてきました。
それはたとえば、下記のような場面に顕著です。

  • 「ぼくのやくわりはなんだろう?」と、無垢な笑顔で元の主である義経公の元から走り去る今剣。(阿津賀志山異聞)
  • 沖田総司の早逝の運命に苦しむ安定を、側で追い詰めずに見守りながらも、安定が一線を越えそうになった時は自分がかたを付けると決めている清光。(幕末天狼傳)
  • 歴史を守る刀剣男士として、それがどんなに意に沿わないことであっても果たそうとして、慈しんで育てた信康に手をかけようとする石切丸。(三百年の子守唄)
  • 自分たちの実在性に疑問を抱き、その事実が与えるであろう衝撃からなんとかして今剣を守ってやりたいと願う岩融。(つはものどもがゆめのあと)
  • 時間遡行軍の企みにより史実よりも命を長らえる可能性の出てしまった元の主・土方歳三を、命日には必ず殺さねばならないと、覚悟を決めようとする和泉守兼定。(結びの響、始まりの音)

…こうして挙げていくとそれこそきりがないほどに、刀ミュの物語を通底して流れている重要な要素、それが「役割」です。上記以外にも、たくさんの男士たちが、己の役割と対峙し、悩みながら成長していく場面が数多く描かれてきました。
さらに刀剣男士だけでなく、歴史上に生きたかつての主たちも、その時その場で己が果たさねばならないことが何であるのかという内容に対して、痛いほど真摯に向き合い続けています。


葵咲本紀でも、これまでと同様に、その「役割」を感じさせる描写は当然のこととしてあるのですが、それに加えて今回わたしがひとつ特徴的だなと思ったのが、「夢」という言葉の使われ方でした。

そこでより理解を深めるべく、広辞苑にお尋ね。「夢」という言葉の説明は下記のとおりです。(*用例は略しました)

ゆめ【夢】
①睡眠中に持つ幻覚。ふつう目覚めた後に意識される。多く視覚的な性質を帯びるが、聴覚・味覚・運動感覚に関係するものもある。精神分析では、抑圧されていた願望を充足させる働きを持つとする。
②はかない、頼みがたいもののたとえ。夢幻。
③空想的な願望。心のまよい。迷夢。
④将来実現したい願い。理想。

ここに挙げたような「夢」の様々な側面が、葵咲本紀では入れ代わり立ち代わり、といったふうに、様々に色合いを変えて登場していきます。
以降、具体的にどんな場面に夢が描かれていたか、説明してみます。

◆秀康と「夢」

葵咲本紀の冒頭は、暗がりの中にぽつんとひとり立ち、「ここは…?」とあたりをぼんやりと見渡す秀康の姿から始まります。
彼が目にしているのは、これからまさに切腹せんとする兄・信康と、その様子にただ黙って視線を落とす父・家康。
「おやめくだされ兄上!…父上!なぜ止めてくださらないのですか!なぜ兄上が死なねばならぬのですか!」
その悲痛な秀康の声は届かず、信康は覚悟を決めた表情で腹をかっさばき、介錯されて命果てます。
「兄上ェ…!」
そう叫んだ秀康でしたが、そこで「夢か…」と、はっとした表情で我に返ります。そしてどこか嘲笑するような表情でこう言うのです。
「…ふん。くだらぬ夢よ!」

◆篭手切江と「夢」

次に夢という単語が出てくるのは、篭手切江によるM2。
歌って踊れる付喪神を目指している彼は、心の中に描く”夢のすていじ”を思い浮かべ、本丸でひとり歌い踊ります。
篭手切江の心の中の情景が幻となって現れていることを示すような、ダンサーさんたちと一緒になったにぎやかなダンス&歌唱シーン。
しかし盛り上がった歌がラストを迎えるところで、ダンサー陣はさっと掻き消えるように姿を消していきます。はっと気づいた篭手切江の周りにはもう既に誰もおらず、そこにいるのは彼ひとりだけ。
さっきまでの光景は…?と一瞬虚を突かれたような表情になる篭手切江ですが、すぐにまた笑顔になり”今はまだ夢を 見ているだけ”と、自身の状況を語るように歌うのです。

その次の御手杵との”れっすん”のシーンでも、夢ははっきりとセリフの中で語られます。
御手杵に「なぁ、なんでれっすんを続けてるんだ?」と尋ねられた篭手切江は、こう答えます。「それは…夢があるから」と。

御手杵と「夢」

上記の篭手切江とのやりとりの直後、篭手切江が発した「夢」という言葉に反応した御手杵は、怪訝そうな顔から徐々に苦しそうな表情へと、顔つきを変えていきます。
そんな彼の背後を覆い尽くすようにばさりと降りてくる、大きな面積の真紅の布地。
暗闇の中にはたはたと揺らめくその様子に想起されるのは、当然のことながら、「炎」そのものです。
なにか幻覚を見ているような表情の御手杵は、隣で話している篭手切江の声も耳に入らないまま、顔をしかめて苦しげに、絞り出すように叫びます。
「これは…夢だ!」

◆信康、秀忠と「夢」

そこに更に重ねられるのが、弟である秀忠に対して、信康が語る「夢」です。
武勇に優れた兄・秀康がいるのに、兄ではなく自分が後を継ぐように指名されたことに納得が行かず苦しむ秀忠。
史実上で既に亡くなっているはずの信康は、弟である秀忠に兄としての声をかけることは叶いません。秀康は自身の正体を伏せたまま、秀忠に「わしと夢を語ってくださらんか」と声をかけます。
怪訝そうな表情をしながらも、秀忠は請われるがままに、こう答えます。
「夢…夢ですか。夢というほどのものではないですが、私は、父上が目指す泰平の世を築くことができたら、それでよいと思っております」
その言葉を聞いた信康は、さも嬉しそうにこう呼びかけるのです。
「私の夢も、全く同じにございます!」と。
百姓に身分を変えたのち、かつて武士として生きていたころに一度諦めた「泰平の世を目指す」という夢に、また再び巡り合うことができたと語る信康。
「夢は、身分や立場が叶えてくれるものではございません。願い続けた者だけが、叶えられるもの。…私はそう思います」
そう力強く諭すように語りかける信康。その勢いに押されるように、秀忠は家康から自分が跡継ぎに指名された件について、再び向き合ってみる決心を固めるのです。
「納得の行くまで、父上に、尋ねてみようと思います」と。



こうして見てくると、まさに最初に引用した辞書どおりですが、「夢」とは本当に色々な意味を持つ言葉であることがわかります。
冒頭の秀康や御手杵は、自身の内側にあるトラウマや苦しみを、①、もしくは③として目の前に映し出してしまう。
篭手切江は、④のいつか果たしたい望みとして、眩しい舞台の光景を思い浮かべている。
秀康や秀忠が心に決めているのもまた、大志とも言うべき④の在り方です。


そして夢を語る上で最後に触れなければならないのは、やはり篭手切江の「先輩」について。

結城秀康の所持している刀

今回、結城秀康が時間遡行軍側に取り込まれてしまうきっかけとなったのは、自身が所持している刀と感応してしまったことでした。
劇中で秀康は、敬愛する兄・信康との幼き日の思い出の回想から、その兄を死に至らしめた父・家康への怨みの感情を爆発させます。
舞台上にはその秀康の感情に呼び覚まされたかのように、黒い「陰」のような存在が滑り出てきます。そしてその「陰」は秀康の苦しみに呼応するように、秀康自身が受けた仕打ちを、次々と言葉にして耳元で囁きかけるのです。
「己の子と認めなかった」「まるでモノのように」「たらい回しに」と。
その声によって己の内面にくすぶる様々な思いを増幅された秀康は、ついに腰に帯刀していた刀を抜き去ります。そこで舞台上・秀康の背後に現れるのは、不気味に蠢く時間遡行軍たち。
不遇の出来事に見舞われた歴史上の人物たちの悲しみや怨みにつけいるようにして、時間遡行軍側が彼らの意識を乗っ取るという描写は、刀ミュではある種定番のようにもなってきましたが、今回の結城秀康は、阿津賀志山異聞での義経、幕末天狼傳の沖田総司に続く、3人目のパターンとなりました。


