こたえなんていらないさ

舞台オタクの観劇感想その他もろもろブログです。

刀ミュ 歌合 乱舞狂乱2019 公演を見終えての感想その3 ~考察後半:まれびとまだか~

考察、というほどのものでは特にないんですが、感想かと言われると難しいな…と思ったので引き続き「考察もどき」としてお送りします。
前半はこちらです。
anagmaram.hatenablog.com




◆「まれびと」とは何か

桑名江・松井江が顕現するにあたって執り行われた”神事”のような一連の儀式。
獣の披露が終わり、終盤パートに差し掛かるタイミングの一曲目の中に(タイトルは『かみおろし』)、
「のぼる篝火(かがりび) まれびとまだか まれびとまだか」という歌詞がある。
”まれびと”という言葉、そのまま「稀(なる)人」として漢字変換はすぐに頭の中でも可能なわけだが、
具体的にどんな意味を背景に持つのだろうというのが気になって、ここについても辞書を引いた。

まれびと→まろうど

「まれびと」つまり「稀(まれ)に来る人」の意で、いまは「客人、珍客」を意味するだけだが、その伝統は根深いものがある。すでに平安時代の饗宴(きょうえん)習俗でも「主客」を「まれびと」といい、その方式には古代祭祀(さいし)に来臨する「聖なる者」を饗応する伝統が受け継がれていた。饗宴の主客を「まれびと、尊者」といい、その応対の当事者が「あるじ」であり、そのための設営が「あるじもうけ」であった。折口信夫(おりくちしのぶ)は「常世(とこよ)」という聖界の存在を想定して、ときあってそこから来臨する「聖なる者(まれびと)」が俗界に幸福をもたらすことに日本の古代信仰の根源を認め、「まつり」はこうした「まろうど」の饗応方式に源流するとした。(中略)
ともかく日本の異郷人・珍客歓待にはこうした伝統があり、いわゆる「あるじもうけ」の伝統もそこに生じた。『翁(おきな)』など芸能の「祝言演伎(えんぎ)」にもまた「まろうど」来訪の形はその跡をとどめている。
日本大百科全書(ニッポニカ))


思った以上に情報量が多くて、お、おお…?となったのが本音。なんとなくぽんと簡単に選んだ言葉ではなさそうだな、という印象を受ける。
ニッポニカでサマリーになっているその背景をもう少しちゃんと理解してみたいなと思い、折口信夫の思想について書かれた本を2冊ほど読んではみたものの、あまりに茫漠とした知識の世界が広がっていてちょっと手がつけられるあれではなかったので、いったん諦めた。結論としては、辞書にまとめてある内容、さすがに有益。それ以上のものは付け焼き刃ではなかなか…。


ひとまず、上記のような内容について、今回の顕現の儀式を理解する助けにしながら、改めて自分の頭を整理してみた。


まず、当然のこととして「まれびとまだか」と呼称される「まれびと」は、桑名江/松井江のことである。
上記のまとめを前提とするならば、聖界、かどうかはわからないが、ともかく彼らは、鶴丸たち刀剣男士がいる世界とは、また異なった位相から現れてくる、ということになる。


ここで思い出すのが、この顕現パートの直前にある、時間遡行軍がクローズアップされるシーンだ。
センターステージに四方八方からじわじわと集結した時間遡行軍たちは、一斉にメインステージを目指して走り出す。そして再びセンターステージ上にひとかたまりになった彼らは、中心に据えられた祠を取り囲み、それを脅かそうとでもするように不気味な動きを繰り返す。
しかしこのとき、時間遡行軍たちはなにか帯状の力に阻まれて、祠のすぐそばには近寄ることができない様子が描かれる。
実は歌合開演前、主の声によってなされる諸注意事項の中に、「結界を破る行為はお控えください」という内容がアナウンスされている。
初日にこの内容を聞いたときは心底ぎょっとしたものだが、ここでいう「結界」とは、この場面に登場している帯状のものを表しているのだろうと思われた。
そうしてしばらくの間、祠を手中に収めようとするさまを見せる遡行軍たちだが、そうこうするうちにに紛れもないその祠から、耳をつんざくような、人の声ともとれるようなとれないような、とにかくぎょっとするような甲高い悲鳴が上がる。最終的にはその声に悶え苦しむように、時間遡行軍たちは散り散りになって姿を消していく。


このシーンを見ているときに感じたのは、なんとも表現しがたい、背筋がぞうっとするような恐ろしさだった。
実際に時間遡行軍たちがあの祠を我がものにしてしまったら、いったい何が起こるのだろう、そう思わずにはいられなかったのである。
この場面から私が結論として受け取ったのは、
「今あの祠の中にいるものは、あちら側にもこちら側にもなりうる、まだ未分化の存在なのではないか」というものだった。
時間遡行軍たちは、今ならまだあの存在を、自分たちの側に引き入れることができると考えたが故に、ああして襲いに来たのではないだろうか。
それをギリギリのところで阻んだのが、本丸の刀剣男士(もしかすると主)によって施された”結界”だったのではないだろうか。


この描写には、巴形薙刀がむすはじで見せた、犬・猫・蝸牛の時間遡行軍へのある種共感とも言える眼差しや、こいつらは価値のないものだから壊しても良い、そういう理論かと篭手切江に詰め寄った葵咲本紀での明石国行のことが自然と思い出された。
やはり刀ミュが描いているものは、単純な善悪二元論などではないのだ。
刀剣男士の存在自体が絶対の正義で、時間遡行軍は必ず倒されなければならない悪、その2つは決して交わることのない異なる存在…というわけでは決してない。
そう単純に切り分けることのできない世界だからこそ、彼らは自分たちの使命に時に悩み、迷いながら、それでも前へ進もうと試み続けることになる。


「まれびと」とは、どこか遠くから来た存在。だがそれはまだ、刀剣男士たちとまったく等しい立場のものではなく、ともすればあちら側へ引きずり込まれかねないような、まだどこか危うい存在なのかもしれない。
そのことは次に続く描写により、さらに裏付けられる。

◆顕現に見える「意志」

いよいよ大詰め、顕現の場面について。
時間遡行軍による侵略の危機に晒されながらも、祠はなんとか守り抜かれる。再び白い装束を身にまとってその前に集まった刀剣男士たちは、「最後の大仕上げ」として全員で歌い、舞い踊る。
そして最後の「八つ!」の呼び声のあとに続けて鶴丸が歌うのは、「今こそ呱呱の声をあげたまえ」という言葉。
何回聞いても「ここのこえ」に聞こえるけれど、やっぱり知らない言葉だなと思い、聞き取った音からまたしても辞書を引いた。

呱呱(ここ)
乳呑子(ちのみご)の泣き声。

呱呱の声をあげる
産声(うぶごえ)を上げる。転じて、物事が新しく生まれる。
(いずれも広辞苑第七版)


これもまた、びっくらこいた…。そんな日本語があるのだなぁ。
鶴丸は、要は「生まれろ!」って言ってたことになるのねと…(そう書くとちょっと違うか…)

それを受けて祠の前には、新しい人らしき存在がついに姿を表す。しかしその顔は面で隠され、見ることはかなわない。
そして彼は、命を持ってこの世に現れたことに、どこか怒りを覚えているかのような、今自分が置かれている状況そのものを拒むかのような姿勢を見せ、こう歌う。

五蘊盛苦
この身に宿る痛み 苦しみ 悩み
何故我を呼び覚ましたのか

それに対して刀剣男士たちは、こう返す。

共に戦うため
使命果たすため
その力を貸し給え 貸し給え 貸し給え

最初に見たときに、わたしはここにも少しばかりの違和感を覚えた。
なぜなら「給ふ(う)」は、尊敬語である。自分よりも、身分が上の相手に対して使う言葉である。
これから仲間になるだろう存在であり、あくまでも刀剣男士と彼とは、対等な立場なのではないのか?それなのになぜ刀剣男士たちはあえて尊敬語を使うのだろう…というふうに思えてしまったのだけど、
つまりはそういうことなのだとしたら。その言葉遣いこそが事実なのだとしたら、どうだろう。


つまり、「かみおろし」と歌われたとおり、面をつけて祠の前に現れた段階では、おそらくまだあの存在は「神」そのものなのである。

刀剣男士は「モノでありヒトである」。付喪神のようなもの、と自分たちのことを呼称するけれど、実態としては彼らはやはりどこまでも「ヒト」に近い。
刀剣男士たちは「心」を持つ。彼らはその心を持っているがゆえに、己の過去に向き合って苦しんだり、仲間との軋轢に悩んだり、役割を果たさんと腐心したりと、とても”人間らしい”様子を見せる。

そんな彼らに対して、あの場面に現れた面をつけた存在は、まだ純粋に「ひとあらざるもの」なのだろう。
だからこそ、刀剣男士たちは「力を貸し給え」と、あくまでも尊敬語をもって、仲間になってほしいと呼びかけるのではないだろうか。

それを受けて、面をつけた存在ははっきりとこう歌う。

生まれた意味は問い続けよう
この身が語る物語を紡ごう

…ここに溢れる意志の表明。
あぁなんて刀ミュらしい世界なんだろう、と思った。

そも、最初に出てくる「五蘊盛苦」は「生きているだけで苦しみが次から次へと湧き上がってくること」を指しているそうだ。
ja.wikipedia.org

命を持つということは、その命ある限り、苦しみを引き受けることでもある。
命を授けられたその瞬間から、すでに彼自身もそのことをわかっている。だからこそ抗いを見せるけれど、力を貸し給えという呼び声に「応じて」、自分の意志で決めるのだ。
この身が語る物語を紡ごう、と。
そうして己の意志を高らかに告げたとき、彼らのもとに、「刀剣男士」としての名前―桑名江/松井江が授けられるのだ。


「物が語る故、物語」の世界がまた、ここにもひとつ新しく始まっていく。
命の元に集うのは、やはり物語なのだ。

◆まぶしいほどの生命賛歌

主による「来たれ、新たなる刀剣男士」の声に続き、ついに桑名江/松井江は華々しくその姿を光のもとに晒す。
堂々と顕現のセリフを述べた彼らの背後には、どうっという勢いとともに、薄紅色の花びらが激しく舞い上がり、それまでとはがらっと雰囲気を異にする歌が始まる。
晴れやかに虹色の光が差し込んでくるような、遠くまで、まろやかに響き渡っていくような、祝福の色合いに満ちた歌が。
ここでの急激な場面展開、最初は本当に驚いたけれど、そうして新しい仲間、新しい命を全力で喜び祝うさまもまた、ものすごく刀ミュらしいものだと感じた。


この曲のタイトルは『あなめでたや』なのだが(タイトルからして、なんて伸びやかなのだろう…!)、それまでの不穏さとはまた違った色合いでの「和」を感じさせるメロディである。
それこそヨナ抜き音階*1に近いような気がする…と思ってFinger Pianoで音をとって弾いてみたら、少なくともサビはヨナ抜きであっているようだった。
「あなめでたや めでたや ふくふくふく → ソミレレソミ レレソミ レミレドラソミ」なので、見事なまでにファとシがない=ヨナ抜きになっている模様…!(これはきっと和田さん、絶対わざとだと思う…!)
儀式の場面の重々しさとはがらりと印象を変えては見せつつも、引き続き「和」の世界観は貫かれている。だからこそ急すぎると言えそうな転換にも、観客側がすっと入っていけたように思う。


桑名江/松井江の背後にぶわっと吹き上がったピンク色の花びら、その中にすっくと立つ二人の立ち姿。それに重なる刀剣男士みなの温かなコーラス。
あの場面に溢れていたのは、紛れもなく「生命賛歌」、生きることへの喜びそのものだったように思う。
眩しくて直視できないほどの、見ているだけで勝手に涙が出てくるような、爆発的な生のエネルギーに、本当に心の底から圧倒された。
仲間を無事に迎えられたことを喜んで晴れやかな表情で歌い踊る刀剣男士たちも、どこかまだあっけに取られているような、これから世界をわかっていこうとする無垢さをたたえたような桑名江/松井江の佇まいも、私には等しく眩しかった。目の前に広がる光景が、あまりにも美しかった。


―共に戦うため、使命果たすため。
そう呼びかけた彼ら刀剣男士たちは、その使命と同時に、「命あること」の素晴らしさ、すなわち生きる喜びを、一足先に知っている。
だからこそ、一緒に生きよう、こちら側に来てほしいと、まだ名を知らない「まれびと」に、まっすぐに呼びかけることができたのだろう。


「生きること、そこに在ること」を、まず最初に肯定するその力強さは、刀ミュの過去作にも連綿と見られたものだと個人的には感じているけれど、
その力強さが、これまでにないほどに純度の高い形で表出していたのが、歌合のあのラストシーンだったように思う。



2月ももう終わってしまう!パライソに追いつかれないうちは、しつこくほそぼそと歌合記事を更新します!