葵咲本紀で出陣を命じられた鶴丸たち4振りには、今回の敵の狙いは「結城秀康である」と主からはっきりと伝えられていますが、それを全うする形で、秀康の刀から生じたこの「陰」と、篭手切江とが真正面から対峙するシーンで、物語はクライマックスを迎えます。

この「陰」のような存在は、篭手切江にとっては”先輩”=縁のある刀であることが(詳細な背景は明確には語られませんが)、途中で明らかになります。
篭手切江は、今回の事態への対処について、異なる見解を持つ明石との衝突を経ながらも、”先輩”をなんとかして救いたいという思いを抱き続け、クライマックスのシーンではそれを実現させようと試みます。
秀康の目を覚まさせよう、操られている状態から解放しようとする上で、その原因となっている存在=先輩の刀を折るのではなく、あくまでも語りかけて阻止しようとする、という手段を選ぶのです。

決意を固めた篭手切江がその刀を握ると、刀は途端に暴れるように動き出し、篭手切江の全身を振り回しはじめます。同時に舞台上には陰のような存在がまろびでて来ますが、その場にいる誰にも、その姿は映っていないように見えます。
緊張感のみなぎる表情で見守る刀剣男士たちに、必死で「大丈夫です」と叫ぶ篭手切江。「これは僕が向き合わなくちゃいけないことなんです!」と覚悟を決めている彼は、「思い出してください、先輩!」と懸命に呼びかけます。
その篭手切江の声に、「お前は…誰だ」と応じる様子を見せる陰。
「僕です、篭手切江です!」
「篭手切江…?」
その声に、何かを呼び覚まされたのか、”先輩”は再び激しく蠢くように動き始めます。
それに再び操られた状態になり、体を引きずられるようにして動く秀康。
二人はここで、とある歌を歌います。

◆「先輩」と夢

この場面で、”先輩”と秀康の二人によって歌われる歌は、「鬼哭啾啾」というタイトルであることが後日明かされました。
「しゅう しゅう」という音は、作品の冒頭に歌われる秀康の歌の中でも何度も繰り返されるのですが、「きこくしゅうしゅう」という単語自体、私は観劇の間では聞き取れなかったし、そもそもこの言葉の意味も知りませんでした。
でもただ、この音を聞いて、「ああ、哀しくて泣いているんだな」っていうことは、見ていて自然と伝わってきていました。
声と音の響きに、あまりにも哀切が満ちていたから。

  • 鬼哭啾啾(きこく-しゅうしゅう)

浮かばれない霊魂の泣き声がもの哀しく凄い感じであるさまを表す語。

つまりおそらく、”先輩”、そして”先輩”に感応した秀康にとっての夢とは、②の意味の存在だったのでしょう。

②はかない、頼みがたいもののたとえ。夢幻。


決して手の届かないものとしての「夢」。
それを望む切なる思いが、叶えられないことへの悔しさが、秀康と”先輩”を結びつけてしまう端緒となってしまった。

描かれていない話なのでこれは完璧に想像でしかありませんし、史実も一切無視したものとして聞いてほしいのですが、
"先輩"は、まるでたらい回しのように3つの家を行き来させられた自分の主=秀康の不運と呼ぶべき状況に、なにか憤りのような悔しさを「モノ」なりに感じていたのかもしれません。
もしくは、”先輩”には過去にそのような不遇の目に遭った別な持ち主がおり、その記憶を保持した状態で秀康に出会ったため、秀康の状況にその悔しさを増幅させていくに至った…など、いろんな可能性が考えられるな、と思いました。*1

秀康は、その力を誰よりも強く示さねばならない/示すことのできたはずの天下人の子として生まれたにも関わらず、いつも天下とは縁遠い場所に追いやられてきました。
そんな彼がその手に<刀>を握るとき、いったい何を思っていたのか。
誇れるはずの生まれ、華々しさを伴うはずの血筋。
でもそれ故に、父は幼い自分を無下に遠ざけ、さらには敬愛してやまない兄の命まで奪った。
武士にとって、常に傍らにあるもの。それが刀。武人の誉である刀を手にしながら、秀康の胸中に渦巻くのは、怒りや悲しみ。
思うようにならないことばかりが起きる時間の中で、秀康にとって「夢」とは叶えるためのものとしてではなく、儚く消えるものとして、徐々に位置付けられていったのかもしれません。
そしてその感情が「モノ=先輩」に宿る思いと、感応してしまったのでしょう。

◆刀も人も、夢を見る。それは、そこに「心」があるから

ここまで見てきたとおり、葵咲本紀の物語においては、本当に様々な角度から「夢」というものが描かれ、語られていました。

「夢を叶える」という行為自体は、輝かしく喜ばれるべきものとして認識されることが、一般的には多いように思います。
しかし同時に、その背景には、たくさんの「叶えられなかった夢」も存在しているのが事実です。

誰かの眩しい夢の陰で、ひっそり泡と消えた己の夢を、じっと抱いたままの人もいる。
かつて描いた夢について「あれはまさに”夢”だったんだ、現実はそんな甘いものじゃない」と、諦めたような思いで日々を過ごす人もいる。
また更に、たとえ夢を叶えることができても、その過程で様々に苦しい思いを経験している人だっている。
もしかしたら、夢を達成したいという強い願いは、いつのまにか呪いのように働いてしまうことだってありえます。


そんなふうに様々な思いや変化を人にもたらす「夢」。
人が夢を得て、自身の中に思い描いたり、それに向かって努力をしたりできるのは、人に「心」があるから。
そして、その心は、人の身を得た刀剣男士にも等しく存在するのです。


刀も人も、夢を見る。
わたしが今回葵咲本紀を見ていて最終的に感じたのは、そんなことでした。


篭手切江が微笑みながら<とくん、とくん>と歌う時、彼は自分の胸元にそっと手を当てています。
今は血の通った体を持つ篭手切江。
だからこそ、彼は「歌って踊れる付喪神になる」という夢を抱き、それに向かって努力をすることができる。
夢を、叶える対象として、自分の力で追い求めることができる。

そして、「その篭手、もらいます!」と叫ぶ声があり、握ることのできる手があるから、
誰かを思い、手を差し伸べたいと願う心があるから、
篭手切江は、任務の中で”先輩”を救うことができた。


かつてはモノとして人々の傍らにあり、彼らの喜びや悲しみ、迷いや希望を受け止め続けてきた刀剣男士たち。
人の身を得た彼らは、今はかつての主たちと同じように、夢を語り、夢に惑う。時に苦しく翻弄される。でも「ともに」夢を叶えようとすることもできる。
そのことが持つ力というか、刀剣男士たちが「生きている」という事実そのものを、わたしは「夢」というモチーフによって、葵咲本紀に語りかけられたような気持ちになりました。


「天下は…夢か」
そう篭手切江に問いかけた瞬間、”先輩”の姿は、他の刀剣男士たちの目にも映る存在として初めて姿を表します。
刀剣男士として顕現しているわけではない、まだ混沌とした意識のみの、未分化の存在の先輩にも、宿る思いが確かに息づいている。

刀剣男士と<そうでないもの>との違いはいったい何なのか。何によって彼らは区別され得るのか。
明石が今回の出陣の途中で篭手切江に真正面から突きつけたように、その境目は、おそらくとても曖昧でもあります。
それでも、自らの意志を持ち、他の誰かに寄り添える彼らだからこそ、<刀剣男士>として本丸の仲間たちと、歩むことができるのでしょう。
ときに、かつての主が抱いた夢を、痛みとして心に映しながら。



絶対に書きたかったこの「夢」の話なんですが、長期間寝かせた割に、ぜんぜんうまく書けませんでした!難しいよ~…!
葵咲本紀、書けば書くほど言葉にしたいことが増えるというか、触れたい場面が増えていく。それに追いつけることがいつまで経ってもない気がする。
いったん葵咲本紀についての記事はこれでおしまいかな?見ながら沢山書いておいて本当によかった。
読みにくかったと思いますが読んでくださった方ありがとうございました!



▼「葵咲本紀」についてのその他感想記事はこちらにあります
anagmaram.hatenablog.com

*1:なお、秀康を惑わせ、操る原動力となるこの存在が具体的にはいったいどの刀であるのか、葵咲本紀の中では明らかにされません。 作品展開のバランスを考えても、わたしは「この刀の正体が具体的には何なのか」については、あまり重要なポイントではないのかな…?という気がしています。 説明が難しいのですが、ええと、誰でもいい・どうでもいい、ということを言いたいのではなくって…どちらかというと、史実がどうかということより、そこに託された物語性のほうがより大事なのかな?という気がするんです。 結城秀康の元に、もしかしたら何らかの形で篭手切江と縁の深い刀があったこともあるかもしれない、くらいのニュアンスで受け取っておければ十分なのかな…?と。(歴史に詳しい人であれば簡単にわかる内容なのかもしれませんが!)

ミュージカル「エリザベート」2020キャスト発表の衝撃 ~推しは来年、ルキーニになる~

その事実の発表からもう12時間以上が経っているのだけど、まだちょっとどうしたらいいか、わからないでいる。

わたしは俳優の黒羽麻璃央くんを応援している一介のおたくです。
そんな推しであるところのまりおくんが、このたび、ミュージカル「エリザベート」にご出演される運びになりました。
…ルイジ・ルキーニ役で。
www.tohostage.com


ちょっとまって
ほんとに。ちょっとまって。
以降、全然まとまらないのですが、今回の衝撃的すぎる事実の受け止めが追いつかない叫びをお届けします…。




◆覚悟はしていた。でも、覚悟の「中身」が追いついてなかった

エリザ2020について…正直なところ、わたしはまりおくん、出る可能性が限りなく高い、数値で言うなら80%は超えてる、と思っていたんです。
なので、11月12日にエリザ2020の制作発表がある、そこでキャストも発表になる、と知ったとき、ああXデーはここだ。わたしの2020年はここで一回命運が決まる、という覚悟をしておりました…。なんなら制作発表は抽選申し込んでました。当然落ちましたが!

なんで出る可能性がある、と思っていたのか。以下は数ヶ月におよぶキャスト深読みおたくの妄想の歴史です。

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  • ①今年7月のバースデーイベントでのまりおくん。あまりにもはっきり「帝劇に出たいです」とおっしゃった。あわせて、イベント冒頭で「26歳は、楽屋のれんをかけられるような、一人楽屋を持てるような大きな役を舞台でやりたいです」ってめちゃくちゃはっきり言っていた。
    • ふだんあまり将来の仕事を匂わせたりするタイプじゃないまりおくん。この明確すぎる発言を聞いたとき、ここまで明言するということは、2020年にきっと大きめのミュージカルが決まっているんだな、という予測がまず立った。
  • ②同じくバースデーイベントにて、ロミジュリで共演した古川雄大くんの話になったとき「ツイッターで言ってないからわからなかったと思うんですけど、エリザ見に行きましたよ。」と、ものすごくさらっと言い放つ。
    • 見にいってほしすぎたけど、行ってたんかい!…いや、行ったならその時なんで言わんのじゃい!普通に共演の縁でよかろ!?言わんその理由を深読みするぞ!?となる。
  • ③その後、エリザ2020が公演されることが発表に。一気に心のそわそわ指数が爆上がりする。
    • エリザ2019の大千秋楽に入っていた友人から、演出の小池先生が「2020のキャストはびっくり箱」とカテコで発言なさっていたことを聞かされる。そのびっくり箱にもしや推しが…?と思い始める。
  • ④前後して、エリザ2019でルドルフを演じていた京本大我くんの所属するSixTONESのメジャーデビューが発表になる。さらに2020年5月に、別なミュージカルで、京本くんは主役を務めることも発表になる。
    • ということは…さすがに2020は京本くんルドルフ、卒業せざるを得ないのでは?つまり、ルドルフが1枠空くのでは…?と思い始める。
  • ⑤その後9月になり、同じくエリザ2019でルドルフを演じていた木村達成くんが、2020年の別な東宝ミュージカルに出演することも発表になる。
    • 地方公演が重なっている以上、たつなりくん、出れたとして帝劇だけでは?ルドルフ、トリプルキャストの可能性があるのでは…?とほぼ確信しだす。
  • ⑥今月に入って、まりおくんのインスタのストーリーに三浦涼介くんとのツーショットが突然あがる。
    • ふたりはロミジュリで共演した仲、だけれども。だけれども。。なんでこの時期に一緒におるん…それって…と最後のピースを渡された気持ちになる。

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こんな感じで、まりおくんの隠されてる来年の舞台のお仕事はきっとエリザに違いない…りょんくんたつなりくんとトリプルでルドをやるんだ、たつなりくんが出られない地方を主に担当するんだ…という勝手な予想を、わたしは一人で静かにしていたんですね。時間をかけて、じっくりと覚悟を、決めていたんですね。

そして迎えた、11月12日。
12時にわたしのもとにやってきた途方も無い事実。

推し、ルキーニでした


いや、ちょっと、ええ?
ルキーニ?ルキーニってあのルキーニ…????


あのね、ルキーニはね、
覚悟してなかったよ!!!!!!!
いやほんと、繰り返しになるけど!?
わたし完全にルドルフのつもりの覚悟をしていたんです???よ???
だって!!!エリザの若手デビューゆうたらルドルフやんか!!!よしおさんもゆうたさんもルドルフから始めたやんか!!???ねえ!!??普通に考えてそうおもうやろ!!??順当にいったらルドルフやんけ!!???!
この気持ち、わかっていただけますか!!???
すみません!!推し、ルキーニでした!!!!!!!(だれに謝っているんだ)


◆ロミジュリのマーキューシオがもたらしたもの

すべてはここ。ほんとうに、これに尽きる。。。
ロミジュリがまりおくんにもたらしたもの、本当に、大きすぎる。
anagmaram.hatenablog.com


私が数ヶ月前、ただの夢見るおたくの妄想で「まりおくんに帝劇に出てほしいなぁ。エリザで見れたらいいのに」といったトーンのぼんやりとしたつぶやきをぽつぽつしていたとき、通りすがりの方から「麻璃央くんならルキーニがありえると思います」ってリプライをいただいたことがありまして。
そのとき「いやー!?そんな!?そんな大きな役は流石に!?」と思いつつ、でも「…ありえるな…」とは、正直、ちょっとよぎった。
なぜかというと、小池先生、まりおくんのマキュの演技を、すごく買ってくださってることがわかってたので。。
狂っているタイプの役、という意味だと小池先生の理想としてはルキーニなのかもしれないな…と。
といいつつ「いや~~~まっさかぁ~~!!!」と、自分の中ではうっすらとした可能性だけをいちおう残しつつも、さすがにないだろう、という方向に落ち着かせていた、のだけど。。