▼その他の歌合感想記事
・千秋楽の後に書き始めたもの
anagmaram.hatenablog.com

anagmaram.hatenablog.com


・初日後にネタバレしない印象だけ叫んだ記事
anagmaram.hatenablog.com

刀ミュ 歌合 乱舞狂乱2019 公演を見終えての感想その2 ~考察前半:「八つの炎」を巡って~

刀ミュ歌合2019感想記事のふたつめです。
今回は、「作品の骨格や全体像をきちんと理解したいと思っていたら、いつのまにか古事記の解説書を読んでいた」おたくによる、ちょっとした考察もどきです。(結論からいうと、そこはなんていうか…うん、惜しかったね!って感じなんですけど。)
以降本文はテーマとの相性を考えて、言い切りの「である・だ」調で進めます&書いてるうちに終わんねえことに気づいたので、考察シリーズは2分割します!



長野での初日公演を見た後、わたしの頭の中にはひたすら大量の疑問符が湧いていた。

今回の歌合乱舞狂乱のストーリーは、「本丸において刀剣男士が二手にわかれ、歌合と称して競い合い、その力によって最終的に新しい刀剣男士を顕現させるまで」のお話である。

…ごく単純に言い表すとたぶんこんな感じにまとめられなくはないのだが、作品全体がもつ奥行きがとんでもなく深くて、とても一言じゃ説明ができないし、今までの刀ミュ作品の比ではないほど、最初は見ていて頭が混乱した。
本当に「一体何を見せられたんだ?」という困惑が、初見時はとにかくとても強かったのだ。

描いている世界がまったく理解できない、ということではない。
ただ、歌詞やセリフのそこここに散りばめられた言葉に込められた「意味」を読み解かない限り、この「わかるけど、よくわからない」感覚からはたぶん逃れられない。
…そう思って、今回はとにかく自分が意識の中で引っかかりを覚えた単語や場面について、わからないことはひたすら調べまくることにした。
以下は、そうして「知らないことは調べるしかない!」と開き直った、おたくの格闘の記録である。


◆冒頭/終盤で刀剣男士たちが執り行っているもの

皆が纏うあの白い衣装。全員がことごとく無機質な表情で、力強く足を踏み鳴らし、大きく体を宙に舞わせるあの光景は、明らかになにか、己より上位の存在に対して捧げる行為なんだろうな、と見ながら自然と感じていた。
なんでそう思ったのか?というのはもう、DNAが反応するから、みたいな感じ。あの舞台上の色合いや音には、自然と「神聖さ、畏れ」をこちらに感じさせるものがあった。

歌詞にも「神遊び」「神おろし」といった単語があることから、あの刀剣男士が白い衣装を纏った一連の場面は、一種の神事として素直に捉えてよいだろう。と考えた。
つまり刀剣男士たちは、歌合の世界の中で、神事を執り行っている。その目的はもちろん、新たな仲間を本丸に迎えること。

ここで最初に気になった単語が「いみび」だった。長曽祢虎徹が歌う「いみびたやすことなかれ」というパート。
鶴丸は松明をもって現れるのだし、火であることはわかるけど、詳細がわからないのでさっそく聞き取った音で辞書を引く。

いむび【斎火・忌火】
《名》汚れをはらい清めた火。火鑽(ひき)りで起こし、神に供えるものを煮炊きするのに用いるなど、神事に用いられる火。いみび。いんび。いむこ。いんこ。
広辞苑第七版)

忌み火
神聖な火。出産や死など穢のあった家の火を意味する所もあるが、本来は斎火(いむび)と同じく、清浄な火のことである。火は穢れやすいものとされているので、年の始めに神社から神聖な火種をもらったり、逆に火種を他所に出すことを忌む風もある。伊勢神宮では忌火屋殿(いみびやでん)という別電で、錐揉(きりもみ)によって発火させ神聖な火種をつくっている。今日でも出立のとき、火打ち石で発火させ、その火の力によって無事を祈願する切り火の習俗があるが、これも忌み火の一種である。忌み火ということばは、照明の火よりも、食物調理の火の神聖さを強調するとき用いるほうが多い。
日本大百科全書(ニッポニカ))

この内容については、広辞苑よりニッポニカのほうがよりイメージがしやすい。
ひたすらになるほど…と思った。冒頭で鶴丸が掲げてきたあの松明は、ただの火ではなく、聖なる火だったのだ。それも、新たな生命を呼び起こすことを目的とした。


そう、歌合の中には、象徴的に何度も「火」・「炎」が登場する。
松明はもちろんそうだし、途中で歌を読み上げた後、刀剣男士たちはその短冊を火に焚べる。その様子もまた、火に歌を「供えている」ように受け取れる気がしていた。

そうして度々登場する火・炎の中でいちばん私にとって謎だったのは、「八つの炎」という言葉だった。

桑名江/松井江が顕現する際、彼らは

我を呼び起こすのは 燃えたぎる八つの炎
我に与えられたのは 肉体と八つの苦悩

と歌う。
つまり彼らの顕現には、八つの炎が必要だった。ただの炎ではなく、八つ。
そして顕現の直前、あのイネイミヒタクク…の謎の歌を3回繰り返した後、刀剣男士たちは声を揃えて、突如「八つ!」と力強く叫ぶ。あの場面は、最初に見たときに本当に鳥肌が立った。


…この「八つの炎」って何のことなんだろう。
ここで、わたしの中には
「歌合の世界における<八つの炎>を理解したい」
という衝動が生まれた。
結果何をしたかというと、やっぱりとりあえず辞書を引いた。笑
日本語を巧みに操る刀ミュの世界において、理解のいちばんの手助けになるのはまずは辞書といっても過言ではないと思う。
2年前に、カシオのEX-wordで大人向けの最上位機種を買ったのだが、日本語だけで広辞苑・ニッポニカ・大シソーラス・旺文社の古語辞典などなど本当に何でも入っている電子辞書で、今回もとても重宝した。
そうして神事まわりの単語について辞書をいろいろと引くうち、そこから「日本の神様、神話といえば…とりあえず古事記なのでは!?」というわかりやすく短絡的な思考に至り、八つの炎について知るべく、まずは古事記について調べることにした。

古事記の中に「八つの炎」を探す試み

さぁ古事記を読もう!と思っても、あまりに馴染みがなくて、いきなり現代語訳を読んで何かをつかめる自信がなかった。ので、今回入門書としてこの2つを読んだ。

どちらもすごくわかりやすくて、面白かった。本当はこれではずみをつけて、最終的に現代語訳にまでたどり着きたかったけど、そんな時間がとりきれるはずもなく、読む前に歌合は終わってしまった…。(後で脚注で触れるけれど、それが惜しすぎたポイント…笑)


読んでいて改めて思ったのが、日本の神様ってものすごく自由だなということ。
何やってんのかその行動原理が正直なところよくわからないし、感情の起伏が急だしすぐに怒るし死んじゃうし。理解を超えた自由さで、でも明確に意志を持って動き回っているのだろうな、という印象を受けた。
魂としての自由さって言ったらいいのか…うまくいえないんだけれど、頼んで言うことを聞いてくれるタイプの相手ではないっていうか、単純な善悪二元論で物事決めたりしてなさそうというか。荒々しさと生命力が溢れているようで、まぁそれは私が日本書紀じゃなくて古事記を選んで読んだせいかもしれないけれど、とにかくそんなふうに感じた。


で、まずは八という数字についてなにが描かれているのか、わからないなりに一生懸命読んでみた。
しかし結論からいうと、そこになにかわかりやすい答えは存在しない。
八という数字は、単なる八という具体的な数を示すものではなく、古代においては「とても多い」という数の多いさまを表すものとして使われる。それこそ「八百万の神」みたいな。
なんだけれど、一方で古事記の中には、ひたすらに八にまつわるエピソードが多く出てくるのだ。
そもそも国生み神話で最初に生まれた島=日本を表す言葉は「大八島(オホヤシマ)」だし、アマテラスとスサノオのウケヒで生まれた神は全部で八人。ヤマタノオロチだっているし、とにかくいたるところ「八」だらけである。
そのことに関しては、どうしても無視できない気持ちになった。特別な数字なのだな、ということを感じざるを得ないというか。


では火についてはどうか。火については、明確に神様がいる。
火の神=カグツチは、生まれるときに自らが火であることにより、母であるイザナミを焼き殺してしまう。それゆえ父神イザナギの怒りに触れ、そのまま父神に斬り殺されている。
火というものは、それほどに力のある存在。命の根源でもあると同時に、命そのものを脅かすこともあると、昔の人が強く感じていた事実が、とても端的に現れているように感じた。
生まれたことにより母を殺してしまい、父に殺されるカグツチ。他にこういう描かれ方の神様っているんだろうか?と思うくらい、飛び抜けて不遇なような気がした。
でもカグツチに限らず、怒った他の神様に切り殺される系の神様。他にもいたなぁ。そしてその後に淡々と別な神様が生まれてきたりするので、秩序なのか無秩序なのか、となる。
古事記の国生み神話、無秩序の中に秩序がもたらされるって説明が多いんだけど、いやその後も結構カオスやんけ!と思うなどしていた。

かぐつち-の-かみ【迦具土神
記紀神話で、伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二尊の子。火をつかさどる神。誕生の際、母を焼死させたため、父に切り殺される。火産霊命(ほむすびのかみ)。
広辞苑第七版)

…で、結局のところ、八つの炎というモチーフや、それと関わる神おろしの神事について、なにか明確な結びつきを見いだせるような情報は、私の手ではとくに見いだせなかったのである*1
ので、ここは頭を切り替えて、「今回の顕現における神事や八つの炎という言葉は、背景に古代神話のモチーフを散りばめた、刀ミュの自由な創作パートと捉えても差し支えなかろう!」と考えた*2
それがイネイミヒタクク…につながっているんだろうな、とも。
ただとにかく、日本の神様を巡って”八”という数字が特別なものとして認識されてきたことは、なんとなく肌感としてわかるようになった。

◆作品の中における「八つの炎」は何になるのか?

上記のとおり、この拙い調査をもとに、
・刀ミュ歌合の世界の中では、新たな戦う命を顕現させるにおいて、「八つの炎」が必要であった
といったんは仮定する。
そう仮定した上で、さらに気になることが出てくる。
それは、
歌合の場面描写の中では、いったいどこの部分が、具体的にその「八つの炎」にあたるのだろうか?
ということだ。


そもそも私が「八つの炎」に引っかかりを覚えたいちばんの理由はとても単純で、
「歌合で披露される歌は、劇中に六首しかない*3からである。
歌をそのまま「八つの炎」と捉えるには、あと2つ足りないのだ。

  • 1つ目:天地の神を祈りて吾が恋ふる君い必ず逢はざらめやも
    • 石切丸が短冊に歌を書きつけて火に焚べる。
  • 2つ目:世のなかは夢かうつつかうつつとも夢とも知らずありてなければ
    • 蜻蛉切が短冊に歌を書きつけて火に焚べる。
  • 3つ目:夏虫の身をいたづらになすこともひとつ思ひによりてなりけり
    • にっかり青江が短冊に歌を書きつけて火に焚べる。
  • 4つ目:梅の花折りてかざせる諸人は今日のあいだは楽しくあるべし
    • 明石国行が短冊に歌を書きつけて火に焚べる。
  • 5つ目:ぬばたまの我が黒髪に降りなづむ天の露霜とれば消につつ
  • 6つ目:ふたつなきものと思ひしを水底に山の端ならで出づる月影
    • 小狐丸が短冊に歌を書きつけて火に焚べる。

上記のとおり、明確に短冊を燃やす演出が入るからこそ、ここが「八つの炎」とまったく無関係とは考えにくくて、すこし考えこんでしまったのだが…
ここでまた気づいたのが、
「歌合の中には、ライブではなくお芝居パートだが、和歌が登場しない箇所がある」
ということ。
それは「巴形薙刀」と「松平信康と永見貞愛=物部」のパート、計2箇所である。


巴形薙刀は「逸話を持たない、物語なき巴形の集合」として顕現した刀剣男士である。
他の刀剣男士たちが、元の主たちと過ごした日々の記憶、多種多様な物語を持って顕現しているのに対し、巴形ははっきりと、自分には物語がないと述べる。

松平信康は、歴史の中では本来家康公の命により、切腹して命を終えた存在だが(=みほとせでの出来事)、その後石切丸に密かに命を助けられ、以後は松平信康の名を捨て掛川の吾兵と名乗り、農民として暮らしていた。そこから更に三日月宗近と出会い、各時代に存在するという刀剣男士の協力者=物部となり、村正たちの任務を助ける(=葵咲本紀での出来事)。
永見貞愛も信康と同様に、三日月から刀剣男士への協力を依頼された存在である。彼自身は、家康のもとに双子として生まれたものの、権力者の元においては双子は忌み嫌われる存在であることから、人知れず養子に出され永見家に育てられている(=葵咲本紀での出来事)。


上述のとおり、巴形薙刀には、明確に「物語がない」とされている。
信康と貞愛には、「歴史の中で悲しい役割を背負わされた存在」という共通点がある。言うなれば、華々しい語るべき物語を、歴史の中には見いだせない存在、ということだ。

つまるところもしかして。
物語を持たない巴だから、表舞台から姿を消した信康と貞愛だから、
彼らの<物語>が描かれるパートには、他の刀剣男士たちとは違い、歌が添えられなかったのではないか…?