小池先生がまりおくんのマキュを気に入ってくださってるな、と思った理由もいくつかありまして。補完する事実を集めて構成するのがすきなおたくなのでこうなる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  • ①ヅカに知見のあるかたとロミジュリ2019を見に行ったときのこと。観劇後に感想戦をやっているとき、その方がまりおくんのマキュについて「あれはものすごく小池先生の好きなタイプのマキュ、間違いないよ」と力強くおっしゃった。とにかく好み、そうとしか言えない、と。
    • 当然その時点で小池先生の好みに関しての見識を持ち合わせないわたしは「ほほお、そうなんですね…!きっと稽古場で忠実に演出のご指導についていったんだな!えらいな!」と思っていた。しかし。
  • ②またしてもバースデーイベント。ロミジュリについてのファンからの質問で、きっとすごく難しいことやつらいことも多かったと思うんですけどどうやって乗り越えましたか?といった内容に対してのまりおくんの返しが我々の予想を超えていた。当日の記憶のほうが正確なのでレポツイート貼ります。
    • これ、本当にひっくり返ったんですよね。お芝居が通用したと語る推し。ものすごく厳しいことで有名な小池先生から??と、わたしは仙台の地で完全に宇宙猫顔になっていた。
  • ③それを踏まえての、ロミジュリ2019パンフで小池先生がまりおくんによせた紹介コメントが本当にしびれる。過去にもブログで紹介したことがあるのですが、再び引用します。このやばさを全人類かんじてほしい。

マーキューシオの黒羽麻璃央2.5次元スターのミュージカル初登場だが、見かけに寄らず(失礼)大変ユニークで面白い。未知と無限を秘めている。

  • 未知と無限…??????(宇宙猫顔ふたたび)

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…このたびのキャスティング、恐れ入りました。本当に。まじでビビり倒している。
だってさぁ!??ルドルフ、まさかのりょんくんシングルキャストなんですよ!?
それに対してルキーニが突然のトリプルって、いやそこ、バランス!!?なるやん!!?黒羽麻璃央の名前があったら順当にいったらやっぱどう考えてもルドルフやろ!!??ってなるやん…?

それだけ、小池先生にとって、まりおくんは「ルキーニ」だったんだな…と思えて…ちょっとほんと、どうしたらいいのか…
おそらくは今のまりおくんの実力に、可能性をたっぷりとプラスして見て頂いてるのだろうということをひりひりと感じて、やっぱりどうしたらいいのかわからない、今この感情を言い表す語彙が見つかりません。
あまりにも「未知と無限」を体現させすぎてるよ、小池先生。とんだびっくり箱ですよ。ありがとう…ございます……(しにそうになってる)

◆9時間後にやってきた、喜びの感情

制作発表は12時までの開催でした。東宝の公式ツイートより早く、参加していた方のレポにより、キャスト名がぞくぞくとツイッター上に上がり始める。
わたしの勤務先は13時からがお昼休みなので、12時台はふつうに仕事をしていたんですけど、まぁ当然仕事にならない。意識2%くらいで仕事してた。残りの98%はどっかいった。でもそのわりには勤労したと思う。がんばった…。
友人からの「ねえ、まりお ルキーニだって」という、これは死の宣告か?心臓とまるんちゃうか?なるようなメッセージをチラ見したけど、仕事中なので返事はできない。そうこうしている間にも、スマホにはいろんな人からLINEがばんばか入り(「ねえ生きてる?」「おめでとうございます!」「ルキーニって!」など様々なあたたかいメッセージを頂きました)、お昼休みになってから改めて向き合ったけど、まぁ全っ然、向き合えなくて。
ご飯を無理やりたべたけど、正直食欲なんて全然ないし。
コメント動画来てるのは知ってたけど、見たら号泣するから見れないし。
キャストビジュアル見ただけでそもそも涙出てくるし。なんだあの美しさ。いまだかつてあんな美しいにふりきったルキーニいたか!!?(キレだす)


わたしそもそも、エリザベート、大好きな作品なんです……。
anagmaram.hatenablog.com
初めて見たのは2015年。その後2016年版も観劇し、今年上演された2019年版の感想について上記のエントリーを書きました。
これを書いた後も追加で2回見に行って、今年はトータル3回見たんですけど…
本当に好き。エリザ。いやみんな好きだと思うけど。こんなにぶっ刺さる演目があることが嬉しい、って思うほどに好きだなと打ちのめされるように痛感した今年、とくに初回はオペラ越しに引くほど泣きました。


そんな大好きな作品に、推しが出演なさる。帝劇デビューの演目として。
ルイジ・ルキーニで。
いやほんと、意味がわからないとしか…

ルキーニはいわゆる狂言回しを担う役。出番が多いとかいうレベルじゃない。まじで一幕も二幕もずっといる。
なんなら、パンフレットでの掲載順は一番最後です。シシィ、トートから始まるキャスト紹介の、一番最後がルキーニ役なの。それだけ番手が大きい役なの。
今年演じてらっしゃったのは、成河さんと山崎育三郎さんだよ…???
それを、若干26歳で、グランドミュージカル2作目のまりおくんが演じるということ…どうかんがえても、大大大抜擢としか言えない。もちろん史上最年少です。育三郎さん、2015年のとき29歳/尾上さんは30歳なので。というかそもそも2000年以降の東宝版で演じてきた人、今年までまだ4人しかいなかったんだよ…。ルドルフが若手の登竜門と位置付けられて2019年までで11人を数えるのに対し、2019年時点でまだ4人しか演じてこなかった役…。
まりおくんが、帝劇で、あのキッチュを歌うのか…ミルクを歌うのか…「インッペリアルシアター!!!」ってがなるのか…
いやちょっとほんと…どうしたらいいの…???


帰ってから、職場にいる間はみられなかったまりおくんのコメント動画を見た。
うごけなくなって、コートを着たままでリビングでぼたぼたに泣いた。


嬉しい、とじわじわ思えるようになったのは、21時を過ぎてからでした。
発表からは、とうに9時間が経過していた。

◆夢に双方向性があるかもしれない、そんなことを思えた瞬間

今年の2月24日に、ロミジュリ初日を見たとき。
その堂々とした存在感と今後への伸びしろの在り方に、まりおくんは近い将来絶対に帝劇に立てる、とわたしは確信しました。
いつかそんな姿を見たいと思った。でもその時は、まりおくんの今後の仕事はやはり映像シフトが確定しているように見えて、本人が舞台へどれくらい気持ちをもっていらっしゃるかが、まだこちらには伝わっていなかった。
なので、迷いながら、でもどうしても伝えたくて、4月梅芸での千秋楽で出したおたよりの最後に、こう書いた。


「まりおくん、いつか帝劇につれていってください!帝劇に立っているまりおくんを見てみたいです。いろんなお仕事があってやりたいことも沢山あると思うので、もしまりおくんの心の中にも同じ目標があるなら、それが叶うように全力で応援します。」


そう勝手に思っていたこちらの夢が、まりおくんの目標でもあるって教えてもらえた、今年7月のバースデーイベント。
その夢、いつか絶対に叶うよ、近い将来にその姿を見せてね!と思っていたところに今回届いた、予想を遥かに超えた形での帝劇デビューのお知らせ。


まりおくん、エリザベートにまさかのルイジ・ルキーニ役でのご出演、本当に本当に、おめでとうございます。
帝劇に立つ夢、叶いますね。
やっぱりどうしたらいいかわからないです。嬉しいんだけど嬉しすぎて、感情が追いついてきません。ただやたらと泣けてきます。



ファンでいられること、本当にものすごくしあわせに思います。
まりおくん、ありがとう。来年の春から夏の飛躍、心の底から楽しみにしています。
夢が叶う瞬間を、またひとつ一緒に経験させてもらえるその日に向けて、わたしも自分の生活をがんばります!
まりおくんだいすき!!!!!

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左は2015年版、右は2019年版パンフ。ここに来年推しの名前が載ったもう一冊が加わります

刀ミュ 葵咲本紀 全体を通しての感想その1 ~それは奇跡という名のすていじ~

葵咲本紀、全74公演、本当にお疲れさまでした…!(追記:予定されていた公演数になります。中止になった5公演を除くと69公演です)
今回、簡単にはまとめられない、色んな人の色んな思いが詰まった公演になったなぁ…と噛み締めています。
個人的にもものすごく、やばい思い入れがだだ漏れてしまう公演になったので、おそらく歌合が始まる限界までブログを書き続けるのですが、来月に入るとなんと半ばまでインターネットを失うので(引っ越しで…)今のうちに書けることを好きなだけ書いておきます!

今回は、ミュージカル『刀剣乱舞』の世界に「葵咲本紀」がもたらしたものについて、個人的に考えたことを書いてみたいと思います。(楽もおわったのであれですが、中身に触れるので当然ネタバレです。)




◆演出における新しい挑戦。より「ミュージカル」に近づいた本作

まずはこの話から!
初日に見たときに本当にしびれたポイントがここでした。

舞台上での見せ方が、より「ミュージカル」に近づいた、いってみればグランドミュージカルの文脈を意識したものになっていましたよね。迫力の出し方というか、ステージングの手法が大きく変わったことを感じました。

その場面を、いくつか具体的に箇条書きにしてみます。

  • ①篭手切江のソロ
    • 夢のすていじを思い浮かべて、想像の中で歌う篭手切江の後ろに、多数のバックダンサーが登場。それこそ、あたかも何か別のミュージカルが始まったかと思わせるような明るいナンバーが披露される。少しメタっぽさも感じる演出。
  • ②「刀剣乱舞」(メインテーマ)
    • 刀剣男士と時間遡行軍が集団で対になる演出。出だしサビ後、Aメロ前の間奏では、下手と上手とで音楽に合わせ刀剣男士と時間遡行軍がそれぞれ異なる振り付けを踊り、対決している様子が打ち出される。
    • 大サビ前の間奏のラスト、ギターのフレーズに合わせて刀剣男士が高く刀を差し上げる+そこに刃がぶつかり合う音響効果がぴったりと重ねられる。
  • 結城秀康が家康への怨みを歌う曲
    • 秀康の背後に、彼が所持している刀から呼び起こされたと思われる黒い陰のような存在が登場する。陰は、秀康に姿が見えているようないないような曖昧な距離感で、秀康に纏わりつくように踊る。
    • その後、舞台中央に吊り下がっていたボードが引き上げられると、そこには時間遡行軍が現れる。彼らもまた音楽に合わせて振り付けを蠢くように踊る。
  • 鶴丸の作戦曲
    • 歌の中に時折セリフをはさみ、状況を説明していく。鶴丸の作戦を聞いている男士たち+歴史上の人物たちも、その場にいる全員が情景に合わせてコミカルに動き回る。
  • ⑤篭手切江が「先輩」の目を覚まさせようとする曲
    • 懸命に「先輩」の刀を握りしめ、僕のことを思い出してくださいと語りかける篭手切江。彼をメインとして、別な歌詞で掛け合うように男士たちの声が重なる。途中、結城秀康と「先輩」による掛け合いも挟まれる。


…私の中で勝手に「うわぁ、ミュージカルだ~!?」って感じたポイントは主にこのあたりでした。

まず、初日に見てとくに驚いたのは③でしたね。
蠢くように低い姿勢で舞台後方から躍り出てきた黒い陰のような姿を見た時、とっさに「死か!?」って思ったんですよ。
わたしが思い浮かべた「死」とは、ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」で、とても技量の高いダンサーの方によって演じられる、概念としての「死」を表す役のことです。
ロミジュリの劇中で、「死」は登場人物たちの目には見えない存在として描かれます。なにか不穏な空気が漂っていることだけを感じさせる存在として、歌うロミオの周囲に絡みつくように踊るその姿は本当にゾクリとさせられ、また大変美しくもあります。
今回、結城秀康に対する「先輩」の在り方が、まさにこれを意識したものだったな…と思いました。
秀康は「先輩」と呼応し合うように動くけれど、姿が見えているとも言い切れず、しかし存在は確かに感じている。
「ものに宿る思い」に感応してしまった秀康が、自らの意志を気づかぬうちに乗っ取られ、操られていることを示す表現として、とても効果的なものだったと思います。
「先輩」のメイク、血の気が一切なくて、目の周りの黒さや土気色の唇が本当に不気味な見た目で。手を差し伸べるたびに、手首からレースが生気なくだらりと垂れ下がって…視覚効果としてのインパクトにはすごいものがありました。
あとは階段に落ちる「先輩」の長い影もまた、ロミジュリにおける「死」の演出を想起させるものでした。

この件については、たぶんあえての「わかりやすさ」を残しているのかな?って思ったんです。
あの演出を見た瞬間、超有名ミュージカルであるロミジュリを、ぱっと意識する人はそこそこな人数にのぼるはず。「そうですよ、今回はそういう文脈で描いているんですよ、そういう手法をとっていきますよ!」という、明確な受け手側に向けたメッセージが込められていたようにも感じました。
新しいことやっていくから、ついてきてね!というような。


他に大きな変化だったなぁと思ったのは、メインテーマの「刀剣乱舞」でした。
これまではセンターの大階段に、刀剣男士たちが六角形を描くような形で陣形をとり、揃って同じ振り付けをしながら歌い始めるのがお決まりでした。
その時点では舞台上には時間遡行軍は不在、あくまでも刀剣男士のみ。出だしのサビが終わって間奏になってから一気にうわっと遡行軍が現れて、戦い始めてAメロへ転換…という形式だったと思います。

ですが今回は、歌い出しの時点からそこかしこに遡行軍がいる状態。
最初のサビは、全員がセット上ではなく舞台の床の上=つまり同じ高さに立ち、各々が目の前の遡行軍を斬り付けているところからが始まります。ゆってみればユニゾンではなく、バラバラな動きから始まるんですよ。
その後、Aメロ前の間奏では下手に刀剣男士、上手寄りセンターに時間遡行軍がそれぞれかたまり、集団として対峙する形になります。そしてその状態で、それぞれの集団が同じ振り付けを、客席を向かずにお互いを睨み合った形で踊るんです。


作品シリーズを連綿と貫くメイン曲で、ここまでの5作品(※阿津賀志巴里を含めれば6作品)で続けてきた形とは全く違うタイプの表現をぶつけてきたところに、刀ミュが新しい扉を開こうとしている明確な意志を感じました。
みほとせの再演を挟んで、約1年半ぶりとなった待望の完全新作。
意気込みとしては「第二章」に近しいものがあるのではないか、と思えて、その心意気にめちゃくちゃ痺れました。
最初はいつものようなわかりやすいカタルシスがないような気がして、8月の東京公演の時点では正直個人的にはちょっと物足りなかったんですが、公演最終盤の凱旋公演で見たときには迫力が段違いに増していたのも感慨深かったです…!め、めちゃくちゃかっこよくなってる…!こういうことだったんだ!って腑に落ちるような思いになりました。
カンパニーとしての総合力がぐんと引き上がった時に、より見応えを増す演出だったんだなぁと唸らされて、高みを目指していることがビシバシと伝わってきました。


思えば、2016年の阿津賀志山異聞で「おぼえている」を聞いたとき、あ~本当はミュージカルがやりたいんだろうな、って思ったんですよね。
「おぼえている」は、時間遡行軍側に乗っ取られ、死んだあとのはずの時間を生き続ける義経公を、今剣がかばおうとしてしまうシーンで歌われるクライマックスの曲です。
2年後の阿津賀志巴里では説得力にあふれる見ごたえのあるシーンに生まれ変わっていましたが、2016年の時点では、正直まだ少しちぐはぐだな、やりたいことに追いついていないのかな、という感じが、見ている側からは若干していました。
また、次の幕末天狼傳に関して言うと、歌としての難易度、正直一番高いのでは?と思わざるを得ない、やたら難しめの虎徹兄弟の曲があったりもして。当時はまだ、方向性を模索している最中だったんだろうなと。
それ以降の公演では、わかりやすい「ミュージカル」をやろうとする曲は、ぐっと減ったように思っていました。歌によってストーリーを進める側面は弱まり、あくまでも刀剣男士の内面を表す機能としての歌が残ったというか。
でも今回、そこに再度、テコ入れが入ったように思えたのです。
表現の幅を広げるなら今だ、今ならきっとできる。そう判断されての、完全新作での大胆な演出の転換だったのではないかな、そんなことを感じました。