この2箇所を足すと、お芝居のシーンはぴったり八になる。
「八つの炎」が指すものは、もしかするとこの場面を含めての、八つのお芝居・物語だったのではないだろうか。


「人の心に宿る物語をよすがとし この世に生れ出づるのは 歌も我らも同じこと」
と、歌合冒頭で鶴丸は言う。
だからこそ、刀剣男士たちが、桑名江/松井江を顕現させるにあたって供える対象が「歌」なのだと、私はそう理解していた。
歌もまた、ちいさな一つの物語である。その身に固有の物語を宿して生まれてきた刀剣男士たちは、その「歌」を彩る物語を、また新しく、生き生きと表現する。

しかし、今この場で歌い、新たに物語を紡ぐ上で、過去にばかり囚われる必要はないのだ。
これは当然、わたし個人の”願望”を多分に含む理解ではあるけれど、
巴と物部ふたりのパートを含めたらきちんと八になるんじゃないか、と気づいたとき、なんだかすごく嬉しかったのだ。
たとえ自らの物語を歴史の中には持てないとしても、いまここに/かつてそこに、存在していた証は確かにある。その存在の証は、新しい命を生み出すよすがとして、歴史ある物語と同様に機能し得る。そう言われているような気持ちになったから。

葵咲本紀で貞愛が歌う「影は形に従い、響きは音に応じるんだろう」を、ここでもまた思い出した。

◆唐突に思えた二部パートのライブ曲。場面転換まではちょうど「8曲」

歌合でのライブ曲への展開、正直なところ最初は本当に唐突に思えた。
受け付けられないというわけではないんだけど、あまりにも急なので頭がなかなかついていかない。だって、逢はざらめやも…って玉砂利の音に心がしんとした後、こんぺいとう(根兵糖)でしぬほどわらってたら、急にmistakeのイントロが爆音でかかるんだもの、そんなの最初からついていけるほうがおかしいよ!笑

なんだけれど、ライブパートの歌の数を数えていて思ったのだ。
場面が明確に切り替わる=客席降りを始めるまでの間に披露された二部曲も、ぴったり8曲だったのである。
musical-toukenranbu.jp

1首目…あめつちの(石切丸)
2首目…よのなかは(蜻蛉切
・・・・・・・・・・・・・・
1曲目…mitake
2曲目…Impulse
3曲目…Stay with me

・・・・・・・・・・・・・・
3首目…なつむしの(にっかり青江)
4首目…うめのはな(明石国行)
・・・・・・・・・・・・・・
4曲目…Brand New Sky
5曲目…Nameless Fighter
6曲目…約束の空

・・・・・・・・・・・・・・
松平信康/永見貞愛の鯛パート(=前進か死か
・・・・・・・・・・・・・・
巴形薙刀/大和守安定/陸奥守吉行/大倶利伽羅の畑パート
・・・・・・・・・・・・・・
5首目…ぬばたまの(和泉守兼定
・・・・・・・・・・・・・・
7曲目…描いていた未来へ
・・・・・・・・・・・・・・
6首目…ふたつなき(小狐丸)
・・・・・・・・・・・・・・
8曲目…響きあって
・・・・・・・・・・・・・・
(※以降、客席降りと「獣」披露へ)

まあもちろん、客席降りの「百万回のありがとう」も「勝ちに行くぜベイベー」も、同じようにライブ曲なわけだし、そうやってこじつけすぎるのもどうかなと思うんだけれど、
ただなんていうのか…舞台の上から届けるもの、披露するものとしてのライブ曲は、響きあってまでで一区切りだなぁと、見ていてごく自然と感じたのである。


当たり前なんだけれど、二部のライブ曲もまた、「歌」なのだ。
だからなにも、お芝居パートの和歌だけを指して「歌合」と言っていたわけじゃなくって、あの華やかなライブパートの楽曲たちもまた、新たな仲間に会うための「歌合」の大事な要素だったんじゃないだろうか。


「遠くから、歌が、聞こえたんだ。」
桑名くんはそう言って、ほのかに嬉しそうに微笑んでいた。
「遠くから、歌が、聞こえた。」
松井くんは、どこか不思議そうに、これから何かをわかろうとするような表情でそう言った。

彼らの耳に届いていた「歌」は、もしかしたらこのライブパートの曲のことだったのかもしれない。
どこか遠くの方から響いてくる、力強い歌声と歓声と。
それはまさに、8曲目の「響きあって」が表す世界、そのものだったようにも思える。

Oh湧き上がった歓声はやがて波となりうねり出す
全てを伝えたい 解き放ってよCLAP & CALL

響きあって

響きあって

  • 刀剣男士 formation of 三百年
  • J-Pop
  • ¥255
(引用箇所に差し掛かるところで試聴が終わる!無念!)

一部の重厚な物語の骨格を携えたお芝居と、二部のキラキラした現代的なライブとが、奇跡のようにひとつの世界にまとまっているのが、刀ミュの大きな魅力のひとつである。
お芝居を中心に据えた試みになる、という触れ込みだった今回の歌合だけれど、もし上記の考察が当てはまるのだとしたら、
お芝居の世界の中に、ライブ曲までを抱き込んで、今までとはまた違う形で作品世界が融合していることになる。
なんていうかそれもまた、すごく刀ミュらしい表現といえるんじゃないかな…と感じた。

◆考察前半の最後に:なぜ「炎」なのか

ここに関しては、そんなに難しく考えることもなかったのでは…?と、あとになってから気づいた。
なぜなら、刀剣男士=刀は、火によって生み出される存在だと言えるからである。
日本刀の制作過程において、火が切っても切り離せないことはどう考えても明白であり、刀剣男士が新たな仲間の誕生において祈りを捧げる相手が火の神であったとして、何ら不思議はないのである。


明確に聞き取ることはできなかったのだが、
「いかばかりよきわざしてか あまてるや」の鶴丸のあとに、石切丸と小狐丸は
「火産みの神 しばしとどめん しばしとどめん」
と歌っているような気がする。
”~の神”の内容には10回見た今でもどうしても確信が持てないのだけど(ひぶみ、とかひるみ、とかそういう音にも聞こえる気がして)、
カグツチ火産霊命(ほむすびのかみ)とも呼ばれるから、そのことを何らかの形で指す歌詞だったのではないか…?と今はとりあえず理解している。



考察もどき前半は以上です!
なんであんなに熱心に「古事記を読まなくちゃ!」と思ったのか、自分でも今となってはよくわからない情熱に突き動かされていたし、その割に戦果うすっ!って感じなんですけど(そうでもないか?イネイミヒタククの真実に肉薄して終わってしまった無念さはある)、
自ら興味を持って調べたことにより、理解の奥行きがものすごく広がったことを感じました。それはとてつもない財産だったなと。久しぶりに図書館にいったもの…
そっくりそのままの答えが見つかることを期待しているのとも少し違って、自分が作品を受け取る感度を高めるための知識を得たい、みたいな気持ちなんですけど、それにはちゃんと意味があるなぁと思えたし、何より知識が増えるのは楽しかったです。

考察記事後半では、たぶん「まれびとまだか」についてをメインで書きます!
ちまちまとですが歌合の話はまだ続けるので、よければお付き合いください~。


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*1:知りたい気持ちが募りすぎて、東京都立図書館のメールでできるレファレンスサービスにも申し込ませていただいたけれど、やはり明確な文献は見当たりませんでしたという回答をいただいた。図書館の方、ご対応ありがとうございました…!

*2:実は、このカグツチを鍵として、例の「イネイミヒタクク」の謎を解明していた方がなんとTwitterにいました。 あの歌の謎解きははなから諦めてたんだけど、でもこんなに近くをウロウロしていて気づかない私って…!?となりました…。笑 自分で見つけたわけではないのでここに答えを書くのは遠慮するけれど、検索したら出てくると思うので気になる人は検索してみてください。カグツチwikipediaを見るだけでも、何かしらがわかると思います!https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B0%E3%83%84%E3%83%81

*3:この歌についても、本歌取りなのかそれともそのままなのか?と気になって調べたら、6首とも古典歌集に収録されている和歌でした。万葉集から3つ、古今和歌集から3つずつ。歌についての詳細はそのまま物語パートへの感想につながるので、別記事にすべてまとめます!

刀ミュ 歌合 乱舞狂乱2019 公演を見終えての感想その1 ~客席を「信じてくれたこと」への感謝~

歌合乱舞狂乱、9都市26公演が先日ついに終了しましたね。

11月24日に長野で幕を開けたものの、明確な「ネタバレ禁止令」のお触れが公式から出るというなかなか独特な状況のなか、ダイレクトな感想はいっさいインターネットでしゃべることができず…独特のうずうず感を感じ続けた2ヶ月間となりました。でもそのお触れを守りきった千秋楽の達成感には、とても清々しいものがあった…!

書きたいことは本当にたくさん。だって2ヶ月黙ってたんだもん、そりゃ言いたいこともあるよ!!!そりゃそうだよ!!!よく我慢しきったよね!!!

ひとまず脳内整理に着手してみたところ、多分書きたいテーマとしては、

  • ①「歌合」という作品全体への感想(中身にはあまり踏み込まない、主に印象論)
  • ②「歌合」が扱った古典題材に関する個人的な紐解きの記録
  • ③和歌6首について、脚本それぞれへの感想
  • 鶴丸かっこいい国永さんの話

…の4本立てになりそうな予感。おい最後。って感じですよね。すみません芸風です。笑
書く順番はこのとおりにはならなさそうですが、ひとまずこの記事では①について書いています!




◆本丸の「日常」を垣間見る贅沢がそこにあった

もうほんとに、この点がもはや審神者に対する福利厚生だったと思う…!
刀ミュ本公演は基本的に戦いに出陣している最中の話なわけで、のんびり過ごしている本丸の普段の様子は、どうしても描かれるチャンスが少なくなります。
冒頭やラストに出陣前後の場面描写は当然登場しますが、そのときの衣装は基本的に出陣の戦装束で、内番着姿が見られるのは年末のらぶフェスだけ。らぶフェスの内番スタイルも、基本的にはライブ中盤の盛り上げパートに持ってこられることが多くて、その格好でのお芝居はこれまで見る機会がありませんでした。
「あの本丸で、みんなきっと仲良く毎日を過ごしてるんだろうな…」とは思うものの、色々楽しく&たくましく妄想を膨らませることはできるものの!
実際にその様子を見ることって、これまでなかなかできなかったわけなんです。


それが、今年は!
お話パートの初っ端(石切丸メインの【懐かしき音】)から、登場する全員が内番着姿で、何気ない本丸の日常の一コマを描いてくれるという、いきなり見たかったやつが剛速球で投げつけられるような状態で、初見時は情報量の多さに泡を吹きそうでした。
碁盤を挟んで向かい合う石切丸と鶴丸、それをおっとりと見守る小狐丸。れっすんに励む篭手切江とそれにつきあわされる御手杵
阿波の酒もなかなかいけるじゃねえか!って言いながらお酒を飲み交わす兼さんとはっち。
その傍らでひとり黙々と畑当番を続ける大倶利伽羅…などなど!
(※勢いでこのシーンの鶴丸の話をし始めそうになったんですが、別記事で好きなだけしゃべるので、ここはいったんだまります!笑 あと「吾が恋ふる」のお話自体のやさしさが大変だった泣いたぜ!っていう感想もまた別記事にします!)