◆刀ミュにおける新人4人の中に、太田基裕さんとspiさんが配置された意義

葵咲本紀における刀剣男士キャスト6人のうち、4人が刀ミュ初登場。俳優としてのキャリアもまだかなりな若手といって差し支えない子が、とても多い今作でした。
その中に、刀ミュ本公演としては堂々の3公演目となる太田基裕さんとspiさん。お二人は年齢としても、俳優としてのキャリアも、他の4名に比べるとやはりぐんと先輩格に当たります。


そもそもが、みほとせの物語をそのまま地続きのものとして描くものでもある今作、物語の推進力としてお二人が担った役割は、本当に計り知れないものがあると思います。

家康が天下統一を成し遂げる史実通りの生涯を全うできるようにサポートする役割を任務として負っていた、みほとせの6振り。彼らが成り代わっている徳川家の家臣の生涯を忠実に再現するため、今ではうちの2振りだけが家康の元に残っている…という設定で、今回の物語は幕を開けます。
そこでは、みほとせの中では描かれなかった、任務の陰で村正と蜻蛉切が抱えていた様々な思いが明らかにされます。
家康の長男・信康の死への思いを迸らせる村正であったり、縁のある刀同士、己の役割を果たしあえばよいと村正に言われてはっとなる蜻蛉切であったり…。
つまり、村正と蜻蛉切の二振りには、今回の物語を成り立たせる上での説得力を明確に打ち出すという重要な役割が、かかっていたわけです。
しかしそこに関してはもう、お二人はこちらからは言葉も出ないくらいに、圧倒的な表現力を見せつけてくれました。
特に、検非違使に立ち向かって傷ついた村正が息を吹き返し、蜻蛉切と二人で会話する中盤のシーンは、公演によって舞台上で繰り広げられる表現が驚くほどに異なっていました。
役どころへの理解がとことんまで深まっているからこそだと思うんですが、そこまで表現の方向性に幅をもたせてもなお成立させてしまえるの!?って驚嘆させられていました。
あぁ、二人は本当に役を生きているんだな、今その場で感情が動くとおりに演じても、力量があるとわかっているからお互いに受け止めあえて、完璧なキャッチボールができるんだろうな…と思わされることしきりでした。こちらへ届くセリフの色合いが、日によって本当に違っていたので…!


しかし、お二人が担っていた役割は、それだけではなかったと思うんです。
刀ミュとしても新しい試みをふんだんに盛り込んだものとなっていた本作。にも関わらず、キャストの半分以上を新人が占めるという状況、それってかなり挑戦的すぎるのでは…!?と思うのですが、それを叶えることができた背景に、やっぱりお二人の存在があると思うんですよね。
東京公演は、明確にそれが感じられました。歌の面でもお芝居の面でも、とてつもなく大きな包容力のある土台として、お二人がしっかりと影から全体を支えている雰囲気がありました。


これは勝手な想像なんだけれど、制作陣としては、おそらくは次世代の育成というか…刀ミュという世界が続いていく上で必要なエッセンス、その場に生きた人にしかわからないものを、「役者の生き様としてまるごと新しいメンバーたちに伝えてほしい」っていうような期待が、あったのではないかな。
生身の役者が、公演ごとにその時間を懸命に生き、お客さんに表現を届ける、それが舞台。
演じる側の人達の中で、一緒に作品をやらなければ伝わらない本質的なことって、きっとこちらからは想像もつかないくらい、たくさんあるんだと思うんです。
「それを伝えてやってくれ」っていう、これからの刀ミュに、刀ミュイズムというか、ある種のバトンを繋いでほしい…というような制作サイドの意志を、今回勝手にですがものすごく感じました。

そしてそれを実際のところ、まるでスポンジのようにぐんぐんと吸収していく新人キャストの皆さん…!
凱旋公演では、ここまで総合力が伸びるものなのか?と驚くほど、本当に全員が、作品そのものがよくなっていました。
劇場のサイズが大きくなったことも関係あると思うのだけど、伝わってくる情報量の多さ・深さに、本当に驚きましたし、感動しました。まじのまじで、全員がよくなっていたんだよ…!


ロングランだし、どう考えたって楽な時間ではなかったと思う。体力的にもメンタル的にも厳しい局面は多々あったはずで。途中、体調事由による役者さんの降板という、とても辛いアクシデントもありましたし、通常の舞台公演に比しても、葵咲本紀は困難な場面がものすごく多い作品だったと言わざるを得ないと思うんです。
だけれど、わたしが毎回客席から見せてもらえたのは、ただただ見応えに溢れた、心揺さぶられる素晴らしいステージでした。
要さんの降板、そしてたった4日後の、臨王さんの急遽のご出演。
きっと公演に関わる人も、我々お客さん側も、皆の心が動揺していたあの時間に、もっくんが穏やかに、あくまでも端的にツイートしてくれた冷静な言葉の数々は、本当にかっこよかった。
普段の印象としては、どちらかというと必要なことは背中で語るタイプだったもっくんが、あの期間に座長として、言うべきと決めた言葉を明確に外に向かって発信していらっしゃる様子に、ただ胸を打たれました。そんな安っぽい言葉で語るのが申し訳ないくらいに、かっこよかった。

今回の事で、作品、俳優、制作陣、お客様にとってポジティブなものになることを願います これからのミュージカル刀剣乱舞にとって。

公演再開の日にもっくんがツイートしていたこの言葉どおり、葵咲本紀の幕の降ろし方は、本当に心の底からうつくしかったです。
改めて、関わったすべての方に、ありがとうと感謝の気持ちをお伝えしたくなりました。

◆「それは奇跡という名のすていじ」「あなたはその目撃者」

これは個人的に、エモみにやられてしまった思い入れポイントのひとつ。
篭手切くんが歌う夢の歌、本当に大好きだったんですよね…。
なんだか、舞台作品である刀ミュそのものを映しているナンバーのようにも思えて。

幕が上がれば、舞台を見上げれば、きっとそこでは何かが始まる。
胸が踊るような歌詞そのものの魅力ももちろんなんですけど、ものすごく嬉しかったのは、この曲で客席から手拍子が起きるようになったことでした。
友人に聞いたところによると、北九州公演からだったそうです。凱旋は初日は控えめでしたが、それでも劇場じゅうに手拍子がじわじわとひろがっていくのは、とても心震える体験でした。
何より、手拍子を聞いた瞬間の篭手切くんの、顔中に広がる笑顔、ぱっと輝くようなあの表情が忘れられなくて。
あの時間は、篭手切くんが夢見ている、まだまぼろしのすていじ。
でもその夢を、あたかも本物であるかのように、ほんのひととき観客として「一緒に」作り出すことができる。その喜びを痛いほどに感じました。
舞台っていいな、今目の前で繰り広げられるこの輝きを、ずっとずっと覚えていたい。この時間を浴びたことを忘れずにいたい。
「いっくよー!」って笑顔で歌う篭手切くんを見ながらほぼ毎回泣けてしまっていたのは、そんな気持ちが勝手にこみ上げてきてしまうから。

葵咲本紀の<目撃者>にさせてもらえたこと、本当に幸せでした!