メインでお話を展開させる石切丸の周りで、朗らかに談笑したりふざけあったりするみんなの姿が、これぞ日常、というかたちでその場に立ち上がっていて、本当に感動したんです。
「そうだよ、こういう、いつもの当たり前の本丸のこと、本当に見てみたかったんだよ…!?」って、見ながらありがとうの気持ちが爆発してました。ものすごく嬉しかったです…!
別なパートでは、ゲームで実装されたばかりの軽装まで見せてもらえたしね。。はっちに至っては軽装が解禁されたの1月14日だったのに、公演終盤でしっかり衣装変えてくるんだもん、気合いと根性がすごいと思う(運営の)。
刀ミュはいつだって見たいものを見せてくれるなってつくづく思うんだけれど、この「日常」感はこれまで機会がなかったけどすごく見たかったもの!っていう内容だったので、余計に嬉しく感じたのかもしれません。
どのお話の中でも、刀剣男士たちそれぞれの関係性や、そこに漂う空気感がとても丁寧に描かれていて、本丸の息遣いをつぶさに感じることができたように思います。

◆参画した作り手の数は、そのまま世界観の奥行きへ

今回、脚本家・作曲家・振り付け師がひとつの作品に複数いるという、贅沢極まりない状態だったわけですが、正直最初は不安もありました!それは主に脚本面について。
御笠ノさんが書く本がわたしはとにかくツボすぎるので、別な人がお話をつくるとどういうふうになるのか、どうしても全然予想ができなくて。
だけど実際に見てみると、増えた作り手の人数は、ただただ世界観を充実させる結果にしかつながっていなくて。
不安に思う必要なんてなかったんだな、って拍子抜けするくらい、そこにあったのは「いつもの刀ミュ」が、シンプルにパワーアップした姿でした。
そして何より、あの複雑な色合いを、しっかりとひとつの作品にまとめあげた茅野さんの演出の手腕、見事すぎる。


なによりも個人的に「ついにこの日が…」って感慨深かったのは、和田俊輔*1さんの音楽を刀ミュの世界の中で聞いてしまったこと。
公演の事前に動画が公開されていた、あの「イネイミヒタクク」の歌、もはやあの前奏の時点で「いや、こんなんぜったいわだしゅんさんやろ!?」って思ってはいたんだけれど、そしてその予想はあたっていたんだけど…実際に公演の中で和田さんの音楽に触れたとき、なんというか脳みそが痺れるようなすさまじい衝撃がありました。
音が鳴った瞬間から、その世界の色合いや空気を一気に変えてしまう、恐ろしいほどの力が、和田さんの作る音楽にはあると思う。
でもそれでいて、絶対に作品全体を変な意味で”支配”してしまうこともないんですよ…。あれだけ作家性を感じさせる独特の旋律なのに、個性をぶつけているのに、それが世界観の全体を強固にする結果にしか繋がらないという。
そんな矛盾しそうなことが成立すんの?って思うんですが、じっさい成立しちゃってるので、やっぱり和田さん、天才なんだなぁって。あまりのすごさに、聞いているこちらからはこのとおりばかみたいな感想しか出せなくなってしまうんですが…。いやだって天才がすぎる。。

思い出すのは冒頭の「奉踊」を初めて見たときの衝撃です。
あの音楽にのせて、いわゆる神がかりの状態を想起させる、真っ白な衣装を身に着けた刀剣男士のみんなの踊りを初めて見た長野公演。あのときの、どこか「畏れ」にも似た、本能が体の内側で一歩後ずさりをしているような、荘厳な感覚は忘れられません。

◆全編を彩る、日本語の美しさ

具体的な内容は考察っぽいことを書こうと思ってる別記事に譲るのですが、今回、いわゆる日本文学の古典にあたる内容が多々引用されています。
そのため、日本語という言葉の豊かさを、あらゆる場面で浴びるように感じることができて、典型的な文系おたくであるわたしにとってはそれだけで至福のひとときでした。

もともと刀ミュ本公演で使われる言葉遣いの渋さに転がりまわっていた人間なので(例:三日月の「はてはていかがしたものか」*2だけでご飯が3杯食べられそう)、大好きな刀剣男士のみんなが、奈良・平安時代の和歌を次々と読み上げてくれたり、勅撰和歌集冒頭の序文をセリフの一部として述べてくれる世界は、あまりにも贅沢で。
いにしえの日本語の言葉遣いって、なんであんなにうつくしいのだろう。文字で読んでも感じることだけど、音で聞いたときのうつくしさが特にたまらない。古文に久しぶりにたくさん触れたら、なんだか心が独特の潤い方をした気がしました。


何より、好きだとて、私は古典作品に詳しいわけでは一切ないのです。知識は高校生止まり。学生時代の勉強の中で触れた古典が、教科としてものすごく好きだった、ただそれだけ。(今はまったく無理だけど、受験前の脳みそがいちばん賢いときは、辞書なしでほぼナチュラルスピードで古文が読めたくらい好きでした。今考えるとけっこうすごいと思う。笑)
でも大人になってから自分で新しく読んでみようとしたことは正直なところ一度もなく、今回刀ミュがこうしてとりあげてくれなければ、日常生活で出会うことがこの先もそもそもなかったように思います。

こうして、自分がそれまで知らなかったことや、好きだったけど長く離れていたなにかに対して、新しい形での出会いをもたらしてくれるという機能。それって、エンタメがもたらす効果としては、シンプルにすごいことなんじゃないかな?と思うのです。
「詳しいことはわからないけど、なんだか好き」って思わせてくれて、さらにその興味や好意の先に、自分の中で理解の枝を広げてみたいと自然に感じさせてくれる、という事実。
それはそのまま、その作品世界が奥深く、真剣に作り上げられていることの証左だと思うんです。
それだけ心を動かされて、もっと知りたい、理解したいって欲求を呼び起こす力が、その作品には宿っているってことだと思うから。


毎回思うことなんだけれど、お客さんを侮らない刀ミュの姿勢がわたしは本当に好きです。
「ちゃんと届ければ、絶対に届く」。そう信じて、とにかく高いクオリティのものを発信し続けてくれていることが、言いしれようもなくありがたいし、すごく嬉しくなる。
今回はこれまでの刀ミュの歴史と照らしてもとにかく度肝を抜かれる瞬間が多くて、なんてことをしやがる…!?って初日はとくに目を白黒させていたけれど、それだけ新しい驚きにたくさん出会わせてもらえたことについて、観客としてこれ以上の幸せはないと改めて思いました。

◆アリーナクラスの会場で成立した「お芝居」。残るのは、「信じてくれたこと」への感謝

「今年はこれまで(=真剣乱舞祭)よりも、さらにお芝居の要素を増やす挑戦をしてみたいと思っている」というコンセプトは、公演発表の当初から、運営側によってとても明確に告げられていました。
とはいえ、公演が打たれる会場はどこも数千人規模のアリーナクラスのところばかり。埼玉公演にいたってはたまアリです。
らぶフェスにももちろん物語が語られるパートはあるにせよ、ライブがメインだった3年間を見てきた身からすると、「会場規模は変えずにそこで”お芝居”を中心に据えるって、ほんとにそんなことできるの?」という、不安にも似た疑問が湧いていました。
だって劇場とは比べ物にならないくらいの距離が、客席とステージの間にはどうしても生まれてしまうわけだし。…ちょっと流石に無謀なのではないか?とドキドキしていたのも事実。
なのですが、その不安は完璧に杞憂でした!


不思議だなと思ったのが、らぶフェスを見ていたときよりも、ステージとの距離の遠さを感じなかったことなんです。
それこそらぶフェス2017のたまアリでは、アリーナ後方にいるときも200レベルにいるときも、決して「近い」と感じることはできなくて、ちょっとした疎外感を抱く瞬間も実のところ多かったのです。もちろんすごく楽しいんだけれど、座席位置による格差の体感には、そこそこシビアなものがありました。

それに対し、今回のステージングは、アリーナ後方に配置したサブステージと正面のメインステージとの間に花道を設けない、とてもシンプルな形。
つまりステージ間の移動はすべて徒歩(というかダッシュ)という、キャストにとってはかなり負担の大きなものだった気もするのですが、サブステージがアリーナ中央ではなく後方にあったためか、どこで見ていても遠さによるさみしさを得ることは特にありませんでした。
物語が展開する中心位置がメインステージでもサブステージでも、それはおんなじで。
うまくいえないんだけれど、作品世界の中への没入感が、あの会場の大きさで可能なものとは思えないくらいに高かったのです。
見ている客席側にも、ぴりっとした緊張感があったりして、その場にいる全員で「作品を成立させている」っていう体感が、不思議なほどに得られたんですよね。今回の会場の中で一番遠かったと思われるたまアリの500レベルで見た感想もそうだったから、ここは自信を持ってそう言える。


この「ライブ会場で公演を行い、数千人に対して生のお芝居を届ける」という一見無謀にも感じられる試みが、疑いようもなくしっかりと成立していたことにも、刀ミュの歩んできた道のりの確かさが表れていたように思います。
だってどう考えたって、受け手側にそれなりの集中力がないと、場の空気って簡単に発散してしまうと思う。音声にならないまでも、内心がざわついてる客席の空気感って絶対に演者にも伝わるものだし、その中でお芝居をやることはやっぱり無理だと思うんです。
だけどその点について、見ている間じゅう、本当に不安がなかった。
あんなに大勢の人がしんと静まり返って、息を飲んで一心に舞台を見つめている時間、わたしは初めて経験しました。


「難しいかも、無謀かも」って、きっと届ける側にも多少なりとも不安はあったと思う。だけど、わたしたち客席側のことを信じて、こんなとんでもない作品をぶつけてきてくれたことが、何よりもすごく嬉しかった。
これまでおためごかしのない、硬派に過ぎる作品作りを続けてきた運営と、それに惹かれてついてきたお客さんたちとの間に、もうしっかりとした受けこたえの関係性が出来上がっているんだなって思えて。
観客として信じてもらえるって、エンタメの受け取り側として得られる最高のご褒美のひとつだと思います。それを今まで以上に高い純度で与えてくれた刀ミュのこと、余計好きになりました。


なによりその信頼関係は、今回の「ネタバレ禁止」が観客側によって守り抜かれたことによって、ひとつ結実したのではないでしょうか。

歌合2019の作品の根幹=「これまで本丸にいなかった新しい刀剣男士(桑名江/松井江)を歌合によって顕現させる」という仕掛けは、基本的にSNSでは固く秘密として守り通されていたと思います。
作品のネタバレをSNS上でどう捉えるかという、そもそも議論を呼ぶ内容が絡むので難しい点もあるんだけれど、今回刀ミュがわたしたちに望んでいたのは、「観客として、皆さんも一緒にこの作品を作ってくれませんか?」っていう、ごくシンプルなことだったのではないかと感じました。


歌合の公演後、陸奥守吉行を演じている田村心くんが上げてくれたブログの文章に、こんな一節がありました。
lineblog.me

ネタバレ禁止を信じた「刀ミュ」と
ネタバレ禁止を守ったお客様

ミュージカル「刀剣乱舞」と
お客様との間に信頼関係がなければ
今回の「歌合」は本当の意味で
成立しなかったのではないでしょうか。

年月をかけて
たくさんの出陣を経て
たくさんの歴史ができて
その中で生まれた信頼関係なのだと思うと
すごいことだし素敵だなと思います。

受け手側で得ていた体感を、実際に演じていたキャストさんの言葉でそのまま聞くことができたことの嬉しさに、読んでいて勝手に涙が出ました。
この心くんのブログ本当に素晴らしいので、是非全文読んでほしいです…!


そして武蔵野での千秋楽、カーテンコールでの一コマ。


2ヶ月の長きにわたり、年をまたいで日本全国を飛び回り、しかもまさかのカンパニー内に絶対に存在をバレてはいけない秘密のキャストを抱えながら、全26公演をやりきった皆さんに、心からのねぎらいと、感謝の気持ちをおくりたいです。
わたしたちのことを、信じてくれて本当にありがとう。



なんか一番最後に書いたほうが良かったのでは?感のある、まとめ感たっぷりの文章になってしまったんですが、まぁ2ヶ月我慢してたから…笑
体調崩したりシンプルに忙しすぎてここのところ全然ブログを書く時間がとれてなかったのですが、2月にはいってだいぶ落ち着いたので、ここからしばらく気の済むまで歌合を振り返ろうと思います!

*1:数々の舞台作品の作曲を手掛けており、主に「TRUMP」シリーズ、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!」で彼の音楽に触れている舞台おたくは多いと思います。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E4%BF%8A%E8%BC%94

*2:阿津賀志山異聞2018巴里で歌われる「向かう槌音」に登場します。

3年遅れで触れたドラマ「逃げ恥」があまりにも面白かったのでその感想

あけましておめでとうございます!あなぐまです。
当ブログは基本的に観劇+推しを追いかけるにまつわるあれこれを書いているブログなんですが、2020年一発目はめちゃくちゃに珍しく、とつぜん映像作品の感想を書きます。
そのタイトルは「逃げるは恥だが役に立つ」、通称「逃げ恥」です。…いや、なんで今なん?
www.tbs.co.jp

というのも、ご存知の方も多いと思うんですが、12月28日~29日の2日にかけて、年末に一挙再放送をやってたんですよね。
その情報は特に知らずに、メイク途中の時間つぶしにつけたテレビで見始めたのがきっかけ。
そのあまりの面白さに腰を据えて見てしまい、うっかり友達との約束に遅刻しそうになったので、慌てて録画予約を入れてそのまま家を飛び出しました。
それを29日にまとめて全話見たのですが…なんかもう、言葉をなくすほど、面白かった。


「いやこんな面白いなら教えてほしかった!?わたし当時なんで見てないの!?」って本気でどこかに責任転嫁しそうになりました。
…いや、教えてほしいもなにも、当時いやでも耳に入ってくるくらいの大旋風を巻き起こしていましたよね。うん、その記憶はたしかにある!笑
放送時期がいつだったかもおぼろげだったのですが、2016年秋クールという放送時期を確認して「あ~」と納得しました。
当時のわたしは最愛のコンテンツであるミュージカル『刀剣乱舞』のとある公演に命を賭けていたので、頭と心双方に、他の一切のものが入る隙間が一ミリもなかったのです。あのいきるかしぬかみたいな精神状態だった時期に、連ドラなんてまず見られるはずがない!(そんなに?)
そもそもの前提として、連ドラを見る習慣がまったくないこともあり、「すごいな~えらい流行ってるなぁ」とぼんやり思っていた記憶のまま、話の詳細もとくに知らずにここまで来ていたのでした。

そんな状態で今見たら、あまりにも面白かったので、ちょっとびっくりしてしまって…
「いや3年も前の連ドラの感想をなんで今?しかも新年一発目に?」という気持ちにはなるのですが、せっかくなので感想を書き残してみようと思います!

◆「3年前」という古さを感じさせないストーリー

まずはここですよね…。3年って、ゆうてけっこう前だと思うんですよ。
だって、最初信じられなかったもの。劇中でみくりが見るスマホのメール受信日時が「2016/10/30」とかになってるの見て、「いや嘘では!?さすがに3年も前じゃなくない!?」ってしばらく本気にしてなかったもの。それくらいびっくりした。つい最近のドラマかと思ってた!

きっちり3年経ってなお、物語が伝えてくるその内容が、まったく古さを感じさせないんですよね。むしろ、未だに最先端を行っているのではないか?とすら思わせるほど。
唯一「ちょっと前の内容だな」って感じるポイントは、みくりのファッションくらいでしたもの。
「そうか、あの極端にトップスを前だけインするスタイルは2016年のトレンドだったか…!」って懐かしさを感じたりしました。
それ以外の面では、一切古びたポイントがなかったように思います。
強いて言えば、平匡の転職先、今ならたぶん爆速で決まるんじゃないかな?とか、それくらいか…?(優秀なITエンジニアなら2016年時点でも引く手あまただったのではと思うんですけど、どうなんでしょうね!?)


古さを感じさせない理由、それは「やりがい搾取」にみられるような、登場する言葉のキャッチーさだけによるものではなく、
この作品に通底する「相手や状況を、勝手に決めつけない。世間の『常識』を、当然のものとして捉えない」という、毅然とした態度にこそあるように思います。
その姿勢や心意気といったものが揺らぐことなく、物語をまっすぐに貫く柱になっていることが、現時点でもまだ「新しい」と感じてしまうポイントなんじゃないかなぁと。
多様性なんて言うのは簡単だけど、実践することは本当に難しいし、ざっくり言ってしまえば日本社会ってそれがものすご~く、永遠に不得手であるように思います。
そんな中で、ごく軽やかに、でも確信犯めいた打算を交えて、「みんなちがってみんないい!」って突きつけてくる逃げ恥の語り口、とことん胸がすくようでした。

◆「当たり前」に逃げ込まない、そのことの強さと苦しさ

みくりは、大学時代に彼氏に振られた時に言い放たれた「お前、小賢しいんだよ」という言葉が、ずっと棘のように刺さって抜けていません。
平匡は、年齢=彼女いない歴である自身のあり方について、みくりに言わせれば「極端に自尊感情の低い男」です。
そんな二人が、家事労働に対する正当な対価としての賃金を発生させる「契約結婚」という形を選ぶところから物語は始まりますが、時間の経過・関係性の変化に伴って揺れ動く二人の感情が、ものすごく丁寧に描かれていました。


特に秀逸だなと思ったのが、みくりが待ち望んでいたはずの平匡のプロポーズに対して「それは、好きの搾取です」と真っ向から険しい表情で反発してみせたこと。
あそこで、視聴者も平匡と同様に、冷や水を浴びせられた気持ちになった気がします。

だって、「好き同士なら、正式に婚姻関係をむすんで夫婦になることに、何ら障害などないはずだ」って、見ている誰しもが、当たり前のようにそう感じてしまってたと思うんです。二人には絶対に幸せになってほしい!と思っているからこそ。
でも、そこでみくりは自分の心の中に生まれたモヤモヤに、背中を向けることをしなかった。
これまでは給料をもらい、その対価として提供してきた自分の家事労働が、正式な結婚という形を取った瞬間に、無償で提供されて然るべきものに成り代わってしまう。
そのことへの釈然としない気持ちや苛立ちを、みくりは大好きである平匡に、ちゃんと正面からぶつけます。
その姿に、「そうだ、世間一般で当たり前と思われることがイコール幸せだなんて、いったい誰が決めた真実なの?」って、改めて脳みそを揺さぶられるような気持ちになりました。


逃げ恥のストーリーは、上記のとおりに
「『好き』という感情を肯定しつつも、生きる上での免罪符にはしない」
という、恋愛を描くドラマだとしたらかなり困難であろう道を進んでいます。(※そもそも、恋愛ドラマという枠には収まっていない作品だとは思うけれど。*1

ラスト2話では、結婚に対して新しく平匡から提唱された<共同経営責任者>という考えに基づいて、「仮に結婚をするなら、関係性が変わるなら、それ相応のあたらしい形・二人のルールを最初から作り上げねばならない」と決めて模索する二人の姿が、とても丹念に描かれていました。
みくりと平匡に関しては、正直ときめきがだいぶ目減りしたけっこうにシビアな描写続きの中、逃げずにここに2話しっかりと当て込んだこと、脚本の手腕がすごいなと思いました。
大半の視聴者が見たいであろう二人のラブラブな微笑ましい姿ではなくって、現実ありのままか?となるようなすれ違いを、丁寧にぶつけてくるのがすごい。
青空市の手伝いを始めて以降のみくりは、それまでの癒やし系そのものみたいな朗らかな笑顔ではなく、眉間にしわのよった険しい表情をたくさん見せるようになるのですが、その姿を見ていたら「いや、人生をともにするって、ほんとそういうことだよな…」と、身につまされる思いになりました。


そう、生活って、続いていくものなんだ。
好きな人と結ばれたら即幸せになってめでたしめでたし、では全然ないのだ。
忙しすぎる最中に「お願い、ご飯だけ炊いておいて!」って頼んだパートナーがそれをすっかり忘れて、あまつさえその事実を隠そうとまでしていたら、「いいです、私が買いに行きます」ってブチ切れて財布を掴んで家を出ていきそうにもなるよ。わかるよ、それが生活だよみくり!

「一緒に『暮らす』ことを続けるために、自分たちはいったい何をしたらいいのか?」って真正面から真面目にもがく二人は、本当に誠実でいじらしくて、何を大切にすべきなのか、妥協せずに選び続けました。
だからこそちゃんと、ドラマとしての嘘のないハッピーエンドにたどり着いたんだろうな、と思います。

◆ゆりちゃん。好きだ…!

もちろん主演の二人はめちゃくちゃに可愛らしくて、なんてことをしてくれるんだ!?と萌え散らかすようなシーンてんこ盛りで大好きだったのですが、それ以上にわたしがやられたのは、石田ゆり子さん演じる土屋百合(百合ちゃん)でした。
一気見しながらTwitterでひたすら「ゆりちゃん!」って叫ぶゆりちゃんbotになってしまった。それくらい好き。ゆりちゃんが好き。胸がくるしくなる。


これはたぶん2016年当時に散々言い尽くされたことだと思うんですけど、ゆりちゃんの最終話でのセリフ、めちゃくちゃに泣きました。

「自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい」

だーりお演じる「ザ・若くて綺麗な女」代表みたいな杏奈に対して、優しくかつ毅然とそう言い渡すゆりちゃん。
ここで語られる「呪い」=「女は若くて綺麗なうちに(のみ)価値がある」は、多分この先もずっと、この世の中からなくなることはないんだろう、と思う。
だけど、それに対して自分がどう振る舞うべきか、<選択する>自由は、確かに自分にある。


わざとらしく、おばさんのかわりに「お姉さん」と呼びかける杏奈に対して、ゆりちゃんが渡してあげた言葉は、なんというか…闇の呪いに対する光の魔法みたいなものだったんじゃないかな、と感じます。
それを聞いたあとの杏奈の表情が、視聴者にはわからないのもすごくよかった。
直前まで画面に映し出されているのは、ゆりちゃんに諭すように語りかけられて、居心地の悪そうな、むすくれた表情をしている杏奈。
本当は自分がとんでもなく恥ずかしいふるまいをしていることをわかっている、だけどその過ちをすぐに認めることなんてしたくないしできない。その様子を隠すことなくありありと顔に出すその様子が、リアルで好きでした。
すぐにしおらしく反省したような態度なんて取られても嘘っぽいもの。

杏奈はゆりちゃんに勝つつもりで乗り込んで来たのだろうけど、そこにあるのは勝負なんかじゃなくて、「自分を大切に生きなさい」ってわざわざ伝えてくれる、人生の先輩との時間だった。
きっとあの瞬間は、めちゃくちゃに悔しくて憎らしい気持ちになってるだろうけど、でもああしてゆりちゃんが言葉にして渡してくれたものは、きっと杏奈の未来をいつか変えるのだと思う。


ゆりちゃんのあの佇まいを見ていると、言葉にならない感情が溢れてきます。
どこに出しても恥ずかしくない本物のバリキャリ。当然お金に余裕があって、かっこよくて美人。周りにそう評価され続けながら、あることないことしょっちゅう言われながら、ただ自分が選んだ生き方から、きっとゆりちゃんは、逃げることだけはしなかった。
ゆりちゃんのその姿があまりにも美しいから、安っぽい言葉で勝手なことを言えなくなる。
ここでかけたい言葉は、「ゆりちゃん、幸せになってほしい」じゃない。
だってきっとゆりちゃんはずっと、自分として生きてきて、今の今まで幸せだから。そうに決まっているから。
だからたぶん、ゆりちゃんに言いたくなる言葉の正解は
「ゆりちゃん、笑顔でいてほしい」
だなと思いました。
ただ、笑顔でいてほしいです。うつくしい生き方を見せてくれて、ありがとうゆりちゃん。