ここまで勢いで叩きつけたけど、果たしてまとまった、と言えるのだろうか…?
新人だらけのカンパニーに対して、過去の文脈を複雑に織り込んだ脚本×色々とチャレンジングな演出をぶつけてくるの、本当によう思い切ったな…って初日は正直びびってたんですが、ちゃんとその試みが大きく実を結んだことを、千秋楽まで見届けて今回深く実感しました。

7月の双騎出陣に引き続き、刀ミュはいつだって「現状維持」では満足しないんだってことを見せつけられたような気持ちです。
間違いなく、これからの刀ミュにとっての新しい扉が、葵咲本紀によってまたひとつ開かれたと思います。
この流れで来月の歌合…いったい何がどうなっちゃうんでしょうね…!?(毎年恒例になってきた年末への怯え)


現時点で書きたくて書けてないのは、今作でテーマとして描かれていたとある言葉について、です!
こっちは11月になるかな~!



▼「葵咲本紀」についてのその他感想記事はこちらにあります
anagmaram.hatenablog.com

【ネタバレあり】刀ミュ 葵咲本紀 凱旋公演の感想その2(三日月宗近という機能について)

今これを書いているのは10月26日土曜の昼です。葵咲本紀…74公演が、もうあと4公演で終わってしまう。。
明日の夜には長かった公演に幕が下りるのかと思うと、もうすでに気持ちがクライマックスです。
前回のエントリーにも書きましたが、葵咲本紀の物語は本当に多面的で、どこに注目するかで受け取るものが大きく変わると思っています。
今回はわたしが葵咲本紀で一番叫びたいことを書きます。それが何なのか、タイトルにも入れられないんだ…!諸般の事情で情緒がいつも以上にめちゃくちゃな記事、テンションがジェットコースターです。あと連番にしたかったので「凱旋公演の感想」って書いたけどこれとくに凱旋関係ねーや!笑
本当は物語のメインテーマみたいなことを先に書こうとしてたんですが、着手したところ数日かかると判断したので、それは来月に改めて。以下当然ネタバレしているのでお気をつけを。
(※だいぶ後日に追記。公演当時、そのものズバリのタイトル避けていましたがもう1年半経つのでよかろうかと思い、タイトルかえました。※)





…わたしが一番したい話。
そりゃあもう、三日月宗近鶴丸国永の話に決まっている。お覚悟!(※ノーブレーキ宣言)

◆「それで?あいつはおとなしくしてるのか?」

ダメなんだって…今回ほんとダメなんだって…!!!

この鶴丸のセリフの中の、
「それで?あいつはおとなしくしてるのか?」のあいつ=三日月宗近だし、
その後のシーンで夜空に浮かぶ三日月を見上げながら笑って言う時の、
「やっぱり俺を一番退屈させないのは…君だ」の君=三日月宗近、なんですよね…。
お前何回見たんや、って話なんですが…この事実に向き合うと、見れば見るほどダメージが増幅されてしまって無理です!!!

本当に何度でも言う。わたしはつはものの三日月に心臓打ち抜かれたおたくなんだ。あの物語が好きすぎるし、あの中で描かれた三日月に魂持ってかれて帰ってこられなくなったんだ。あそこでまた一回人生が変わったんだ(=まりおくん推しになった発端はつはもの)。
そんなわたしが丸腰で葵咲本紀を見に行って食らったこの爆弾の威力、ちょっと想像してみてほしい。こっちの気持ちにもなってくれよ…!


刀ミュ本丸で、三日月宗近が行っていること。その全貌とも言えそうな内容が、今回葵咲本紀で明らかにされました。
「つはものどもがゆめのあと」で描かれた、衝撃的すぎたあの一連の行為…ひとりで歴史をさかのぼり、その時代に生きている歴史上の人物たちにその先に起こる出来事を教え、どう行動すべきかを伝えることによって、歴史を守ろうとしている試み。
その行為を知っているのは、つはものではおそらく髭切、小狐丸だけなのでは?という描かれ方だったんですが…今回の葵咲本紀で、思いっきりめちゃくちゃに知ってる人が、本丸にもう一振りいたことが判明してしまいました。その刀こそが、鶴丸国永…!


なんというかこの点、わたしにはほんとうに、納得感しかなかったんですよ。
というのも、始祖を同じくする三条の面々じゃたぶん、三日月にとっては親しすぎる存在なんですよね。
三日月本人も近すぎて心を語ることはできないし、三日月が何をしているのかを知った小狐丸は最初激昂してしまうし、でも最終的に「貴方がやっていることを、正しいとは思わない。でも、間違っているとも思わないことにしました」という距離のとり方に落ち着く。それ以上踏み込むことは、多分お互いにできないと思うのです。

しかし一方で。三条に縁を持つ五条の太刀であり、同じく平安時代から存する鶴丸には、三日月にどこかしら似た部分もおそらくは持ちながらも、流れを全く同一としているわけではないという、絶妙な距離感があります。
そんな彼だからこそ、本丸でただ一人、ある種対等に渡り合うような形で、三日月に相対することができるんじゃないか?…という描かれ方の、その説得力!


三日月宗近鶴丸国永。刀剣男士としての在り方、矜持みたいなものが全く異なっていそうでありつつ、どこかしらに通ずるなにかも兼ね備えていそうなこの二振り。刀ミュというひとつの作品シリーズ内において、美しいほどの対比構造が今回新たに打ち出されたな、と唸りました。
刀ミュの鶴丸、存在が事件すぎる。まさかこんな形で三日月とがっつり絡められるなんて全く思ってなかったので、本当に未だに受け止められない。どうしたらいいかわからない。かっこいいし。
主が今回の出陣の前に鶴丸に対して「貴方にしか頼めないのです」っていうのも、そりゃあそうよね、と思うもの。。
あの本丸においてのパワーバランスが見えたというか。三日月のことを止めるわけではないけれど、かといってそのままにしておくつもりもないし、それができる刀剣男士もいる、それが鶴丸国永だっていう明かされ方をしたことが、本当にもう、致命傷になりました!

◆「戦う刀」としての鶴丸国永

あとですね!個人的にめちゃくちゃな「いやちょっとまって」ポイントがあるんですが!
そもそもだけど鶴丸、主との対話シーンでいきなり「無垢な舞に飢えてるんだろ?」って言ってますけど、
じゃあ「無垢じゃない舞」を披露するのは誰…ってなったんですよね…なりません!?わたしはなる。
いや、そりゃ確かに、あの三日月宗近に無垢なんて言葉当てられないけど…ていうか待って!?鶴丸さん、あなたつまり、自認が<無垢>なんですか!!?(※「こいつは驚いた!」と言いながら椅子からすっ転ぶ様子)


いやでも、なんていうか…この「無垢」っていう言葉に詰まっているもの、わたしはすごく大きいなと思ってて。
なんだろうな、刀剣男士としてのあり方のシンプルさというか…いや、鶴丸にも内包しているものはもちろんあるんだけれど、深淵の覗き込み方が三日月とは全く違うスタンスなんだろうな、というようなことを感じるのです。

葵咲本紀での鶴丸は、清々しいまでに「いくさ場において強い、実力のある刀剣男士」として描かれています。
それが顕著だなと感じるのが、明石と鶴丸が本丸で初めて会うシーン。
あの短いやり取りの中で、明石が「あれはバケモンやな。…おー、怖。」って言うほどに、鶴丸が只者ではないことがガンガンに伝わってきてしまう(かっこいい)。
刀ミュの世界の中で、男士間にある実力の幅がここまで明確に描かれたのって、実は初めてだと思うんですよ。
今回いろんな演出で表現されている鶴丸の(おそらくは本丸においても圧倒的な)強さは、もちろん顕現してから日が長いというのもあるんだろうけど、それだけでは説明のつかない、やはり「平安刀」としての自覚っていうか…そういうものが為せるなにかを感じてしまいます。これもまた三日月とは違うタイプで、単純に見せかけてそうとも限らないっていうか、別な形での底の知れなさ。
出陣ソングひとつとってみても本当に強い刀であることがビシバシと伝わってくるんですよね。なんて勇ましく、かつ楽しそうに歌うのかと。戦場が自分の居場所なんだって、血が騒いで仕方ないって顔をしている。。
「ちょこまか逃げ回って翻弄するだけだ!」なんてとんでもねえ嘘を言って、本当に一人で検非違使との一騎討ちに臨むあたりも、どうしたってシンプルに強すぎる。かっこいい。そして自分にそれができると思っていることも含めて、あまりにもかっこいい。。
三日月だって当然相当に強いはずなんだけど、あの御仁ったら戦闘シーンでそういうところ全然出さないからな!?ってなりまして、ここでもこの二振りの対比がしんどくて死んでしまいます(…途中から徐々にただの「鶴丸かっこいい国永さんについてトーク」になっている)。