◆丁寧に「呪い」が解かれていく話

逃げ恥を見て最終的に感じたのは、これでした。
登場する誰もが、過去のトラウマやこれまでの自分の人生の経験によって身についた、なにがしかの「呪い」を心のどこかに抱えて生きている。
その深刻さや強さに濃淡こそあれ、誰ともわかちあえない、自分だけの生きるつらさ、みたいなものを、全員がそっと抱えている。そしてその呪いから、みんな少しずつ解放されていく、そんな物語だったように思います。


傍から見ればなんの不満もなさそうな人だとしても、本人の心にはぽっかり空いた穴があったりする。
その事実を突きつけられたのが、酔った平匡をゆりちゃんが運転する車で送り届けるシーンでした。
助手席に座った風見が、高校時代に初めてできた彼女に関する苦い思い出を振り返りながら、「かわいそうだって自分のことしか見えてないあの子に、なんて言えばよかったんだろう」というセリフには、凄まじい強さがありました。
寝ているふりをした平匡に聞かせるつもりでわざと話した、僕は性格が悪いんですってあとになって笑いながら言っていたけど、それは半分嘘なんだろうな、と思わずにいられなかった。
「持っている」ように見える人にしかわからない生きづらさや苦しさを、わかることはできなくても、せめて想像することのできる人でありたいなと、感じさせられるシーンでした。


呪いは、どこに潜んでいるかわからないし、一度出会ってしまったら長期間苦しめられてしまうことがある、恐ろしい存在。だからなるべく出会わないよう、避けるに越したことはない。
だけどそうして運悪くかかってしまった呪いだって、誰かのたった一言で、たしかに解け去る瞬間がある。

「みくりさんのことを、小賢しい、だなんて、思ったことはありませんよ」
最終話で平匡が不思議そうに告げたその一言は、みくりの心の棘を、鮮やかに抜いた。


「逃げることは恥ではない、それで生き延びられるならそのほうが良い」
から始まるストーリーなんだけれど、
たぶん「自分」として生きることからは、どうしたって逃げられないんですよね。
ならばその分、できるだけ楽しい方がいい、幸せに近いほうがいい。
そのために必要な逃げならば、何度だって打って構わない。
大切なのは、生き延びることなのだから。


人が決めた価値じゃなくて、ただ自分が決めた信念に従って、なるべく伸びやかに生きられますように。
その中で、大切な人と、明るくて楽しい時間をできるだけたくさん過ごせますように。



見終わった後には、ただより良く生きようとする”意志”だけが明るく残る、そんなドラマでした。それこそ呪いのように作用してしまうことがある「自分らしさ」という言葉からも、するりと逃れるような不思議な軽やかさがありました。
3年遅れになったけど、見られて本当によかったです。
あとたぶん、日本全国が飽きるほど聞いてきたはずだけど、それでも「恋」はやっぱり名曲ですね!?星野源さんは才能のかたまりすぎるよね!?というか、あのエンディングに溢れる多幸感は反則だ。ロングバージョンはとくに泣けて仕方なかった。

3年遅れのとつぜんの感想(しかも長文)に、おつきあいありがとうございました!せっかくなので原作も読もうと思います!

*1:「新感覚の社会派ロールプレイング・ラブコメディ」だそうだ、なるほど…!間違いなく「ラブコメ」ですね。 https://www.tbs.co.jp/NIGEHAJI_tbs/intro/

2019年の観劇とイベントまとめ

まとめてたら紅白に追い抜かされてしまった!大晦日ですね。
まいとしこのまとめ記事を書くときは「さぁ、お前の罪を数えろ!」の気持ちになります。
今年は超あっさりとですが、せっかくなので月ごとの振り返りコメント+各月ごとに更新した記事の中から、ピックアップ記事を貼ってみました。




◆1月

1/20 ミュージカル『刀剣乱舞』 三百年の子守唄2019 ソワレ★初日
1/26 荒木健太朗カレンダーイベント
1/26 ミュージカル『刀剣乱舞』 三百年の子守唄2019 ソワレ
1/27 黒羽麻璃央ファンミーティング2019 1部2部(東京)

★振り返り3行

  • 2019は現場初め(?)が刀ミュだったんだな~と今気づいた!
  • あらけんさんのカレイベは御笠ノさんが司会だったのですがSNS禁な分面白い話が沢山聞けました。
  • ファンミは我慢して東京だけにしたんだけど、仙台の日に友達とアフタヌーンティーをしていたら「あなぐまちゃん、やっぱり新幹線に乗るって言い出すんじゃないかと思った」と言われました(たしかにやりかねんと思った)

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◆2月

2/2 ミュージカル『刀剣乱舞』 三百年の子守唄2019 マチソワ
2/7 The Brow Beat Live Tour 2019 "Hameln"
2/23 ミュージカル「キューティ・ブロンド
2/24 ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」★Wキャスト初日
2/27 ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」マチネ

★振り返り3行

  • 予習間に合わずで行ったけどブロビはやっぱり楽しかったな
  • 初演で見に行けなかったキューティに行けてよかった!
  • ロミジュリが幕を開けた。たいへんなことになった。

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◆3月

3/2 ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」ソワレ
3/3 ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」ソワレ
3/5 ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」ソワレ
3/9 ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」マチネ
3/10 ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」マチネ ★東京千秋楽
3/12 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 19:30公演
3/15 愛のレキシアター「ざ・びぎにんぐ・おぶ・らぶ」ソワレ
3/16 ミュージカル『刀剣乱舞』 三百年の子守唄2019 ソワレ
3/17 「2.5次元トップランナーたち」刊行記念トークイベント
3/21 愛のレキシアター「ざ・びぎにんぐ・おぶ・らぶ」マチネ
3/21 ミュージカル『刀剣乱舞』 三百年の子守唄2019 ソワレ
3/23 ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」マチソワ
3/24 愛のレキシアター「ざ・びぎにんぐ・おぶ・らぶ」マチネ ★東京千秋楽
3/24 ミュージカル『刀剣乱舞』 三百年の子守唄2019 ソワレ ★大千秋楽

★振り返り3行

  • 3月のスケジュール、端的に言って、気が狂っている。
  • 三河ヴェローナとレキシーランドをせわしなく出たり入ったりしていた
  • 3演目とも全部違うベクトルで好きで楽しくて最高の1ヶ月、やりきった感があった(でしょうね)

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◆4月

4/12 ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」マチソワ ★200回記念公演
4/13 ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」ソワレ ★Wキャスト千秋楽

★振り返り3行

  • ロミジュリ梅芸、Wキャストならではのゆったりスケジュールのおかげで、遠征先でお友達と遊べて楽しかった!
  • 楽がソワレだったので新幹線の最終に間に合うべくリアル夜道ダッシュしたのもいい思い出
  • 現場じゃないんですが「日清旅するエスニック」も4月ですね!タイに行きかけたあの日。

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◆5月

5/6 ミュージカル『刀剣乱舞加州清光単騎出陣アジアツアー凱旋 マチソワ
5/11 舞台「黒子のバスケ」ULTIMATE-BLAZE マチソワ
5/12 舞台「黒子のバスケ」ULTIMATE-BLAZE マチネ
5/18 ミュージカル「レ・ミゼラブル」マチネ
5/25 楽天イーグルスVSオリックス・バファローズ(麻璃央くん始球式)

★振り返り3行

  • 加州清光はおれたちの永遠の総隊長!涙
  • くろステあんまり見に行けなかったけど本当に素晴らしいシリーズ集大成でした
  • 始球式、タオルの陣とかあって大変だったけどすっごく楽しかったな~

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◆6月

6/2 映画「広告会社、男子寮のおかずくん」完成披露試写会1~3部
6/8 The Brow Beat ~KLAXON PARTY 2019 at 野音
6/14 映画「耳を腐らせるほどの愛」公開初日舞台挨拶
6/15 Rock Opera R&J ソワレ
6/23 ミュージカル「エリザベート」ソワレ
6/30 和合の輪感謝祭 in東京 1部

★振り返り3行

  • おかずくんの完成披露試写会、まりつば現場は最高だな!と改めてハッピーになった
  • 2年目のブロビ野音、安定感と説得力がましててとても良かった
  • エリザ2019が始まって大興奮

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◆7月

7/6 黒羽麻璃央26thバースデーパーティー1部2部(東京)
7/7 ミュージカル『刀剣乱舞』 髭切膝丸双騎出陣2019 ソワレ
7/15 映画「広告会社、男子寮のおかずくん」舞台挨拶
7/15 ミュージカル「エリザベート」ソワレ
7/20 楽天イーグルスVS福岡ソフトバンクホークス(麻璃央くんコラボ観戦イベント)
7/21 黒羽麻璃央26thバースデーパーティー1部2部(仙台)
7/23 ミュージカル「エリザベート」マチネ
7/23 会えるの?小山内三兄弟ファンミーティング 2部3部
7/27 黒羽麻璃央台湾ファンミーティング 1部2部

★振り返り3行

  • 3月に次ぐきちがいスケジュール月。仙台と台湾に行っている。
  • お誕生月なこともあって、とにかくまりおくんに会いまくる1ヶ月でした!
  • 久しぶりの海外遠征、超弾丸だったけど行ってよかった!

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◆8月

8/3 ミュージカル『刀剣乱舞』 葵咲本紀 ソワレ ★初日
8/4 スタンレーの魔女 ソワレ
8/9 ミュージカル『刀剣乱舞』 葵咲本紀 ソワレ
8/12 ミュージカル『刀剣乱舞』 葵咲本紀 マチネ
8/17 ミュージカル『刀剣乱舞』 葵咲本紀 ソワレ

★振り返り3行

  • 葵咲本紀が始まってしまった月
  • 鶴丸かっこいい国永さん」事変勃発
  • しにそうになってましたね…

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◆9月

9/7 映画「いなくなれ、群青」トーク付き上映
9/14 「テレビ演劇 サクセス荘」ふりかえり上映会1~3部

★振り返り3行

  • 群青、すごく好きな映画でした
  • 本当は3連休に予定してた葵咲本紀の神戸遠征は、公演中止により幻に
  • サクセス荘イベント、けんすけくんの相変わらずのトーク力にわらいじんだ

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◆10月

10/19 ミュージカル『刀剣乱舞』 葵咲本紀 ソワレ
10/20 ミュージカル『刀剣乱舞』 葵咲本紀 ソワレ
10/22 ミュージカル『刀剣乱舞』 葵咲本紀 マチソワ
10/25 ミュージカル『刀剣乱舞』 葵咲本紀 ソワレ
10/26 ミュージカル『刀剣乱舞』 葵咲本紀 ソワレ
10/27 ミュージカル『刀剣乱舞』 葵咲本紀 マチソワ ★大千秋楽

★振り返り3行

  • 葵咲本紀にはじまり、葵咲本紀におわった一ヶ月
  • とち狂ったけどほんとうにたのしかったです…
  • 鶴丸かっこいい国永さんの成長をつぶさに見届けられて、ただただ幸せでした

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◆11月

11/16 黒羽麻璃央カレンダーイベント1~3部(東京)
11/24 ミュージカル『刀剣乱舞』歌合乱舞狂乱 マチソワ(長野)★初日

★振り返り3行

  • なんとまりおくん現場が9月以来だったので、2ヶ月あきました(※珍しい)
  • そしてついに始まってしまう歌合乱舞狂乱
  • またしても現場じゃないんですが、まりおくんのエリザデビューが解禁になった月

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◆12月

12/8 NHK文化センター横浜教室「表現者として」(麻璃央くん講師)
12/13 ミュージカル『刀剣乱舞』歌合乱舞狂乱 マチソワ(福岡)
12/19 NHKラジオ「クイズイマジネーター」公開生放送
12/21 黒羽麻璃央1stトレーディングカード発売記念イベント2部
12/28 Hey!Say!JUMP LIVE TOUR 2019-2020 PARADE

★振り返り3行

  • NHK講座、まりおくんの話が90分も聞けてハッピーの極み
  • 幕末天狼傳ぶりに地元福岡で刀ミュが見られて最高になった
  • 人生初のジャニーズのコンサートを経験、楽しかった!

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去年より現場の数は減ったのでは?って思ったけど、去年が「88」で今年が「85」なのでほぼ変わらずだった!相変わらず体感がザルだ!
(※回数は日数ではなくチケットの枚数で換算しております)
わりとあちこちにいったなぁ。刈谷(愛知)・大阪・仙台×2・台湾・長野・福岡で遠征は7回、これもわたしにしては多めです。
遠征多めだったせいもあるのか、なんだかトータルでジェットコースターのようにあっという間に感じられる一年だったなぁという印象です!…忙しかった!笑
7月が特にやばくて、仙台→仙台→仕事→有給とってエリザからの小山内ファンミ→仕事→仕事→仕事からの羽田前乗り宿泊→早朝5時便で台湾入り、をやったときに流石にヘトヘトになり「もう二度とこんなバカなスケジュールは組まない」と固く心に誓いました。
おたく、無理ができるからってついけっこうな無理をしがち。遠征は計画的に!体調くずして倒れなくてよかったです。…でも楽しかった!笑


今年は、自分の中で優先度がはっきりしたというか、マイルールがより明確にできたようなきがします。
まりおくんの年3回の個人イベントとまりおくんが出る舞台が最優先、次点で刀ミュです。
刀ミュ、やっぱりどうしたって演目まるごと推しなので、見たい気持ちしかなくて…ブレーキがまじで難しいんだけどね…がんばってほしい、2020年のわたし。(ひとごと)


この現場まとめでようやく、という感じなんですが、大晦日まで来て、ためまくってた半券の整理がやっとこさできました。
それに際してゲットしたのがサンリオのエンジョイアイドルシリーズのチケットファイル!まさにもとめてた商品だ~と小躍りして買いました。(オンラインショップはずっと品切れ起こしてるけど、実店舗だと探せば普通に買える気がします!)
https://shop.sanrio.co.jp/products/detail.php?product_id=64549shop.sanrio.co.jp
このファイルの何が良いって、ポケットのサイズが大きいことと、ひとことコメントを残せるメモ欄がついてること!
プレイガイドのチケットはともかく、ファンクラブチケットはポケットのサイズが合わないことが多くて収納に難儀してたのですが、これは大判チケット対応で、見事にぴったりおさまりました。
半券整理してちゃんととっておきたい派には、かなりおすすめです。


2019年はこれがブログ更新の48記事目でした。
だいたい1ヶ月に3~4記事更新できたらいいなぁとぼんやり思っていたのできっちり目標達成できたっぽい!
2020年はどんな年になるのかな。
ひとまずエリザベートにすべてを捧げる人になる予定なので、ある意味スケジュールも立てやすいのですが、
ゆうて何をどこまで我慢できますやら?みたいな感じですね。(またしてもひとごと)
あとまりおくんが2020年に隠し持ってるお仕事、エリザ以外にまだ相当でかいやつがあるっぽさを今日のツイートで感じたので、ドキドキしますがすごく楽しみです…!ハ~ついに推しin朝ドラとか来ちゃう年になるのかなぁ…ソワソワ…!


今年一年お世話になった方、ブログを読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えください!

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シナモロールちゃんとロミジュリ初日チケットだよ

刀ミュ2020年春の新作詳細が発表になったのでとりあえず今の気持ちを叫ぶ

これは単なる、タイトルどおりの日記です!個人的な叫びを叩きつけるだけのやつ!…ブログなんだからいつもそうでは?




◆新作に鶴丸がいる(※知ってた…)

はーーーきちゃった。きちゃいましたね。新作の詳細告知。
その発表は、それはそれは唐突にやってきた。

…いやほんと、めちゃくちゃに急!!!笑
なんの前触れもなくぬるっと発表になったのでまじでひっくり返りました。
仕事中に友人からのLINE通知で見てしまって(18時すぎ)、そこから正直仕事にならなかった。ので、本来残業しないとまずい仕事を抱えているはずが無になって定時退社してきてしまった。明日のわたしがんばってくれ。


そして当然、文字列を見て真っ先に思いましたよね。
鶴丸おるね。

…いやしってた。しってたよ!!!だってさ!!!!

葵咲本紀の大楽カテコ。
「どうだ主。急に俺みたいなのが来て驚いたか?だが、本当の驚きはまだまだこんなもんじゃないぜ」
的な挨拶をなさいましたよね。鶴丸さん。びっくりしすぎて挨拶の後半覚えられなかったもん…。笑
もうあの瞬間に客席で「は?待って」って思ったんですよね。はい来た、新作出るに決まってるやつ~!まさかの宣言来た~!って。
あそこまで明確に、近い将来出てくるよ!ってキャストに予告てきな挨拶されたことなかったから、この時点で若干ひきつけをおこしそうになっていた。
「知ってるよ!わかってるよ!どうせ次も鶴丸出るんでしょ!もうひとおもいにらくにして!!」って思ってたから、うん、鶴丸がいるっていう事実、一応受け止められはした!したよ!!でもな!!!

◆おたくは選択を強いられている

ほんとにね…。過去の自分がすべてを予言していたんですよね。


…まぁ、そうなるよね。みたいな気持ちです。ええ。
全部きっちり当ててどうすんじゃい!!!!!!フラグ回収が得意かよ!!!!!
「一番やばいパターン」で「さすがにそれはわらうしかない」という自分の予想を地で行ってしまうので、まぁ、笑っていますね!ワ~~つら~い!!!ウケる~!!!(混乱)


えー、今のわたしの最新ステータスを3行で説明するとこうなります。

  • ①まりおくん(推し)がまさかのルキーニ役でエリザでの帝劇デビューを果たすため、つまりはおたくとしても一世一代のアレがやってくる

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  • ②しかし同時にわたしは葵咲本紀で鶴丸かっこいい国永さんにやられた。もっと言うと演じているくるむくんさんにもだいぶやられた。

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  • ③して、お前はどうする気だ?推しを増やすんか?…そこはまだ、結論だせねぇ~!(※なぜなら財布はひとつだから)

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そうなんです。これが今のわたしが置かれている現状!

…もう仕方ないんだよーー!!!二兎を追うもの一兎も得ずになっちゃうから、選ぶしかないんだよ!!!(号泣)


いやね、本当に。取るものもとりあえず、わたしは2020年春は、帝劇に駆けつけるしかないのである。
だって、「推しがエリザでルキーニ」なので…。
何度も言うけどわたしはまりおくんがエリザに出るなら絶対にルドルフだと思ってたんじゃ!でもルキーニだったんじゃ!…そんなん一大事すぎるわ!というわけで、推しがエリザでルキーニ。わたしはこれを、2020年の標語にして、最優先にして生きていくと腹を決めているのです。
そして皆様ご存知でしょうか。帝劇のS席は14,000円です(ちなみに値上がりしました)。た、高~!!!刀ミュをみても5000円弱お釣りがくるのやばいですよね。ヒ~!
そんなものが控えてるんだもん、当たり前に緊縮財政になるわけです。じゃないと死ぬ。当たり前に死ぬ。即死。だってわたしは大富豪ではなくただのしがない会社員である!
なんせエリザ4ヶ月ありますからね!帝劇で終わるわけじゃないんや…!

そんなわけなので、「いいかお前。たとえ鶴丸がいたとて、葵咲本紀ほどは、次の新作に通うことはできないぞ。諦めろ、我慢のときだ!」って、新作告知第一弾のあとから自分にず~~~っと言い聞かせて過ごしてきたわけなんですが、いや~。。向き合うとやっぱりつらいです!つらい!

だってわたし、くるむくんの鶴丸が本当に好きなんだもん…!
歌合で改めてそれをいやというほど思い知らされています。
あろうことか歌合期間だけでもまた進化なさってて。詳しくはネタバレ解禁後にあげる記事で書くけども。あまりにも目が離せない才能すぎる。
こんなふうに才能が音をたてて伸びていく様子をリアルタイムで見られることもそうそうない気がしていて、なんて貴重な瞬間に立ち会っているんだろう…と思うとそれだけで胸が熱くなる。
だからこそ、わたしは通いたかった。叶うことなら、鶴丸がいる新作、思う存分、自分の全力で、通いたかった…!涙

ほんとうになぁ。趣味だからこそ、シビアなんです。時間もお金もとにかく有限。
自分が何を選んで何を見ていくのか、悔いがないように悩み抜いて選んでいくしかない…!
葵咲本紀で本当に好き放題暴れて、みたいだけみたのが正直なところなので、それができてよかったと思っておくしかないです。この秋に、その選択をしていてよかったんだと思います。
あそこで悔いを残してたら、きっと今もっと苦しかったと思うから。。

◆「新人」から「先輩」へのステップアップ

急に真面目な話をしますが、次の新作、まきしまくんとくるむくんが、もうすでに刀ミュにおける「先輩」としての役割を担うことが明確になっているので、そこにめちゃくちゃにゾクゾクしています…!
だって、おふたりとも刀ミュの世界にやってきたのは2019年が初めて。それぞれ1作ずつの本公演、共通して歌合を経て、いきなり次はもう新人を一気に3人(未発表の1名が居るはずなので、たぶん4人)迎え入れる立場になるわけです。
これ、それぞれみほとせ再演と葵咲本紀に置き換えるとやばさがわかると思う!


みほとせ再演、まきしまくんはたった一人の新加入メンバーとしての公演参加でした。
自分だけが刀ミュの世界を未経験、という状況はかなりしんどいものがあったと思うし、実際大楽のあとのツイートでほんの少しだけ、辛かった気持ちを書いていたりもしたけど、逆に言うとつまり周りは全員頼れる先輩たちのいる現場でもあったわけです。
更にはエーステで一緒のりゅうぎくんもいたし、挑戦していく立場として存分にぶつかっていける環境があったことと想像します。

次の葵咲本紀では、みほとせ再演とは構成比ががらっと変わり、新人4人をベテラン2名が支える座組になっていました。くるむくんはそこに、新人のひとりとして、というかその中でも一番経験値の少ない若いメンバーとして参加していました。
葵咲本紀におけるもっくんとspiさんのお二人は、本当に見ていて言葉が出ないほど、大きな役割を果たされていました。ただそこに居るだけで、世界がどっしりと根付いたものになる、その深い存在感に、本当に胸を打たれました。
あのお二人がいたからこそ、葵咲本紀は途中に辛いアクシデントがありながらも、大きく実を結ぶ素晴らしい公演になったと思っています。


そして、次の新作。
まきしまくんとくるむくんは、いうなれば葵咲本紀で言うところのもっくん・spiさんと似たような形で、あたらしいキャストを迎える立場に回ることになります。
迎えてもらう、引っ張ってもらう立場から、全く逆の立ち位置へ。新人から先輩へ、ごく短期間での転換。
この構図を見て、刀ミュが明確に「新世代の育成」に力を入れているんだな…ってことを、個人的にですが強く感じました。


2019年は、刀ミュが次なるステージに大きく漕ぎ出した年だったなと思います。
冬のお祭りの集大成としてのらぶフェス2018、紅白歌合戦への出場という大舞台を経て迎えた今年は、”現状維持には決してとどまらない”という刀ミュの強い意志をあらゆる場面で感じました。
驚きの連続だった双騎出陣、演出面でも新しい展開が多々あった葵咲本紀、そして度肝を抜かれる要素てんこ盛りの歌合乱舞狂乱。
年明けに始まったみほとせの再演は、その新しい世界への橋渡しをいぶし銀のような存在感で、担っていた印象があります。単騎アジアツアーでは、変わらない本丸の総隊長の眩しさも存分に見せてもらいましたよね。

この新しい取り組みの1年のラストを飾る、現在公演中の歌合には、これまでの刀ミュを深く支えてきたteam三条with加州清光の6振りのうち、半分にあたる3振りが不在です。
それだけでも、刀ミュが明確に”次の世代”に重心を置こうとしている様子が、見受けられるように思うのです。
歌合への出演メンバーが発表になった時、特に三日月と清光の2振り双方を欠くという点を見て、「あぁ、今の刀ミュはそれでもちゃんと世界を成立させられる、それだけ厚みの出た本丸だっていう自信があるんだな」と思ったことを覚えています。