うまくいえないんだけれど、話を戻すと、鶴丸の言う「無垢さ」っていうのは、その瞬間、いまこのときに対して、ただひたすら新鮮な気持ちで向き合い続ける、みたいな意味なのかなって感じるんです。
そうあることで、自らに驚きを与えよう=退屈と抗おうとしているというか…
刹那的というのもちょっと違うんだけど、今ここで生きている自分と、同じように目の前に存在している相手との間の真剣勝負だからこそ、戦いが楽しくて、そこに生の実感を感じているのかな、というような。鶴丸の強さの背景に、そんなものを勝手に感じたりもしています。

◆三日月にとって「歴史を守ること」とは何なのか

まさか改めて、この話を真正面から考える日が来るとは…。
刀ミュの世界において三日月が歴史に対してしようとしていること、今回改めて考えてみたんですけど、まとめると、
三日月は「本流としての『歴史』を守り」ながら、「悲しい役割を背負わされている人」のことを、ひとりでも多く救おうとしている、というふうに表現できるのかな、と思いました。
2017年につはものを見ながらしにそうになって書いたエントリーはこちら。原型のようなことが書いてあります。(構成が今より下手で読みづらくて申し訳ない。)
anagmaram.hatenablog.com


類まれなる奇跡が重なって、美しい姿のままに長く存在し続けてしまった三日月は、その間ずっと人の心を映し続けてきた。そうして内側に積もり積もった時の流れへのある種の諦観と、人へのあたたかい眼差しが、彼の中には同居しているように思えます。
そうして長く在り続けて刀剣男士になった三日月だからこそ、歴史の重さを、誰よりも痛感しているような気がするのです。
今存在している世界は、後世に思いを繋ぎ続けた人たちがいるからこそ成り立っているもの。その人たちの「思い」こそ、失わずに守らねばならない。
しかし同時に、その過程でひっそりと消えていった無念の人々も存在していた、彼らもまた、確かに生きていた。その事実にも、できる限りは寄り添いたい。
その双方が揃った内容が、三日月にとっての「歴史を守る」ということなのかな…っていう気がしています。

歴史の本流を変えてしまうことは、そこに注がれた人の必死の思いや生き様を、無に帰してしまうことになる。その点で、三日月にとっては歴史を守る意志が生じていると思います。
だけれどそれだけでは、彼は己をよしとすることができない。
思いを遂げられなかった人、無名に終わった人。反対に後世に名を残したけれど深く傷ついた人。そんな様々な人々の悲しみを、彼はきっとたくさん、見てきてしまった。
「かたちあるもの」として後世に残り続けることの、ある種の残酷さがもたらした諦観が、思い切りひとへの優しさに振り切れているところが、わたしは刀ミュの三日月の在り方だと思っています。
だって、つはものの「華のうてな」の歌い出しが「しくしく くれくれ」な彼だから。人の悲しみに寄り添える心を持っているのが、刀ミュの三日月だから…。

◆「三日月宗近という機能」について

今回、三日月が歴史を明かしにいった相手は、切腹を命じられた日(みほとせでは、検非違使に殺されたことになっていた)のあとも、命をひっそりと長らえていた松平信康と、結城秀康の双子の弟である永見貞愛。
信康の人生の最期の哀しさは、みほとせで描かれたとおり、ここで改めて語るまでもありません。
もうひとりの貞愛も、のちの天下人の子としてこの世に生を受けたにも関わらず、まさに「歴史から消された」=表舞台からは、なかったことにされてしまった存在。
そんな二人に三日月が心を寄せていくのは、つはものを踏まえると、とてもわかる…と感じます。


でも今回、そんな三日月のふるまいが可能になったのは、そもそもまず、松平信康が生きていたからこそです。彼が死んでしまっているままの時間軸なら、叶わなかったこと。
さらにその始まりはそもそも、家臣ともども全滅させられた松平家を再興し、ひとり生き残った幼な子である竹千代を天下人である徳川家康に育て上げ、その人生を全うできるように見守る、というあまりに困難な任務を背負った「三百年の子守唄」の6振りへと繋がります。

その一連の流れに思いをはせていたら、
本丸の仲間が心を砕いて、繋ぎ織り上げた「徳川家」という名の織物の端から少しずつほつれていった糸の端を、三日月がひとり掴んで、そっと元の布に織り込んでやった。
わたしはそんなふうに表現したくなりました。


三日月がやっていることは、孤独で自分勝手なだけの行動というわけではなくて、やっぱりどこかで本丸の仲間たちと深く繋がっている側面もある、そんなふうに思えるのです。
だって三日月はそもそも、村正と蜻蛉切のことを助けてやれって、信康に言っているんだもの…。
さらに鶴丸は「必要な素材はあいつが揃えてくれたみたいだから、任せてみようと思う」って言っているんだもの。。

あの時の鶴丸は、三日月が何を思って行動して、信康と貞愛に刀剣男士の目的や正体を明かしたのか、まだ掴みきれていない段階だと思うのです。
だけれど、同じ本丸の仲間だから、三日月がやってみたことを信じたんだと思う。何か意味があるに違いない、そこに乗っかればきっとうまくいくだろう、って考えたんだと思う。


三日月が果たしている役割は、前項に書いたこととも重複しますが、

  • 1.世に伝わっている歴史の本流を守る
  • 2.その中で悲しい役割を背負った人の心を救う
    • 時折、上記2点目は刀剣男士たちが正攻法では対処しきれない部分への補助として現れることがある

上記のようにまとめられるのかなと感じました。

それが、今回最後に鶴丸が語る「この世界には、三日月宗近という機能がある。…そういうことだな」に集約されているのかなと。


刀剣男士が懸命の戦いで時間遡行軍を阻止したとしても、どうしても拾いきれないもの。
それは、歴史は歴史として変わらないのだとしたら、その中で悲しい役割を担った人の運命もまた、ずっと変わらないままであるという事実。
そこにほんの少しだけでも抗うことはできないか。
表に出ることのなかった人の思いもまた、同じように尊く存在していたのだということを、せめて確かめて繋ぐことはできないか。
今回、みほとせで出陣した6振りが抱いていた信康への「思い」を繋いだように、「歴史の改変を阻止する」だけでは救えないなにかを、ぎりぎりのところで可能な限り掬い取ろうとし続ける。
それが、三日月宗近が担っている役割=機能なのかなぁ…というふうに思いました。
もっと言うと、刀剣男士の協力者=物部を生み出すことが、三日月宗近という機能、なのかもしれないな。。



とにかく書き残すことを優先しており推敲が粗いので読みにくそう、申し訳ない!書きながら被ダメ値が跳ね上がりました。つらい。
これを書きながら思い出しを兼ねてつはものの一部のCD聞いてたんだけど、なんかもう説明しようがない涙があふれてしまって、ばかみたいに泣きました。もうあかん。

ミュージカル刀剣乱舞、本当にどこまでいっても怖い。これでもまだ書ききれてないことばっかりなのが怖い!とりあえずソワレいってきます!




▼「葵咲本紀」についてのその他感想記事はこちらにあります
anagmaram.hatenablog.com

  • 上記の中でもとくに「鶴丸かっこいい国永さん」についてのシリーズ(シリーズ?)

anagmaram.hatenablog.com
anagmaram.hatenablog.com