葵咲本紀にもっくんとspiさんがいてくれた意義について、公演後に書いたブログで、こんな言葉をつかったことがありました。

これは勝手な想像なんだけれど、制作陣としては、おそらくは次世代の育成というか…刀ミュという世界が続いていく上で必要なエッセンス、その場に生きた人にしかわからないものを、「役者の生き様としてまるごと新しいメンバーたちに伝えてほしい」っていうような期待が、あったのではないかな。 生身の役者が、公演ごとにその時間を懸命に生き、お客さんに表現を届ける、それが舞台。 演じる側の人達の中で、一緒に作品をやらなければ伝わらない本質的なことって、きっとこちらからは想像もつかないくらい、たくさんあるんだと思うんです。 「それを伝えてやってくれ」っていう、これからの刀ミュに、刀ミュイズムというか、ある種のバトンを繋いでほしい…というような制作サイドの意志を、今回勝手にですがものすごく感じました。

刀ミュ 葵咲本紀 全体を通しての感想その1 ~それは奇跡という名のすていじ~ - こたえなんていらないさ

…たぶん、刀ミュの制作陣は、この点について、葵咲本紀で相当に大きな手応えを得たのだと思う。
色んな新しい試みに取り組んだ今年、それがいずれも、しっかりとした成果をあげた。
新人として迎えたキャストも、(おそらくは)当初の期待以上の目覚ましい成長を見せた。
よし、やれる。新しい力で、次の章をまたひとつ開いていける。…そんな刀ミュの力強い意気込みが、来年の新作の布陣からは、伝わってくるように感じられるんです。

「さぁ、次は君たちの番だよ」って、まだまだ若いふたりに、期待を込めて、刀ミュ本丸のバトンが渡されているように思えて、ものすごく胸が熱くなります。
ベテランのキャストがそこにいるのとはまた違う、荒削りな部分やまだ原石と呼べるような部分も備えている状態のふたりが先輩の役割を担うからこそ、作品にまた、新しい化学反応を生むこともできるんじゃないかな。


…そう考えれば考えるほど、新作、通いたくて泣けてきますね!ハー改めて新鮮につれえ~!笑
真面目な刀ミュの話をしたら落ち着くかなって思ったんですが、それは無理ですね。むしろ逆効果でしたね。何度でも言う。わたしは刀ミュ新作に、通いたい!!!
でも、推しがエリザでルキーニなんじゃ~!!!財布はひとつしかないんじゃ~!!!もうこればっかりは仕方ね~!!!ね~!!!(エコー)



やー、ここまで過酷な選択を突きつけられる日が早々に来るとはなぁ。
ほんと「そんな全部予想したとおりになるんか?ウケる!」って感じなんですけど、そして予想していたとて結局こうして苦しんでいるので、なんかそれ意味あった?って気持ちなんですけど…。ねぇ。笑

まぁでも、つらいって言ってるけど、実際やっぱり”楽しい”が勝つんですよね。
だってつまりは、大好きが保証されてる存分に命をかけられる演目が、2つも上半期に決まってるんですよ!
そんなの舞台おたくとして、どう考えたってもうそれだけで幸せでは!?やったね!!?


…とりあえず、2020年も「思いを残すな」を胸に刻んで、悔いのないおたく人生を歩もうと思います!(クラウチングスタートのポーズ)(歩むんじゃなくて走っとるやん)

「推し」は「好き」の先にあって、もはや生活なんだなと思う

もうずっと、なにかに向かう「好き」が過剰な人生を歩んでいるなと思うんだけど、
その好きの置きどころがわからなくなる事象にここ数ヶ月見舞われていて、ひとりでけっこう途方に暮れているので、その話を書く。
最初に断っておくと「途方に暮れている」ため、結論は出ていない。

◆私にとっての「推し」

もうこの説明もいらない気がするけど、私にはめちゃくちゃ応援している人がいて、その人のことが好きだー!とさけびながら夜道を駆け出していきそうなメンタリティで日々生きている。(※あくまでも心象風景であり本当にはやりません)
つまりその人はいわゆる「推し」であり、まぁそれはまりおくんのことなんだけど、この「推しだな!」と思い定めた人に向かって流れる感情の動きって、やっぱり本当に独特だなと感じる。


今日はNHK文化センター横浜ランドマーク教室であった、まりおくんが「表現者として」というタイトルで話をしてくれるという講座に参加してきた。もう、めっちゃ楽しかった…。
www.nhk-cul.co.jp
SNS・ブログでのレポは禁止ですと予め告知があったので詳細は書かないんだけれど、1時間半もの長い間、アナウンサーさんから問いかけられるたくさんの質問について話してくれるまりおくんの言葉をずっと聞いていられたので、そもそもインタビューの類が大好物な私にとっては願ってもない、ハッピーな催しだった。


新しい話がたくさん聞けたというよりは、普段から聞いてきた内容をより深堀りした、っていう印象に近くて、それで余計思ったことなんだけど、まりおくんは本当に「外に向けて発する」と決めた言葉にブレが生じないところが見事だなぁと感じる。
本音を隠しているという意味じゃないのだ。そうじゃなくって、「自分について語るとしたら、どんな色合いの内容がより届くか、自分の言葉で何を伝えるべきか」っていうことを、ある種すごく戦略的に考えて紡ぎ出しているような気がする。
発せられる言葉たちは、丁寧に選びぬかれている。どちらかというと本能的にぱっと動くタイプのような気もするまりおくんだけど、人前に立つ自分だから話すべき言葉、というところには、ものすごく注意を払っているように見えるな、とわたしは前から感じている。
前も書いたことだけど、それが雑誌やWEBのインタビューであっても、個人イベントで直接話す内容であっても、変わることがない。
そのブレのなさ、一貫性にふれるたびに、なんともいえない安心感が湧いてくる。
この人を応援しようと思った理由、好きだなと思った理由が、強固に裏付けされていくような感覚になる。


そんな感じなので、わたしはまりおくんについては、しみじみと「推しだな…」と実感する。自分はこの人を応援してるなっていう自覚が、ぽこぽことあたたかに内側に湧く。
心の中に、明確な「推し」という場所があって、そこにすっぽりと収めて、大事にしまってある感じがするのだ。
また全然別な話で、言葉に対して責任を取れる状態でいたいから、応援について「ずっと」っていう単語はもう使わないと心に決めているんだけど、まぁそうであっても、揺らぎのなさみたいなものを内面に感じるし、心の実家だなぁという安心感がただそこにある。

◆新しい「好き」の置きどころ

…で、である。冒頭の話題に戻る。

推しとは違う、全く別種の新しい「好き」が、豪速球で飛び込んでくることが、おたくをやっているとどうやら数年にいっぺんくらい起こるらしい。
説明するまでもないんだけど、わたしにとってのそれは、今年の夏~秋にかけて起こってしまった。
鶴丸かっこいい国永さんである。
いや、刀ミュにおける刀剣男士としての鶴丸にはもう完全降伏してるのでそれはいいのだ(いいのか?)。
問題は、中の人なんである…。


これは周りの友人知人とも100%意見が合う部分なんだけど、テニミュを出自とした舞台おたく、どうしたって中の人にフォーカスしてしまいがちな傾向にある。
もうある種文化として、キャストは公演を通じて成長していくものだ、っていう文脈が当たり前に念頭にあるというか。その努力をつぶさに見守り、「こんなに大きくなって!こんなこともできるようになって!あのときはああだったのに!」…っていうふうに感極まってしまう機能をもう数年前に心に実装済みなので、そこには絶対に抗うことができない。

そんなこんなで、中の人に注目してしまう派のわたし。
鶴丸かっこいい国永さんに心臓を撃ち抜かれた以上、演じているくるむくんさんに注目しないでいることはまずできない。
そこで自分なりにこの数ヶ月、めちゃくちゃ真剣に悩んでいる。
お前は推しを増やす気があるのか?と。

だが、ここについての答えは、まだ出ていない。
なぜなら、
好きは増やせる、でも甲斐性=ズバリ財布は、増やせない!
からだ。


応援には、いつだって取捨選択が生じる。わたしはもともと、全部の現場に通うおたくではないし、自分ができる範囲、あくまで自分がみたいものについてだけ、全力投球のスタイルをとっている。
なのでそれこそ予算&有給の都合で、見送る現場は現時点でたくさんある。
そうなったとき、まとめて二人を本気で真剣に応援できるだけの覚悟が自分にあるのか!?というところ…どうやっても答えが出せないでいる。
だって、なんかそんな中途半端なことを、一生懸命にがんばっている若者に対して向けては、そんなのバチが当たってしまう、と思うのだ(※うまれつき、むだに真面目な性格なんです…)。申し訳なくて、そういう意味で天秤にかけるような行為をやりたくない、と思ってしまう。
だって、向こうは覚悟を持って人前に立っているのだ。そんな人を応援する時には、どうしたってこちらからも、同等の覚悟を差し出したくなる。…なんで趣味にこんなに「覚悟」というワードが頻出してしまうのかはわからないんだけど、とにかくわたしは本気でそう思ってしまう。


鶴丸かっこいい国永さんの中の人であるところのくるむくんさんは(※説明が長いよ)、
どうしたってわたしにとっての「好き」をめちゃくちゃ大量に取り揃えなすっているお方で、正直「なんでこんなことに?」と思っている。
狙い撃ちってこういう時につかうのか?と言いたくなる。ちょっとわけがわからないくらい、わたしにとっての好きな要素しかお持ちでらっしゃらない。
比較的小柄でコンパクトな身長の中でスタイルがよく、運動神経が良い。お人柄はとても素直で真面目、純朴な長野から出てきた青年で、地元が大好き。そもそも「これは…わたしの…好きなタイプのお顔…」とうちのめされるように言いたくなるお顔立ち。わたしはああいうお顔が好きなんだ!お歌を歌えば意味がわからないくらいうまく、とにかく全方位伸びしろしかない。
そしてとどめ。「文章がうまい」。
さすがにこの要素は今まで若手俳優を見ていて出会ったことがないので、一番やられたのは正直ここだ。ここは予想してなさすぎて、10月30日に刀ミュプレミアム会員サイトで更新されたキャストブログを読んだ時、受け身がとれなくて動揺したし、文章がよすぎてめちゃくちゃに泣いた。(その後AOXのファンサイトに有料登録しに行き、新しい情報を取りに行ったところ、その好きな要素がガンガンに積み増されて11月のわたしは息も絶え絶えになった。)

上記のとおり、どこを向いてもオールビンゴなこの状況、さながら差し向けられた刺客である。まじでびっくりする。
とりあえず、そこに対して「好き」へのあらがいをすることはやめることに決めた。だって逆らっても無駄だもの。好きなもんはそりゃあ好きだわ。

やめたんだけど、その先については、わたしは自分の甲斐性にまったく自信が持てない…。
(※お察しのとおり、エリザのS席がいちまいおいくらまんえんか、という点が主な理由である)
稼ぎは有限、財布を2倍にすることはこの先も絶対にできない以上、自分にできることがなんなのか、一番後悔しない選択はなんなのか、悩み抜いていくしかないような気がする。せめてそれが自分に実現できる真摯さなのかもしれない、と思った。

◆「推し」は「好き」の先にあって、もはや生活である

で、ずっとこのテーマについて夏以来悩み続けた結果、最近になって
「推し」はあくまでも「好き」の先に訪れるもので、もはや生活そのものになっていくんだな、と感じた。

推しとは、自分の毎日を自然と彩ってくれる存在。がんばってるからがんばろう、と思わせてくれる存在。
直接はなんのつながりも無いような毎日の時間も、自分の中での些細な努力も、どこかで少しずつ推しに支えられていて、自分も自分らしくいようと前を向く勇気をもらえたりする。
寄っかかるのとも違って、自分の中に一本芯を通すような感覚。

それくらいに、自分にとってはよそからは不可侵で大切なものだから、やっぱり向き合う上では覚悟を備えていたいし、真剣さだけで勝負していたいな、と思う。…ほんとうにこのメンタリティはどこからくるのか、自分でもよくわからない。


ぴかぴか眩しく光りながら飛んできた「好き」を、無視することは私にはできなかった。
でもそれと同じくらい、いま自分の中にある「推し」の居場所はものすごく特別で大事。


このさきに新しい「推し」が果たして本当に訪れるのかどうかは、もう少ししつこく、ひとりで悩み続けていようと思う。もうそれしかできないから、それでいいや。ひとりで受け身をとろうしてとり損ねては、暴れてゴロゴロ転がっていようと思う…。


答えが出るかもしれない頃には、きっともう、次の夏がやってきている気がする。

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講座のかえり、みなとみらいの夕焼けが綺麗だった